下水道から出た俺達は早速街道に向かって走り出した。追い縋ってくるゴブリンその他の魔物達を振り切って一気に森を駆け抜ける。
とはいえ、街道まで奴らを引っ張っていくわけにもいかない。実はモンスターのトレイン事故はこの世界では立派な犯罪である。
「森を出る前にここまで追ってきた奴らだけ始末しましょう」
森の出口にほど近い場所で足を止め、メルティは静かにそう言った。結構な距離を走ったのに息も乱れていないし、汗一つかいていない。見た目は美人系のお姉さんだけど、やはり一対一でならスライム娘達に勝てると言うだけのことはあるのだろう。
「わかった」
俺も立ち止まり、ゴーツフットクロスボウを取り出す。
槍? 接近されたら使うよ。接近されたらね。近接系のスキルを取っているわけでもなし。敢えて接近戦を行う必要なんてこれっぽっちもないわけでな。
「メルティ、俺がやるからここは――」
「いいえ、ここは私にお任せください」
ザリ、と音を立ててメルティは俺を庇うかのように一歩踏み出した。それと同時に奥の茂みからゴブリンが三匹飛び出してくる。
『GYAGYAGYAGYA!』
『GUGGEGEGEGE!』
『KYEEEEE!』
飛び出してきたゴブリン達は前に立つメルティを観察し、ニタリと醜い笑みを浮かべた。女だから弱そうだ、とでも思ったのだろうか。それとももっと別な意味の笑みなんだろうか。
そういえば、この世界のゴブリンってどういう生態なんだろう。多種族の女子供を巣に連れ去ってR−18展開なアレをやる奴らなんだろうか? 今度誰かに聞いてみよう。女性以外に。
「三匹だけですか」
「アレくらいなら俺が――」
瞬間、血の花が三つ咲いた。
いかなる術理が働いたのか、三匹いたゴブリンが何か得体の知れない攻撃によって血煙と化したのだ。メルティはその場から一歩も動いていない。ただ、いつの間にか三匹のゴブリンがいた方向に掌を突き出していただけである。
え、なにそれは。剛○波? ○掌波なの?
俺の視線に気付いたのか、振り返ったメルティが笑みを浮かべる。
「行きましょうか。早く帰りましょう」
「はい」
俺は素直に頷いた。
無音、不可視の致命的な一撃。しかも範囲攻撃。そんな一撃をこともなげに放つメルティさんに逆らえるわけがない。もう、メルティ一人で聖王国軍とかなんとでもなるんじゃないかな?
「なぁ、メルティ」
「はい?」
森を抜け、街道に向かって歩きながらメルティに声を掛けると、俺の横を歩きながらローブの前をしっかりと留めていたメルティが俺の顔を見上げてきた。
「実際のところ、メルティってどれくらい強いんだ? シルフィとかレオナール卿とかザミル女史とかと比べると」
「そうですね……本気を出したシルフィとなら互角か、僅かに私が上でしょうか。単純に武器や肉体だけを使った戦闘ならレオナール卿やザミル女史の方が上だと思いますけど、魔力を使うと二人がかりでも私は倒せないと思いますよ。あと、単に魔力や魔法だけを使って戦うなら技術やできることの幅の差でアイラが勝つと思います」
「……メルティめっちゃ強くない」
「強いですよ。魔神種ですから」
あっけらかんとそんなことを言うメルティに対し、俺は首を傾げる。
「そんなに強いのに、なんで内政官なんて役職に就いていたんだ? というか、魔神種ってなんだ?」
「そうですね……理由は色々と複雑です。コースケさんは取り換え子というものをご存知ですか?」
「
俺の知っているチェンジリングというのはファンタジー世界でのチェンジリングについてだ。現実世界にも伝承があったみたいだけど、そっちのはよく知らない。
俺の出した事例で言えば、両親のどちらか、或いは両方の血筋にハーフエルフやエルフの血が入っていたために起こる隔世遺伝、って印象がある。
「ええ、そうです。私の両親はごく普通の羊獣人でした。身体能力も、魔力も人並みです。人並み、というのは羊獣人の中で標準的という意味ですけど」
「なるほど」
「でも、私は普通ではありませんでした。走れば猫獣人や狼獣人をぶっちぎり、熊獣人や象獣人の大人がやっと持ち上げるような荷物を片手で持ち上げる。魔法を使えば単眼族や天魔族にも劣らない。私が魔神種であるということはすぐに周囲に知られ、当然メリナード王国にも知られました」
「それは目立つだろうな」
そんな傑物が居ればさぞ目立つことだろう。魔神種という存在が広く知られているのであれば、国がその存在を察知する仕組みがあってもおかしくはない。
「王国に引き取られた私は教育を受け、密かに王族の警護任務に就くことになりました。見た目は普通の羊獣人ですから、警戒もされにくいですしね」
「なるほど」
話を聞く限り、普通の羊獣人は剛掌○なんて使えないんだろうな。使えたら怖いけど。
だから、身辺警護にはもってこいってわけだ。内政官や侍女と偽って要人の傍に置いておけば威圧感も不信感も与えることなく対象を警護できるわけだし。
