夜のパルテダール王都、パルテダにて。

ジャッジは店の前に立ち、なんとなく星の見え始めた空を見上げていた。

一方向を見ればいまだ夕焼けが見えるのに、反対を見れば夜闇と星空を見ることができる。

いつしか店を閉めようと外に出て、この不思議な空を眺めるのが習慣となっていた。

「……よし」

扉にかけた札を裏返して【CLOSE】へ。

ジャッジの店は暗くなってきたら閉店だ。冒険者向けの道具屋だが、この時間は依頼を終えた冒険者たちが続々と帰ってきて、ぞくぞくと酒場に吸い込めていく時間でもある。

明日のために足りない道具を補充しておこう、そう考えて顔を出す者など滅多にいない。

「夕飯、何作ろう……」

独り言を零しながら、ジャッジが店内へと戻ろうとした時だ。

彼の背後に、音もなく立つ影がある。

「店は終わりましたか」

「うわっ」

至近距離から向けられた声に、ジャッジは肩を跳ねさせながら振り返った。

目にしたのは、ガラス玉のような瞳と無表情。ギルド制服を身につけたスタッドだ。

「次はいつあの方に会いに行きますか」

「スタッド……一日おきに来るのやめてってば……」

ジャッジは強張っていた肩の力を抜いて、ひとまずスタッドを店内に通したのだった。


ジャッジとスタッドが、今はサルスに滞在するリゼルを訪れたのが少し前のこと。

スタッドはそれ以来、次はいつだ次はいつだと頻繁にジャッジの店を訪れていた。

一度あちらを訪ねて、なんとなく抱いていた敷居の高さが薄らいだようだ。ジャッジもそれは同じだが、だからといってそう易々と尋ねることなどできるはずもない。

最初は毎日来ていたので、これでも多少は圧が和らいだほうなのだが。

「行くときはちゃんと誘うって言ってあるのに」

「それはそれとして今日は別件です」

「あれ、そうなんだ?」

ジャッジは、昼食の余りのスープを温めながら目を瞬かせた。

スタッドを夕食に誘ってみれば、なんとも珍しいことに頷かれたのだ。

いつもはひと言確認をして、ものの数秒で帰っていったりもするので、誘いを受けたのはその別件のためなのだろう。

「鑑定とか……は、行ったばっかりだし」

ジャッジは話しながら、買い置きのパンをスライスして軽く焼いた。

その間にソーセージも焼き、大きな平皿の上にそれらをまとめて載せていく。ついでにスライスしたチーズも一緒に何枚か並べれば、有り合わせの食材で作ったワンプレート料理の完成だった。

