あの時……誘拐事件などなかったら、ネイトがこういう道を選ぶことはきっとなかっただろう。

 だから断るべきなのに。

 もう、私のために命なんて懸けないで。護衛になんかならないで。

 そう言いたいのに、言わなければならないのに、真剣な眼差しでまっすぐ見つめられると言葉に詰まる。

 物語では、この騎士の誓いに対して湖の乙女はこう言っていた。

『途中で死んだら許さないわ。意地でも生きてわたくしを守りなさい』と。

 今この湖の乙女の気持ちが少しわかった気がした。

 きっと湖の乙女はこんな命を懸けた誓いなんてしてほしくなかったのだろう。

 それでも守るために騎士がどれだけ努力をしたのかも、その騎士の想いの強さも知っていて、いや、知っているからこそ。

 断れない。

 それに何より、覚悟を決めた人は強い。まっすぐに見つめるその瞳が、たとえ断られても譲らないと言っている。そんな強さがある。

 だからこそのあの言葉。

 命なんて懸けないで。そんな叫びにも似た想いがこもった言葉だったのかもしれない。

「と、途中で死んだら……絶対に許さない。絶対よ」

 震える手を握りしめながら、絞り出すように言葉を出し、どうにも涙が出そうになってくるっと背を向け足早に部屋に戻った。



「お母様!」

 そう言って、家から飛び出してきた少女は、私の記憶よりも随分大きく、そして活発になられたようだった。

 私がお嬢様と深く付き合うようになったのは、お嬢様がスキル判定を受けてから。

 それまでもお世話はしてきましたが、スキル判定後旦那様からライブラリアンが世間では使えないスキルと評されていることを聞くと、自分の人生を深く考えられたようで、私に勉強する時間を管理してほしいとおっしゃったのです。