「戦争の時には私も暴れようと思ったんですけどね。王様に言われたんです。今は潜伏してシルフィのもとまでなんとか辿り着き、側にいてやってくれと。ただ、オミット大荒野を単独で縦断するのは流石に難しいですから。チャンスを狙って潜伏しているうちに何年も過ぎて、反乱が起きて、ダナンさん達に合流してなんとかオミット大荒野を縦断し、シルフィと再会して今に至るというわけです」
「縦断ってそんなに難しいか?」
十分に物資を揃えれば可能そうだけど。水やシェルターは魔法でも作れそうだし。
「難しいですよ。ギズマなんてなんとでもなりますが、一人で持てる食料や水の量なんて高が知れていますし、一人では休むこともできません。休むことができなければ魔力もそのうち尽きます。そして、寝ている間にギズマに襲われたら死にますからね。十日間、あの荒野を単独で行くのは不可能です」
「そうか……そうだな」
無尽蔵に物資を持ち歩くことができ、その上好きな場所に安全なシェルターを作ることができる俺だからこそ簡単に思えるんだな。確かに能力なしで単独行は無理ゲーだわ。
「うん? そうするとメルティってなんさ――」
ヒュゴッ、と音がしてメルティが俺の目の前に移動していた。顔はニッコリと笑っているけど、威圧感が凄い。
「コースケさん、女性に歳を聞くのはデリカシーの無い行為だとは思いませんか?」
「一般的にはそうだと思わないでもないけど、メルティに対しては思わないなぁ。だって、何歳でも綺麗で美人なことには変わりないし。エルフみたいな長命種もいるんだから、気にする必要なんて無いんじゃないか? 俺が気になったのは魔神種だと普通の羊獣人よりも寿命が長いのかどうかってことだし。確か獣人って人間とさほど寿命が変わらないんだよな?」
俺は威圧感に負けず持論を展開した。威圧感は怖いし、言うことはもっともだと思うけど知的好奇心は抑えられないんだ、俺は。
メルティはそんな俺を暫くジト目で見つめた後、目を瞑って溜息を吐いた。
「シルフィよりはちょっと年上です。レオナール卿よりはずっと年下ですよ。あと、魔神種は寿命も長いです。通常種の大体五倍くらいは生きるそうです」
「なるほど、そりゃ凄いな。隔世遺伝というよりは突然変異なのかね」
突然変異すると寿命が伸びるってのも変な話に思えるけど。なんとなく短命なイメージがあるし。
実際には隔世遺伝とか突然変異なんて現象じゃなく、もっと別の現象なのかもしれないな。
そんなメルティの身の上話を聞いている間に街道に出た。人通りはまばらで、森の方から出てきた俺達に訝しげな視線を向ける者もいたが、関わり合いになろうとは思わなかったのか、すぐに興味を失ったかのように視線を逸らして自分の目的地に向けて歩を進めていった。
「街道に出ましたね。どうしますか?」
「このまま街道を普通に歩いていったらどれくらいかかるんだ?」
「天気次第ですけど、二週間から三週間くらいかかるんじゃないですかね?」
「二週間から三週間……うーん。もっと早く着く方法はないのか?」
「ありますよ。実は、メリネスブルグとアーリヒブルグって直線距離はそんなに遠くないんです。ただ、二つの間にはですね」
そこまで言葉を口にしてからメルティは指先をある方向に向けた。その方向には深い森があり、更にその先には見るからに峻険な山々が見える。
「ソレル山地があるんです。見ての通りなかなかに峻険な山が多い土地である上に、そこそこ強力な魔物も多いんですよ。オミット大荒野よりも危険度は上ですね」
「なるほど……つまりぐるっとあのソレル山地を迂回していく必要があるわけか」
「そういうことです。私とコースケさんならもしかしたら突っ切ることも可能かもしれませんけど」
「いや、ちょっとリスクに見合わないかもしれないな。二人きりということは、どちらかに何かがあればそれで詰みかねないし。強力で凶悪な未知の魔物よりは、まだ悪意を持った人間の方が既知である分対処のしようもあるんじゃないかな」
俺が人の悪意に敏感であるかどうかという点は置いておいて。正直、この世界の常識というものをどこまで理解しているかと言うとかなり怪しいので、他人の振る舞いに関して悪意があるかどうかを察知できる自信はあまりない。ということをメルティに言ってみると。
「私がついていますから」
そう言ってメルティはにっこりと微笑んだ。これはきっと私に任せろということなのだろう。
「それじゃあ不自然じゃない程度の速度で歩くとするか」
「はい、そうしましょう。大体徒歩三時間くらいの間隔で休憩所や宿場、村なんかがありますから。今日のところはまずアルマスに向かいましょう」
「アルマスね。どんなところなんだ?」
歩きながらメルティに目的地について聞いておくことにする。
「メリネスブルグの食を支えるための大きな農地を持つ農村です。メリネスブルグの人口を支えるために、そういった食糧生産地がメリネスブルグ近郊には多いんです。宿場町としての機能も持っていますから、宿を取るのに苦労はしないと思いますよ」
「なるほど。今から歩くとどれくらいに着くんだ?」
「休憩所を経由して、日が落ちる前には着きますね。今日はベッドで寝られますよ、コースケさん」
「いやうん、それはそうだな」
