「もうできたのかい!?」

「はい。しばらく使ってみて乾燥が続くようであれば教えてください。それからこの石けんは女将さんが手を洗う時用にしてください」

「なんでだい?」

「女将さんの今の手の状態に合わせて作ったので、その他の場所だと合わないことがあるんです」

 あかぎれ寸前の手に合ったものということで、保ほ湿しつ力が継けい続ぞくしつつ、肌の修復機能を高める成分を追加した。油分を多量に含ふくんでいるため、乾燥していない状態で使うと、使い終わった後に肌に残る感じが出てきてしまうことがある。

 また頻繁に洗う手とは違い、顔の乾燥は酷くないため、この石けんを使用すると肌トラブルに繋がる可能性もある。

「あんたはまたすごいものを……。なんだか悪いね。何かお返しでも」

「いつもお世話になっているお礼ですから! それに大したものでもないので気にしないでください。ね、たーちゃん」

「はやくよくなってねぇ」

「あたしも二人には世話になっているんだけど……。今回はお言葉に甘あまえさせてもらうことにするよ。ありがとう。ジゼル、たーちゃん」

 ジゼルとたーちゃんが求めるのは、女将さんの手の回復である。感謝の言葉でも少し照れくさいくらい。けれど胸の辺りがぽかぽかとして、たーちゃんと顔を見合わせるとさらに幸せが広がっていくのだった。


 数日後。朝食をもらいにキッチンに行くと、親父さんに両手を見せつける女将さんの姿があった。

「見ておくれよ、この手! 前よりも綺き麗れいになってるよ」

「本当だ。ささくれまでなくなってるじゃないか」

 石けんは大成功だったようだ。ジゼルの腕うでの中にいるたーちゃんはまだ寝ねぼけているようだ。

「おいしいのなくなっちゃったぁ?」

「ささくれは食べ物じゃなくて、痛いやつだよ。なくなったら嬉しいの」

「そっかぁ。いたいのはないほうがいいねぇ~。うれしいね~」

 ほにゃほにゃとした表情でよかったよかったと繰り返す。ジゼル達たちに気づいた女将さんは、ハッとしてこちらにも両手を突つきつけた。

「ジゼル、あんたはやっぱりすごいよ! たった数日でこんなに綺麗になった!」

 目の前に広げられた手をじいっと見つめる。指にできかけていたあかぎれはもうない。ひっくり返して手の甲こうを確認しても、しっかりと潤うるおっている。

 効果を実感してもらえるまでの期間が想像よりもかなり短い。これもたーちゃんの応おう援えん効果だろうか。女将さんの手を見てしょんぼりしていたから、かなり頑張ってくれたのかもしれない。理由はともかく、女将さんの手が守れてなによりである。力になれたことが少しだけ誇らしい。

「それで相談なんだけどさ、同じものをいくつか作ってもらいたくて。今まで使ってた石けんが入荷するまででいいんだ。頼たのむよ」

 目の前でパチンと両手を合わせ、懇こん願がんする。ジゼルの返事はもちろんイエスだ。

「前のは小さかったので、少し大きくして。数も多めに五個くらい作っておけば安心ですかね」

「それだけあれば安心だ。もちろん今度こそお礼はするから! 欲しいものを考えておいておくれ」

「気にしなくても……」

「たーちゃんはねぇ、なににしよっかなぁ~。ジゼルもいっしょがいいかな~。べつべつのがいいかなぁ? ねぇジゼル~」

 遠えん慮りよするジゼルとは正反対に、たーちゃんはルンルンである。身体を大きく左右に揺ゆらしながら「やっぱりおいしいのかな~」と楽しそうに悩んでいる。女将さんはそんなたーちゃんを眺め、力強く頷うなずく。

「ジゼルと一緒にいっぱい考えておいて」

 女将さんはその言葉を残し、キッチンから去っていった。横で見ていた親父さんは何も言わず、けれど頬はすっかり緩ゆるんでいる。女将さんが嬉しそうなのを見て、親父さんも嬉しくなったのだろう。ジゼルも嬉しい。やはり元気な女将さんが一番だ。

 朝食を食べ、宿の手伝いを済ませてから石けんの材料を買いに行く。荷物が多くなってしまうため、たーちゃんはお留守番だ。女将さんと一緒にカウンターでお仕事をしてくれている。あまり遅おそくならないよう、テキパキと済ませてしまおう。

 目的のものは主に四種類。キッチンで分けてもらったものと同じ植物油・ベースの石けんに入っていた牛ぎゆう脂し・薬草などの補ほ充じゆう・灰を作るための材料である。

 この中で灰だけはこのまま購こう入にゆうすることはできない。通常の石けん作りでは、雑草などを燃やした際に出た灰を使用する。正確には灰から出たアクを使用するのだが、どちらにせよわざわざ買う必要がない。

 だが錬金術を用いた場合、灰の質が石けんの完成度に関わってくる。錬金術というものは錬金釜に入れた素材がそれぞれに作用するため、通常の方法では作り出せないものや効果を生み出すことができる。

 その一方で意図せぬ作用が起こることも多々ある。今回の灰がそうだ。その辺の雑草で作れば質がやや下がり、石けんに入れる素材に合わせて作った灰を使用すれば効果は倍増する。

