「今度はちゃんと寝てから来いよ」

「あははは」

 軽く笑い飛ばし、宿屋に戻もどる。親父さんと女将さんに声をかける。すると親父さんがすぐに朝食を用意してくれた。半熟の目玉焼きとベーコン、トーストにオニオンスープとジゼルの好物ばかりだ。しかもベーコンは三枚もある。

 ジゼルはいつものようにベーコンで目玉焼きを包み込み、トーストに載せてから頬ほお張ばる。こうして食べると口の中で美味しさが大だい渋じゆう滞たいを引き起こして、心の底からの幸せを実感できるのである。

 朝食後の皿洗いを終えた後、幸せを胸に抱いだいたまま、ふかふかのベッドに潜もぐり込むのだった。


○ ○ ○


 数日後。ジゼルは宿屋の裏で錬金釜を洗っていた。

 ジゼルは、ギルドで使っていた大きな錬金釜は二ヶ月に一度、個人所有の小さな錬金釜は半年に一度くらいのペースで洗って陰かげ干ぼししている。

 どちらも休みの日に二日かけて行う。綺き麗れいにする意味もあるが、錬金釜を休ませる意味の方が強い。

 だが定期的に錬金釜の手入れをする錬金術師はごくわずかだ。汚よごれが気になる時だけ乾いた布で拭ふき、普段は浄じよう化か魔ま法ほうだけで済ませてしまう人が多い。

 そのため他の錬金術師からは馬鹿にされがちだが、錬金釜は自分の相棒みたいなものだ。錬金釜も人と同じで、休みなく働かせていては疲れてしまう。

「よいしょっと」

 ジゼルが個人で所有している錬金釜は全部で四つ。いずれも宿屋のキッチンで使われている鍋なべよりも小さい。洗い終わったら乾いた布で軽く水気を拭き取る。

 水が垂れてこなくなったら、専用の棚に並べて乾かす。この棚はジゼルが王都に来てすぐの頃ころ、親父さんが作ってくれたものだ。それからずっと愛用している。

 ちなみに四つ目の錬金釜は新品だ。元々使用していた釜かまは、飴あめなどの口に入れるものを作る用が二つと、それ以外のものを作る用が一つ。宿屋の自室で作るアイテムの種類や量が限られていたため、三つもあれば十分だったのだ。

 だがこれから錬金釜の稼か働どう率りつが高くなりそうなので、思い切って予備の錬金釜も使い始めることにしたというわけだ。これで錬金飴の種類ごとに釜を使い分けられる。

「これでオッケーっと」

「ジゼル。今、ちょっといいかい?」

「大だい丈じよう夫ぶですよ。廊下のモップがけですか?」

「そっちはもう終わっているから大丈夫。実はジゼルに話があるって、ヴァネッサ婆ばあが来ているんだ。客間で待ってもらっているから来てくれる?」

「私に、ですか? すぐ行きます」

 道具を片付け、手を洗ってから客間に向かう。客間といっても来客対応のために作られた部屋ではない。普段は親父さんと女将さんの休きゆう憩けいスペースとして使われている。食事を取るのもここだ。

 受付カウンターのすぐ横にあり、ドアは厚めだが小窓が付いている。来客中は小窓を閉めて声が漏れないように、普段は小窓を開けておいてお客さんが来たらすぐ分かるように、と使い分けている。

「失礼します」

 ドアをノックしてから部屋に入る。ソファには杖つえを持ったおばあさんと若い女性が腰こし掛かけていた。おばあさんがヴァネッサで、若い女性はお付きの人なのだろう。ぺこりとお辞じ儀ぎをする。

「あんたがジゼルさんかい? 話は女将から聞いているよ。娘むすめみたいに可愛くて仕方ないってね。この飴をもらう時も自じ慢まん話ばなしが長くて長くて。だからあたしも息むす子この嫁よめ自じ慢まんで応戦するんだけど、そしたら南から来た宿屋の親父が割わり込んで孫まご自じ慢まんを始めてねぇ。それでうちの息子の嫁よめなんだけど」

