「嫌じゃねぇけどさァ……」
「報酬は弾んでくれるらしいですよ」
「通行証でもくれんのかよ」
「それは俺も聞いてみましたけど、用意はできても冒険者は入国できないみたいで」
用意はできるのか、とジルとイレヴンは一瞬無言になった。
ジルも冗談半分で口にしたので、まさか肯定が返ってくるとは思ってもみなかったからだ。
「冒険者は全員ムリ?」
「基本的に商人以外は無理らしいです」
「じゃあ商人になりゃ入れんだ」
「転職しますか?」
「じょーーだん」
弾かれたように笑うイレヴンだが、その手元は一切揺らがない。
流石だなと感心しながら、リゼルは少しずつ削られていく爪を眺めていた。
「現物支給は」
ジルは金貨よりロマネの酒が欲しいらしく、それを隠そうともしない。
それもそうだろう。幾ら金を積んでも手に入らない、そういうものの代表格だ。
その希少価値は、空間魔法と比べても引けを取らない。
「交渉済みです」
「やりィ」
「一本だけですけど、
「充分だろ」
ジルが唇の端を持ち上げるようにして笑みを浮かべる。
イレヴンも乗り気になったようで、これならば老紳士には快い返事ができそうだ。
リゼルは飲めない己を少し悔やむ。どれほどの酒なのかと、気になって仕方がなかった。
「なので、クァト」
「?」
リゼルの呼びかけに、うつらうつらしていたクァトが顔を上げる。
「襲撃犯が来るかもしれないので、当日は別の宿に泊まりますね」
「ん」
「それで一つ、お願いがあって」
「うん」
「できるだけ君も宿に残って、お爺さまとお婆さまを守ってほしいんです」
クァトは鈍色のまつ毛の下で、一度、二度と目を瞬かせた。
リゼルの言葉の意味を考えているのだろう。数秒の間が空いて、彼はこくりと頷いた。
「守る」
「お願いします」
「その、襲撃犯? 来る?」
「可能性はゼロではない、くらいです」
リゼルたちが通行証を持っているとバレた場合にどうなるか。
直接奪いにくるならばともかく、人質をとって交換条件を出される可能性もある。
幸いと言っていいかは分からないが、今のところ、サルスでリゼルたちが
なにせ、依頼決行は明後日だ。
今日パーティの了承を得て、明日冒険者ギルドで依頼を受け、明後日に通行証の引き渡し。
余分な情報を漏らさないためとはいえ、流石は老練の商人だ。計画実行がとにかく早い。
「その可能性あんのに断らねぇのか」
「珍しっ」
「それなんですけど」
意外そうな二人に、リゼルは苦笑を返す。
「俺に話を持ってくる前に、もう宿のお二人には了承をとっていたみたいで」
「あ?」
「お爺さま曰く『望むところだ』、お婆さま曰く『受けたい依頼なら受けてちょうだいね、私たちはそっちのほうが嬉しいわ』らしいです」
「つよ」
「むしろ、わざわざ違う宿をとらなくていいのに、とまで言われました」
宿に帰ってきた際、一応の確認に向かったリゼルに、二人は笑ってそう告げたのだ。
遠慮や気遣いなどではなく、たとえ本当に襲撃を受けようが本気で気にしないのだろう。
そう如実に伝わってくるような言葉だった。安心して依頼を受けられるというものだ。
「でも、別の宿、行く?」
「はい。依頼人の方が用意してくれた宿です」
「あー、はいはい、で、その情報流すんだ?」
「内通者が襲撃犯にコンタクトをとるところを押さえたいですしね」
とはいえ、内通者云々はリゼルたちが勝手に予想しているにすぎない。
老紳士は敢えてそれを悟らせるような説明をしたが、基本的には依頼に関係する内容ではなかった。親切心で、こういう裏事情があるよと知らせてくれただけだろう。
話も散らかってきたしと、リゼルは改めて依頼内容の全容を口にする。
「依頼は、ロマネへの通行証を丸一日守ること」
「りょうかーい」
「通行証を狙う相手が現れるかもしれないので要注意です」
「了解」
「美味しいお酒を飲むために頑張りましょうね」
「リーダーも飲む?」
「飲ませんな」
リゼルは少しばかり残念に思いつつ、老紳士へと依頼を受ける旨を伝えたのだった。
そして依頼当日、リゼルたちは老紳士から一冊の本を受け取った。
「私のおすすめだ。楽しんでくれると嬉しいな」
「有難うございます」
リゼルは微笑む。受け取った本こそが通行証なのだろう。
間に挟まっているのか、それこそ本自体が通行証の役割を持つのか。
