「でも数によっては商業ギルドの
まさか三十近い依頼が来ているとは思わなかったが、錬金飴も包み紙もキャンディボトルも生産自体は難しいものではない。一回でたくさん作れる。なにより今のジゼルは
それよりも気になるのは、ここまでの数となると『お裾分け』ではなく『販売』と見なされてしまうのではないかということ。
この大陸で商品の売買を行う場合、一部の例外を除き、商業ギルドを通さなければならないという決まりがある。『例年よりも
生産時に予想ができなかったこと・売り上げが公共のものとなる場合・知り合い同士などの小規模で行われた取り引きであることがポイントになってくる。
今回は三つ目のケースに
「それなら宿の商品として登録すればいい。うちの規模ならまだ
「いいんですか?」
全ての宿は宿屋ギルドに所属する義務があり、ギルドに入会費と年会費を納めている。
入会するランクに応じて受けられる特典や
大体の宿はタオルや石けん、
その土地の名産品やお
ちなみに『オリーブの樹』で販売しているアイテムはタオルと石けんのみ。近くに市場があるため、携帯食や飲み水の販売もしていない。だがその枠は女将さんと親父さんが宿屋ギルドに会費を
「こっちがお願いしたんだからこのくらい当然さ。
「そういうことなら、お言葉に
「それから値段のことなんだけど、一瓶を十個入りとして、銀貨五枚で売るのはどうだい?」
「ぎ、銀貨五枚!?」
銀貨五枚といったらかなりの大金だ。王都の少し割高な宿でも朝食付きで二
「やっぱり安すぎるか……。本当は飴一個で銀貨一枚取ってもいいと思っているんだけど、実際に食べたのはまだヴァネッサ婆だけだろう? だから初めはお
「高いくらいだと思います……」
「高くなんてないさ。これを作れるのはジゼルだけなんだから! 胸を張りな! ああ、そうそう。価格を伝える時にはしっかりと『お試し価格』って書いておくんだよ。後で値上げした時に文句を言われちゃ
強めに背中を
「えっと、じゃあ先にお手紙への返事を送りますね」
「それがいい。便せんと封筒は後で持っていくから」
「あ、ありがとうございます」
今回だけの予定が、いつの間にか販売を続けていく話になっている気がする。女将さんの目には大量の銀貨が浮かんでいる。完全に商売モードだ。勢いづいた女将さんを止められる人はいない。親父さんも
当面はお金と職に困らなくて済むと前向きに考えることにした。
「ジゼル、悪いな」
「いえいえ。そういえば親父さんの分の錬金飴、そろそろなくなる頃ですよね。追加で作っておきます」
「ありがとう。お礼に今日の夕食は期待しててくれ。
「やった!」
ジゼルは
ヴァネッサに話を聞いて
それぞれの手紙を読み、希望された錬金飴の種類と個数をメモに記していく。明確な個数を書いていない人には瓶一つ分としてカウントしていく。それぞれの種類を三十瓶ずつ作れば安心だろう。
疲労回復の錬金飴について書かれている手紙はなかったが、女将さんがヴァネッサに話したのは腰痛と肩こり
値段を聞いてやはりいらないと言われる可能性もあるが、女将さんのやる気からして余っても宿屋の販売商品としてカウンターに置いてくれそうだ。
量が分かれば次は材料の買い出しだ。少し多めに買っておこう。買い物用バッグに
「今から買い出しに行ってきます。何か必要なものはありますか?」
「ならパン屋に寄って明日の分の注文をしてきてくれるかい?」
「分かりました」
女将さんはそう言って手元のメモに必要なパンと個数を記した。もう何年もお使いをしているため、パン屋側もメモを渡すだけで分かってくれるのだ。ちなみに代金は納品時に支払うことになっている。受け取ったメモをバッグのポケットに入れる。
親父さんにも確認し、市場に
