4 新たな始まり
【メグ】
ノイズが入ったようなイメージが、時々頭の中に流れ込んでくる。どうやら各地で魔物の暴走が始まったみたいだ。
テレストクリフが放つ魔力は本当に禍々しい。それを浴びた魔物たちがどんどん正気を失っていくのを見るのは……正直、すごく辛い。しかも、魔物が進化したと言われる亜人たちにも影響が出ているみたいだった。
普段から
そっか。先の戦争でも、こういうことが起こっていたんだね。魔物が相手というだけで、そこまでの被害が出るなんておかしいって思ってたんだよ。でも、魔王の威圧とも言える暴走した魔力によって、亜人にまで影響が出ているというのなら話は別。
人同士が魔力の影響を受けて、争い合ってしまうからだ。そして、止めようとする人たちは彼らを
厄介なのはたぶん、攻撃的になる人だけではないっていうのもあると思う。大きな不安に襲われる人や、正気を失って取り乱す人もいるみたいだから。
それは人から人へと伝わって、大きな恐怖に膨れ上がる。あらゆる負の感情に刺激を与えて、増幅していく。それが、この魔力暴走の最も厄介なところなんだ。
改めて、その恐ろしさを思い知った。これは一刻も早く止めなきゃいけない。いけないんだけど……!
『レイフェルターヴ! いるというのならなぜ出てこない! 嘘吐きめが……! もう構わん。さっさと世界を
この、分からず屋ーっ!! 怒りに我を忘れたテレストクリフは私の話なんかこれっぽっちも聞きやしない。目の前で彼に気付いてもらおうと頑張るレイのことも、相変わらず一切見えていないようだ。
こんなにもレイは必死なのに。この世界にすむものを、愛するものを守ろうと、それだけを必死で考えているというのに、同じ元神とは思えない頑固者だよっ。
……っていうか、ちょっと待って。なんか、おかしくない?
どうして気付かないの。レイを愛しているんじゃないの? 会いたいんじゃないの? それなら、真っ先にその存在に気付くはずじゃない?
『レイよ、共に新しい世界で自由に過ごすのだ。永遠の時を! 私と二人で……!』
やっぱり、おかしい。テレストクリフはどこまでも自分勝手だ。それはもはや……。
「自分のことしか、考えていないじゃない」
フツフツと怒りが込み上げてきた。
拳を握りしめて私が呟くと、隣で必死に叫んでいたレイがぎょっとしたようにこちらを見てきた。でも、そんなのもう気にしない。
「ねぇ、テレストクリフ。あー、もう長いし、クリフって呼ぶからね」
『な、その名で呼ぶな! それは、レイだけが呼ぶことを許されているのだ!』
「それだよ、それ! もう、どうしてそんなに上から目線なの? 許されているって……貴方は、レイより偉いわけ!?」
叫ぶように告げると、クリフはキュッと眉根を寄せた。ようやくこちらの言葉を聞いてくれたようでなによりだよっ! 私はね、怒っているの。分からず屋のクリフに!
『我らの間に、
「それなら余計に、クリフは自分がどれほど自分勝手かを知った方がいいと思う!」
聞いてくれるようにはなったけど、なんだこいつ、みたいな目で見られている。ええい、めげるもんか。たぶんこの人には強気で物を言った方が効果的なんだ。
その後、怒らせて手が付けられないなんてことになったらどうしよう、っていう不安はある。それに私は喧嘩をするのがすごく苦手。
これは、賭けだ。これから私はクリフにとってものすごく嫌なヤツになる。言われたくないだろうことを、ズケズケと言うから。
不安だとか、苦手だとか言ってる場合じゃないし、下手すると状況は悪化する恐れだってある。それでも私は、この行動が正解だって信じたい……!