老紳士の言い方からして、目を通しても問題のない本なのだろう。あとで中を覗いてみよう、なんて思いながら丁寧にポーチへと仕舞った。
「それで、そちらの方は……」
「ああ、彼女はうちで外交を担当してくれていてね」
老紳士の紹介に、女性は
年頃は妙齢で、しっかりと結い上げた髪と
冒険者相手にも礼を尽くしてくれるのは、流石は外交担当か。振る舞いに嫌味がなく、言葉遣い一つとっても親しみを抱きやすい。そんな女性だった。
「ロマネとの取引も、ここ十年は彼女が担当してくれているんだ」
「なら、襲撃にあったのも?」
「そうだね。幸いにも、傷一つ負ったことはないが」
リゼルの気遣うような視線にも、女性はあっさりとした笑みを浮かべてみせる。
そもそもロマネとの交易には襲撃が付きもの。往路での襲撃が問題視されているだけで、復路では毎年欠かさず、護衛が盗賊を千切っては投げ千切っては投げといった光景が見られるという。
それで
「彼女にはこの後すぐ、護衛をつれてロマネへと出発してもらう」
賑やかな空気のなか、老紳士がわずかに声を潜めた。
その言葉に、イレヴンが控えめながらも怪訝そうな声を上げる。
「はァ? 通行証は?」
「囮っつうことだろ」
「今日出発と見せかけて、明日に本命の隊商が通行証を持って出発する、ですか?」
「そう、ルートもメンバーも変える」
老紳士が笑みを深め、意味ありげに片眉を持ち上げてみせた。
「これを知っているのは、ロマネとの交易に携わる者だけでね。私と、君たち、彼女と、ここにはいないが後二人だけだ。今日、彼女に同行する護衛たちにも伝えていない」
「雇い主クズで可哀想」
「つっても護衛はやること変わんねぇだろ」
「もちろん報酬に色はつけるよ。君たちも、くれぐれも他者に漏らすことのないように」
「分かりました」
頷くリゼルに老紳士は軽くハットを上げて、大橋へと靴先を向けた。
「宿も好きに使ってくれていい。じゃあ、よろしく頼むよ」
出発する隊商を見送るのだろう。
女性と共に去っていく老紳士を見送りながら、ふむとリゼルは思案する。
並ぶ二人の背中は親しげで、随分と付き合いが長いのだろうと思わせた。女性が外交を任されるようになって十年と言っていたし、短くとも二十年以上の付き合いがあるはずだ。
手塩にかけて育てた自慢の部下なのだろう。いつか自分が支えようと憧れる上司なのだろう。
深い信頼関係がある、そう思わせる二人だった。
「(なら、もしかして)」
「リーダー?」
思考に
行かないのかと不思議そうな瞳が二対、まっすぐにリゼルへと向けられている。
「いえ、行きましょうか」
三人は、老紳士が手配した宿へと真っすぐに向かうことにした。
もちろん道中でしっかりと食糧を調達する。腹が減っては攻略できぬ、冒険者の常識だった。
老紳士によって手配された宿は、比較的門に近い市街地にあった。
特別栄えている訳でも、
四階建てで、二階から四階が客室。ワンフロアに三つの部屋があり、その他設備は一階に集められている。特出したところのない、綺麗にまとまった宿だった。
「誰も泊まりに来ないですね」
「そもそも宿の人間がいねぇよ」
「絶対わざとじゃん」
リゼルたちは四階の真ん中の部屋に陣取っていた。
時刻は夜。昼間はまったく平和だったので、今のところ三人はのんびりしているだけだった。
元々、昼間に何かあるとは思っていない。何をするにも人目につくので、後ろ暗いことをしようとしている人間は活動を避けるだろう。
折角、夜には
「クソ爺の持ち宿だったりすんのかな」
「好きに使えっつってんならそうなんだろ」
「手広くやってますね」
リゼルたちはすっかりと夕食も済ませ、今はカードゲームに興じていた。
これも立派に依頼に関係がある。三人揃って寝る訳にもいかないので、見張りの順番を決めているのだ。ついでに、どのベッドを使うのかも。
どの部屋にもベッドが三つずつあったのは、普段からそうなのか、それともリゼルたちに合わせてセッティングしたのか。
普通ならば後者など思いつきもしないのだが、相手が相手なだけにやや疑わしい。
なにせ老紳士はインサイの旧友、もとい腐れ縁。大侵攻の際には空き家を用意し、世話役を派遣し、危機的状況にあって上げ膳据え膳の環境を整えた男と、知古の仲なのだから。
「あ、アガリです」
「うわ、久々負けた」
「最初の見張り、貰いますね」
「ベッドは真ん中使え」
「分かりました」
