「わぁ! 風が気持ちいい! サリー見て! 魚が見えるわ」
「本当ですね~。私がクラティエ帝国に来たときは曇りだったので、こんなにお天気のいい船旅は気持ちがいいですね」
「そっか。サリーたちは来るときも船だったんだ」
今私たちは船に乗っている。以前父様を見送ったあの船だ。
あの時は父様ともアルフレッド兄様ともこれでお別れかとさみしい気持ちもしたけれど、アルフレッド兄様はそのままクラティエ帝国に残ってくれたし、父様が帰った後母様やメリンダも来てくれた。
サリーやルカ、ネイトもクラティエ帝国に来てくれて嬉しかった。
でも、今はもっと嬉しい。そして、ちょっとドキドキしている。
誘拐されかけて、家を出て4年。4年ぶりに家に帰っているからだ。
1週間ほど前、私は無事ナリス学園中等部を卒業した。
父様たちが反乱によってスキル狩りを収めてくれても私はクラティエ帝国に残った。スキル狩りが解決してもトリフォニア王国では進学が厳しいと思ってのことだ。
それに、スキル狩りから逃れるために来たはずの帝都が大好きになっていたということもある。
スキル狩りが解決してからもいろんなことがあった。
2学年になってSクラスになった私は、将来有望だと貴族たちから目を付けられるようになった。
ネイトがかなり警戒していたから何事もなかったが、ナリス学園の通学中に後をつけられたことは一度や二度ではない。
危機感を募らせたネイトは、私が転移を使えるようになるとすぐに真っ赤な紐のブレスレットを買ってきた。
町でお守りとして売っているものらしく、細い紐を編んだブレスレットの中に一粒だけ小さなクアルソが光っている。
この小さなクアルソに声を転移する魔法陣を付与できないかと言うのだ。
いつでも「助けて」とネイトを呼べるように。
付与自体はできたのだが、声を届けるには二つ揃いで必要だ。それで後日ネイトと私はネイト用のブレスレットを買いに行った。
いろんな色の紐で作られたお守りのブレスレットは、色別にご利益が違うようだ。
ネイトは数ある中から直感力アップと書かれた紫色のブレスレットを迷わず選んでいた。
ネイトは十分鋭いと思うのだが……。
図書室でジェイムス様と会ってからは、ジェイムス様は律儀にもよく私と一緒にいてくれるようになった。ジェイムス様は伯爵家なので、伯爵以下の人から私が絡まれないようにするためである。
放課後ナオや私、デニスさんと図書室でともに勉強し、そのまま学園から近い私の家で私の専属たちも含めてみんなで夕食を食べる未来があるなんて思いもよらなかった。
1学年の時の私に教えてあげたい。
ユリウスさんの研究室では2年間研究した結果、いろんなことが分かった。
例えば、聖魔法、緑魔法だけでなく、身体強化もまた付与魔法だったこと。つまり、細胞やなんやかんやを活性させて体の機能を引き上げる魔法だったのだ。
それを病人、怪我人に使えば病や怪我が治癒し、植物に使えば成長を促進する。そして健康な筋肉に使えば……高くジャンプしたり、速く走れたりするようになるというわけだ。
付与魔法は、適切な素材に付与することで効果を引き出すが、ここでいう適切な素材というのは、私たちの体自体、植物自体であると私とユリウスさんは考えている。
つまり、効果的に病や怪我を治したければ、やみくもに回復をかけるのではなく、体の仕組みがどうなっているのかを知り、病の種類を知り、怪我の手当ての仕方を知ったうえで、最適な場所に魔法をかける。
植物を成長させたければ、その植物がどんな環境で成長するかを知り、その環境を整えることでより効果を引き出す。
そして速く走るならば……。聖魔法と同じく体のことを深く知り、どんな風に使えばいいか知ること。そして言うまでもないが、日ごろの鍛錬で鍛えられた体と運動不足の体では、前者の方がより効果を発揮する。素材の質がいいからだ。
その他にも、火、水、風、地以外の第五の属性があるとも考えている。
それは私が、何故かすんなり理解できた転移の魔法陣の中に描かれているマークが火、水、風、地とは全く違うマークだからだ。
ネイトが指摘したように転移がライブラリアンのスキルであり、今まで知らなかった第五の属性だと考えているのだ。
けれど、それ以上のことは何もわかっていない。
あれやこれやと仮説は飛び出したものの、この第五の属性に関しては全く資料もなく、机上の空論だ。
