無理にでも笑っていたら、楽しい気分になるものだから。
楽しいから笑うのではなくて、笑っているから楽しいのよ。
「お久しぶりです。私もお父様の姿を見られて安心しました。ですが、今日はどうしてこちらに?」
「テルミスに話があってね。もちろん単純に会いたかったのもあって、オスニエル殿下とアイリーン様の結婚式に参列するメンティア侯爵についてきたんだ」
嬉しい。けれどわざわざ侯爵のお手を煩わせてまでの話なのだろうか? 手紙という手もあるのに。そう言うと、父様は首を振りちゃんと会って話をするべき話だと言った。「それに手紙で済ませたと言えばマリウスから怒られそうだしな」と笑って付け加える父様を見て首をかしげる。
マリウス兄様が怒ることなんてほとんどない。いや、前世を思い出してから怒ったところを見たことがあっただろうか。そんなマリウス兄様が……怒る?
そんな私たち親子の様子を優しく見ていたアイリーンが口を開く。
「ふふ。では、話の前に紹介してもいいかしら? 父のトレヴァー・メンティア、次期ベントゥラ辺境伯のギルバート様よ」
アイリーンに紹介されて立ち上がったアイリーンのお父様、メンティア侯爵は「娘の命を幾度も助けてくれて本当にありがとう。ずっと君に礼を言いたかった」と言って胸に手を当て、頭を下げた。今の私は平民だ。侯爵とは天と地ほど身分が違う。そんな人に頭を下げられ、慌てる。
助けたのは偶然だったと、旅の間は私の方が世話になったのだと言って頭を上げてもらったが、その後も侯爵は何度もありがとうと言って頭を下げた。
そして、入れ替わりに出てきたギルバート様も「君のおかげで私は生きている」と頭を下げた。
こちらは何にお礼を言われているか全く心当たりがなく、内心首をかしげつつ慌てて頭を上げてもらう。
話を聞くと、ギルバート様はスタンピードがあった時ちょうど砦村にいたそうだ。
地鳴りが聞こえてすぐ、私が村から去るときに施した結界が発動し、草が村を覆い尽くした。その後音や地響きがひどくなり、ようやく結界が無くなった時、砦村の外は辺り一面命あるものがすべてなかったという。
「君の草の防御壁がなければ皆死んでいた」とギルバート様は言った。
スタンピードの時のあの魔物たちが、砦村を……。
魔物のだらりと垂れたよだれ、血走った眼、結界に当たった時の「助けて」「許さない」といった声を思い出し、心が一瞬ぶるりと震えた。
短い間だったけどあの砦村のみんなはとても良くしてくれた。
よかった、守れたんだ。みんな……生きている。
ここに来る前は宮殿に呼ばれるなんて何事だろうかと不安に思っていたが、蓋を開ければどれも悪い話ではなくほっとした。
そう心が緩んだ時、父様が口を開いた。
「テルミス、いいかい? 私からも話がある。大事な話だ。お前を誘拐しようとした犯人が見つかったよ。犯人はドラステア男爵だ。奴は根っからのスキル至上主義者だからな。テルミスのスキルが気に食わなかったんだろう」
一度緩んだ心がぎゅっと縮んだ。
犯人は知っている人だった。
ライブラリアンは最低スキルで無能だと思われていることは6歳の時父様から教えてもらっていたけれど、スキルが気に食わないという理由だけで誘拐する人がいるとは思っていなかった。
頭で理解できても、本当にそんなことをする人がいるなんて信じられなかった。
父様の口から犯人の名前・動機を聞けば嫌でも思い知らされる。
私は世界に不要な存在なのだと。
うつむきそうになった時、父様が私をじっと見つめているのに気がついた。
だめだ。ここでうつむけば、心配をかけてしまう。心を引き締め、父様を見つめ返す。
それに気になることがもう一つ。レアのことを聞かなければ……。
無事を聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちがせめぎ合う。無事見つかったなら、レアが犯人の一味なのか被害者なのかハッキリしてしまう。
レアには無事でいてほしい。だけど、レアも犯人の一味だったら……。
だが、そんな気持ちは父様にはお見通しのようだった。
「大丈夫だ。レアは生きてはいる。犯人の求めに応じて、確かにお前を呼んだ。だが、あれはレアの本心じゃない」
本心じゃない? どういうことだろう。
