第三章 瑠璃姫



 謁見の間での王との会談から五日後、シゲルたちは王都に滞在していた。

 正確に言えば、一度フィロメナの家に帰ってからまた戻ってきたのだ。

 何故そんなことをしたかといえば、単純に会談の後に王家から正式に再度の面会の依頼があったためだ。

 その理由としては、会談の件についてのその後の国としての対応報告があるからということであったが、フィロメナは別の理由があるとにらんでいた。

 とはいえ、世間に衝撃を与えるあれだけのことを報告したのだから、一応結果を聞く必要はある。

 さすがに古代遺跡の件に関しては、投げっぱなしにするつもりはない。

 というわけで、再び王都に戻ってきたシゲルたちは、宿を取ることなくそのまま城へ入った。

 宿を取らなかったのは、今回はさほど長い話になるわけではないだろうと考えていたためだ。


 ただし、それが甘かったと思わされたのは、会議室のような小部屋に通されたときのことだった。

 その部屋にいるメンバーを見て、フィロメナたちが一瞬固まったのがシゲルには分かった。

 逆に、知っている者が二人ほどしかいなかったシゲルは、そのフィロメナたちの様子を見て内心で首を傾げていた。

 シゲルの知っている二人は、謁見の間で見かけた王と王妃である。

 シゲルは、王と話をすることになるだろうとフィロメナから言われていたので、二人がいたことに関してはあまり驚かずに済んでいたが、ほかのメンバーが驚いている理由が分からない。

 そのシゲルを置き去りにして、驚きから復活したフィロメナが、ため息をつくようにして言った。

…………アドルフ王。これは、あまりにも気が早すぎませんか?」

 そう言ったフィロメナだったが、何故なぜか視線はアドルフにではなく、シゲルが初めて会った別の女性に向いていた。

 王と王妃しか視界に入っていなかったシゲルは、改めてそちらの女性に視線を向けて、思わず息をんでしまった。

 それまでの人生でお目にかかったことのないような美人なフィロメナたちと会ったときも衝撃だったが、その女性は彼女たちと同じか(人によっては)それ以上と言われても納得できるほどのぼうの持ち主だったのだ。

 流れる清水のような白銀色の髪は、その女性の隣に立っている王妃譲りだということが分かる。

 さらに言えば、息を吞むような美しさを持つその顔は、両親であろう王と王妃の特徴をしっかりと受け継いでいた。

 その優しげな顔と雰囲気から彼女の性格が穏やかであることは、すぐに察することができる。

 あまりジッと顔を見ていては失礼だと視線を下に移してみれば、ドレスに身を包んだその体が非常に女性的であることが分かった。

 はっきり言えば、山と谷がはっきりとしたそのラインは、シゲルがこれまでの人生で見てきた中で一番だと思っていたマリーナに並ぶほどだった。

 ただ、その女性が美人だということは分かるが、シゲルはこの時点で何故フィロメナたちが驚いているのか、その理由を理解していない。


 シゲルの観察するような視線に気付いているはずのその女性は、それをとがめるでもなくおっとりと微笑ほほえんだまま見返していた。

 その様子に気付いているアドルフ王は、にやりと笑ってからフィロメナに答えた。

「さて、早いかどうかは当人たちが決めるべきことではないか? ──まあ、それはともかく、まずは座ろうではないか」

 さらりとフィロメナからの追及をかわしたアドルフ王は、そう言いながらテーブル席に座るように促した。

 席に着いたシゲルたちはいつもの四人で、その対面に座った王たちも全員で四名だった。

 当然ながら背後には護衛が立っているが、その数には含まれていない。

 王側の四人のうちの二人は王と王妃で、ほかの二人のうちの一人はシゲルが注目してしまった女性、そして残りの一人はその女性に良く似た美形男子だった。

 フィロメナたちの反応や王や王妃によく似ているその顔から、シゲルが初めて会う二人が王族であることはすぐに分かった。

 そのシゲルを見ながら、アドルフ王がこう言ってきた。

「シゲル殿はまだ私の子たちには会ったことが無いはずだからな。紹介をしておこう」

 アドルフ王はそう言いながら、シゲルにとっては初対面であるラウラ姫とカイン王子を紹介してきた。

 ちなみに、ラウラが姉であり、カインはホルスタット王国の王太子だ。

 つまりは、どちらも王妃であるラダの実子であり、実の姉弟きようだいということになる。

 アドルフ王からラウラとカインを紹介されたシゲルは、改めてよく似た二人を見ていた。

 そんなシゲルに、アドルフ王は笑いながら言った。

「最初はラウラだけと会わせるつもりだったのだがな。うわさの御仁と会えるならばと、カインも無理やりに時間を合わせたのだ」

「王。無理やりにはないでしょう。ほかの兄弟たちも会いたがっていたのを、私が会うということで無理に抑えたのですよ?」

「はっはっは。そんなこともあったな」

 笑いながらそう返した王を見て、シゲルは「はあ」と返しつつ、内心で首を傾げていた。

 話の内容からホルスタット王国の王族が自分に会いたがっているということは理解できているが、なぜ自分にという疑問が湧いているのだ。

 自分が渡り人であったり上級精霊を従えているからということは分かっていても、それ以上のことは未だに思い浮かんでいないのである。


 そのシゲルを見ながら、フィロメナがにがむしみ潰したような顔になって言った。

「アドルフ王、先ほども言いましたが、少し気が早すぎませんか? シゲルが表に出てから、まだ一週間も経っていないのですよ?」

「おや、これはまた勇者らしからぬことを言うのだな。即断即決は其方そなたの売りの一つではなかったか?」

 揶揄からかうようにそう言ってきたアドルフ王に、フィロメナはため息をつくことしかできない。

 マリーナに至っては、あきらめたように天を仰いでいた。

 そんな二人を見ながら不思議そうな顔をしているシゲルに、唯一面白そうな顔になっているミカエラが言った。

「珍しくシゲルの察しが悪いわね。それとも、異世界人だから気付きにくいのかな?」

「気付くって、どういうこと?」

 そう言いながら首をかしげているシゲルに、ミカエラがますます笑いを深めた。

「あら。どういうこともこういうことも、この状況に心当たりのあることは、以前ここの宿屋で話したわよね?」

 ミカエラからそう言われたシゲルは、以前王都の宿屋で話したことを思い返していた。

 そのときの会話といまの状況を合わせて考えると、シゲルの脳内であることが思い浮かんできた。

 そして、思わずラウラとフィロメナ、マリーナの顔を交互に見た。

「えっ……。えっ!? ──ええええ!?

