この中でもハイエルフの涙については、メルヴィルかシャーロットのそれをもらえればいいため、すでにはついている。

 問題は残りの二つで、これらも辺獄で手に入れられる可能性が高いとメルヴィルに聞いている。

 だから……。

「きっと手に入ると信じよう。なに、この世のすべてを闇に染め上げようとした魔王すらも倒してしまった、勇者パーティーの二人がいるんだ。きっと未来は明るいはずさ」

 ファルージャはそう言って笑ったのだった。


*****


「これは……なるほど。確かにこれではこれからここに来るエルフの性質をよく吟味せねばなるまいな……」

 うなるようにそう言ったのは、エルフィラのエルフであるファルージャだった。

 彼の目には今、辺境の村であるエメル村の姿が映っている。

 そこには、辺獄のエルフたちが自然な様子でエメル村の村人たちと交流している光景があった。

「辺獄のエルフは人族に対して偏見を持っていないと事前に聞いてはいましたが、本当に一切そのような感情がないことがわかりますね。エルフィラとは比べものにならない」

 そう言ったのは、同じくエルフィラのエルフ、イラである。

 二人の言葉を聞いて気になった俺は尋ねる。

「エルフィラには人族とこのような付き合いをするエルフはいないのですか?」

 俺のこの質問に、少し考えてからファルージャは答える。

「全くいないわけではないのですが……そういったエルフは、エルフィラ本国の雰囲気に嫌気がさして出ていってしまう傾向がありますので。クレイ殿やフローラ殿も、以前された旅の中で、そのようなエルフたちに遭遇しませんでしたか?」

 これには全く心当たりがないわけではない。

 エルフの中でも、エルフィラから出て旅をするエルフには、魔王討伐の旅の中でも出会うことはあったからだ。

 ただし非常に珍しくはあったが。

 それに……。

「何人かエルフとは知己を得ました。しかしこう言ってはなんですが……それでもやはり、辺獄のエルフたちと比べると閉鎖的というか、自然と人族を下に見るような性質の者が多かったように思います」

 フローラもこれに頷いて続ける。

「どうにも物言いが不遜と言いますか、しょせんは人族、というような話し方が染みついている方々が多かったかなと。もちろん、そうでない方も少数ながらおりましたが」

 それは確かにそうで、全員が人族を見下していたというわけではない。

 そのようなエルフとは比較的早めに打ち解けられたし、今でも手紙のやりとりなどはあるくらいだ。

 これを聞いたファルージャとイラは顔を見合わせて、苦笑したような表情になる。

「それは……我が同胞ながら、本当に申し訳なく存じます。ただ、誤解しないでほしいのですが、エルフィラから出るという判断をしている時点で、その者に人族に対する偏見などはほとんどなかったはずです」

「え?」

 これは少し意外な話だったので、つい首を傾げてしまう。

 ファルージャの言葉を、イラが継いだ。

「本当に心の底から人族を見下しているエルフというのは、エルフィラの聖樹様のもとで一生を終えるものですから。そうではないからこそ、外に出るのです」

「なるほど……でも、だったらなぜああいう態度の者が……?」

「それは、やはり染みついていたというのが大きいでしょうね」

「と言いますと?」

「エルフィラでは内心どう思っているにせよ、そういった態度で人族に対し、振る舞っていなければ妙な目で見られることも多いですから……。ある種の処世術と申しますか」

 言われて、俺もフローラも納得する。

 確かに、言われてみれば彼らは口調こそ不遜ではあったものの、実際の行動を見れば問題と言えるようなことをしてくる者はほぼいなかったように思う。

 ゼロではないのだが、ナチュラルに人族を見下している割には、ただ嫌みなだけという感じというか。

 そんなことを言うと、ファルージャが言う。

「やはりそうですか……では間違いないでしょう。なにを隠そう、ここにいるイラも、王都に到着した当初はそのような態度で振る舞っていたくらいですからね。そのくせ、その辺の屋台やらなんやらを楽しげに回るものですから……」

「今のイラさんからそのような感じは受けませんが」

 俺がそう言うと、言われたイラは少し顔を赤くして言う。

「お恥ずかしい限りで……他のエルフも、外の者は似たようなものですので、どうか広い心で許していただければと」

「もちろんです。事情をお聞きして、納得がいきました。しかしそういうことでしたら、辺獄にエルフィラのエルフを呼ぶのに、外に積極的に出たがる方を選抜すれば早そうですね」

 それであればすぐに馴染めるだろう。

 いや、そうでなければそもそもエルフィラから出ようとしないから来ないのか。

「その方向で検討するのがよさそうです」

 ちなみに、その日はそのまま、イラとファルージャはエメル村に滞在することになった。二人は特に人族に偏見はないというが、それでも立場上、今まで、人族に直接関わる機会が少なかったという。