「いらっしゃい。明日の分の注文かい?」
「はい。これ、女将さんから預かってきたメモです」
宿屋『オリーブの樹』の売りの一つに親父さんの料理がある。食事時になると、受付
親父さんが作る料理はどれも美味しいのだが、パンだけは本職には
ジゼルも王都に来てからすっかりこの店のパンの
「明日は多いのね」
「サンドイッチのお客さんが宿泊されているので」
「ああ、いつもの。本当によく食べるもんだよね」
「このお店のパンは美味しくて、いくらでも食べられますから」
サンドイッチのお客さんとは、朝夕だけでなく昼食用のお弁当も頼む常連冒険者のことだ。
毎回五人分のパンを使うのだが、バスケットの中にはパン
「嬉しいこと言ってくれるわね~。じゃあいつもと同じ時間に持っていくわ」
「よろしくお願いします」
「そうそう。錬金ギルドに頼みたいことがあるんだけど、確か今は錬金ランプの仕事があるんだったよね? いつ
「えっと、すみません。私、今日ギルドをクビになっちゃって。詳しいスケジュールは分からないんですが、例年通りだと二十日後には落ち着いていると思います」
「クビ? 他のギルドに引き
「私レベルでは引き抜きなんてされませんよ。錬金ギルド所属はもう難しいと思うのですが、当面は『オリーブの樹』に置いてもらえることになりまして。錬金術で作ったアイテムを売りながら暮らそうかなと」
パン屋のおばさんは、ジゼルが錬金ギルドに所属してから
頬をポリポリと
「それって今後はギルドを通さずに魔法道具の生産依頼を受けてくれるってことかしら?」
「あ、いえ。錬金術で作った薬飴みたいなものを売ろうと思っていて」
「そう……
「すみません」
「ジゼルちゃんに担当してもらえないのは残念だけど、あなたの仕事が
「おばさん……」
優しい言葉をかけてもらい、涙で視界が
「次の分焼けたぞ~。って、ジゼルちゃん、どうした? 悲しいことでもあったか?」
「ジゼルちゃん、ギルドから追い出されたんですって」
「そりゃあ酷いな……。なんでそんなことに」
「理由なんてどうでもいいわ。あの男、初めて見た時から気にくわない顔してるなと思ってたのよ。うちに来たら塩
「そうだな。塩屋のおやっさんに大陸一
「あ、あのお二人とも。私は大丈夫ですから。ショックではありますけど、私が初級アイテムしか作ってこなかったのは事実ですし、当面は生活に困ることはないので……」
新しいギルドマスターはとても運動が得意なようには見えなかった。毎日のパン作りで
実のところ、ジゼルも彼が得意ではなかった。だがやっつけたいほど
塩屋のおじいさんも一緒になって実行しそうで
「そうか? ジゼルちゃんがそう言うなら……」
ジゼルの
「新たな
「本当ですか!? 私、おじさんのオレンジパウンド大好きなんです!」
「うちに初めて顔見せた時に買ってたやつだもんな。明日の配達と一緒に届けてやる。おじさんからのプレゼントだ」
「ありがとうございます! あ、じゃあ私からはお返しに錬金飴をお渡ししますね」
「錬金飴?」
「はい! 三種類あるんですけど、その中に腰痛に効くものもあって」
宿屋の女将さんと親父さん同様、二人も腰痛に
渡すチャンスができたことと大好物が食べられることが重なり、ジゼルの声は自然と明るくなる。
「腰痛に? そんなすごいものがあるのかい?」
「効果がどれくらい出るかは個人差があるんですが、少し身体が軽くなるはずですよ」
「そりゃあ楽しみだ」
ジゼルが両手をグッと固めると、二人の表情も明るくなった。ギルドマスターに岩塩を投げつけよう計画はこれで完全に流れたはずだ。
夕方に備える二人に別れを告げ、店を出る。その後、薬屋と市場で錬金飴の材料となる薬草と果実を、何でも屋で瓶と包み紙の材料を