 怠け者だから誰かに管理されないとできないからと言って。

 私はすぐに了承しましたが、お嬢様の立てた計画表を見て驚きました。

 その計画表には、お嬢様が今後身につけるべきと考えた事柄がびっしりで、遊ぶための時間もお茶をして休憩する時間すら入っていなかったのです。

 確かにお嬢様はそれまで何も勉強していませんでしたので、身につけるべきことは沢山ありました。

 ですが、まだあの時お嬢様は6歳だったのです。

 なんとか少し自由時間を入れて、私とお嬢様の怠け者脱出計画が始まったのです。

 時間になると私はお嬢様の部屋へ行き、勉強の時間であることをお知らせする。

 そして、一日の終わりにはお嬢様から今日学んだことを発表してもらう。

 おかげで随分私も花の名前や各領地の特産、聖女マリアベル様や大冒険家ゴラーのことなどに詳しくなったものです。

 私は思っていました。6歳なのだから、すぐにやらないと言い出すのではと。

 ですが、お嬢様はやめなかった。

 領内会議の時は、何か嫌なことがあったのか数日何もしない日がありましたが、元気になるとまた新たに勉強を始められました。

 字を読む、簡単な算術をすることから始まったお嬢様の勉強は、どんどん難しくなっていき、地理や歴史、魔法の勉強もするようになりました。

 初めて魔法陣による魔法を見た時は感動したものです。

 スキル判定で判定された魔法しか使えないのが普通です。

 魔法陣とはいえ、それがまだ役に立たないクオリティだったとはいえ、お嬢様は五大魔法のうち聖魔法以外の全ての魔法を使えるようになったのですから。

 私は思いました。

 ライブラリアン。世間では、使えない、怠惰だと評され、最低スキルと名高いスキルですが、実際にライブラリアンに会った人はいるのかと。

 私はお嬢様以外に会ったことはありません。

 お嬢様は頑張り屋で、プリンや靴などの商いも始め、聖魔法も使えるようになりました。

 これのどこが使えないのか。

 使えないどころかすごいのだと全世界に言って回りたいと思いました。

 私のお仕えするお嬢様は、ライブラリアンで、こんなにもすごいんですよって。

 7歳の冬、お嬢様は誘拐されかけ、そのせいでクラティエ帝国に逃げることになってしまいました。

 怖い思いはしていないだろうか、怪我は、病気はしていないだろうか、笑っているだろうか……。

 心配する私にマリウス様は時折手紙の内容を教えてくださいました。

 お料理をしていること、お友達ができたこと、帝都に着いたこと、学校に通い始めたこと。

 お嬢様の楽しそうな様子に胸を撫で下ろしました。

 そして今回奥様がお嬢様に会いにいくというので、頼み込んで、私も帝都にやってきたのです。


 一通り話が終わると、専属の二人とネイトはこれから住む家へ帰りましたが、奥様と私はお嬢様の家に泊まることになりました。

 夕食はなんとお嬢様が作ってくださいました。いつの間にこんなにお料理が上手になられたのでしょう。湯浴みの用意もお嬢様が魔法を使って一瞬でしてくださいました。私がお仕えしていた頃と比べ物にならない精度です。必死に書いていらした魔法陣もありません。

 それだけで努力されたんだなとわかり、危うく目頭が熱くなりかけました。

 就寝時間になり、奥様は旦那様が泊まられたというお嬢様の隣の部屋へ。

 そして私は「私の部屋が一番広いから。くつろげなかったらごめんね」というお嬢様の一言でお嬢様の部屋で寝ることになりました。

 少しでもくつろげるようにという配慮か、ベッドの周りには衝立も立ててありました。

 その日の夜、私は旅の疲れからすぐに眠ってしまったのですが、お嬢様はまだ本を読んでいらっしゃるようでした。

 翌朝早く、お嬢様を起こさぬよう起きた私はびっくりしました。

 もうお嬢様が起きていらしたからです。

 そして、もう朝食の準備をされているじゃありませんか。

 昨日は何もできなかったので、今日からしっかり働こうと思っていたのに。

 私は料理人ではありませんから、すごい料理は作れません。

 けれど人並みに家事はできます。今回は私一人で使用人の仕事をしなければと意気込んできたのですが……。掃除をしようにも部屋はピカピカに綺麗だし、洗濯も皿洗いもお嬢様が一瞬で終わらせてしまいます。

「メリンダ、おはよう。よく眠れたかしら?」

 そう言うお嬢様に私は何をしてあげられるのだろうかと思ってしまいました。

 その日奥様は、新しく商会に入られたバイロンさんとギルドや顧客になりそうな貴族へ挨拶回りに行かれました。

 専属二人と新たに専属護衛になるネイトは、家を整えるため奔走しています。

 私とお嬢様はお留守番です。お留守番……一体私は何のために来たのでしょう。

 身の回りのこともお嬢様がしてくれ、商会の手伝いなどももちろんできません。

 少し自己嫌悪していたところに、お嬢様が来られました。

「さて、と。メリンダ、今から時間あるかしら? 私、沢山話を聞いてほしいのよ。2年の勉強の成果を発表しなくては!」

 にっこり笑って、そう言って。

 お嬢様は、習ったことや自分で考えたことを私にたくさん発表してくれました。

 学園で習ったという生活魔法のことや、聖魔法や緑魔法が付与魔法ではないかという仮説、容赦ない社会学の授業の話など。

 ドレイト領でお仕えしていたころより格段に難しい話で、私にはわからないことが多かったのもあり、私は聞くに徹しました。それでもお嬢様は私に話すことでいろいろと頭の中の情報を整理されたようでした。