父様の説明によると、レアは思考が緩慢になり、簡単なことなら言うことを聞いてしまう呪いのような薬を打たれたらしい。その薬は、副作用として、黒い痣ができるという。
黒い痣と聞いてハッとする。レアは昔から黒い痣が……あった。
私が息を吞んだことで、父様も私が気づいたとわかったようだ。
「レアは……昔もその薬を打たれていたのですか」
父様が頷く。
黒いからといって、ずっと呪いが効いているというわけではないらしい。
確かに孤児院にいる頃のレアは普通だった。ただ何かの拍子に表出するかもしれず、呪いがなくなったかはわからない。
「見つけた時のレアは胸だけじゃなく、腕や首も黒くなっていた。お前を誘拐するために薬を打たれたからだ」
そんな。私のせいで? 目の前が暗くなる。
私は、私のスキルは、一体どれだけの人に疎まれ、どれだけの人を傷つけているのだろう。
「よく聞いて。レアのことは不幸なことだけど、テルミスのせいじゃない。わかっているね?」
気づけばアルフレッド兄様が背中をさすり、父様が手を握ってくれていた。
アルフレッド兄様が言う理屈はわかる。
私は好きでライブラリアンになったわけではないし、悪いのは誘拐犯だ。
わかっている。だけど心情は別だ。
「聖魔法では治らないのでしょうか」
私のせいで薬を打たれたレアを何とかしたくて、悪あがきのように尋ねる。
だが、おそらく無理なのだろう。マティス母様が孤児院でレアに聖魔法をかけていたが、黒い痣は良くならなかったから。
思った通り父様が静かに首を振る。
発見後も聖魔法をかけたが痣はなくならなかったそうだ。痣があるだけで何もなければまだいいが、呪いが残っているなら心配だ。
何か……。何かできることはないだろうか。
フルスピードで考え始める私に父様が口を開く。
「安心しろ。さっきお前は自分のせいでと責めていたようだが、逆だ。レアはお前のおかげで助かりそうなんだ」
父様の言っている意味が全くわからない。
私のせいで黒い痣だらけになったのに、私のおかげで助かるってどういうことなのだろうか。
意味が分からず思考が固まってしまった私に説明してくれたのは、ギルバート様だ。
レアはギルバート様がしていたスタンピードの調査過程で見つかったそうだ。
驚くべきは、レアが見つかった場所の近くにウォービーズを飼っている施設があったこと。
魔物は昔アイリーンが言っていたように、人々を襲う。犬や猫、馬などのように人間になつくことはない。そんな危険な物を飼っていた? なんのために。
その理由は分からないが、そこからレアの毒はウォービーズ由来の物ではないかとギルバート様は考えた。
冬のウォービーズの毒は死に至るが、それ以外の季節なら刺された箇所が赤黒くなり、思考が緩慢になるだけ。レアの症状にも似ている。
確かに、レアの症状は自分で思考できず、人の言いなりになってしまうものだ。
黒くなるのも、似ている。ウォービーズの毒をさらに強めたということだろうか。
「先程、スタンピードの時に私があの村にいたのは話しましたね。そこで村長から貴女がアイリーン嬢を救った話も薬を作っていった話も聞いていました。それで、村から薬を取り寄せレアに服用させたのです」
あの村で作った薬は、アマルゴンを使った解毒の薬。
ウォービーズの毒を受けたアイリーンには効いたし、同じウォービーズの毒ならばレアも効くのではないだろうか。
良い結果を想像しつつも、恐る恐るギルバート様に結果を問えば、今はまだ胸のあたりの痣が残っているが、少しずつ痣がなくなっているという。よかった。
「そこでお願いがあるのです。アイリーンの恩人に、またもお願いしなければならないのは心苦しいのですが」
そう言って、またメンティア侯爵は頭を下げようとする。
メンティア侯爵によるとレアの他にも同じ症状の人が多く見つかっているという。問題は、あの薬がもう手元にない上、同じものを作れる人がいなかったことだ。
そうか、それで今回私が呼ばれたのか。
でも良かった。薬を作ることなら役に立てそうだ。
バンフィールド先生に指導してもらっているから、今ならきっと以前より良い物ができるだろう。
薬の生産を承諾し、納期について話し合う。
アイリーンの結婚式に来たメンティア侯爵は式の終わった二日後には帰ってしまう。