「楽しみですね」
そう言ってそれはもう嬉しそうににこにことしながら歩くメルティから目を逸らして街道をゆく人々に視線を向ける。
こちらはアーリヒブルグに向かう方向だからか、俺達のような旅人はほとんどいないな。アーリヒブルグ方面から農作物その他の商売に来て、帰るって感じの人が多い。逆に、アルマス方面から来る人々は長期の旅行者……というか避難民っぽい人が多い。それも護衛付きのちょっと余裕の有りそうな人が。やっぱり戦争に巻き込まれるのは嫌だよなぁ。
そうしてテクテクと歩くこと三時間ほど。特にこれといって問題もなく休憩所に辿り着く。
「これが休憩所か」
「はい。ちょっとした水源があって、周りの森が切り拓いてあるだけですけど」
「なるほどなぁ」
正直、俺から見ると手を入れたい部分が多すぎる場所である。そこそこ手が入っているのは給水所だけで、その給水所もかなり老朽化しているように見える。丸太を輪切りにしただけの椅子も大半は腐りかけって感じだし。
「まぁ、さっさと休むか」
「そうですね。足とか揉みます?」
「そこまで疲れてないかなぁ」
なんてことを言いながら程度の良さそうな丸太椅子を見繕って二人で座り、革の水筒から水を飲みながらブロッククッキーと干し肉を齧る。
そうしている間に少しずつ人が増えてきた。恐らくメリネスブルグから来た旅人とアルマスから来た旅人が到着し始めたんだろう。どこから来たのか、停まる馬車もある。
旅人の大半は人間だが、亜人もゼロというわけではない。皆奴隷の首輪らしきものを装着しているし、亜人だけで行動しているような旅人は皆無だけど。
しかし見目の良いメルティは視線を集めるな。さっきからジロジロと遠慮のない視線が向けられているのを感じる。同時に、メルティを連れている俺にも。
「さっさと行くか」
「はい」
居心地があまり良くないので、俺達は休憩もそこそこに休憩所を後にすることにした。
「思ったよりも視線が厳しいな」
「そうですね……何かあった時のためにカバーストーリーを考えたほうが良いかもしれません」
「カバーストーリーね……まぁ、あったほうが良いかな」
メリネスブルグに入るときに事前に考えておいたカバーストーリーが役立ったことを思い出しながら同意する。
それから俺達はカバーストーリーを考えながらアルマスに向かってテクテクと歩き続けた。考えるだけの時間はある。使うことがなかったら無駄になるかもしれないが、メルティと一緒におしゃべりをしながら歩くのは楽しい時間と言えた。
◆ ◆ ◆
厄介事が起こったのは翌々日、メリネスブルグを発って三日目のことだった。
「どう思う?」
「うーん、あまり良くありませんね」
そろそろ日も傾き始めようかという頃合いで本日の宿を取ろうとしていた村が見えてきたのだが、どうにも様子がおかしい、というか物々しい。村の周囲には幕舎が何棟も設置されており、遠目にも聖王国軍の兵士らしき人々が見える。
「やっぱり怪しまれるか?」
「いえ、そうではなく。私ってコースケさんの性奴隷という形で同行しているじゃないですか?」
「ま、まぁ、うん」
面と向かって性奴隷とか言われてしまうとなんとも落ち着かない気分になる。
「聖王国軍に目をつけられると、私を『供出』しろと迫られる可能性があります」
「……それってつまりそういうことだよな」
「そういうことですね」
つまりメルティがそういう扱いを受けるということである。受け入れられるはずもない。
「今からあの村を素通りってできると思うか?」
「素通りするなら引き返して脇道に入るか、あっちの森を抜けるかする必要がありますね。あと、多分もう見られてますね」
そう言ってメルティが金色になった目を細めて村の方に視線を向ける。
「どうしますか?」
「選択肢は二つだ。何も起こらないことに期待してこのまま進み、問題が起こったら全部ぶっ飛ばして押し通る。そしてもう一つは引き返して脇道を行くなりあっちの森を越えるなりしてあいつらを避ける。わざわざ追ってこないだろうという可能性に賭けるわけだな」
「そのまま進めば十中八九絡まれますし、引き返したり脇に逸れたりすれば後ろ暗いところがあるんだろうということで追ってくるでしょうね。そしてどちらにせよ私は彼らの慰み者になることを求められると」
「ははは、詰んでるなぁ」
「詰んでますね。ならましな方を選びましょうか」
「そうだな。同じ難癖をつけられるのでも、向こうに口実を与えるのは悪手だものな」
「はい。大体ああいう輩の言うことは想像がつくので。今から言うことをよく聞いてくださいね」
と、メルティは俺に入れ知恵を始める。俺は弁の立つ方かというとそうじゃないからな。本当はメルティが全部受け答えするのが一番良いんだろうけど、立場的にそういうわけにもいかないので村に着くまでの僅かな間にできるだけの入れ知恵をしてもらう。
村に向かって進んでいくと、道の両脇に建てられた幕舎やその周辺で休んでいた聖王国軍の兵がメルティに向かっていかにも無遠慮な視線を投げかけ、口笛を吹いたりし始めた。うーん、実は隊内の規律がしっかりしているのでは、という望みも断たれたな、これは。
