白い天井だった。何か複雑で、格調高い彫刻のようなものが施されている。天井を見るだけで『なんか高級そうなところだな』と感じるのはなかなか稀有な体験かもしれない。
「知らない天井だ」
どうやら生きているらしい、ということでお約束の台詞を吐いてみる。人生で一度は言ってみたい台詞の一つだよね、これ。
はて、一体何がどうなったのだろうか?
あのブツブツ野郎と揉み合った末にナイフで刺されて、気を失った。で、なんか高級そうな天井の部屋に寝かされている、と。ベッドは上等、布団も上等、アイラと一緒にポーションを作ったときによく嗅いだ薬草の匂いもする。
どうやら手厚く治療されたらしいということがわかる。状況から考えるに、アドル教の教会施設か、王城のどちらかに保護されたと見るべきか。
なるほど、偶然にも聖女様を不心得者の凶刃から救ったという形になったのか。それにしても、捨て置かれずに手厚く治療してもらえたというのは少し意外だな。
いや、仮にも身を挺して聖女様を守ったわけだから、教会としても捨て置くわけにはいかなかったのか。たとえ相手が怪しげな根無し草の傭兵だとしても。
どう振る舞うべきだろうか、と頭を悩ませつつベッドの中で身じろぎをする。刺された辺りを手で触れてみるが、痛みも違和感もない。包帯は巻かれているようだが、既に傷は癒えているのではないだろうか。
身を起こし、部屋を見回そうとして真紅の瞳と目が合った。
「うおっ!?」
「……」
聖女様がいた。
金糸のように輝く髪に白磁のような病的に白い肌、紅玉のような真紅の瞳。分厚い純白の聖衣を着ても尚、その身体が華奢であろうということは見て取れる。
シルフィとはまるで正反対の性質を持つ美女だ。
「あの……?」
「……」
聖女様は身を起こした俺をまるで人形か何かのように身じろぎの一つもせず、ただじっと見つめている。つまりめっちゃガン見してきている。
「そんなに見つめられると穴が空きそ――」
「貴方」
鈴の音のような声が俺の言葉を遮った。
「貴方は神か、その使徒ですか?」
「お前は一体何を言っているんだ」
真顔で聞いてくる聖女様に俺は真顔でそう返さざるをえなかった。
◆ ◆ ◆
「む……私は聖女ですよ? アドル教の聖女ですよ? その言葉遣いはどうかと思います」
「いや、聖女様だろうと貴族様だろうと、いきなり面と向かってそんなこと言ったら頭のおかしいやつだと思われても仕方ないと思う」
「ふ、不敬っ……」
聖女様がガーンとでも擬音がつきそうな様子で愕然としている。こんな態度で他人に接されたことがないんだろうな。
「というかその、これはどういう状況で?」
部屋をよくよく見回してみると部屋の出入り口付近に一人。そしてベッドのすぐ横、聖女様とは反対方向のその場所にもう一人、目立たない黒い修道服を着たシスターが控えていた。彼女達も俺の言葉遣いに驚いているのか愕然とした表情をしている。
「貴方はどこまで覚えているのですか?」
ショックから立ち直った聖女様が取り繕うかのように無表情を作り直し、問いかけてくる。どこまでと言われてもな。
「大聖堂で聖女様の祝福を受ける番になったところで後ろにいた奴がキエーって変な声を出して……明らかに普通じゃないしなんだこの野郎と揉み合ったら刺された?」
「恐怖に身を竦ませることもなく力を振るう辺り、流石は自称傭兵といったところでしょうか」
「自称て」
「自称でしょう?」
俺の意図を量るかのように紅玉の瞳が俺の瞳を覗き込んでくる。まつげ長いなー、綺麗だなー。シルフィに匹敵する美少女……美女……? 女の子だと思う。
「何か証明書があるわけでもないし、まぁ自称ってことで良いとしましょうかね。それでもう一度聞きますが、なんで俺はこんな良い部屋で聖女様直々の手厚い看護を受けているんですかね。というかあの短剣、毒が塗られてたっぽいし刺された場所も危なかったのによく助かったね、俺」
「私がすぐにその場で解毒と治癒の奇跡を行使したのが良かったのでしょう。それでも、バジリスクの毒を塗った短剣で肝を刺されたのに生きている貴方の生命力には驚きですが。油虫か何かですか?」
「油虫ってそれとどのつまりGのことだよね!? 仮にも命の恩人に向かってその言い草!?」
なんというスゴイ=シツレイな! なんか妙に生命力が高かったりするのは俺がG並みの生命力を持っているとかでなく、能力のせいだと思います!
「相手に敬意を払わぬ者は相手からも敬意を払われなくなるものです」
「ド正論ッ……! 何はともあれお救い頂きありがとうございます」
「どういたしまして。私もありがとうございます。命をお救い頂きました」
「ではお互い様ということで」
「いえ、私はいと尊き聖女なので守られて当然なのです。寧ろそのいと尊き聖女である私の手を煩わせた貴方が一方的に負債を抱えている状態ですね。高いですよ、私の奇跡は」
聖女が貴方は一体何を言っているんですかという顔をする。
「なんて理不尽な世の中なんだ……神の前で命は平等ではなかったのか」
「平等です。これはつまり冗談というやつです」
「君意外と面白い子だな?」
「お褒めに与り光栄です」
互いに『やるなお前』という視線を交わしていたらベッドのすぐ脇にいるシスターさんがゴホンとわざとらしく咳払いをした。
「話を戻しましょう。貴方は神か、その使徒ですね?」
「お前は一体何を言っているんだ」
「同じネタを二度以上使うのはご法度ですよ」
「何気に厳しいなぁ……どうしてそういう話に?」
「私の目で見れば一目瞭然です。クソ教皇や豚枢機卿どもとは比べ物にならないほどの神々しく、力強い光輝が貴方を包み込んでいます」
「聖女様、お言葉遣いが汚のうございます」
「これは失礼。つい本音が」
控えているシスターさん達に視線を向けてみるが、処置なしとでもいうかのようにそっと目を伏せている。公式の場ではともかく、この聖女様は割と口が悪いらしい。
「何かの勘違いでは?」
「今も見えています。正直眩しいくらいです」
「気のせいだと思います。ほら、俺が聖女様を助けて刺されたから一時の気の迷いみたいな。まぁ俺もこれでそこそこモテ――」
「――はっ」
「鼻で笑われた!?」
俺のガラスのハートにヒビが入った。すみません調子に乗りました。シルフィとかアイラとかハーピィさん達とかスライム娘達とかの美女・美少女達にちょっと好かれたからって調子に乗りました。すみません。俺はゴミ虫です。
「良いですか? 私は聖女です。尊き存在なのです。貴方より顔だけは良い貴族の子息の相手をさせられることもあるのです。精々お茶を飲む程度で、それ以上を求めてきた時には後悔させてやっていますが」
「大変そうですね」
「大変なのです。口を開けばセンスのない口説き文句を垂れ流し、好色な視線で隠すこと無く全身を舐めるように視姦し、隙あらば肌に触れてこようとする油虫以下のゴミクズどもの相手をさせられるのは苦痛でしかありません。私の目は色々と『見えて』しまうので、それはもう大変なのですよ」
紅玉のように輝いていた瞳から次第に光が消え失せ、紅玉というよりは赤いガラス玉のように濁っていく。これアカンやつや。ストレスが溜まりに溜まってるやつやで。
「いや、ほんとなんかその。お疲れ様です」
「ありがとうございます。それで、貴方は神……いえ、使徒ですね?」
「同じネタを二度使うのはご法度では?」
「実は二度まで許されます。そして今回は使徒と断定して聞いているので別カウントです」
「お前は何を……はっ!?」
「その手はもう使えませんね。さぁ、観念して答えてください」
聖女様が無表情でずいっと身を乗り出してくる。この子グイグイ来るなぁ。
「俺は自分にそういう自覚はないですね。それよりも、どうして俺がここにいて手厚い看護を受けているのかの説明がまだなんですが」
「貴方は私を狙った暴漢を撃退し、しかし毒の短剣で刺されました。私が奇跡を願い、神がそれにお応え下さったので何故か生き延びましたが」
「何故か!?」
「有り体に言って人間が生き残れるはずがない深手だった筈なのですが、何故か一命を取りとめたからには捨て置くわけにはいきません。大衆の面前でいと尊き聖女である私を仮にも守った人ですからね」
「そのいと尊き聖女ってフレーズ気に入ってるの?」
「三日くらい前から。それで、貴方は大聖堂の奥にあるこの部屋に留め置かれ、着替え、身体の清め、下の処理、その他諸々全ての面倒を私達に見られてはや三日。務めの合間に私が様子を見に来たら目覚めたというわけです」
「聞き捨てならない言葉が聞こえた気が」
「身体をしっかり清めなければ病気になってしまいますからね。それはもう隅々まで綺麗に清めさせていただきました。毒の影響で最初の一日はそれはもう盛大に垂れ流していらっしゃられていましたので」
「やめて」
無表情で淡々と自分の醜態を語られるのは心に来る。俺のハートはガラス製なんだぞ?