 しばらくして今の状況を理解できたシゲルは、思わずといった様子で、絶叫に近い叫び声を上げてしまった。

 この時点で、フィロメナたちが最初に驚いていた理由も完全に理解することができた。


 そんなシゲルを楽しそうに見ていたアドルフ王は、感心した様子でうなずいていた。

「さすがは勇者パーティといったところか。すでに私が考えていたことは、お見通しだったか」

「王。褒めていただけるのはあり難いですが、残念ながら彼女はないだろうと予想してのことです」

 相変わらずの表情でそう言ったフィロメナに、アドルフ王はどこ吹く風で返した。

「おや。そうだったのか。まだまだこちら方面に関しては、読みが悪いのか?」

「お言葉ですが、王。これはさすがに、まだどこも読んでいないのでは?」

 アドルフ王の言葉に反抗するように言ったのは、苦笑しているマリーナだった。

 そんなマリーナに、アドルフ王は楽しそうに笑いながら「そうかな?」とだけ返してきた。


 フィロメナたちが王とそんな会話を行っている間、シゲルはぼうぜんとした様子でラウラを見ていた。

 さすがにシゲルは、この場が単に古代遺跡の扱いについての話し合いではないことには気が付いている。

 とはいえ、まさか自分がラウラほどの美人とのお見合い(のようなもの)をすることになるとはまったく考えていなかった。

 そのため、頭の中は真っ白になっている。

 ただし、シゲル自身は、このお見合いが成立するとはまったく考えていなかった。

 何故なら、シゲル自身はともかく、フィロメナとマリーナの様子を見る限りでは、とても受け入れられるとは思っていなかったからだ。

 いくら一夫多妻が許される世界だとはいえ、その二人の反対を押し切ってまで、そしていかにラウラが美人だからといって、迎え入れるつもりはなかった。

 そんなシゲルを一歩引いたところで見ることができていたミカエラが、再び王とフィロメナたちの会話に割り込んだ。

「会話の途中で申し訳ありませんが、あまり当人を置いてきぼりにして話を進めないほうがよろしいかと思います」

 ミカエラがそう言うと、フィロメナとマリーナはハッとした表情になり、王は不思議そうな表情になった。

 その王が何かを言うよりも先に、ミカエラがさらに続けて言った。

「王。ご存じの通り、シゲルは異世界からやって来た者です。この世界、というよりもこの国の常識は通用しないと思われたほうがよろしいかと」

「む。たしかに、言われてみればそうだったな。これは、済まなかった」

 そう言いながら何故か頭を下げてきた王を見て、シゲルは軽くパニックになっていた。

 なぜ、自分が王から頭を下げられたのかも分かっていないのだ。

 そんなシゲルに、ミカエラが苦笑しながら言った。

「シゲルは他人ひとごとのように感じているかも知れないけれど、貴方あなたがこの場に来た時点で、ほぼラウラ姫との婚約は調ったと思っていいのよ」

……………………………………ハイ?」

 シゲルにとっては寝耳に水の言葉に、たっぷり十秒は空けて、そう返すことしかできないのであった。


    ◇◇◇


 なぜシゲルとラウラ姫との婚約が調ったことになっているのか。

 それは、ラウラ姫の特殊な事情に一因がある。

 ラウラ姫の美貌は、シゲルがれていたことからも分かる通り、近隣諸国に知れ渡っており、その特徴から『姫』と呼ばれている。

 大陸でも五本の指に入るほどの大国の美姫ということで、当然ながら婚姻の申し込みは国内外を問わず引く手数多あまたである。

 この世界ではすでに焦り始めなければならないほどの歳になっていてもその状況であるということからも、ラウラの動向が注目されていることは分かる。

 普通であれば、そんなラウラと貴族でもないシゲルの婚約は調うはずがない。

 ところが、シゲルとラウラの特殊性が逆にそれを可能にしていた。

 というのも、今のところどこの国にも貴族の集まりにも属していないシゲルは、どこに行っても注目の的となるラウラにとっては、それらをかわす上ではまたとない相手なのだ。

 もちろん、シゲル自身は、アマテラス号のことで一時しか注目されないという可能性も十分にある。

 だが、逆に言えば、ラウラ自身が穏やかな人生を過ごすという意味においては、ここでシゲルが出てきたということは、ちょうどいいタイミングといえる。

 今後もシゲルが活躍し続けるということもあり得るが、それはそれで先見の明があったということになる。

 少なくとも王にとっては、今後シゲルが活躍しようがしまいが、大した痛手にはならない。

 それよりは、ラウラが下手なところに嫁いで、今の安定した政治バランスを崩されるほうが痛手となるという判断だった。

 それほどまでに、ラウラはアドルフ王にとっては扱いづらい姫だったのだ。

 とはいえ、いかにちょうど良いといえども外から見れば王族にとって政治利用できる姫を、しかも引く手数多の姫を、一般の者に嫁がせるなどあり得ないことではある。

 もしこのことが公表されれば、国中が大騒ぎになることは間違いない。

 特に、ラウラ姫との婚姻を望んでいた年頃の貴族たちは、騒ぐどころで済むはずがない。

 王の決断を英断だとする者も出るだろうが、苦虫を嚙み潰したような顔をする者も間違いなく出てくるはずだ。

 それが、国内における考えられる影響だった。


 そして、国外に目を向けても状況はほとんど変わらない。

 普通であれば、姫という手札は、王家の影響力を国内外に示すための強力なカードになる。

 ところが、ラウラの場合は、手札自体が強力すぎて、逆にそれがあだとなりかねないような状況なのだ。

 それは、国内における政治状況とほとんど変わらない。

 こんな状況でシゲルに嫁がせるなど逆効果といえなくもないが、それを変えてしまうのが、フィロメナたちの存在である。

 フィロメナの名前は、どんな国であっても市井の者たちの間に広まっている。

 そんなフィロメナが選んだ相手に、ラウラが嫁いだとなれば、それは他国にとっての最大のけんせいになるのだ。

 こうして様々な状況から、王家にとっては、ラウラがシゲルに嫁ぐというのは、もろ手を挙げて賛成とまでは行かないまでも、それなりに良い手といえるのである。


    ◇◇◇


 シゲルは、ラウラ姫の状況を、その父親である王とミカエラから説明を受けるという意味の分からない状態になっていた。

 王自ら一般市民である自分にそんなことをしてもいいのかと思わないでもなかったが、誰も止めなかったので、シゲルに止められるはずもなかった。

「──あ、あの。姫の事情は分かったのですが、それがなぜいきなり婚約が調うことになるのでしょうか?」

 どうにか衝撃から復活できたシゲルが、フィロメナ、マリーナ、そしてラウラ姫をチラチラと見ながらそう聞いた。

 いかに状況が調っているとはいえ、それがようやく一度会ったきりの相手と即婚約になるという理屈が分からない。

 そんなシゲルの心情を察して、ミカエラが少しだけ気の毒そうな顔になった。

「言っておくけれど……いえ、残念ながら、かな? フィロメナとマリーナは、この話は反対しないわよ?」

「えっ……!?

 てっきり以前の話からも嫌がるだろうと考えていたシゲルは、目を丸くしてフィロメナとマリーナを見た。

 その二人は、重々しくため息をついてからはっきりと頷いた。


 驚いた顔で自分を見てくるシゲルに、フィロメナはもう一度ため息をついて説明をした。

「──これがほかの姫であれば、反対する可能性もあったのだがな。まさか瑠璃姫を出してくるとは思わなかった」

「もしここで私たちが反対すれば、瑠璃姫に不満があるのかと、民衆から反発の声が上がるのよ。そもそも、私は瑠璃姫を良く知っているから、反対する理由もあまりないわ」

 フィロメナはともかく、マリーナは魔王討伐の旅に出る前からフツ教の教会でよく会っていた。

 淑女教育をさせるために、一定期間どこかの教会に王族の娘が入ることは、よくあることなのだ。

 その時にマリーナは、瑠璃姫ラウラと交友を深めていたのである。

 子供の時から聖女候補となっていたマリーナは、王女の相手としては最適だったという大人の思惑もあったのだが。

 自分たちの言葉に戸惑うシゲルを見て、フィロメナは念を押すように言った。

「勘違いはするなよ? 私たちが反対しないのは、あくまでもシゲルの気持ち次第ということだ。無理やり婚姻を結んだところで、下手をすれば私たちとの関係もこじれるからな」

「そうね。私もそれはごめんよ」

 フィロメナの言葉にマリーナが追随したところで、今度はアドルフ王が交ざってきた。

「うむ。それは私たちも同じだ。嫌がっている相手に、無理やり娘を押し付けて、不幸な目に遭わせるつもりなど毛頭ないな」

 そう言ったアドルフ王の隣では、王妃であるラダもコクコクと頷いていた。

 周囲の言葉で追い詰められていくシゲルに、さらにミカエラが付け加えた。

「ついでにいえば、ここで瑠璃姫を受け入れておくと、後々の面倒が減るわね。主にほかに嫁を受け入れろと言われなくなるという意味においてだけれど」

「……えーと?」

 もうすでに頭が働かなくなっているシゲルに、ミカエラが苦笑しながらさらに説明を加えた。

「要するに、ここでラウラ姫を受け入れると、ホルスタットの王家を盾にしてほかからの押し込みを断り易くなるというわけ。ついでにいえば、瑠璃姫と並び称されるほどの人を入れないと見劣りもするということもあるわね」