 そのため、村に滞在して少しばかり人族と交友を深めたいという話だった。

 そうした方が、人族の性質も理解できるし、そのうえでうまく交流できるような人材も頭に浮かぶだろうとも。

 確かにそうだなとなり、きゅうきょ村長に言って部屋を用意してもらうことになった。

 村に滞在する二人は、自分たちで言った通り、村人たちとあつれきなく交友を深めた。


*****


「ここからがいわゆる〝辺獄〟か……」

 感嘆してそう呟いたのはファルージャだった。

 彼の目の前には今、辺獄の巨大な樹木が生い茂る光景が広がっている。

 驚きの理由は簡単で、他の地域でこれだけのものを見ることはないからだ。

 ファルージャたちの住むエルフィラ聖樹国もその国土の大半を森林が占めているが、辺獄のように異常な魔力によって樹木の生長が促進されているような地域は滅多にない。

 また、それに加えて彼らをさらに驚かせているものがあった。

「あれが、クレイ殿のご自宅……ですか?」

 そう言ったのは、イラだった。

 辺獄の入り口から少し入ったところを切り開いて作り上げた空間に、ぽつんと建っているその家屋が異様に見えるからだろう。

 実際、俺も自分が建てたのでなければ、なんでこんなところにこんなものが、と思ってしまいそうではある。

「ええ、そうですね」

 俺が頷くと、イラはさらに尋ねてきた。

「辺獄を切り開いて建てたというのは本当だったのですな……かなり大変だったのでは?」

 これに俺は少し考える。

 確かに楽だったとは言えないが……。

「少なくとも建築資材に困ることはなかったですから、その意味では楽でしたよ」

「それはそうでしょうが……」

「他の問題は、色々と試行錯誤しながら解決できましたしね。暇を持て余していましたから、時間には困らなかったのですよ」

 これも事実だ。

 辺獄を切り開くのに一番困ったのは、濃密過ぎる魔力だ。

 これによって、たとえ樹木を伐採しても、次の日にはほとんど元通りとしか言えないほどに新たな樹木が生長してしまっていた。

 しかしそれも、うまく魔力を散らしてやればいいだけの話だった。

 中からやって来る魔物にしても似たようなものだ。

 辺獄の魔物は極めて強力な存在であるが、そうであるがゆえに弱点もある。

 辺獄の濃密な魔力の中でしか長期間、生き残ることができないのだ。

 そしてそのことを、辺獄の魔物はある程度理解しているようだった。

 つまり、辺獄を切り開き、魔力を散らしてしまえば、そこまで出てくることはなくなるのである。

 魔力を散らす作業をしている最中はたまに出現したが、いかに辺獄の魔物とは言え、浅い場所にいるような魔物であれば、俺ならそれほど労せずに倒すことができる。

 むしろ、魔石などの素材を得るのにちょうどいい獲物だったくらいだ。

 そんなことをイラとファルージャに話すと、二人は納得したように頷いていた。

「勇者パーティーに所属し、魔王を倒してしまった方にとって辺獄の魔物など、大した相手ではないというわけですか……」

 ファルージャはそんなことを言う。

「そんな大層なものでは……」

「魔王を倒したのだから、もっと誇ってもいいでしょうに……」

「いえ、あれは本当に他の三人がいたからこそできたことですから」

 これは本音だ。

 確かに、魔王にとどめを刺したのは俺かもしれない。

 だが、あの三人がおらずしてその偉業を成し遂げられたかと言われれば、明確に否、と答えることになる。

 まずそもそも、あの三人が村に来なければ、俺が魔王と相対する力を身につけることなどできなかった。

 加えて、魔王と対峙した最後の時も、魔王の体力や魔力をある程度削り、また魔王の手札などをしっかりと見て解析できた時間が得られたのは、四人で戦ったからだ。

 魔王本人は、自分にダメージを与えたのはほとんど俺だったと言っていたが、それはその仕込みがあってのことで、やはり俺一人の功績とはとてもではないが言えないのだ。

「謙虚な方だな……。まぁ、これ以上は言わないでおきましょう。ところで、辺獄のエルフたちの集落のヴェーダフォンスには、お二人が案内してくださるということでよろしいですか?」

 俺とフローラは頷いた。

 今、ここにメルヴィルとシャーロットはいない。

 二人は先日、先んじてヴェーダフォンスに戻ったからだ。

 これは、イラとファルージャを集落に迎えるに当たって、色々と先に準備をしておく必要があるからだ。

 俺やフローラはイラにもファルージャにも、せいぜい敬語を使うくらいで、それ以上に気を遣ったりはしないでいるが、実際にはこの二人は国家元首とその護衛、と言うべき地位にいるのである。

 失礼なことはできない、ということだ。

 ただ、この二人からすると、ヴェーダフォンスのエルフたちは皆、ハイエルフであるか、その血を引き、その因子を持っていることから、むしろ自分たちこそが低い地位にいるという感覚らしいが。

 その辺りの価値観は人族でしかない俺たちには容易に推し量れないところがあり、それがゆえに深く考えないで接しているという部分がある。

「ヴェーダフォンスに辿り着くためには通常、複雑に設置されたチェックポイントをいくつも通る必要があるのですが……」

 フローラがファルージャたちに説明する。

 しかし、二人ともその辺りはわかっているようで頷く。

「エルフィラでも特別な場所……聖樹様のもとへ続く道にはそのような仕掛けが施されております。メルヴィル殿から聞いた、エルフィラの民の歴史からかんがみるに、その技術もヴェーダフォンスのエルフから引き継いだものなのでしょうな」

「そんな事情もメルヴィルさんにお尋ねしたいところですね。私も興味があります」

 フローラがそう言うのは、今までその辺りを聞いてこなかったからだな。

 というのは、俺にしろフローラにしろ、今まではっきりと自分たちが勇者パーティーであると言ってこなかった手前、相手の深いところに踏み込もうとしてこなかったためだ。

 自分たちについて詳しい説明をしていないというのに、相手にそれを求めるというのはどうか、ということだな。

 だが、今はもうすべて伝えている。

 だから色々なことを尋ねやすい。

 もちろん、無理にというつもりはないが。

 エルフたちの技術についても知りたいところがある。

 フローラは特に結界系が知りたいだろう。

 それが彼女の専門だからな。

「フローラ殿でも気になるのですか?」

 気になったのか、ファルージャが尋ねる。

「ええ。私が身につけている技術はほとんど、教会の法術と、それに付随する魔術ですから。エルフの技法についてはまず外に伝わることがないので……知ることができる機会があるのなら、是非学びたいと思っています」

「そうですか……それでしたら、私がお教えしましょうか」

「え?」

「ファ、ファルージャ様! それは……」

 イラが慌てたようにそう言った。

 しかしファルージャは微笑んで言う。

「イラよ。別に明確に禁じられていることでもないのだ。それにこの方々に教えても悪用したりはしないだろう」

「それは……そうかもしれませんが」

「それに、色々と協力してもらうというのに、私たちにできる恩返しはほとんどないと言っていい。金銭は足りているだろうし、かといって土地を与えるでもない、エルフィラのなんらかの地位かと言うとそれもいらないであろうし……」

 確かに、今挙がったいずれのものも俺たちには必要無さそうだ。

 金は王様にもらっただけのもので足りているし、足りなくなったらそれこそ辺獄の素材を王都にでも売りに行けばそこそこ稼げるだろうしな。

 土地や地位というのは、そんなものが必要な人間がこんな辺獄開拓に精を出したりするわけがないことを考えれば答えは明らかだ。

 まぁ、一応、辺獄開拓というのは土地を確保する方法ではあるが、一般的な意味での土地が欲しい、というのとはまた別であるのは言うまでもない。

 だから俺は言った。

「確かに、おっしゃるようなものは俺には不要ですね……一応確認しておく。フローラも別にいらないよな?」

 フローラは呆れたような表情で言う。

「当然でしょ。そんなものが欲しいなら王侯貴族の治癒に法外な代金をもらうなりするわよ。自慢じゃないけど私にしか治せない傷や病気、結構あるんだからね」

 これは事実で、フローラの治癒術は他を圧倒するレベルにあるのは言うまでもない。

 俺も彼女に治癒術は学んだし、一部、彼女の技術をりょうするものもあるが、病気などに関しては彼女には負ける。

 外傷系については戦闘中に多用したためにタメを張れるのだが……。

「と、いうことのようだ」

 ファルージャがイラにそう言った。

 イラもここまで言われると仕方がないと思ったようで、がっくりと肩を落としながら呟く。

「わかりました……ですが、本国に戻った後、言い訳の方はファルージャ様ご自身がなさってください。頑迷な長老衆に説明するのは、さすがに骨が折れますので……」

「あのような者たちなど、気にする必要はない。少なくとも、今回の成果を見れば、奴らはなにも言えなくなるとも。他の五公と合わせて圧力をかければ、隠居させることも可能だろうて」