 とはいえ求める効果が毎回似ているジゼルが使う灰の材料は一種類だけなのだが。

「すみません。カシノキの端は材ざいってありますか?」

「おお、ジゼルちゃん久しぶりだな。また灰を作るのかい?」

「はい。おじさんのところのカシノキが一番よくて」

「嬉しいこと言ってくれるね~。たくさんあるからいいの持っていきな」

 おじさんは端材の入った箱を見せてくれる。中には不ふ揃ぞろいの木材がたくさん。これらは主に小物を作る時や家具を修理する時に買われていく。今回は燃やしてしまうので、形が悪かったり短かったり、他に買い手がつかなそうなものを選んでいく。

「これでお願いします」

「まいどあり!」

 端材を袋ふくろに入れてもらい、次の店に向かう。植物油は油を専門に扱あつかっている店で、牛脂は肉屋でゲットした。軽く挨あい拶さつをしてからすぐ次の店に行くつもりだったのだが、どうしても聞いておきたいことができた。

「ジゼルちゃん、どうかしたのかい?」

「もしかしてなんですけど、いつもとは違う石けんを使ってますか?」

 肉屋のおばさんの手は、少し前までの女将さんの手のよう。いや、女将さんの手よりも酷い。すでにあかぎれができている。だが去年よりも前の様子を思い出してみても、手が荒れていることはあれど、ここまで痛々しいことはなかった。

 その点もやはり女将さんと同じ。ならば肉屋のおばさんも例の石けんを使っていたのではないか。そう考えた。そしておばさんの反応を見て確信する。

「どうして分かったんだい!?」

「手が乾燥してるのが気になって」

「よく見てるね。いつも使ってるのは暖かくなるまで入荷しないって言われてさ。違うのを使ってるんだけど、やっぱりいつもと違うとダメだね~。パン屋の奥おくさんも小麦屋の奥さんもみんな合わないってさ」

「そんなに困ってる人、多いんですね」

「ジゼルちゃんが来る前に『酷い手て荒あれに効く石けん』って話題になったことがあってね。それ以来、この辺ではあの石けんを使ってる人が多いんだよ」

 肉屋のおばさんから話を聞いた後、次の店に向かいながら色んな人の手を観察していく。お店を開いている人達、特に女性は指先が荒れている人が目立った。同じ石けんを愛用していたのかもしれない。

「石けん、渡したら喜んでくれるかな」

 ポツリと呟つぶやき、我ながらいい案なのではないかと気づく。宿屋の女将さんと親父さんは元より、市場の人達には日ひ頃ごろからお世話になっている。

 錬金ギルドに所属していた時は度たび々たび依い頼らいしてくれたし、その後だってジゼルを心配してくれた。これを機に日頃の感謝を伝えるというのはいいかもしれない。

 そうと決め、薬草を予定よりも多く買い込こむ。多めに買っていた植物油は足りるが、牛脂は帰かえり際ぎわに買い足すことにしよう。

 両手いっぱいに荷物を抱かかえながらも気持ちはいつも以上に浮かれている。今にも走り出したい気持ちを抑え、買い物を終えた。

「ただいま戻りました!」

「おかえり。何かいいことでもあったのかい?」

「いいこと、ではないのですが……。女将おかみさんと同じく乾燥に悩なやんでいる方が多くて、だから石けんを渡して市場の方々に日頃の感謝を伝えようかなって」

「その考えはいいと思う。だけどね、あの人達はジゼルの負担になるようなことを望まないと思うよ? 頼んだあたしが言うのもなんだけど、錬金飴作りと一いつ緒しよにやるのは負担じゃないのかい?」

「元々同じ石けんを使っていた方で似た症しよう状じようが出ているのであれば、効能もほとんど同じで大丈夫なので、大きいものをいくつか作ってカットしようかなと。あと、香りを付けたら喜んでもらえるかな~って。まだふんわり考えているだけなんですけど……」

「香り……」

「あ、もちろん強い香りを付けるつもりはなくて、物によっては薬草の香りもなるべく控ひかえめにするつもりです」

 女将さんと同じ石けんをベースにしながらも、それぞれの悩みにあったものを作るつもりだ。例えばパン屋のおばさんに作る場合、効能は女将さんと同じでもいいが、薬草の香りは抑えたい。食品を取り扱っているためだ。その分、見た目にこだわる。

 複数の色を混ぜるだけでも、カットする場所によって全く違ちがう見た目になる。また形も丸や四角ではなく花や宝石の形にすれば、見て楽しめる。

 ただし、花は花でも形を凝こりすぎてはいけない。見て楽しんでほしい気持ちもあるが、石けんは石けん。使ってもらうことが一番だ。使いづらくしては意味がない。

 ならいっそ花本体ではなく、花びらの形にするのはどうか。一つあたりは小さくなってしまうが、使い切り石けんということにすればいい。継けい続ぞく的てきな使用を前提としたものには使えないが、香りと色に特化した石けんの場合は問題ない。

 使い切りサイズなら、普ふ段だんは香りの付いたものが使えない人でも、仕事後など、シーンを限定して使ってもらえる。香りが少し長めに残るような工く夫ふうは施ほどこすが、あくまでも石けん。夜に使えば朝には綺麗さっぱり消えている。