「あ~」

 婚姻の話のはずが、完全に政治上のパワーバランスの話になってしまっていることに、シゲルは頭痛をこらえるようにこめかみに手を当てた。

 もしここで、シゲルがこの話をったとしても、フィロメナたちは文句を言わないだろう。

 それどころか、完全に味方をしてくれるということを分かっている。

 それは今までの話からも、シゲルはそうだろうと確信していた。

 だが、それとは別に、最初から断らないほうがいいと言っている通り、今後のことを考えれば受けたほうがいいのも理解できる。

 正直に言えば、ラウラほどの美人がそばにいてくれるのは、単純にうれしいという気持ちもある。

 それでもまだ迷いがあるのは何故かと考えたシゲルは、ふと思い出したようにラウラを見た。

「そういえば、まだ私はラウラ姫本人の気持ちを聞いていないのですが……?」

 そう。シゲルが引っかかっていたのは、王から紹介されたとき以外に、ラウラ本人からの言葉を聞いていないことだった。

 いくら周囲が推しているといっても、本人がその気でなければ、上手くいくはずもない。


 そんなシゲルの問いかけに、何故かラウラはキョトンとした顔になり、王と王妃は苦笑を返してきた。

「あ、あの……シゲル様。父上と母上は、わたくしの気持ちを確認した上で、この場を設けてくださっているのですが……?」

「ふぇっ……?

 本日何度目かの間の抜けたような返答に、今度はフィロメナたちも含めた全員が苦笑をすることになった。

 とはいえ、さすがに問われたラウラ姫は、少しだけ微笑ほほえんでから言った。

「シゲル様はお優しいのですね。わたくしのことを心配してくださっているのですから。そのような方は初めてです」

 ラウラは、今までこのような場を設けたことは一度もないのだが、似たような状況に立たされたときには、シゲルの立場にいた者は変に舞い上がったりと色々な行動を取っているのを見てきた。

 ただし、シゲルのようにラウラのことを心配したものは、一人としていなかったのだ。

 この一点を取っただけでもシゲルという男性の傍に行く価値はあると、ラウラは優しげな表情の裏でそんなことを考えていた。

 シゲルにしてみれば、まさかの当人からの肯定の言葉に、再び頭の中が白くなる。

「あ、あ~、えーと………………とりあえず、お互いのことを何も知らないと思うので、まずはそこから始めませんか?」

 そうして出てきた言葉がこんなのだったことは、末代までの恥だったと、後のシゲルは述懐することになるのであった。


    ◇◇◇


 出てしまった言葉は、引っ込めることができない。

 シゲルの言葉を聞いた瞬間、フィロメナたちは少しだけあきれたような視線を向け、言われた当人ラウラは「まあ」と言いながら少しだけ頰を赤く染めて、口元に手を当てていた。

 そして、王と王妃は目を丸くしながらラウラとシゲルを交互に見比べ、最後に残った一人からはクスクスという笑い声が聞こえてきた。

「そ、それは、まずはお友達から始めましょうということでしょうか? 婚姻関係を申し込んでいる王族に、そんなことを言う方は初めて見ましたよ」

 そう言って笑い続けるカインに、シゲルは恥ずかしさで身を縮め、ラウラが少しだけにらみつけた。

「カイン、それは少し失礼すぎですよ。それに、わたくしは嬉しかったのですから良いではありませんか」

「うむ。そうだな」

 ラウラに続いて、アドルフも少しだけ厳しい顔になってそう応じた。

 それを見て、カインはハッと真面目な表情に戻り、シゲルに向かって頭を下げてきた。

「たしかに、言い過ぎました。申し訳ありません」

「あ、いえ、えーと……はい。謝罪を受け入れます。というか、私自身もあれはなかったと思っておりますので……」

 王族、しかも王太子から直接頭を下げられて、シゲルは少しだけ居心地が悪そうに身をすくめた。

 シゲル自身は王族だからといって特に思うところはなかったのだが、後ろに控えている護衛たちの視線が少しだけ怖かったのだ。

 シゲルの言葉に、ラウラがもう一度「まあ」と言いながら続けた。

「先ほどのお言葉が、シゲル様自身は勿論のこと、わたくしのことを考えてだということは分かっております。なので、言葉自体を否定なさる必要はないのですよ?」

「そうですわね。わたくしは少しだけラウラがうらやましくなりましたよ」

 ラウラに続いてラダがそう言ったことで、その場の空気は完全にシゲルの味方になっていた。

 もっとも、シゲルの中にある恥ずかしさは、一向に消えてくれはしなかったのだが。

 そこで、微笑ましいものを見るような顔になっていたアドルフは、あごに手を当てながら考える顔になった。

「ふむ。ただ、たしかにシゲルの言ったことは一考の余地があるな。私も娘が不幸になって欲しいと思っているわけではない。相性が悪い者同士で生活を続けても良いことなどなにもあるまい。それなら事前にお互いを知っておくのは、悪いことではないな」

