1 決して敵わない相手

【ギルナンディオ】


これまでで最も、メグの手を離すのが辛い瞬間だった。だが惜しんでいる暇など一瞬もない。こうなった時にはどう動くか、事前に話し合ったのだから。

離れて、とメグが叫ぶよりも早く後ろに跳んだが、円形状に放たれた魔力の威力はすさまじく、防御が間に合わない。おかげで多少の切り傷を作ってしまった。まぁ、この程度は傷の内にも入らないが、メグが気にするから出来れば無傷でいたかったところだ。

そんなことよりも今はメグ……いや、メグの身体を使う何者かの方をなんとかしなければ。ギリッと歯を食いしばる。

魔力を放った後、その者はゆっくりとうつむいていた顔を上げた。その表情は抜け落ちており、絶対にメグではないということがすぐにわかる。顔を上げずとも、気配で全く違う者だということはわかっていたが。愛しい人の身体を奪う者だと思えば、おのずと目つき鋭く相手を睨んでしまうのは仕方のないことだろう。

「ああ、良いな。馴染なじむ。今までで最も馴染む器だ」

ソイツは、メグの声でそう呟いた。

全身が震え、抑えきれなくなりそうなほどの怒りを感じる。あの時。メグが人間の大陸に転移されて救出に向かい、傷だらけの姿を見たあの時と同じくらいだ。

「ギル! 落ち着けよっ!?

「……わかっている」

わかってはいる。だが、正直リヒトが声をかけてくれていなければ、暴走していたかもしれない。メグの身体を傷つけるわけにはいかない。ソイツがどれほど憎くても、直接攻撃をぶつけることが出来ないというのが歯痒かった。

「くっそ、なんて魔力だよっ……! これ、まだ攻撃じゃねぇよな? やべぇ……っ」

いまだにソイツからは魔力の風が発せられており、近付くことも困難な状況だった。あまり弱音など吐きたくはないが、リヒトがそう言うのは無理もないと思えてしまう。俺もリヒトも、その場から吹き飛ばされないようにするので精一杯だ。魔大陸でも一二を争う戦闘力を誇る俺たちでさえこうなるのだから、ソイツが外へ向かったらと思うと恐ろしい。

メグも、被害は最小限に抑えたいと願っていた。なんとしても阻止しなければならない。

「ついにこの時がきた。やっと神に……為れる!」

ソイツは腕を広げて恍惚こうこつと笑みを浮かべた。俺やリヒトにすら気付いていないようだ。こいつにとって、俺たちはいてもいなくても変わらない存在なのだろう。

ああ、苛立いらだつ。自分よりも圧倒的に強者だとわかるからだとか、敵わないとわかることが悔しいからだとか、そんなことはどうでもいい。

……やめろ。メグはそんな邪悪な笑顔を見せたりしない。

「さて、レイの未練を断とうか。神と為る第一歩だ」

レイ? 未練? 言っている意味はわからなかったが、その言葉からは不穏な予感しかしない。

「何を、する気だ……? その前に、お前は誰だっ!」

今にも動き出してしまう気配を感じて、少しでも引き留めるために問いかける。

ようやく、ソイツはゆっくりと目だけを動かして俺たちの方を見た。たった今、こちらに気付いただろうに特に驚いた様子はない。意外そうに俺たちのことを観察しているように見える。まるで、最初からそこにあった一切興味のない「物」が急に喋り出して、不思議に思っているかのような……そんな反応だった。

ソイツは僅かに首を傾げると、面倒くさそうに告げる。

「軽々しく口を開くな」

俺たちを見下すように一瞥いちべつした後、ソイツは軽く人差し指を動かした。たったそれだけの動きで、俺とリヒトに風が纏わりつく。本来なら魔術発動前に感じるはずの僅かな魔力の揺れも感じなかった……! ほんの数瞬の間に俺たちは小さな竜巻にからられ、宙に浮かされる。このようにされるがままとなるのは、まだ力もなかった幼い頃以来だ。

これが、神なのか……? ここまで手も足も出ない存在なのか……っ!?

