宿で一人、クァトは強さについて考える。
リゼルに導かれるように故郷に戻り、祖母や両親や弟妹や、近所の人だったり族長だったり……とにかく、一族を上げて叩き直された。
なにせ戦奴隷の集落では、クァトより弱い相手などよちよち歩きの赤子のみ。
妹と真っ向勝負をすれば負け、祖母に力でゴリ押そうとも、
ただ刃の硬さは折り紙つきで、何度斬りつけられようが傷一つ負わなかったものだから、一応故郷での戦歴としては無敗と言えなくもないかもしれない。その優れた刃を生かし、ご近所の幼子(七歳)の練習台になったりなどした。
ただ存分に叩き上げられたお陰で、故郷を去る時には、集落の五本指に入るほどの実力にはなっていた。
「(……はず?)」
うん、とクァトは一度頷く。
先日リゼルが、依頼で宿を離れる日があった。
どうやら少々きな臭い依頼だったようで、宿が襲撃される可能性があるらしかった。だからクァトは、何かあれば宿と老夫婦を守ってほしいと頼まれた。
クァトはリゼルの頼みごとを断りたくないと思っている。
それにこの宿も、宿の老夫婦のことも好きだ。危険があるなら守りたい。
一も二もなく頷いて、例の夜は、警戒しながらも部屋でウトウトとしていたのだが。
『おう、起こしちまったか』
不審な物音に飛び出せば、そこには襲撃犯を地面からスッポンスッポン引き抜いている老輩と、それを微笑んで眺めている老婦人の姿があった。
どう見ても野菜の収穫だったし、後日それをリゼルに伝えたら不思議そうな顔をされた。
とはいえ口まですっかりと地面に埋まっていたのは、野菜ではなく襲撃犯たちだ。
老輩も引っこ抜いて縛ってと大変そうだったので、慌ててクァトは手伝おうとした。
『ッう!?』
『おいおい、足元ちゃんと見ろよ』
『クァトさん、大丈夫?』
そして見事に片足を泥に突っ込んだ。
クァトは目を白黒させながら、老輩の力強い掌に引っ張られて泥沼を抜け出した。
泥だらけの足元を見ながら、クァトは何が起こったのか分からなかった。泥沼が見えていなかった訳ではない。まさに襲撃犯の頭がにょきりと覗いているのだから、見えなかったはずがない。
ただ純粋に、自分が嵌るとは思っていなかったのだ。
『これ、魔法、違う?』
『魔法でこうしたのは本当よ。でも、地面は本当の地面のままなの』
『?』
『あら、こういうの見たことないかしら。そうねぇ、魔法は何かを〝発生〟させるのは簡単だけど、何かを〝変化〟させるのはちょっと面倒だものね。今時はやる人、あまりいないかもしれないわね』
『初見だと避けれねぇか。まぁ、戦奴隷らしいっちゃらしいな』
穏やかに笑う老婦人の言っていることは、クァトにはあまり分からなかった。
だが
『反省、する』
『いい、いい、気にすんな』
『なんで?』
老輩が引っ張り上げた襲撃犯を縛りながら、クァトは不思議に思って問いかけた。
それに対し、老輩はやや皮肉げに片頰を歪めてみせた。
『そりゃあお前、対人経験なんざ積む必要ねぇからだよ』
『人?』
『これ、迷宮では使えないでしょう?』
老婦人の言葉に、少し考えたから頷いた。
迷宮は傷つけられない、それが鉄則だ。魔法で材質を変化させることも当然、無理だろう。
『迷宮の外だと、よっぽど上手に誘い込まないと魔物は簡単に避けちゃうの』
『重てぇ魔物で二本足っつうのも滅多にいねぇしな』
『二本しか、無理?』
『そうね、それ以外だと、大抵暴れ回って出れちゃうわね』
クァトは二度、三度と頷いた。
納得したからだ。確かに冒険者ギルドの依頼にも、対人戦が想定されるものは一つもない。
他者への威圧に冒険者を使おうとする依頼人は拒否されるし、盗賊退治などもっての外だ。
『でも、護衛依頼は?』
『護衛依頼っつうのも、基本は魔物から依頼人を守んだよ。ここ通りゃ盗賊だの追い