視線を浴びながら村へと足を踏みれようとしたところで俺達の前を遮る者達が現れた。
「村に入るなら通行料を払って貰おうか」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら俺達の道を遮ったのは聖王国軍の鎧を身につけた男だった。まぁ、有り体に言えば兵士である。
「村に入るのに税金が必要というのはあまり聞いたことがないが」
「俺達がこの辺りの安全を守ってる。その代金を頂くだけの話だ」
「なるほど。しかし村に払うのであればともかく、軍に直接払うというのは寡聞にして聞いたことがないな。この部隊はどなたの指揮下にある何という名前の部隊なのかな?」
この物言いはメルティの入れ知恵である。後ろ暗いことをやっている連中というのはこういった情報を聞かれると狼狽えるものだと。それも、相手が落ち着き払っている場合は自分より立場が上の者に何か言われるのではないかと警戒するものだ、と。
「そ、それはあんたには関係ない話だ! 痛い目に遭いたくなきゃ通行料を払いな!」
兵士はニヤけ面を引っ込め、口から唾を飛ばしながら恫喝してきた。きちゃない野郎だ。
「関係ないことはないだろう。俺はメリネスブルグにおわす、いと尊きお方と縁があってな。今度お会いした時にこうこうこういうことがありましたとお話しせにゃならんかもしれんのだから」
そう言って兵士の顔をじっと見ると、兵士はあからさまに狼狽えた。これはまずいやつに絡んでしまったのではないか? という焦りが伝わってくる。
「何事もなければ話すことも勿論無いと思うが、誇り高き聖王の兵たる貴殿はどう思われるかな?」
「そ、そうかもしれねぇな」
「そうだろう。何も無かったのに報告することなどできないからな。ところで、通って構わないな?」
「あ、あぁ……」
立ち塞がっていた兵士が道を空けたので、その横を通り過ぎようとする。そこで俺達を呼び止める声があった。
「待て」
声の方に振り返ると、そこにいたのはあまり体格のよくない、しかし蛇のような冷たい目をした男だった。他の兵士とは少し違う格好だ。なんとなく偉そうな感じの装備である。
「何か?」
「そちらの女、首に奴隷の首輪を着けているな。つまり、亜人だろう?」
「それが何か?」
「見たところ、お前達はアーリヒブルグの方面へ向かっているようだ。前線に近くなれば近くなるほど亜人に対する対応は苛烈だ。一体何の目的でその女を前線に連れて行く?」
「こいつは俺のモノだ。俺が行く先には連れて行く。それが何か?」
俺のモノだという発言に合わせてメルティの身体がぶるりと震えた。頼むから時と場合を考えてくれ、と心の中で祈る。
「変だな。見たところ、お前は冒険者か傭兵の類だろう。この時期に前線に向かうとすれば、その目的は我々聖王国軍の兵として戦うことであると考えるのが自然だ。だが、性奴隷だか愛玩奴隷だかしらんが、亜人の女を前線に連れて行く意味が見出せん。まさか前線での行軍中にその亜人の女を連れ回すつもりか? 前線では今でも亜人どもの反乱軍との戦いが散発的に起こっている。そんな場所で亜人の性奴隷や愛玩奴隷を連れ歩くのは騒動の種にしかなるまい。実に不合理だ。故に、お前達は怪しい」
男は蛇のような目を細めて俺達を睨みつけてきた。さてどうしたものか、とメルティに視線を向けると、彼女は肩を竦めながら首を振った。
「なるほど、貴方の指摘にも一理はあるかもしれない。だが、そもそもの前提が間違っている。俺は別に前線に行くつもりではない。俺は聖王国で奴隷のこいつを買った。こいつが一目故郷を目にしたい、その土を踏みたいと言うから、遠路はるばる帝国との戦場近くから聖王国を横断し、メリナード王国に入って、こいつの故郷であるザカートに行こうと思っている」
「このご時世に長旅を? わざわざ亜人奴隷の頼みを聞いて?」
「あちらを発ったのはもう何ヶ月も前だ。その時にはメリナード王国がこうなることなんて予測の立てようもなかった。俺もそれなりに稼いだんでな、どこかに腰を落ち着ける前に見聞を広めようと思ってたのもあって、こいつの懇願を叶えてやる気になったのさ。ここまで来たらもうザカートは目と鼻の先だ。旅の目的を達しようとしてもおかしくはないだろう?」
「ふむ……」
蛇の目の男は暫し考えを巡らせるように目を閉じ、そして開いた。
「ダメだな。一見行動に筋は通っているように聞こえるが、私の疑念を払拭するに足るものではない。依然としてお前達が怪しい二人組であることは何も変わらない。我々軍は敵の密偵と疑われる人物を拘束し、尋問する権限がある」
「どうしても納得はしていただけないと」
「そうだ。お前達を拘束する」
蛇の目の男の宣言と共に兵士達が間合いを詰め始めた。
「はっはっは! いやぁ、思ったよりも上手くいかないもんだな」
そんな兵士達の機先を制するように俺は笑い声を上げた。続いて俺の発した言葉の意味を計りかねたのか、兵達の動きが止まる。
「そうですねぇ。どうしましょうか?」