「虫ケラが知る必要などないだろう。どうせ私が全てを消し去るのだ。無駄なことよ」

カッと頭に血が上る。やめろ……その顔で、その声で、人を虫ケラなどと言うな! 消すなどと言うな! メグの身体で、世界を破滅へ導くなど絶対に許さない!

怒りが力へと変換されていく。身体の内側から燃えるような熱い力が込み上げてくる。影の力が黒い炎を形作り、それに包み込まれるようにして魔物型へと変化した。

人型の状態で竜巻に拘束こうそくされていたため、大きな魔物型に変化するとさらに締め付けられる。ギシギシと聞こえる嫌な音は、身体が悲鳴を上げている音だ。だが、そんなものはどうだっていい。たとえ全身の骨が折れようとも、約束を守らなくてはならないのだから。

「ぎ、ギル……! くっそ、俺だってっ」

近くでリヒトの叫び声が聞こえてくる。俺と同じように魔力を限界まで高めて脱出を試みているのだろう。なかなか、根性のあるヤツだ。そのことに、微かに肩の力が抜ける。

そうだ、力を効率的に使うには力任せにしてはならない。ある程度の余裕を持たせなければ出来るものも出来ないのだから。リヒトのおかげでいくらか冷静さを取り戻せたようだ。

メグの祖母であるピピィに託され、オルトゥスの研究者たちがより威力を底上げした封印の魔石は影の中に保管してある。今の俺がすべきことは、その魔石でメグの身体ごと動きを止めること。だが確実にソイツの動きを止めるためには、術者がソイツと目を合わせて名前を呼び、確実に文言を耳に入れさせる必要がある。術者とは無論、俺になる。

こうなることは予測していた。身体が乗っ取られた瞬間、間髪を容れずに力が解放されるだろうと。だからそのつもりでいてほしい、と他ならぬメグに頼まれたのだ。

それならば、乗っ取られる前からメグの側にいて離れなければいいのではないかとも訴えたが……それは危険だと首を横に振られた。一度離れて、リヒトと協力して隙を狙ってほしいと、それはもう何度も念を押されたな。

メグの判断は正しかったと思う。あの魔力の風を、メグの手を握ったまま受けていたら全身にダメージが入り、今頃ろくに動けなくなっていたことだろう。

だが、結局こんなにもあっさりと捕まってしまった。警戒していたにも拘わらず、だ。情けないことだが、もう一度同じ状況になったとしても結果は同じだっただろうと予想がつく。

ならば、まずはこの拘束を解くまで。過去を悔いる時間などない。常に前進しなければ。

「っ、ああああああああっ!!

こんなにも声を出すのはいつぶりだろうか。若い頃の頭領と、本気でやり合った時だったかもな。

どうにか魔物型に変化して、竜巻を無理矢理広げることが出来た。その瞬間、すぐに人型に戻ることで生じた隙間から拘束を抜け出す。

「む……」

ほんの僅かに苛立った様子を見せたソイツを見て、わずかに溜飲りゅういんが下がる。意外だったか? お前の言う虫ケラが、拘束を解こうとしているのが。良い性格をしているな、俺も。

「なるほど、なるほど」

ソイツは、暫し俺を観察すると何かに気付いたかのように目を細めた。その後、何度も頷きながら口角を上げる。

忌々いまいましいあの娘が、大切に思う者、か」

舌打ちをしたくなるのを堪え、油断なく体勢を整える。ソイツはさらに笑みを深くし、心底嬉しそうに言葉を続けた。

「好都合だ」

ゾクリ、と背筋が寒くなるような笑みだった。自分がソイツの纏う雰囲気だけで気圧けおされたことに気付き、腹に力を込める。

「ここでお前を殺せば、あの娘の心を簡単に折れる! そうなれば、この身体は永遠に私の物だ!」

高笑いをしている隙を突いて、俺はリヒトを拘束している竜巻に影鳥をじ込む。油断している今だから出来たことだった。当然、そのチャンスを逃すリヒトではない。僅かに出来た隙間から、身体を滑らせてどうにか地面に着地した。

