「わぁ、懐かしい」

「えぇ、本当に」

 学園を卒業し、帰ってきた私が引き出しの奥から取り出したものを見て、メリンダも目を細めた。

 私は少しガタガタとした文字が並ぶ紙をめくる。

 それは私がまだ6歳のころ、文字の練習にライブラリアンの本を書き写していた紙だった。

「テルミス、お茶でもしないか」

 ドアをノックして誘いに来たのは、マリウス兄様だ。中に入ってきた兄様の視線が私の持っている紙に注がれる。その瞬間、私は良いことを思いついた。

 手をパチンと叩き、兄様にお願いをする。

「お兄様、この本読んで!」

「どれどれ。何の本かな? 『白竜ウィスパの小さな友達』か。これは……テルミスが昔音読していた本だね」

「ふふふ。実は文字を書く練習にも使っていたんです。これなら、お兄様も読めますでしょう?」

 思い出すのは、スキル鑑定を受けた直後のこと。スキルでたくさん本が読めると知って、兄様に読んでもらおうと走って向かった。

 けれど、結局その日私は兄様に本を読んでもらうことができなかったのだ。

 ライブラリアンの本は、他人には見えないから。

「あぁ、読める。テルミスに本を読んであげるなんて久しぶりだな」

 兄様と一緒にベッドに腰かける。

「むかし、むかし……」と兄様の優しい声が降ってきた。


『昔、昔、大陸から遠く離れた小島に二人の男が流れ着きました。

 その島は誰も住んでいる人がいない無人島でしたが、二人は頭が良く、また知恵もあったので、何もないその島に家を建て、魚を釣り、何不自由なく住むことができていました。

 ある日のことです。

 ドスンと島が揺れました。家にいた二人は慌てて外に出ました。

 そこには大きくて立派な白い竜がいました。

 一人の男が勇敢にも剣を片手に竜へ向かっていきました。けれども竜は動きません。

 もう一人の男は、剣で立ち向かう友を止め、対話を試みました。

「竜よ、お前は私たちを食べに来たのか?」

 竜は首を横に振り、言いました。

「僕の名前はウィスパ。ごめんよ、君たちがいるのは知らなかったんだ」

 それから男たちはウィスパの話を聞きました。

 昼から夜へ、少し眠って、また朝から晩まで。ウィスパの長い人生の話を聞きました。


 ウィスパは遠い国の森の奥で生まれた竜でした。

 森の中で生まれた小さな竜は、物心ついた時にはもう森の中でひとりぼっちでした。

 周りに竜はいませんでした。動物たちはみんなウィスパを怖がって近寄ろうとはしません。

 ウィスパは寂しくて、毎日泣きながら過ごしました。

 ある夜、森の奥でひっそり泣いていた時、夜空から何かが降ってくる気がしました。

 ウィスパが空を見上げると、夜の闇が迫ってくるようです。

 不思議と怖くはありませんでした。

 気が付くと、ウィスパの目の前には夜の闇を一身に集めたような黒猫が寝そべっていました。

 黒猫はネロと名乗りました。

「いつもめそめそ泣いているのはお前か? 全くうるさくて、眠れやしない」

 ネロがそういうので、ウィスパは「ごめんなさい」と言ってまた泣きました。

 ウィスパが泣くと、ネロはうろたえ、いろんな話をしてくれました。空と同じく青い水がどこまでも続く場所があること、美味しい果物の話、人が子供に歌う子守歌や昔話まで。

 毎日夜になるとネロはやってきて話をしてくれます。

「お前が住むこの森なんて、この世界のほんの小さな一部分にすぎないのさ」

 ネロは何でも知っていました。ネロと毎日話すうち、ウィスパは寂しくなくなりました。

 それどころか、毎日夜が待ち遠しくなりました。

 けれども、ある日ネロが言いました。

「お前はもう小竜じゃない。もう立派な竜だ。そろそろ世界に飛び立つんだ」

 そう言ってネロは二度とウィスパの前に現れませんでした。

 ウィスパはネロからもらった知恵と勇気を胸に世界を旅しました。

 けれども、うまくはいきません。

 街に行けば、人々は逃げまどい、ウィスパに火矢を放ちました。

 山火事で逃げ遅れている人を助けようとすると、人々はまるでウィスパが恐ろしいもののように悲鳴を上げて逃げるのです。


「もう僕は疲れたんだ。誰もが僕を怖がる。だから、誰もいないこの島に来たんだ」

 最後にウィスパは男たちにそう言いました。

 話を聞いていた男たちは声をそろえて言いました。

「それなら、今日から私たちが友達だ。ウィスパに火矢を放つ奴がいたら、私たちがウィスパを守ってやる。ずっとこの島にいればいい。さっきは悪かった。剣を向けたりして」

「いいんだ。僕だって君たちを守るよ。ずっとね」

 それから二人の男と一匹の竜は、助け合いながら、楽しく暮らしましたとさ。おしまい』


 兄様が最後まで読み終わり、「あぁ」と声を漏らす。

「ネロの名前はこの本から名付けたんだね」

「にゃ~」

 どこからか部屋に入ってきたネロが、私の膝の上に乗る。

「そうなの。他にも名前の候補はあったんだけど、ネロの名前が気に入ったみたい。ねぇ。お兄様、本当に竜はいるのかしら」

「あぁ、いないという証拠はないんだ。なら世界のどこかにはいるかもしれないよ」

「いつか……会ってみたいですね」

 窓から見える景色のもっとずっと先に、白い竜が待っている気がした。