 ブルーノのデザインを見せてもらってから、ジゼルなりに『安らぎの時間』について考えることが増えた。今までのジゼルなら、石けんに色と香りを付けることは思いついても、香りの持続時間まで考えることはなかった。

 今までとは少し違う仕事が、新しい人との出会いが、ジゼルの創作意欲を刺し激げきしてくれる。錬金術を習い始めた頃の楽しさを思い出させてくれたのだ。モクモクと広がっていく構想に、思わず頬が緩んでしまう。

「香こう料りようは何種類作る予定なんだい?」

「花・ハーブ・果物の香りが十数種類ほど手元にあるので、それを使おうかなと。よければ香りを確かく認にんしてもらえますか?」

「いいのかい!?」

「たーちゃんもかくにんする!」

「はい。この香りは避さけた方がいいとかあったら教えていただけると嬉うれしいです。それとは別に、女将さんが気に入った香りがあれば、次に作る石けんに使うので言ってください」

 前回は効果とスピードを重視して作った。それに変に凝ってしまうと、肌に合わなかった時に女将さんが遠慮してしまうかもしれない。作り直しを悪いことだと思ってほしくなかった。だから非常にシンプルな石けんにした。

 効果の確認ができた今、女将さんが気に入ってくれるものを作りたい。

「なんだか催さい促そくしちゃったみたいで悪いねぇ。その分、お返しは頑がん張ばらないと」

「あ、じゃあ早速で申し訳ないのですが、宿の裏で木を焼いてもいいですか? もちろん穴はしっかり埋うめますので」

「構わないよ。お返しはまた別にするけど」

「ありがとうございます」

 考えが見み透すかされていた。思わず苦い笑いが出てしまう。こうなった女将さんは意地でもジゼルからお返しのリクエストを聞き出すことだろう。たーちゃんと一緒、と言っても納なつ得とくしてくれそうもない。真面目に考えておこう。

「気にしなくていいんだよ。あたしらの石けんに使われるんだから」

 ぺこりと頭を下げ、部屋に戻る。ジゼルは棚たなにしまってある香料コレクションを取り出すと、香りがダメになっていないか確認する。

 野菜の皮などを使用する染せん料りようとは違い、こちらはごくごく普ふ通つうの香料である。花などをすり潰つぶし、アルコールに浸ひたしてから濾こしたもの。錬金術を使わずに作れるお手軽品だ。

 もちろん錬金術を使ってもできるのだが、魔力を加えることで性質が変化する材料もあるので注意が必要だ。

「うん、全部大丈夫そう」

 まとめて複数の香りを確認したので少し心配だが、使う直前にも確認すればいいだろう。

「女将さん。どうぞ。一応確認はしたんですが、前に作ったものなので、香りが変だったら教えてもらえると……」

「分かった。仕事の合間に確認させてもらうね」

「石けんの方は明日以降に作る予定なのでゆっくり選んでください」

「たーちゃんもいっしょにいく」

「でもお外で見てないとだから寒いよ? たーちゃんも女将さんと香り選んでて?」

「たーちゃんもおてつだいしたいの!」

 ほっぺを膨ふくらませて地じ団だん駄だを踏むたーちゃん。だが寒いだけではない。火の粉が飛んできたら危ないのだ。どう説得したものか。悩んでいると、女将さんはフルフルと首を横に振ふった。

「たーちゃんもジゼルと一緒に行きたいんだよ。連れていってあげな。少し離はなれたところから座すわって見てれば安心だろうよ」

「そう、ですね。ごめんね、たーちゃん。シャベル運ぶ係お願いしてもいい?」

「まかされた!」

 掃除用具入れからバケツとシャベルを取る。バケツの中に端材の入った袋を入れ、シャベルはたーちゃんに持ってもらう。

 宿裏に移動する間に『絶対に火の近くに近寄らない』と約束してもらう。火の粉の心配はもちろんのこと、地面からの距きよ離りが近いたーちゃんが足を滑すべらせたら、それこそただごとでは済まない。

「たーちゃんが痛い思いをしたら私も女将さんも親おや父じさんも悲しいからね?」

「たーちゃんもいたいのはいやぁ」

 コクコクと頷くと、素す直なおに木箱の上に座ってくれた。バケツの中の端材はひとまずたーちゃんの隣となりに置かせてもらい、バケツに水を汲くむ。火事になると危険なので、いつでも消化できるように水を入れたバケツは必須なのだ。

 水の入ったバケツを避け、たーちゃんからシャベルを受け取る。そして建物から適度に離れた場所に穴を掘ほった。気持ち少し深めに。スペースも少し余裕を持って作った。最後に購入した木を魔ま法ほうで乾かわかす。これが意外にも重要である。

 暖だん炉ろにくべる用の薪まきとして売っているものはしっかりと乾かしてあるのだが、今回ジゼルが購入したものは農具や家具に使われる木材。火をくべるために売られているわけではない。なので火がつきやすいように乾かす必要があるというわけだ。

 あとは火をつけて待つだけ。木箱の上に腰こし掛かける。するとたーちゃんは「よいしょ」と言いながら、ジゼルの膝ひざの上に移動する。身体は横にして、ジゼルの顔を見上げるようにお話ししてくれる。