「私達のような穢れなき乙女にお尻の穴まで見られたというのはどんな気分ですか? 哀しいですか? 恥ずかしいですか? それとも興奮しますか? この変態」
今まで無表情だった聖女様がニッコリと満面の笑みを浮かべる。
「ちょっとシスター! シスター! この子どうにかして! へるぷみー!」
部屋の中にいる二人のシスターに助けを求めたが、ツイっと顔を逸らされた。
というか、三日も経っているのか。ヤバいな。いや、最大五日くらいは街で過ごしてくるって言ったし、ライム達の方はまだ心配要らないか。意識も戻ったことだし、とっととこんな魔窟からは退散しよう。
「と、とりあえず命を救ってくれたことには感謝する。これ以上世話になるのも悪いから俺はこの辺りで……」
「だめです」
起き上がろうとしたら胸を聖女様に押されてベッドに押し倒された。
「な、何を――」
「バジリスクの毒が体内に入ったのですよ。しかも肝に。貴方の臓腑はほとんど死にかけで、生きているのが不思議な状態なのです。今無理に動くと死にます。折角手間をかけて生かしたというのに、簡単に死なれてしまっては労力に見合いません」
聖女様は無表情で淡々とそう告げ、じっと俺の顔を見つめてくる。なんだろう。物凄くやりにくい。
とりあえずちらっとメニューを開き、ステータスを確認してみる。体力もスタミナもほぼゲージがゼロで、少し減ったり少し増えたりを繰り返しているな……徐々に回復しているとか、徐々に減ってるとかじゃなく自然回復とダメージがギリギリ均衡を保っている感じだ。状態は『猛毒(慢性)』になっている。
「確かに、弱っているようだ。聖女様の細腕でも倒されるくらいじゃ身動きするのも危ないか」
「そうです。今は私の嘆願した奇跡の効果と、聖域となっているこの大聖堂の加護のおかげで辛うじて命を保っている状態です。大聖堂の外に一歩でも足を踏み出したら貴方の臓腑はたちどころに腐り落ちて血を吐いて死にます」
「やだこわい」
「なので、もう暫くはここに滞在してください。いいですね」
「それは大変助かる申し出だが、俺にも都合というものがですね」
「死にますよ」
「ぐっ」
ステータス画面で体力とスタミナの拮抗状態を実際に目にしているだけに聖女様の言葉は非常に重かった。聖女様の奇跡とやらとこの大聖堂の施設効果的なサムシングでギリギリ今の状態が保たれているのだとすると、本当に聖女様の言う通り大聖堂から出た瞬間血を吐いて死ぬかもしれない。
「……お世話になります」
「素直なのは美徳です。私も常に素直を心がけています」
聖女様は無表情でコクリと頷き、そして俺をじっと見つめてくる。可愛い子に無表情でじっと見つめられるのはとても落ち着きません。
「何故そんなに私をじっと見つめるのでしょうか」
「まだ答えを聞いていないので」
「答え?」
「とぼけるのもいい加減にしないと折りますよ」
「折るって何を!?」
「使徒なのでしょう?」
俺のリアクションに一切反応せず、聖女様は淡々とそう言って俺の顔をじっと見つめてきた。
あー、もう。どうしたものか。アイラには見えない何かを見て俺が稀人だということに確信を持っているみたいだぞ、この聖女様。
「ええと、俺はだな……」
「はい」
「あ、だめだ。毒のせいで意識が遠くなってきた。まだ起きるのは早かったようだ。おやすみなさい」
俺はパタリとベッドに倒れ、目を瞑って狸寝入りを決め込むことにした。考える時間、考える時間を要求する!
「むぅ……」
チラリと片目を薄く開いて聖女様の様子を窺うと、彼女は不満げに頬を膨らませていた。別に表情筋が死んでいるというわけではないようだ。今までの経験から無表情が顔に張り付いてしまっているだけなのかもしれない。大変そうなお役目だしな。
それに、無理矢理起こしてまで聞き出そうとはしないあたり、根は優しい子なのかもしれない。どうにもドSっぽいところが見え隠れしているけど。
「聖女様、そろそろお時間が……」
「仕方ないですね、また来ます。次は話してもらいますよ」
「前向きに善処致します」
「なら良いです」
聖女様がベッド脇の椅子から立ち上がったのか、衣擦れの音がして静かな足音がベッドから遠ざかっていった。そして、扉を開け閉めする音が聞こえてくる。
チラリと片目を開けてもう一度部屋の様子を確かめてみると、扉の出入り口にいたシスターと共に聖女様の姿は消えていた。ベッド脇に居るシスターはそのまま留まっているようだ。
「すみませんね」
「いえ。これも神の思し召しです。何かありましたら、遠慮なくお声をかけてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
さっきは俺を見捨てたが、シスターは優しそうだった。とにかく、まずは身体を休めないといけないな……ポーションさえあればなんとでもなったかもしれないけど、用意がないんだよな……作業台の材料が手に入らなかったんだ。ポイゾが作って持たせてくれた解毒薬を飲めばワンチャンあるだろうか?
後で目を盗んで飲んでみるとしよう。うん。
◆ ◆ ◆
やぁ、コースケだよ。なんとかベッドから起きておまるに用を足せるようになったコースケだよ。ですからお願いしますシスターさん、何かあってはいけませんからといって用を足すのをじっと見るのは勘弁してください。
「これも務めですから、お気になさらず」
そう言ってにっこりと優しい笑顔を見せてくれるのは良いんですが、主に俺の精神が削れるので勘弁して欲しいんですよ! と主張してもシスターさんはどこ吹く風である。決して自分の責務を投げ出そうとしない。つよい。
そして、食事は果物を磨り下ろしたものとほんのり塩味のついた重湯のようなものである。お腹にたまらない。
「胃の腑なども軒並み弱っているを通り越して死にかけていますので……」
「いえ、ありがとうございます」
出してもらえるだけでも有り難いし、身体の事を気遣ってのことなのだ。お腹にたまらないのは残念だが、文句など言えようはずもない。
それに、臓器が死にかけているというのは本当のようで、下から出てくるのは殆ど水みたいなのばっかりだ。意識がない時には脱水症状で死なないようにかなりこまめに水分を摂らせてくれていたらしい。本当に頭の下がる思いだ。
さて、聖女様が部屋を去った後はそんな感じで過ごしていたわけなのだが。
「さぁ、話してください」
「早いね?」
体感で二時間も経っていないと思うんだが、もう聖女様が帰ってきた。そして先程と同じようにベッド脇の椅子に座り、じっと俺の顔を見つめてくる。考える時間なんてなかったんや。
「ええと、聖女様は俺がなんかピカピカしてるから神様かその使徒じゃないかと思ったんだっけ」
「ピカピカ……まぁ、そうですね」
光輝がどうのこうのという話をピカピカと表現したのがちょっと気に入らなかったようだが、最終的に聖女様は俺の言葉に頷いた。
「ただの偶然というか、ちょっと珍しい程度のことじゃないかな?」
「有り得ません。良いですか、普通の人が纏う神気、光輝というものは貨幣で言えば大体大銅貨から銀貨くらいの間です。金貨の如き光輝を纏う者はごく限られています」
聖女様が無表情でビシッと人差し指を立て、俺に言い聞かせるように話し始める。
「お金で例えるのはどうなんだ」
「わかりやすいでしょう? ですが、貴方の纏う光輝はまるで白金貨です。他の者とは桁が違います。このいと尊き聖女である私と同格レベルです」
「俺は自分を白金貨だと言われて喜べば良いのか、それとも自分自身も白金貨だと臆面もなく言い放つ君にドン引きすれば良いのか……」
「神に選ばれ、愛されている私が白金貨なのは当たり前のことです」
無表情なのにドヤ顔しているように見える。ふしぎ!
「それでその、光輝というのは聖女様にしか見えないんだろう?」
「そうですね、目で見えるのは私だけです」
「じゃあ何かの見間違いだろう。錯覚だ。貴方疲れているのよ、聖女様」
「そう言うと思いました。なので、これを持ってきました」
そう言って聖女様はどこからか古びた冠のようなものを取り出した。冠といっても王様が被っているようなイメージのものでなく、どちらかと言うと国民的RPGの『ゆうしゃ』が着けているものに近い。サークレットってやつだろうか。
真鍮のようなくすんだ金色の金属でできており、額には白く濁った親指ほどの大きさの石が嵌まっていた。石が赤かったらほとんどそのものだったな!
「せ、聖女様? それは……」
「はい、光輝の冠です。白豚が大事にしまっていたのをくすねてきました」
「聖女様!?」
お付きのシスターと部屋付きのシスターが悲鳴に近い声を上げる。どうやら彼女達の反応を見る限り、みだりに触れたり持ち出したりしてはいけない類の祭具であるらしい。
「これは装着者の光輝を目に見える光に換える聖遺物です。こんな感じに」
「うおっ、眩しっ!?」
聖女様が冠を被ると、額の部分に嵌った石が激しく輝いて俺の目を焼いた。目が、目がぁ!