「お言葉ですが、王。この場合、一緒に行動するだけで、姫の評判には傷がつくのでは?」

 自身の言葉に反論するように聞いて来たフィロメナに、アドルフ王は少しだけ驚いた顔になった。

「おや。それこそ聞きたいが、其方そなたはシゲルがラウラを不幸にするような男だと思っているのか?」

 そう聞かれてしまっては、フィロメナとしてはそれ以上の反論する言葉は持っていない。

 グッと黙り込んでしまったフィロメナに代わって、今度はミカエラが王を見て聞いた。

「私たちもそんなことは考えていませんが、万が一の場合は姫の評判が悪くなるのではありませんか?」

「それはそうだろうが、考えようによっては悪いことではないだろう。……まあ、余計に変な虫が近寄ってくる可能性もあるだろうが」

 正式に婚約していない状態で一国の姫が男のそばにいたというだけで、世間はそういう関係なのだと考えるものだ。

 それに加えて、そのまま婚約もせずに白紙に戻すと、姫にとっては業腹なことに「傷物」扱いにされることは確実だ。

 そうなると、今のように婚約申し込みが殺到するということは、減るだろう。

 問題は、そうなった状態の女性に婚約を申し込んでくる者がまともではないことが多いということだ。

 ただし、そうなったらそうなったで、数が減って選別しやすくなるため悪いことばかりではない。

 アドルフ王自身は、姫を国家の道具だけにするつもりはないので、一生独身のままでも構わないと考えているのだ。

 それもこれも現王が姫一人の婚姻に左右されないほどの力を持っているからできることだ。

 実際、そうであるからこそ、今までラウラの婚姻を抑えることができていたのである。

 シゲルとの件をこうして進めているのは、先ほどラウラが言っていた通りに、当人の意思を確認した上でのことなのだ。


 そんなことを考えていたアドルフ王は、考えを振り払うように首を左右に振った。

「まあ、そんなことを今から考えていても仕方あるまい。それに、そもそもラウラとシゲルの関係が悪くなるとはまったく考えていないぞ、私は」

「そのとおりね」

 なぜかここでラダ王妃がうなずきながら同意してきて、シゲルとラウラが同時に顔を見つめ合うことになった。

 そのタイミングの良さにシゲルが少しだけ驚いて、ラウラは恥ずかしそうに頰を染めた。

 それを見ながらフィロメナは一度ため息をついた。

「それは私も認めますが……とにかく、ラウラ姫は今後シゲルと一緒に行動するということで良いんですね?」

「うむ。シゲルと共にあれば、自動的に其方たちも付いてくるのだろう? これ以上の護衛はいないからな」

 取って付けたようにそう付け加えてきたアドルフ王に、フィロメナは苦笑を返すことしかできなかった。

 アドルフ王が、自分を利用する気満々なのは分かっているが、だからといってシゲルから離れる気は毛頭ない。

 優先順位は下がるだろうが、必然的に姫の護衛役になるのは、ほぼ決定事項といえる。

 何となく姫に関する話がまとまったところで、マリーナがアドルフ王に視線を向けながら聞いた。

「これで話は終わりでしょうか?」

「そんなわけがあるか。遺跡に関する話が、まだ終わっていないではないか」

 アドルフのその言葉を聞いて、シゲルはそういえばそんなものもあったかと思っていた。

 すでに前半戦の話だけで、気力が完全に奪われてしまっている。

 どうせ自分が口出しできることはほとんどないのだからと、シゲルは黙っていることにした。


 そんなシゲルの雰囲気を察したのか、一瞬気遣うような視線をシゲルに向けてから、王を見ながらフィロメナが頷いて言った。

「そうですね。それで? ホルスタットとしては、どう対応することになりましたか?」

 フィロメナがそう問いかけると、アドルフは視線をカインに向けた。

 超古代遺跡の問題に関しては、今後も長く続くだろうと考えて、次代の王であるカイン王子に一任されているのだ。

 ついでにいえば、以前フィロメナが持ち込んだ魔道具に関することもカイン王子が担当している。

 王から視線を向けられたカイン王子は、一度頷いてから話し始めた。

「王国としては、貴方あなたたちの主張をほぼ認める形になるだろうということで落ち着いています。一部では認められないという主張をする者もいますが……あれほどの『証拠』を見せられると、反論するのも難しいでしょう」

 王子が言った『証拠』とは、もちろんアマテラス号のことだ。

 あれほどの巨大な物体が空を飛んでいるだけでも信じがたい技術なのに、人を乗せてあり得ない速度で飛ぶのだから、誰が見ても過去に高度な文明があったことは分かる。

 それが今まで知られていた文明ではないことも、見る者が見ればすぐに分かる事実なのだ。

 カイン王子の答えに、フィロメナは一度だけ頷いてから応じた。

「そうですか。それは良かった」

「──ですが、やはり自分たちの目で見てみたいという者が多くいるのもたしかです。……何とかなりませんかね?」

 どうにか遺跡に入ることができないかと確認してくるカインに、フィロメナは首を左右に振ってみせた。

「それについては私が答えられるはずがないだろう。大精霊に確認をするのだな」

 そもそもこれが難しいからカインはこうして頼んでいるのだが、それ以上食い下がっても仕方ないことも分かっている。

 大精霊が、人の営みに左右されることがないのは、誰もが知っている事実なのだ。

 あきらめたようにため息をつくカインを見てから、今度はアドルフ王が付け加えるように言ってきた。

「そういえば、森に入るのが無理ならと、其方たちの持つ空飛ぶ船に目を付けている者たちが増えておるぞ? 大丈夫なのか?」

「大丈夫なのかと聞かれれば、大丈夫ではないと答えるしかないでしょうね。風の大精霊から国全体が目を付けられないようにとだけ忠告をしておきます」

 完全に他人ひとごとのように言ってきたフィロメナに、王族全員の顔が青ざめた。

 さすがに大精霊に目を付けられると、国といえども無事では済まないと分かっているのだ。

 そんな王族に対して、ミカエラが追い打ちを掛けるように続けた。

「言っておきますが、シゲルとラウラ姫の関係が上手くいったとしても、それに期待するのは止めておいたようがよろしいでしょう。大精霊にとってはなんの関係もない話ですから」

「それは、分かっておる。……国に被害が来ない程度に締め付けるしかないだろうな」

 貴族の行動のすべてを抑えつけるなど、いかにアドルフ王といえども不可能である。

 そんなことは王自身が一番良く分かっているので、国に迷惑がかかるという理由でできる範囲で抑えつけるしかない。

 それでも抜け道を探しては自分たちの利益にするのが、貴族という生き物なのだが。

 フィロメナとミカエラの話を聞いて、馬鹿な真似をする貴族が出ないことを祈ることしかできないアドルフ王なのであった。


    ◇◇◇


 王との話し合いを終えたシゲルたちは、そのままラウラ姫の私室へと招かれた。

 シゲルとしては、できればこのままフィロメナの家におさらばしたいところであったが、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。

 更に、私室に入ったラウラは、いきなりこんなことを言ってきた。

「わたくしとしては身軽に行きたいところですが、王がそれを許さないでしょう。人数はどれほど受け入れてもらえますか?」

「姫。あまり無茶を言うな。いくら私の家でも多くの人数を受け入れることなどできないぞ?」

 フィロメナがそう答えれば、ラウラもコクリと頷いた。

「分かっております。ですからこうして聞いているのです。……わたくしとしては、一人で行きたいところですが」

 ラウラがそう言うと、フィロメナたちは苦笑を返し、周りにいた侍女たちは顔色を変えていた。

 その様子をぼうぜんと見ていたシゲルは、恐る恐るといった様子で切り出した。

「あ、あの~? なんだか話を聞いていると、ラウラ姫がフィロメナの家に住むことになっているようなのですが?」

 そう敬語で問いかけたシゲルに、ラウラは悲しげな表情になった。

「──シゲル様。もっと普段通りに話していただけませんか? わたくしはきちんと仲良くなりたいです」

「うっ!? い、いえ、しかし姫は……」

「姫ではなく、ラウラです。私は誰に対しても普段からこの通りのしゃべり方ですから。──お願いします」

「で、ですが…………わ、分かりまし……分かったよ」

 反論しようとしたシゲルだったが、ひたすら悲しそうな視線で見つめてきたラウラを見て、結局折れてしまった。

 あっさりと説き伏せられたのを見て、フィロメナたちが若干あきれたような視線を向けてきたが、シゲルとしてはラウラほどの美人にあんな表情をされて、説得されない男がいれば見てみたいというところだ。

 もっとも、そんなことを言おうものなら、今以上に呆れられることは分かっているので、絶対に言葉にすることはしないが。


 この話題では分が悪いと感じたシゲルは、さっさと話を打ち切って、元の話題に戻すことにした。

「そ、それよりも、なぜラウラが、フィロメナの家に……?」

 改めて聞きたかったことを口にしたシゲルに、ミカエラが呆れた顔のまま言った。

「何を言っているのよ。本当にラウラ姫のことに関してのシゲルは、いつもと違って鈍くなっているわね」

「はい……?」

 意味が分からず首を傾げるシゲルに、ミカエラはため息をつきながら続けた。

「王を始めとして、あの場にいた人たちは、最初からそのつもりで話していたわよ? 気付いていなかったのは、シゲルくらいじゃない? というか、シゲルが気付いていなかったなんて、誰も考えてなかったと思うわ」

 ラウラが一緒に生活することを前提として話が進んでいたことに今更ながらに気付いたシゲルは、がくぜんとした顔になった。

 たしかに恋愛関係に鈍いわけではないシゲルだが、それは日本でのことであって、初対面の男女がいきなり結婚を前提に一つ屋根の下で暮らすことになるという常識は存在していないのだ。

