はぁぁぁぁぁ。つ、疲れた。
今日は、前学期の試験の日。午前中は魔物学、薬草学、社会学と筆記の試験が続き、今はようやく最後の社会学の試験が終わったところだ。
魔物学は授業の半分は実技だったので、習った範囲が少なく、薬草学はハードな助手業をするうちにかなり知識が増えたので、どちらも問題ではなかった。どれもスラスラ解けた。
問題は……わかっていたけれど、わかっていたけれど、社会学だ。
他国のことも含まれていたが、入試の時のような知識を問う問題に加え「ナリス学園初等部についてあなたの意見を述べなさい」なんていう小論文まであったのだ。
疲れた。
この半年オルトヴェイン先生からレポートを添削され続けてきたので、ある程度書けた気はするけれど、ナリス語を大量に書く小論文は本当に疲れた。
試験勉強と並行してナリス語もかなり勉強したから、スペルミスも多分大丈夫なはずだ。
うん。きっと……大丈夫だ。
「テルー、お疲れさま。早くお弁当食べに行こう」
声をかけてきてくれたのは、もちろんナオだ。いつものように、東の庭園の奥でお弁当を食べる。
「試験どうだった?」
「とても疲れたけれど、多分大丈夫かな。小論文だってまぁまぁちゃんと書けたし、スペルも間違わなかったし……多分。魔物学と薬草学はできたと思う。ナオは?」
「ナリス語の勉強かなり頑張っていたもの。大丈夫よ。私も大丈夫だと思うわ」
一緒に試験勉強し始めて知ったが、ナオは頭がいい。絶対Aクラスにはいそうなくらいだ。
「何でCクラスなの?」と前から疑問だったことを聞けば、なんとナオは天候やトラブルのせいで船が遅れに遅れ、帝都に到着できたのが入試当日で1科目受験できなかったという。
それで入学できるのか。すごい。私なんて全科目受けて、Cクラスだったのに。
今回の試験、私は確実にCクラスを脱却するためにものすごく頑張った。
ここナリス学園では、半期ごとにある試験の成績でクラスが変わるからだ。
貴族から目を付けられないためには目立たぬようCクラスのままでいた方がいいのかもしれない。
けれど、もう嫌だったのだ。Cクラスにいることが。
だって、偽聖女とひそひそ噂していたのは学園に通う生徒のほとんどだったが、ぶつかって来ようとしたり、明らかに悪意のある悪口を言ったりしてきたのはCクラスの人ばかりだったから。
同じクラスだったからより目障りだったのかもしれないけれど、同じクラスだからこそ噂が噓だとわかっていたはずだ。それなのに噂に乗っかってきたところが、嫌だった。
だから頑張った。
そういえばデニスさんは「貧乏平民のくせに!」と言うけれど、偽聖女と言ったことはなかった。
やっぱりナオの言う通り、心配して声をかけてくれていたのかもしれない。
午後になった。午後は初級魔法学の試験だ。
この試験の後は、今学期最後のパーティが待っている。
順番に一人ずつ試験をするようで、一人、また一人と名前を呼ばれていく。
試験が終わった生徒はそのままパーティホールへ移動するらしい。だから試験の内容はわからない。何をするんだろう。順番……まだかな。ナオが呼ばれた。アビー様も呼ばれた。デニスさんも呼ばれたし、ジェイムス様も呼ばれた。私はまだ呼ばれない。結局順番は最後だった。
部屋に入ると奥にウィスコット先生がいた。
「最後はCクラスのテルーね。それでは、試験を始めます。これをどうぞ」
そう言って手渡されたのは、先が尖っていない針だった。
「その針には浮遊紙と同じ魔法がかかっています。浮遊紙のように魔力を込めると浮き、動かすことができます。それを使って、この輪の中を
先生の指さす方向を見ると、大小の輪が並んで浮いている。
私に近い方の輪は大きな輪。輪と輪の間隔も狭い。先生に近い方の輪は小さく、間隔も広い。最後の輪は本当に針に糸を通すような小ささだ。これは……難しそうだ。
浮遊紙の時と同様、針に魔力を込める。少し込めただけなのに、針はあっという間に天井近くまで行ってしまった。
この針!! ほんのわずかな魔力で発動してしまうんだ。消費魔力が少なすぎて、逆に難しい。
ぎりぎりと魔力を引き絞っていく。少し、また少し針が降りてくる。でもまだまだ高い。
もっと少なく、もっと……。一度出した魔力を絞るのは難しいと少しずつ魔力を引き絞るのをあきらめ、一気に魔力を全て魔力の器の中に押し込める。
魔力を回収するにつれ針が降りてくる。針を摑み、そして、もう一度初めから。
集中して、指先から糸のように細く、そして途切れぬよう魔力を込める。
針がふわっと浮いた。
そのまま、糸のように細く魔力を出し続ける。
大きな輪は問題ない。すっと通り抜けて、次の輪へ。一つクリア、二つクリア、三つ、四つ、五つ……。中くらいの輪も通り抜け、半分は問題なく通り抜けた。残るは小さい輪。
さすがに最後の輪はここからは遠すぎる上、とても小さく、通るべき穴すら見えない。
これは、ここから輪に通すなんて無理だ。
そんな当たり前のことに今更ながら気づき、糸のような魔力を維持しながら、先生に問いかける。
「先生! 私自身は動いても良いのでしょうか」
「構いません!」
魔力を途切れさせぬよう一定に保ちつつ、小さな輪に近づく。
小さいと言ってもその中にも大小あり、最初の腕輪程度の輪と最後の針穴のような小さな輪の難易度は雲泥の差だ。
一息ついて、針を前に進める。
腕輪サイズはクリア、指輪サイズも近づけるのなら大丈夫。クリアだ。
そして最後の針穴。もう少し下、いやもうちょっと右……行き過ぎた!