私は震えそうになる手をギュッと握りしめ、クリフを睨みつけた。
「レイを愛しているなんて、嘘でしょ。貴方は絶対にレイを愛してなんかいない」
『こ、の……!』
特に、レイのことを話題に出すと沸点が低くなる。彼を怒らせるのはとても簡単だった。
でもさ。そうやって怒るってことは、図星を指されたんじゃないのかな? 同時に、レイへの愛が全て噓ではないとも感じる。
「だって本当に愛していたら、今もここで叫ぶ彼の声が聞こえないわけがないもの!」
クリフの眉間のシワがさらに深くなっていく。ワナワナと震えているように見えるから、とても怒っているんだろう。
正直、とても怖い。でも、ここで
「私は聞こえるよ。愛する人の声が。私を心配して、信じてくれている声が、今も聞こえる。でもクリフには聞こえていないんでしょ? その理由がわかる!?」
ほんの些細な違いだ。私がギルさんの声を聞けることと、クリフがレイの声を聞けないその差は。
「クリフは、愛する人の声を聞こうとしていないからだよ!!」
声を聞こうと思っているかどうかだ。その些細な違いが、とても大きな差になっている。
「偉そうなこと言って、全部をレイのせいにしないで! 愛するレイのために世界を綺麗にする? そうすればレイのためになる? ふざけないで。それは全部クリフの望みじゃない!」
はぁはぁと息を切らせていると、クリフが小刻みに震えていることに気付いた。怒りによるものだろうか……?
怖い。もしここで爆発させたら、現実の世界がどうなってしまうのかと思うと責任重大だ。それによってたくさんの命が奪われたらどうしよう。大切な人たちが傷ついたらどうしようって。
でも、信じる。みんなはとっても強くて頼りになるから。もしミスをしても、きっとカバーしてくれる。
負けるな。負けるな。
『やめろ』
クリフが震える声でそう告げる。念話でも声が震えるって相当だよね。ただ、その感情がいまいち読めない。怒っているのは間違いないと思うんだけど、それだけじゃない気もするんだよね。
「クリフがただ、レイと二人きりになりたいだけ。クリフがただ、神様になりたいだけ。それをレイも望んでいると、彼に直接聞いたことがあるの?」
『や、めろ……』
震えそうになる声。それでも、やめない。一歩、また一歩とクリフに近付いて、私はさらに言葉をかけ続ける。
「レイが羨ましいんでしょう。誰かを愛するレイが輝いて見えたんだ。だから、愛するということを知りたくなった。違う?」
レイも驚いたように目を丸くして私を見ていた。意外、かな? でもね、これは事実。同じ身体を共有している状態だからなのか、私の魂がクリフに呑み込まれかけているからかわからないけど、だんだんわかるようになってきたの。
彼の、心の奥底にある感情が。
「でも、理解が出来なかった。それを認めたくなかった。だから、そう思うことにしたんじゃない?」
『やめろっ!!』
「クリフは、自分のことしか考えられない! 愛をまだ知らない! 愛するということに憧れただけの、ただの人なんじゃないの!?」
『やめろぉぉぉぉっ!!』
ついに、クリフを捕らえていた魔石が割れてしまった。煽った自覚はある。こうなるだろうっていう予想も。
事態は最悪かに思えるけれど、次の一手に繋げられたって確信している。きっと大丈夫。だからあとは。
「クリフっ!!」
「っ!?」
……レイに、任せればいい。
大きな声で叫びながら、レイはクリフに飛びついていた。首に手を回し、ギュウギュウと彼を抱き締めている。
絵面的には私がレイに抱き締められているみたいでなんともいえない気持ちだけど。
「見えている? 僕の声が聞こえている? ねぇ、僕はここにいる。ずっと君の近くにいるよ」
「レ、イ……?」
魔石から解放されたクリフは、自分の声で言葉を
「そうだ。レイフェルターヴだ。ねぇ、テレストクリフ。僕のことを少しでも気にかけてくれているのなら、僕の言葉をちゃんと聞いてほしい。僕の願いを、知ってほしいんだ」
やっと、声が届いた。
そのことに気付いたレイは、一生懸命言葉を紡いでいる。これまでずっと伝えたくて、伝えられなかった言葉を。
クリフは、信じられないといった様子で呆然としていた。行き場を失ったクリフの両手が、レイを抱き締め返すことも出来ずに宙で震えている。
「僕はね、この世界が愛おしいんだ。壊されたくなんてない。彼らを守るためなら、神に戻れなくてもいいんだ」
「なっ、それでは、いつか終わりが来てしまう! 私たちは永遠に一緒だと、約束したのを忘れたというのか!?」
約束? そっか。そんな約束をしていたんだ……。でもさ。それってきっと、レイだってその約束を破るつもりはなかったはずだよ。でも、神から堕ちて……それが叶わなくなってしまっただけなんだよね?
