「団長さんは頑張りましたよ」
「てめぇ交渉もすんだな」
「団長だからやるに決まってんだろうが……」
できる、と言わないあたりにやや苦手意識が垣間見えた。
「さて、案件を詰めていこうか」
片やまったく消耗した様子のない老紳士が、朗らかに話を進める。
団長も一度大きく息を吸い、呼吸を整えた。整えたように見せているだけかもしれないが。
「後ほど、このレストランの設計者と技術者を一人ずつ派遣しよう。彼らには公演期間、ここに常駐するよう頼んでおくよ。舞台に足りない資材なども聞いてみるといい、彼らは顔が広いから用意してくれるだろう」
「助かる」
「舞台は壁に寄せているが問題ないかな」
「できりゃ水中を背景にしたいとこだな」
水中レストランは、サルスの土台から半円状に湖へと張り出している。
天井は丸みを帯びており、なるべく多くの光が入るよう計算されている。それに加え、豪奢なシャンデリアが並んでいるので夜の営業も可能だ。
舞台はサルスの土台側、つまりは品のある装飾が施されている壁側にある。
「残念だが、それは止めたほうがいい」
「そりゃどうしてだ?」
「ん」
ジルが視線で、ちょうど水面を横ぎった影を示す。小舟だろうか。
水中レストランとはいえ、水面にほど近い。陸地側が見えないよう工夫はされているも、行き交う船を見えないようにすることは流石にできなかった。
「私も景観にはこだわりたかったが、レストランを理由に航路の変更は流石にね」
「それでも、真上は立ち入り禁止にしたんですよね」
「こちらも、許可をとるのにだいぶ苦労したよ」
苦労したという割には、なんてことなさそうに老紳士は告げた。
なんとなくリゼルは思う。支配者の件でサルス上層部に突撃した際、仲を取り持ったとして老紳士が国から恩賞をもらえたとしたら、こういう点で便宜を求めるのではないかと。
とはいえ、建設当時から通行禁止にしていたというのならタイミング的にあり得ない。
ではあの時の貢献による恩賞は、一体どこに使われるのだろう。これと同じ規模の事業を進めようというのなら、成程、確かに彼が「貰いすぎだ」と返そうとするのも理解ができた。
「どうした」
「いえ」
怪訝そうな顔をするジルに、なんでもないと首を振る。
サルス上層部への突撃、それに関連するものを口にするなど、
リゼルのさりげないご機嫌取りは、密かに続いていた。
「天気が悪けりゃ水も濁るっつうしな。こっちは無理か」
団長が名残惜しそうに、ガラスの向こうの水面を見上げる。
「ただ、なるべく光は受けてぇんだよな」
「ではあちらかな。背後が壁だから、カーテンを引けば演者の入れ替わりも容易だろう」
「いや、ここいけるか。舞台は円形がいい」
彼女が指さしたのは、レストランのほぼ中央だった。
真ん中に舞台を置いて、観客が周囲を囲む形だ。中心よりもやや壁よりなので、そちらだけは席を置かないのかもしれない。イレギュラーではないが、前例がないこともない配置だった。
「ここだと、それほど大きな舞台は置けないよ」
「一人が演じられんなら十分だ!」
団長が勝気に笑う。
恐らく、中央に立つ演者だけを際立たせる配置になるのだろう。なるべく全役者の見せ場を作りたいと脚本づくりに励んでいた団長からは、少しばかり矛盾しているような気もした。
だが、恐らく心配することはないのだろう。彼女は、己を曲げることなど決してないとばかりの強い眼差しで、自らの発想を実現すべくレストランのあちこちに目を通していく。
「食いながら見てもらうなら、スタッフの動線も考えなきゃなんねぇなコンニャロ!」
「食事と観劇を一緒にするんですか?」
「聞いたことねぇな」
「私としては、劇場として貸し出すつもりだったんだが……」
「あとで企画書出すから検討しといてくれ!」
顔を見合わせる三人にそう言い残し、団長は紙とペンを手に脚本の世界へと旅立った。
劇団〝Phantasm〟主催。演目、人魚姫。
空に、吹く風に波打つ水面がある。そこから差し込む日差しが、中央の舞台にいる少女の白い肌に、青い鱗を映し出しては揺れていた。