「物凄く眩しいでしょう? でも私が被ると眩しすぎて照明に使うにも不便です」
「照明て」
「では、アマーリエに被せてみましょう」
「ひっ!? お、お赦しを!」
「大丈夫です、貴方の光輝は銀貨から金貨級ですから」
聖女様は無慈悲にそう言って顔を引き攣らせて許しを請う部屋付きのシスターさんの頭に容赦なく冠を被せる。
「少し眩しいですが、適度な感じですね。照明にちょうど良いです」
「ああ、神よ……」
アマーリエと呼ばれた部屋付きシスターさんが自分の発する光を見ないようにきつく目を閉じて震えながら祈り始める。
「聖女様、シスターは何でこんなに怖がっているんだ?」
「光輝の見えない人にとって自分の信仰が『見えてしまう』この冠は怖いものらしいです」
「やめてやれよ……」
「そうですね。ごめんなさい、アマーリエ」
「い、いえ……これも神の思し召しです」
冠を外されたのがわかったのか、アマーリエさんが恐る恐る目を開き、深い溜め息を吐く。
「そういうわけで、これを貴方に被せれば貴方が途轍もない光輝をその身に纏っているということが証明できるというわけです」
「いやー、たまたまじゃないかなー?」
「長年の実績と信頼があります。たまたまなどということはあり得ませんからご安心を。ベルタ、アマーリエ、押さえなさい」
聖女様の指示を受け、扉のところにいたシスターとアマーリエさんが俺のベッドに近づき、俺の両腕を抱きつくようにしてがっしりと固定する。おお、柔らかい感触が……じゃない。それどころじゃない。
「あの、ちょっと、困ります。離してくれませんかね」
「すみません」
「私もあれを被せられたくないので……」
「さぁ、観念してください」
「お客様お客様お客様!! 困ります!! あーっ!!! お客様!! 困ります!!」
身をよじって逃れようとするが、毒のせいで身体が弱っているのか細身のシスター達を振り解くことができない。
そして聖女様の手によって俺の頭に冠が載せられた瞬間、白光が部屋の中を塗り潰した。何もかもが白い。というか眩しい。何も見えない。
「想像以上でした」
頭から冠が取り外され、紅玉の瞳をしょぼしょぼさせた聖女様が呟く。ちょっと涙目になっているのは、恐らく一瞬至近距離で直視してしまったからだろう。
「というわけで、私の見間違いという線はなくなりました。そろそろゲロってください」
「聖女様、お言葉遣いが」
「光輝の下、真実を
ベルタさんに注意されて聖女様が言い直す。うーむ、どうしたものか。
冷静に考えよう。バレたら不味いか? 不味いに決まっている。
何が不味いって、俺が神の使徒、つまり稀人だと自ら認めたらどんな扱いを受けるかわかったものじゃない。いや、悪い扱いはないと思うが、厳重に保護されて聖王国に連れて行かれかねない。
俺の能力を駆使すれば抜け出すことが不可能だとは思わないが、シルフィ達のもとに帰るのが更に遅れることになるのは間違いない。脱走して掴まってもそうそう殺されるということはないだろうが、逃げるのがより難しくなるのは間違いないだろう。
だが、一方で誤魔化すのはとても難しい状況でもある。この聖遺物とやらの仕組みは皆目見当もつかないが、問題はこの冠の力を聖女様を含めた全員が強く信じているということだろう。すでに言い逃れができない状況だ。
「いくつか質問がある」
「良いでしょう」
「もし仮に、俺が聖女様の言うようなやつだったとして俺の扱いはどうなる?」
「そうですね。貴方はあまり信心深くないようなので、まずは信心を叩き込むところからですね。寝る時間以外は教典の暗記と筆写、祈りと精進の日々です」
「嘘だろう?」
「嘘です」
「おい」
無表情で平然と嘘だと言い放つ聖女様に思わず突っ込む。
「まずは私の側付き兼護衛からですね。ゆくゆくは私と結婚して契り、子を成してもらいます」
「……嘘だろう?」
「本当です」
「嘘だろう?」
「本当です」
「嘘だろう?」
「本当です」
「う」
「ほ」
「お二人とも、普通に会話をしてください」
アマーリエさんに突っ込まれ、互いに少し黙る。このまま黙っていても仕方ないので、今度は俺から話を切り出すことにした。
「俺には心に決めた人がいるんだ」
「構いません。私とも子を成してくれれば」
聖女様は平然とそう仰られた。いやいやいや。
「良くない良くない。というか、何故そうなるんだ」
「神託がありましたので」
「神託」
「はい、神託です。私が聖王国を旅立つ前夜のことです。私は行く先で死と対峙することになる。だが、それを乗り越えた先で運命と出会う。運命に寄り添い、生きろと神は言われました」
そして神託通りにメリナード王国でやたら光る俺を見つけ、暴漢に命を狙われ、それを俺が助けて、死にかけた俺の命をなんとか取りとめた……つまり死と対峙したと。これでやたら光ってる俺が運命とやらじゃないというのは確かに考えにくいな。俺が彼女ならそう思う。
というか、ご都合主義が過ぎませんかね? 神様のやることだから仕方ないのかもしれないが、俺はこの状況をどう受け止めれば良いんだ?
恐らく神とかそういった類のモノにこの世界に連れてこられて放り出されたのが亜人達のいる黒き森。そこでシルフィに出会い、アイラに出会い、ハーピィさん達に出会った。そして亜人達と一緒に聖王国と戦って、キュービに裏切られ、聖女様と出会った。
聖女様は俺との出会いが運命だという。神からそう言われたと。
聖女様の運命の相手というのが俺だと言うのなら、何故俺は黒き森に放り出されたんだろうか? 最初から聖女様のもとに放り出されれば良かったんじゃ? なんか光ってるらしいし、それこそ神託とやらを授けて俺と出会うように仕向けておけば俺は最初から聖女様とくっついただろう。
シルフィや、アイラ達と出会うことなく。
なんだか背筋が震えた。最初から聖王国に放り出されたとしたら、俺はどうなっていたのだろうか。聖王国軍に加担し、シルフィ達を殺していたかもしれない。そう考えると吐き気がしてきた。
「どうしたのですか? 顔色が悪いようですが」
「いや……」
「……身体の弱っている時にする話ではありませんでしたね。ごめんなさい」
聖女様は深く頭を下げ、謝罪してくれた。それを見て流石に俺も慌てる。
「いや、俺が聖女様の立場だったら、もっと強引に事を運ぶと思う。ただ、ちょっと色々考えたい。また、話をしに来てくれるか?」
「……良いのですか?」
「寧ろ俺の台詞だよ。お願いして良いか?」
「勿論です」
「ありがとう。ちょっと俺も神ってやつに興味が湧いたと言うか……相談したいんだ」
「それなら、私は良い相談役になれそうですね」
聖女様が無表情を崩し、自然な笑みを浮かべる。正直に言うと、見惚れた。
「では、また明日会いに来ます。考えを纏めておいてください。何かあればアマーリエに」
「わかった。ありがとう、聖女様」
「エレオノーラです」
「エレオノーラ」
「はい、私の名前です。エレンでも良いですよ」
「エレン……エレンね。わかった。ありがとう、エレン」
「どういたしまして」
もう一度微笑み、聖女様――エレンはベルタさんを伴って退室していった。俺はそれを見送り、起こしていた上半身をどさりとベッドに投げ出す。
「ちょっと寝ます」
「はい、おやすみなさい。神と私が見守っておりますから、ご安心を」
「ありがとうございます……」
神、神ね。何を考えているのやら……俺にどうしろと言うんだよ。まったく。
くそ、こんなことなら多少危険でもとっとと走って帰るんだった。今後俺は聖王国と戦えるんだろうか? 聖王国の人間を殺すために武器を作れるんだろうか? そんなことを考え始めると寝ているのに吐き気がしてきた。もうだめだ、寝よう。何も考えずに。こういう時は考えれば考えるだけドツボにはまる。
俺はそう結論づけて意識を手放した。
◆ ◆ ◆
翌日も聖女様――エレンは俺が滞在している部屋を訪れてくれた。
「はい、あーん」
「あの」
「あーんですよ」
「いやそのですね」
「あーん」
エレンが粥を

「……あーん」
負けました。
エレンの差し出していたスプーンが俺の口の中へと運ばれ、薄っすらと塩とミルクの味がする粥が口の中で解ける。うん、美味しい。美味しいけども。
「エレン? 俺は自分で食べられr」
「はい、あーん」
「……あーん」
どうやら聖女様はこの行為がいたく気に入ったようである。アマーリエさんとベルタさん――部屋付きのシスターと聖女様付きのシスターに目で訴えてみるが、微笑ましいものを見る視線を向けられるだけだった。孤立無援である。
結局、用意されたミルク粥を全て『あーん』で食べさせられてしまった。ああ、俺の中の何か大切なものにヒビが入ってしまった気がする。そしてエレンは何かに目覚めたのか頬を上気させて何かやる気を漲らせているようだ。何をするつもりか知らんがやめていただきたい。
俺に『あーん』をして満足したのか、エレンは挨拶もそこそこに部屋から去っていった。
「何だったんだ一体……」
食器を片付けるアマーリエさんと目が合ったが、彼女は微笑むだけで何も言わなかった。察しろということだろうか?