さすがに一人でそんな短期間に薬は作れないと思っていたら、2週間クラティエ帝国に滞在する父様が作り終わらなかった分を持って帰ってくれることになった。
「せっかく可愛い娘のところに来たんだ。少しくらい娘と一緒に暮らしたいじゃないか」というのが父様の滞在理由だ。
父様との会話が終わり、アイリーンが話しかけてくる。
「さて、もう堅苦しい話は終わりね。これからは様なんてつけないで。私、今日をずっと楽しみにしていたんだから!」
旅をしていたころのように、アイリーンは「久しぶりね、元気にしていた?」とか「学校はどう?」と話す。私も久しぶりに会えたことが嬉しくて「あのね、それでね」と話は尽きない。
私が花あられを手土産に持ってきたことから話題は建国祭になった。
アイリーンたちは屋台で出す花あられだけでなく、シャンギーラの食べ物がどう受け止められるか帝都の民の反応も興味があるようで、祭りの期間中買いに来るという。
さっきまでのシリアスな雰囲気が噓だったかのように、楽しい会話が続く。
もしかしたら気を遣われているのかもしれない。先程聞いた話も、何か腑に落ちない。
今は楽しくて、どこが腑に落ちないかわからないけれど。全部は話してもらえていない。
そんな気がする。
「テルミス?」
アルフレッド兄様がこちらをのぞき込む。
「ううん。大丈夫」
私もしっかりしないと。心配かけちゃう。
私は私のできることをがんばろう。
さぁもうすぐお開きという頃になって、私はまだお礼を言えていないことに気がついた。
「殿下、アイリーン。本当にありがとうございました。家のこともそうですが、お二人の勧めで学園に通って、最初は貴族の中でやっていけるのだろうかと思いましたが、楽しくて。今は本当に通って良かったと思っています。ありがとうございました」
その後、再びギルバート様は「我が辺境伯領はいつでも貴女の味方をする」とお礼を言いに来たし、メンティア侯爵も別室に待機していた侯爵夫人と息子さんを連れてきて、改めて涙ながらに感謝を伝えられた。
急にたくさんのお礼を言われて、私はまたもあわあわしっぱなしで、隣にいる父様とアルフレッド兄様はそれを温かく見守っているだけだった。
不遇なスキルでも、誘拐されかけても、国を離れてもやっぱり私は恵まれているのだと思う。
こんなに優しい人たちが周りにいるのだから。
ベルン父様、アルフレッド兄様、そしてニールさんと家に戻ってきた。
「テルーちゃん、今日は急だったのにありがとね! 明日の昼に顔見せに来るよ。その時追加で必要なものとかあったら言ってね。とりあえず今日は男爵と一緒にゆっくり休んで」
「テルミス。色んなことを聞いたが、大丈夫か? ベルン様は、館中からあれこれ持たされていたからお土産は本当に大量だぞ。楽しみにしているといい。俺もまたニールとともに明日くるよ。それじゃあ、おやすみ」
そう言ってニールさんとアルフレッド兄様は行ってしまった。
びっくりすることが沢山あって、兄様とあまり話せなかった。明日は話せるといいなと思う。
「テルーちゃん、おかえり。ベッドが届いているんだけど、どこに運ぶ?」
「バイロンさん、ありがとうございます。3階に空室があるのでそこにお願いします」
そうして殿下のご厚意で届けてもらったベッドを3階の空室に運び、父娘の共同生活が始まったのだった。
父様との暮らしは、意外にも平穏だった。
父様相手なら、魔法が使えることを隠さなくていいというのが大きい。
翌日父様が起きてくる前にあらかた薬草の処理を終わらせておこうと思ったけれど、袋から出して、薬草の状態を確かめただけで父様が起きてきた。
調理場の作業台は薬草だらけなので、窓辺のカフェテーブルに朝食を並べて父様と食べる。朝食を作る間に甘麴ミルクを出すと父様も気に入ったようだ。
さすがに皿洗いを
今日はいっぱい薬を作らなきゃいけないから時短だ、時短。
父様は驚いただけで綺麗になるなら何でもいいと言ってくれたので、調子に乗って洗濯も
魔法を使ってあらかた家事を終えると、やっと薬づくり。
父様は私が魔法を使うのが新鮮なようで作業台の横に置いている椅子に座って興味深そうに私の作業を見ている。そういえば、ドレイトで父様に魔法を見せたことはなかったかもしれない。
先ずはアマルゴンの洗浄からだ。昨日はとりあえず宮殿にあるありったけのアマルゴンを持って帰ってきたが、急だったので、処理済みの薬草は少なく、未処理の薬草ばかりだった。