「いいか、リヒト。絶対に死ぬんじゃない。死んだら俺が殺す」

「おい、それメグのためだろ。その言葉にほんのわずかでもいいから俺への心配を入れてくんない?」

俺たちの反撃はここからだ。一度は捕らわれたが二度と同じ過ちは繰り返すまい。どうにかしてソイツの名前を聞き出し、近付いて魔石を押し当て、目を合わせながら文言を唱える。たったそれだけのことだ。……とても簡単に出来そうもないが。

絶望的な状況だというのに、俺もリヒトもいつの間にか口元に笑みを浮かべていた。

次の瞬間、ソイツの攻撃は予告なく繰り出された。だが、一度それを受けたからか俺もリヒトも難なく避けることが出来る。相手の出方さえわかれば動き方も変えられるというものだ。

ただし、攻撃をまともに食らってはならない。あれは異常だ。俺たちでさえ、一撃で重傷を負うだろう。それほどの力をメグが内包していたのだと思うと、やりきれなさを感じる。と同時に、メグだからこそ絶対的に安全な存在でいられたのだと改めて思い知らされた。

アレは、恐ろしいものだ。わずかでもしき考えを持つ者であったら、力の使い方を必ず間違える。

メグだから。どこまでも他人を思いやるメグだからこそ、優しい力でいられたのだろう。

「ギル、名前はわかったか!?

「いや、まだだ」

防戦しながらリヒトに問われ、簡潔に答える。こればかりはメグを信じるしかない。

そう。作戦の一つに、メグがどうにかしてあの元神の名前を教えてくれる、というものがある。元神であるソイツが、自ら名前を明かすことはまずない。神が本当の名を知られるということは、相手に全てを明かすのと同義だからだ。遥か昔に得た知識が事実だったら、の話ではあるが、今はそれを信じるしかない。とにかく名前を知らなければならないが、本人に聞いたとしても素直に教えてもらえないことだけは確かだ。

メグも、本来なら身体を乗っ取られる前に伝えたかったと悔しい思いをしていたな。首にある魔術陣のせいで、情報をらせなかったのだから。だがそれはつまり、首の魔術陣さえなければ伝えられるということでもある。いつそのタイミングが訪れるかはわからないが、チャンスがあればどんな状況であっても必ず伝える、とメグは自信満々な笑みを浮かべて言っていた。

そして今、メグの首にあった魔術陣はない。身体の主導権を握ったため、ソイツが魔術陣で縛る必要がなくなったからだろう。身体に刻まれた忌々しい魔術陣がなくなったことについてだけは、良かったと思える。

あとは、メグが俺に伝えてくれるのを待つだけではあるんだが……逆に、それがあるまでメグの安否がわからない。正直、気が気ではなかった。身体は乗っ取られているし、本当に伝えてもらえるのかも定かではない。

だが、望みは薄いというのにきっとメグならやってくれるという信頼があった。

「それまでに、隙をつくる術を考えるぞ」

「っ、わかった!」

ただ待つだけでいるつもりはない。名前を知ったらすぐに封印をほどこせるよう、どのみちソイツの動きを一瞬でも止める方法を考えねばならないのだから。

「つっても、まるで隙がねぇ! まだ遊んでる感覚だろ、腹立つな!」

リヒトの言う通り。ソイツには一切の隙がなかった。その上、力をほとんど使ってはいないだろう。動きを止める、というのも足を止めるという意味では決してない。なぜなら、ソイツは一歩も動いていないのだから。動かしているのは右腕のみ。指先を軽く動かして自在に魔術を操っているのだ。

だから俺たちはソイツの腕を、いや……動きを完全に停止させなければならない状況だった。いや、もしかすると動きを止めたところで意識をり取らない限り魔術を繰り出されてしまうかもな。

「攻撃を仕掛けたらどうだ? そうなればさすがに私も、多少は動いてやらないこともないぞ? ああ、虫ケラにそんな余裕などないか」

「うっせっ!!