「そこまでお考えでしたか……なるほど」

 なんだか、かなり恐ろしいことを言っているような気がして、俺とフローラは顔を見合わせる。

 ただ、あくまでこれはエルフィラ聖樹国内部の話だし、なにがどうなろうと、俺たちに責任はないだろう。

 だから特に口を挟むつもりはなかった。


*****


「思った以上に時間がかかりましたな……」

 イラが疲労感を顔ににじませてそう言った。

 もちろん、それはヴェーダフォンスまでの道筋のことを言っている。

 真っ当にチェックポイントを回って来たために、三時間ほどかかっているのだ。

 直進すれば俺とフローラだけなら三十分で着くのだが、さすがに二人を置いてけぼりにするわけにはいかない。

 だから仕方のないことだった。

「来るたびにこれほどの労力がかかるのは勘弁してほしいが……」

 ファルージャがそう嘆息する。

 そこに、

「いえいえ、次からはそれほど心配なされることはありませんぞ」

 そう声がかかった。

 声の主はこのヴェーダフォンスの長老格である、メルヴィルであった。

 どうやら、出迎えに来てくれたらしい。

「これはメルヴィル殿。わざわざ入り口まで出迎えに来ていただき、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、こんなところまでご足労いただき申し訳ない。次からはもう少し楽をしていただけるよう、こちらをお納めくだされ」

 メルヴィルはそう言って、精緻な装飾の施された腕輪をファルージャとイラに手渡す。

「これは……?」

 首を傾げるファルージャに、メルヴィルは説明する。

「これは精霊具じゃ。身につけていれば、辺獄を直進すればここ、ヴェーダフォンスに辿り着けるものでの」

「なんと。そんな便利なものが……」

「先に渡せればよかったのじゃが、一度はここに足を踏み入れたことがある者でなければ、効果を発揮しないものでな……それについても申し訳ない」

「いえ……ではこちらのお二人は?」

「すでにお渡ししておる。ただ、このお二人にはあまり関係がないのでのう……」

 俺もフローラも結界術の心得があるので、来ようと思えばチェックポイントなど無視してまっすぐ来られる。

「……エルフの術については詳しくないのでは……?」

 ファルージャが微妙な表情で俺たちを見た。

 これにフローラが答える。

「ゼロから同じものを構築するというのができないだけで、どうすれば抜けることができるのか、解析することはできるんですよ」

「そんな滅茶苦茶なことが……?」

 実際、フローラは簡単に言っているが、言葉ほど容易な技術ではない。

 俺だって、かつてフローラやテリタスに学びながら、こんな針の穴を通すような手法をどうやってやるんだと思ったことはある。

 それでも最終的に身につけはしたのだが……。

「このお二人については、常識で測らない方が精神衛生上いいぞ……それより、立ち話もなんじゃ。どうぞ、ヴェーダフォンスの中へ」

 メルヴィルがそう言って、歩き出す。

 俺たちはそれを追った。

 ヴェーダフォンスの様子は黒竜に苦しめられていた以前とはだいぶ様変わりしていて、エルフたちの表情は明るく落ち着いている。

 エルフの総数があまり多くないため、活気に満ちているとまでは言えないものの、明るい雰囲気はある。

 やはり、黒竜の脅威による重圧というのは相当に大きかったのだとよくわかる。

 ただ、そういった変化とは別に、少し気になることがあった。

「長老、どうもなにか慌ただしい雰囲気を感じるのですが……?」

 俺がメルヴィルに尋ねると、彼は言う。

「……あぁ。実は、辺獄の方で少しばかり問題が起きておりまして……シャーロットなど若い面々がそちらの方に出ているのです」

「それって……」

「これについては、ファルージャたちとも関係があることですので、まずはこちらへ」

 そして、ヴェーダフォンスの中でも最も大きな家屋に通される。

 席に着くと、若いエルフが俺たちの前にお茶と菓子を置いて出ていく。

「それで、いったいなにがあったのでしょうか……?」

 ファルージャが尋ねると、メルヴィルが口を開いた。

「その前に。ファルージャたちは、枯死しかけている聖樹を回復するため、三つの品を欲している。そうじゃな」

「ええ。ハイエルフの涙、獣王の息、そして魔人の角を……」

「そのうちのひとつ、獣王の息じゃが、これは獣族が持っているということでよいな」

「そう言われています。ただその詳細については、彼らの王、つまりは獣族の王と呼ばれる者しか知らぬ、と……。ハイエルフの涙と魔人の角はわかりやすいのですが……」

 確かに、言われてみるとそうだ。

 まぁ、わかりやすい名称だからと言ってそれそのままのものなのかはわからないわけだが、それを言い出すとキリがないしな。

「うむ。獣族の王と呼ばれる種については、この森におるからの。獣人族の里の、長の一族がそれじゃ。じゃから直接訪ねればいいわけじゃが……」

 この辺獄には、実のところエルフ以外にも獣族と魔族が住んでいるとメルヴィルたちは言っていた。

 ただ、俺もフローラも、まだどちらの種族にも遭遇してはいない。

 なぜなら、彼らが住んでいるらしい辺獄の地域というのが、かなり深いところにあるからだ。

 そもそも辺獄とひと言に言っても、その広さは一国に匹敵するほどのもので、軽く歩いたくらいで踏破できるものではない。

 エルフたちが住む、このヴェーダフォンスも十分に辺獄の奥地と言える場所なのだが、さらに深くまで辺獄は続いているのだ。

 獣族や魔族がいるのは、まさにその奥地なのであった。

 とはいえ、いずれは俺もそこまで潜って、彼らと交流を持ちたいとは考えていた。

 ただ、それはエメル村やヴェーダフォンスとの交流がしっかりと確立してからでもいいかと後回しにしていた。

 俺にはいくらでも時間があるからな。

 しかし今になって考えると、もっと早いうちから彼らを探して、交流を持っておくべきだったかもと思っている。

 そうしておけば、獣王の息にしても、魔人の角にしても楽に手に入れられたかもしれないからだ。

 さらに、俺はこの後のメルヴィルの話を聞いてその思いを強くする。

「なにか問題でもありましたか?」

 ファルージャの言葉に、メルヴィルは答える。

「うむ。どうも、ここのところ獣人族共が辺獄の……わしらの縄張り近くで暴れているようでな。シャーロットたちが出たのも、それが理由よ」

「縄張り、ですか。辺獄にそんなものが?」

 首を傾げるファルージャにメルヴィルは説明する。

「辺獄は、外の者たちからすればかなり暮らしにくい場所に思えるじゃろうが、しっかりと辺獄の中を知っていれば、意外に住みよい場所じゃ。例えば、濃密な魔力はわしらエルフの力を高める。ただ、同時にそれは魔物の力も強めるでな。強力な魔物が出現する地域は可能な限り避けることになる。そしてそうすると、おのずと縄張りのようなものが決まってくるのじゃ。資源や食料を得るための縄張りがな」