まぁ、彼女の立場を考えれば今までロクな人生を歩めていないと言うか、色々と鬱屈したものがあっただろうということは想像に難くない。
彼女がどうやって聖女として見出され、どのように生きてきたのかは想像することしかできないが、あのように無表情の仮面を顔に貼り付けるのが必要となってしまうような生き方を強いられてきたんだろう。
もしかしたら、彼女は信仰を失いかけてすらいたのかもしれない。そんな彼女に神託が下り、神託に従って行動したら神託の通り、運命の相手であろう俺と出会った。今、彼女の信仰心は頂点に達しているのかもしれない。
そして、その信仰心の後押しもあって俺という存在は彼女の心の大部分を占めるようになってしまっているというわけだ。まともな状態じゃないと思うんだけどなぁ……でも、エレンはそれに気付いているような気がする。
それに気付いた上で、俺との距離を縮めようとしているのだろう。
「はぁ……」
問題は、俺の方である。エレンは良い子だと思う。シルフィに匹敵するレベルの美人だし、話していて楽しい子だ。
だが、俺と彼女は本質的には敵同士なのである。俺はメリナード王国奪還を目標とする解放軍の要人、彼女はメリナード王国を属国化した聖王国の聖女。本来は交わるはずのない立場の二人なのだ。
それに、いくら好意を寄せられたとしても俺にはシルフィやアイラ、それにハーピィさん達が居る。俺の帰る場所は彼女達のもとなのだ。
「悩んでいらっしゃいますね」
「ええ」
珍しくアマーリエさんから声をかけてきた。ただ何をするでもなく俺に付き添っているのは苦痛だろうに、彼女は文句一つ言わずに俺にずっと付き添い、看護してくれている。流石は金貨級の聖職者だ。
「エレオノーラ様の伴侶となるのは気が重いですか?」
「いえ、そういう次元の話ではなくてですね……今は事情があって離れていますが、俺には互いに側にいることを誓いあった相手がいるんですよ」
当然ながらその相手とはシルフィのことだ。
「そうですか……ですが、貴方の隣に立つ事ができるのはたった一人というわけではありませんよね」
「それは……いや、それはアドル教的にアリなんですか?」
「アドル様は隣人の物を盗む事、不義の姦淫、妻の略奪を禁じています」
「ダメじゃないですか」
「ですが男性が複数の妻を持つことを禁じてはおりません。そもそも、アドル様は複数の妻を
嫁を作ってその間に子供を儲けた、ねぇ……やっぱりアドルってやつは超技術を持った宇宙人的なやつなんじゃないだろうか? 二次元嫁を具現化して3Dカスタムなアレみたいな感覚で嫁を作って、子孫を繁栄させてこの星に入植。数が増えるにつれて発生してきた罪人を使って遺伝子改良を施し、亜人を作った。みたいな流れが容易に想像できるんですけど。
「まぁ、そこの問題がないことはわかりましたけどね。俺にも色々と事情があるんですよ」
「そうなのですか」
「そうなのです」
ともあれ、神の真意なんて推し量るだけ無駄だな。そもそもからして、何の前触れもなく俺をこの世界に放り込むようなやつだ。それがアドルなのか、それとも別の存在なのかはわかったものじゃないが、まともな存在ではないだろう。多分。少なくとも人間的な倫理観とかそういうものを持っている存在ではない。共感できるようなモノじゃなさそうだ。
問題は俺がどうしたいかということだろう。俺にとってどうなるのがベストか。シルフィ達にとってどうなるのがベストか。そしてエレン達にとってどうなるのがベストか。
もちろん、出会ったばかりのエレン達をシルフィ達と同列に扱うことはできない。エレンやアマーリエさん達、それに道案内をしてくれた少年に宿の女将さん、娘さん、あとは城門で出会った傭兵に、両替商。
彼らは聖王国の人間だが、少なくとも人間性の欠片もない悪辣な人々ではない。概ね普通の、まぁ善良な人々と言って良い存在だと思う。
だが、そんな彼らはシルフィ達にとっては武力で国を奪い、我が物顔で故郷を占領している侵略者達だ。そして、聖王国に属する人々にしてみればシルフィ達は自分達に劣る亜人で、自分達の生活を脅かす賊のような存在だ。
両者が歩み寄ることは可能だろうか? 難しいだろう。二十年もの時間をかけて穿たれた両者の溝は果てしなく深い。顔を合わせれば武器を抜き、殺し合わざるを得ないほどに憎悪は積もり積もっている。
だが、難しいということと不可能であるということはイコールではない。
人間も亜人も言葉と理性を持つ生き物だ。お互いに意思疎通をすることが可能な存在だ。どんなにいがみ合う存在同士でも話し合いさえすればわかりあえる……とまでお花畑な頭の中身はしていないが、どこかに妥協点を見出すことはできるはずだ。
そもそも、旧メリナード王国では人間と亜人が共存していたのだ。二十年前の話とはいえ、その記憶は未だ解放軍の人々の中にも残っているし、実際にメリナード王国領に潜伏していた旧メリナード王国軍の軍人やその家族達、旧来のメリナード王国民も解放軍に合流している。
つまり、解放軍側には人間を受け容れる下地はある程度あるのだ。
問題は聖王国側の人間に
地球でさえ様々な要因による差別が未だに無くなっていないのだ。姿形だけでなく、身体能力や寿命まで違う亜人と人間が真の意味で種族の壁を取り払うのは非常に難しいことだろう。それこそ、力を合わせて戦わないと共に滅びかねないような共通の敵でも出現しない限りは。いや、そんなものが現れたとしても難しいかもしれない。
思考が逸れたな。
俺にできること、俺がやるべきこと……ふむ。俺は見た目には人間の稀人で、解放軍に受け容れられており、そしてエレンが言うには白金貨級の光輝を纏う存在であるらしい。
つまり、アドル教的にも神の使徒と名乗っても通じるレベルの存在だと。
この立場を利用すれば何かできるのではないだろうか?
例えば、アドル教の亜人蔑視の項目を否定する新たな宗派……いや、アドル教は教会や聖堂を持つ宗教だから教派か。新しい教派を興すというのはどうだろう?
エレンを説得して二人で新たな教派を興す。神の使徒と聖女という宗教的な象徴が有れば不可能ではないかもしれない。
エレンはアドル教の上層部に不満を持っている様子だった。メリネスブルグの王城に赴任していた白豚大司教の存在を鑑みるに、アドル教の上層部では腐敗も進んでいるのだろうと予測もできる。
これは俺が上手く立ち回ればワンチャンあるかもしれない。もしかしたら、俺をこの世界に連れてきた奴の狙いはこれか? それはわからないな。だが、状況は出来すぎなぐらいだ。
問題は、新たな教派を興して旧メリナード王国領の独立を宣言した場合には聖王国の本国が全力で潰しに来る可能性があるという点だが……武力での鎮圧を試みるなら全力で抵抗するまでだ。そこまで事が進めば俺だって自重はしない。
沢山人は死ぬだろうけど、そんなことは今更だ。血塗れになる覚悟はとうの昔にできている。
いや、そんな覚悟なんてまだできてないんだろうな。結局のところ、俺は自分が傷つきたくないだけだ。このまま解放軍に戻って、エレン達や宿の女将さん、あの少年を殺すのは嫌だ。そんなのは、嫌だ。嫌なんだ。
だから悩む。どうにかできないかと、出来の良くない頭を必死に働かせる。そして行動に移す。
俺に一人にできることなんて多くない。頭だって良くないしな。だから、人に頼る。
まずはエレンに。
◆ ◆ ◆
その晩、再びエレンが俺が休んでいる部屋を訪れた。今日は忙しかったのか、朝に訪れてからは顔を見せていなかった。何かあったのだろうか?
「大丈夫か? 何かあったのか?」
「そうですね、少し厄介なことが」
無表情だが、どこか疲れているというか不安そうな雰囲気がエレンから滲み出ている気がする。
「厄介……? そう言えば、南の方がきな臭いって話だったな」
「ええ、それ関連です」
詳細を話す気は無いようだが、どうやら解放軍に何か動きがあったらしい。俺が姿を消してからもう既に半月以上経っている。まだ南部の平定は完了していないと思うが、南部の各地で使役されていた亜人奴隷達が解放されたなら、解放軍の総戦力はかなり向上しているはずだ。
装備の配布が間に合うかどうかは微妙だが、聖王国軍から鹵獲した装備もあるだろうし後方の生産拠点ではゴーツフットクロスボウの量産も開始していたはずだ。俺がインベントリから出しておいた資材や試作武器の類も利用しているだろう。研究開発部の人達は俺の作り出した武器を元に独自の武器の開発もしていた。
だが、いくら戦力が増えたとしてもメリネスブルグまで攻め上がってくるのはまだ不可能だと思うんだが……戦には勝てるかもしれないが、制圧した町や村の支配が
それに、合流したばかりの亜人奴隷達は厳しい生活が長く続いたせいで体力が相当落ちている。一週間やそこらの休養では戦闘や行軍はおろか、訓練すらもままならないはずだ。
つまり、何が言いたいかというと、解放軍が次のアクションを起こすには早すぎるってことだ。
俺を救出するつもりなら少数精鋭で潜入してくるとか、そういう手を使うと思っていたんだが。
「考え込んでいますね」
「俺にも色々あるのさ」
「色々ですか」
「色々です」
首を傾げるエレンに頷いてみせる。彼女に嘘は通じないという噂だからな。嘘をつくくらいなら話さないのが良いだろう。
「エレン、俺が神の使徒なのかどうかとか言ってたよな」
「はい。話してくれる気になりましたか?」
「そうだな……」
エレンに全てを話すかどうかを考える。
エレンの立場からすれば、俺は完全に彼女の敵である。多くの聖王国軍兵士を爆発で殺傷し、解放軍に多くの武器と食料を提供したのだから当たり前だな。ストレートに全てを話せば、彼女と俺の関係には決定的な亀裂が入るだろう。何も考えずに全てをぶっちゃけたい衝動に駆られるが、ここはグッと我慢する。
「二人きりで話したい」
「二人きり、ですか……二人きりになって私を手篭めにするつもりですね。このケダモノ」
「今、真面目な話してるからね? 真実の聖女様がそういう事言うと洒落にならないからやめてね?」
ほら、人聞きの悪い事を言うからアマーリエさんとベルタさんの視線が険しいじゃないか! 違います、違いますよ? そんなこと考えてないから! というか、そんな元気ないから! アマーリエさんだって知ってるでしょ!