絶望的な戦況だ。勝てる見込みが少しもない。こんなことは生まれて初めてだった。物心つく頃から戦いに身を投じてきたが、いつだってわずかな勝機は見出していたというのに。まぁ、弱音を吐くつもりはないが。

「なぁ、ギル。ちょっと疑問なんだけど、神なのに身体が必要なのか? 俺のイメージだと神様ってのは、こう……精神体っていうか、身体がなくても平気そうなんだけど。少なくとも、人と同じ身体である意味はあんのかな」

その疑問は俺も抱いていた。だが、一つだけ確かなことがある。

「それはわからないが、今のソイツには必要なのだろうことは確かだ。……もしかすると、ソイツも身体を守ろうとするんじゃないか」

「そ、れは。わかるけど……わかるけどさぁ」

リヒトが嫌そうに顔を歪める。その顔をしたいのはこちらの方だ。だが、もはやそんなことを言っている場合ではない。

「俺がやる。お前は注意を引け」

「マジかよ。……くそっ!」

不満を漏らしながらも、リヒトは指示通りに前へ飛び出した。そのまま、攻撃をいなしつつ自分に注意が向くよう立ち回り始める。理解が早い。それに、覚悟を決めるのも。さすがは、メグと魂を分け合った存在なだけある。

リヒトが動き回っている間に、刀を構えて一つ息を吐く。

確かにソイツの言うように、逃げ回っているだけでは何も変わらない。ならば、こちらも攻撃しなければ。あの身体に、メグの身体に向かって攻撃を!

……そう思うのに、身体が上手く動いてくれない。ざまぁないな。何が覚悟だ。こんなにも手が震えているくせに。

『これはね、ギルさんにしか頼めないことなんだけど』

ふと、あの時のメグの真剣な眼差しが脳裏に浮かんだ。

『もし、私が身体を乗っ取られて、暴れるようなことがあったら……ギルさんが私を止めて。殺してでも』

あの目に一切の迷いはなかった。メグだって、死は怖いはずなのに。本当は死にたくなどないだろうし、攻撃をされるのはどれほど恐ろしいことか。

『でも、これはやっぱり……ギルさんじゃないと、嫌だから』

死ぬのなら、俺の手で。メグはそう言った。

「は……死ぬ気で守れよ、その身体。落ちこぼれの、元神よ」

──どうせ俺の全力をもってしても、攻撃は届かないのだろう?

スゥッと荒ぶっていた感情がぐ。静かな怒りが俺の心を支配していた。

よくも俺に、最愛の相手へ刃を向けさせたな。

もう迷いはない。ならば全力で。これまでに何度も、何度も繰り返してきた渾身こんしんの一振りを。

音を置き去りにして振った刀からは、影の刃が衝撃となって繰り出され、広がっていく。この影は刃そのものであり、斬撃の威力を落とさない。標的に、当たるまで。

ソイツがわずかにピクリと表情を動かしたのを、俺は見逃さなかった。だが、ソイツは虫でも払うように片腕を振っただけで影の刃を叩き折る。折られた影の刃は周囲の光に解け、ホロホロと消えていった。俺の最大威力の攻撃は、いとも簡単に破られてしまったというわけだ。

「あまりにも脆弱ぜいじゃく。ああ、腹立たしい。私の世界には不要な物が多すぎる。やはり一粒の命も残さず排除せねば」

ソイツは呆れたように告げたが、俺はこの結果に満足だった。第一に、メグの身体を傷つけずに済んだ。そして、ソイツもまたメグの身体が必要であり、出来れば傷を作りたくはないであろうことがわかったからだ。