『それでも、何回も依頼をこなしていると、そういう機会もあるのよね』
『慣れるっちゃあ慣れんだよ。ま、冒険者なんざ普段から喧嘩ばっかだしな』
『んん』
クァトは襲撃犯を担ぎ上げながら、悩むように眉根を寄せる。
冒険者同士での喧嘩は、残念ながら経験がなかった。冒険者になる前に、冒険者(イレヴン)と似たようなことはしたが、あれは流石に喧嘩とは呼べないだろう。
また、冒険者(ジル)との手合わせは喧嘩に含まれないはずだ。腕は斬られたが。
それとも冒険者ギルドの職員に頭を割られそうになったのは、あれは喧嘩だろうか。
そんなことを黙々と考えるクァトは後日、リゼルにも冒険者同士の喧嘩経験(しかも喧嘩を売った側)があることを知って、謎のショックを受けることとなる。
『クァトさんは、そんなに悩むことないわよ。ね』
『なんで?』
『それは、クァトさんがクァトさんだから』
『はっ、そりゃそうだ』
老夫婦は当たり前のように顔を見合わせ、笑い合った。
それに対し、クァトは襲撃犯を玄関先に放り投げながら首を傾げた。
『俺?』
『てめぇは戦奴隷だろうが』
『ん』
『戦争相手が魔物だろうが人間だろうが捻じ伏せんのがてめぇらだろ』
目の前が開けたかのようだった。
ぱちぱちと目を瞬かせるクァトの頭を、老輩は大笑いしながらも力強く撫でた。
『つってもちょい経験不足だな。坊主にでもくっついて迷宮潜ってこい』
『坊主……黒い?』
『おう、あいつの剣は対人臭ぇからな、よく見とけ』
『それにクァトさんは魔法を避けないから、逆にこういうのに嵌っちゃうんだと思うの。だから迷宮の罠で、避けるかどうか考える練習をするのはとってもいいと思うわ』
『悪ヘビもなぁ。それっぽいっちゃあぽいんだが、手本にはならねぇな』
素直にふんふんと頷いて話を聞けば、老夫婦はいろいろなアドバイスをくれた。
しかも、純粋な実力だけなら十分以上、という嬉しい言葉つきだ。ならば足りないのはやはり経験なのだろうと、クァトは老夫婦に就寝の挨拶をして宿に戻った。
ちなみに襲撃の後日、リゼルから「依頼協力のお礼を」という申し出があった。
クァトは老輩のアドバイスどおり、迷宮へ赴くジルに同行することにした。
ジルとクァトでは、クァトのほうが起きるのが早い日が多い。それは恐らく、同部屋のなかでクァトがもっとも寝るのが早いからだろう。
手入れをするような武具もなければ、夜を徹して読みたいような本もない。
ただ後者に関しては、時折リゼルが「おすすめだ」と称して貸してくれることがある。船の描写が多い冒険
リゼルの趣味ではなさそうなのにと最初こそ不思議に思っていた(思いながらも楽しく読んでいた)が、ジル曰く「リゼルの趣味には違いない」とのこと。
どうやらリゼルの本好きの範疇には、他人に読ませる本を
それはさておき、今日もクァトのほうがジルより早く起きたので。
「迷宮、行く?」
「……」
リゼルのベッドの足元、空いたスペースに両腕を載せて読書をしながら暇を潰し、ジルが出かける準備を整え終えたころに声をかけた。
怪訝そうな顔をされながら立ち上がり、読んでいた本を丁寧にテーブルに置く。
「俺も、行く」
「来るな」
「行く」
部屋を出るジルの後ろに続いて、階段を下りる。
クァトは知っている。来るなという言葉がもの凄く本音であり、実際に邪魔だと思われているのは確かだが、勝手に引っ付いていく分にはそれ以上の文句を言われないことを。
これはいつだかイレヴンが、夜の宿で酒を片手に話していたことだ。
それに対し、リゼルは「追い払うほうが面倒臭いんでしょうね」と微笑んでいた。イレヴンは酷く納得して大爆笑していたし、クァトも酷く納得しつつも、それでいいのかと不思議に思ったものだ。