 義理の娘むすめ自じ慢まんが始まりそうなところで、お付きの女性が大きめの咳せき払ばらいをする。

「ギルドマスター、本題に入ってください」

「そうだった。なかなか結けつ婚こんしないと思ってたらいい子を連れてきたもんだからついね」

「はいはい。お嫁さんの話はまた今度にしてください」

「今日はあんたをスカウトに来たんだ。……ジゼルさんや、あんたさえよければ宿屋ギルドに入ってくれないか?」

「宿屋ギルドに、ですか?」

 想像と違う切り出しに目を丸くする。てっきり錬金飴の話をされるものだと思っていたのだ。驚おどろくジゼルに、宿屋ギルドのマスターはにいっと笑う。

「女将にはすでに話したけれど、『オリーブの樹』の規模ならまだ従業員数の追加が可能だ。追加料金もない」

「我わがギルドに所属していただけた場合、錬金ギルドに所属していた時同様、身分証明書が発行され、税金や通行料などの優ゆう遇ぐうが得られます。ですが現状では、他ギルドに所属した場合との差はありません」

 身分証明書と言われてハッとする。錬金ギルドをクビになったからには、一ヶ月以内に他のギルドに所属するか国に申請する必要がある。村にいた頃は申請も更こう新しんも全て父がまとめて行ってくれていたため、失念していた。

 税金優遇などはギルドの規模によってまちまちで、主にギルドが国に納めている税金額によって変わる。ジゼルが所属していた錬金ギルド『精せい霊れいの釜』は大手ということもあり、ギルド全体の売り上げと納税額が多いため、ジゼルはかなりの優遇を受けていた。

 ちなみにギルドに所属していない個人の場合はやや高く設定されているのだが、ギルドに入るにも諸もろ々もろの条件があったり、入会費やら維い持じ費ひやらを取られたりすることもある。

 なので彼女の言う通り、無理に入る必要はない。他のギルドに入っても個人で申請しても似たようなものだ。

「だが錬金飴を本格的に売り出すことを考えれば話は別だ。宿屋ギルドなら商業ギルドのマスターと直接連れん携けいができる」

「本格的に売り出す、ですか」

 宿屋『オリーブの樹』で錬金飴を売ることはジゼルも了りよう解かいしている。小規模展開になるため、売れなかったとしても損益が少ない。だがヴァネッサは国内外で幅はば広ひろく売ることを視野に入れている。まだ販はん売ばいも開始していないどころか、実際に食べた人も限られるというのに、だ。

 あまりにも突とつ飛ぴな話に頭がついていかない。ジゼルの口から出るのは「はぁ……」とため息にも似た、気の抜けた言葉だけだ。

 けれどヴァネッサは気にせず、そのまま話を続ける。

「うちとしてはあくまで商品の一つとして扱うから、ギルドの利益としていくらか上乗せすることはあっても、ジゼルさんが決めた額よりも下げることはしない。他業種ギルドからの強ごう引いんなヘッドハンティングは阻はばめるっていうのも、メリットの一つとして見てもらえるんじゃないかね。もちろん今後、他のギルドに所属したくなることもあると思う。その時は抜けてもらって構わない。こちらにあんたの成長を止める意図はなく、搾さく取しゆするつもりもない。女将には先にこのことを話していてね、本人がよければ構わないという話だったんだが、どうだい?」

「それは宿屋ギルド側に一体どんなメリットが?」

「我々がジゼル様に求めるのは、宿屋ギルドへの優先販売になります。現在の販売形式とは違う形での販売が決定した際には、別途細かい部分をご相談させていただく形になりますが、ひとまず宿屋ギルド所属者が使用する分を毎月一定数確保したいと考えております。詳くわしくはこちらをご覧ください」

 宿屋ギルドの所属者には肩こりや腰よう痛つうを抱かかえている者も多い。女将さんと親父さんも腰痛・肩こりに悩んでいるので、ジゼルもよく知っている。錬金術師であるジゼルを宿屋ギルドに引き入れるメリットとしても納得である。

 差し出された資料に目を通していく。宿屋ギルド所属者への売り方は、まず宿屋ギルド本部で買い取り、それを個人に売る形になる。

 あくまでも宿屋ギルドの関係者に販売する分の確保が目的なので、宿屋ギルドが利益を求めることはしない。ジゼルから買った額で売る。転売は禁止し、販はん売ばい者しやはジゼル本人であることを強調するとのこと。