さらにもう一つ。攻撃を防ぐ時、ソイツはついに腕を大きく使った。指で魔術を行使するだけでは間に合わないということだ。ほんのわずかでも、変化を起こせた。これは大きい。

「リヒト、お前も攻撃しろ!」

「うっ、わ、わかった!」

リヒトもメグの身体に攻撃をするのに抵抗があるようだが、他ならぬ俺が先にしてみせたことで覚悟を決めたらしい。ようやく剣を取り出して攻撃を仕掛け始めた。

二人で攻撃を始めたことで、ソイツはついに両腕を動かす。だが、相変わらずまだまだ余裕がある。その場から動くまでにはいたっていないしな。正直、ほんの僅かな変化があったくらいでは勝機を見出せない。

「……飽きてきたな」

「っ!」

ソイツは、小さなため息を吐くと自分を中心にして広範囲魔術を放出した。禍々まがまがしく黒いその魔術は、雷のような攻撃だった。

アレに触れてはならない。瞬時にそれを察知した俺は影へ、そしてリヒトは転移をしてその場を離れる。だが、衝撃は影の中にまでビリビリと響いた。ダメージはないが、あまり長時間は耐えられそうにない。この影の中にまで影響を与えるとは……。もはやなんでも有りだな。神という存在は、絶対に人の世に干渉してはならない。何が何でも、野放しにするわけにはいかない……!

──……っ!

一瞬、脳内にか細い声が聞こえた気がした。誰の声かなど、すぐにわかる。

「メグか……!?

出来るだけ早く外に出て、あの元神を足止めしなければならないが……今はメグの声に集中だ。目を閉じ、意識をメグにだけ向ける。

愛しい、俺の唯一の番。

だが、その声はとても弱くて小さい。メグの魂に危険が迫っているとでもいうのかと、心臓がえぐられる思いだ。しかしそれでも、メグが必死に俺に伝えようとしているのだけはわかる。一体、メグの方では何が起きているのか……。

「ああ、忌々しい……!」

ソイツの苛立つような声が耳に入るとともに、き散らされていた黒い雷による攻撃の威力が弱まっているのを感じる。もしかすると、内側でメグが頑張ってくれている、のか……? その上で声を伝えようと?

同時に二つのことをやろうとするなど、欲張りだな。メグのことだ。俺たちが押されているのを知って、何かせずにはいられなくなったのだろう。メグらしい。そして、情けないことだ。

ならば、ここで逃げているだけではいけないな。こちらからも攻撃を仕掛け、メグがちゃんと声を届けられるように相手を弱らせなくては。

俺はすぐに地上に飛び出した。黒い雷をいくつもその身に受けたが、構ってなどいられない。

「リヒト!!

俺がその名を呼ぶと、瞬く間にリヒトが近くに転移してくる。攻撃範囲内に来たことでリヒトもまた攻撃を食らっていたが、この程度でへばるような男ではないよな?

「弱らせる。メグが内側からも攻撃を仕掛けているようだ。このチャンスを逃すな」

「! やるじゃん、メグのやつ。これは兄として負けてらんねー!」

長期戦にするつもりはない。俺たちは再びソイツに向かって駆け出した。外側から俺とリヒトが、内側からおそらくメグが攻撃をしているからか、ソイツはついにその場を動く。ただ楽観視は出来ない。動いたということは、俺たちを無視して大量殺戮さつりくに向かう可能性もあるからだ。

先ほどヤツは飽きたと言った。メグの心を折るために俺たちを先に殺そうと考えていたようだが、俺たちは意外としぶとい。相手をするよりも、先に人のいる場所に向かおうといつ考えを変えてもおかしくなかった。だが、そうとわかっていてもソイツの動きを止める決定的な一手が思いつかない。

こんな時、メグならきっと突拍子もないことを思いつくのだろうな。だがその一見おかしなアイデアが、いつも有効な一手となるんだ。そう思った時、ふと暗い影の中で顔を真っ赤にして微笑むメグの姿が脳裏に浮かんだ。