勝手について行って、ついて行けなければそれまで。捨て置かれるのだろう。
それをリゼルは、捨てられるものなら捨ててみせろと穏やかに微笑んでみせる。
またイレヴンは、ついて行けないようならパーティにいないと
ならばクァトは、置いて行かれるつもりなどさらさらないと奮起してみせるのだ。
「どこ、行く?」
「近場」
それがどこなのかを知りたかったのだが。
クァトはまぁいいかと頷き、決意をみなぎらせながらジルの後ろを歩いた。
老輩はジルのどこを参考にしろと言ったのだったか。
そうだ、ジルの戦い方が対人戦のようだと言っていた。見なければ。
だが襲いかかってくる魔物を見ると、どうしてもそちらに意識が向かってしまう。
沸き起こるのは戦奴隷の本能。戦場で己の力を振るわんという衝動に駆られるのだ。
理性を失って血に飢えるような真似ではない。義務感で刃を振るう訳でもない。
ただ、ただ、舞えと。圧倒的な集中力が目の前の敵に発揮されてしまうだけだった。
「ッ」
クァトは駆ける。
そして、腕から伸びた刃で目の前の魔物を断ち切ろうとして──空振った。
「斬れ、ないッ!」
「知らねぇよ」
狙っていた獲物が、ジルに先に斬られること十数回目。
クァトはついに憤った。誰へともなく、いや、強いて言うのなら己に対して憤った。
沸き起こる悔しさを床に向かって吐き出せば、すげない返事を寄越される。
「俺、鍛えた。強い、ない?」
「前よかマシだろ」
「でも、斬れない。前と、一緒」
迷い足取りで歩きだすジルに、クァトはもどかしい悩みを抱えながら続く。
生まれ故郷に帰る前、クァトはアスタルニアで、ジルによる実戦練習を受けている。それは一緒に迷宮に潜り、ジルより先に一匹でも魔物を早く倒してみせろというものだ。
リゼルがジルに頼んでくれたらしいが(そして頼んだ趣旨とは若干違ったらしいが)、戦奴隷の本能に目覚めたてのクァトは、どんな形であっても戦えるのが嬉しかった。戦えるのであればなんでも良かった。
実戦練習という名目であるくせに、一匹も斬らせてもらえなくても楽しかったのだ。
だが今、その時と何も変わっていないというのは問題だ。
「あ」
前を歩いていたジルが、二歩分だけ横にずれた。
罠だ。トンネル内の土がむき出しの床に、白い石がわざとらしく円形に置かれている。
クァトは罠の手前で歩調を緩めた。
『だから迷宮の罠で、避けるかどうか考える練習をするのはとってもいいと思うわ』
老婦人はそう言っていた。
確かにそこを判断できれば、戦闘中の立ち回りは大きく変わるだろう。
避けなければならないものは避け、そうでなければ突っ込めばいい。両方の場合で、それぞれが最短であることは間違いない。
だからクァトは考える。この罠は、避けるべきものか食らっても平気なものか。
クァトは魔力的な攻撃も、物理的な攻撃もほぼ効かないが、老婦人の泥沼のように拘束を目的としたものには嵌ることもあるし、それこそ毒霧などは普通に毒を食らってしまう。
「んん」
悩み、悩み、そして選んだ。
クァトは力強く、罠へと一歩を踏み出す。
「ッあーーー!」
「おい」
数歩先を行っていたジルも流石に振り返った。
自分が目の前で罠を避けたのを見ていた癖に何故、という怪訝そうな視線を受けて、片足をロープで縛られて逆さ吊りになったクァトは、やってしまったとばかりに顔を顰める。
そのまま自力で縄を斬り、体を丸めるように両脚で着地した。
「なんで踏んだ」
「罠、あったから」
一から説明するのはなんとなく嫌で、返答は酷く端的なものになってしまった。
だからだろうか。ジルは一瞬だけ胡乱な目をして、そして呆れたように前に向き直る。
「……変なとこばっか似るんじゃねぇよ」
その呟きに、クァトは歩みを再開しながらも平然と告げる。