 ヴェーダフォンスのエルフは皆、精強ではあるものの、辺獄の魔物すべてを倒せるというわけではない。

 逃げるしかないような相手もいるし、それすらも不可能な強大な魔物もいる。

 だが、そういった魔物がいる地域というのは決まっていて、そこを避ければ問題なく生活できるのだという。

「なるほど、そしてそんな事情は、獣族や魔人も変わらないというわけですか」

 ファルージャが納得したようにそう呟く。

「うむ。ただ、この縄張りというのが曲者での。別に辺獄の中にわかりやすい線が引いてあるわけでもなし。そうなるとどういうことになると思う?」

 これにはフローラがポン、と手を叩いて答えた。

「縄張り争いね! やっぱり、自分たちの権益を広げるために戦う勢力と、それを守ろうとする勢力との争いっていうのはどこにでもあるのね……」

 俺はその言葉に、

「随分と実感がこもってるな」

 ついそう言う。

 するとフローラは苦笑して答えた。

「教会でよくやっているもの。こないだまでの王宮だってそうだったでしょ?」

「それを言われると確かにな……。だが、辺獄でのそれはあくまでも自分の生活を守るためにやってることで、教会とか王宮のドロドロしたのとはまた別なんじゃないか?」

「どうなのかしら?」

 フローラが視線をメルヴィルに向けると、彼は頷いた。

「おっしゃるとおりで……わしらも別に、自分たちの生活に必要な以上の森の恵みを奪おうなどとは思っておらん。向こうとてそうじゃろうが……それでも獲物を追いかけたりしている中で位置を見失ったりして、他の種族の縄張りに足を踏み入れてしまうこともある」

「そういう時は、揉めるわけですか?」

 俺が尋ねるとメルヴィルは首を横に振った。

「そこまでの事態になることは滅多には……せいぜい、お互いに距離を取り合って、そのまま静かに自らの縄張りに引いていく。そんなのが大半ですな」

 思った以上に穏当なやり方だ。

 ただ、お互いに理性的ならまぁそうなるだろうという感じである。

 けれど、今はそういうわけではなさそうだ。

 なにせ、シャーロットが若い者たちを連れて出張るくらいなのだから。

「ではどうして今回は……?」

 ファルージャがそう尋ねると、メルヴィルは説明する。

「それが、よくわからぬ。だが、ここ最近、獣族の若いのが暴れることが増えてな……森を過度に騒がしくしておる節があって……さすがに今日こそはその理由を聞くべきだと、シャーロットが飛び出していってしまった、というわけじゃ」

 話を聞くに、意外にシャーロットの短気なところが出ているな。

 メルヴィルやファルージャなどを見ればわかるが、エルフというのは長命であるがゆえに気が長い。

 ただし、それは生きてきた年月にもよる。

 シャーロットはそういう意味ではまだまだ若く、人族に近い感性が残っているのだろう。

 イラもそうだしな。

「放っておいて大丈夫なのでしょうか?」

 そのイラがそう口にすると、メルヴィルは少し悩んだように答える。

「下手なことはせんとは思うが……少し不安なところもなくはない。じゃから、ここはクレイ殿にお願いしたいのですが……」

「俺ですか?」

 急に話を振られて困惑する俺に、メルヴィルは言う。

「シャーロットたちのところに様子を見にいってきてくれませんかの? 揉めそうな気配がありましたら、やんわりと止めていただければ、なおありがたいのですが……」

「それは構いませんが……戦闘などになっていた場合、どうすれば……」

 さすがにそこに手出しをして、エルフと獣族との一大戦争などになってしまってはまずい。

 メルヴィルは少し考えてから言う。

「おそらくそこまでの状況にはなっていないと思いますが……もしもそのような場合には、そうですな。獣族の流儀に従っていただくのが一番穏便に済むかと」

「獣族の流儀、と言いますと……あれですか」

「ええ、あれです」

 笑顔で頷いたメルヴィルに、そういうことか、と思う。

「わかりました。そうすれば、ファルージャさんたちにとっても、いい報告ができるかもしれませんからね」

「話が早くて助かります。では、どうぞよろしくお願いします」

「はい……では、早めに行ってきます。フローラはどうする?」

 俺一人でも構わないのだが、置いていくとねそうな気配を感じたため、尋ねる。

 するとフローラは笑って言う。

「そんなおもしろそうなところ、私も一緒に行くに決まってるでしょ」

「だよな……じゃあ早くしろ。行くぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 そして、俺たちはメルヴィルから大体の場所を聞いて、ヴェーダフォンスを出た。


*****


「……ふと思ったんだけど」

 目的の場所に向かう道すがら、フローラが少しだけしゅんじゅんして口を開く。

 いつも率直な彼女にしては珍しい様子に首を傾げながらも、俺は尋ねた。

「なんだよ?」

「クレイはやりたいことをやれているの?」

 唐突な質問に、俺はさらに首を傾げた。

「どういうことだ?」

「いえ……だってクレイは、やりたいことがやりたくて、ここ、辺獄に来たのでしょう? それなのにここに来てから、村のために働いたり、辺獄のエルフに気を遣いながらゆっくり開拓したり……こないだなんて、ユークのために闘技大会に出ることになったりしてるじゃない?」

「それがどうかしたか? 色々あって飽きなくて楽しいんだが」

 そう答える俺に、フローラは呆れたような顔で言う。

「あんたって……。ううん、はっきり言わないと伝わらないのか。私はね、あんたが本当に楽しいのかどうかが気になっているのよ」

「本当にって?」

 首を傾げる俺に、フローラは少し考えてからゆっくりと話し出す。

「そうね……なんて言ったらいいのかしら。あんたは……私たちとは違う。ユークもテリタスも私も、そういう運命にあるということをなんとなく覚悟した上で、生きてきた」

「そういう運命っていうと……」

「魔王討伐よ。もちろん、パーティー組んで、魔王討伐してこいと言われる可能性がある、とまでは当時思ってなかったけど、王子に、賢者に、聖女なんて地位についてたのだもの。国からそれなりに無茶を振られながら生きていく人生だって、わかって暮らしてたし、覚悟もあったってこと」