だから未だに私は自分のスキルのことをよくわからないでいる。
ただ、初級止まりと言われた私のライブラリアンのスキルも少しスキルアップした。火や水といった他の属性の中級の魔法はどう使っているかとユリウスさんに聞かれたのがきっかけだ。
私の魔法は、初級だろうと中級だろうとイメージだ。ならば、イメージでスキルアップできないかと思い、やってみたらできたというわけだ。
ライブラリアンは本が読めるだけだと思っていたから、本を読む以上のことをしようなんて思わなかった。もっと早く思いついていればと少し後悔した。
「本が読めるだけの無能」だと一番思っていたのは、私自身だったのかもしれない。
ちなみにどんなスキルアップだったかというと、最初は本に書き込みができるようになった。
ユリウスさんには地味だと言われたが、シャンギーラ語を勉強している時、単語の意味を書き込んだりできるのはすごく便利だった。
その次にできるようになったのは、本を探すこと。今までは読める本のタイトルがずらーっと並んでいるだけだった。
だから本を読むためには、一ページ一ページ目的の本に出合うまでめくっていかねばならなかったが、今は「植物の本」と意識すると、植物に関する本のタイトルだけが並ぶようになった。
私も成長した。
瑠璃のさえずりは少しずつ人を増やし、今はもう私やサリーが店に立つことはない。
ルカの靴事業も、もうルカの弟子になる人が何人もいてルカが直接顧客の許へ足のサイズを測りに行ったりすることはない。最近ルカは私の靴ばかり作っている。
専属だから当たり前と言えばそうなのだけれど。
ナオが率いるトルトゥリーナも順調そうだ。
つまり、学園は卒業し、お店は私や専属がいなくとも順調に回っている。
そういうわけで、卒業後一度ドレイト領に帰ることにしたのだ。
ともに帰るのは、サリー、ルカ、ネイト。
海を渡って帰国する今回の旅は、カラヴィン山脈の旅路が噓のように速かった。
馬車から船へ、船から馬車へと乗り継いだのだから当たり前だが、驚きだ。
遠回りな上、カラヴィン山脈の時はロバと歩きだったなとイヴとアイリーンと歩いた旅路が懐かしくなる。
前回と違うのはそれだけではない。
トリフォニア王国側でも途中の町に寄れたこと。
どの町の市場も見回るのは楽しかった。屋台で売られている食べ物を食べ歩き、サリーと感想を言い合うのも。
特に港町はクラティエ帝国側も、トリフォニア王国側もにぎわっていて、両国の名産が売られているほか、物珍しいものもたくさん見た。
すごく……楽しかった。
私はライブラリアンだからたくさん本を読んでいる。
だから知識として知っていることは多いが、旅で出会う人から聞く話は私の知らないことばかりだし、本で読んでいても実際に見るのとでは全く違う。
町と町の間で魔物に襲われることもあったけれど、ウォービーズやスタンピードの時のような大事にはならず、ネイトがあっさり倒してくれた。
野営をするときもあった。
だが、カラヴィン山脈を旅していた間はずっと外だったから手慣れたものだ。
帝都に比べれば大分小さい門をくぐり、ドレイト領の領都に入る。
馬車から外の様子を覗くと真っ先に大きな建物が目に入った。
冒険者ギルド……兄様たちと登録に行ってキャタピスと戦闘することになったんだよね。
あの時は怖かったな。
あの頃はほとんど館の敷地内ばかりで、孤児院に行く以外に外へ出たことは数えるほどしかなくて、覚えている場所は少ない。
それでも馬車から見える町の雰囲気は、不思議とすごく懐かしい。
館についた。
馬車の戸が開くと、さらりとした銀髪の綺麗な男性がエスコートに手を出してくれた。
マリウス兄様だ……。
そう頭ではわかっているのに、びっくりして言葉が出ない。
15歳になったマリウス兄様は記憶よりもずっと大きく、大人の顔つきになっていたのだ。
驚いて、ぽかんとマリウス兄様の顔を見ながら馬車を降りる私に兄様は「転んでしまうよ」とクスクス笑いながら、エスコートしてくれた。
危ない足取りながら、ようやく下まで降りると、マリウス兄様がポンポンと頭をなでてくれる。
ドレイト領にいた頃よく兄様がこうして慰めたり、励ましてくれたりしてくれたのを思い出す。
「マリウス兄様……」
「テルミス、おかえり」
「おかえり」とそう言われたことが、嬉しくて我慢しようとしているのに、どんどん涙がせりあがってくる。