ベッドを選ぶ権利をさりげなく奪われたが、リゼルは気にしない。
その後のゲームで、ジルが窓際、イレヴンが扉側のベッドを使うことになった。
襲撃を見据えて選んだ、というよりもただの好みだろう。イレヴンは朝が眩しいという理由で窓際を嫌い、ジルは朝に目を覚ましやすいからという理由で窓際を好みがちだ。
「じゃあジル、次に起こしますね」
「ああ」
「寝よ寝よ」
「おやすみなさい」
ジルとイレヴンが、装備の上着だけ脱いでベッドに潜っていく。
それぞれの剣は枕元に立てかけていたり、腰元に置いていたりと個性が出ていた。
リゼルには分からないが、置く場所によって剣が抜けやすい抜けにくいがあるのだろう。
「(明かり、つけっぱなしだけど)」
寝られるのだろうか、と毛布に潜り込んだジルたちを眺める。
三人は今いる部屋以外、全ての客室の明かりをつけ、更にカーテンも閉めていた。
これで外から見ても、どこの部屋に誰がいるのか見分けがつかないだろう。
明かりを全て消す案もあったのだが、有事の際に立ち回りにくいからとこちらを選んだ。
「(さて)」
リゼルはいそいそとポーチから一冊の本を取り出した。
通行証として老紳士に渡されたものだ。昼の間にひと通り目は通しているものの、ほぼ流し読みだったのでじっくりと読み込みたかった。
この本だが、なんと一冊丸ごと通行証というとんでもないものだった。
まずは国の紋章が緻密に描かれており、続いてロマネ公国におけるあらゆる組織、栽培管理者、醸造所、ビン製造所、ラベル製作所などの印章が
続いて国産の酒の流通を認める旨と、本の持ち主である老紳士の商会の細かい情報。過去の入国記録、種類別の取引数、一本一本の金額はもちろん、それがどこの果実園や畑からとれたものを使っているのかまで、
更には何十ページにもおよぶ流通規約まであり、流通の始点となる商人たちにはかなりの責任が伴うのだろうと伝えてくる。
とはいえ二次流通に関しては、そこまで徹底されている印象はないが。
「(ブランドイメージを下げないため、かな)」
敢えて数量制限をして、希少性を高めているようにも思えない。
ならば手間暇かけ、妥協せず、最高品質を極めた酒が正当に扱われるための決まり事だ。
「(勿体ないなぁ)」
そんな比類なき逸品ではなく、ただ金になるだけの通行証が狙われる。
価値の逆転が起きているのではと思わずにはいられなかった。
「(来るかな)」
来るだろう。襲撃者は、必ず来る。
それが老紳士にとって、もっとも都合がいいからだ。
「(頑張ろう)」
リゼルは気合を入れた。
それというのも、自分が見張りの時に襲撃があった場合、できるだけ一人で頑張ってみるとジルとイレヴンには伝えてあった。
深い理由はない。ジルやイレヴンだったら、誰も起こさず片付けるだろうと思ったからだ。
自身の実力を二人と並べるつもりはないが、二人を起こさずに済むのならそれに越したことはない。とはいえ依頼に私情を挟んで失敗する訳にもいかないので、無理そうなら遠慮なく起こすことになるだろう。
そのまま読書を続け、リゼルがロマネ公国の流通規定を修めようとした頃だった。
ふと物音がした気がした。金属音のような音で、階下から聞こえてきたようだった。
リゼルは通行証を閉じて、静かに椅子から立ち上がりながら耳を澄ます。
通りすがりの誰かが、ドアノブに袖を引っかけただけならそれでいい。だが続いて聞こえてきたのは、ガチンと金属製の何かを叩いたような音だった。
「(慣れてそうかも)」
音は一度きりで、こじ開けようと試行錯誤する様子もない。
その一度だけならば、近所の人間も不振に思うこともないだろう。それこそ、誰かが飲んで帰ってきて玄関を開け損ねたかと、そう思われるだけだ。
リゼルはいまだ眠り続けているジルとイレヴンを見る。
いや、眠り続けるフリをしてくれているジルとイレヴンを、だ。任せてくれるらしい。
「(よし)」
リゼルはまず、通行証を安全なところに隠すことにした。
なるべく静かにジルのベッドに歩み寄り、ずぼりと彼の頭が載っている枕の下に突っ込む。
流石に予想外だったのか、小さく
「(後は)」
襲撃犯はすでに侵入してきているだろうか。
扉に顔を寄せ、足音から何人が来ているのかを探ろうとする。分かるはずもなかった。
「う~ん足音は三人分むにゃむにゃ」
棒読みの寝言がイレヴンから