誰に似ていると言われたのか、それがなんとなく分かったからだ。
「似る、嬉しい」
「冒険者でいてぇなら止めとけ」
「えっ」
まさかの言葉にクァトは驚き、どういう意味なのかと必死に問いかけるのだった。
結局のところ、ジルとの魔物争奪戦は惨敗だった。
勿論、魔物を斬ろうとしながらもジルの戦い方を観察するのは忘れなかった。
だが老輩の言いたいことは、やっぱりいまいち分からない。ただクァトは他の冒険者とも度々パーティを組んでいるので、ジルの剣が他者となんとなく違うのは分かる。
それが老輩の言う、対人臭いというものなのだろうか。
「そうじゃねぇの?」
向かい側に座るイレヴンが、ステーキを次々と口に運びながら告げる。
ここはサルスで馴染みのステーキ店。クァトも以前にリゼルたちと共に来たことがある。
何かのスパイスがよく利いていて、けれど辛くはなくてとても美味しい。よって一人でも時々来ているのだが、今日はたまたま混んでいて、たまたま一つだけ開いていた席がイレヴンの正面だった。
ならば丁度いい、と疑問を口にしてみたのだが。
「何、違う?」
「自分で考えろよ」
「考えた」
「でも分かんねぇって?」
「分からない」
「馬鹿じゃん」
「馬鹿、違う」
あまりにも適当な物言いに、クァトはむっとしながらも言い返す。
イレヴンはリゼル以外には大体適当なので、それについては特に怒ったりはしない。
だがリゼルが言うには、どうやら強者には最低限の敬意を払うのだという。よって分かりやすい格下扱いが気に入らず、それが少しばかり態度に出てしまったのだ。
出したところで返ってくるのは、イレヴンの常である
「お前も、分からない」
「煽り下ッ手くそかよ」
「ぐ」
慣れない舌戦に挑んでみれば、ひと言で切り捨てられて終わった。
だが黙々と食事を続けることに飽きてきたか、興が乗ったのだろう。何枚目かのステーキを平らげ、イレヴンはあまり興味がなさそうに口を開いた。
「ニィサンはなァ」
イレヴンは新たに皿に乗せられたステーキを、一瞬で四等分にした。
それを一切れ一口、大して噛みもせずにあっというまに食べ尽くしてしまう。
「先読み特化っつうの?」
「先読み」
「相手がこう動くからああ動いてどう斬る、みてぇなの決まってんだよ」
「んん」
分かりにくい、とクァトは唸りながら肉を噛む。
ちなみにだが、店内が混む時間だろうがクァトたちのテーブルには一人の店員がついている。休みなく黙々と肉を焼き、イレヴンの空いた皿に載せる姿は随分と手慣れていた。
クァトの分も焼いてくれるので有難い。今もまた、新しく焼けた肉が鉄板からクァトの皿へと移された。
「相手が何考えて動くか考えんのに慣れてるっつうか」
「? 魔物が?」
「だからだろ」
「あ」
だから、対人戦に慣れているのだろうということだ。
魔物が敵対して向かってくるのと、人間が敵対して向かってくるのとでは大きく違う。
魔物は人間離れした能力を武器に、種の数だけ存在する多様な攻撃を仕掛けてくる。ただ個別の攻撃パターンはそれほど多くなく、それさえ覚えてしまえば、己の技量を踏まえての勝ち筋を見つけられるだろう。
だが人間相手は勝手が違う。魔物と違い、身体的には特段の違いはないのだ。
だからこそ頭を使う。それは、お互いに。
読み合いの重要性が、本能のまま襲いかかってくる魔物とは段違いなのだ。
メインに剣を使っていても、どこかにナイフを隠しているかもしれない。それは腕か腰か、それとも足か。それを突き出してくるかもしれないし、投げつけてくるかもしれない。
魔法や毒もあるだろう。剣も何もかもを捨て、徒手空拳が叩き込まれるかもしれない。
地面に石が落ちているだけでも、蹴り上げてくるか、それとも剣で弾き飛ばしてくるか。
相手の一挙一動、視線一つからそれらを探るのだ。