バンフィールド先生の温室で作るなら、バケツに水を入れ、そこで一枚一枚丁寧に洗う訳だけど、ここは私の家で、見ている人は父様だけで、さらに言えばそんな時間がない。
だから……。
「
一瞬キラキラときれいな光が舞い、アマルゴンがきれいになる。
それを一枚、また一枚と葉と茎とに分ける。
なかなか重労働だが、これならできると父様も手伝ってくれた。
その次は大きめの瓶を見つけてきて、空調の魔法陣を付与する。瓶の中に葉を入れて乾燥させるためだ。今日はあいにくの雨だし、全部を自然乾燥させていてはメンティア侯爵の帰国に間に合わない。だから魔法を使って時短だ。ある程度瓶がいっぱいになったら蓋を閉めて、待つ。
待っている間はもちろん葉と茎を分ける作業が待っている。2時間くらい経つと葉がしっかり乾燥した。カラカラになった葉を取り出し、また瓶に葉を入れる。
カラカラに乾燥した葉は、触れるだけでもボロボロと壊れるけれど、それを擂り鉢でさらに粉にしていく。そして、再び。
「
今度は洗浄するために結界を張ったわけではなく、葉自体に付与している。
これでよし。
同じように滋養にいいと言われるゴイズの実もアマルゴンの葉と同じように洗浄、乾燥し、包丁を使って細かく刻み、
ゴイズの実を混ぜるのは今回が初めてだ。
砦村にはゴイズの実などなかったし、あの頃はゴイズの実の存在すら知らなかった。これはバンフィールド先生の助手業のおかげで知ったこと。今回ゴイズの実を混ぜたのは、その存在を知ったというのもあるけれど、この薬を飲む患者を診ていないことが一番の理由だ。
砦村に残した解毒効果のある薬が効いたのだから、同じようにアマルゴンの葉で薬を作ることは決まっていた。だがもしかしたらその人は体力を消耗しているかもしれないし、損傷を負っているかもしれない。
あの時は私とイヴが回復をかけ続けていたが、今回は現地に行くわけではないのだからそうはいかない。そこで考えたのがゴイズの実に
これならある程度解毒と同時に自己治癒力も引き上げられるのではないかと思う。
昼頃ニールさんとアルフレッド兄様がお昼を持って顔を出しに来てくれた。
薬づくりに没頭するあまり、昼食のことを忘れていた。
薬の状態を確認してもらおうとできたばかりの薬を持ってくる。
「ニールさん、バンフィールド先生の温室には薬を鑑定するような機械があったんですけど、宮殿にもありますか? ゴイズの実を使ったのは初めてですし、自分で使う薬でもないので、ちゃんと鑑定してもらえると安心です」
「うん。宮殿にもあるから、今から鑑定してもらってくるよー」
「テルミス、昨日の今日だぞ。もう出来上がっているなんて無理してないか? 何かできることがあったら手伝うからな」
アルフレッド兄様は心配してくれるけれど、メンティア侯爵が帰国するまでもう時間がない。ニールさんもそう思っているのかお昼とアルフレッド兄様を置いて、早速鑑定しに行った。
「兄様もう昼食食べました?」
「いや、まだだけど……気にしないでいいよ。どこかで食べてくるから」
「それならうちで食べていって。たくさん料理を持ってきてくれたから父様と二人では食べきれないもの。それに、兄様とも話したいと思っていたの」
最終的には押し切る形でアルフレッド兄様を食事に呼んだ。だが、3階の部屋は今薬草だらけ。「ちょっと待って」と言いながら、薬草を隅に片付ける。
処理済みのものはこっち、あっちは付与前のもの……。
やっときれいになった作業台にニールさんからもらった食事を広げる。
久しぶりに食べたサンドラさんの料理はとても美味しかった。
何より久しぶりに会った父様とアルフレッド兄様と3人で食べられるのが、嬉しい。
昼食後は再び薬づくりに戻る。
窓辺では、父様とアルフレッド兄様が難しい顔をしてあれこれ話している。きっと2週間後の旅程なんかを決めているのだろう。アルフレッド兄様が来たのは父様の護衛だろうから、滞在中の護衛をどうするのかを話しているのかもしれない。
ニールさんはすぐに戻ってきた。
1階の応接室まで話を聞きに行ったアルフレッド兄様の話によると解毒薬は問題なかったそうだ。
むしろ効果が高すぎて、出所を探られないようにするのが大変だったと言っていた。
