とある世界の、とある国。

大陸でもっとも古く、もっとも強大と言われる国に、死神と呼ばれる傭兵ようへいはいた。

男は酒場の真ん中で、景気良く騒ぐ仲間たちに囲まれながら酒を食らう。すでに相当な量を飲んでいるにもかかわらず、常より生気のない顔色が血の気を取り戻すことはない。

その両目は、いまだ彼だけ戦場にいるのではと錯覚しそうになるほどににごっている。

彼は逆さまにしていた酒瓶を口から離し、余韻を散らすかのように深く溜め息をついた。

「隊長飲んでますぅ?」

「……見りゃ分かんだろ」

「どう見ても酒飲んで楽しんでる奴の顔じゃねぇんすわ」

笑いながらからんでくる仲間に、慣れたように返す。

十分に楽しんで飲んでいるから放っておけと言いたいところだが、そもそもある程度の付き合いがある相手はそれを重々承知している。だがしかし、とてもそうとは見えないという理由で、このやり取りも傭兵団の様式美と化していた。

楽しんでいないはずがない。酒が美味くないはずがない。

なにせ今日の酒は戦勝の祝杯であり、傭兵ならば誰もが羽目を外してしかるべき酒なのだから。

「いやぁ、勝って飲む酒は美味うめぇなぁ」

「……金の心配がねぇからな」

「いやもう大盤振る舞いで。負けてもこんだけ実入りがありゃいいと思わねぇすか、勝とうが負けようが俺らやってること変わんねぇんだからさ」

「何年傭兵やってんだ……」

「何年やっても納得いかねぇんすわ」

戦場では己の下で戦う傭兵は、呂律ろれつの回らぬ口でケラケラと笑う。

やとい主の勝敗で報酬が変わるのは、傭兵の常識だろうに。雇い主が負けた場合など、前払い金だけで終わることも珍しくはないのだ。終戦時、雇い主が生きていないことも多い。

勝ち馬にばかり乗りたいものだが、それができれば傭兵業は苦労しない。

とはいえ男が敬愛する団長は、そのあたりの報酬交渉が非常に上手いのだが。

たとえ負け戦だろうが、傭兵団が大損を食うことはほぼない。戦場全体では負け戦だろうが、自らの傭兵団の有無を言わさぬ戦働きで満額せしめることすらあった。

「大体傭兵っつうと義理人情なく金で動くんだからそこきちんとやってもらわねぇと」

「……お前意外と細けぇな」

「だから隊長の補佐なんかやってんですぜ」

「今回は勝ったんだから辛気くせぇこと言ってんじゃねぇよ……」

「そりゃあそのとおり」

似合わない傭兵論なんて語り始めていた傭兵が、そう言ってしみじみとうなずいた時だ。

酒場の扉が、跳ね返らんばかりの勢いで開いた。だが、そんなことは誰も気にしない。

この場にいる全員が、つい先日まで北の戦場で怒号にまみれていたのだ。敵味方問わず間近で耳にした断末魔も、鼓膜を直撃するよろいと剣の打撃音も、こうして酒をかっ食らいながら呵々大笑かかたいしょうすることで上書きできる者たちばかり。

多少の物音に動じるような人間などおらず、一瞥いちべつに終わる──はずだった。

「ガラわりぃなぁ」

現れた人物は、そう言いながら笑った。

ふんだんに毛皮を使ったコートをまとい、羽飾りが飾る派手なハットをかぶった青年だった。

彼は荒くれ者にあふれた酒場で、おくすことなく歩を進めている。一歩歩むごとに、磨き抜かれた白い革靴が、薄汚れた床板を叩いて小気味よい音を響かせていた。

目深に被るハットの下、不敵な笑みを浮かべた唇が見える。

「…………」

男は、じっと青年を見据えた。

一見して、薄汚い傭兵を馬鹿にしようという成金のようにも見える。ただそれにしては、青年の堂々とした佇まいはあまりにも説得力があった。誰かをおとしめなければ保てない面子では、決してない。

大半の傭兵は、その感覚に覚えがあっただろう。

しかし見知った清廉せいれんとは違い、あまりにも支配的なそれ。酒場の喧騒が徐々に静まっていく。

「よう」

青年は、そうひと声かけて男の前に腰を下ろした。

彼は座り心地など欠片かけらも考えられていない椅子に、手慣れたように勢いづけて腰かけた。

そして勢いのまま、当然のように両足をテーブルの上に叩きつけてみせる。テーブルの上に雑多に置かれた酒瓶が揺れ、一斉に甲高い音を立てたが、一本たりとも倒れはしなかった。