 もっとも、王族の姫が婚約もせずにいきなりそんな状態になるのは、こちらの世界でもあり得ない。

 どちらかといえば、今回の件は、さっさとシゲルと仲良くなって欲しいという王や王妃の意向が強く働いていたりする。

 フィロメナたちは、そのことを理解した上で、先ほどまでの会話を進めていたのだ。

 呆然としたままのシゲルを見て、ラウラが納得したように頷いた。

「たしかに、シゲル様はこちらの世界の方ではないようですね。少なくともこの辺りの諸国の出身ではないようです」

「ああ、そうだ。だからこそ、変な常識は押し付けないほうがいい」

「分かっております。──それで、最初に戻りますが、どうでしょうか?」

 フィロメナに向かって頷いたラウラは、改めて確認する顔になった。

 そのラウラに対して、フィロメナは少しだけ考えるように天井を見てから答えた。

「そうだな。とりあえず、私たちと一緒に行けるのは、あと二人だけだ」

 フィロメナがそう言うと、周りにいた侍女たちが一瞬だけザワリとした。

 それらの騒めきには、一国の姫が連れていけるのが、たった二人の侍女だけ、という批難がある。

 そんな侍女たちを見ながらフィロメナがさらに続けた。

「あまり無茶なことを言うな。そもそも私の家は、パーティを迎え入れる用にしかできていない。部屋数もそんなにあるわけではないんだぞ?」

 貴族の屋敷であれば、多くの侍女を迎え入れることもできたであろうが、残念ながらフィロメナの家はそうではない。

 いくらなんでもいきなり部屋数を増やすことなどできるはずもなく、ラウラを除けばあと二人を迎え入れるのが精一杯なのだ。


 そんな騒ついている侍女たちを無視するかのように、何故なぜかラウラは笑顔になった。

「そうですか。それでしたら──ビアンナ、ルーナ、付いて来てもらえますか?」

 ラウラが侍女たちに向かって話しかけると、二人の女性が前に進み出てきた。

「勿論です、姫様」

「私を選んでいただき光栄に存じます、姫様」

 最初に応じたのがビアンナで、腰まで届きそうな黒髪を持った女性だ。

 そして、次に答えたのがルーナで、金髪をショートカットにしている。

 どちらも侍女であるが、どちらかといえばルーナは護衛も兼ねた武闘派といえる。

 その証拠に、今もその懐には短剣を隠し持っている。

 暗殺を警戒しての人員だけに、彼女が持つ技能はかなり高いのだ。

 もっとも、どう頑張ってもフィロメナには敵わないのだが。

 一方、ビアンナは完全にメイド型(?)で、戦闘はあまり得意としていない。

 ただし、家事全般に関しては、超エキスパートといえる技量を持っている女性だ。

 ちなみに、どちらも家族と呼べる存在はいないので、王都を離れることになるラウラに付いていくには適任だった。

 勿論ラウラは、そのことをすべて分かった上で、二人を選んでいた。


 人が少なすぎます、ほかにも人を、というほかの侍女たちの声が上がる中、シゲルはただただことの成り行きを見守るだけだった。

 いつものシゲルであればとっくに諦めても良いような状況なのだが、なぜか思考がまとまらない。

 どうしてなんだろうと考えつつ、何となくラウラ姫を見ると、ちょうど視線が合ってニコリと微笑ほほえまれてしまった。

「どうかなさいましたか?」

 彼女の笑顔にドキリとしてしまったシゲルに、ラウラがそう聞いて来た。

「あ、いや、なんでもないよ」

「そうですか?」

 そう言って少しだけ首を傾げたラウラだったが、再び侍女たちを説得しはじめた。

 一応、雇い主は王なのだが、侍女たちに対して直接の責任を負っているのはラウラなのだ。

 そんな侍女たちに、ラウラはとうとうと語り始めた。

「──貴族ではない方に嫁ぐと決まった以上、多くの人数を連れて行けないということは分かっていたはずです。わたくしはこれからシゲル様に認められないといけない立場ですのに、最初から迷惑をかけることはできません」