「必死ですね」
「いい加減張り倒していいかな?」
「か弱い女性に暴力を振るうのはいかがなものかと」
「弱った病人をからかうのもいかがなものかと思いますよ、俺は」
「確かに、一理ありますね。やめませんけれど」
「やめてね?」
俺の必死の訴えが通じたのか、それとも俺をからかうことに満足したのかエレンはアマーリエさんとベルタさんに目配せをして二人を部屋から退出させた。
「これで良いですか」
「うん、これで良い。盗み聞きしているやつはいないよな?」
「いないと思いますよ。この部屋の壁は厚いですし、扉は一つだけですから。扉も厚いですから、余程大声を出さない限りは外には聞こえません」
「なるほど」
「なので、野獣のように襲いかかってきても大声を出さなければ大丈夫ということです」
「襲いかからないから。まずは……そうだな。俺が神の使徒かどうかという話について話そうか」
「はい」
エレンが姿勢を正し、聞く態勢に入った。相変わらず無表情だが、彼女なりに緊張しているのだろう。緊迫した雰囲気が伝わってくる。
「正直に言うと、わからない。俺は神に会ったことがないし、お前は神の使徒だぞと神に言われたわけでもないからな。ただ、この世界の人間ではないことは確かだ」
「この世界の人間ではない、ですか」
「そうだ。俺の住んでいた世界には空を覆うあんなにデカい惑星はなかった。魔法もなかったし、魔物なんてものもいなかった。亜人もいなかった。人間しかいない世界だったよ」
「つまり、貴方はここではない別の世界の住人だと、そう言うのですね?」
「そうだ。俺はこの世界の人間じゃない」
エレンの質問に答え、まっすぐにこちらの目を見据えてくる紅玉の瞳に目を合わせる。
「なるほど……稀人というやつですね」
「知っているのか、ライデン」
「エレンです。勿論知っています。稀人の伝承は各地にありますから。実物を見たのは初めてですが」
「そうか」
シルフィも稀人に関する伝承は色々なところにあると言っていた。エレンもそのうちのどれかを知っているのだろう。
「それで、俺はちょっと特別な力を持っている。その力をつぶさに観察した魔道士の見解によると、俺の能力が起こす現象は魔法的なものではなく、神聖魔法で起こす奇跡に近い性質をもっているそうだ」
「貴方の能力……貴方も奇跡を嘆願できるのですか?」
「いいや。でも、こういう事はできる」
俺はインベントリからホットケーキの載った皿を取り出して見せた。小麦粉と卵とミルク、花の蜜で作り出した一品だ。卵と乳が何の卵とミルクなのかは黙秘する。黙秘するったら黙秘する。
「これは……? 何か甘い香りがしますが」
「ホットケーキという食べ物だ。甘くてふわふわで美味しいぞ。はい、あーん」
同じくインベントリから取り出したフォークでホットケーキを一口大に切り分け、エレンの口許に運んでやると、彼女は少し戸惑った後に小さな口を目一杯開いた。そのままフォークに刺さったホットケーキをそっと口の中に押し込み、食べさせる。
「……あまくておいしい」
「そうだろうそうだろう。はい、あーん」
「……あーん」
雛鳥のように口を開けるエレンの口に切り分けたホットケーキを運んでやる。なにこれ楽しい。
「ミルクもあるぞ」
「いただきます」
木製のコップに入ったミルクをエレンに渡してやると、彼女は両手でコップを受け取ってコクコクと喉を鳴らした。
「おいしいミルクですね。ヤギのものではないようですが……何のミルクですか?」
「牛、かな」
「嘘ですね」
「だいたい牛だよ、だいたい」
概ね牛だよ。多分半分くらいは。定期的に絞らないと痛くなったり病気になったりするらしいよ。何故か子供がいなくても出るから結構困るらしい。
「……まぁいいです。それで、これは一体?」
「はい、あーん」
「もぐもぐ……」
覚悟を決めよう。もう、後戻りはできない。
「無から有を作り出しているわけじゃないんだ。元から入っているものを取り出しているだけでな。まぁ、目に見えないカバンとか倉庫みたいなものだな」
「んむ……空間魔法のようなものですか」
「空間魔法というものがどういうものか知らんが、多分そうなのかもな。いつでもどこでも自由に色々なものを収納して、取り出せる。対価なしにね」
「地味な能力ですね」
「真実を見通す目に比べればそうかもな」
皿をエレンに渡そうとしたが、彼女は受け取らずに口を開けた。仕方がないのでホットケーキをそのまま食べさせてやる。
「こんなお菓子は食べたことがありません」
「そうか? 似たようなものはありそうだが」
小麦粉を卵とミルク、砂糖で練ってふんわり焼き上げるだけなんだけどな。あ、いや、それだけじゃなくてベーキングパウダーとかもいるのかな? でもガレットとかもある意味でホットケーキの一種だって聞いたことがあるような……まぁ細かいことは良いか。
「とにかく、俺は稀人だってことだ。神の使徒かと問われると正直わからん。でも稀人だということは間違いない」
「一説として、稀人は神に導かれてこの世界に現れるといいます。他ならぬ神が私に貴方のことを『運命』と仰られたのですから、貴方は神の使徒だということで問題ないでしょう」
「そうか。信心なんて欠片もないけどな」
「今から育んでいけば良いのです。あーん」
「はいはい」
エレンの口にホットケーキを運びながら考える。エレンとしては俺は神の使徒だということで問題ないらしい。さて、ここから話をどう持っていくかな。
「名前」
「うん?」
「そういえば、貴方の名前を聞いていません」
「名前ね」
ここでコースケと名乗ったら決定的だろうな。いや、もうとっくにバレているのかもしれない。
エレンは俺の能力に関してキュービから聞いている可能性がかなり高い。もし聞いているのなら、インベントリの能力を見ただけで俺が何者なのか看破しているはずだ。キュービは俺が稀人だということも知っていた筈だしな。
というか、エレンは最初から知っていた可能性もある。俺の人相をキュービから聞いていてもおかしくない。
「コースケだ」
「そうですか……ん」
エレンが口を開いたので、最後の一欠片をエレンの口に運んでやる。エレンは無表情のままホットケーキをゆっくりと
「やはりそうですか」
「そうなのです」
「そうですか」
会話が止まった。エレンは俺から視線を外し、手元のカップの中をじっと見つめている。
「神は言いました。運命に寄り添い、生きろと」
「そうか。神の与える試練はなかなかハードだな」
「ええ……ハードですね」
再びの沈黙が部屋の中を支配する。さて、どう切り出したものかな。
◆ ◆ ◆
「神の意図について考えてみたんだ。俺なりに」
「貴方なりにですか」
「俺なりにだ。聖職者からすれば只人が神の意図を推し量るなど笑止千万、身の程を知れって感じだろうが、まぁ聞いてくれ」
「聞きましょう」
ミルクの入ったコップを持ったまま、エレンが紅玉の瞳をジッと俺に向けてくる。
「まず俺がこの世界に降り立った……というか、放り出されたのは黒き森とオミット大荒野の境だった」
「随分な
「何かの気まぐれで森じゃなく荒野の方に行ってたら死んでただろうな。で、俺は水や食料を求めて森に入り、色々あってとあるエルフの保護下に入った」
「保護下?」
「率直に言うと彼女の奴隷になったってことさ。少なくとも、立場上は」
最初はお互いに色々と打算があって始まった関係だったな。今思うと懐かしいな。
「それはご愁傷様です」
「それほど悪くはなかったさ。当時、森のエルフやメリナード王国からの避難民は人間に対してとても……敵対的でな。彼女の保護下に入っていなければ、俺は早晩彼らに殺されていただろうから」
「……そうですか」
何か思うところがあるのか、エレンは目を伏せて俯いた。人間対亜人という種族間対立を煽っているのは明らかにアドル教だからな。聖女としては思うところもあるんだろう。
「当時はまだ自分の能力を全く把握していなくてね。ご主人様と協力して俺の能力を色々と確かめたもんだ……話を戻そう。森で過ごすうちに色々あってエルフの古老から話を聞く機会があった」
「話ですか」
「ああ。エルフに危機が迫ると、精霊界から稀人が現れて森のエルフを救うっていう言い伝えがあるんだとさ。稀人は森の境に現れるんだと、そう言っていたよ」
「森の境……貴方の状況と符合していますね」
俺はエレンの言葉に頷き、話を続ける。
「ああ。その話を聞いた俺もそう思った。でもまぁ、俺はその神とやらに直接何をしろと言われたわけではなかったからな。元の世界じゃ神なんて存在は信じてなかったし」
「不信心なのはいけませんよ。神はいつでも私達を見守っています」
むむっ、と眉根を寄せてエレンが軽く睨んでくる。うん、叱ってるんだろうけどどうにも可愛らしくて叱られている気がしない。
「この世界じゃ本当にそうなのかもな。だから、俺がこの世界に送り込まれてきたのかもしれない」
「……それはどういうことですか?」
「俺はエレンに出会って、エレンの話を聞いて考えたんだよ。俺とエレンが出会うのが運命、つまり神の意図なのだとしたら、その目的は何なんだろうってな。俺は解放軍の人間だ。今更聖王国に寝返ることなんてできない」
「そう、ですか」
「ああ、絶対にだ」
俺の宣言にエレンは表情を暗くして俯いてしまった。事実上の敵対宣言だものな。
「だが、神はそんな俺に寄り添って生きろとエレンに言ったわけだ。それはつまり、エレンに今の聖王国を、今のアドル教を裏切れと、そう言っている。そういうことなんだろう」
「そんな、こと……神がそんなことを私に命じるはずは」
エレンの白い肌から血の気が引く。敬虔な神の信徒からすれば、俺の発言は到底容認できない内容であることだろう。
「うん、俺もそう思う」