レイは、申し訳なさそうに目を伏せた。でも言葉を止めることはなく、悲しそうに口を開く。
「覚えているよ。それに、約束を守りたいとも思ってる」
「ならっ!」
「どちらも、叶えたいんだよ。ずっと君にそれを伝えたかった」
レイは両手でクリフの顔を挟み込んだ。距離感がなんとなく恋人のそれで、どことなく恥ずかしい気持ちになっちゃう。
「人はね、生まれ変われるんだ。記憶はなくなるけれど、魂に刻まれた何かは残る。だからね」
レイはそのままクリフとおでこ同士をくっつけた。私とギルさんがよくやるやつ。
……なんだかすごく、ギルさんに会いたくなった。
今頃、どうしているかな。魔物被害を食い止めてくれているのかな。それとも、私の近くでクリフを見張っているのかな。怪我をしていないといいな……。
「僕たちだって、何度でも出会える。人として生を終わらせて、生まれ変わろう? 覚えてなくたって、きっとわかるさ。僕らの
そうしている間にも、レイはクリフに話しかけ続けている。先ほどまでの荒れ狂ったような気配は、いつの間にか嘘のように消え去っていた。
沈黙が流れる。表情はどちらもあまり変わっていないけれど、なんとなくクリフの中で葛藤しているような雰囲気を感じた。少なくとも、レイの言葉は届いたのだと思う。
「……もうすぐ、神に為れるのだぞ。私の悲願が、ようやく叶うのだ」
諦めきれない、そんな感じかな。まぁ、これまで気が遠くなるほど長い年月を、ずっと神に戻ることだけを考えてきたんだもんね。そう簡単に割り切れないのも仕方ないとは思うよ。でも、諦めてもらわないと困るんだけど。
「もし、クリフが神に為ったら。僕はこの身体から離れるよ」
「なっ」
「そうなったら、まもなく僕は消滅するだろうね。君が世界の人を滅ぼすように、あっけなく消えてしまう」
おぉ、レイが自分を人質に交渉し始めた……! クリフはかなり動揺しているみたいだし、これはなかなか効果的なんじゃなかろうか。
「させるものか」
「止められないよ。守るものがなくなるのなら、僕だって全力で抵抗出来るんだから」
ああ、これは完全にレイのペースだ。確かに、この世界が全て滅んだら、レイにはもう守るものがなくなる。そうなったら何も気にすることなくクリフと
それがわかっているからか、クリフもグッと言葉に詰まっている。
「教えて。君は神に為るのが目的なの? それとも……僕と永遠に一緒にいることが目的なの?」
レイはそう訊ねてジッとクリフの目を見つめた。クリフもまた、何も答えられずに歯を食いしばってレイを見つめ返している。
どうか届いてほしい。クリフの本当の願いが、レイとともに在ることであってほしい。
そりゃあさっきは本当に愛しているとは言えない、って
今こそ、愛するということを知ってほしい。祈るように、二人をただ見つめてしまう。
「酷い、ヤツだ……」
どれほどの時間が経っただろうか。ようやく力を抜いたクリフが、諦めたように小さな声で呟いた。その声がとても悲しくて、寂しそうで、こっちまで胸が締め付けられる。
「うん。ごめんね。君を巻き込むことになるなんて、思ってもいなかったんだ」
レイも泣きそうな顔でそう告げる。そのままレイはクリフをそっと抱き締めた。
それを見ていただけだというのに、なぜか私が涙を流してしまっている。この感情をどう言い表せばいいのかはわからない。だって、二人の気持ちが流れ込んでくるから。この涙は二人の涙なのだと思う。救われた、のかな。どうだろう。仲直りが出来た、といった方がしっくりくるかも。
なんであれ、レイとクリフの長い長いすれ違いの喧嘩が今ようやく終わったと言えるんじゃないかな。
私はぐすっと鼻を
「……え、わ」
急に、フワリと身体が温かいもので包まれるのを感じた。驚いて小さく声を上げつつ、自分の身体を見下ろすと、キラキラと輝いているようにも見える。な、何?
「身体の所有権が君に戻ったんだよ。メグ、たくさん迷惑をかけたね」
レイの優しげな声が聞こえてきて、自分の手をグーパーと動かしてみる。……うん。さっきまでとは違って、血が通っているような感覚が戻って来た。
ここはまだ心の中なのだろうけど、不思議なことにちゃんと自分の身体に戻ってきたという感覚はしっかりとある。
あまりにも突然で、呆気なかったな……? いや、なかなか大変な思いはしたけれど。
「えっ。じゃ、じゃあ、クリフは」
「その名で呼ぶな」
諦めてくれたの? と続けようとした言葉は、他ならぬクリフによって遮られた。それはとても不機嫌そうな、低い声。……あれ、低い声?