 この先、一年間の取り引きを確約。また繁はん忙ぼう期きなどは少し多めに販売してもらえないかと相談する可能性あり。急な依頼になる場合は断ってもらっても構わない。

 つらつらと並べられている条件一つ一つをしっかり読み込んでいく。

「代金は現物をいただく際、ジゼル様ご本人に現金にてお支し払はらいいたします。初めの三ヶ月は各種二百個ほどご用意していただき、販はん売ばい数すうを元にそれ以降の取り引き分を決めさせていただければと思っております」

「瓶びんはいくつほどご用意すれば」

「種類ごとに分けていただき、大瓶三つを二セット。空になった方をお持ちして、次回分を詰つめてもらうことを想定しております」

「ならデザインは同じで、ボトルのカラーは変えた方がいいですね」

「助かります」

「種類ごとの売れ行きは私の方でも確かく認にんさせていただけるのでしょうか?」

「はい。受け取りとお支払いの際に売り上げ表をお持ちする予定です。こちらの条件でいかがでしょうか?」

 なるほど。ジゼルにとっても悪い話ではない。それに月に各種二百個ほどなら宿屋の手伝いはもちろん、他の仕事が見つかった後でも続けられそうだ。

「分かりました。宿屋ギルドさんの方でお世話になろうと思います」

 ぺこりと頭を下げる。するとヴァネッサの顔がずいっと寄せられた。

「それで、今月分はいつ頃もらえるんだい!?」

「え、えっと今日明日は錬金釜を休ませるので、最短で四日後のご用意になるかと」

「なら七日後に取りに来させる」

「ではこちらが初回分のお支払いになります」

 ヴァネッサの指示に合わせて、お付きの女性は革かわ袋ぶくろを机の上に置いた。革袋の質がいいのはもちろんのこと、中身がぎっしりと詰まっているのは外からでもよく分かる。

「使い勝手を考こう慮りよして金貨と銀貨を交ぜて用意した。確認しておくれ」

「で、ですがさっきは現物との引ひき換かえになると」

「始めたばかりでいろいろと入り用だろうからね、今回だけ早めに払はらわせてもらう。それには前回もらった分とあたし個人の注文分の支払い、それから祝い金も付けてある。今度寄よ越こす使いの者にあたしの分も渡しておくれ」

「祝い金制度があるんですか!?」

 そんな話聞いたことがない。だが宿屋ギルドといえば、冒ぼう険けん者しやギルドと並ぶ国営ギルドである。錬金ギルドや商業ギルドのように誰だれでも立ち上げることができるわけではない。

 国営ギルドのギルドマスターとなるにはギルド内はもちろんのこと、他業種ギルドのギルドマスターからの推すい薦せんも必要となる。その上で、国王陛下の承しよう認にんを得なければならない。

 やや特とく殊しゆなギルドであり、規模もかなり大きい。新規で宿を開く人数は冒険者よりもはるかに少ないため、そういう制度があってもおかしくはない。

 だがジゼルは新規で宿を開くわけではなく、宿屋の従業員と同じ扱いになるのであって……。ぐるぐると考かんがえ込むジゼルに、目の前の二人は微笑ほほえましいものを見るような目を向ける。

「あたし個人からのものさ。本当に辛つらくてねぇ……夜にぐっすり眠れたのはいつぶりだったか。遠えん慮りよなくもらってくれ」

「ではありがたくちょうだいさせていただきます。代わり、とは少し違うのですが、すでに個人からの注文分は作ってありますので、よろしければお持ち帰りになりますか?」

「いいのかい!?」

「は、はい。確か腰痛の錬金飴が二瓶と肩こりの錬金飴が一瓶でしたよね」

「ああ」

 錬金飴はジゼルの部屋にある。取ってきますと一声かけ、立ち上がる。するとお付きの女性がスッと手を挙げた。

「数に余よ裕ゆうがあるのであれば、私も欲ほしいです。案内を見た時から気になっていて」

「少数であれば大丈夫ですよ。どれにしましょうか」

「疲ひ労ろう回復の効果がある飴を一瓶お願いします。お代は確か銀貨五枚でしたよね」

 彼女は財さい布ふから代金分を取り出し、ジゼルの手に載せた。

「はい。確かにいただきました。それでは今お持ちしますので、少々お待ちください」

 今度こそぺこりと頭を下げて部屋を出る。そのまま真まっ直すぐ自室に向かった。腰痛緩和が二瓶と肩こり緩和が一瓶、疲労回復が一瓶。合計四瓶の錬金飴を持って客間へと戻る。