 私は席を立ち、チャイを入れます。お嬢様の住むこの家は、調理場が丸見えですが、こうやって部屋を離れずともお茶を用意して差し上げられるのがいいです。

「お嬢様、一度休憩にしましょう」

「ふわぁ。ありがとう。やっぱり、メリンダの淹れるチャイが一番美味しいわ」

 お嬢様がそう言って笑います。ですがすぐにその顔が曇る。この滞在中、お嬢様の困ったような、悲しいようなそんな表情を何度か見かけました。何か悩みがあるのでしょうか。

 ややあって、お嬢様がぽつりぽつりと口を開きます。

「ねぇ、メリンダ。ネイトが専属護衛になるの。本当にいいのかなぁ」

 お嬢様は、ネイトがあの誘拐事件の時に守れなかったのを気にして護衛になったのではないかと心配していらっしゃいました。友達に悪いことをしてしまった、ネイトには何の非もないのにと。

 お嬢様は真剣に悩んでいらっしゃるのにこんなことを思うのはお嬢様にとても悪いのですが、私はよかったと思ってしまいました。

 お嬢様はドレイト領では孤児院に行く以外は館の中だけの生活でした。

 それは貴族なら当たり前のことなのですが、成長し、マリウス坊ちゃまが勉強に忙しくなるとお嬢様と一緒に遊ぶ人はいなくなりました。

 それでも普通なら、ライブラリアンでなければ、お嬢様も6歳の社交解禁後、同じ貴族の子と遊ぶことが増えたでしょう。けれどお嬢様はライブラリアンで、積極的に縁を結ぼうと子供を遊びにやる貴族はいませんでした。

 お嬢様自身も不遇なスキルを覆そうと日々勉学に一生懸命でした。

 自分がしたいことよりも、将来役に立つこと、誰かのためになることばかり考えるお嬢様は、子供時代をどこかに忘れて、一段飛ばしで大人になっているようでした。

 スキル狩りの噂を聞いてからは、一層館から出られなくなりました。

 もちろん私たち使用人はお嬢様のそばにいましたけれど、やはり大人とでは、ましてやこちらはお仕えする身ですから「遊ぶ」というのとは少し違います。

 ですから、お嬢様がネイトのことを純粋に友人として話していることにほっとしたのです。

 それと同時に、純粋に遊んでいただけの友人関係から、友人であり、主と護衛という主従関係に変わってしまったお嬢様とネイトの関係に成長を感じるとともに少し寂しさも感じます。

「お嬢様がお嬢様の人生を歩む権利があるように、ネイトにもネイトの人生を歩む権利があります。ネイトは自分でその道を選んだのですから、お嬢様が気に病む必要はありません。もちろんお嬢様が嫌なら断ることだってできますが、お嬢様はネイトが専属だとお嫌ですか?」