「あぁ、なるほど」

 まぁ、それはそうだろうな。

 いつも気軽に会って話している上、一緒に旅をしている最中、最後の方は全員と普通にタメ口で会話していたからただの友人みたいな感覚で付き合っている俺たち。

 だが、実際には俺のような平民がそうそう簡単に交流を持てるような相手ではないのだ。

 彼らは常に重い役割を担っているから。

 国の舵取りを、それぞれの領域の先頭に立ってしなければならないという重い役割をだ。

 その覚悟を常に持って彼らは生きてきたという話だ。

 とはいえ、魔王討伐をしてある程度そういうものからも解放された感じはあるようだけどな。

 なにせ、魔王討伐というのは歴史的な大戦果だ。

 それをこなした人間に、これ以上重責を担えなどと誰が正面切って言えるというのだろう。

 もちろん、それだけのことを成し遂げたのだから、それ相応の振る舞いをこれからもすべき、とは言えるだろう。

 けれど、直接そんなことを誰かが言ったとして、それに対してフローラたちに、もう自分たちができることはすべてした、と言われればそれで終わりだ。

 なにかを彼らに強制しようとすれば世界中の人間が黙っていないし、そうでないとしても、もはや彼らを止められる力などこの世にほとんど存在しないと言ってもいいくらいだ。

 何故なら、世界最強の存在たる魔王を倒しているのだから。

 そのため、フローラなんかはもう聖女の役割など適当にやっていても問題ないと開き直っている。

 それでも定期的に王都に戻って、それなりの仕事……フローラしか治癒できない怪我や病気の治療や、けがれの浄化などはするつもりではいるようだけどな。

 そんなフローラが言う。

「あんたは、元々ただの村人だった。いえ、地位としては今でも同じでしょう。魔王討伐なんてする覚悟も特になかったのに、言われるがままに旅に出て、最後にはそれを成し遂げてしまった。それ自体はとてもすごいことだけど……たまに思うの。あんたの自由を、私たちは奪ったんじゃないかって。そしてそうだとするなら、今もあんたは好きに生きられてないんじゃないかって……そんな気がして」

 わからないでもない話だ。

 確かに俺は、特別な覚悟などなく、魔王討伐の旅に出た。

 ユーク、テリタス、フローラがあの村に訪ねてきて、俺を見つけ、旅に誘ったから。

 客観的に見れば、ただ流されただけのように見えるだろう。

 それに実際そういう面もあった。

 けれど……。

「いや、フローラ。旅の中でも何度か話したろう。俺はあの村がそんなに好きじゃなかったって。あの村の人たちだって、まぁ俺のことは特に好きではなかったよ。嫌われていたというほどでもなかったとは思うけどな」

「それは聞いたけど……」

 俺の両親はすでにいない。

 そんな俺は、村の雑用を引き受けながらなんとか生きているような、そんな状態だった。もちろん、当時の世界情勢から考えれば、あんな寂れた村で曲がりなりにも毎日の寝床と食事が確保できているだけで十分だったと言える。

 旅をする中で知ったが、それこそ最低限の衣食住すらも確保できないような、そんな人々がたくさんいたからだ。

 俺の故郷の村の人々だって、ことさらに俺を差別したりするようなことはなく、ただ、ほんの少しだけ下に見ていたくらいのものだった。

 親切だってそれなりに受けたし、恨みを抱くようなことは滅多になかったと言える。

 ただ、そんな生活だからこそ、なにか徐々に削られていくような思いを抱かなかったかと思えば嘘になる。

 生きてはいられた。

 しかし……それほど、おもしろくなかったのだ。

 人生が。

 このままあそこで死んでいくというのは、耐えられないと思うところが、俺の心の中のどこかにあった。

 それに気付かないふりをしながら生きていくことは決して不可能ではなかったけれど、それでもフローラたちに誘われて、その手を取らずにいることはできなかったくらいに。

 そういうことだ。

 だから俺は言う。

「こんなこと言うと卑屈になっているように聞こえるかもしれないけどさ。俺は、あの村での生活がおもしろくなかったんだ。ゆっくりと死んでいくような、そんな日々だとうっすらと思っていた。けど、フローラたちが来て、俺を誘ってくれて、なにかが変わるような気がしたんだ。だからついていった。そして、その結果は……見ればわかるだろう。正しかったさ、あの時の俺の選択は。みんなには感謝してる」

 心からそう思う。

 しかしフローラはまだ納得してなさそうだった。

 彼女は言う。

「でも……だったら、旅が終わった後、こんな風に辺境までやって来て、新しく、自由に生きたいなんて、そんな風にする必要はなかったんじゃない? そうじゃなくて、王都で生きてもよかったんじゃ……ううん。もっとはっきり言うと、私たちに関わるのを忌避して遠くまで来たんじゃないの?」

 不安そうに言われたその言葉に、あぁ、そこが彼女の疑問の根源か、と俺は思った。

 魔王討伐の旅を終えて、聖女としての役割は終わったと、傍若無人にすべてをなげうってここまでやって来たフローラ。

 そんな彼女だったし、ここでの振る舞いもずっと、なにも気にしていないように、ただ辺境での日々を楽しく過ごしているかのようだった。

 けれど、俺には少しだけ、違うものも見えていた。

 そんな風に振る舞っていた気持ちに、別に嘘があったとは言わない。

 フローラはフローラなりに、ここでの生活を事実として楽しんでいたとは思う。

 しかし、それと同時に、俺を少しはばかるものがあるような……ほんの少しだけ、そんな気持ちを感じることがあった。

 そして彼女のその気持ちがどこから来るのか、と思っていたが、まさにそこにあったのだなと、今知ることができた。

 ただ、フローラのそんな不安は正直なところ的外れだ。

 そう思った俺は言う。

「フローラ。言っただろう。俺はフローラたちに感謝してるって」

「それはわかったけど……」

「いや、わかってないな。なんでフローラたちに感謝してる俺が、みんなを忌避しないといけないんだよ」

「だって、王都を出る時だって、挨拶せずに出発したでしょう」

 少し拗ねたようにそう言われて、俺は、あぁ、それがあったなと思う。

「それは……まぁそれを言われると弱いが、あれはただみんなが忙しいだろうと思っただけだ。それに立場的にも、そう簡単に会えないだろうなって」

「水くさいのよ……」

「いや、フローラだってそうだが、みんな平民の俺とみんなとの身分差、あんまわかってないだろ? その辺りの常識を少しは理解しておいてくれよ。そうすれば、別に俺の感覚が変じゃないってわかるぞ」

「えー? そうかなぁ……」

 元の育ちが育ちなので、常識を持っているつもりのフローラだが、聖女になってから長いからか、もしくは庶民感覚のまま聖女になってしまったからか、微妙にずれているところがあるのだ。

 大人の庶民感覚というか……身分差がどうとか、そういう部分は特に。

「そうだよ。まぁ、そうだな……グランツなんかにでも後で聞いてみるといいさ。わかってくれるから。エルフたちだと駄目だぞ。シャーロットたちは別に人族のそういうのをよくわかってるわけじゃないし、イラさんやファルージャさんもだいぶ、フローラたち寄りの生活をしてきた人たちだしな」