さっきまでメグの声だったからビックリしてクリフに目を向けると、真っ白に輝く長い髪を
ハイエルフの特徴を備えているとびっきりの美形さんだ。心なしかシェルさんに似てるかも。
「ええと、テレストクリフは、もう……?」
愛称で呼ばれるのがとにかく嫌なのだろう。私はすぐに名前を呼び直して再び問いかけた。どのみち嫌そうな顔ではあるけど答える気はあるようで、テレストクリフは顔を逸らしながら口を開く。うん、やっぱりシェルさんっぽい。
「私の望みは、最初からレイと永遠に共に在ること。長年の悲願を捨ててまでお前のような者に身体を渡すというのは、愛を知らない者には出来ぬ選択だろうな」
「な、なんかごめんなさい」
すっごく根に持たれている……! 煽ったのは確かに私だけどぉ! というか、今更だけど私ったら元神様に対して失礼な態度をとりすぎだよね? ひぃ……。
冷や汗を流しながらペコペコ頭を下げていると、クスクスと笑う声が聞こえてくる。
「素直じゃないな、クリフ。メグに気付かされたくせに」
「違う。私は最初から気付いていた」
「はいはい」
とても幸せそうに笑うレイに、ムスッとしながらもどこか嬉しそうなクリフを見ていたら、ようやく肩の力が抜けてきた。
ああ、これで全部終わったんだね……。
「もうこの先、魔王になる者が膨大な魔力に呑み込まれることはなくなるよ。暴走だって起きない。ただ、魔物の制御は難しくなるかな……」
暴走する魔力もなくなるし、それを抑えるための呪いも必要なくなるんだもんね。その代わり、ずっと魔王の、というか神の魔力に抗えずにいた魔物たちは解放されるってことか。誰にも従うことがなくなるから、野生の本能に任せて生きることになる。
「それは、きっと大丈夫です。私が伝えていきますから。みんな、とても強くて頼もしいですし!」
魔物が大量発生したり、暴走したり、魔物による被害が増える可能性があるってことだよね。これまでだって、出来る限り魔物たちが自然のまま生きられるよう、彼らの世界には手をつけてなかったんだもん。
それは父様の方針だったから。手が付けられない状態になった時だけ、父様が力を使っていたんだよね。
いつか、自分が魔物たちを抑えられなくなった時、他の者たちがなんの対処も出来ないようでは困るって。その教えが、今後の私たちを救ってくれる。実際、魔物
レイも、その辺りはあまり心配していないみたい。ふわりと微笑んで小さく頷いてくれた。
「ああ、それと。ダンジョンは残しておくよ。その方が、君たちにとっては色々と便利だろう?」
「助かります!」
ダンジョンって本当に修行に向いている場所だからね。一度攻略しに行ったからよくわかる。きちんと段階を踏んで挑めばものすごく強くなれるシステムだから、あそこは。
「それから最後に一つだけ。君に……君たちには、呪いが残ることになるよ」
「呪い……?」
これまでニコニコしていたレイが、急に申し訳なさそうに告げたのでドキリとする。呪いという言葉の響きもあって、ちょっと不安……。
だけど、続けられた説明を聞いた私が最初に思ったのは「そんなことか」だった。確かに呪いではあるけど、私には、私たちにはなんの問題もないことだと思ったから。
「……わかりました。でも、別に大したことじゃないです」
「そう言ってもらえると、いくらか心が楽になるよ」
だから、こう答えたのは強がりでもなんでもない。それが伝わったからこそ、レイも安心したように微笑んでくれたのだと思う。
まぁ、少し懸念があるとするなら……ギルさんは、どう思うかなってことくらいかな。たぶん、ギルさんも気にしないって言うだろうけど。あーでも、なんだかちょっと話すの恥ずかしいな。でも大事なことだ。ちゃんと伝えなきゃね。
「それじゃあ、僕たちはそろそろいくよ」
「あ……えっと、どこに?」
フワリと淡く光を放って浮かび上がったレイとテレストクリフを見上げ、答えはなんとなくわかってはいたけど質問を口にする。
「この命を、終わらせに。新しく、始まるために」