「おまたせしました」

「あら、早かったね」

 ドアを開けると、見覚えのない女性が一人増えていた。ヴァネッサの隣となりに腰掛けている。見た目は女将さんよりも少し若いくらい。宿屋ギルドの関係者だろうか。

 だが二人とは服装がまるで違う。派手だ。大ぶりの宝石が付いたアクセサリーもたくさん着けている。それでいてまるで下品な感じがしない。服もアクセサリーも彼女を引き立てるものとしてしっかりと機能している。

 見られることにも慣れているようで、ジゼルの視線もふふふと軽く受け流すだけの度量がある。しばらく観察してから、ようやく失礼だったとハッとする。

「えっと、そちらの方は」

「商業ギルド『満月の湖』のギルドマスター、ステファニーさ。知り合いだったから女将に言って通してもらったんだ」

「『満月の湖』って、王城近くの一等地に店を構えている完全紹しよう介かい制商業ギルドの?」

「うちのギルドを知っているのね」

「有名ですから!」

 商業ギルド『満月の湖』には『精霊の釜』もかなりの数の錬金アイテムを納品している。

 ほとんどが上級魔ま法ほう道具作りを得意とする錬金術師が生産したアイテムだったが、ジゼルにも定期的に依い頼らいが来ていた。全て錬金ランプの生産依頼だが。

 王家が愛用している錬金ランプを作った錬金術師のアイテム、といえば聞こえがいいのかもしれない。他の商業ギルドからも依頼が来ていた。

 初めのうちは見み栄ばえを重視する注文がほとんどだったが、ここ数年は姫ひめ様さまのランプのように見た目以外も凝こったものから、冒険者ギルドに納品するようなシンプルなものまで多た岐きに亘わたっていた。

 一度だけステンドグラスの生産依頼が来たことがある。あの依頼は『満月の湖』経由だった気がする。ちょうど錬金ランプの生産依頼が増えていた時期なので、どこからの依頼かまでははっきりと覚えていない。

 だが両親の結婚記念日に贈る品としての注文で、依頼書には綺麗な字がびっしりと書き込まれていたことだけはよく覚えている。顧こ客きやくに寄り添そう、素す敵てきなギルドなのだろう。依頼者の気持ちを受け取り、納品日ギリギリまで調整を行っていた。

 思い出したら、あの日感じた胸の温かさまで蘇よみがえってくる。

「それで、本日はどのようなご用件で」

「『オリーブの樹』で面おも白しろいものを売り始めたって聞いて、うちも一枚噛かませてもらえないかと思ってね。効果によっては独どく占せん販はん売ばいを、と思っていたのだけど……。一足遅おそかったみたいね」

「すみません……」

「ジゼルさん、謝あやまらなくていい。あたしもステファニーの手しゆ腕わんは認めているけど、独占販売なんてされたらあたしら一いつ般ぱんの客には手が届かなくなっちまう」

「商業ギルドですもの。そこはキッチリするつもりだったけれど、労働面もキッチリ整えるつもりだったのよ? 製品の質を高めるには、まず生産環かん境きようと人を整えなくちゃ。まぁ、宿屋ギルドのお抱えになったのなら独占販売は諦あきらめるわ。その代わり、私のギルドにもいくらか卸おろしてちょうだい。いい価格での取り引きを約束するわ」

 ジゼルが自室に行って戻ってくる、わずかな時間で次を考えたらしい。さすが有名な商業ギルドのギルドマスター。頭の回転が速い。速すぎるくらいだ。あまりにもサクサクと会話が進められていくもので、ジゼルは目を丸くしたまま固まってしまう。