これでもう、食材保存庫はほぼ空だ。

明日は忘れないように買い物に行かないと、なんて考えながら、ジャッジは焼けたパンをひっくり返す。両面とも、こんがりと焼けていた。

「スタッド、パン何枚?」

「四枚です」

「スープは大盛り?」

「お願いします。それで別件ですが」

「うん」

随分と腹が空いているようだ。

クロスの敷かれたテーブルに皿を運び、よそったスープも両手で二人分を運ぶ。

「あの方から手紙が届きました」

「え!? っ熱」

動揺のあまりスープを零しそうになった。

器の中で大きく揺れたトマトのスープが、片手の親指に僅かに跳ねる。

ジャッジは熱さを堪えながらそれらをテーブルに置き、急いで水場にとって返すと流水に手を突っ込んだ。

幸い、火傷やけどというほどでもなさそうだ。跳ねたスープを洗い流すだけで済ませる。

「ああ、びっくりした……え、リゼルさんの手紙、だよね」

「貴方は届いていないんですか」

「届いてない……」

リゼルの手紙は大抵、二人分まとめてジャッジの店に来る。封筒は別々だ。

それは数量制限のあるアスタルニアから、サルスに拠点を移そうが変わらない。

スタッドに個別に送ろうとすると、冒険者ギルドに日々溢れるほど届けられる手紙と交ざってしまうからだ。

「冒険者ギルドへの用件、とか」

「いえ、私宛てです」

「冒険者関係で何かトラブルがあったとかじゃないよね」

「いえ、私個人への手紙です」

ジャッジはひとまず安心した。

とはいえ心なしか自慢げなスタッドはどうかと思うが。もしや今日は本当に自慢だけしに来たのだろうかと疑ってしまうほどだった。

濡れた手を拭きながら、スタッドの向かい側に腰かける。

「いいなぁ、僕も欲しかった」

「明日にでも届くと思いますが」

「え?」

「そのようなことが書いてあったので」

スタッドがどこからか手紙を取り出してみせた。

夕食が終わってからでもとジャッジは一瞬だけ考えかけたが、口には出さない。

気になるからだ。もし本当に近々リゼルの手紙が届くなら、それが明日であったなら、ジャッジはあらゆる手段を用いて手紙の到着に備えなければならない。

具体的に言えば、午前中に一日分の売り上げ目標を達成することもやぶさかではなかった。

「手紙、僕に関係しそうなところだけでいいから、聴いてもいい?」

「見るのが早いと思いますが」

「え、見ていいの……?」

「それはどっちなんですか愚図ぐず

「う、スタッドとリゼルさんがいいなら、見たい」

スタッドが数秒だけ口を閉じる。

リゼルがいいなら、という部分を考えているのだろう。だがすぐに問題ないと判断したのか、ジャッジに手紙を差し出してくる。

ジャッジも見たいとは言ってみたが、まさか本当に見せてもらえるとは思わなかった。

リゼルが、手紙を他人に見せても良しとすること。それをスタッドがどうやって正確に推し量り、何をもって見せても問題ないと判断したのかが、どうにも分からなかったからだ。

「ちょ、ちょっと待って」

ジャッジはもう一度、濡れた手を丁寧に拭いた。

そして、湯気の立ち上る料理の上を通り越して手を伸ばす。特別身長の高いジャッジは相応に腕も長く、容易にスタッドの手から手紙を受け取ることができた。

「えっと、じゃあ、見せてもらうね」

ジャッジはなるべく皺をつけないよう封から手紙を取り出し、ゆっくりと折り目を開く。

やや後ろめたさがあって薄目にはなってしまったが、上からざっくりと目を通していった。

リゼルの手紙にあったのは、ジャッジが度々もらう手紙と遜色なかった。もちろん話題や文言はまったく違うが、リゼルの近況の語り口であったり、こちらを気遣うような言葉の温かさなどは変わらない。

自らの頰が緩むのを感じながら、やや斜めになった綺麗な字を追っていた時だ。

「あ」

恐らくこれが理由だろう、という部分に行き当たる。

どうやらリゼルはサルスで再会した冒険者の友人から、郵便ギルドのある噂を聞いたらしい。

曰く。冒険者ギルドや商業ギルドなど、あらゆるギルドを宛名とした手紙は、一般のものよりも優先して運ばれているらしいとのこと。

それを聞いたリゼルは、折角だからとジャッジとスタッド両方に同時に手紙を送ってみた。

一通は冒険者ギルド宛てに、一通は道具屋宛てに。そうして、もし到着に差があったら教えてほしい、という言葉でこの話題は締められていた。

ジャッジはその続きを読むことなく、丁寧に手紙の封を閉じてスタッドに返す。

「リゼルさん、相変わらずだね」

「貴方に手紙が届いたら連絡してください。私から結果を報告します」

「うん、分かった」

年下二人はリゼルの好奇心を、ほのぼのとした心地で受け入れた。

「ギルド優先って本当にあるんだ」

「あっても忖度そんたくではないかと。手紙の量が多いというだけでしょう」

「確かにそうかも。商業ギルドとか凄そうだよね」

「冒険者ギルドでも一日に三回は配達があるので」

「うちは朝の一回だけ、来ない日もあるし」

「商人の癖に人脈がないんですか」

「あ、あるよ、ちゃんと……」

二人はようやく食事に手をつける。

ジャッジはスープをすくって飲んだ。温め直したせいか、具の野菜がだいぶ崩れている。

味は落ちていないがどうなんだろうとスタッドを伺えば、彼は黙々と食事を進めていた。スープについても気にする様子はなく、空腹だったのもあってその手が止まることはない。