「…………お前」

正面に堂々と座った相手に、男はおもむろに口を開く。

一連の行動は、男にとって酷くありきたりな光景だった。現に、今この場で行儀よく座っている者など一人もいないのだ。つまり青年は、こちらの流儀に合わせてみせたのだろう。

一国の王が、ただ一人の傭兵と対等に話そうというのだ。

「何してんだ……」

「礼儀がねぇな、まずは自己紹介だろ」

男の言葉に、青年は鼻で笑った。

何を今更と胡乱うろんな目を向ければ、テーブルの上で乗せた白い革靴が促すように揺れる。

「稀代の成金〝キング・ドゥ〟だ、よろしく」

「……」

稀代の成金ってなんだ。

男はそう内心で突っ込みながら、差し出された手を黙って見つめた。

「俺が出歩く時はこれなんだよ。世を忍ぶ仮の姿ってのも様式美だろ」

「もっと忍べよ……」

「ちなみに通称は〝キング〟」

駄々洩だだもれじゃねぇか……」

これで本当にバレていないのだろうか。

いや、様式美という理由しかないのならバレても構わないのだろうか。

それにしても、今は姿を消している彼の側近は本当にこれを良しとしたのだろうか。

瞬きもなく黙々と思考していれば、青年が差し出した手をこれ見よがしに揺らしてみせる。

「リズからは大絶賛だったぞ」

男はやや不本意ながらも、初対面の体裁を保つために握手に応じた。

すると、店の奥から太く覇気のある声がかかる。この傭兵団の団長だ。

「おい〝キング〟、人払いはいんのか」

「あー……坊ちゃん呼びしねぇ奴と、口軽い奴」

「おう。おいジャス、そいつら連れてちょっと外出とけ。酒樽忘れんなよ」

団長が、古株の一人にそう声をかけた。

坊ちゃん呼び、つまりはリゼルを「坊ちゃん」と呼ぶ者だけが残ることを許された。

それはリゼルの件に何かしらの進展があったことを意味する。

いい知らせなのか、悪い知らせなのか。目の前の国王が不敵に笑っていることを思えば、前者なのだろう。肩の力が抜ける。

「……リゼルは、どう」

人数が三分の一ほどに減った酒場で、視線を集めながら男は口を開いた。

だがそれを遮るように、腕を組んだ国王が言葉を被せる。

「北の戦場はどうだった?」

「は……?」

男の酒瓶を握る指先が小さく痙攣けいれんする。

「お前、何を……」

無意識に問いかけるも、それに意味などない。

そもそも男は理解していた。目の前の不遜ふそんな国王は、リゼルの安否を知りたければ北にある大国の情報を寄こせというのだ。

つい先程まで傭兵団がいた北の大国、その戦場。景気良く祝杯を挙げるならばと、今はこの国王の国に戻ってきてはいるが、北とこちらを隔てる国境はこの村のすぐ近くにある。

その境界線を、一国の王は、たとえ稀代の成金としてでも容易には越えられない。

だからこその質問だ。交換条件としても理にかなっている。

だが、それでも。──男は、素直にそれに応じることなどできなかった。

「お前が、あいつを、そう使うのか」

男はおもむろに立ち上がる。

手の中で、酒瓶の細い飲み口がひび割れる感触がした。だが、止まらない。

湧き上がるいきどおりに肺が震える。それを衝動的に叩きつけようと、口を開きかけた時だ。

「当たり前だろうが」

国王は鼻で笑い、テーブルの上に並ぶ酒瓶から未開封の一本を手に取った。

「リズならそうする」

「……」

「使って不都合が出ねぇなら使う、自分のもんだろうが躊躇ちゅうちょしねぇよ」

「……」

「座れ」

激昂げきこうが消え失せ、男は無気力に腰を下ろした。納得したからだ。

確かにリゼルは、使えるものを使うことに躊躇しない。それが自分自身であったとしても。

リスクは過不足なく考慮する。リスクを負わないよう最大限に配慮する。

それでも、メリットがリスクを上回れば動くのだ。あの日、幼い身で傭兵たちの巣窟そうくつを訪れたときのように。

「……北はそろそろ落ち着く」

男は横目で団長を窺い、頷かれたのを確認してから話し出した。

「今回も国軍と辺境伯の私有軍との戦だった……」

「てめぇらは今回どっち着いた」

「ここらに少しでも詳しけりゃ国に着くだろ……」

「そりゃそうだ」

国王は手にした酒瓶から直接酒をあおる。

普段からどれだけでもいい酒を飲めるだろうに、美味そうに飲む姿はやけに堂に入ていた。

「あそこは内乱ばっかだろ、逆らう奴ら皆殺しにすりゃ終わる」

北の大国を支配するのは、少年王と呼ばれる一人の子供だ。

数多いた王族の末の子、唯一の生き残り。腐った国の頂点に立った子供が、王位を狙って途端に反旗をひるがえした諸侯たちを、圧倒的な才覚をもって叩き潰し続けること早数年。