心の世界だというのに突然ザァッと風が吹き、二人が光の玉へと変化していく。レイが残した声がこの空間中に響き渡って、今になって初めて彼らを神々しいと感じた。
彼らが私たちの言うところの神として存在し、人の世界に堕とされてから何千年も経った。一柱は神の世に戻ろうともがいて、一柱は人として生き、死にたいと願い続けた。
神の世に戻る願いは結局叶うことはなかったけれど、大切な相手とともに魂が
神様の生まれ変わりだなんて考えると、なんだかすごいことのような気がするけど……その時には記憶もなくなっているだろうから、まぁ関係ないか。それでも、きっと二人は出会えばわかるはず。運命の相手だもん。二人は番になるんじゃないかな。
だから、願わずにはいられない。生まれ変わったその世界で、二人が再び出会うことを。
今度は、普通の人生を幸せに送れますようにって。
「大丈夫。きっと出会えるよね。その時、二人が幸せでいられるように……私はこの世界を平和に保つ努力をしないと」
世界平和なんてものは、幻想だ。全てには目が届かないし、常にどこかで誰かが不幸な目に
だけど、目の届く範囲くらいはって思っちゃうよ。だから、頑張り続ける。それに意味がないなんて思わない。
「ああ、力が抜けていく」
二人が消えていくのと同時に、スルスルと体の内側から何かが抜けていくのを感じる。彼らの力もまた、消えていくんだなってわかった。
でも大丈夫。これで、全部終わったから。そして、ここからがまた、新たな始まりなのだから。
ふわりと意識が浮上して、ズシリと身体が重くなる。ああ、久し振りの身体だ。たぶん、数日程度しか経ってはいないのだろうけど、もう何年も魂のまま
ゆっくりと身体の感覚も戻って来て、瞼を少しずつ開ける。私の身体を支える温もりには早い段階で気付いていた。
「ギル、さん……?」
「メグ……戻って、来たんだな」
目を開けて最初に飛び込んできたのは、安心したように、そして少し泣きそうな顔で微笑むギルさんだった。
目覚めて最初に見るイケメン。この状況、よくあったよねぇ、なんて思い返してしまう。ごめんね、心配かけて。たくさん頑張ってくれてありがとう。言いたいことは山ほどある。
「うん。……え、ギルさん?」
それらを伝えようとゆっくり上半身を起こして気付いた。ギルさんが、ものすごくボロボロな状態だということに!
急激に背筋が寒くなる。あんなに強いギルさんが、どうしてこんな重傷を負っているの!? 慌ててバッと身体を離し、ギルさんの状態を確認する。本人は苦笑を浮かべるばかりだけど、そりゃあ驚くし心配もするでしょぉ!?
「ど、どうして!? どうして、こんな傷……!」
「ああ、メグ。気付いたんだな。まぁ落ち着け。こんな状態だけど、命にかかわるような怪我じゃねーから。つっても無理か」
慌てに慌てまくる私に気付き、リヒトも駆け寄って来てくれた。そうだよ! 落ち着いてなんかいられないよ、わかってるじゃん!
でも、ちょっとは落ち着かないと説明も聞けないよね。だ、大丈夫。大丈夫。すぅ……はぁ……。
さて。リヒトが言うには、テレストクリフが魔石を破った時、周囲に破片が飛び散ったのだという。ギルさんの怪我はそれによるものがほとんどなのだそうだ。破片の一つ一つがとんでもない殺傷力を持っていて、魔術の防御だけでは到底防ぎきれないものだったんだって。ひぇ……。
「な、なんで逃げなかったの!?」
ギルさんだったらそんな破片程度、一欠片だって当たることなく避けられたはずなのに。まさか、動けないほどの怪我をその時から負っていたとか? いや、でも影移動があるはずだし……。
困惑と心配で泣きそうになりながら問いかけると、ギルさんは困ったように眉尻を下げて口を開く。
「悪いな。そんな顔をさせるって、わかってはいたんだが……」
その一言だけで、すぐに理解した。私だ。私の身体があったから、動けなかったんだ。
ギルさんは、私の身体に傷を付けないように身を
「メグが、傷つくより……ずっと、いい」
「~~~っ、馬鹿っ……!」
思わずギュッとギルさんを抱き締める。本当に馬鹿! おかげで私はかすり傷一つ負ってないよ! もうっ!!