「おかみさんがねぇ、ジゼルのことすっごくほめてたんだよ」

「そうなの?」

 返事をしながら、たーちゃんが落ちないように手を添そえる。もちろん火にも気を配りながら。

「せっけんもすごいし~、あめもおいしいし~、はたらきものだって。でもいっぱいはたらくからちょっとしんぱいなんだって。たーちゃん、ちゃんとみててあげてっておねがいされちゃったぁ」

「だから着いてきてくれたの?」

「ううん。まってるあいだね、たーちゃんさみしかったから。ジゼルともっといっしょにいたいなぁっておもったの」

 荷物が多くなるからお留守番してもらったのだが、悪いことをした。女将さんはたーちゃんからお話を聞いていたから、一緒に連れていくように勧すすめてくれたのだろう。

 膝の上に乗ったのも寂さびしさを埋めるためかと思うと、胸がギュッと痛む。今度からは少し時間がかかっても往復するようにしよう。反省し、素直に謝あやまる。

「お留守番させちゃってごめんね。石けん渡しに行く時は一緒に行ってくれる?」

「うん。ジゼルのせっけんはすごいんだよ~っておはなししてあげるね」

「喜んでもらえるといいなぁ」

 燃えていく木材を眺ながめながら、石けんを渡す人達の顔を思おもい浮かべる。そしてふと、とあることに気づいてしまった。

「親父さんってどんな石けんにすれば喜んでくれるんだろう? ドランもあんまり困っているようには見えなかったし、今の石けんで困ってない人に渡しても……」

「おやじさんもドランも、ジゼルのつくったのならよろこんでくれるよ?」

「そうなんだけど、ありがとうって渡すなら役に立つものがいいでしょう? だから石けんの他にも何か作ろうかな~って」

「やくだつもの?」

「そう。たーちゃんが『たーちゃんもつかえる?』って聞いてくれたみたいに、親父さんとドランも使ってみたいな~って思うやつ」

 使い切り石けんと同様に、仕事が終わった後にリラックスできるアイテムがいい。これから寒くなるので、身体を温められるものなんてどうだろう。かさばらず、使い切れるようなものだとなおいい。けれどそう簡単には浮かばない。

「ジゼルのつくったのならなんでもつかってみたいな~ってなるよ? たーちゃんもいっぱいもこもこするのたのしみ~」

「あんまりやりすぎると身体までもこもこになっちゃうから、ほどほどにね?」

「ええ~」

 話しながら、たーちゃんの身体が泡あわで覆おおわれる姿を想像する。絶対可愛かわいい。親父さんと女将さんもほっこりしそうだ。だが泡が残っていたらたーちゃんの大好きなおやつが食べられなくなってしまう。ちゃんと洗い流せているか確認しないと。

 それから、ビチャビチャにならないようにも気をつけて。いっそ桶おけにお湯を溜ためて、泡で遊ぶというのもいい。けれど今の時期、長時間遊べば身体が冷えてしまう。どうしたものかと考えて、ハッとした。

「そうだ、入にゆう浴よく剤ざいにすればいいんだ!」

「にゅーよくざい?」

「そう、入浴剤。お風呂は難しいかもしれないけど、手湯や足湯なら気軽に試してもらえると思うんだ」

 立ちっぱなしだと足がむくむし、寒くなると厚着する分、靴くつの中が蒸むれやすくなると配達ギルドの人達がぼやいていた。ジゼルが思い描えがいていた『仕事が終わった後にリラックスできるアイテム』の条件にもピタリと当てはまる。また入浴剤も過去に生産依い頼らいを受けたことがあるため、問題なく量産できる。

「てゆやあしゆ?」

 たーちゃんは初めて聞く言葉を繰くり返し、身体全体を左右に傾かたむける。

「手とか足をお湯に入れて温めること。たーちゃんの場合は普通にお風呂になっちゃうけど、ぽかぽかになるよ~」

「ぽかぽか!」

「お風呂の中なら石けんを使っても大だい丈じよう夫ぶだから、いっぱいあわあわしようね」

「おふろたのしみだね~」

 たーちゃん用に作るのなら、間ま違ちがって口に含んでしまっても害がないものがいい。色味は付けず、香り付けにはオレンジの皮を使おう。

 薬草も少なめにして、油脂も植物油のみを使用。クズ魔石の使用は控えられないが、溶かし残しがないように細心の注意を払はらって……。

 ジゼルは頭の中でその他のレシピも組み立てていく。

 石けんは乾燥に悩んでいる人達をメインに配っていく。乾燥と保湿に特化したものと、見た目と香りを意識した使い切りのものの二パターンを主しゆ軸じくにしつつ、個人に合わせたものを作っていく。

 入浴剤は乾燥以外のお悩みを持つ人達や、ジゼルのお手製石けんが不要だろうと判断した人に配っていく。一度きりだと寂しいので、三回分くらいの量を入れるつもりだ。

 量の調整をしやすいよう、粉末ではなく親指の第一関節ほどの大きさの粒つぶにするつもり。また手の乾燥は気にならなくても踵かかとは乾燥しているなんてことも。使用後も潤いを感じられるよう、乾燥に効く入浴剤も作っておこう。

 たーちゃんのために作ろうとしている入浴剤も、渡す用のレパートリーに入れてもいいだろう。手湯をした後、何かに触さわる時に成分が気になってしまうかもしれない。だが口に入れても大丈夫な素材しか使っていなければ、口や食べ物に触ふれることがあっても安心できる。小さなお子さんがいる方にも安心して使ってもらえる。