「あんたのところは効果も知らずに交こう渉しようするのかい」

 ヴァネッサは呆あきれ交じりのため息を吐つく。けれど彼かの女じよはそれすらもサクッと切り裂さいた。

「宿屋ギルドのギルドマスターが直々に交渉に来るくらいですもの。効果のほどは疑いようもないわ」

 まるでビスケットを割るかのように、なんてことなく言い切ってみせた。

「そりゃあそうだけどね」

「それに貴族の顧客がすでにいるなら売っても旨うまみは少ないだろうから、来期のおまけにするつもりなの。さっき軽く聞いたんだけど、キャンディボトルも錬金術で作っているのよね?」

「は、はい。シンプルなデザインですが、輸送時のことも考えて普ふ通つうの瓶よりも強度を高くしてあります」

「そう。ならこの場で決めるにしても百瓶は欲しいわ」

「百瓶も!?」

「これでもかなり絞しぼった方よ。キャンディボトルのデザインを一いつ般ぱん販はん売ばい分ぶんと変えてくれるならもっと増やすつもり。デザインはうちのお抱えのデザイナーを連れてきて話し合ってもらうとして、一瓶で金貨二枚ってところかしら」

「えっと、さすがに数が多いので、とりあえずサンプルの飴を一個ずつお渡しします。そちらをお試ためしの上、ご検討いただければと」

 この瞬しゆん間かんにもデザイナーと職員を呼びつけようとするステファニーには悪いが、ジゼルは即そつ決けつできなかった。手紙をくれたお客さんと同様に、物と効果を確認し、納なつ得とくしてから進めてほしいと思ってしまうのだ。

「それ本気? 金貨二百枚以上にもなり得る取り引きよ? それとも即決するには安いと?」

「大きい金額ですよね。だからこそ、納得してから決めてほしいので」

「……あなた、初めにスカウトに来たのが宿屋ギルドでよかったわね。変なギルドに行ったら使い捨てられるわよ」

 眉まゆを下げ、本気で心配されてしまった。だがステファニーの言いたいことも分かる。商売としてやっていくのなら、信頼できる筋からの大型依頼は受けてしかるべきなのだろう。駆かけ出したばかりならなおのこと。逃にがした後に後こう悔かいしても遅い。それは分かる。

 だがこれでもしチャンスを逃がしたとしても、ジゼル個人の損失でしかない。宿屋の女将さんと親父さんに迷めい惑わくをかけるわけでもないのだ。

 払うコストは飴あめ玉だま三個分。なんてことはない。他のお客さんよりも少し多めに渡しただけのこと。逃のがしても惜おしいことをしたなと笑うだけだ。

「ここの女将が変なのを通すわけないだろ。あんただってあたしがいなきゃ門もん前ぜん払ばらいさ」

「とりあえずサンプルはもらっていく。真しん剣けんに検討することこそ、あなたへの誠意よね。瓶のデザインについては後々話し合うとして、既存きぞんの物の確認はできるのかしら」

「それならあたしのを一つやるよ。ゆっくり確認しな」

 ヴァネッサは三つあるうちの一つの瓶の蓋ふたを開く。そして中身を自分のハンカチに包み、空いた瓶をステファニーに差し出した。

「貸しにするつもり? でも、シンプルながら美しいわ」

「いいや。あんたのところで飾ればいい宣伝になるだろ。それで十分だよ」

「拡散力は劣おとるけれど、顧客の質と客単価ならどこの商業ギルドにも負けるつもりはないわ」

「金をしっかりと落とす質のいい客ほどありがたいものはないからね」

 商売人の笑えみを浮うかべる二人を置いてカウンターに向かう。試供品用の籠かごから一種類につき一個ずつ取り出し、すぐに部屋へと戻る。

「サンプルなので少し形は悪いんですが」

「一般販売分の形はヴァネッサのを見たし、味と効果が分かればいいわ」

「それから、これは薬飴の一種なので食べるのは一日一個まででお願いします。赤色が風邪の引き始めと肩こりに、青色が腰痛に、緑色が疲労に効く錬金飴になります」

「分かったわ。食べた上であなたに依頼するか、改めて検討させてもらうことにします」

「はい。お待ちしております」

 ステファニーはジゼルから受け取った飴を先ほどの瓶に入れた。そしてスックと立ち上がる。

「じゃあお暇いとまさせてもらうわ。いきなり来て悪かったね」

「いえ、お声がけいただき、ありがとうございました」

 カウンターで待っていた女将さんと一いつ緒しよに外まで見送る。停とめる場所の問題で、ステファニーは乗ってきた馬車を帰してしまったらしい。帰る方向が同じだからと、ヴァネッサは彼女を自分の馬車に誘さそっている。

