「スタッド、何かいいのあった?」
「甘いものはあまり食べないのでよく分かりませんが」
さっさとひと通り見て回っていたスタッドが、三種類の焼き菓子を指していく。
「ですので包装を聞いてきました。あの三つは瓶に詰めてくれるそうです」
「箱だと潰れそうで怖いしね」
「あとは貴方が決めてください」
「うーん……アマレッティにしようか、ご年配の方も食べやすいし」
「分かりました」
「僕も自分用に何か買おうかな。スタッドは?」
「いりません」
ジャッジはティータイムにもコーヒーブレイクにも、なるべく茶菓子が欲しい。
だがスタッドは飲み物だけでいいのだと言う。あれば積極的に食べるが、自分では用意するほど必須でもない。
面倒くさがっているというよりは、コーヒーだけで完結できるというだけだ。
二人は瓶詰めを二つ買い、一つに包んでもらった。これならばリゼルたちと一つずつという形で、宿の老夫婦も気兼ねなく受け取ってくれるだろう。
「じゃあ後は、好きなの買おうか」
「貴方は何を買うんですか」
「もう少しサルスにない味を贈ってあげたいかも。アスタルニアに行った時はちょっと
言っていることが完全に母親だった。
二人は店を出て、中心街の小綺麗な通りを再び歩き始める。
「あっ、あとイレヴンに爪ヤスリとクリームも贈らないと」
スタッドがジャッジを凝視した。
「何故ですか」
「え? そろそろヤスリがすり減ってるかなと思って、だけど」
「何故あの馬鹿に贈るんですか」
「それは、だって、リゼルさんの手のケアをしてもらわないと……」
ジャッジによるイレヴンに対してのリゼルもてなし講座の影響はいまだ根強い。
何かを納得したようなスタッドを、ジャッジは不思議に思いながらも問いただしはしない。
「そういえばこの前、爺さまが遊びに来たんだけど」
「知っています。ギルドにも顔を出したので」
「あ、だよね」
話の流れで、ふとインサイを思い出した。
昔から孫に甘い彼は、幼いジャッジに爪の手入れは欠かさないようにとよく言い聞かせた。
鑑定を行う人間は、できるだけ手が綺麗なほうがいい。手袋をしても、しなくても、その手で扱う品の価値を正しく見定めるためには必要なことだと教わった。
絵画の価値が額縁で違って見えるように、鑑定中に品に触れている手が荒れていれば、無意識のうちに品の価値を下げてしまう可能性もある。インサイはそう言っていた。
ジャッジはそれに深く納得し、今でも欠かさず爪の手入れを行っている。
「あの
「うん、それなんだけど……リゼルさんに呼ばれたからってサルスに行ったみたい」
「は?」
「そのまま商業国に戻るって言ってたし、詳しい話も聞けてなくて。この前のリゼルさんからの手紙にも、家族の時間を邪魔してごめんねって書いてくれてたんだけど、それ以外のことは書いてなかったから」
「私のほうは特に何も書いていませんでしたが」
「うん。だから本当に、お爺さまへの個人的な用事だったんだと思う」
インサイは随分と急いで道具屋を出て行った。
それほど緊急のことがあったのかと、ジャッジは一瞬ひやりと肝が冷えたものだ。
だがインサイが、「こりゃ面白いことになってきおった!」と手強い取引の直前のようなテンションで、ものすごく意気揚々と飛び出していった姿を目撃したことで、それほど心配せずには済んでいる。
緊急は緊急でも、リゼルが何かしらの危機に
ジャッジがそうスタッドも伝えれば、彼もまた安堵したのだろう。視線を正面に戻す。
「何があったんでしょう」
「こういう時、自分が呼んでもらえるようになりたいよね」
「それは同意しますが貴方は交易商になりたいんですか」
「それは全然考えたことなくて……でも、それぐらいの影響力がないと駄目なのかな」
リゼルにそれを求められたことはないので、必要ないとは思うのだが。
ジャッジはそんなことを話しながら、元気な祖父は無事にマルケイドに帰ることができたのだろうかと思いを馳せた。
これは、少し前のマルケイドでのこと。
「……」
部屋にはペンの音だけが響いていた。
その部屋は広く高く、さりげない装飾が施され、いかにも貴種の部屋であった。
しかし内装は、必要なもの以外をすべてそぎ落とし閑散としている。
真っ先に目につくのは、艶のある重厚な机が一つ。そここそが彼の主な居場所だった。
「……」
美しい男だった。
書類に伏せた瞳は
目元に刻まれた皺の一本、目元のクマでさえ、彼という存在を完成させようとする巨匠が敢えて付け足したかのように、少しもその美を陰らせることはなかった。
──彼の名はシャドウ。
祖父の代からこの街のために尽くし、今なお発展を続ける大都市の領主であった。
「おう、いるか!」
そんな彼の部屋を訪ねる者がある。
勢いよく扉を開けたのは、シャドウの姿を知る数少ない権威者のうちの一人。このマルケイドの流通の一端を担う翁であった。
そのあまりの喧騒に、書類に向かう男の
「なんだ」
「サルスの上に〝異形の支配者〟の件で喧嘩売ってきたぞ」