その、たった数年で己に逆らう者たちを排除したのだ。その才覚に疑う余地はない。

「傭兵にとっちゃ国軍が勝ち馬か」

「……つうより金払いがいい」

「その金どっから持ってきてんだよ、あのクソガキ」

ブツブツと文句を零す国王は、どうやら件の少年王に会ったことがあるようだ。

国王同士だから当然、と言えるのかは一介の傭兵である男には分からない。だが国王の口から告げられる少年王の印象は、随分と悪辣あくらつなものであった。

男は北の大国に足を踏み入れるたび、少年王を称える国民の声を聞いている。

暴虐の限りを尽くしてきた先代までの悪政からついに解放されたと、そう喜ぶ声だ。

目の前の国王と、国民と。どちらが正しいのかなど、傭兵である男には興味がない。

金払いがいい雇い主、それだけで十分だった。

「しっかし、北はいい稼ぎ場だったんだがなぁ」

「落ち着くっつうなら移動すっかな」

酒場に残った傭兵たちが、酒を片手に雑談に興じる声が聞こえる。

それに耳を傾けるでもなく、男は国王からの質問に二つ、三つと端的に返した。

質問は意外にも分かりやすく内政に踏み込んだものではなく(踏み込まれても分からないことは置いておくとして)、先日の内乱に参加していた傭兵ならば誰もが答えられるようなものだった。

これらの情報を何にどう生かすのかは知らないが、意味のある質問ではあったのだろう。

でなければ、リゼルの情報と釣り合わない。

「いい加減教えろ……」

国王の言葉が切れたタイミングで、男は促した。

国王はそれに唇の端を吊り上げ、腕を組んだまま椅子の背に強くもたれかかる。

その両足はいまだテーブルの上にあり、いかにも偉そうな態度だったがよく似合っていた。

「全員、頭に叩き込め」

まるで勅命ちょくめいを下すかのように、月色の瞳が酒場にいる全員をぐるりと捉えた。

「リズは『長期静養中』」

「……」

「それはブラフで、実際は『俺の命令で秘密裏に遠く離れた国に国交交渉に行ってる』」

不敵な笑みが、さらに深まる。

「機密だから、内緒にしろよ」

楽しげな笑みが、それを嘘だと告げている。

吹聴ふいちょうしろというのだ。機密だからこそ水面下で、噂にもならないほど密やかに。

リゼルのことを探る相手にだけ分かる程度に、そういう情報を流せと国王は言っている。

「……おい」

男は生気のない目を見開き、かすれた声で国王へと身を乗り出した。

テーブルに叩きつけた酒瓶がけたたましい音を立てる。

「リゼルをえさに俺たちを諜報員扱いしようなんざ、お前、ふざけんじゃ」

胸倉をつかまれた。

意図が読めず、されるがままに引き寄せられ、顔面がテーブルに叩きつけられる直前。

「見つけた、コンタクトは取れてる、待ってろ」

テーブルの木目を見つめながら、頭上から降ってきた小声に瞠目どうもくする。

胸倉を摑む手が離された。ゆっくりと椅子に戻れば、国王は既に立ち上がっていた。

「ようは心配すんなっつうことだよ」

酒場中に聞こえる声で、国王は悪戯いたずらが成功したかのようにニンマリと笑った。

男にのみ宛てられた言葉が聞こえずとも、酒場にいる傭兵たちはそれで察したのだろう。

遠くの国だの、交渉だの。それが真実かどうかは不明だが、そういう具体例が出る程度には、リゼルの動向と無事がはっきりしている。ならば、それで十分だった。

そもそも、この場にいるのは戦場を渡り歩く傭兵だ。

死が酷く身近な分、生きていると分かっただけで何の心配もいらないのだから。

「坊ちゃん元気にしてんのか」

「酒飲めねぇのに外交なんてできんのかね」

酒場の中に喧騒が戻ってくる。

「おら、稀代の成金〝キング〟が成金らしく金バラまいてってやるよ!」

口笛、指笛、その他歓声が沸き起こる。

男はそんな中、残りわずかだった酒を飲み干して派手派手しい青年を見上げていた。

去り行く背中に、なんとなしに零す。

「……お前ら、そういうとこ似てんな」

稀代の成金は、振り返って微妙そうな顔をする。

「最近それよく言われんだよな」

誰にだと、そう口にする前に毛皮に包まれた青年は姿を消していた。