あっさりとエレンの発言を認めた俺にエレンは目をパチクリとさせて呆けたような表情を見せた。無表情の仮面もポロリと剥がれ落ちてしまったようだ。
「だから、発想を逆転させてみた。神を裏切っているのは今の聖王国とアドル教なんじゃないかってな。なぁ、エレン。エレンの目から見て、今の聖王国上層部やアドル教の上層部っていうのは神の意に即した連中に見えるか?」
「それは……」
「金や権威に溺れて、神意を自分勝手に解釈し、都合の良いように使ってはいないか? より直接的に言うなら、腐敗しているんじゃないのか? このメリネスブルグを支配していた大司教のように」
「……」
エレンは再び俯き、沈黙した。彼女自身も教皇や枢機卿を口汚く罵っていたのだから、きっと俺の言っていることはあながち間違いでもないのだろう。
「俺は解放軍と一緒にメリナード王国を取り戻し、聖王国を打倒する。沢山の人を、聖王国の民を殺すことになる。その覚悟はしたつもりだし、この手は既にその血に塗れている」
エレンに手のひらを見せるように手を差し出し、じっと目を凝らす。大量の爆発ブロックを使って数千人の聖王国兵を殺害した手だ。実感なんてありはしないが、それは紛れもない事実だ。
「でも、エレンが協力してくれるなら流れる血の量は減らせるかも知れない」
「……どういうことですか?」
「エレン……いや聖女エレオノーラ。神の使徒である俺と共に解放軍に来てくれ。そして君が新たな宗教を、教派を作るんだ」
「な……」
俺の言葉にエレンは目を大きく見開いて絶句した。手にしていたミルク入りの木製コップがエレンの手からこぼれ落ち、床に跳ねて湿った音が聞こえてくる。
「教義の内容は、そうだな……皆で助け合って、仲良くしましょうとかで良いんじゃないかな。差別はなし、聖職者は真摯に祈り、皆の相談を受けるけど政治には関わらない、とかね。まぁ、その辺りは皆で話し合っても良いだろう」
「ちょっと待ってください。そんな事ができるとでも」
「できるできないじゃなくて、やるんだ。俺と、エレンと、みんなで。このまま行けば解放軍と聖王国の全面対決は避けられない。でも、俺とエレンが協力してアドル教を切り崩すことができれば、流れる血の量は多少なりとも減らせるはずだ」
「なに、神の使徒らしいことはそれなりにできるんだ。これでもな。そこは信頼してもらっても良いよ。だから、やろう。俺と一緒に」
何もないところから食い物や薬を取り出したりとか、何の変哲もない包帯と添え木で酷い骨折や捻挫、曲がって癒合した骨とかを治したりとかな。一夜で強固な防壁を作ったり、たった三日で作物を実らせることだってできる。神の使徒や救世主として祭り上げられるに足るだけの能力はあるはずだ。
「……どうしても、ですか」
「どうしてもだ」
「私が必要ですか?」
「エレンが必要だ。エレンと一緒じゃないと、きっとにっちもさっちもいかない」
「私が一緒に行かないと言ったら、どうしますか」
「困る」
「困りますか」
「ああ、とても困る」
「私を殺すことになるからですか」
エレンが真っ直ぐに俺を見つめてくる。俺も真っ直ぐに見つめ返し、頷いた。
「ああ。そうなるかもしれないから、とても困る。俺はエレンに死んでほしくない」
「自分が傷つきたくないからではないですか」
「ああ、俺は自分勝手な人間なんだ」
「新しい教派を作るというのも、結局は自分が傷つきたくないからなんですね」
「ああ、人死にも減らせるかも知れない上に自分の心も守られる。良い考えだろ?」
「開き直りすぎでは?」
「エレン相手に嘘を言っても仕方ないだろう。それに、俺はこの世界に来てからというものの自分の欲望に素直にっていうのがモットーなんだ」
「とんでもない神の使徒もいたものですね」
「ああ、そうだな。まったくその通りだ」
再びの沈黙。お互いの呼吸音が妙に大きく聞こえる。
「少し、考えさせてください」
「……ああ、そうしてくれ。だが、長くは待てないぞ」
「わかっています。明日、結論を出します」
「わかった」
俺が頷くと、エレンは席を立って部屋を出ていった。
もう少し上手く話せないものかと自分で自分を罵りたくなる。精一杯やったつもりだが、こういう話し合いというか、説得は苦手だな。いざとなればエレンを攫って逃げる……のは下策か。
あー、女を口説くのが上手いイケメンならもう少し上手くやるんだろうなぁ。無様だ。
ベッドの上でゴロゴロとのたうち回っていると、アマーリエさんが入室してきた。
「……もしかして振られたんですか?」
「ちがいます」
「そうですか……大丈夫ですよ、エレオノーラ様は貴方のことがお気に入りですから」
「だからちがいます」
「はいはい」
アマーリエさんはクスクスと笑いながらエレンが落としていったコップを片付け始めた。あ、やべ、ミルクの存在がバレる。
「あら?」
アマーリエさんが不思議そうな顔をしていたが、俺は狸寝入りを決め込むことにした。話の下手さといい、詰めの甘さといい、反省しきりな一夜であった。
◆ ◆ ◆
翌日である。
こっそりと目を盗んでポイゾの解毒薬をチビチビと飲んでいたのが良かったのか、それとも聖域である大聖堂に留まっていたのが良かったのか、単に自然治癒が進んだのかはわからないが、体調はかなり復調してきた。
ステータス画面を確認してみると、状態異常の項目に『猛毒(慢性)』とあったのが『弱毒(治癒進行中)』になっている。体力とスタミナゲージも最大まで回復しているし、無理をしなければいつもどおりに動けそうな感じだ。
「顔色もだいぶ良くなりましたね」
「これも皆さんのおかげです」
今日も朝から食事を運んできてくれたアマーリエさんに感謝の意を込めて頭を下げる。エレンも時間の空きを見てちょくちょく来てくれていたが、ずっと俺のそばについて面倒を見てくれたのはアマーリエさんだったからね。嫌な顔ひとつせず甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるその姿はまるで女神のようであった。
「でも、モノがバジリスクの毒ですから。もう少し様子を見たほうが良いでしょう」
「はい」
現時点では弱毒の与えてくるダメージよりも自然治癒能力のほうが上回っているようだが、大聖堂を出たらどうなるかわかったものじゃない。ジリジリ減り始めたりしたら死にかねないので、ステータス異常の項目が消えるまではおとなしくしていたほうが良いだろう。
とはいえ、この環境はとても暇である。クラフトもできないし、インベントリをいじることもできない。ただただ食っちゃ寝して静養をするというのは精神的にはとてもつらい。
アマーリエさんは何か繕い物を持ち込んでそれをチクチクしているのだが、当然ながら俺にはそんなものは無い。クラフトメニューは視線だけでもというか、やろうと思えば目を瞑ったままでも操作できるのだが、作業台なしにやれるようなクラフトは全部済ませて街に出てきたので。やることがない。ステータス画面を眺めるくらいしかやることがないんだよね。
アチーブメントも増えてないし。毒状態が治ったら解放されそうな気がするけど、現時点では何も追加されていないんだよな。
アマーリエさんの邪魔をするのも悪いので、俺は俺で今後のことについて考える。
エレンには俺についてくるように言ったが、エレンがもし俺についてくるとしても色々と準備というものがあるだろう。いきなりエレン一人で現在のアドル教を糾弾し始めてもついてくる者は多くはないだろうから、色々と根回しが必要になるだろうな。新しい教派を興すにしても、その内容がロクに決まってもいないんじゃ信者達を引っ張っていくこともできるはずがない。
それに、エレンをここに派遣したエレンの上司――白豚大司教のライバルだって話の枢機卿についても情報がない。エレンの味方についてくれるようなことはあるのだろうか? どんな人物なのかくらいは聞いておきたいところだ。
それに、アドル教や聖王国の組織がどういう枠組みで動いているのかもよくわからない。エレンは教皇や枢機卿の話をしていたが、聖王国の聖王と教皇や枢機卿との間の力関係がどうなっているのかは不明だ。教皇と聖王は同一人物というわけではなさそうな言い方だったように思うが、確認してみなければならないだろう。
そして、信仰の大転換という目標の困難さだ。アドル教を信じる人達にとって亜人は自分達より下、奴隷で当然という常識は一種の利権のようなものだと思う。それを放棄させるような教えを浸透させられるものかどうか……非常に厳しそうな感じはするな。
ただ、メリナード王国という国は昔から人間と亜人が共に暮らしてきた土地だったという。
旧メリナード王国が属国とされて二十年。まだまだ旧メリナード王国時代の価値観を持っている人達は多いだろう。少なくとも、メリナード王国領においては新教派を受け容れる下地はそれなりにあるはずだ。
色々と調整をする必要はあると思うが、全く荒唐無稽な話というわけでも無いだろう。
そうなると、やはり解放軍と連絡を取る必要があるな……解放軍と、メリナード王国内に駐屯している聖王国軍との戦闘が本格的に開始される前に何とかしたいところだ。
解放軍の装備なら聖王国軍を正面から叩き潰すことも可能だと思うが、そうすればお互いに被害は大きくなるだろうし、間違いなく国土は荒れる。できることならそうしたくないという気持ちはシルフィ達だって持っているはずだ。
そう考えているとコンコンと部屋の扉がノックされ、アマーリエさんが繕い物の手を止めて扉へと向かっていった。部屋に入ってきたのはやはりというかなんというか、エレンであった。
「少し二人で話させてください」
エレンは入ってくるなりそう言ってアマーリエさんとベルタさんを部屋から出した。そして、俺のベッド脇にある椅子に座り、俺の顔をじっと見つめてくる。
「一晩考えました」