 少し考えて、ゆるゆると首を振るお嬢様。

 ここ数年にあったことは、大変なことばかり。まだ子供だったお嬢様はとても辛かったはずです。

 それでも変わらず自分より他人を気遣うお嬢様に胸が痛みました。


 数日滞在して気づいたのですが、お嬢様はとても忙しい。

 私たちが来ているので、その間に商会関係のことが忙しいのはわかります。

 平日は学園に通われ、その後課題と自分で勉強している分野の勉強が加わります。

 お仕えしていた頃も、次は算術、その次は歴史、孤児院に通って、護身術を習って……と勉学に忙しいお嬢様でしたけれど、変わっていらっしゃらないようです。

 少しでも休んでほしいと、私はお嬢様の好きなチャイを何度も差し入れしました。

 帰国も迫った休みの日、お嬢様の大好きな海街というところに連れて行ってくれました。

 せっかくのお出かけですので、お嬢様のお支度も手伝います。

 2年前私が切った髪は、だいぶ長くなっていました。

 お体も大きくなりましたし、新しい商品も考えられていたようですし、魔法もお上手になられて、家事もできるようになられて、学園の成績も良いと聞きました。

 何とご立派になられたことでしょう。

 でも何より嬉しいのは、お嬢様が楽しそうなことです。

 海街ではナリス学園で友達になったというナオミさんとも会いました。とても仲がよさそうな様子に、胸が熱くなりました。

 お嬢様。

 優しくて、頑張りすぎるお嬢様。

 どうかこれからは楽しいことをたくさん見つけてくださいね。



 母様たちが帰国してしばらくして、私はとんでもないことを聞いてしまった。

「えぇ。きっとそうだと思わない? だって殿下はアイリーン様を溺愛されているし、2年前のスタンピードだって……ねぇ。私はこれをレポートに書くつもりなの」

 彼女たちは社会学の課題をしているようだ。

 今回の課題は近年起こった出来事について、それに何の意図があるか考察するというものだった。

 一人の女子生徒は、アイリーンの結婚について書くようだ。

 アイリーンは友達だし、なぜかスタンピードという言葉も聞こえたので、いけないとは思いながら自然と耳を傾けてしまった。

 彼女たちの話を聞いて青ざめた。

 それが、クラティエ帝国とトリフォニア王国が戦争をするのではないかというものだったからだ。

 なんで結婚から戦争になるの!?

 その話は、公になった情報ではない。ただの彼女の憶測だ。

 けれど、内容が内容なだけに気になって仕方ない。

 そのまま話を聞いていると、彼女が戦が起こると考え付いた理由は三つあるらしい。

 一つ目は、先程聞こえたオスニエル殿下の溺愛ぶりだ。

 あまりの溺愛にアイリーン皇子妃を追放した王国を憎んでいるのでは……と。

 確かに。オスニエル殿下はアイリーン一筋だ。だけど、私怨だけで戦をするような人には見えないけれどなぁ。そして、それをどうやってレポートにするのだろうか。

 二つ目は、2年前に起きたスタンピードは自然災害的なものではなく、トリフォニア王国が仕組んだものだったのではないかということ。

 知らなかったけれど、2年前クラティエ帝国の一部の貴族ではそんな噂が流れていたらしい。

 これも彼女の妄想だと一蹴できる話だが、私も真実が何かは知らない。

 夏にギルバート様の話を聞いて、ギルバート様が調査をしていたことは知っているけれど、調査結果は知らないのだ。

 いや、待って。そもそもなんでギルバート様はクラティエ帝国に来たのだろうか。

 メンティア侯爵はアイリーンの結婚式に、父様は私に会いに。

 父様が来た理由も弱いけれど、ギルバート様はもっと弱い。

 私に感謝するためだけじゃ……ないよね? 感謝だけならいつだっていいのだから。

 わざわざアイリーンの結婚式の時に無理を押して来なくてもいいはず。

 じゃあ……なんで?

 そして彼女たちの戦が起こると感じた一番の理由が、帝都から騎士の多くが出払っているということだ。彼女たちはよく騎士の練習風景を見に行くようで「○○様もいなかったわ、あの方もよ」と話している。

 確かに、アルフレッド兄様は今いない。長期遠征だと聞いている。

 その中身は守秘義務と言うから知らないけれど……。

 なんだろう。彼女の推論は、どれも噂や憶測をもとに推論を立てていて、何の根拠もないのだけど、なぜだか否定できない私がいる。

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。

 心臓の鼓動が大きくなる。

「それじゃダメよ~。貴女またオルトヴェイン先生に怒られるわよ。妄想も大概にしろってね」

「そうよね~。私の妄想結構当たるのに、根拠って難しいわ~」

 アルフレッド兄様が戦争に……?

 マリウス兄様も王都だし、ドレイト領だって山を挟むとはいえ、王都から近いのよ。

 きっと彼女の妄想よね?

 そう思いつつも、その日の夜はネロを抱いて眠った。

 なんだか最近ネロを抱きしめて寝るのが癖になっている気がする。

 それでも不安は晴れなくて、とうとうマリウス兄様に手紙を書いた。

「凄い妄想よね?」って面白おかしく手紙を書いた。

 マリウス兄様は笑ってくれると思ったけれど、私が不安に思っていることが分かったのだろうか。

「大丈夫だよ。テルミスが心配することなんて何もないからね」と返事がきた。

 その真面目に返された手紙で、安心するどころか私は一層不安になる。

 マリウス兄様……何かご存じなのですか?