 ラウラがそう言うと、侍女たちの厳しい視線がシゲルに集中した。

 それに気付いたラウラは、さらに続けて言った。

「言っておきますが、シゲル様に対して何かをすれば、それはわたくしに対する敵意だと判断します。そのことを重々承知の上で行動するようにしてください」

 きっぱりとラウラがそう言い切ると、シゲルに対する視線の圧力は激減した。

 それでもなお、厳しい視線を緩めていない者は、ラウラに対する忠誠心なのか、自身の先行きに対する不安なのか、判断が難しいところだ。


 そんな侍女たちに、ラウラは少しだけ微笑みを見せた。

「それに、いざとなればわたくしがこういう状況になってもいいようにと育てられていることは、みなさんご存じでしょう?」

 シゲルにとっては予想外の言葉に、侍女たちはそろってにがむしつぶしたような表情になっていた。

「え、えっと、どういうこと?」

 意味が分からずに小声でそうつぶやいたシゲルに、マリーナが近寄って来てこそっと教えてくれた。

「ラウラ姫は、侍女なしでも生きていけるようにと、幼いころから家事全般を教わっていたのよ。……主に王妃様から」

 なんだそれはと思わず言いたくなったシゲルを、誰も責めることはしないだろう。

 現に、フィロメナとミカエラも少しだけ呆れた顔になりながらもうなずいていた。

 姫が自活できるほどの生活力を持っていることは、ある程度のところまで広まっている事実なのである。

 シゲルとしては、何をどうすれば王妃自ら我が子である姫にそんな教育をすることになるのかと言いたいところだが、事実である以上はこの場でそれを口にしても仕方ない。

 着々と準備を進めて行くラウラを見ながら、ただの深窓の令嬢ではなかったのかと、改めてそんなことを考えるシゲルなのであった。


    ◇◇◇


 押しかけ女房よろしく一緒に生活していくことが決まったラウラだが、さすがにその日のうちにというわけにはいかなかった。

 低い可能性とはいえ、シゲルがきっぱりと断ることもあり得たため、最初からすべての準備をしていたわけではないのだ。

 というわけで、また数日後に必ずくるという約束をさせられた上で、シゲルたちは一度フィロメナの家へと戻った。

 そして、家の居間に入るなり、シゲルはぐったりとソファに身を預けた。

…………疲れた」

「あらあら。ご苦労様」

 シゲルは、ニヤニヤとした表情を浮かべながらそう言ってきたミカエラに反応する気力もなく、近くにあったクッションに顔を沈めた。

「あんな話になるなんて聞いていないよ」

「いや、すまないな。私たちもまさかと考えていた可能性だったからな」

「そうね。私もまさかアドルフ王があんな思い切った決断をするとは思っていなかったわよ」

 フィロメナとマリーナは、半分呆れたような顔でそう言ってきた。

 その二人にシゲルは恐る恐るといった顔を向けた。

「それにしても、あっさりと認めたけれど、本当にいいの?」

 えて何をとは言わなかったシゲルだったが、フィロメナとマリーナにはしっかりと話が通じた。

「話し合いの時にも言ったと思うが、別にもろ手を挙げて歓迎というわけではないぞ?」

「そうね。ただ、デメリットよりもメリットのほうが大きいから迎え入れたのよ」

 もちろん、単にそういった打算だけではなく、ラウラのことをまったく知らないというわけではないことも関係している。

 最初から一緒にやっていけないと分かっていれば、フィロメナとマリーナはあの場ですぐに反対していた。


 改めて自分次第だと突きつけられたシゲルは、大きくため息をついた。

「……何というか、どう考えても拒否できない未来が待っている気がする」

「あら? そんなことを考えている時点で、シゲルとしてはラウラ姫のことを気に入っているんじゃないの?」

 そう茶々を入れてくるミカエラに、シゲルは少しだけ視線をずらして答えた。

…………そうとも言う」

 あんな美人で性格も良さそうな女性と一緒に生活ができると聞いてうれしくならない男はまずいないだろう。

 勿論、本当にずっと生活を共にできるかどうかは、別の話である。

 だからこその「お友達」発言だったのだが、シゲルの中であれは、すでに思い出したくない過去となっている。

 少しだけ気まずそうな顔になったシゲルに、フィロメナが笑いながら言った。

「まあ、いいではないか。『姫』と評判の美姫を手に入れることができるんだぞ? あまり深く考えずに喜べばいいのではないか?」

 あっさりとそんなことを言ってきたフィロメナに、シゲルは微妙な表情を浮かべた。

…………本当にそれでいいの?」

「以前にも言ったではないか。別にシゲルを独占したいという気持ちが無いわけではないと。ただ、私にも打算はあるから、良いほうを選ぶさ」

 フィロメナの言葉に同意するように、マリーナが頷きながら続けた。

「そうね。今回は、ラウラ姫を迎え入れたほうが良いと思ったのはたしかね。それに、もし本気で私たちが嫌がれば、シゲルは断ってくれるわよね?」

「それは、まあ、そうだけれど……」

 疑いの様子を見せることなく聞いて来たマリーナに、シゲルは頷いた。

 そんなシゲルに、フィロメナが笑いながら続けた。

「まあ、良いではないか。少なくとも、駄目だった場合を考えて、シゲルはあの約束を取り付けたんだ。それだけでも私たちとしては十分だ」

「そんなものかな?」

 そう言って首を傾げたシゲルに、マリーナが笑いながら答えた。

「そんなものよ。私たちのために、シゲルはあんなことを言ってくれたんだもの」

「ああああ。お、思い出させないで!」

 そう言いながら頭を抱えて、もう一度クッションに顔を沈めたシゲルを見て、フィロメナたちは楽しそうに笑い声を上げるのであった。


    ◇◇◇


 ラウラの準備のために一度家に戻ったシゲルだったが、五日後には再び王都へと向かった。

 今回はラウラを迎えに行くだけなので、一緒にいるのはフィロメナだけである。

 アマテラス号から城へと向かったシゲルとフィロメナはラウラの部屋まで真っ直ぐに通されて、そこでしっかりと準備を整え終えた本人に出迎えられた。

 着ている服も前回会った時に着ていたひらひらドレスではなく、動きやすそうな服装だった。

 ただ、動きやすそうといっても王女が着るようなドレスと比べてという意味で、しっかりと女性らしい印象を受ける衣装を身にまとっている。

 その辺は、周りにいる侍女たちが張り切って決めたのだと思われる。


 そんなことを考えていたシゲルに、ラウラがにこりと笑いながら言った。

「こちらの準備はもうできていますが、少し休まれてから行かれますか?」

「こっちは特に休みは必要ないけれど……すぐに移動で大丈夫? 国王にあいさつとか……」

「ああ、いえ。それはもう済ませておきました。もし、シゲル様が必要だと思われるのでしたら手続きいたしますが?」

「いや、もう終わっているんだったらいいよ。特に用事があるわけじゃないし」

 するべきことはしておいたと言ってきたラウラに、シゲルは慌てて首を左右に振りながらそう答えた。

 本来なら会うべきなのかもしれないが、相手が国王という立場上忙しいということは分かっているので、敢えてこちらからさらに忙しくなる要因を作るつもりはない。

 ラウラが会って欲しいと言うのであれば断るつもりはなかったが、そうでないのならこちらから会うつもりはない。

「そうですか。では、行きましょうか」

「ああ、ちょっと待った。そっちの人数は三人で変わらず?」

 前の時にはラウラに加えて二人の侍女を連れて行くと聞いていたが、事情が変わっているかもしれない。

 その場合は、受け入れる側でも色々と準備が必要になる。

 それを心配してのシゲルの問いだったが、ラウラはあっさりと頷いた。

「はい。あまり大人数で移動しても意味がありませんから」

「いや。意味がないということはないと思うけれど……」

 ラウラの言葉に、シゲルは苦笑しながらそう返した。

 ラウラは王女としての自覚が薄いわけではないだろうが、妙なところで庶民っぽい感覚を持っていることが、シゲルとしては多少不思議ではあった。

 シゲルの中では、普通の王女はこういう場合には多くの侍女を連れて歩くと考えているという意識があるのだ。


 少しだけシゲルが戸惑っていることに気付いたのか、ここでフィロメナがフォローをするように口を挟んできた。

「ラウラ姫がいいと言っているのだから、それでいいのだろう。それよりも、ここからの移動はどうされるのでしょうか?」

 前半はシゲルに、後半はラウラに向けて言ったフィロメナは、視線も同じように動かしてラウラを見ていた。

 シゲルとフィロメナはここまで徒歩で来ていたが、いくらなんでも一国の姫がふらふらと外を歩くわけもない。

 そう考えてのフィロメナの問いには、ラウラの頷きと同時に予想通りの答えが返ってきた。

「馬車を用意してありますので、お二方もそれに乗っていただくことになります。もし不都合であれば歩きでも構いませんが……」

「いや。あくまでも確認だ。馬車があるのなら、そちらのほうが良いだろう」

「そうですか。それではそのようにいたしましょうか」

 ラウラがそう言って頷くのを見ていたシゲルは、ふと思い付いたように聞いた。

「そう言えば、荷物はどれくらいあるのかな? もう馬車には積んである?」

「はい。そちらの準備も終わっています。──といっても、あまり多くの物は積んでおりませんが」

「え? でも……いや、何でもない」

 さすがにここまでくれば自分がイメージしている姫とは違うと理解できてきたシゲルは、それ以上問いかけるのを止めた。

 最初から侍女を二人だけに絞っているラウラのことなので、荷物の量も常識の範囲内に収まっていると思ったのだ。

 それはフィロメナも同じようで、それ以上の質問はしなかったのであった。


    ◇◇◇


 シゲルたちは、ラウラが用意した馬車に乗ってアマテラス号へと向かう。

 勿論用意された馬車は王家が使うもので、検問は素通り──というよりも普通は使われることがない王族だけが通れる門を使って王都を抜けた。

 王族であるラウラがいるのに、一台の馬車だけしかないというのは普段通りではないのだが、すでに門番には通達が行っていたのか、特に不審がられることなく無事に門は通過できた。