「だから一撃ズバーッで終わんだろ、多分」
「ズバーッ、で、終わる魔物から、斬る?」
「そ」
イレヴンが手にしたナイフの先をふらふらと揺らす。
「俺らは大体向かってくる魔物から斬る」
「ん」
「ニィサンは斬れる奴から斬る」
「ん。……ん?」
「まぁニィサンが人外すぎるせいでそこ一緒になってる感あるけど」
なんとなく分かったような、とクァトは思案する。
その間、クァトの皿に載せられたステーキがイレヴンに搔っ
実は先程から同じことが繰り返されているが、気づいているのは肉を焼いている店員だけだ。彼は自らに縁のない会話に、どこか感動したように聞き耳を立てている。
同時に、この人まだ食うのかという視線もイレヴンに飛んでいた。
「俺は、そういう……読み合い? 負けてるから、魔物、斬れない?」
「あー……」
すぐに返ってくると思っていた返事は、何故か少しの間が空いた。
クァトは鉄板の上で焼かれていく肉から視線を上げ、どうかしたのかとイレヴンを見る。
イレヴンは片眉を上げ、馬鹿にしたような、何かを企んでいるような笑みを浮かべていた。
何か言いたいことでもあるのかと、クァトが少しばかり眉を寄せた時だ。
「知らね」
「え」
あっさりとイレヴンが立ち上がる。
「会計こいつに付けといて」
「え!?」
「タダでモノ教わろうとか甘ぇんだよ」
そのまま振り返らず店を出て行ってしまうイレヴンを、クァトはただ呆然と見送ることしかできなかった。
タダで云々、に反論はない。反論はないが、これはどうなのか。
クァトが店を訪れた際、イレヴンはとっくに食事を始めていた。よって、どれほど食べたのかは分からない。会話中も(あまり覚えていないが)イレヴンはずっと食べていた気がする。
「えー……と、お会計なんですけど」
絞り出すような声でそう告げた店員に、クァトも口を開く。
「俺、まだ、おかわり」
「あ、はい」
とりあえず食べ足りなかったので、追加を頼むことにした。
そして満足するまで食べた後の会計で、食事というシーンで見たことのない金額を見る。
だがクァトはその金額にあまりピンと来ずに、平然と金貨を支払うのだった。
その晩、クァトは宿の部屋でリゼルと過ごしていた。
ジルとイレヴンの姿はない。もしかしたら、今夜は帰ってこないのかもしれない。
クァトも迷宮で夜を越すことはあるが、ジルとイレヴンにも度々こういう日がある。
リゼルは行き先を知っている時もあるし、知らない時もある。飲みにでも行っているんじゃないかと聞いた時は、クァトも訪れたことのある冒険者だらけの酒場(ものすごく
とはいえクァトにとっては、リゼルとのんびり過ごせる嬉しい時間だ。
「今日、迷宮、行った」
「どこの迷宮ですか?」
「近場」
「ジルみたいな言い方ですね」
「当たり。ついて、行く、行った」
「君とジルの二人は、アスタルニア以来じゃないですか?」
ゆったりとページを捲るリゼルと、ぽつりぽつりと会話を交わす。
最初こそ読書中は邪魔しないようにしていたが、リゼルが気にせず話すものだから気にしないことにしていた。クァトが話すときは、本から顔を上げて目を合わせてくれる。
今夜の話題は、昼間の出来事について。
椅子に座るリゼルの足元、床に腰を下ろしながらクァトは話していた。
「君はジルと同じ獲物を狙うんですね」
リゼルがそう面白そうに告げたのは、クァトの獲物がジルにとられ放題の件だった。
何か変だったかと、クァトは首を傾げる。
「同じ、駄目?」
「いえ。戦奴隷の狩りはそうなのかな、と」
「大きい獲物は、囲む」
「一人で勝てそうな時も?」
「勝てそうなら、一人」
その返答に、リゼルは少しだけ思案した。
クァトは黙ってそれを待つ。リゼルは自分よりも何倍も物を考えていると知っている。