 それでも遠く離れた帝都の地にいる私にできることなど何もない。

 不安に思いながら毎日を過ごし、不安を追い払うかの如く、一心不乱に勉強をした。

 朝も昼も夜も。

 アルフレッド兄様から一人で訓練するのは禁止されていたけれど、いてもたってもいられずネイトに立ち会ってもらって魔法の特訓もした。

 もちろん商会の仕事も。

 特にサリーは、シャンギーラの食べ物に興味を持っていたから、チャーハンや花あられを教えたり、塩麴を使ったレシピを考えたり、シャンギーラのお店が開店する時にこちらの菓子店でも連携した商品が作れないかなどたくさん話をした。

 あれこれ試作するために、しばらく我が家に泊まっているほどだ。

 バイロンさんもルカも進捗報告と今後の計画を立てるためによく来る。

 何かと鋭いネイトは、私の様子が変だと思っているのか、しょっちゅう「帝都観光につれていけ」と文句を言って私を町に連れ出す。

 驚いたことに、ネイトは訓練だけでなくナリス語も勉強していたらしく、少しぎこちないが物おじせず町の人と会話をしている。

 ある時は「一番美味しい屋台を決めよう」と言って屋台を片っ端から巡り、またある時は「帝都で一番見晴らしのいいところでピクニックをしよう」と言って、サンドイッチ片手に高台にある公園へ行った。

 そうやってみんなに囲まれていることで、少し不安が紛れている気もする。

 みんながクラティエ帝国まで来てくれて本当に良かった。

 ちなみに専属二人には戦争のことをまだ何も話していない。だって、彼女の妄想……なのだから。

 ネイトには隠せなかったが、ネイトは「マリウス様が大丈夫って言うなら大丈夫だろ」と言う。

 年末年始の休みが近くなってきた頃、進路指導が始まった。

 私は魔法科で、ナオとデニスさんは貴族科に行くらしい。

 貴族科は、政治や経済、経営、法律などなど、1学年の時に社会学で習ったことをさらに深く学んでいくところだ。

 名前こそ貴族と入っているが、平民でも問題ない。

 二人と離れるのは正直寂しいが、お互い頑張ろうと励まし合った。

 魔法科の説明会では研究助手ができる研究室の研究テーマが一覧になったリストが配られた。

「地魔法、水魔法による農地改善研究」とか「常用ポーションの開発」とか「新規攻撃魔法の開発」だとか、「魔導具の消費魔力軽減化」などいろんな研究テーマがあったが、私はライブラリアンとは何かを知りたくて、ユリウスさんの「スキル研究」に応募して、学園は休みに入った。

 ジュードさんもユリウスさんの助手だから、もしも、万が一受かったら、一緒だなぁなんて思うけれど、ユリウスさんは一度も生徒の助手を採ったことがないというから難しいかもしれない。


 クラティエ帝国では、年越しの休みになるとパンやチーズにベーコン、じゃがいもなどの日持ちのする野菜やお菓子を手に、親しい人、お世話になっている人の家を訪れる。

 そこで今年一年お世話になりました、仲良くしてくれてありがとうと挨拶をする。

 手土産は全て日持ちする食材で、それはこの年越しの休みの期間もお腹をすかさず、幸せに暮らせるようにという願いからだ。

 年越し当日は忙しい。

 朝のうちに家の北側に宝石を、南側には楽器を、西側には焼いた肉を、東側には薬草を置き、1年の息災を祈るのだ。庶民には高いものが多いので、一般的には北に石、南に何か音のなるもの、西に食べ物、東に草を置くらしいが。