大きな貝殻に身を任せ、彼女は伸びやかな声で波の言葉を歌う。
その
彼女は歌う。
自らを包み込む海の温かさを。体を揺らす波の心地よさを。海底の砂の煌めきを歌う。
「見ろ、見ろ、あいつは海にしか興味がないんだ」
いつの間にか客席に現れていた少年が、近くに座る少女に呆れたように告げた。
鱗を
少年は席に座る人々と視線を合わせ、触れられる距離をゆっくりと歩いていた。
「海を愛して、海に愛され、そのうち泡となって消えていくんだろうさ」
吐き捨てるように告げ、少年がリゼルを見つける。
美しい
その旋律の中を、少年はまっすぐにリゼルのもとへと歩んだ。明確な意思を持った足取りに、人々のざわめきが徐々に大きくなっていく。
「なぁ、一緒に考えてくれよ」
リゼルのすぐ隣で、テーブルに手を添えて、はっきりと少年は告げた。
リゼルは座ったまま、ただじっと少年を見上げていた。
それは確かに、海への愛を歌い続ける少女に恋い焦がれる少年の顔だった。
「あんたならどうする?」
何か言うのを、求められているのだろうか。
リゼルはふと、同席しているジルたちを見た。ジルは感心半分呆れ半分で肉を食べ、イレヴンはいまだに少年の正体が信じられないのか半目になっている。
そしてクァトはというと、完全に世界観に呑まれているのだろう。真剣な顔でリゼルの答えを待っている。その手元は完全に隙だらけで、半目で少年を凝視するイレヴンに食事を掠め取られていた。
「俺は……」
答えるべきなのだろう。
周囲が
凄いことを考えるなと、リゼルは客席の間を行き来する演者たちを眺めた。
今回は劇団からの設営依頼は出なかったようだ。リゼルが知らないうちに出て、知らないうちに捌けた可能性もあるが、恐らく老紳士や紹介された建築士の
しかし、劇場を紹介した礼なのだろうか。
冒険者ギルドごしにチケットが贈られ、これはぜひ見なければと、リゼルは初めて何の前情報もなしに彼らの演劇を見ている。
「凄いですね」
「何がだよ」
「間違いなく演劇なのに、別物みたいに新しくて」
食事にばかり没頭しないよう、演劇にばかり没頭しないよう、絶妙なバランスの脚本が形作る世界。それこそが、観客も演者として扱うというものだった。
とはいえ食事の邪魔をしないよう、演者からの絡みは一瞬。絡む相手もよく選んでいる。
酷くアドリブ力が求められるも、それこそ劇団〝Phantasm〟の得意分野だ。皆いきいきと演じているように見える。
「これなら舞台が狭くても問題ないですしね」
「レストラン丸ごと舞台にしてんだもんなァ」
実際にレストラン中央に置いた舞台は、美しい人魚の少女が独占している。
大きくも繊細な貝殻が煌めき、少女は時折ゆったりと姿勢を変えながら歌い、もっとも美しい光景がみられる場所。たおやかな仕草で、美しい旋律を奏でる少女が、まさか背景音楽の役割を果たすとは。
「そういえば今日、ヴァイオリン演奏がないですね」
「また手首でも捻ってんじゃねぇの」
「まさか。裏方でしょうか」
リゼルは可笑しそうに眼を細め、レストランを見渡した。
手首を捻った時に回復薬をかけられて泣いていた姿も、なぜかアスタルニア王族の前で延々生演奏することになって泣いていた姿もどこにも見当たらない。演技はできないと聞いたことがあるし、やはり裏方に回っているのだろう。
「(それにしても)」
リゼルは老紳士の穏やかなたたずまいを思い出す。
彼は確かに伝統を大切にするが、新しいものを育てることにも積極的だ。団長から持ち込まれた新しい演劇の形も、きっとすぐに理解を示して了承したに違いない。
なにより新しい店舗は、何をおいても周知が最優先だ。
この演劇が話題性として非常に優れているのは考えるまでもなく、老紳士に断る理由など一つもない。
「上手いなぁ」
「?」
「劇団員の方、みんな演技が上手ですよね」
「えん……ぎ……?」
正直に言うのも憚られ、そつなく返せばクァトの夢をもれなく壊してしまった。
こうして劇団〝Phantasm〟の初回公演は、見事に大成功を収めることとなった。