だめだ。まだ、泣いちゃダメ。
泣きそうなときは、泣くな、泣くなと思うのではなくて……。
ふっと息を吐き、にっこり笑う。
「はい! お兄様、ただいま!」
そう答えたタイミングで、マリウス兄様の後ろから声がかかる。
「テルミスお嬢様! おかえりなさいませ」
あまりにマリウス兄様が成長していたから、びっくりして兄様ばかり見ていたけれど、兄様の後ろには館で働く使用人たちがずらりと並んでお辞儀をしている。
あ、メリンダ、ジョセフもラッシュもいる……。
あれ? 家庭教師をしてくれていたゼポット様もソフィア夫人もいるし、我が家の騎士たちも勢ぞろいだ。
本当にみんなが迎えに出てきてくれたようだ。
そして、その中心にはベルン父様とマティス母様。
兄様にエスコートされたまま、みんなに一歩、また一歩と近づいていく。
「みんな……。ただいま戻りました!」
そう言えば、わぁっと歓声が上がり、真っ先に母様が駆け寄って抱きしめ、次いで父様も私を抱きしめて「よく帰ってきたね」と言ってくれた。
大歓迎を受けながら、館に入る。
一度荷物整理のために部屋に戻ると、そこは記憶にあった通り、あの日出て行ったままの部屋があった。
違うのは、デスクにラナンキュラスの花が飾ってあること。
まだラナンキュラスが咲くには少し早い季節だけれど、きっとジョセフが魔法で咲かせてくれたんだと思う。
私の好きな花だから。
何とはなしに部屋をぐるりと見まわす。この部屋で音読もした、
歴史や地理を学んだり、魔力感知や魔力操作の特訓をしたりもした。
魔力切れになって倒れたこともあった。メリンダは、その都度甘いチャイを淹れてくれたし、キャタピスと戦った日は悪夢を見てしまって、マリウス兄様は私が眠るまでついていてくれた。
普段は日々の忙しさに思い出すこともなかった思い出が、こうして戻ってくると鮮やかによみがえってくる。
やっと帰ってきたんだ。
私の家、家族のもとに。
あの日から変わらない部屋を見て、そう実感するともうダメで、さっきは押し留められた涙がぽろぽろと流れていった。
ドレイト領について半年。
「ふふふ。みんな頑張っているのね」
ナオからの手紙を読んで、自然と笑みがこぼれる。
ナオはトルトゥリーナ代表として働いている。バイロンさんにはよく相談に乗ってもらっているようで、手紙の文面から仲の良さが伝わってくる。
アルフレッド兄様はなんとヴィルフォード公爵の弟だったらしく、帝国騎士団ではめきめきと頭角を現す傍らお兄様のヴィルフォード公爵の補佐もしている。強くてかっこいい、公爵の弟というアルフレッド兄様は今帝都で一番と言っても過言でないほど噂の人になっているらしい。
私はというと、この半年孤児院でお話会をしたり、冒険者ギルド用に魔物図鑑を作ったり、市場でいろんな料理法を教えたりしていた。
ライブラリアンの本は、人には見せられない。だから役に立とうとすればこういう形しか思いつかなかった。いろんな場所へ行って、いろんな話を、知識を話すこと。それしか……。
コンコンとドアをノックする音が聞こえ、サリーとルカが来る。
今日は専属の3人に話があって来てもらった。
本題の前にナオの手紙にあった帝都の店の近況を話す。
ドレイトに帰ってきてまだ半年だというのに、もう懐かしい。
「それで? お前はこれからどうすんだ?」
みんなの近況を聞いたネイトが聞く。
そう。今日集まってもらったのは、これからの話をするためだ。
私はこれからドレイトを発つ。
私のスキル、ライブラリアンについてはユリウスさんの研究室でもわからなかった。
けれど、思うのだ。この世界のどこかにはあるかもしれないと。
世界は私の知らないことだらけで、本を読むだけではわからない世界があって、だからこそ……一歩踏み出せば見つかるかもしれないと思っている。
私のスキルのこと、いや違う。私の生き方が……。
だから専属たちとはここでお別れ。
サリーとルカはこのままドレイトでマティス母様と共に商会を盛り上げていってくれるだろう。ここには帰る家だってあるのだから、きっと二人もそのつもりだ。
問題は、ネイト。
ネイトはあの誘拐事件を悔やんでいるから、きっと私についてくる。
だが、もうスキル狩りは解決した。もうネイトがあの誘拐事件に心を病む必要はない。
本当はスキル狩りが解決した後すぐに解放してあげなきゃいけなかった。