メルティがいかにも困ったという表情を浮かべ、頬に手を当てた。その仕草はどこか芝居じみていて、これもやはり兵達の行動を遅らせたようだった。
「もはやこれまでということで。まぁ逃げるが勝ちだな」
そう言って俺は手に持っていた短槍をインベントリに仕舞った。逃げるとなるとこんな長い得物は邪魔で仕方がない。
「この状況から逃げられるとでも?」
俺達のどこか芝居がかった態度が気に食わないのか、蛇の目の男はもとから鋭い視線を更に鋭くしてこちらを睨みつけてきた。男の怒気を感じ取り、兵達がいよいよ殺気立つ。
「いやぁ、難しいな。一人も殺さずにってのは俺には無理だ。メルティはどうだ?」
「いかようにでも」
そう言ってメルティはそれはもう極上の笑みを浮かべてみせた。頼りになるなぁ。
「それじゃあ任せても?」
「ええ、お任せください♪」
メルティはそう言うと、俺を抱き上げた。さして体格が良いわけではない女が、革製とはいえ鎧を身に纏った男をヒョイと抱き上げたのだ。蛇の目の男が警戒感を露わにする。
「落ちないようにしっかりと首に手を回してくださいね?」
「これはお姫様抱っこというやつでは?」
「ふふっ、これでは立場が逆ですねぇ。いえ、囚われの身になっていたのだからこれで合っているのかもしれません」
「反論できねぇ」
本当にまったくもって何一つ反論できない。悪漢に
いよいよ準備も整った、というところで俺は蛇の目の男に顔を向けた。別れの挨拶は大事だからね。
「一応言っておくけど、俺達を追わないほうが良いぞ」
「何を――」
「いきますよー」
ズドンッ! という音と共に身体が潰れるんじゃないかと思うほどの衝撃が俺の身体を突き抜けた。衝撃のあまり強く目を瞑ってしまった。風圧とまた衝撃を感じ、気がついたら俺達は滞在しようとしていた村の外に移動していた。恐らく、メルティはあの場から『跳んだ』のだろうと推測することができた。それは別に魔法的な意味で、例えばワープのようなものではなく、恐らく彼女はその身体能力でジャンプして村一つを飛び越えたのだ。ぴょん、と。
「メルティさんや」
「はい?」
「この速度で移動を続けたら、一日でアーリヒブルグに着くのでは?」
「流石に無理ですよl。魔力も身体も持ちませんし」
「そうなのかー」
「そうなのです」
どうやら今の移動方法は魔力を使って身体能力を限界以上に引き出すとか、そういう方法をもって行われたものであるらしい。なるほど、そういうことなら確かに使い続けるのは無理か。
「あ、警笛が鳴ってますね。どうやら私達を追うつもりのようですよ」
「追わないほうが良いって言ったのにな」
「あれは追ってこいというフリだったんじゃないんですか?」
「そういう押すなよ? 絶対押すなよ? みたいなアレのつもりではなかった」
そう言って俺は走り出した。それはもう全力で。自力での走りに加え、コマンドアクションとストレイフジャンプまで使っての全力移動である。ぴょんぴょんしながら走ると何故か速くなるからね、見た目は変な感じになるけど仕方ないね。
そしてそんな俺に息一つ切らさずにぴったりとついてくるメルティはやっぱり凄いと思う。流石は魔神種ということだろうか。
「どうするんです?」
「森の中に逃げ込んで走りまくれば諦めるんじゃないかな?」
これから陽も落ちるしな。今晩の宿に関しては木を何本か伐採すれば小屋くらいはすぐに作れるし、なんとでもなるだろう。木を伐採すれば寝具を作るための繊維も沢山手に入るし。
◆ ◆ ◆
「隊長、ありゃ一体……」
ハンネスが血の気の引いた青い顔で聞いてくる。こいつはなかなかに品性下劣な奴で、アドル様の御威光を笠に着て好き放題にやらかしている。死後はアドル様に魂を灼かれて消滅するであろうことは間違いない奴だが、下士官として見ればそこそこ使える男である。
「魔神種だな」
私は大きく陥没した地面に視線を向けながらハンネスの質問に言葉短に答えた。
「魔神種?」
ハンネスは首を傾げた。残念ながらこいつの頭の中に存在しない言葉だったらしい。
「……亜人の中でも特別邪悪で、危険な奴だ」
私はこのハンネスという男にものごとというものの道理や成り立ちといったものを理解させることを諦めている。私が何を言っても最終的にはこいつは自分の欲望と本能に従ってしまうのだ。そんな男に知恵を授けようなどという一大事業はアドル様の忠実なる下僕に過ぎない私にはあまりに難しい。
「そいつは恐ろしい。だが」
「だが?」
「夢に見そうな美人だった」
「ああ、そうか」
こいつときたら一度欲しいと思うと我慢がきかない。恐らく、中身のない頭をなんとか総動員してアレを手に入れられないかと考えているのだろう。正直、アレに関わるのには戦力があまりにも足りないと思うが、アレの動向を知り、報告することはきっとアドル様の意に添うことになるだろう。
兵の犠牲は多少出るだろうが、仕方あるまい。ここでこいつを我慢させるのも難しいだろうしな。下手なことをされて大損害を出されるのは困る。
「ハンネス」
「ああ、なんだい隊長」