「わかったわ……まぁ、そうね。とにかく、あんたは別に、私たちに憚るものがあるとか、そういうわけじゃないのね?」

「念を押すな……そうだよ。だからもう気にするな。俺は楽しく生きてるし、これから先もそうしていくさ」

「そう……なら、いいわ」


*****


「おっ、どうやらあれっぽいな」

 森の中を走ってしばらくすると、ついにその場所に到着したようだ。

 シャーロット、エルフの若者たちと……少し離れた位置に、それとは異なる特徴を持った一団がいて、にらみ合っているのが見える。

 近づいてみると、その場にいた全員がこちらに視線を向け、ビリビリとした緊張感のある気を飛ばしてくるが、俺やフローラにとってはなにほどのものでもない。

 魔王軍に囲まれた時に、幾度も味わっている空気感にすぎないからだ。

 むしろ……。

「なんだか懐かしくなる気配ね」

 フローラがそう言った。

「お前……まだ一年も経ってないんだぞ」

 もちろん、魔王討伐から数えた年月の話だ。

 考えてみると、それにもかかわらず、随分と色々あったものだと思ってしまう。

「それもそうなんだけどね。手ごたえのある相手なんて、もうこれからそうそう出会うこともないと思っていたものだから」

「手ごたえのある相手か……確かにな」

 見ると、エルフの若者たちの対面にいるのは、いずれも獣族とか獣人族と言われる特徴を持った者たちだった。

 辺獄を縄張りとするだけあって、結構な圧力を放っている。

 戦っても相当強いだろう。

 そんな彼らはエルフのように特別長命ということもないので、年齢は見た通りのはずである。

 そこからすると、皆、若者のように見える。

 各種族の、若い者たちの小競り合いというところだろうか。

「クレイさん、フローラさん!」

 一触即発という空気の中、俺たちに駆け寄って、そう声をかけてきたのは、シャーロットだった。

「シャーロット。これって今、どういう状況なの? メルヴィルさんに大まかなことは聞いたんだけど……」

 つまりは、エルフと獣人の縄張り争いが行われようとしている、という話だ。

 ただ具体的にどこまで緊迫しているのかまではわからなかった。

 様子を見るに、まだ実際にぶつかり合ったという感じではなさそうだが……。

 そんなフローラの質問に、シャーロットは答える。

「今のところはただにらみ合ってるだけです。彼らと私たちのいる中間地点が、縄張りを分けている境界に当たりますので……」

 言われてよく観察してみると、そこには、魔力によって形成されたラインのようなものが見えた。

 非常に微弱で、特別な効果はなさそうだ。

 シャーロットの言う境界を分ける目印、というだけの意味合いのものなのだろう。

 それ以上のものを作ってしまうと、魔物たちが破壊してしまったり、辺獄の強力な魔力によって歪んでしまったりするのだろうな。

 それを考えるとあれくらい微弱にしておいて、触れてもすり抜けるようなものを設置しておくのが賢いかもしれなかった。

「なるほどね。ってことは、このままなにも起こらなければ普通に帰って終わり?」

「そうなる……といいのですが……」

 まるでそうはならないだろう、と言いたげな表情でそう口にしたシャーロット。

 彼女の予感が当たったのか、獣人たちの中でも、ひと際存在感のある人物が、ざっ、と前に出てきた。

 ギリギリ、境界のラインを踏まない辺りにだ。

 それを理解している時点で、向こうも特別エルフと揉めたいというわけではなさそうに思うが……。

「おい、軟弱エルフ共!」

 ……でもないか。

 と、そのひと言目で思う。

 シャーロットはその人物の声に、ピキリ、といった様子で額に青筋を浮かび上がらせた。

 いつも比較的冷静なタイプに見えて、彼女はエルフの中でもまだ若い方だ。

 感情も豊かで、短気な部分も十分にある。

「なにをもって軟弱と? 頭の空っぽな獣人が!」

 シャーロットもラインの手前まで出て、そう言い返した。

「結構言うわね、シャーロット」

「うーん、辺獄の外だと割とよく聞いた喧嘩だよな……エルフと獣人のあの感じ」

 フローラと俺は観戦者よろしくそんな風に話す。

 実際、エルフと獣人は仲が悪いことが多かった。

 根本的な価値観は似ているのだ。

 森や自然を大事にするとか、そういう部分は。

 だが、生きていくに当たって頼る力に違いがある。

 エルフが魔術や精霊術という精神的な部分を生かす技術を尊ぶのに対して、獣人たちは純粋な力、腕力と武術に重きを置いて生きている。

 その部分での違いが、相手に対する態度に出がちだ。

 つまりは、エルフから見た獣人は知恵のない獣だ、という感じになり、逆に獣人から見たエルフは、魔物と自らの腕で組み合うこともできない軟弱者だ、という風に。

 俺たち人族から見れば、どちらもとてつもない強みを持っている種族にしか見えないのだが……。

 意外なことに、人族に対しては獣人もエルフも、そこまで強烈に非難することはない。

 まぁ、軟弱者扱いもされるし、自分たちの分を知らない愚か者扱いもされるのだが、今見ているような喧嘩腰というよりは、多少鼻で笑うくらいで終わるというか。

 だから、あのエルフと獣人のお互いに対する強烈な対抗心みたいなものは、見てておもしろいんだよな。

 二人の口喧嘩は続く。

「その頭の空っぽな我ら獣人が、魔物共の間引きをしなければすぐにでも滅びる奴らが、偉そうに」

 獣人のリーダー格らしい、女性獣人が言う。

「お前たちは結局なにを優先すべきかわかっていないだけの愚か者だ。本当にすぐに滅びるのはそういう者たちの方だろうな」

 シャーロットも言い返す。

 うーん、大丈夫か?

 このままいくともう本当にぶつかり合うしか答えが出なさそうなのだが……。

 ちなみに、言い方はともかく、言っている内容的にはそれほど間違っていないらしい。

 らしい、というのはここにいる、シャーロットではないエルフの若者にひそひそと色々尋ねてわかったことだ。

 どうも獣人たちは、辺獄にいる魔物の中でも、図体の大きなもの、力の強いものを優先して倒し、辺獄の魔物の数の適正を保っているらしいのだ。

 そのことを魔物の間引き、と表現しているようだ。

 対してシャーロットは、ついこないだまでの黒竜騒動のことに言及しているようだ。

 あれは世界樹に取り憑いていたわけだが、エルフたちがなりふり構わず世界樹から可能な限り追い払い続けていたら、辺獄の他の場所……例えば獣人の集落にも被害が出ていたことは間違いない。

 そうさせないために、あえて極端な手出しを控え、耐えてきた部分もあったようだ。

「意外に補い合ってうまくやってきてるんじゃないか」

 俺がそう口にすると、フローラも頷く。

「そうみたいね。だったらあんなに揉めなくても……」

 そんな俺たちに若いエルフが言う。

「実際のところ、殺し合いというほどのことになることはまずないので……。なんと言いましょうか、あれで挨拶のようなところがあるのです。この後どうなるかはその時々によって異なりますが、今回は……」