男の手の中で、握り締めていたペンが真っ二つに折れた。
シャドウは折れたペンを見下ろし、強く舌打ちを零す。
次いで痛む頭を押さえるよう、肘をついた手に額を置いた。眉間に深い皺を刻む。
「……説明しろ」
まさかインサイが今更、大侵攻のことを引っ張り出したとは思っていない。
そもそもシャドウに何の理もなくそうするほど、
今の地位を手放し一からやり直せと言われても、嬉々として実行するのがインサイだった。
だからこそ、経緯が分からず説明を求める。
「正式に言や喧嘩売ったのはリゼルだ、リゼル」
「あいつか……」
「儂は付き添いじゃな」
シャドウは一人の冒険者を思い出す。
大侵攻の危機を、周りが取り残されるほど早急に解決へと導いたパーティのリーダーだ。
最終的な被害は同じだろうが、解決までの時間が長いのと短いのでは、その後の復興に大きな差が生まれる。
マルケイドの民のほとんどが街を出ることを選ばず、高い士気をもって復興に力を尽くせたことに、彼らの影響がないとはとても言えない。
よってシャドウも、感謝していない訳ではないのだが。
「リゼルの奴、分っかりやすい権力者が欲しかったみたいでな。儂と、ほれ、一度紹介したことあるSランクの爺がいただろ。あいつと、サルスの蜘蛛の頭知っとるじゃろ、あいつ揃えてカチこみおったわ」
時々こういうとんでもないことをやらかすので油断ならない。
「今更支配者に何の用がある」
「あっちからちょっかい出されたんだと」
「どういうことだ」
「どうにも、大侵攻の時のリベンジっつうんか。にわかには信じられんが、人間を支配だの操作だのできるんじゃろ。そのターゲットにジルを選んだそうでな」
シャドウは盛大に顔を顰める。
彼は目の当たりにしているのだ。マルケイドの城壁の上で、ジルを捉えた魔法陣も、そこに割り込んだリゼルのことも。
その結果、支配下に置かれたリゼルに、そのパーティメンバーがどれほど激高したのかもよく覚えている。自身もまた、平静ではいられなかっただろう。
それをもう一度などと、どれほど傲慢ならば望めるのだろうか。
「まさか一刀が支配されてはいないだろうな」
「ねぇ、ねぇ。リゼルの奴が食らいかけたみてぇだが、運よく逸れたみたいでな」
「逸れた?」
「儂も詳しくは聞いてねぇが、近くにいた子供が操られたっつってたな」
「子供だと……」
「安心しろ、無傷じゃ無傷。なんの影響もねぇだと」
シャドウは領主である。
子供たちは、将来的に街を支えていく人材だと深く理解している。守り育まねば、マルケイドに未来などない。
そしてインサイもまた、子と孫を持つ身だ。内心穏やかではいられなかっただろう。
「まぁリゼルにはそのあたりガンガン攻めさせてやったわ」
「あいつを通して腹いせをするな」
「おっ、儂が言ってやって良かったんか」
「やめろ」
「じゃろ」
あっけらかんとした返答に、シャドウは深く溜め息をついた。
そして眉間の皺はそのままに、書類の余白を見つめながら思案する。
マルケイドは大侵攻の被害から、ほぼ完全な復興を果たしていた。それにはマルケイド自身の力は勿論、パルテダール国全土から集められた支援金や、それを当てにして有り余った力仕事をこなして稼ごうと集う冒険者の力もあるだろう。
それと、サルスからの
個人が起こした事件とはいえ、その当人は(名目上は)国に仕える魔法使い。大侵攻に関する研究も、言うまでもなく国営である魔法学院の設備を使って行われていたはずだ。
サルスは知らぬ存ぜぬで通せるはずもなく、パルテダールもそれを見逃すには被害が大きすぎた。
よってシャドウも強く責任を主張し、サルスに呑ませた条件がある。
「関税の引き下げは据え置くぞ」
「もともと暫くはそうするつもりじゃったしな」
マルケイド・サルス間の関税を、一方的に下げたのだ。
大侵攻で滞った物流が活性化し、復興に必要な資材もどんどん輸入できる。また普段から商人の出入りが激しく、交易が盛んな商業国は大きな恩恵を得られた。
ちなみにこの取り決めは、サルスと一都市であるマルケイドの間でのみ適応される。
「サルスは支配者を手放さないか」
「無理じゃろ。お前さんだったら手放せるんか」
「……」
シャドウは再び舌打ちを零す。
支配者に対する怒りはいまだ
苦々しい顔をするシャドウに、インサイが大きな声で笑った。
「まぁ大丈夫じゃろ。支配者の奴ももう大して悪いことはできん」
「何故言いきれる」
「リゼルが学院のど真ん中で奴の研究を見世モンにしろっつったからな」
「どうしてそうなる」
「天才の見張りは天才にさせろっちゅうことらしいぞ」
言いたいことは分かる。分かるが、よく分からない。
シャドウは新しいペンを取り出しながら、愛想のない声で告げた。
「相変わらずか」
「相変わらずじゃな」
冒険者に見えない冒険者は、パーティ揃って好きに動いているらしい。
偶然にも王都の若者二人と同じ結論に達した二人は、その後もしばらく情報のやり取りを続けたのだった。