……大好き、すぎる。
「ありがとう、ギルさん」
「……ああ」
怒り散らかした後、小さな声でそう呟くと、ギルさんは優しくそう返事をして私を抱き締めてくれた。
帰って来た。やっと、私の居場所に帰って来られたんだなぁって。この時、ようやく実感出来た。
少し落ち着いた後はお互いに状況報告タイムである。もはやここがどこだかわからないくらい、周囲が
どうやら、私が身体を乗っ取られてからすでに十日が経過していたらしい。年単位で彷徨っていたような感覚はあったけど、実際は数日程度かなって思っていたからこれにもビックリだよ。
長かったのか短かったのかは……正直よくわからない。でもたぶん、思っていたよりもずっと早く解決出来たんじゃないかな?
でもその間、魔物たちは暴走し、あらゆる場所で大暴れ。特にここの辺り一帯はテレストクリフによる魔力解放の影響をもろに受けてしまったからこの通り、建物も全壊してしまったのだそう。あ、あんなに頑丈な闘技場が見る影もないなんて……。申し訳なさすぎる。
周囲の町もなかなか酷い有様だった。でも、事前に避難をしていたおかげで住民の被害はゼロ。それだけは本当に、ほんっとーーーに安心した!
復興作業は大変かもしれないけどね。責任を感じているのでもちろん手伝えることはなんだってするつもりである。
その他、各地域でも魔物による襲撃が起きていたそうだ。今はまだ被害確認作業を進めている途中らしいけど……こちらも信じられないことに今のところ人的被害はゼロらしい。
怪我をした人たちはたくさんいるけど、命に関わるような怪我をした人はいない上に、重傷患者は全て討伐部隊、つまり特級ギルドのメンバーだけだと聞いて涙が出そうだった。
「でもさ、これで全部……終わったんだろ? 俺みたいに、異世界から勇者が来ることもなくなるんだよな」
「……うん。魔王の暴走も、もう二度とないよ」
私からもレイやクリフとのやり取りを説明し終えると、リヒトが感慨深げにそっかぁ、と呟いた。色々と思うところがあるんだろうな。それは、私も。
まぁ、すでに異世界の魂を持った者がいる以上、縁の深い人の魂がこの世界に転生するって可能性はなくもないだろうけどね。でも、記憶を維持して転生することは滅多にないだろうから、拗れることもないんじゃないかなって思う。
「あ、あと、その。私の中にいた二柱の神はもういない。だから……」
「魔力量、か」
私の言葉を拾って、ギルさんが先に答えを口にしてくれる。
そう、私にはもう以前のような膨大な魔力はない。それどころか、一般的な成人ハイエルフが持つ量よりずっと少なくなっているのだ。そうはいっても成人エルフ並にはあるから、亜人基準で言えば多い方なんだけどね。だから、もう暴走を起こしようもない。
私はようやく、ただのエルフになれたのだ。
「だからごめんね、リヒト。本来なら万年単位で生きるはずだったのに、千年程度で寿命が来ちゃうみたい」
「十分、気が遠くなるほどの年数だわ! ハイエルフジョークやめろ」
運命共同体のリヒトは、私と同じ年数を生きる。だから寿命が短くなったことを伝えなきゃと思って。えへへ。ちなみに、私もリヒトとまったく同じ感想である。
ずっと緊張状態が続いていたから、ここでようやく私たちは声を上げて笑った。
「あとは、ちょっと呪いが残ったくらい、かな」
「呪い?」
「うん。でも、これはあってもなくても私的にはあんまり変わらないんだけど」
呪いと聞いて心配そうな顔になったギルさんに、慌ててフォローを入れる。で、でも。ちょっとだけこれをここで話すのは恥ずかしい。もしかしたら、ギルさんにとってはショックなことかもしれないし。
「あ、あとで話す……」
「? わかった。大丈夫なんだな?」
「うん! それは保証する!」
出来ればもっと落ち着いた時、二人きりで話したい。そう思って少しだけ赤くなった顔を冷ますように手でパタパタと
話のキリが良くなった時、リヒトが気まずげに近付いてきた。頰を人差し指で掻きつつ、ちょっとだけ照れくさそうに。なんだろう?