それを聞いて思い至る。
オスニエル殿下とアイリーンは、私が五大魔法全てを使えることも、結界を張れることも、薬を作れることも知っている。
私を取り込んで、あれこれ働かせる権力もあるし、今の私は何の権力もない平民だ。
それでも私に何かを頼むことはない。
むしろ私の知らぬところで守ってくれているのかもしれない。
便利な道具のように使う人だっているだろうに。やっぱり私は恵まれている。
薬の効果に問題ないことが分かったので、追加で材料と薬を入れる瓶をニールさんに頼み、メンティア侯爵が帰るまでできる限り薬を作った。
頑張った甲斐あって、二日で依頼された薬の半量を作り終えることができた。
残りは父様に持って帰ってもらう。父様が帰国するのは2週間後。
まだまだ時間がある上、残りの薬も数日で作り終わるだろうから、父様とゆっくりクラティエ帝国で暮らせたらいいな。海街にも連れていきたいしね。ふふふ。
だが父様との楽しい日々はあっという間だった。
薬も作らなければならなかったし、ナリス語を話せない私を1年もの間、面倒を見てくれていたニールさんの家に挨拶にも行った。
私は建国祭も近づいているので、ナオとバイロンさんと屋台の準備もしなければならなかったし、父様はクラティエ帝国に知り合いがいるようで、何度か挨拶回りに家を空けた。
建国祭で出す屋台について、父様のアドバイスで騎士団に花あられを一緒に差し入れしに行ったこともあった。
父様は宮殿で会った時にシャンギーラが帝国になじめていないことを知り、そういう国の品物を扱うなら先に認知度を上げておいたほうがいいとアドバイスしてくれたのだ。
「花あられは塩気が効いていてやめられなくなる味だから、汗を流した騎士たちは好きだと思うよ。それで少しでも気にかけてくれる人がいたら、トラブルになった時に助けてくれるかもしれないだろう? 騎士たちに差し入れするのは一般的なことなのだから、町を守ってくれることに感謝して持って行けばいい。もちろん依頼ではないから必ず助けてくれるとは限らないけれど、こういう屋台が出ると知ってもらうだけでも儲けものじゃないか?」
それが父様の言い分だ。たしかに。これが根回しというやつなのか。
しかも騎士団まで一緒についてきてくれた父様は、差し入れ先の騎士様にさりげない娘自慢とさりげないセールストークをしていた。シャンギーラと聞いて少し顔が強張った騎士様も、父様と話すうちにすっかり笑顔を向けていたのには驚いた。
父様……そんな才能があったのか。
父様が私の魔法を見たことがなかったように、私も父様がどんな風に仕事をしているかなんて知らない。仕事ではないけれど、いつもとは違う父様の一面を見られてなんだか嬉しくなった。
そんなこんなで十日ほどが経ち、今私は父様とアルフレッド兄様と一緒に馬車に揺られている。
もちろんネロも一緒だ。
父様たちは私と違って、カラヴィン山脈沿いにクラティエ帝国に来たわけではなく、ミオル海を船で渡ってきたのだという。
船なんて……いや海なんて前世以来見ていない私は、父様たちの話に食いついた。
それを見た父様が「よし! テルミスも一緒に旅行しよう! テルミスに食べさせたいものも、見せたいものも沢山あるんだ」と言い出し、帰国に合わせてクラティエ帝国側の船着き場まで一緒に旅をすることになったのだ。
この旅で父様とアルフレッド兄様と一緒にいられるのも終わり……。そう思うとちょっと寂しい。
ドレイト領を出発した時は、誘拐事件もあってバタバタと家を出てきたし、イヴも一緒にいたから寂しさも一気に引っ込んだ。
今回の旅は、一応クラティエ帝国にお客としてきた父様の帰国ということで護衛がついている。
帰りはその護衛たちと帰ることになるので安全ではあるが、一人っきりで帝都に帰るのは寂しいだろうな。
そんなしんみりした気持ちになっていたのに、昼休憩に寄った町で美味しい料理を食べたら、満腹と疲れでいつのまにか父様の膝の上で寝てしまった。
だって、出発すごく早かったんだから。
「テルミス、おはよう。そろそろ町につく。ここは海が近いからね。魚介類が美味しいんだ。来るときに寄った食事処もとても美味しかった。宿を取ったら、すぐに食事にしような」
「ふぁい」
眠い。
宿についたころにはさすがに目覚めてきた。