良かった、とジャッジも煮崩れた野菜を咀嚼する。

客人相手だと気になるというだけで、これはこれで美味しくてジャッジは好きだった。

「あ、そうだ。手紙の返事出すときに何か一緒に包もうかな」

「何かとは」

「まだ決めてないけど、この前は手土産も持たずに行っちゃったし」

特に、リゼルの泊まる宿の老夫婦には世話になった。

すぐに部屋を用意してくれて、豪華な夕食を用意してくれて、最高の酒も空けてくれた。

お礼状を送ろうと考えたこともあるが、恐らく望まれてはいないだろうと控えたこともある。だがこの機会に、リゼルへの贈り物と一緒に何かを贈るぐらいなら、きっと歓迎してもらえるはずだ。

「宿の皆で分けられるようなお菓子とか……あ、この前リゼルさんに似合いそうな服も見つけたし。好きそうな本も何冊かあるんだけど重量オーバーかな。王都からサルスって重量の制限はなかったよね」

「私も贈ります」

「え?」

何かを決意したように、真顔のスタッドが堂々と告げる。

「いわゆるプレゼントでしょう」

「うん、そうだけど……」

「贈りますが何を贈ればいいのか分かりません」

「じゃあ一緒に買いに行こうか」

なんだか覚えがある流れだなと、ジャッジはそう思いながらも快く頷いた。

そして手紙はスタッドの予見どおり、翌日の朝にしっかりと届けられることとなる。


それから数日後。

ジャッジの店の前で待ち合わせ、二人は土産探しに出かけることにした。もともと決められていたスタッドの休日に合わせ、ジャッジも店を閉めた形だ。

大抵の店がそうであるように、ジャッジの店にも決まった休日はない。

基本的には毎日やっているが、買い物や出かける用事があればその時だけ閉める。

仕入れで店を何日か空ける時もあって、それが長期になるようなら商業ギルドのスタッフ派遣サービスを受けたりもするが、二日三日ぐらいならば休みにしてしまうこともあった。

「スタッド、今日はもともと休みだったんだよね」

「はい」

二人はなんとなく中心街のほうに歩いていた。

買うのが日用品なら別のところに行くが、贈り物なら中心街の店が無難でハズレがない。

「いらないと言っても休みにされるので」

「それでも普通に働くとこ、凄いよね……」

王都の冒険者ギルドの職員、そんな彼らの休日事情は自己申告制だ。

休日が欲しくなれば、その都度ギルド長に言いに行く。早めが望ましいが、直前でもいい。

ジャッジなどは、ギルド長相手に言いづらくないのだろうかとも思う。だがギルド長がその申し出を跳ねのけたことなどなければ、職員側も雑談ついでに「あ、この日来れないんで」と軽い一言で終わるらしい。

休んだとして本人の給料が減るだけだ。そういう考えなのだろう。

「職員同士で休みが被ったりしそうだけど……」

「滅多にないですがないことはないです」

「あ、やっぱり。そういう時、どうしてるの?」

「どうもしませんが」

当たり前のようにスタッドは告げた。

「基本的に普段と変わりません」

「え、でも人少ないんだよね」

「少ないです」

「忙しくない?」

「忙しくても捌ける量は変わらないでしょう」

「そうだけど……朝とか、冒険者の人たちで溢れたりしないの?」

「溢れます」

つまり溢れるなら溢れさせておけということだ。

そういうものかと、ジャッジは感心とともに頷いた。生来の気遣い屋であるジャッジは、客を待たせることに少しの罪悪感を抱いてしまいがちだ。

ジャッジは自身の考え方が少数派であることは理解している。むしろ客から、そんな急がなくていいのにと笑い飛ばされたこともあった。余裕をもった接客を心掛けたい。

ただ、スタッドたちが相手にしているのは冒険者だ。

朝一番でギルドに駆け込み、我先にと依頼をもぎ取り、さっさと出発したい者たちばかり。

「怒られたりとかしないの?」

「溢れても近隣の方々には迷惑をかけないよう徹底しているので」

冒険者に怒鳴られたりしないのかという質問は、別の意味で伝わった。

つまりは、それほどに冒険者からの文句がないのか。いや、そんなはずはないだろう。

ジャッジは改めて、言葉をかえて問いかける。

「冒険者の人たち、遅いぞーとか言わない?」

「言います」

ただただスタッドが一切気に掛けていないだけだった。

自分にできない対応を躊躇ちゅうちょなく行うスタッドの話を聞くのは、ジャッジの密かな楽しみだ。

「もし職員全員に用事が入っちゃったらどうするんだろうね」

「ギルドを閉めます。私がギルド長に拾われた頃に一度だけありました」

「え、そうなの!?