 この東西南北に置く物は神様の好きなものを祀っているのだとか。

 トリフォニアにはこういう風習はなかったので面白いなぁと思う。

 祈りを捧げた後も忙しい。

 家族総出で大量の料理を作るのだ。

 それから休みの終わるまでの三日は親しい友人を家に招いたり、招かれたりして、大量に作った料理、挨拶でもらったチーズやパンでもてなすのだ。

 そんな訳で、休みに入るとバイロンさんやニールさん、ナオやアンナさん、サリーやルカ、ネイトのところにベーコンやチーズを片手に挨拶回り。

 アルフレッド兄様はまだいないから、代わりと言っていいのかわからないけど、騎士団にも焼き菓子を差し入れた。

 年越し当日は、専属共々サンドラさん宅で過ごす。

 サンドラさん、アドルフさんはクラティエ帝国での親代わりと思ってほしいと言ってくれて、年越しも一緒に過ごしてくれる。

 本当に素敵なご夫婦だ。

 年越し翌日は、ナオに招かれて海街に行った。

 屋台の打ち上げで使った食事処で、飲んで、食べて、笑って、踊って楽しんだ。

 ちなみに塩麴、甘麴はナオが責任者となって、海街の人を雇ってお店をオープンさせることになった。屋台で売った花あられも売るそうだ。

 現在ナオは、従業員となる人材のナリス語の最終チェック中。クラティエ帝国での接客方法も誰が見てもわかるよう手引書にまとめているんだとか。

 休みの最終日は家に戻り、私、バイロンさん、サリー、ルカ、ネイトの5人でテルミス商会の決起集会……という名の宴会だ。

 親しい人たちと美味しい食べ物で過ごす年越し休暇は楽しくて、あっと言う間に過ぎてしまった。

 アルフレッド兄様も騎士団のみんなと年越しくらいは楽しくやっているのだろうか……。

 いや、仕事なのだからそんな風に遊んでいてはダメなのかもしれない。

 マリウス兄様にも年越しの手紙を送ったが、未だ返信はない。

 いつもすぐに返信してくれるのに、珍しい。

 ドレイトで羽を伸ばして、返事を書くのを忘れているのだろう。そうに違いない。


 年明け学園に行くと、学園内は一つの話題で持ち切りだった。

「テルー聞いた?」といの一番に駆けつけてくれたのは、私の事情も知る親友のナオだ。

「うん……。本当だと思う?」

 信じられなくて、つい聞いてしまう。

「昨夜皇帝陛下直々に発表があったそうだから、おそらく」

 昨日は年越し休暇最後の日。

 平民の私には関係がないが、貴族たちは宮殿でパーティがあった。

 そこで皇帝陛下は二つのことを発表されたそうだ。

 一つ、隣国トリフォニア王国で反乱があり、その原因を作ったハリスン殿下が捕縛され、責任を取って王が退位したこと。

 二つ、現状ハリスン殿下以外の世継ぎはいないため、トリフォニアからの要請により、オスニエル殿下とアイリーンがトリフォニアを治めることになったこと。

 オスニエル殿下とアイリーンならトリフォニア王国にとってそう悪いことにはならないだろうが、それでも何か落ち着かないのは反乱に家族が何か関わっているのではと思ったからだ。

 アルフレッド兄様は今長期遠征でいない。守秘義務のある遠征だ。

 マリウス兄様も何か知っていそうだったし、父様やギルバート様だって……わざわざアイリーンの結婚式の時に来る必要はなかった。

 それに私が宮殿へ行く前、オスニエル殿下と父様たちは何か話し合いをされていたようだった。

 それが、今回の反乱の件だったのでは? そう思えてならない。

 私の知る限り、父様もマリウス兄様もアルフレッド兄様も権力闘争には興味がない。

 積極的に反乱に加担するようなタイプではない。

 それなのに、なぜ?