「たーちゃんのおかげでだいぶ作るものが固まってきたよ。ありがとう」

 お礼を告げながら頭を撫なでる。頬ほおを押おさえながら喜ぶたーちゃんに、とある提案をすることにした。

「ねぇたーちゃん、私ね、女将さんがくれるっていうお返しで欲ほしいものができたんだ」

「おやつ?」

「ううん、桶。前に洗せん濯たく桶おけとして使っていたものが余ってるみたいだから、それをたーちゃんのお風呂用にさせてもらおうかな~って思ってるんだけど、どうかな?」

 あの桶ならたーちゃんが入っても深くなりすぎない。座ってちょうどいいくらい。ジゼルは名案だと思ったのだが、たーちゃんは少し困ったように眉まゆを下げる。

「それだとたーちゃんだけうれしいのになっちゃう」

「じゃあ私も足湯する時に使おうかな」

「それならいいとおもう! うん、とってもいい」

 そうこう話しているうちに灰ができた。完全に冷めるまで待ってから回収する。風で吹ふき飛ばされないよう袋に入れ、空けた穴はしっかりと埋める。

 部屋に戻もどったら早速石けんの量産を始める。前回とやや材料は異なるが、石けん部分を灰と他の材料で補う程度。大まかな手順は変わらない。やはり一番大事になってくるのはかき混ぜる工程である。

 丸い石けんを大量に作り、ものによってはナイフでカットしていく。簡単に切れるため、力加減を間違えて怪け我がしないようにだけ注意が必要だ。数をこなせば大体切る角度も分かるようになり、サクサクと終わった。

 切きれ端はしを種類ごとに袋に入れ、次は使い切り石けんだ。するとナイフ使用中は少し離れたところから見ていたたーちゃんはこてんと首を傾げた。

「あまったのどうするの?」

「後でまとめて石けんにするよ。常連さんに渡せそうなものは、錬金飴の時みたいにプレゼントにしてもいいかも。人ごとに合ったものを渡さないといけないから、みんなに渡せるわけじゃないんだけど、少量だったら追加を作ってもいいし……」

 乾かん燥そうに効く石けんがほとんどのため、ある程度なら異なる種類のものを混ぜても問題はない。材料の微び調ちよう整せいなどを考える手間を省くため、今回は使い回しを避けたが、他の石けんの素材として使うこともできる。

 といっても色や香りが付いたものを他のものと混ぜると、色移り・香り移りの原因となる可能性があるので注意が必要だ。

 余った分も花びらの形にして……。そう考えていたのだが、予想外のことが起きた。錬金釜を見下ろしながら思わず固まってしまう。

「たーちゃん、これ何に見える?」

「たーちゃんのしっぽ」

「だよね」

 花びらを目指したはずが、たーちゃんの尻しつ尾ぽのような形になってしまったのだ。ただの偶ぐう然ぜんだろうか。それにわずかな時間で浮かび上がってきたのも気になる。ジゼルはまだ材料を入れただけ。かき混ぜてすらいない。

「これはひとまず避けて、もう一回作ってみよう」

 たーちゃんと話しながら作業していたため、意識がそちらに引っ張られてしまったのだろう。そう思ったのだが――。

「また尻尾だ。なんで……」

 なぜか二回、三回と作り直しても同じ形が出来上がる。無難に薔薇ばらの花びらをイメージしたのだが、イメージ力が足りなかったようだ。別に難しい形ではないと思うのだが……。ジゼルは渋しぶい顔で大量の石けんを見つめる。その横でたーちゃんはご機き嫌げんである。

「ぽんぽこぽんぽこ。たーちゃんのしっぽ~。ぽんぽこぽんぽこ。いっぱいいっぱいうれしいなぁ~」

 たーちゃんの踊おどりを見ていたら『失敗』ではなく『たーちゃんを象しよう徴ちようする形』に見えてくるから不思議である。むしろジゼルの相棒であるたーちゃんと一緒に「これからもよろしくお願いします」と挨拶するにはピッタリの形にも思える。

 通常サイズだとつるんと滑ってしまいそうな形だが、使い切り石けんほどのサイズの薄うすさなら問題ない。

 生産スピードが異常なこともあり、完成した石けんのいくつかを使ってみた。結果は問題なし。しっかりと泡あわ立だつし、泡あわ切ぎれも文句なし。

 生産スピードはきっと、石けんの大きさが関係しているのだろう。あっという間にできてしまうが故に、一いつ瞬しゆんで完成形をイメージする必要があったという結論に至った。

 ジゼルもまだまだ未熟ということだ。だが未熟であったからこそ、こんなに可愛らしいものができた。そう考えれば悪いことばかりではない。

「小さいのは全部この形にしよっか」

「たーちゃんのしっぽといっしょ~っていってわたそうね~」

 ご機嫌なたーちゃんは、尻尾をフリフリと振りながらアピールの練習を始めた。


 翌日。入浴剤の材料とラッピングの材料を買いに行くことにした。もちろん今度はたーちゃんも一緒だ。

「なんかあったらここにいれて?」

 尻尾形バッグをポンポンと叩くたーちゃん。荷物でいっぱいになったら歩くとまで言ってくれた。本当に優やさしくていい子だ。

 とりあえず行きはいつも通りの定位置で、何でも屋に入る。包装紙の材料は錬金飴の包み紙に使っているものと全く同じ。こちらは迷わないのだが、とある棚に差し掛かかるとピタリと足が止まってしまった。