「……待てよ?」

それをキッカケに、俺の中に一つの考えが浮かぶ。これなら、もしかするとうまくいくかもしれない。

俺の影は、俺自身と番以外が入ると精神が崩壊する。神相手にも効くかどうかはわからないが……試す価値はあった。しかし同時に、その一手は危険でもある。なぜならヤツは今、メグの身体を使っているのだから。つまり、もしソイツが番として認識されたのなら、ヤツは影の中で自由に動くことが出来、俺は逃げ場もなく一方的にやられることになるだろう。

まぁ、その点は無用な心配だという確信はあるがな。俺がヤツを絶対に受け入れたくないと思っているのが理由だ。

俺はメグの魂を愛しているのであって、いくら身体がメグでも中身が違えば拒否をする。とはいえ、激しく拒む相手を影に入れることで、俺にかかるダメージも相当なものにはなるだろうが。

考える時間も惜しい。出来る手は全て打つ。ただそれだけだ。

「リヒト」

ヤツに攻撃を仕掛けながら簡潔に説明をすると、リヒトは軽い舌打ちをした。己の力不足を悔やんでいるのだろう。俺にもその気持ちはよくわかる。

「それ、本当に大丈夫なのかよ……ギルがやられちまったら、さすがに俺一人で抑えらんねーぞ」

「成功させる。必ず」

まだ、メグからの声は微かにしか届いていない。ヤツに仕掛けたその時、名前を知ることが出来ているかどうかはけだ。

「ま、どのみちメグがやられたら俺も死ぬことになる。メグはギルに命預けてんだろ? なら俺だって同じだし。たださ、俺はまだまだ死ぬ気はねぇからな、ギル!」

リヒトはそれだけを言い残し、どうにかヤツを誘導するように動き始めた。理解が早くて頼もしい限りだ。影に取り込むには地面か壁か、どこかに触れていてもらわなければならないからな。

「は。死なせるつもりはない」

すでにリヒトには届いていないだろうが、無意識に口に出して呟く。

さて、俺もただリヒトに頼ってばかりもいられない。反対側から回り込み、ヤツを追い込むとしよう。

勝負の分かれ目というものは、ほんの一瞬で決まる。リヒトが全力で剣を振るったのとほぼ同じタイミングで、俺も反対方向から刀を振るった。ヤツの頭上には影の魔術が迫っている。咄嗟に回避行動を取るなら恐らく……!

ヤツの右のつま先が、地面に着いた。その瞬間、全神経を集中させてヤツを影に取り込むことに全力を注ぐ。ほんのわずかでも、影に触れれば取り込める!

「これ、は……!」

初めてヤツの顔が歪む。それによって、この一手が有効なのだということがわかった。

「う、ああああああっ!!

「ぐぅっ……!」

強烈な不快感が俺を襲う。同時に、メグの声で聞こえてくるヤツの叫び声はなかなか心にくるものがあった。だが、これでようやくヤツの動きを止められた。長くは持たないが、まだ俺はどうにか動ける。あとは、名だ。教えてくれ、メグ……!

「がっ、は……!」

口の中に広がる鉄の味。ああ、血を吐いたのかと気付くのに数秒を要した。ここまでのダメージを負うのはかなり久しぶりだな。不思議なもので、危機が迫った時ほど笑えてくる。

荒い呼吸をしながらつい笑みを浮かべた時だった。

──ギル、さん!

……ああ、聞こえた。

まだ小さな声だが、愛する者の声だ。一言も漏らさなかったぞ、メグ。

思い通りに動かない身体を無理矢理起こし、足に力を込める。今にも影から逃れ、出て行こうとするヤツを目がけて思い切り踏み込んだ。

一瞬で間合いを詰め、ヤツの胸倉を摑む。ああ、メグ。乱暴に扱ってすまないな。

「っ、テレストクリフ!」

「な……っ!?