 アマテラス号を泊めていたのは一般市民が使える門のそばだったので、出てきたところからは少しだけ距離がある。

 といっても王城から門までの距離はあまりなく、王族専用門を通過してからアマテラス号までは数分もかからずに着いていた。

「今、荷物を搬入できるようにしてきますので、お待ちください」

 馬車から出てそう言ったシゲルに、ラウラは感心した様子で頷いた。

「かしこまりました。──それにしても、間近で見るとやはり大きく見えますね。これが空を飛ぶとは信じ難いです」

「ハハ。まあ、すぐに見慣れると思いますよ」

 シゲルはそう答えながらアマテラス号の搭乗口へと向かった。

 フィロメナはすでに登録してあるので問題ないのだが、ラウラたちはきちんと搭乗できるように新たに登録をしなければならない。

 それに、持ってきた荷物の積み込み作業をする者たちの登録も必要だ。

 ちなみに、アマテラス号は乗組員、お客様(一時的な乗り込み)、搬入スタッフと、いくつかの分類に分けて登録することが可能となっている。

 エアリアルの配下の精霊たちも、この区分けを基準にしてアマテラス号の監視をしているのだ。


 荷物の搬入は、馬車に付いて来ていた護衛の騎士たちが行っている。

 その間、ラウラ、ビアンナ、ルーナは、フィロメナと一緒に艦橋へと来ていた。

「──これが、この船を動かすための部屋……ですか。下手に物を触ると落ちたりしそうで怖いですね」

 操縦席の前にある多くのパネルやボタン類を見ながらラウラがそんな感想を漏らして、両隣にいるビアンナとルーナは同意するように無言のままうなずいていた。

「ああ、いや。そんなに簡単に墜落するようにはなっていませんが……慣れるまでは、変に触らないほうがいいかも知れませんね」

「そうだな。この船は、今の世界では作れない高度な魔道具の塊だ。下手な操作をして二度と動かなくなるなんてことにはしないほうがいいだろうな」

 シゲルに続いてフィロメナも真顔になってそう忠告した。

 アマテラス号は、動く遺物としての価値だけではなく、現代では解き明かすことのできない高度な技術で作られた魔道具が数多く組み合わさってできている。

 もし、何かの拍子に動かなくなってしまったなんてことになれば、その損失はいくら王族だからといって簡単に済ませられるようなものではない。

 それを十分に理解したラウラたちが、少しだけ青ざめた表情になったのを見て、シゲルが少しだけ笑いながら言った。

「脅かすように言ってしまいましたが、大丈夫ですよ。操縦の邪魔をしたりしない限りは、いきなり墜落なんてことはありませんから」

「まあ、そうだな。動かし方に関しては、追々教わればいいだろう。──そう言えば、操縦の権限はどうなっているんだ?」

 後半は自分に向かって聞いてきたフィロメナに、シゲルは頷きながら答えた。

「ああ、今はまだ搭乗できるようにしただけだけれど……操縦もできるようにしたほうがいいかな?」

「さて、難しいところだな」

 ラウラはまだ名目上は「シゲルのお友達」という立ち位置なので、アマテラス号という重要な古代の遺物を簡単に動かせるようにしていいかどうかは微妙なところだ。

 とはいえ、今のままでは仲間外れ感が強くなるのは否めない。

 どうしたものかと首をひねったシゲルに、当の本人であるラウラが首を左右に振った。

「今すぐに権限を変える必要は無いと思います。どちらにしても、まずはきちんと扱い方を習ってからのほうがよろしいかと」

「うーん……。それもそうか。ラウラ姫がそれでいいのでしたら、そのようにしておきます」

 ラウラがいいと言ってくれたので、アマテラス号の操縦の権限に関しては現状のままということになった。

 いずれはきちんとしなければならない時がくるのだが、それは少なくともシゲルとの婚約が済んでからということで決着することになる。

 ただ、今はまだそんなことになるとは知らずに、シゲルはほかの者たちが席に着いたのを確認してからアマテラス号を動かすのであった。


    ◇◇◇


 ホルスタット王国の王都を出発したアマテラス号は、特に問題なく魔の森にあるフィロメナの家のそばに着いた。

 ラウラは空を飛んでいる間、生まれて初めて見る光景に浮かれていたようだったが、すでに落ち着いた様子で家の様子を見ていた。

「こちらがフィロメナ様のお屋敷なのですね」

「まあ、お屋敷といえるほど広いかどうかは分からないがな」

 感心した表情で周囲を見回しているラウラに、フィロメナが苦笑しながら答えた。

 フィロメナほどの財力があればもっと大きな屋敷も持てるが、そんな広い家は必要だと考えたことがなかったのだ。

 フィロメナにとっては、パーティメンバーが泊まれるだけの部屋があればそれで十分だったのだ。

 貴族の屋敷よりも広いお城に住んでいたラウラ姫だが、自分にあてがわれた部屋を見てうれしそうな顔をしていた。

「こちらがわたくしの部屋になるのですね。──ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 思わず反射的にそう答えたシゲルに、ラウラは嬉しそうな顔になり、フィロメナたちはニマニマと笑っていた。

 どうにもラウラを前にするとペースを乱されると自覚し始めていたシゲルだったが、もはや手遅れではないかという思いも抱き始めていた。

 そんなことを考えているシゲルに対して、ラウラは平常通りだったのかといえば、そういうわけではない。

 特に、紹介の意味も含めてシゲルが契約精霊を呼び出したときは、おっとりとしている表情をきようがくに変えていた。

「一体シゲル様は、どれほどの精霊と契約しているのですか!?

「あ~、いや、あと一体いるけれど、それは出て来られないかな?」

 サクラの姿はシゲルも画面上でしか見たことがない。

 だが、そんなシゲルの言葉は、気休めにもならなかった。

 ラウラが救いを求めるようにミカエラに視線を向けたが、当の本人は肩をすくめて言った。

「シゲルに関しては、そういうものだとあきらめたほうが早いわよ? それに、これからもっと増やしてもおかしくはないと思っていたほうが良いわね」

「そんな……」

 ぼうぜんとした表情でそうつぶやくラウラは見ものであったが、それだけで済んでいるのはさすがというべきだった。

 現に一緒について来ているビアンナとルーナは、言葉もなく両目を見開いて精霊たちを見ている。

 特に、自身にも契約精霊がいるルーナは、口をパクパクさせていた。

 普段は寡黙で表情を変えることがないルーナがそんなことになっているのだから、どれほどの驚きかは推して知るべしといったところだろう。

 下級の契約精霊が複数いること自体は、そこまで驚くようなことではない。

 だが、上級精霊三体に加えて、さらにほかにも三体の精霊がいる。

 それで驚くなというほうが、無理な注文なのだ。

 そんなラウラたちの反応を見て、ミカエラがここぞとばかりにシゲルに言った。

「ほら見なさい。これが、一般的な反応というものよ」

「あ、はい。ごめんなさい?」

 何故なぜだか誇らしげに言ってきたミカエラに、シゲルはそう返すことしかできなかった。


 ラウラたちがシゲルのことに驚いている一方で、シゲルもまたラウラに驚かされることになる。

 それは、シゲルが夕食を作り始めたときのことだ。

 ラウラが手伝うと言って包丁を使い始めたのだが、どう見てもその使い方が、単に親から簡単に料理の仕方を習ったというようには見えなかったのだ。

 はっきりいえば、素人しろうとであるシゲルにも、プロ並みの軽やかさに見えた。

「……あ~、これは、下ごしらえは全部ラウラに任せたほうが良いかな?」

「本当ですか? それでしたら切り方だけ教えてください。わたくしたちがやってしまいます」

 シゲルの言葉に、ラウラは嬉しそうな顔になってそう言ってきた。

 ちなみに、ラウラの隣では、ビアンナが同じような手つきで野菜を切っている。

 ラウラとビアンナの様子を見て、レシピさえ教えてしまえば自分の出番はなくなりそうだとシゲルは考えていた。

 ラウラが自分でも役に立てそうだと言って嬉しそうな顔をしているのを見てしまえば、シゲルとしてはそれならそれで構わない。

 問題はそれをフィロメナたちが許すかどうかだが、そんな心配はシゲルのゆうでしかなかった。

 夕食の席でそのことを切り出すと、フィロメナたちはあっさりと頷いたのだ。

「シゲルやラウラ姫がそうしたいのならそうすればいいのではないか?」

「そうよね。別に私たちはなにも困らないわよ?」

 フィロメナに続いてミカエラがそう言えば、マリーナもその隣で頷いていた。

 フィロメナたちが同意したことで、今後は少しずつラウラたちに台所を任せることになりそうだとシゲルは考えていた。

 その考え自体が、すでにラウラを迎え入れることに前向き、どころかそのつもりになっているのだが、このときのシゲルはそれにはまったく気付いていなかったのであった。


    ◇◇◇


 ラウラがフィロメナの家に来た翌朝。

 シゲルは満を持して(?)、しるをラウラたちに勧めた。

 ちなみに、昨夜はホルスタット王国で一般的な塩味をベースにしたスープにしていた。

「これは……なんというか、温かさを感じますね。いえ、温度ということではなく、温もりといいますか……?」

 自分でも言っていて意味が分からなくなったのか、ラウラは小さく首を傾げながらそんな感想を漏らした。

 言いたいことは良く分からなかったが、味噌を好意的に受け止めてもらえたらしいと、シゲルは内心でホッとあんしていた。

 フィロメナたちは喜んでくれていたが、ほかの者の意見も聞いてみたかったのだ。

 その国で一番の味を口にしていたはずのラウラが受け入れてくれたので、本当に大丈夫なのだろうと安心したというわけだ。

 もっともそれは、シゲルの誤解が多分に含まれている。

 シゲルには、フィロメナたちは魔王討伐の旅は、各地にあちこち出向いて魔物を倒していたというイメージがある。

 それは間違いではないのだが、その各地の討伐の際には、ほぼ確実に王やら代表者に招かれてパーティーなどに出ていた。

 そのため、当然のように各地の美味おいしい料理を口にしてきているのだ。

 そういう意味では王族であるラウラよりも、フィロメナたちのほうが多様な料理を食べてきているといえるのだ。


 フィロメナたちの食事事情はともかく、何やら感じ入ったように味噌汁を飲んでいるラウラに、シゲルが改めて聞いた。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。──フィロメナたちも言っていたけれど、やっぱり売れるかな?」