「思ったよりいっぱいある……」

 贈おくり物をする際、渡す人を間違えないためにリボンを付けることにした。全種類少しずつ買えば見分けるのは簡単だろうと。

 まさかリボンだけで低い棚をまるまる一つ使っているとは思わなかった。ザッと見ただけでも五十はある。これではとりあえず全種類、とはいかない。金銭面だけの問題ではなく渡す時に混乱するからだ。

 その場にしゃがみ、リボンを吟ぎん味みする。できるだけ特とく徴ちようが被かぶらず、喜んでもらえるものがいい。

「たーちゃんこれすき。たーちゃんといっしょ」

 そう言いながら指差したのは、赤いフリルリボン。以前女将さんが作ってくれたローブを意識したのだろう。たーちゃんらしさたっぷりだ。

「あ、本当だ。じゃあ一つはこれにしようか。赤以外の色のでいいな~っていうのがあったら教えて?」

「わかった~」

 棚の上に置かれたメモとペンを手に取り、札に書かれた番号を記入する。欲しい長さも書いてから渡すと、店員さんがまとめて切ってくれるらしい。

「これも! これもいいなぁ」

 可愛いデザインはたーちゃんが率そつ先せんして選んでくれるため、ジゼルは無地やストライプなどシンプルなリボンを選んでいく。

「よし、このくらいでいいかな」

 選んだのは全部で十七種類。半分以上たーちゃんセレクトである。予定より少し多くなってしまったが、リボンなら余っても他に使い道がある。全て同じ長さにカットしてもらい、ラッピングの材料と一緒に会計を済ませる。

「りぼん、たーちゃんがもつ!」

 フンフンと鼻を鳴らすたーちゃんからバッグを受け取り、中に入れさせてもらう。

 それから残りの材料も買い、試作品をササっと作ってしまう。試作品といっても、一度に作れる量の確認がメインなのだが。

 試作品として作るのは二種類。たーちゃんが使える分と、女将さんと親父さんに渡す分である。ちなみに全てたーちゃんの尻尾形にした。使い切り石けんと同じサイズにしたため、イメージするのも楽だった。なによりたーちゃんの気合いの入り方が違う。

「ぽんぽこぽんぽこ。たーちゃんのしっぽ~」

「ぽんぽこぽんぽこ。みんなをげんきにするのぉ~」

「ぽんぽこぽんぽこ。おふろっ! おふろっ!」

 歌だけではなく、踊りもいつもとは少し違う。錬金飴のお手伝いをしてくれる時は両手でお腹なかを叩たたくように踊るのだが、今回は身体の右と左にある太たい鼓こを順番に叩いているような踊りである。右でトントンと二回叩いたら左も同じように二回。また右で二回左で二回と、リズムに合わせてトントンしている。

 すると錬金飴の時と同様に、想定よりも多く入浴剤が浮ういてくる。それらを掬すくい、乾かしているうちにもう一種類と包装紙も作ってしまう。

「完成! 親父さん達の分は乾いてるかな~」

 乾かしていた入浴剤を指先でツンツンと触ってみる。指先に軽く粉がつく程度。このくらい乾けば問題ないはずだ。たーちゃんの分はまだもう少しかかりそう。とはいえ明日の朝にはすっかり乾いているはずだ。

「あとはラッピングだね。少し机を片付けて……」

 机の上を一度整せい頓とんし、完成した数種類の包装紙を並べる。たーちゃんはバッグからリボンの入った紙かみ袋ぶくろを取り出し、その中から一つをジゼルに差し出した。

「これつかう」

 たーちゃんが選んだのは、最初に選んだレースの付いた赤いリボン。何でも屋にいる時から女将さんと親父さんに渡わたす用と決めていたのかもしれない。

「じゃあ包装紙はそれにあったのにしようか」

「どれがいいかなぁ~」

 リボンを手に取り、色んな包装紙の上に載のせてみる。話し合いながら女将さんの分、親父さんの分と順番に決めていく。二種類を適当な大きさにカットすべく、鋏はさみを手に取った。だがたーちゃんはそこで止まらず、三枚目の包装紙を指差した。

「これはふつうのとおっきいの」

 しかも二枚必要としている。ジゼルは鋏を持ったままキョトンとしてしまう。

「たーちゃんの分?」

「ドランとおじちゃんのぶん。たーちゃんとおんなじのあげるの」

「ドラゴンさんにも使ってもらえるかはドランに聞いてみないとだけど、それでもいい?」

「いいよ~」

 ドラゴンさんにも渡すとなると、今の量では少し心こころ許もとない。明日、今日と同じくらいの量を追加で作ろう。

「りぼんはジゼルがえらんで~」

「このリボンじゃないの?」

「ちがうやつ!」

 力強く否定されてしまった。あのリボンは女将さんと親父さん専用だったのかもしれない。残った分はたーちゃんの寝ね床どこに付けるのはどうだろうか。石けんと入浴剤をみんなに配り終わった後で、たーちゃんに聞いてみることにしよう。