早速パン屋のおじさんとおばさん、宿屋の親父さんに渡す予定の腰痛に効く錬金飴を作り始める。
作り方は簡単。材料を全てすりおろしてから錬金釜に入れ、魔法をかけながらかき混ぜるだけ。四半刻ほどで固まり始める。浮き上がったものを穴あきお玉で
いつも作る時よりも少し多めに材料を入れたので、五十個ほどできるはず。これを四回繰り返す。
三人に渡すのはもちろん、手紙の返事にサンプルとして入れようと思ったのだ。腰痛に効く錬金飴を選んだのは一番依頼が多かったから。三人の分と一緒に作ってしまえるというのも大きい。
乾かしている間に包み紙も作ってしまう。実はデザインはもう考えてある。といっても王家からの依頼ほど凝ったデザインではない。単純に
今までも包み紙の色を変えてはいたが、色だけでは分かりづらいかもしれない。肩こりと腰痛に効くものを一つずつ希望する人もいたので、より見分けが付きやすいよう、
肩こり緩和が赤のストライプ。
腰痛緩和が青の水玉。
疲労回復が緑の葉っぱ。
これなら効果が異なる錬金飴を同じ瓶に入れても取り間違えずに済む。包み紙を分ける代わりに、瓶はシンプルなデザインのキャンディポットを採用する。こちらはすぐに使う分以外、明日以降に作るつもりだ。
包み紙はもちろん、瓶にも忘れずに『ジゼル』の名を刻む。錬金術師は
錬金術を学ぶにあたって真っ先に教わるのはサインの重要性である。自分の作品であると証明するという役割もあるが、生産者に責任感を持たせるためでもある。
これにより品質
今回は包み紙のデザインに合うよう、錬金ギルドに所属していた頃とは少しだけ字体を変えてみた。これからはこのサインがジゼルの証になるのだ。そう思うと少しだけ頬が緩んだ。
「ふ~んふ~んふ~ん」
小さくカットした包み紙の真ん中に錬金飴を置き、包み込むように丸めて
女将さんと親父さんは気にしなくていいと言ってくれていたが、売り物にするからにはそうはいかない。弾いた分は後日、自分で食べよう。ひとまず手近な木製ボウルにポンポンと入れていく。
それから三人分はそれぞれ違う瓶に入れ、残りは
「ジゼル、お
「ありがとうございます」
立ち上がり、便せんと封筒を受け取る。宿屋で普段使っているものとは違い、小さな花が
「対応できるかは分からないと先に伝えてあるから、急がなくても大丈夫だから。無理しないようにね。ところでそこの大瓶は?」
「遠方に住んでる方の分から少しずつ進めようと思います。こっちはお返事をする際にサンプルとして
「サンプル! いいねぇ。そっちのボウルの中のは使わないのかい?」
女将さんが目をつけたのは、先ほど弾いた
「こっちは形が不揃いなので自分で消費しようかなって思ってて」
「余っているならうちでの試食用にいくつか分けてもらってもいいかい? 高額支払いの組に一個プレゼント、って形で配りたくて。気に入った人には一個銅貨五枚で売るんだ」
「瓶売りではなく、単個売りにするんですね。今あるのは全部腰痛用なのですが、明日以降、残りの二種類も作るので、完成
「ありがとう。助かるよ。追加の器は後で持ってくるわ」
女将さんは木製ボウルを大事そうに両手で包み
「私も
女将さんを見送り、
案内の一番上に書くのは錬金飴の値段と、一つの瓶に入っている個数。
次は注意
最後にお客さんへのお願いだ。現状、
ギルドに所属していたとはいえ、ある程度の知識はある。この辺りはキッチリしておかなければ後々
案内を人数分より少し多めに書き、ペンを置く。先ほど飴を入れた瓶を一つだけ手に持って部屋を出る。
思ったよりも時間がかかってしまい、夕食の準備には間に合わなかった。だが後片付けには間に合う。皿洗いくらいはさせてもらわねば。親父さんにキャンディボトルを渡し、なんとか手伝いをゲットしたジゼルはせっせと働いた。