 いや、もうこの際理由なんてどうだっていい。

 反乱に加わっていようといまいと、どうだっていい。ただ、無事が知りたいだけだ。

 よほど反乱のことを考えていたのか、いつの間にか授業は終わっていた。

 はやる気持ちで家に戻るとニールさんが来ていた。

「もう話は聞いた? 今回のこと僕から説明してもいいかな?」

 顔がこわばっていたのか、バイロンさんがミルクティーを淹れて応接室に持ってきてくれた。

 ふぅっ。

 少し落ち着いたところで、ニールさんが話し始める。

「その顔だと何となく察しがついているのかもしれないけど、今回の反乱のリーダーは、アイリーン様のお父様であるメンティア侯爵だよ。侯爵の名誉のために言うけれど、最初から反乱を企んでいたわけじゃない。アイリーン様が追放されて、アイリーン様を方々捜し、その罪の真偽を調査する中でこのまま今の王族に国を統治させるわけにはいかないと思ったんだよ」

 ニールさん曰く、今回の反乱の原因は昨今の王族の暴挙と統治能力の欠如だそうだ。

 暴挙と言われる一つは、言わずもがなアイリーンの婚約破棄だ。

 今は冤罪だったと証明されているが、冤罪でなかったとしても「いじめ」という具体的に何をしたかわからない罪で、証拠もなく、反論も許さず、法律にものつとらず、王太子の一言で侯爵令嬢をパーティ会場からそのまま馬車に押し込め追放するなんて、暴挙以外何物でもない。

 しかも、追放後殺害命令まで出ていたのだ。

 それでも、その後がうまく行ったのなら問題視しない貴族もいただろう。

 だが、アイリーンの追放後王宮は混乱した。

 ハリスン殿下はもともと執務の多くをアイリーンに任せていたため、執務が滞り、なかなか終わらないことに業を煮やした殿下は、内容を深く確かめもせず、サインをするようになった。

 そうするとどうなるか。賄賂による人事、公費の着服などの汚職がまんえんし、王国の国庫は少しずつ目減りした。

 さらにアイリーンの追放は、優秀な人の流出にもつながった。

 そりゃあそうだろう。

 正当に評価されないばかりか、冤罪をなすり付けられるかもしれないのだから。

 優秀な人ほど王家から距離を取った。

 また、アイリーンを押しのけてその座に就こうとしたチャーミントン男爵令嬢も王子妃に相応しいマナー、知識が圧倒的に足りておらず、殿下と共に参加したパーティでミスを連発。

 近隣諸国にも王国の次世代は能無しだと烙印を押されているらしい。

 そういうわけで現在トリフォニア王国はガタガタだ。そんな状況に多くの貴族が王族を見限った。

「それと、テルーちゃんが危惧しているのは、ドレイト男爵が反乱に加わっていないかということだろう? うん。テルーちゃんの想像通り、ドレイト男爵は反乱軍についている。ついているっていうよりは、今回の反乱はね、名目上のリーダーはメンティア侯爵だけど、実態はメンティア侯爵、ベントゥラ辺境伯、そしてドレイト男爵の3人が主導なんだ。そう。夏に帝国に来たメンバーだね」

 やっぱり……。

 アイリーンの結婚式にあの3人が来るのは変だったのだ。

 どうして気がつかなかったんだろう。

「ドレイト男爵が反乱に加わったのは、テルーちゃんを守りたかったからだと思うよ」

「え、私?」

「詳しくは話さないけど、王子妃になりたがっていたチャーミントン男爵令嬢の領地チャーミントン男爵領でレアは見つかったんだよ。ううん、レアだけじゃない。スキル狩りで誘拐されたと思われていた人たちがそこにいた」

 思いもよらないことが出てきた。暴挙と言われるもう一つがスキル狩りだった。

 スキル狩りも今回の反乱の要因ならば、父様が反乱に加わったのもわかる。

 ニールさんの言う通り私のためだ……。

 今回ハリスン王子が捕縛されたのは、法を無視して当時婚約者だった侯爵令嬢を追放、殺害を指示したこと、それと現在のパートナーの実家チャーミントン男爵がスキル狩りに手を出していることを知りながら黙認、奨励していたことの二つ。

 それに対してニールさんはこう言っていた。

「どちらも罪なき人が正当な理由なく、それまでの暮らしを奪われている。それを王太子は何とも思っていなかったのだから、そんな人を王様にしてはいけないと反乱を起こしたのも僕はわかる気がするな。だってそうだろう? 今は無事でも、明日は自分が追放されたり、冤罪を擦り付けられたり、誘拐されたりするかもしれないのだから。恐怖でしかないよ」と。