ジャッジにも覚えがないので、よほど幼い頃なのだろう。

ちなみにジャッジは、スタッドが冒険者ギルドに迎え入れられる前のことを知らない。

よって拾われたというのも、まさか言葉どおりの意味だとは思っていなかった。そういう比喩ひゆだと思っている。

「それ、ギルドは無事だった……?」

「ドアが蹴破られました」

暴動が起きている。

実際は一部の非常に頭が上りやすい個人が、腹いせで扉を蹴ったら壊れたというのが正しいらしいが。とはいえジャッジにしてみれば怖いものは怖い。

幸いにも、その手の相手がジャッジの店を訪れたことはないのだが。

「リゼルさんと話してると忘れがちだと、冒険者ってそういう人たちなんだよね……」

「ドアを壊した相手には厳しい処分が下されたようです」

「そうだよね。スタッド、その時大丈夫だった? 逃げた?」

「見ていました」

当時も今と変わらず、ギルドの上階に暮らしていたスタッドだ。

不平不満たらたらでギルド前にたむろする冒険者たちを、ただ淡々と見ていたという。お陰で扉を蹴り壊した冒険者はすぐに判明し、無事に処分を下すことができたようだ。

子供の頃からスタッドはスタッドだなと、ジャッジはしみじみとしてしまう。

「ギルド長曰く、『今の冒険者は昔と比べて大人しい』らしいですが」

「それは、ほら、絶対零度ぜったいれいどが目を光らせてるから」

「その呼び方もいつの間にかされていました」

「えっ、スタッドも知らないんだ」

ジャッジとスタッドは、中心街を囲む水堀、そこにかけられた橋を渡る。

れ違う馬車に道を譲るように端を歩き、より洗練された街並みに足を踏み入れた。

「何がいいだろ、やっぱり日持ちする焼き菓子かな」

「朝、郵便ギルドに寄ってきました。度を超えたものでなければ、サルスへの郵便に重量制限はないそうです」

「じゃあ、瓶詰めとかでもいいかも」

特に菓子は、宿の老夫婦にも贈るのだ。

あまり奇をてらった物でないほうがいいだろう。王都らしいものが喜ばれるかもしれない。

いかにもザ・土産といったものは、誰かに貰わないかぎりなかなか自分では買わないので。

「お菓子は〝王都といえばこれ〟ってやつにしようか」

「それは例えば何ですか」

「え……」

二人は思わず無言で立ち尽くす。

地元民は地元の土産品のことをよく知らない。その典型だった。

スタッドは言わずもがな。ジャッジも周辺国に人気の迷宮品なら分かるが、菓子については自分で作ってしまうのもあって詳しくはなかった。

「と、とにかくお店覗いてみようか」

「分かりました」

二人は近くの焼き菓子店に入ってみた。

中心街でも外周にある店は、さまざまな客層が訪れるので賑やかだ。

ジャッジたちと同じ理由で訪れる者も多いのか、客の性別にも極端なかたよりはなく、男二人でもまったく浮くことはない。

「そういえば」

「ん?」

「あちらの宿の夫妻は、王都であの方が泊まっていた宿の女将のご両親だとか」

「あ、そうなんだ。じゃあ王都には馴染みがあるのかな」

それならば無理に、王都らしいものを選ばずともいいだろう。

「変わり種も面白そうだけど、元冒険者だしいろんな所に行ってそうだよね」

「大抵の味は食べたことがありそうな気はします」

「それに、冒険者って聞くとなんでも食べてくれそう。……イレヴンは別だけど」

「あの馬鹿のことは考えなくていいのでは」

二人は店内をうろうろと歩き回る。

甘い香りが立ち上るマドレーヌ、カラフルな色合いが目に楽しいマカロン、ザクザクと音が聞こえてきそうなビスコッティ。さまざまな焼き菓子が隙間なく並べられ、どれも魅力的に思えてなかなか決められない。

店内は、それらの菓子の匂いで満ちていた。