その印象はいつかアスタルニアの地下で、鉄格子ごしに話していた時と変わらない。
あの空間で過ごしたのはほんの数日だが、その数日で脱獄、信者たちの捕縛、計画
だからこそクァトは、リゼルの思考の邪魔をしない。
その内容を何も教えてくれなくても構わないし、教えてくれたのなら嬉しいだけだ。
「もう一度、聞いていいですか?」
「ん」
クァトは頷く。
「君は、ジルと同じ魔物を狙った?」
「んん……多分?」
改めて質問されると、なんだか自信がなくなってしまう。
「それはどうして?」
「どうして」
どうしてと言われても、クァトにとっては無意識だったのだ。
魔物の姿を捉え、最初に駆けた先でジルの剣を見る。その次も、次の次も。
それならばと意識してジルの真反対にいる魔物を狙えば、それは当然ながら斬れるのだ。リゼルのパーティに交ざって迷宮に潜る時も、連携的に良さそうだからとそうしている。
ならば何故、今日は先手を取られてばかりなのか。
同じ魔物を狙っていたからだ。だがそれは、一匹の魔物を数人がかりで追いつめる狩りとはまったく違う気がした。
ジルも、クァトも、一人で勝てる魔物だったのだ。囲む必要など、どこにもない。
ジルの剣が振り下ろされた魔物を、自身も狙っていたのは本当に無意識なのか。
「俺、競争、好き?」
「まさか」
迷走しかけた思考が、可笑しそうなリゼルの優しい声に導かれる。
「君が、ジルと同じことをしてる可能性は?」
「あ」
ふと、ステーキ店で話した時のイレヴンを思い出した。
読み合いに負けているから、ジルから先手をとれないのかと。そう告げたクァトを、馬鹿にしたように彼は笑ったのだ。
そもそも、競り合いになっている時点で答えは出ていた。
「同じは、違う」
「そうなんですか?」
「でも、似てる」
「へぇ」
リゼルの瞳が柔く細められ、手慰みのようにクァトの髪を撫でる。
クァトはそれを
「俺は、斬りやすい魔物から、斬るだけ」
「はい」
「読み合いとは……違う? 違う、気がする?」
「ジルは戦闘での読み合いが強そうですしね」
「強い」
「イレヴンも読んだうえで賭けに出るのが好きそうですし」
「好きそう」
リゼルの言葉に頷きっぱなしだ。
「クァトも無意識下でできてるなら、どんどん上達しそうです」
「頑張る」
クァトは奮起する。
故郷では対人戦ばかりだったとはいえ、戦奴隷は戦いにおいて己の刃以外を使わない。
読み合いという点において後手に回りがちなのは、そういう理由もあるだろう。だが故郷の訓練のおかげで、斬りやすい魔物がなんとなく分かる程度のものは、いつのまにか身についていたらしい。
「そういえば、どうして読み合いが必要になったんですか?」
「?」
「ただジルとの魔物の奪い合いに勝つため、じゃないですよね」
「違う」
「今の実力で、何かに困ることもなさそうですし」
戦闘中に実力不足を感じることがあったのか、とリゼルは不思議そうだ。
思わずクァトは破顔する。おもむろに唇の両端を吊り上げ、幸せそうににっこりと笑った。
力量に対する信頼が、何より嬉しかったからだ。
なにせ戦奴隷の口説き文句トップスリーは、刃の鋭さを月に例える、獣武装の美しさを褒める、戦力としての大きさを称える、の三点。戦奴隷たちは例外なく、この三つの誉め言葉が物凄く嬉しかったりする。
「読み合い、できれば」
クァトは緩んだ表情をそのままに答えを返した。
読み合いの強くなる。そうすると対人戦で困らない。すなわち不測の事態に備えられる。
そう、全ての切っ掛けはこれだった。
「泥に、嵌らない」
その言葉に、ぱちりと目を瞬かせたリゼルのことをクァトは気づかなかった。
だがすぐにリゼルが、何かを思い出したかのように頷いていた姿のことも、浮かれていたクァトは知らないのだった。