 今はドランとドラゴンさんに渡す分のリボン選びである。たーちゃんが選んでくれたのは植物柄がらの包装紙。柄入りなので、リボンは無地がいいか。ちょうど植物と同じ色味のものがある。それにしよう。

 包装紙の大きさに合わせて少し長めにカットする。汚よごさないよう、他の包装紙の一番上に載せて埃ほこ避りよけの布をかけておく。

 親父さんと女将さんの包装紙は机の上に広げる。包装紙の真ん中に石けんまたは入浴剤を置き、包むように上で紙をまとめる。綺き麗れいに見えるよう、紙の長さを調整してから絞しぼった部分をリボンで固定すれば完成だ。

 軽くて小さい入浴剤の方をたーちゃんに持ってもらい、石けんはポケットに入れて部屋を出る。

「親父さん。今、お時間大丈夫ですか?」

「どうした?」

「ぷれぜんとで~す。どうぞぉ」

 入浴剤を差し出すたーちゃんに、親父さんは目を丸くする。

「俺おれに?」

「入浴剤を作ったんです。もしよかったら手湯をする時に使ってください」

「おててぽかぽかになるんだって」

「ありがたく使わせてもらう。実は俺からも二人にプレゼントがあるんだ」

 そう言いながら取り出したのは二つの小さな瓶びん。一つはオレンジピール。キャンディボトルの材料をもらいにきた際に作ってくれると言っていたものだろう。もう一つの瓶の中身もオレンジピールなのだが、なんとこちらにはチョコレートが付いている。

「おいしそ~」

「これ、本当にもらっちゃってもいいんですか?」

「ああ。いつもお手伝いを頑張ってくれているお礼だ。受け取ってくれ」

「ぷれぜんとっていいねぇ」

 たーちゃんは瓶を抱え、しみじみと呟く。

「そうだな。俺も嬉しい。でも食べすぎないようにな?」

「ありがとうございます」

「ごはんもいっぱいたべるからすこしずつにしておく。……これ、ドランとおじちゃんにもわけてあげてもい~い? とってもおいしそうだからぁ、よろこぶとおもうんだぁ」

「ああ、いいぞ。たーちゃんはえらいな」

 頭まで撫でてもらい、たーちゃんはご機嫌である。ほっぺが緩ゆる々ゆるになっている。だが小瓶を抱える腕うではキッチリとホールドされている。さすがはたーちゃんである。ジゼルが受け取った分はポケットの中の石けんと入れ替かえる。

「石けんの方もできたんだな」

「はい。今から女将さんに渡しに行く予定です」

「そうか。きっと喜ぶぞ」

 ぺこりと頭を下げてから、女将さんがいるカウンターへと向かう。近くにお客さんがいないのを確認してから、声をかける。

「女将さん。追加分の石けんができました」

「相変わらず早いね。ありがとう。助かるよ」

「それで、その……お返しについてなのですが」

「うんうん。何が欲しいんだい?」

 お返し、なんて本来自分から言い出す内容ではない。ジゼルも少し言い出しにくい。親父さんからプレゼントを二つももらった後のことだからなおさらだ。

 だが女将さんは口の両りよう端はしを上げながらウンウンと頷うなずいてくれる。希望を言い出しやすいような空気を作ってくれているのだ。ジゼルは小さく息を吸すい込んで、たーちゃんと一緒に決めた希望を告げた。

「前に使ってた洗濯桶を譲ゆずっていただけたらなぁと」

「は?」

 一瞬にして女将さんの表情にヒビが入った。何か選せん択たくを間違えたらしい。

「あ、他に使う予定があれば他のものを考えますので!」

「使う予定なんてないけどさ、使い古した桶だなんて……。そんなにないものかい?」

「たーちゃんのおふろにするんだぁ。ジゼルもあしいれるんだよ~」

「お風ふ呂ろ?」

「ジゼルがねぇ、たーちゃんもつかえるにゅーよくざいつくってくれたんだぁ。おやじさんとべつのやつ」

「石けんの他に入浴剤も作ったんです。二種類あればより合ったものを渡せるかなって。それでさっき、親父さんには手湯用の入浴剤をプレゼントして、その時に親父さんからオレンジピールのプレゼントをいただきました。なので正直、桶まで頼たのんでいいものか少し悩んでて……」

 ジゼルの言葉に合わせてたーちゃんがオレンジピール入りの瓶を前に突つき出す。これだよ、と見せるような仕草に、女将さんは困ったように息を吐ついた。

「それは日頃のお礼だから気にしないでいいんだよ。桶だって無理に考えたわけじゃないならいいんだ。でもね、あれは穴が空いてるからダメだ。新しいのを買ってあげるからそれを使いな」

「ありがとうございます!」

「おふろたのしみだねぇ~」

 部屋に戻り、完成した石けんをラッピングしていく。宝石の形にした石けんは中身が見える透とう明めいな包装紙。乾燥対策用の石けんは、段階別に包装紙のデザインを分けた。

 ちなみに入浴剤の包装紙は無地で揃そろえる予定だ。リボンはそれぞれに合わせたデザインをたーちゃんと選ぶ。間違えないように特徴ごとにメモを残すのも忘れずに。

 包み終わった石けんは、普段、不ふ揃ぞろいの錬金飴を入れている籠かごに並べて保管しておくことにした。

 翌日は入浴剤を大量に作る。小さな石けんの時と同じく材料を投入するとすぐに浮かび上がってくるため、乾燥させる時間の方が長いくらいだ。

「これで最後っと」

 ドラゴンさん用の大きな袋ふくろを包んだら、全員分が完成した。明日くらいまでかかる予定だったのだが、まだおやつ時よりも少し早いくらい。抜ぬけている分がないか、たーちゃんにメモを読み上げてもらいながら、ジゼルは贈り物の方を確認する。すると途と中ちゆうでドアがノックされた。女将さんだ。手にはちょうどいい大きさの桶がある。