 そう言って若いエルフがシャーロットたちの方を見ていると、先ほどまで罵り合っていた二人は顔を近づけてなにか相談を始めた。

 それから、離れて、双方の群れの方に戻る。

「……あれはどういうことだ?」

 俺が尋ねると、若いエルフが言った。

「たぶん、なにか話し合ったのでしょう。ちょっとばかり騒がしいことになると思います」

「ふむ……」

「あっ、でも見てる分にはおもしろいと思いますから、お二人は見物していらしたらどうでしょうか?」

「おもしろい?」

 俺とフローラは首を傾げて顔を見合わせた。


*****


「なるほど、おもしろいってこういうことか……」

 俺は目の前の光景を見ながら、そう呟いた。

「確かにこれはおもしろいわね。滅多に見られるもんじゃないし……ま、ついこないだ、王都で似たようなものを見たと言えば見たんだけど」

 フローラがそう続ける。

 俺たちの視線の先には、獣人とエルフの若者たちが円形に囲む舞台のようなものがあった。

 大きさはそこそこあるが、もちろん、王都の闘技場ほどではない。

 ただ、昔の遺跡のようで、それなりにしっかりしており、舞台の周囲には腰掛けて観戦できる客席のようなものもちゃんとあった。

 苔むしていて、崩れかけているものも多いが、使えないこともない。

 そんな感じである。

 そして、そんな舞台に立っているのは、二人の若者だった。

 片方は獣人、そしてもう片方はエルフだ。

 彼らはそれぞれ、武器を持ち、術を行使して戦っているところだった。

 つまり、これは模擬戦なのだ。

 聞けば、辺獄のエルフと獣人の間には取り決めがあり、縄張りについての問題が起こった場合は、直接的な殺し合いを避ける代わりに、この簡易的な闘技場で模擬戦を行い、その勝敗によって決着をつけるらしい。

 シャーロットとあの獣人の女性がしていた相談は、まさにその段取りだったわけだ。

「この一戦だけで決まるわけじゃないんだよな?」

 俺はシャーロットに尋ねる。

 すると彼女は頷いて答えた。

「基本的には、五戦して、勝ちが多かった方の意見が通る、という感じですね。まぁそれも無条件にすべてが通るというわけではなくて、多少の譲歩を迫れる、くらいのものなんですが……」

「まぁそりゃそんなものよね。すべて言うこと聞かせられる、とかだったら一度行われればそれで完全に従え、とどちらかが言って終わりでしょうし」

「ええ。そうなると不満が溜まってまた揉めてしまうでしょうし、それでは意味がないですから。それに、こうやって戦うのはどちらも集落の中では若者たちになります。エルフにしろ、獣人にしろ、やっぱり若いと短気と言いますか、うっぷんがたまりやすい部分がありまして、その気晴らしのためにやっているところもあるんです」

 そう言ったシャーロットに俺は言う。

「そういえば、シャーロットの意外に短気なところもさっきは見られたもんな。あんな風に言うなんてちょっと驚いたぞ」

 するとシャーロットは少し顔を赤くして恥ずかしそうに言う。

「あ、あれは……すみません、未熟もので。他の獣人なら大丈夫なんですが、あのアメリアに対してだけはどうにも昔から押さえが利かなくて……」

「アメリアって、あの赤髪の大きな獣人の女の子?」

 フローラが少し離れた位置の客席に視線を向ける。

 そこには獣人たちの一団が集まって座っていて、一番目立つ位置に、先ほどシャーロットと言い争いを繰り広げた獣人の女性がいた。

 燃えるような赤髪と、背に担いだ巨大な戦斧が特徴的であり、感じられる力も相当なものだ。

 シャーロットとも十分に張り合えるほどのものがある。

 辺獄の外にも獣人は大勢いるが、あれほどの若者は俺も見たことがなかった。

 やはり、辺獄はそこにいる者を強く鍛える効果があるのかもしれない。

 そもそも、生息している魔物が化け物だらけであるため、当然と言えば当然なのかもしれないが……。

 フローラの質問にシャーロットは頷いた。

「そうです。彼女は〝大斧のアメリア〟といって、辺獄の獣人族のリーダー格の一族なんです」

「大斧の……そういえば獣人族は姓を持たないで、二つ名がその役割を果たすんだったわね」

 つまり、この場合はアメリアが名前で、〝大斧の〟という部分が他種族で言うところの姓に当たるわけだ。

 ちなみに獣人の場合、その姓の部分は割とコロコロ変わったりするので余程有名でなければ覚えておく意味があまりない。

 使ってる武器だったり、得意な攻撃方法だったり、自分の目や体毛の色だったりと、気に入っているものを好きに選んでしまうからだ。

 周囲からもそう言われることが固定化した場合は長く変えなくなるので、そうなって初めて覚える意味が生まれる。

 アメリアの場合は、まさにそこに至った二つ名、ということなのだろう。

 確かにあれだけ巨大な斧を操れる者はなかなかいない。

 シャーロットは続ける。

「ええ。見ての通り、彼女はあの大斧を振り回すことで辺獄の魔物とも十分に対抗できる実力を備えています。馬鹿力もいい加減にしてほしいと思いますが……間違いなく強い。そう言えます」

「実力を随分認めているようね。それなのにどうしてあんなに喧嘩腰に?」

「……彼女には昔からよく喧嘩を売られるんです。ただ、私はハイエルフですから、出せる力に限りがありまして……」

 その言い方であぁ、と思った。

 俺もフローラもすでに知っていることだが、シャーロットやメルヴィルがハイエルフであることは基本的に皆に隠していることだ。

 これは辺獄に生きる他の種族に対してもそうなのだろう。

 そしてそうだとすれば、ハイエルフとしての能力はあまり大っぴらに獣人の前で使うわけにはいかないということだ。

 とはいえ、それでも魔術や精霊術の実力は相当なものであるシャーロットである。

 問題無さそうに思えるが……。

「シャーロットが手加減をした場合、あのアメリア相手には苦戦するってことか」

 俺がそう尋ねると、彼女は頷いた。

「苦戦というか、正直、ギリギリ勝てない、という感じですね。腕力が恐ろしいほどあるのはもちろんですが、体の頑健さに至ってはほぼ魔物と同じです。普通の魔術を放っても真正面から受けきってしまうんですよ。結果、決め手がなくて倒しきれないということが多くて……」

「それでストレスがたまっているわけだ……でもまぁ、いいんじゃないか?」

「え?」

「今なら、別に本来の実力……ハイエルフとしての力を使ってしまってもさ」

 俺がそう言うと、あぁ、という顔をフローラがして言う。

「それもそうね。メルヴィルさんも言ってたじゃない。これからはことさら、ハイエルフのことについて隠す必要はないって。まぁ、そうは言っても人族に対して宣伝するみたいな極端なことはしないとも言ってたけど」

 これについては、エルフィラのエルフを辺獄に連れてきて、ハイエルフを誕生させる試みをすることが決まったため、隠しても隠しきれなくなる日が来るだろうし、というのがあるからだ。

 今までのように完全秘匿、というのはやめて、臨機応変に対応していく感じでいいだろう、と。

 そしてそこから考えるなら、辺獄に住む獣人に対して、ハイエルフとしての実力の一端を開示するくらいは許されると言える。

 別にハイエルフです、とわざわざ口で言うわけでもないのだから余計に。

 そんな意味のフローラの言葉に、シャーロットは少し考えるが、同じ結論に至ったようだ。

 晴れやかな顔で頷いて、言う。

「確かにおっしゃる通りです。これで心置きなく戦えるってことですね……!!