夕飯は父様とアルフレッド兄様が夢中になったという魚のコートレットを食べに行く。
コートレットは魚にパン粉をつけて揚げ焼きにする料理だった。パン粉にはハーブやチーズが混ざっているらしく、とても美味しい。
「こっちも食べてみるといい」と言って父様が切り分けてくれたコートレットにはトマトのソースとチーズがふんだんにかけてあった。
それが本当に美味しくて。目を輝かせてしまう。トマトとチーズは最強だ。
「国境の町ビジャソルンでこのトマトのコートレットと同じような料理をいただいたのを思い出しました。あちらは山に囲まれた地でしたから、中身は鶏でミラネサというんです。国は違いますけど、地理的にクラティエ帝国と近いから料理法が似ているんでしょうか?」
「鶏のコートレットか。それも美味しそうだな」
今度作ってみましょうか? そう言いかけてやめた。
今度なんてなかった。この旅が終わったら二人はトリフォニア王国に帰るんだった。
「テルミス? そうだ! デザートは要らないか?」
慌てて父様がフルーツを頼んでくれる。不自然に黙ってしまった私を気遣ってくれたのかもしれない。
また心配をかけている。ダメだなぁ、私。
次の日は朝早くから市場に行った。
朝の市場は活気があって、圧倒された。あちらこちらから声がかかり、大層にぎやかなのだ。
魚を狙ってやってきているのか、海鳥も沢山いた。
ペリカンが口の中でもぐもぐしているから、鳥って歯がないんじゃなかったっけと不思議に思っていたら、近くのお店のおばさんが、魚の向きを整えているのだと教えてくれた。魚の頭から吞みこむようにしているんだそうだ。
さらに市場を訪れた日は、ちょうどアトンという大型魚が釣れたらしく、広場でアトンの解体が行われていた。アトンは私一人余裕で丸吞みできるくらい大きな魚。
解体するアトンの周りは人だかりができ、すごい熱気だ。
解体を取り仕切っているおじさんは「ちょっと切ってみるかい?」と一人の観客に包丁を渡す。
渡された人は、体格の良い冒険者と思われる男の人。大きな剣を背負っていて、見るからに強そうだ。だが、その人がアトンを切ることは叶わなかった。背に背負っている自前の剣を力の限り振り下ろしても、切れなかった。
そして「切ってみるかい?」と誘ったおじさんは、釣った時の状況を説明しながら、何てことのないようにすっすっとさばいている。強そうな冒険者が切れなかったその包丁でだ。
アトンの鱗はとても硬い。それは知っている。だから冒険者の彼は切ることが叶わなかった。
でもならどうしてあのおじさんは切れるのだろうか?
曰く、おじさんはここら辺で代々続く漁師の家系で、アトンを捌く秘伝の技があるのだとか。だからアトンを捌ける唯一の一族がいるここでしか、アトンは食べられないと言っていた。
絶品だから食べていって! と言ってショーを締めくくるおじさん。
解体ショーはもうお祭り騒ぎ。解体自体も楽しかった上、解体が終われば、切り分けた身を買う人たち、その場で焼いて食べる人たちで溢れかえる。
私たちもその場で焼いたアトンを食べてみた。
口に入れた瞬間、舌の上でとろけた。なにこれ……美味しい。
初めて知った。
私はライブラリアン。いろんな本を読んできた。
ペリカンだって、アトンだって名前はもちろん知っていた。だけどあんなふうにもぐもぐして、エサの魚の向きを変えるなんて知らなかったし、硬い鱗をあんなにもスムーズに切っていく技があるとは、しかもあんなにも美味しいとは知らなかった。
学園に入ったときも思ったが、世界には私の知らないことがまだまだたくさんある。
その後も船に乗ってイルカを見に行ったり、景色の良い高台に上ったりして楽しんだ。
明日はもう出発の日。寂しくないと言ったら噓になる。けれど、仕方のないことだ。
そして翌日。
「テルミス。あまり本ばかり読んで、寝るのが遅くなってはいけないよ。ちゃんと食べるんだぞ。またしばらく会えなくなるが、元気でな」
「はいっ! お父様もお元気で。この2週間本当に楽しかったです。訪ねてきてくれてありがとう」
笑顔でにっこり挨拶できたはずだ。
そう。楽しいから笑うのではなくて、笑うから楽しくなるのよ。
「アルフレッド、後を頼むぞ」
最後に父様はそう言って帰っていった。
あれ? アルフレッド兄様は帰らないの?