「笛を鳴らせ。兵を召集しろ。アレを狩り立てるんだ」
「ええっ!? 危ないんじゃないのかよ?」
「ああ、まともにぶつかればな。だが、いかに魔神種といえども亜人には違いない。飲み食いせねば弱り、やがて倒れる。そして奴らは軽装だった」
私がそう言うと、ハンネスはにたりといやらしい笑みを浮かべた。
「なるほど、つかず離れずで追いかけ回して、疲れさせっちまえばいいんだな?」
そしてこういったことに関しては頭がよく回る。だから私はこの男を重用……とまでは言わないが、使っているのだ。
「では、やれ」
「ああ!」
そして警笛が鳴らされた。
エピローグ〜岩屋を作ってやり過ごす
あれから既に三時間が過ぎ、日はほとんど落ちきって夜の
「いや、頑張るね。彼ら」
「そうですねぇ」
そんな風に呟きながら彼らを見下ろしている俺達の現在地点は彼らが必死に俺達を探索している広大な森を見下ろす位置にある岩山の山肌である。
警笛を聞いた俺達は森に逃げ込んでから暫く全力で走って距離を稼いだ後、森を移動している際に見つけたこの岩山に移動して俺が岩山を掘削。内部を掘り進めて森を見下ろせる位置に部屋を作り、入り口を岩ブロックで封鎖した。
適当に掘削しただけの岩肌が若干ワイルドな感じだが、そこそこに広く、ひんやりとした空気が心地良い。途中で木を何本も伐採しておいたので、椅子やテーブル、ベッドなんかも一通り揃っている。
「とりあえず閉じとくか」
「それがいいですね」
外の様子を見るために開けていた窓を木の板で塞ぎ、光が漏れないようにしてから『たいまつ』を取り出して灯りとする。このたいまつは普通の松明と違って光源にはなるが、熱も発しないし酸素を消費することもない。まぁ、空気穴はさっきの窓以外にも空けてあるから、酸素を消費するとしても多分大丈夫だと思うけど。
「どうしましょうか。まさか私のあれを見て追ってくるとは思わなかったんですが」
「どうしようかなぁ……ほとぼりが冷めるまでここに引き篭もってるって手もあるけど」
永遠にあのように探索し続けることなどできるわけもない。森の中には魔物も居るし、探索というのは体力も使う。負傷者が出れば手当をするために医薬品などが必要になるし、兵を動かせば食料の消費だって増える。何より、俺達がここに引き篭もっている限り彼らは毎日何の成果も得られないわけで、士気だってどんどん落ちていくだろう。
「とはいえ、あいつらに付き合ってやる必要も無いよな」
「そうですね。でも、一日くらいここでゆっくりしても良いと思いますよ? もう三日も歩きづめだったんですから」
「そうかな? そうだな」
毎日およそ六時間ほど歩き続けて今日で三日目だ。別に筋肉痛でしんどいとか、足のマメが潰れて痛いとかということはないのだが、そう言われてみると足がずっしりと重いような気もする。
この岩窟が彼らに発見される恐れはほぼ無いと思われるので、休むのにこれ以上適した場所もなかなか無いだろう。後は絨毯なりクッションなりを木を伐採して得た素材を使って作り、居住性を向上させればなおよしだな。
「晩御飯でも食べるか」
「はい。今日のメニューは何ですか?」
「うーん、そうだなぁ」
インベントリの中にはそれはもう沢山の食材や料理が入っている。インベントリに入れておけば腐ることもないし、できたての状態のまま保管しておけるので、こまめにクラフトしてはインベントリに放り込んでいたのだ。
「ふかふかのパンにトマト仕立てのロールキャベツ、それに果物って感じで」
そう言いながらテーブルの上に出現した籠に入ったパンと、深皿によそわれた赤いスープに浸されたロールキャベツ、それにこちらの世界でよく食べられているリンゴやぶどうのような果物の盛られた皿をテーブルの上に出す。
「ああ、美味しそうですねぇ」
テーブルの上に並んだ料理を見たメルティはそれはもう嬉しそうに出現した料理に視線を向けた。同じくインベントリから取り出した水入りの桶でそれぞれ手を洗い、清潔な布で手を拭いてから本日の晩御飯を食べ始める。
「そう言えば、そろそろ定期通信の時間じゃないです?」
「そうだな」
インベントリからゴーレム通信機を取り出し、ライム達のところに置いてある大型ゴーレム通信機と通信を開始する。
「こちらコースケ、聞こえるか?」
通信機で呼びかけると、すぐにあちらから応答が返ってきた。
『こちらポイゾなのです。感度良好なのですよ』
今日の通信番はポイゾであったようだ。基本、彼女達は二十四時間休むこと無く何かしらしているようだが、夜中になるとメリネスブルグの城の方でも人間達の活動量が減るからか、処理に余裕が出る――つまり、娯楽に費やす余裕が出来るのだという。
最近の彼女達にとって一番の娯楽はゴーレム通信機を使った俺とのおしゃべりなのだとか。
「今日も一日元気にしてるぞー、って報告だな。まぁ、今日はトラブルもあったが」
『トラブルなのです?』
「ああ。今日泊まろうとした村に聖王国軍が駐屯しててな。どうにも怪しいってことで拘束されかかったんで、逃げた。今、兵士の皆さんは夜の森を絶賛捜索中だな」