「桶、これでいいかい?」

「ありがとうございます」

「わぁ~たーちゃんのおふろだぁ」

「もう入るならお湯を沸わかすけど」

「はいる! あ、でもおしごとちゅう」

「あともう少しだからすぐ終わるよ。お願いしてもいいですか?」

 落ち込こむたーちゃんに声をかけ、女将さんにお願いする。残りも確認してから、無事にリストから欠けている人がいないと頷く。

 たーちゃんの分の入浴剤と石けんをポケットに入れ、キッチンに向かう。ちょうどお湯が沸いたところだったようで、桶にお湯を入れてもらう。それを宿裏に置く。

「まだ熱いから触らないでね? 残りの準備もすぐに済ませるからちょっと待ってて」

「わかった~」

 タオルとたーちゃんの腹巻き、水入りのバケツを取りに戻り、すぐにたーちゃんのもとに引き返す。運んできた水は桶に入れる。ジゼルが少し温ぬるいかな? と感じるところまでかき混ぜる。

「たーちゃん、温度を確認してもらってもいい?」

 たーちゃんを抱だき上げ、水面に手が届く位置まで下げる。スッと手を伸のばし、ふむふむと頷きながら温度を確認してくれる。

「どう?」

「いいかんじぃ」

「じゃあ入浴剤を」

 入れるから少し待っていて、と続けようとした時だった。手の中のたーちゃんが大きく動いた。手を振っているようだ。思わず落としそうになり、自然と手に力が入る。けれどたーちゃんが気にした様子はない。ずっと何かに向かって手を振っている。

 視線の先を見たが何もいない。はて? と首を傾かしげている。けれどしばらく見つめていると、建物の横からひょっこりと見慣れた猫ねこが出てきた。

「ぼすぅ。おそいよぉ。いっしょにおふろしよ~」

「にゃ~あご」

「こわくないよぉ。ジゼルがねぇ、たーちゃんのためににゅーよくざいつくってくれたの。ぼすもいっしょにはいれるよぉ」

「にゃっ!」

「ほんと! ジゼルはうそつかないもん!」

 むうっとほっぺを膨らませる。だがボスはたーちゃんの言葉を疑っているのではなく、お風呂に入ることを拒こばんでいるのだろう。ジゼルにはボスの言葉は分からないが、にゃーにゃーと何かを伝えるように鳴いている。

 だがこの場から去ろうとはしない。以前、女将おかみさんがボスと一いつ緒しよにいるたーちゃんを見たことがあると話していたが、仲良しさんなのだろう。

「さきにたーちゃんがはいるから、だいじょぶだってわかったらぼすもはいってきて!」

「にゃ……」

 ボスはついに抵てい抗こうすることを諦あきらめたらしい。疲つかれたようにその場で丸くなった。

「ジゼル、にゅーよくざいいれてぇ~」

「あ、うん」

 持ってきていた入浴剤を数すう粒つぶ入れ、ざっくりかき混ぜる。そしてたーちゃんを抱き上げ、桶の中に入れる。

「ふぁぁぁぁ」

 気の抜けたような声と共に、たーちゃんの顔が蕩とろけていく。気持ちいいようだ。この気持ちよさを共有するため、ボスに向かって両手を伸ばす。

「ぼすもぉこっちおいでぇぇぇ」

 ボスは嫌いやそうな表情をしつつも桶の中に飛び込んでいった。けれどその表情は一瞬にして和やわらいでしまった。

「にゃふん……にゃーにゃー」

「でしょお~。たーちゃんのいったとおりぃ~」

「にゃー」

「うんうん。ジゼルはすごいんだよぉ」

 お話しする二匹ひきを眺めながら、石けんを試ためすのはまた次の機会にしようと決める。お風呂は受け入れてくれたボスも、石けんとなるとまた別の話だろう。嫌がることはしたくない。きっとたーちゃんもそうだ。

「ジゼル。身体が冷えないように温かいお茶でも……ってボスも一緒に入ってるのか」

「ありがとうございます。準備をしていたらボスが近くにいたみたいで、たーちゃんが誘さそって一緒に入ってもらったんです」

「かわいいな。……声をかけてくるか」

 親父さんはそう呟つぶやくと踵を返した。それからすぐ、入れ替わるようにやってきた女将さんの手には水の入った皿とタオルがあった。ボスが来ていると聞き、用意してくれたのだ。

 しばらく和なごんでいると、ボスが桶の中から飛び出した。ブルブルと身体を揺ゆらし、水気を吹き飛ばす。ジゼルがタオルに手を伸ばすと「にゃっ」と首を振った。いらないようだ。そのまま皿の方まで歩き、ピチャピチャと水を飲み始めた。