船の上で娘との日々を振り返る。
楽しかったなぁ。
初めて来た娘の家は、小さいながら機能的な家だった。
階下に見知らぬ人が住んでいるというのは安全面が少し心配になるが、見たところ管理人であるバイロンという若者は良い人そうであり、テルミスを気にかけてくれている様子で安心した。
居間に行くとそこには大きな作業台があった。
部屋を間違ったか? いや間違うほど部屋数もなかった。そう思い見渡すと、窓辺にある椅子に座り、娘が黒猫を抱いてぼーっと外を眺めていた。
やはり……。やはり来てよかった。
実はレアが見つかったのは、最近ではない。もう1年も前の話だ。
何度手紙でテルミスに話そうかと思ったことか。だがその度に、一人他国で奮闘する娘の姿が思い浮かび言い出せなかった。真実を話すべきかどうか悩み、まだマリウスが入学する前にポロリとこぼしてしまったことがある。
「テルミスにもちゃんと本当のことを話さなければとは思うのだが……」
「父様、全部話すのですか? 僕は反対です。話すとしても今はダメです! 誰かが一緒にいる時でなければ、テルミスは絶対思い詰めます。テルミスは賢いけれどまだ9歳です。強そうに見えても子供なのですから!」
マリウスが少し怒りながら反対してきたときにはびっくりした。
だが、今はマリウスの意見を聞いてよかったと思う。
宮殿でのテルミスは驚き、一瞬落ち込んだ時もあったが、すぐさま持ち直し、普通に会話していた。けれど、今外を見つめる娘のなんと頼りないことか。
すべてを包み隠さず話そうとしていた私は、全く親失格である。すべて話すということは、娘にもその荷を負わすことだ。あの子はまだ9歳。まだ子供だ。
テルミスと話すと時々大人と話しているのかと錯覚することがある。だからついつい大人同様に対応してしまいそうになる。だがそれは……親の甘えだな。
「テルミス! 面白い造りだな。ここは調理場か?」
まだ私に気づいていない娘に、声をかける。
夕飯時なので、空間魔法付きバッグから土産のパングラタンを出して夕食に誘う。
娘の顔が一気にほころんだ。
二人で夕食を食べ、デザートに新作の紅茶のプリンを食べる。その後はみんなからの土産物を渡す。洋服や、靴、プリンやパイという新作菓子の試作品までてんこ盛りだ。
私には娘に気の利いた言葉をかけることはできないが、土産物を出し、話をするだけでも娘の表情は明るくなっていった。
夜、疲れて眠ってしまった娘をベッドに運ぶ。当たり前だが、その寝顔はまだほんの子供。
「テルミス、今まで苦労させてしまってすまなかった。だが、これからは任せてくれ。おやすみ」
頭を撫で、部屋を出た。
やはり、まだこんな子供にあんなことは話せるわけがない。
あんなことは。
翌日起きてリビングに行くと、リビングはすごいことになっていた。
昨日取り急ぎ宮殿にある材料をありったけ持って帰ってきたのだが、娘はすでにその薬草の袋を開け、薬を作り始めようとしていた。
確かにメンティア侯爵は結婚式が終わったらすぐ帰ってしまうが、勤勉すぎないか?
ドレイトにいた頃は、メリンダが勉強の時間などを管理していると言っていたので、今回私がその役をせねばならないと思っていたのに。
そういえば、時間の管理はメリンダだったが、時間割を決めていたのはこの子自身だったな。
「おはよう、テルミス。早いな」
「お父様、おはようございます。ちょっと待ってくださいね」
そう言うと手を止めて、なにやら白い液体に白いものを入れて混ぜた。
何だこれは?
「お父様、これは甘麴ミルクという飲み物です。甘いですが、体にいいのですよ。お父様は旅でお疲れでしょうし、良かったら飲んでください。その間に朝食の準備をしてしまうから」
そう言って窓辺にあるテーブルに朝食の準備を始めた。
甘麴ミルク……。恐る恐る飲んでみた。うまい。確かに元気が出るような味だ。
そうこうしている間に朝食が出てきて、娘と一緒に食べる。
少し談笑したのちに、テルミスが皿を下げる。
さすがに皿くらい洗おうと思い、テルミスと一緒に皿を運んだ。
「
娘が聞きなれない呪文を唱えると、みるみるうちに皿が綺麗になった。何だ今の魔法は!