『大丈夫なのです? 声が落ち着いた様子だから大丈夫そうですが』
「ああ。近くにあった岩山に穴を掘ってな。快適空間にして潜伏中だ。出入り口は埋めたし、まず気づかれることは無いだろうな」
『それで兵士達は見つかるはずのないコースケ達を探し続けるのです? ご苦労さまなのですね』
まったくもって気の毒そうには思っていなそうな声が通信機越しに聞こえてくる。ポイゾにしてみれば聖王国軍の兵士が意味もなく右往左往して消耗するのはざまぁ見ろといったところなのだろう。
「三日歩いて少し疲労も溜まってきたし、明日一日を休養日として聖王国軍の様子を窺うことにする予定だ。諦めてくれれば動きやすくなるからな」
『そうなのですか。まぁほどほどにしておくのですよ?』
「何をだ?」
『これはコースケじゃなくてメルティに言っているのです』
ふと視線を上げると、メルティがそれはもう物凄く機嫌良さそうにニコニコとしていた。
「いや、流石にこの状況ではマズいのでは」
「コースケさん」
「はい」
「私、この三日間我慢したと思うんです」
「お、おう」
「一緒にずっと歩いて、コースケさんの真面目な顔、笑った顔、物憂げな顔、ちょっと困った顔、私のことを意識して恥ずかしがっている顔……色々なコースケさんの表情を見ました。昨日と一昨日の晩は同じ部屋で寝ましたけど何もしませんでしたし」
「そりゃね?」
薄っぺらい壁しかない安宿でそういうことをする気にはならなかったからね。
「それに、昼間に聖王国の兵士にこう言ってくれたじゃないですか、こいつは俺のモノだって」
「……確かにそう言った」
あの時、俺は何の戸惑いもなくそう言った。それはもう自然と。つまり、あの言葉が俺の本心なんだろうな。
「……我ながら浅ましい」
「そうかもしれませんね。でも、私は嬉しかったですから何の問題もありませんよ?」
そう言ってメルティはテーブルの向こう側で瞳の色を金色に変え、じっと俺を見つめてきた。
「だから、言葉通りにしてください。ね?」
そう言ってメルティは金色の瞳を細めた。完全に肉食獣の気配である。羊の皮を被った狼かな?
『それじゃあ私はこのへんで失礼するのです』
プツッ、と音がしてゴーレム通信機から何も聞こえなくなる。あちらから通信の接続を切ったのだろう。テーブルの向こうからは爛々と光る金色の瞳が俺を見つめてきている。
「……ご飯食べてからな」
「はい♪」
翌日。
「……」
「……」
「……♪」
昨晩何があったのかはまぁ置いておくとして、メルティはもう朝から俺にべったりである。接触面積が凄い。もうべったり。お互いの体温でちょっと暑いくらいもうべったり。あの、ちょっと暑くないですかね? なんてことを言おうものなら目に涙を溜めて泣きそうな顔をするので、何も言えない。

仕方がないのでくっつき虫と化したメルティをそのままにして改良型作業台と鍛冶施設を設置し、中間素材や建材なんかを量産中である。今後地下シェルターや臨時宿泊所を使って夜を越すことが増えそうなので、そのためにも準備は必要だ。
そう言うわけで、眼下に見える森を観察できる場所に陣取って黙々とクラフトをこなしていく。その間もメルティは機嫌の良さそうな声を出しながら俺にぴとーっとくっついたり、頭を擦りつけたりしていた。その頭を擦りつけるの、今は角がないから良いけど角が元に戻ったら凄い痛そう。まぁ、何かしらの方法を見つけてきっと元に戻してやるけどね。薬品を作る作業台のアップグレードも視野に入れたほうが良いかもしれない。
「日中だと捜索する兵士の動きが見えにくいな」
「んー? そうですかぁ? 結構木の間から装備が光を反射しているのが見えると思いますよぉ?」
「俺の目はそこまでよくないなー」
メルティにはわかるらしい。もしかしたら目の良さじゃなく注意力というか、観察の仕方の問題なのかもしれない。
◆ ◆ ◆
「見つからないと?」
「全然だめみたいだ。影も形も無いらしい」
ハンネスが溜息を吐いて首を振る。こいつが残念がっている理由はきっと邪悪で凶暴な魔神種を逃してしまったから、などという殊勝な内容ではないのだろうな。恐らく自分好みの女を逃してしまったからとか、そんな下劣な理由に違いない。
もし捕らえたとしても、少しでも力を取り戻せば素手で人間を引き裂ける魔神種に私は近寄りたいとは露ほどにも思わないが。ああ、そう言えばそう言った危険性はこいつには話していなかったな。まぁ、話すとあの魔神種を追おうとしなくなりそうだから話す必要はないだろう。
「……ふむ」
しかしどうしたものかな。奴らの反応を見るために兵を動かしてみたのだが、魔物との戦闘以外に戦闘らしい戦闘は起こっていないという。魔神種の戦闘能力をもってすれば数人程度の兵など一瞬で挽き肉にできるはずなのだが、あちらからは戦闘を仕掛けてきていないようだ。
てっきり森に逃げ込んで我々の戦力を削ろうとするのではないかとも思っていたのだが。
そう言えば、魔神種と一緒に居た男は殺さずにこの場を切り抜けることは無理とかなんとか言っていたか。奴ら、本当にこちらの兵を殺す気がないのか?