 シゲルがそう聞くと、ラウラ……ではなく、同じように勧められて飲んでいたビアンナが勢いよく頷いていた。

もちろん売れます! これまで決まりきった味しかなかったのに、まったく別の味ができるのですよ!? これは革命です!」

「あ、そ、そう。それは良かった」

 詰め寄りながらそう言ってきたビアンナに、シゲルは思わず身を引きながらそう答えた。

 それを見て、ビアンナはハッとした様子になって頭を下げてきた。

「……申し訳ございません。少し興奮しすぎました」

 そう言っていつもの通りの表情になったビアンナを見て、ラウラがくすくすと笑いながら口元に手を当てていた。

「ビアンナがそこまで興奮するのは珍しいですね。それはともかく、ビアンナがそこまで言うのならその通りなのでしょう。実際わたくしも売れると思いますから」

「そうか。やっぱりそうなんだ」

 ラウラの説明を聞いて、改めてシゲルは納得した顔で頷いていた。

 そもそも味噌やしようの話は、王との話し合いの際に出すはずだった。

 ところが、フィロメナたちも含めて、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 はっきり言えば、もともとの話である遺跡のことを詰めただけで、完全に調味料のことは頭から抜けていたともいえる。

 ついでに言えば、謁見の間は新しい調味料の話をするような雰囲気でもなかった。

 シゲルたちの中では、味噌や醬油は自分たちが楽しめればいいという考えもあったので、完全に後回しになってしまったのである。

 ここで、味見用の味噌汁をもう一口飲みながら感じ入ったような顔をしているラウラたちを見ながら、様子を見ていたフィロメナが交ざってきた。

「だから言ったであろう? 世に出回れば売れると。……まあ、話をするのはすっかり忘れていたのだが」

「はは。忘れていたのは自分もそうだから、それについては何も言えないよ」

 シゲルは笑いながらそう返したが、ラウラたちは真剣な表情になっていた。

「ということは、シゲル様はこちらの調味料を売り出すおつもりなんでしょうか?」

「そこが微妙なところでねえ……」

 そう前置きをしたシゲルは、以前フィロメナたちと話し合った内容をラウラにも話し始めた。


────なるほど。そういうことですか」

 シゲルとフィロメナから一通り話を聞いたラウラは、そう言いながら何度かうなずいた。

「そういうわけで、シゲルとしては大陸中に味噌を広めたいのだ。其方そなたはどう思う?」

 そう聞いたフィロメナの視線は、何かを確認するような顔になっていた。

 その顔を見れば、ラウラが王家とシゲルのどちらを優先するのかを見極めようとしているのは分かる。

 しかもえてそれを見せることによって、ラウラに対するプレッシャーも与えているのだ。

 そんなフィロメナの思惑を当然理解した上で、ラウラはごく自然な顔で答えた。

「フィロメナさんが仰っていた通りに、この話は各国の上に持ち込んだほうがいいでしょう。その後で、どう国内に広めていくかは、それぞれの判断に任せたほうがよろしいと思います」

 ラウラの答えを聞いて、フィロメナはにやりと笑って頷いた。

「やはりそうなるか」

「はい。シゲル様が一番楽で、ほぼ確実に大陸に広める方法となるのは、それでよろしいかと思います」

 各国に伝えた後で、それぞれのトップが広めなくてもいいと判断したのであれば、それはそれで構わない。

 シゲルも無理やりに味噌や醬油をこの世界に広めようとは考えていない。

 探るような顔で自分を見てくるフィロメナに、ラウラは苦笑しながらさらに続けた。

「何を仰りたいのかは分かりますが、今の問題は大して難しくありませんよ? 何しろ、王国にも利益があることですから」

「これはこれは」

 ラウラの言葉を聞いて、フィロメナは苦笑しながら肩を竦めた。

 ラウラの立場は微妙なところで、下手にシゲルに肩入れをしていざというときに戻ることになった場合、それまでの行動で変に縛られることになりかねない。

 それゆえに慎重に行動しなければならないのだが、今の場合はそこまで悩むようなことではない。

 何故なぜなら新しい調味料の利権に、多少なりとも関わることができるのだから。

 場合によっては、ラウラがいたからこそ王族に利権をもたらしたという話し方もできるので、プラスにはなってもマイナスになることはない。

 問題なのは、完全にシゲルと王国の利害が対立するときだが、そんなことは滅多に発生しないだろうとラウラは考えていた。

 勿論、いざ発生したときのことも考えてはいるが、それはそれ、その時の状況により判断することにしている。


 ラウラがそんなことを考えている一方で、フィロメナは別のところで感心していた。

 もしこの場でラウラがシゲルだけを優先すると宣言すれば、その後の行動も疑ってみることになっただろう。

 フィロメナは、自分のことは棚に上げて、ラウラがシゲルにひとれをしたなんてことは欠片かけらも考えていない。

 そもそもほとんどが王家の都合で結婚することが多い王族は、だからこそ結婚した後の生活でそれぞれが好きになるように努力をして行くものなのだ。

 勿論、中にはずっと反発し合って生きて行くパターンもあるが、そこまで極端な例は多くないのも事実である。

 というよりも、そういう話が目立ってうわさとして流れているだけで、王族に限らず貴族同士の結婚も似たようなものだ。

 会談の場でラウラがシゲルのことを好ましいと言ったことは本音だろうが、だからといって惚れているわけではないことは、十分に承知している。

 だからこそ、フィロメナもマリーナも、ラウラのことを注意深く見守っているのだ。

 フィロメナとラウラのやり取りを苦笑しながら見守っていたシゲルは、その雰囲気を変えるように言った。

「とにかく、味噌や醬油に関しては追々ということで。別に焦って広める必要はない……ない、よね?」

 シゲルがそう問いかけると、フィロメナとラウラは同時に顔を見合わせて難しい顔になった。

「どうだろうな。こうなった以上は、できるだけ早めに広めてしまったほうが良いかも知れない」

「わたくしも同感です」

 先ほどまでの空気はどこへ行ったのやら、あっさりと同調してそう言ってきたフィロメナとラウラにシゲルは首を傾げる。

 そのシゲルに、ラウラは頷きながら続けた。

「新しい調味料をシゲル様が持ち込んだとなれば、それだけ注目度は上がります。シゲル様にとっては余計なことかも知れませんが、ただの渡り人ではないと知らしめるためには必要なことだと思います」

「はっきり言えば、味噌や醬油を武器に、いろいろなところで立場を作れれば、それだけシゲルにとっての盾になるということだな」

 謁見の間では上級精霊がついていることを見せて、直接的な攻撃への盾を見せた。

 その次は、直接的なものではなく、人のつながりという意味での立場を作っていくべきだというのが、フィロメナとラウラの意見なのだ。

 今ならアマテラス号の所有者ということで、貴族たちの注目も集まっている。

 その上で新しい味を国内に広めることができれば、大精霊に関係しないシゲル自身の価値も知られていくことになる。

「あ~、なるほど。そういうことね」

 フィロメナとラウラの言い分に納得したシゲルは、大きく頷きながらできるだけ早く味噌や醬油のことを話しに行くことを了承するのであった。


 ちなみに、この後ラウラはシゲルから味噌や醬油を使った料理を教わるのだが、当たり前のようにレシピを覚えていき、ついでにシゲル好みの味付けもマスターすることになるのであった。