そういえば娘の魔法は見たことがなかった。こんなに高度な魔法を使えるようになっていたのかと驚いていると、娘が慌てだす。
「あ、いつもはちゃんとお皿を洗っているんですよ。ただ今日は薬をたくさん作らなきゃいけないと思って、他の家事を手抜きしただけで……」
「咎めていないよ。初めてテルミスの魔法を見たから驚いただけだ。綺麗になったなら水で洗おうが魔法で洗おうがいいじゃないか。テルミスはこんな魔法も使えるようになったのか、すごいな」
咎めていないとわかったら安心したのか、じゃあ昨日の服も魔法で綺麗にすると言って、私の服に魔法をかけていた。つまり、洗濯が終わったということでいいのか? 私は娘の補佐をしようと思ってきたのだがむしろ世話される事態になっていた。情けない。
その後「今日は時間がないし、人の目もないので、魔法で時短です!」なんて言って、昨日持ち帰った薬草すべてに先程の
そして大きな瓶に何やら魔法陣を書き込んでいるので何をしているかと思えば、空調の魔法陣を付与しているという。目的を問うと、薬草を乾燥させるためだと即座に答えが返ってきた。
アマルゴンという薬草は乾燥した方が効能が高く、日持ちもするそうだ。
さらにその瓶に入れて持ち帰れば悪くもならないという。
「部屋に吊り下げて乾燥させたら時間がかかりますから」という娘の言い分を聞いて思う。
娘に依頼したから二日後に薬を持って帰れるが、普通なら無理だっただろうと。
あれほど大量の薬草を洗うだけでも一苦労なはずだ。
それと同時によどみなく薬草の特徴を答え、遠く離れたトリフォニア王国まで薬を運ぶ最適な方法を考え出す娘を見て、ドレイト領を離れたこの2年でどれだけの努力をしたのだろうかとも思う。
この年ごろの勉強なら、せいぜい学校の入試対策くらいだろうに。
娘は、乾燥させた葉を細かく刻み、さらに擂り鉢で細かく擦り、魔法をかける。
「
美しい。皿を洗ったときから思っていたが、娘の使う魔法は綺麗だ。魔法発動の時に一瞬キラキラと光るのだ。
さっきは空調の魔法陣を付与していた。
まだ見たことはないが、話によると五大魔法も使えるというし、薬の知識もある。
我が子ながら、とんでもない天才である。
だが、私は知っている。
テルミスは元々普通の子だったことを。
せっせと私の世話を焼き、薬を作っているといつの間にか昼になっていたようだ。
ニール君とアルフレッドが持ってきてくれた昼食を3人で食べる。
テルミスが片付けをして薬づくりを始めたので、窓辺でアルフレッドと話す。
「どうでした? テルミスは」
「なんてことないように見えるが、ふとした時に思いつめているような顔の時がある。マリウスの助言を聞いて正解だった。この2週間は、あの子と楽しいことをしようと思うよ。私は、上手く慰めることはできないからね」
薬はすごいスピードで作られた。
メンティア侯爵が帰国するころには半量も完成していた。
その後はゆっくりできるのかと思っていたが、娘の暮らしはなかなか忙しい。
薬の他に屋台をするための準備があるし、夜は本を読んでいる。勉強をしているようだ。
私も何度か挨拶に回らねばならないところもあったので、出かけた日はたくさんお土産を買って帰った。
娘と旅行に行けたのは本当に良かった。
旅行中は、時折寂しげな顔をしていたが、初めて食べる食事、初めての景色、初めての経験に楽しそうだった。少しは気が晴れていたらいいのだが。
そして船に乗る時。
一瞬顔が曇ったような気がしたが、不器用にもにっこり笑って別れを告げる娘を見て、私は胸が張り裂けそうになった。
寂しいって言っていいんだ。誘拐されて怖かったって言ってもいい。
帰らないでって言ったっていいんだ。私も帰りたいって言ったっていい。
そんな弱音を……吐いたっていい。
この2年であったことは、まだ9歳の娘には大変なことばかりだったはずだ。
でも、娘は言わない。いや言えないのか。
自分の足で立つことが当たり前になっているのだ。
そして、そうさせたのは……私だな。
そう。娘は普通の子供だった。
時間を気にせず遊び回ったり、親に甘えたりする普通の子供。
変わったのは、きっとスキル判定後。
ライブラリアンの評価が良くないことは周知の事実だったので、テルミスがライブラリアンと知り、私も妻のマティスも娘の将来を悲観した。
この運命は並大抵の努力では覆せない……。
そう思った私はまだ6歳だったあの子にライブラリアンの評価、それからそのままたどるであろう人生を話すことにした。どんな人生を歩むか真剣に考えてほしかったからだ。
真剣に考えた結果、娘は私たちが思う以上に努力した。
今だって弱冠9歳だというのに知識も、魔法の実力も、どこに出しても恥ずかしくないほどだ。
だがそれは、娘の無邪気な子供時代と引き換えに得たものだ。
私は思う。
確かに娘は強くなった。貴族であろうと平民であろうと、暮らしていけると思う。
だが強くなったと同時に弱くなったとも思う。
私のしたことは間違いだったのではないだろうか……。
あの子はもう十分すごいのに、まだまだ頑張っている。
いつか心がポッキリ折れてしまわないように、どうか誰かに頼れる強さを、辛い時に泣ける場所ができるといいと思う。