「シャーロット、お前とはこれまで何度か戦ってるが……私から見て、お前の実力はわかってる。それでもやるって言うのか?」

 アメリアが口の端を歪ませて、シャーロットに向かってそう言った。

 ここでいがみあっている感じからして、彼女たちが知り合いなのはなんとなく察してはいたが、何度もぶつかっているというのは知らなかったな。

 ただ、この辺獄において、エルフと獣人族が縄張り争いをしている、という事実から考えれば何もおかしなことではない。

 冷戦のように実際にぶつかり合うことなく、ただいがみあうことも可能だろうが、エルフにしろ獣人族にしろ、そこまでこらえ性がある感じがしないからな。

 今まで、エルフの方は黒竜のことがあって、そうそう他種族との争いに力を使うわけにはいかなかったのだろうが、あの黒竜が居座っていた期間もせいぜい、五年十年ほど。

 それ以前は当然、バチバチにやり合っていたと考えるのが自然だ。

「実力、ですか……アメリア。貴女は多分、今までよくわかっていなかったのだと思いますよ」

 シャーロットはアメリアに返答しながら、どこか不敵な笑みを浮かべる。

 それは何かから解放されたようにも見えるし、また、自由な振る舞いを許されたかのようにも感じられた。

 実際、そうだろうと思う。

 シャーロットは、そもそもエルフの中でも高位種であるハイエルフだ。

 けれど、ハイエルフだという事実を、外部に漏らすことは、今まで厳に禁じられてきた。

 その理由は、ハイエルフというのはすでに絶滅したと世界的に知られていたこと、よってハイエルフという希少な存在がいればどんなところからその身柄を捕らえにやって来るかわからないということ、現代におけるエルフの最大国家であるエルフィラのエルフたちがどういう行動をとってくるか想像がつかない、などさまざまだった。

 けれど、今は事情が変わっている。

 エルフ種はハイエルフがおらず、小さな勢力であると主張し続ける必要は、もう、ない。

 黒竜がいた時であれば、そう言わなければ他からの干渉を避けられなかったが、もう黒竜はいないからだ。

 ハイエルフがもはや存在しないと言い続ける必要もない。

 今後、エルフィラの比較的血の濃いエルフを辺獄に迎え入れて、ハイエルフの新しい血脈を築く予定だからだ。

 そのためには、この場所にハイエルフはおり、その血脈を保てたのは辺獄という特殊環境の故であると公表していく必要がある。

 そして、エルフィラにそのような情報を与えた時点で、彼らはこの辺獄のエルフたちに対して糾弾するような真似はできなくなる。

 新たなハイエルフの誕生は、エルフィラのエルフの悲願だ。

 それが辺獄のエルフの協力無しに実現不可能なのであれば、どんな理由があるにしろ、黙って従うしかない、という事実があるのだった。

 もちろん、辺獄のエルフたちは妙な圧力などをエルフィラにかけるつもりはないのだが、言外に、勝手に感じさせてしまうそういう力はあるということであった。

 実際の細かな事情は、エルフィラの高位にいるエルフである、ファルージャによりいずれ説明されれば事足りる。

 そういった事情をすべて踏まえた上での、シャーロットの台詞だったが、こんなものは種族も住む場所も違う獣人であるアメリアには全くわからないことだ。

 彼女は言う。

「よくわかっていなかっただと? ふん。今までの戦績がすべてだ。お前と私は……二十七勝、二十七敗同士だ。そうだろう?」

 思った以上に戦っているな、と俺は思う。

「意外に喧嘩っ早いのね……いえ、獣人の方が売ってくるから、仕方なくやってるのかしら?」

 フローラがそう呟いた。

 確かにシャーロットは自分から喧嘩を売るタイプではない。

 ただし、今は少し違っているようだとも思う。

 どことなく興奮しているような雰囲気があるのだ。

 そうフローラに言うと、彼女は俺に視線を向けて少し呆れたように言った。

「あんたが原因でしょうが………ハイエルフとしての力を使えって言ったでしょ」

「まぁそうだが……え、それだけで?」

「それだけで強くなれる女もいるのよ。少しばかり鈍感だったわね」

「そう言われてもな……ま、いいか。それよりほら、戦いが始まるぞ」

 先に動き出したのはアメリアの方だった。

「今日こそはどちらが上か、はっきりさせてやる!」

 そう口にしながら、地面を蹴ったのだ。

 やはり、獣人族らしく、身体能力を生かした戦い方をするようだ。

 ただ、腕力のみに頼っているというわけではなく、しっかりと武術を身につけていることが動き出しだけ見ても理解できる。

 まるでその場からかき消えたかのように、シャーロットの目前まで恐るべき速さで距離を詰めたからだ。

 そしてその時にはすでに、背負っていた巨大な斧を後ろ手にしていた。

「これで、終わりだぁぁぁ!!!」

 一撃で勝負を決める。

 そういった気合いと共に思い切り振り下ろされた大斧。

 実際、その攻撃にはそれだけの力が込められているのがわかる。

 だが……。

「っ!?

 アメリアが振り切った斧は、確かにシャーロットに命中したはずなのに、手応えもなくすり抜けたようだった。

 そこには確かにシャーロットの姿がある。

 だが……。

「くそ、幻影か……どこだ!?

 アメリアがそう叫びながら周囲を捜す。

「猪突猛進な貴女のことです。初手から決めにくるだろうということは簡単に想像がつきましたよ。もう少し……楽しみませんか?」

 姿が見えないシャーロットの声がそんなことを呟いた瞬間、アメリアの周囲に何人ものシャーロットの姿が現れる。

 明らかに幻影だが、そのどれかが本物である可能性もあり、アメリアは身構える。

「アメリアは感知能力が高くないのかしら? 見抜けてないわね」

 フローラが俺の隣でそう呟く。

 彼女の言葉の意味がどういうことか、普通すぐには理解しにくいだろうが、長年の付き合いがある俺からすると簡単なことだ。

「獣人族だからな。魔力についてはそれほど敏感ではないんだろう。辺獄の獣人族がどういう性質をしてるのか、まだよく知らないが、外の獣人族は感知能力にすぐれてたからな。それにシャーロットがかなりうまくやっているのも大きい」