「あー、と。メグ。せっかくだから今話しちまうんだけどさ……一つ、提案がある」
「提案?」
「そう。ギルにはすでに話したんだけど」
改まったように姿勢を正すリヒトを見ていたら、こっちまで緊張してきた。一体何を言い出す気なのだろう。ドキドキしながら待っていると、リヒトは覚悟を決めたように口を開く。
「メグ。俺と勝負してくれ。命を
「え。ええっ!? ちょ、何を言ってるの? 私、もう前みたいに無茶な魔術は使えないんだよ?」
「わかってる。それでも、勝負してくれ。全力で。俺を殺す気で」
「む、む、無理だよ!!」
リヒトだって、私が殺意を持って誰かと戦うなんて無理だってことくらいわかってるだろうに。というか、言い出した理由がわからないんだけど!
「無理だろうがなんだろうが、俺は今からお前を攻撃する。避けなきゃ怪我するだけだからな」
「え、そんな……」
「行くぞ!!」
えええええっ!? リヒトはすぐさま右手に剣を持ち、構えた瞬間飛び掛かって来た。ぎゃーっ!!
「お、意外と避けられるな……これなら、どうだっ!」
「ひゃああっ! ちょ、待ってよ! なんでこんなっ、うわっ」
リヒトは攻撃の手を止めない。私の質問になんか答える気がないみたいに。なんなの、もうっ!
でもこんな時、真っ先に止めようとするはずのギルさんが動かない。だから、たぶん理由があるんだってことはわかる。……リヒトのことはよくわからないけど、ギルさんのことは信じてる。いや、リヒトのことも信じてるけども。
たぶん、私のためにしてくれているんでしょ? それなら。
「みんなっ、手伝って!」
『まっかせるのよーっ! ご主人様、待ってたのよーっ!!』
あらかじめ逃がしていた精霊たちは、私が呼ぶと一瞬で集まって来てくれた。前に約束した通り、ちゃんと信じて待っていてくれたのが心に伝わってきて、じんわりと温かな気持ちになる。
「反撃くらいは、するんだからねっ!」
「そうこなきゃな!」
やけに生き生きした精霊たちと一緒に、全力でリヒトに立ち向かう。身体は疲労
ほんと、せっかく解決したのに何やってるんだって感じ。でも、なぜだか楽しいって思う自分もいる。別に戦闘狂なんかでは決してないけど。
「これで、終わりだっ!!」
そうやって私が全力で戦っても、勝負はあっという間についてしまう。わかってたよ。敵うわけないって。
剣を振りかぶるリヒトが目の前に迫ってくるけど、私には絶対に避けられない。ああ、リヒトったら本当に強いなぁ。そう思った時。
「そこまでだ」
私の前に黒い影が立ちふさがり、刀でリヒトの剣を受け止めた。ギィンという金属音が、試合終了の合図みたいだ。
「この勝負、リヒトの勝ちだ」
ギルさんが刀を納めながらそう言うと、リヒトもようやくニッと笑いながら剣を下ろしてくれた。
寸止めしてもらえるとわかってはいたから怖くはなかったけど……張り詰めていた緊張が解れてふぅ、と息を吐く。
「いい加減、説明してほしいんだけどっ」
それから、腕を組んで頰を膨らませながら抗議をしてやった。説明もなしに始めるなんてずるい。
リヒトは悪い悪い、と言いながらも絶対にそう思っていないのが丸わかりだ。ギルさんも黙っててさー、仲間外れなんて酷くない?
「メグ。これで俺は、魔王を倒したことになるよな」
「え? ……魔王って、私のこと?」
リヒトはそう言いながら一歩ずつこちらに近付いて来る。そして、目の前に立って膝に手をつき、私に目を合わせた。
「そうだ。俺は現魔王よりも強いことが証明された」
「そうだけど……でも、そんなの戦わなくてもわかることじゃない」
意味がよくわからなくてさらに言い返すと、リヒトはニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「いいや。ちゃんと見届け人の前で証明する必要があったからさ。いいか、メグ。そしてギル!」
リヒトは身体を起こし、親指で自分をビシッと指さしている。
「今、この瞬間から。この大陸の王、魔王は……俺だ!!」
朝日をバックに宣言したリヒトが、眩しく見える。え、今、なんて……?
「俺が、魔王を引き継ぐ。だからメグ、お前は魔王にはなれない」
「え……え?」
戸惑う私の頭に、リヒトはポンと手を乗せて柔らかく微笑んだ。それって、つまり……。
「お前はさ、オルトゥスのメグでいろ。そこがお前の居場所だろ?」
どこまでも優しい目で告げたリヒトの言葉。その意味を理解した瞬間、私の涙腺は決壊した。