手紙を抱えて部屋を出れば、女将さんとパン屋のおばさんにばったり出会った。もうパンの配達の時間だったらしい。明らかに
「ジゼルちゃん、頑張りすぎよ」
「つい気合いが入っちゃって。おばさん、これが昨日お伝えした飴です」
「ありがとう。オレンジのパウンドケーキはもう渡してあるから、おやつの時間に食べてちょうだい」
「おやつの前にしっかりと休むんだよ?」
「これを頼んだら
「それがいいわ」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「はい~」
飛び出そうになる
ジゼルが王都に来た数ヶ月後にやってきた青年だ。年はジゼルと同じなのだが、年のわりにはかなりの
市場に行けばおまけを付けてもらい、ホクホク顔なところがまた可愛いのだとか。可愛いかどうかはさておき、
ドランは早朝から昼にかけて窓口にいることが多い。ジゼルは通勤前に宿の荷物を頼みに来ることがほとんどなので、彼が担当してくれることが多いのだ。休みの日には一緒にスイーツを食べに行く仲でもある。
そんな彼だが、国内に五人といないドラゴン使いの一人でもある。ギルド内には彼の相棒のドラゴンがいて、何度か飛んでいるところを見たことがある。
「おはよう。ドラン。これ、馬車便でお願い」
「すごい量だな。しかも全部ジゼルが書いたのか」
「そうなの。夜通し書いたから眠くって。それで、全部でいくらになりそう?」
「ちょっと待ってろ。確認してくる」
ドランが担当するドラゴン便は早いが、目が飛び出そうな値段がする。ちなみに価格は早さや安全面と比例して高くなる。上から順に、ドラゴン便・飛鳥便(大型~中型
ドラゴン便は大陸のどこにいても一日以内に届くことが一番の売りである。またドラゴンの
平民の年収が数年分軽く
最も利用されているのは一つ下のランクの飛鳥便。
値段は魔獣の身体の大きさに比例しており、手乗りサイズなら魔獣単独で
大きな飛鳥族は、大きめの荷物の
残るは走鳥便と馬車便だが、この二つの
とはいえ手紙を返す量を考えると、銅貨一枚だろうと節約したい。だが安全性も大事にしたい。そこでジゼルは迷わず馬車便を選んだというわけだ。
「銀貨八枚と銅貨四枚だな」
「さすがに高いなぁ……」
「量が量だからな。これでもお得意様割引を適用したんだぞ? ところで貴族達に手紙なんか出してどうするんだよ。まさか
わざとらしくぷるぷると
「ギルドを辞めた、というよりも辞めさせられたのは事実だけど、しばらくはこのまま『オリーブの
ジゼルの言葉に、ドランの顔色が一気に変わった。
「辞めさせられたってそんなっ、軽く言うことじゃないだろ! 何か変なことされてないだろうな!?」
カウンターから身を乗り出し、ジゼルの
「急にクビって言われただけだよ。それに辞めさせられたのはショックだったけど、ありがたいことに心配してくれる人もこのまま置いてくれる人も、私の作ったアイテムを喜んでくれる人もいるし。先にこっちかなって」
言い終わると、ゆっくりとドランの手が
「そういえばジゼルってこうと決めたら
「ふぁぁぁぁ」
力が抜けた後で残るのはドランの手の温かさだけ。
「
「ごめんごめん。安心したら眠くなっちゃって。配達ギルドの寮とお風呂が立派って話だよね?」
女将さんと親父さんは王都に来てからずっと一緒だから。ドランは多分、年と目線が近いからだと思う。ジゼル自身もよく分かっていない。
「やっぱり聞いてないな……。まぁ王都に残るならいいか」
「うん。しばらくはこのまま残るし、これからは今まで以上に配達ギルドのお世話になるかも」
「そっか。安くするから俺がいる時に来てくれ」
「早朝は空いてるもんね。じゃあ、私、帰るね」