だが、奴は追ってくるなとも言っていたな。あまり追い詰めると牙を剥くか……? ふむ。
「ハンネス」
「おう、何か考えついたか?」
ハンネスがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。きっと、あの魔神種の女を捕まえた時のことを想像しているのだろう。もし捕らえた場合はなんとかしてハンネスをあの女に近づけないようにしなければならないな。こいつは品性下劣だが、そこそこ使える男なので失うのは少々惜しい。
「森を探索している兵を呼び戻してベイグナートに行かせろ。検問を張れ。あの女を逃したくないなら急がせろ」
「わかった」
ハンネスが短くそう言って駆け出していき、声を張り上げて俺の指示を兵に行き渡らせ始める。
私は私でやることをやらねばならない。部隊を移動させることを後方に伝えなければならないし、小部隊とはいえ何十人もの人間を一斉に動かすとなると色々と手続きや準備も必要となる。後は奴らに先んじて網を張れるかどうかだが、こればかりはアドル様に祈るしかないな。
いずれにせよ、敵に魔神種が存在するという情報は貴重なものだ。奴らに好きにさせると補給線をズタズタにされかねんからな。対策をしなければならないし、動向を把握しておかなければならない。本来なら我々のような小部隊で魔神種を追うなどというのは自殺行為でしかないのだが、何もしないわけにもいかないのが辛いところだ。
「これでもかからなければ……」
私はそう呟いてソレル山地に目を向けた。普通は考えられないが、魔神種ならあるいはそう言う選択肢を取るかもしれない。
◆ ◆ ◆
「諦めるのが早すぎるように思えますね」
暗く、静かな森の様子を眺めながらメルティが呟く。昨日とは打って変わって森の様子は非常に静かであった。俺達を狩り出すのを諦めてくれたのだろうか?
「あの蛇みたいな目の男がこんなに早く諦めるとは思えないんだが」
「私もそう思います。別の手を打ったんでしょう」
「別の手ねぇ……なんだろう?」
「そうですね……」
メルティと一緒に暫し考え込む。
「あ」
ふと俺達が泊まろうとした村の方に目を向けたのだが、こころなしか昨日よりも村の方向がかなり暗くなっているように思えた。メルティも俺が視線を向けている方向に気がついたようだ。
「暗いよな?」
「暗いですね。部隊を移動させたのかも知れません」
「移動先は多分この先の村だよな」
「そうでしょうね」
「どうしたもんか」
あれはどうにも油断できない手合だったと思う。正直、関わり合いにならないほうが良いんじゃないかと思うんだよな。
「ソレル山地を抜けましょうか」
「ソレル山地かぁ……危ないんだよな?」
「はい、危険度はかなり上がりますね。ただ、聖王国軍に目をつけられたまま聖王国軍の支配地域を旅するよりはマシだと思います」
「あいつら、諦めそうにない感じだったものな」
俺達の前に立ちふさがったいかにも不良兵士って感じの男と、後から出てきた蛇のような冷たい目をした男の顔を思い浮かべる。どちらも執念深そうな顔をしていた。直接的に俺達の脅威になるかどうかは別の話として、道中ずっと付きまとわれたらそれはもう鬱陶しいことだろう。下手をすれば他の聖王国軍の部隊も巻き込んで大事にしたりするかもしれないし。
「仕方ないな。ソレル山地に進路を向けることにするか。方角とかは大丈夫かな?」
「大体の方向はわかりますよ。ソレル山地の上からならアーリヒブルグも見えると思いますから、問題ないかと」
「そうか。まぁ、ソレル山地を越えればアーリヒブルグにも通信が届くだろうから、なんとでもなるか」
二人分の水と食料、という点に関しては下手すると年単位での蓄えがあるし、登山用の道具も作ろうと思えば多分作れるので、俺としてはソレル山地行きに関して非常に楽観的である。問題は魔物だが、メルティもいるわけだし、俺も惜しみなく銃を使えばなんとでもなるだろう。
そうと決めたら装備作りである。山を舐めたら死ぬというのは俺もよく知っている。そういうサバイバル系のゲームもやったからね。
まずは服だな。しっかりとした生地の、温かい服が必要だ。食料や医薬品に関しても、俺の能力に頼らずに各自で携帯したほうが良いだろう。俺が滑落して意識不明になったりしても、即死していなければメルティにライフポーションを使ってもらえばなんとか持ち直せるだろうし。それに、魔物もいるとなれば戦闘中にはぐれたりする可能性だってある。バックパックなんかは絶対に作ったほうが良いな。
それに靴だ。登山用の丈夫で頑丈な靴が要る。メルティが今履いているようなサンダルみたいな靴じゃダメだ。しっかりとした靴が要る。
「メルティ、武器はどうする?」
「武器ですか?」
「ああ、ソレル山地には魔物もたくさんいるんだろう? メルティにも武器が要るんじゃないか?」
「んー……」
メルティは少し考えて首を振った。
「いえ、私は徒手で大丈夫です。そういう戦い方なので」
「そうなのか」
なら篭手か何かでも作ってやったほうが良いだろうか? などと考えながら、改良型作業台のクラフトメニューを立ち上げる。さて、限られた材料でどこまでできるかな?
俺は視界を覆うクラフトメニューに視線を走らせながら、明日から始まるであろう登山に思いを馳せるのであった。