 ニールさんから反乱の話を聞いた数日後、マリウス兄様からも説明の手紙が届いた。

 内容は、父様もマリウス兄様も、アルフレッド兄様もドレイト領もみんな無事。心配することはないとのこと。とにかく……無事でよかった。

 そして、やっぱりアルフレッド兄様はトリフォニアに行っていたのか。

 その手紙からさらに2週間。

 アルフレッド兄様が帰ってきた。元気そうな姿を見てホッとした。

 全員の無事が確認でき、アルフレッド兄様も帰ってきて嬉しいはずなのに、最近私は何だか胸がざわざわと落ち着かない。

 何故だかはわかっている。

 ただただ足手まといになってばかりいる自分に自己嫌悪しているのだ。

 父様も兄様たちも、スキル狩りについて色々と調べてくれて、犯人を捕まえてくれた。

 スキル狩りの犯人が捕まったからと言って、ライブラリアン=役立たずという図式が崩れるわけではないけれど、少なくとも私は逃げなくて良くなった。

 ドレイト領に帰ることもできるようになった。

 けれど父様や兄様たちが私のために奔走し、戦ってくれていたというのに、私ときたらそんな事実を知りもしないで、のんびりクラティエ帝国で過ごしていたのだ。

 自分の問題すら、私は自分で解決できない。

 やっぱり私は役立たずだ。そんな心のモヤモヤから逃げるように、私は勉強した。

 アルフレッド兄様が帰ってくるまでは、不安から勉強していた。

 兄様が帰ってきた今は、自身の虚無感から。そして、糸が切れたようにぼんやりする。

 そんな猛烈な勉強とぼんやりを繰り返す日々。

 ネイトがついに口を出した。

「アルフレッド様帰ってきたし、領主様やマリウス様もみんな無事なんだろ? 次は何に思い悩んでいるんだ?」

「いや、私って本当に役に立たないなって……」

 ネイトにはその一言で、私が何を言わんとしているかわかったようだ。

 ベチン。

 ネイトがうつむいていた私の額をたたく。

「い、いたい!」

「そんな辛気臭い顔していても、領主様も、マリウス様も、アルフレッド様も誰も喜ばないぞ」

 そんなことわかっている。

 でも何の力にもなれない、足手まといなばかりの自分がどうしても嫌になるのだ。

「マリウス様に聞いたんだけど……昔パーティでお前言ったんだろ」

 ネイトが突然パーティの話をし始めた。話の関連が分からず混乱する。

「私は私のできることをするだけだって」

 ネイトが話しているのは、私が最初に参加した領主会議後の慰労会での話だ。

 スキル狩りの犯人だったドラステア男爵の息子イヴァン様が「ライブラリアンは何の役に立つのか」と言ってきたときの。

 あぁ、ネイトが言いたいことが分かった。自分でスキル狩りを解決できなくても、役立たずじゃない。私には私のできることをやればいいじゃないかと言っているのだ。

「それにさ、もし今役に立っていなくたっていいじゃないか。これから役に立っていけば。その時は俺も一緒にやるし。お前一人でやるよりずっと何かの役に立てると思うぜ。マリウス様からも師匠のゼポット様からも何をやるにも吞み込みが早いってお墨付きもらってんだ」

 そうやってへらりと笑って冗談を言うから、つい私も軽口を返してしまう。

「言ったわね。世界の果てまで連れ回しても文句言わないでよ。ふふふ」

 さっきまで役立たずだと自己嫌悪してどん底のような気分だったのに、ネイトと話すとどうでもいいことで悩んでいたなと思ってしまうから不思議だ。

 そうね。私は私のできることをするだけだわ。悩むなら、役立たずだと嘆いたり、悩んだりするのではなく、何なら役に立てるか……よね。