「ああ」
「難しいと思います。茨の道です。それでもやりますか?」
「やるよ。それが俺にとっての最善手だと思っているからな」
「やるからには命懸けです。アドル教の歴史そのものに真正面から喧嘩を売ることになります。先日の刺客など問題にならないレベルの暗殺者が送り込まれてくることになるでしょう。それでもですか」
「ああ」
真正面からエレンの視線を見返して頷く。
「私は怖いです。死にたくありません。聖女だなんだと持て
「俺が絶対に守ってやる……と断言するのは簡単だけどな。そんなのは無理だ。俺は神でもなければ絶対無敵の勇者ってわけでもないからな。でも、最大限、力の限り手を尽くしてエレンを守るよ」
「そうですか……最後の質問です。私を貴方の一番の女性にしてくれますか?」
「それはできない。俺の最愛の人はただ一人だ」
即答して首を振る。これだけは譲れない。俺の最愛の人は何があろうともシルフィだ。
「では、私は愛人、側室、あるいは都合の良い女というやつですか」
「えっ」
「貴方の話を聞く限り、私以外にもいるのですよね? 貴方の為に命を懸けるような女性が。そして、貴方が命を懸けてでも守りたいと思うような女性が」
「ええと……はい」
「厳しいことを言っても良いですか?」
エレンがニッコリと微笑む。俺は両手を挙げて全面降伏した。
「勘弁してください」
「勘弁しません」
「そんなー」
聖女様に慈悲はなかった。
「私とその女性、どちらかの命しか助けられないとしたら……その時は遠慮なくその方の命を助けると良いです」
「えぇ……」
「貴方にとっては私は一番ではないかも知れませんが、私にとっては貴方が一番になるのです。私は貴方が幸せであることを望みます。それが寄り添い、生きるということであると思いますから」
「あ、ああ……」
なんというか、物凄く重いです。
「だから、その時には私は喜んで命を差し出しましょう。私を顧みる必要はありません」
「そういうわけには」
「そうしてください。そうしなければなりません。貴方が歩もうとしている道はそういう道です。その覚悟をしてください」
エレンは無表情に戻り、淡々とそう言った。その紅玉の瞳はひどく穏やかで、彼女が心の底からそう言っているのだといやが上にも感じさせられる。
「アドル教を敵に回すということはそういうことです。そういう覚悟は常にしておくべきです」
「大袈裟だとは言えないよな……ここの大司教を失脚させただけで刺客が放たれるんだものな」
「そういうことです」
エレンが深々と頷く。重い女だとか思って本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そうではなく、エレンは俺に覚悟を促して……ん?
「エレンは俺に協力してくれる、ってことでいいのか?」
「ええ、そうなります。やはり私はあの神託が私の勘違いであるとは到底思えませんから。それに、今のアドル教の上層部が神を裏切っている、という話には頷ける点が多々ありますので」
「そうなのか」
「そうなのです。私が所属している教派は所謂懐古派というものなのですが」
「かいこは?」
「アドル教の原初の教えを研究し、実践しようという教派です」
「へぇ……あー、つまりあれか。時が経つにつれて神の言葉やそれを記した聖典の解釈が歪んできているとか?」
「オミット王国が滅亡した三百年ほど前からメリナード王国の成立した二百年ほど前の期間に不自然な教義の
「なるほど? 具体的にはどう改竄されたんだ?」
「実は亜人を敵視し、差別するような内容に改竄された疑いが強いのです」
「なんと」
ということは、俺の提案はエレンの所属している教派的にも実は都合が良いものなのだろうか。エレンがあっさりと俺の提案に頷いたのはそういう理由もあったのかもしれないな。
「何故そのような改竄が行われたのかはわかりません。オミット王国の滅亡に関連しているのではないかと考えられているのですが、オミット王国の滅亡の理由などについては詳しいことがほとんどわかっていないのです。通常では考えられないほど短期間で滅んだらしく、跡地はオミット大荒野になっているので調査も捗らず、という」
「あ、あー……滅亡の理由ね。うーん、ボクハヨクワカラナイナー」
なんだかオラ嫌な予感がしてきたぞ。これってエルフに喧嘩売って精霊石の大量投入で滅ぼされたオミット王国の権力者とかが当時のアドル教の上層部に収まって、逆恨みの気持ち満載でコツコツと反亜人のロビー活動を行った結果とかなんじゃ。
い、いや。まだ結論を急ぐのは早い。俺の妄想でしかないからな、ハハハ。
「嘘ですね」
「あああああああああああ真実の聖女おおおぉおおぉぉぉぉ!」
一発で嘘を看破されて思わず頭を抱える。
「いえ、力を使うまでもなく見え見えなんですが」
「ですよねー! でも確証はないのでノーコメントで! それよりも今後の動きについて話そう!」
「……いいでしょう。そのうち話してもらいますよ」
「そ、それは約束する」
実はメリナード王国滅亡の原因が何百年も前にエルフの古老達がヤンチャした結果とか、シルフィ達が知っても大惨事になりそうだ。
古老達がテヘペロしている姿を幻視したような気がする。気のせいだと思いたい。
◆ ◆ ◆
「全快ですね」
「全快だな」
翌日の朝。
遂にステータス異常の項目から毒の表示が消え、体調が全快した。アマーリエさんによる診察も問題なし。やっと外に出られるというわけだ。
「あー、宿においてあった荷物、処分されてるよなぁ」
「大丈夫ですよ。引き取ってありますから」
「マジで?」
「マジです。貴方のことを調査した際にラフィンの宿に宿泊しているというところまでは掴みましたので」
「アドル教の調査能力こえー」
「貴方は目立ちますからね」
それもそうかと納得する。そもそも黒髪の人物というのが少ないらしいし、俺の格好を見れば傭兵か冒険者であるということは一目瞭然だったはずだ。あとは門番に問い合わせれば足取りは追えるだろう。俺を案内した少年を捕まえれば銅貨数枚で俺の情報は得られるだろうし。そうすれば後は芋蔓式だ。
「これが欲しかったのですよね?」
エレンがどこからか白銀に輝く光芒十字のロザリオを取り出す。あの光沢は恐らくミスリル。俺の求めていた品だ。
「ああ、そうだ」
「何故ですか? 貴方の立場からして、必要なものだとは思えないのですが」
「すまん、それは話せない。だが、必要なものなんだ」
流石にエレンにもゴーレム通信機のことは話せない。あれはクロスボウやハーピィ用の航空爆弾よりも重要な戦略兵器だ。
「ゴーレム通信機とやらの材料にミスリルと銅の合金を使うそうですね」
「あのクソ狐!」
「ええ、そのクソ狐から聞いた話です。流石に設計図や現物は持ち出せなかったようですが」
「そりゃ無理だろうな」
ゴーレム通信機の管理は徹底している。設計図なんてものは技術者の頭の中にしか存在しない。ゴーレム通信機に関しては覚え書き程度のものですら絶対に残さないように俺が強固に主張し、アイラがそれに同意したためそういう扱いになったのだ。
あれが敵に奪われて量産なんかされた日にはどんな恐ろしいことが起こるか想像もつかない。数に勝る敵が有機的に連携して襲いかかってくるなんて事態は想像もしたくないな。
「まぁ、良いです。差し上げます」
「良いのか?」
「良いですよ。大金貨二枚で」
「あ、はい」
俺は枕元に置いてあった財布から大金貨を二枚取り出し、エレンに渡す。いくらアドル教の聖女様でもタダでミスリルのロザリオを渡すのは不味いらしい。
「あと、これも差し上げます」
そう言ってエレンは一枚の紙を取り出した。何やら上質の紙に短い文と印の押されている書類のようだ。
「私に面会できる面会状です。よほど立て込んでいない限り最優先で面会できます」
「おお……それは嬉しい」
「嬉しいんですか?」
「嬉しいよ。これでいつでもエレンに会えるんだろう?」
「そうですか。そうですよ」
そう言ってエレンはツイっと顔を逸らした。少し耳が赤くなっているようだ。俺がストレートに嬉しいと言ったのが恥ずかしかったか何かしたらしい。
「俺からも何か……うーん、そうだな」
これがあれば俺にフリーパスで会える、みたいな物品が思いつかない。俺にしか作れないものといえば銃の弾丸なんだが……そうだな、装薬と雷管を抜いたものに俺の名前を刻んだものを渡して、同じように書状を作っておけばいけるかも知れない。
「同じような紙とペンを貰えないか?」
「書状を書くのですか?」
「ああ、そんな感じだ」
「わかりました。少し待ってください」
エレンが席を立ち、しずしずと扉へと歩いていくのを見ながらクラフト画面を操作し、小銃弾の弾薬を材料としたペンダントトップを作り、それと革紐を材料として小銃弾のペンダントを作る。
「うーん?」
これで大丈夫だろうか? 俺の名前でも彫っておくか? いや、なんか俺の名前を彫ったペンダントを持たせるとか恥ずかしいよなぁ……自分の名前を彫ったペンダントを首にかけさせるとかちょっとアレじゃない? なんかこう、独占欲とかそういうのが滲み出ない? でもな、万が一の場合は俺に会うための通行証代わりとして機能させることになるかもしれないしな。
うん、彫っておこう。念のために。
出来上がった銃弾ペンダントを再びインベントリに入れ、アイテムクリエイションを使って自分の名前入りの銃弾ペンダントを登録し、再びクラフトする。
出来上がってきたのはこちらの世界の言葉で『コースケ』と彫られた小銃弾のペンダントだ。なんというか、無骨。優雅さとか華やかさとか欠片もない。物騒な雰囲気の漂うペンダントである。
「それは?」
「ああ、んー……俺にしか作れない特別な矢玉をペンダントに加工したものだよ」
「矢玉なのですか?