けれど、みんなと暮らす日々が楽しくて、どうしても言い出せなかった。
でも、もう言わなければ。罪悪感で縛りつけてはいけないのだから。
「そうね……いろんな場所へ行こうと思う。世界には私の知らないことがたくさんあって、私はそれを見て、知りたいの」
「わかった」
やはり護衛としてついていこうとするネイトの返答に嬉しくも、罪悪感が募る。
「それでね。だから、ネイト……これからは好きなことをして」
「は? それ、どういう意味?」
「もうあの誘拐事件のことは気にしないで。すでに父様たちがスキル狩りを解決してくれたわ。もうライブラリアンだからと狙われることなんかない。それに、私だって強いのは知っているでしょう? だから……もう……もう無理に、ついてこなくていいの。私なら大丈夫だから」
なんて声をかけるかは決めていたのに「ついてこなくていい」と言った心が苦しい。
なんだか落ち着かなくて、左の手首につけた赤いブレスレットを摑む。
「なんで、俺だけ……」
私の言葉を聞き、こぶしを硬く握ったネイトが最初はぽつりと、やがて怒ったように言う。
「サリーやルカはよくて、なんで俺は連れてってくれねーんだよ!」
「いや、サリーたちも来ないわよ。ねぇ?」
予想外の返答に驚きながら、斜め前に立つサリーに問えば「え? 私も連れて行ってもらえないんですか?」と驚いていた。
え?
みんな住み慣れたドレイトを離れることは嫌だっただろうと思っていた。
私がクラティエ帝国にいるから無理に来てくれたのだと思っていた。
混乱しながら、ルカの方を向けばルカは平然と「俺は行きますよ」と言う。
「俺らはお嬢様の専属です。お嬢様の傍におらず何が専属ですか」
「え? でも、今回はお店なんてしないわよ。だから、無理しなくても……」
私の言葉を途中でルカが遮る。
「俺らは専属です。商会の者ではありません。プリンも靴も売らなくていいんです。俺がいなかったら誰がお嬢様の靴を仕立てるんです?」
「私も、お嬢様が食べたいものを作るのが私の仕事です」
え? え? と混乱しながら、サリーとルカを交互に見つめていると、ネイトが笑い出した。
「なんだ、そういうことか。お前は間違っているよ。誰も嫌々クラティエ帝国まで行ったわけじゃない。お前に付いて行きたくて行ったんだ」
どういう、こと?
私についてきたって、何もメリットなんてない……。
ネイトがブレスレットをぎゅっと握りしめた私の右手を取る。
目を合わせると、私よりも少し高い視線に、いつの間にか背を追い越されていることに気づく。
ネイトはそのまま私の両の手を取り、話し始める。
「確かに俺はあの誘拐事件の時、ちゃんとお前を守れなかったことを悔しく思っている。だけど、その理由だけで護衛になったわけじゃない。覚えているか? お前が孤児院に来た時のこと。俺も含め、みんな棒切れもって走り回って遊んでいたのを」
もちろん覚えている。ネイトは私の本の読み聞かせより走り回っていた方が楽しそうで、だからみんなで楽しめるよう畑を作ったのだ。
本よりもずっととりかかりやすいかと思って。
「俺らが走って遊んでいたのは、それが楽しかったからだけど、それだけじゃないって気づいた。知らなかったんだ。物語の面白さも何かを育てる楽しさも。一生懸命努力する大切さも」
ネイトが言うには、私が来て本を読んだり、畑作りをするようになって走り回ること以外にも面白いことがあると知り、字を読めるよう練習したり、剣を習ったりすることで何かができるようになる達成感を知ったのだと。初めて知るいろいろな物事とそれに対する自分の感情。
知ってしまったら、何も知らなかった頃には戻れない。
「お前が孤児院に来てからずっと俺は楽しいんだ。離れていても友達なんていう奴もいるけどさ、俺は嫌だよ。面白いことは一緒に笑いてぇし、ムカつくことは一緒に怒りたい。だから護衛になったんだ。俺がお前についていくにはそれしか思いつかなかったから」
サリーやルカを見まわすと、二人ともうんうんと頷いている。
「じゃあ、みんなついてきてくれる……の?」
「当たり前だ。それにサリーとルカはいつでもどこでもついていけるように木型や調理器具などを、すでに一通り準備しているしな」
いつの間に! ばっとサリーとルカを見やれば、二人とも実に晴れやかに笑っていた。
なんだ……。ついてきてくれるのか。みんな一緒に……。