 ジゼルが思っている以上に気の知れた仲なのかもしれない。馬車が見えなくなるまで頭を下げてから宿に入る。

「女将さん。今、お時間ありますか?」

「ああ、大丈夫だよ」

「代金を先さき払ばらいでいただいたのですが、金額が大きいので一緒に確認してもらいたくて」

「分かった。確認したらうちの金庫に入れて、明日の昼にでも一緒に銀行まで預けに行こうか」

「はい!」

 元気よく返事をし、先ほどの部屋に戻ったまではよかったのだが――。

「やっぱり金貨だけでも三十三枚ある……」

 錬金飴は一個銅貨五枚。銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚相当なので、金貨だけ数えてもやや多い。そこに銀貨も加えられるとかなりの額になる。

 ほとんどが祝い金というやつだ。あまりの大金に数え間ま違ちがえたのではないかと思い、すでに三度ずつ数えている。だがジゼルはともかく、女将さんはお金の取り扱いに慣れている。そう何度も間違えるはずがないのだ。

「あたしもまさかここまで包むとは思ってもみなかったわ」

「いくらか返した方が」

 もらうと返事をしたのはジゼル本人だが、まさかここまでとは思わなかったのだ。

 大手ギルド所属の最高ランク技術者に指名依頼を出す時だってこんなには包まない。ましてやジゼルは個人である。店だって構えていない。錬金飴の販売だってこの先どのくらい続けていけるのか、見通しだって立っていない。

「もらっておきな。もらったものを返す方が失礼だよ」

「でも……」

「気になるなら、追加依頼が入った時にはなるべく対応するようにすればいいさ。ジゼルも知っての通り、かき入れ時の宿屋は目が回るくらい忙いそがしいんだ。肩こりと腰痛を忘れられるだけでどれだけ楽か。そこに疲労回復まで付いたら言うことないね!」

「そう、ですね。とりあえず初回分は錬金釜を休ませ終わったらすぐに対応することにします」

「ああ。今日明日はジゼルも一日しっかり休むんだよ」

「え、お手伝いは」

「ジゼルが来客対応してくれている間にほとんど終わっちまったよ」

「そんな……やることないのに」

 ここ十年間のジゼルの休日の過ごし方といえば、宿屋の手伝いと錬金釜の手入れ、錬金飴作りである。たまにドランとのお出かけの予定が入ったり、業務時間内ではやりにくい細々とした調合などが加わったりする。

 これらの選せん択たく肢しの中で今できることといえば、宿屋の手伝いだけなのだ。時間がある分、気合いを入れて行うつもりだった。仕事がなくなるとは思いもしなかった。だが無む理り強じいするようなものでもないので、諦めるしかない。がっくりと肩を落とす。

 落ち込こむジゼルに、女将さんは困り顔だ。普通の子なら突とつ然ぜん休みがもらえれば喜ぶのかもしれない。だがジゼルは違うのだ。趣しゆ味みらしい趣味もなく、やることも済ませた後、どう時間を過ごしていいか分からない。

 考えていることが顔に出てしまったのだろう。女将さんが助け船を出してくれた。

「追加依い頼らいがたくさん来たんなら、材料の買い出しも必要なんじゃないかい?」

 女将さんの言うとおりだ。気づいた途と端たんにジゼルの表情が明るくなる。

「そうですね! ちょっと出かけてきます」

 お金がたんまり入った袋ふくろを女将さんに預け、早足で自室へと戻る。いつものバッグを肩から提さげ、買い物に出る準備は万ばん端たん。すっかり悩なやみが吹き飛んだ顔で宿屋を出た。


○ ○ ○


「休んでほしいんだけどねぇ。本当に働き者なんだから」

 呆れと慈じ愛あいが混ざった表情を浮かべる女将さんの声はジゼルに届かない。けれど陰かげから二人を見守っていた親父さんの耳にはしっかりと聞こえていた。

「ジゼル用のプリン、今から作っておくか」

 喜ぶジゼルの顔を想像しながら、二人は頬ほおを緩ゆるめるのだった。