「飛ぶのは先端のこの部分だけなんだ。まぁ、危ないからこれからは飛ばすための力を抜いてあるけど」
「そうなのですか……貴方の名前が彫ってあるようですが」
「俺が作ったものだってわからないと意味がないだろ?」
「ふーん……自分の名前を彫ったペンダントを私の首にかけるんですね」
「いざという時の身分証がわりみたいなものだから……」
そう言って小銃弾のペンダントをエレンに手渡すと、ペンダントを受け取ったエレンがそのままペンダントを差し出してきた。

「貴方の手で私の首にかけてください」
「えぇ……」
「さぁ」
「……わかったよ」
頑として譲る気は無さそうなのでエレンの手からペンダントを受け取り、首にかけてやる。顔と顔が近づくにつれて、なんかいい匂いがしてくる。なんで女の子っていい匂いがするんだろうな。不思議だ。
なんてことを考えていたのが良くなかったのか、いきなりエレンが俺のことをギュッと抱きしめてきた。
「お、おい?」
「行ってしまうのでしょう? 私を置いて」
至近距離から紅玉の瞳が俺の目を覗き込んでくる。深い紅色の瞳に吸い込まれそうだ。
「そりゃ……うん、そうだ」
嘘を言っても仕方がない。俺はシルフィ達のところに戻らなきゃならないからな。俺のいるべき場所はシルフィの隣なのだ。
「ならこれくらい許して下さい」
エレンがより一層力を込めて俺に抱きつき、マーキングでもするかのように首元に頭を擦り付けてくる。
ペンダントの革紐を結び終え、俺もエレンの身体に手を回してそっと抱きしめた。華奢な身体だ。シルフィとは比べるべくもない。少し力を入れただけで折れてしまいそうだ。
エレンが俺の顔を見上げ、そっと目を閉じた。誘われるままに唇を重ねる。
「……こうやって何人の女性をその毒牙にかけたんですか?」
「こういう甘酸っぱい感じは初めての気がするな」
シルフィもアイラもハーピィさん達も情熱的過ぎてこういうの飛び越えちゃうから。
「そうなのですか」
「そうなのです。あと、そんな無骨な品だけどアクセサリを贈ったのもエレンが初めてです」
「そうなのですか」
「そうなのです」
「迎えに来てくださいね」
「必ず」
「約束ですよ」
エレンがふわりとした笑みを浮かべる。うーん、とてもかわいい。本当にこの世界に来てからのモテ具合は何なんだろうか? 俺をこの世界に放り込んだ神の導きなのか? アドルなのか何者なのかはわからんけど、ロクに神に祈ったこともないのに信心が芽生えそうだぞ。
そんなことを考えているとエレンが名残惜しそうにそっと俺を抱きしめていた腕を解いたので、俺もエレンを解放してお互いに身を離す。
「ええと……書状を書くよ」
「はい。他に何か連絡手段があれば良いのですが」
「連絡手段ねぇ……連絡手段……あ」
思いついた。思いついたよ、連絡手段。
「エレンは王城に自由に入れるんだよな?」
「ええ、勿論です」
「メリナード王国の王族がいる凍りついた区画にも行けるか?」
「行けますが……」
エレンが怪訝な表情を見せる。それはそうだろう。あの区画はライム達が厳重に警備をしている超危険地帯なのだ。城の人間は近付こうともしない区画のはずである。
「実はな、俺は城の地下でスライム達と仲良くなったんだ」
「あの危険な魔物と……?
「あれは王族と契約してスライムとして受肉した精霊の類らしい。物凄く知能が高いというか、普通に話もできるぞ。敵には容赦がないみたいだけど」
「そうなのですか」
「そうなのです。で、だ。彼女達に連絡手段を渡しておくから、俺に伝えたいことがあれば彼女達を経由してくれ。ただし、怒らせるなよ。俺からエレンを襲わないように話はしておくけど、メリナード王国の王族に手を出そうとしたら容赦なく襲いかかってくるだろうから」
「わかりました」
効果があるかどうかはわからないが、エレンが用意してくれた紙に銃弾のペンダントを持つ人が俺の大切な人であるということ、丁重に扱い、言付けがあれば俺に連絡して欲しいということを書く。
「ナイフなんて取り出して何を?」
「こうするんだ」
指先を傷つけ、滲み出してきた血を右手の親指に塗りたくって血判を押す。いてて、ちょっと切りすぎたかもしれん。
「随分と思い切りますね」
「いざという時にエレンの命を救うかも知れないものだからな。できる限りのことはする」
いざというとき、というのは解放軍がエレンを捕らえるか何かしてしまった時のことだ。俺は解放軍に帰ったら致命的な衝突が起こらないように働きかけるつもりだが。
「ありがとうございます。それで、今後の動きなのですが」
「うん」
「とりあえず、うちの教派の本部に連絡を取ってみますが……かなり時間がかかります」
「だろうね」
メリネスブルグから聖王国の王都までどれくらいの距離なのかはわからないが、馬車でも片道一週間とか二週間とかなんだろうなと思う。
「しかし、具体的にどうしたら良いのかサッパリわからんな」
「政治が関わりますからね。
「そうだな。どこかで幕は引かないといけないものな」
「そうですね」
お互いにどちらかを殺し尽くすまで戦うなんてことはできない。いや、圧倒的な国力差・戦力差があればそれも可能なのかも知れないが、少なくとも聖王国と解放軍の間でそういう事態にはならないだろう。そうさせてはいけない。
「苦労しそうだな。お互いに」
「そうですね。がんばりましょう」
互いに頷きあう。どこまで妥協を引き出せるかが肝心なんだろうが……まぁ、難しいだろうな。解放軍はメリナード王国領からの全面撤退を求めるだろうし、聖王国としては二十年もの間実効支配してきたメリナード王国を手放すなんてのは言語道断だろう。どこに妥協点を見出せるか……。
「荷物を持ってこさせます」
「ああ」
エレンが部屋から出ていき、少ししてから二名の教会騎士が俺の鎧や盾、兜や槍なんかを持ってくる。なんだか見張られたまま鎧を着るのって変な気分だな。
装備を身に着け終え、教会騎士に案内されて大聖堂へと向かう。
「行く前に祈ったほうが良いかな?」
「そうすると良いと思います」
「祈り方とか知らないんだが」
「祈る心があれば良いんですよ」
そう言ってエレンが手を組み、目を瞑って祈り始める。俺もそれに
色々と厄介事も多いけど、この世界に来てからというものの生きているって実感を強く感じる。
ありがとう。
祈りを終え、最後にエレンとしっかりを目を合わせる。紅玉の瞳には決意が漲っているように思えた。胸元には俺の渡した小銃弾のペンダントが鈍い光を放っている。
「それじゃあ」
「はい。神のご加護があらんことを」
踵を返し、大聖堂を後にする。
ミスリルの調達に予定外の時間をかけてしまった。早く地下道に戻ってライム達と合流し、ゴーレム通信機を作らないと。
大通りを通り、足早に城門を目指す。そう言えば通行証の期限を過ぎているんだが、大丈夫なんだろうか? 流石にしょっぴかれて牢屋行きってことにはならんだろうけど、追加で税の納付を求められたりしそうだなぁ。
なんて考えながら歩いていると、何者かに腕を強く掴まれた。
「っ!?」
凄まじい力だ。なんて思っているうちに薄暗く、細い路地に引き込まれて腕を極められ、壁に身体を押し付けられる。ヤバい、油断した。一体何だ? まさかキュービか!?
混乱している俺の耳元に襲撃者が口を寄せてくる。どこか蠱惑的な甘い香りを感じる。女?
「はぁい、コースケさぁん」
「ヒェッ……」
聞き覚えのあるその声に背筋が震える。こ、この声は……俺にひたすら石臼を回させたりするヤベーやつの声! ま、まさか……何故ここに?
「メ、メルティ……?」
「あら、すぐにわかりましたか」
俺を後ろから壁に押し付けていた力が緩んだので、振り返る。
「っ!?」
瞬間、背筋にゾクリと悪寒が走った。瞳孔が縦に割れた金色の瞳が俺の目をじっと見つめていたのだ。
「随分とアドル教の連中と仲良くしていたみたいですね……コースケさん?」
その声音は氷のように冷たく、明らかに俺に疑念を抱いているというのが丸わかりであった。
「おお、もう……」
俺はそう言って天を仰ぐしかなかった。