名を呼ぶと、ビクリとその身体が一瞬だけ硬直した。同時に、ヤツの繰り出した黒い炎が俺の腕や腹、足に突き刺さっていく。しかしもはや痛みなど感じなかった。

だがダメージは負う。そのせいで影の外に飛び出してしまったが……もう遅い。条件はもう、全て満たせるのだから。俺は再びヤツの名を呼び、先ほどよりも確実にその動きを止めてやった。

「ぐっ、こ、の……虫けらが……っ」

俺たちが何をしようとしているのかを、本能的に察知しているのだろう。憎々しげに俺を睨んでくる。その顔でやられると、色々と思うところはあるが……まぁいい。

影の収納から魔石を取り出し、ヤツの身体に押し付ける。

「この者テレストクリフを繋ぎ止め、捕縛せよ!!

ピピィが持つ特殊体質「絶対防御」の力を使った捕縛魔術。縛りたい者の名を告げれば、その威力はさらに確実なものとなる。

無色透明な魔石が巨大化し、テレストクリフを呑み込んでいく。ヤツは叫びながら暴れていたが、抜け出すことも出来ずに魔石に身体の半分以上が埋まることとなった。それを見届けてから俺もその場を離れると、あっという間に魔石を中心に防御壁が展開される。魔石に埋まるテレストクリフ一人が納まる程度の、小さな範囲。だからこそより強固なものとなるのだろう。

やがて、魔石の光が収まった。小さな防御壁の中では、魔石に埋まるテレストクリフがこちらを射殺さんばかりに睨んでいる。口元まで埋まっているため、声を発することも出来ないようだ。

「ひとまずは、これで良し、か……?」

「……ああ」

駆け付けて来たリヒトの声を聞き、大きなため息を吐く。まだ安心は出来ないが、これでしばらくの間、メグの身体を操るテレストクリフが誰かを傷つけずに済むだろう。

「けど、この姿が捕らわれているのを見んのは、あんまり気分良くねーな」

「……」

それには完全同意だ。だが、あまり答える気にはなれなかった。

久しぶりに疲れたな。簡単な魔術を使って、ひとまず身体に負った傷を止血していく。肋骨ろっこつが何本かと、内臓もやられているようだが……今のうちにルドの下へ戻って治療を頼むべきか、少し悩む。

「すぐに治療して来いよ。俺が見張ってるから転移で送ってやることは出来ねーけど。ただ出来るだけ早く万全な状態で戻って来てくれないと、俺が困る」

「……ふ、わかった」

人に思考を読まれるのは微妙な心境だな。だが、リヒトの言う通りだ。ボロボロの状態で再戦は避けたい。願わくば、もう戦わずに済むような結果になってもらいたいとは思うのだが。何があるかはわからないからな。

『ギル、さん!』

先ほど聞こえたメグの声を思い出す。辛そうな声音だった。きっとメグも、無茶をしたのだろう。俺も人のことは言えないし、今は無理をする時だ。わかってはいるが……。

「必ず、取り戻す」

作戦のためとはいえ、身体をテレストクリフに渡したメグ。本当なら自分は存在しなかった、自分こそが身体を横取りしたのだと心の奥底で気にしていたな。口に出して言ったことはないが、俺には伝わっていた。

「その身体はメグのものだ。他の誰にも渡さない」

本当は、今にもテレストクリフを殺してやりたいほど腹立たしい。殺意が漏れ出なかったのは、メグの身体だったからに他ならない。自分の物だと? ふざけるな。たとえ神でも、許す気はなかった。

「……さっき止血したのにな」

じわりと怪我をした場所から血が滲むのを感じ、気持ちを落ち着ける。大丈夫だ、メグなら。いざという時にメグをこちらに引っ張れるよう、受け止められるように、心を保て。そう自分に何度も言い聞かせながら、俺はオルトゥスに向かうべく影に潜った。