消費魔力がほんのわずかなこの針は、少し気を抜けば糸のように細く引き絞っていた魔力が少し太くなり、針が大きく動く。
少し上に戻して、ゆっくり、慎重に……。針をまっすぐにして……よし! 先が通った! そのまま、そのまま……。
だから最後の針穴を通すには、少しの揺らぎもなく一定に魔力を出し続けながら、針を操作しなければならなかった。
ようやく通り抜け、先生のもとへ。よかった。なんとかできた。
よほど集中していたのか額には汗が流れている。
「はい、これで試験は終了です。疲れていたら、そこのベンチで少し休憩してもいいですよ。この後はパーティですから、休憩が終わったらそのままホールへ行き、パーティに参加してください」
ほっとして、体が緩む。いつも押し込めている魔力も、疲れてちょっと垂れ流し気味だ。
つ、疲れたぁー。ベンチに座り、魔力を体中に巡らす。うん。気持ちがいい。なんだかリフレッシュする。糸みたいに少ない魔力を扱ったから、なんだか体がこわばってしまっていた。
やっと試験が終わった。頑張ったな。いっぱい勉強したし、実技もあれ以上はできなかった。うん。結果はどうあれベストは尽くした。
あとはパーティを頑張って、そしたら夏休みだ。
パーティ会場では、もうみんな飲み物片手に楽しんでいた。
私が最後だったからか、私の到着後すぐにイライアス皇子が挨拶をし、パーティが始まった。
「テルー! 遅かったわね」
「最後だったのよ」
「道理でね。はい、ぶどうのジュースよ。貴女はアルコールは飲まないのでしょう?」
ナオが私のために確保してくれていたジュースを手渡し、二人で試験終了を祝って乾杯する。
「ウィスコット先生の試験、思っていたより難しかったわ」
ナオのその言葉で話題は初級魔法学の試験になった。針に魔力を込めるのが難しかったとか、最後の穴の小ささなどで盛り上がっていたら、そこにデニスさんがお決まりのように「貧乏平民、目立つようなことしなかっただろうな」と言いに来た。
「デニスさん、いつもご忠告ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。誰に何を言われても、私はちゃんとここを卒業しようと思います」
デニスさんはちょっと驚いた顔をし、ナオはニヤニヤしながらデニスさんに聞く。
「で、そっちはどうなの? テルーばかりじゃないわよ。
「なっ! はぁぁぁぁ。だってかっこ悪いだろ。こんなちっこいのが、嫌みを言われてもめげずに頑張っているのに、他の貴族の子に目をつけられたくないからって適当にできないふりしているなんて。だから、今回の試験はちゃんと本気で受けたよ。君たちももちろん本気で受けたんだろ? きっとみんな揃ってCクラス卒業だな。その……いろいろ嫌なこと言って悪かったな」
ナオの言っていた通り、デニスさんは忠告してくれていたらしい。少しバツが悪そうに謝るデニスさんに、気にしなくていいと伝えたくて、ナオから「私の心配をして忠告しているのでは」と教えてもらっていたことを話す。
デニスさんは「うわ。俺かっこ悪……」とがっくり肩を落とした。
その後試験がどうだったとか、建国祭で屋台を出すとか、そういうとりとめのない話を3人でしていると閉会宣言がされた。
こういうパーティの場に平民が長く残っていても変に絡まれるだけだと、閉会してすぐに私たちは帰路に就く。「それじゃあまたね」と挨拶をして。
いいな。「また」だって。
「テルーちゃんおかえり。試験お疲れさま。お疲れのところ悪いんだけど、ニールが来ているよ」
家に帰るとバイロンさんから予期せぬ来客を告げられた。急いで応接室に行くと、ニールさんともう一人男性がソファに座って待っていた。
「ニールさんお待たせして……」
挨拶の言葉が驚きで口の中に消えた。え? なんで? どうしてここにいるの?
「アルフレッド、兄様? 本物ですか?」
自分で口にしておきながら、信じられない。遠く離れたこのクラティエ帝国でアルフレッド兄様に会えるなんて。幻なんじゃないだろうか。
「え、お兄様ってどういうこと?」とニールさんが突っ込んでいるけれど、アルフレッド兄様に久しぶりに会えた驚きでその言葉は右から左へと通り抜けた。
アルフレッド兄様は「ちょっと黙っていろ」と、はなから説明する気がないようだ。
久しぶりに会うアルフレッド兄様は最後に会ったときより目に見えて大きくなっていた。
10、いや20センチメートルくらい背が伸びたのではないだろうか。顔つきもどこか引き締まり、すっかり大人だ。アルフレッド兄様が言うにはマリウス兄様もかなり大きくなっているそうだ。
アルフレッド兄様は「元気でよかった」と安堵しながら私に近況を尋ね、私は久しぶりの兄様との会話が嬉しくて、最初に感じた疑問など忘れて授業のこと、友達ができたこと、建国祭で出す屋台のことなど次から次へと話していく。
話題が屋台になるとニールさんが突然興味を持った。バイロンさんと知り合いのニールさんはバイロンさんから話を聞いているようで、屋台で売る揚げ餅の名前を花あられにしたことまで知っていた。話はニールさんからオスニエル殿下とアイリーンまで届き、3人とも興味津々なんだとか。
一通り話して冷静になると忘れていた疑問が再び湧いてくる。
アルフレッド兄様はなぜクラティエ帝国にいるのだろう。
二人は随分親しげだが、知り合いなのだろうか。
久しぶりに会えた嬉しさで忙しく動いていた私の口が閉じると、一瞬場に沈黙が下りた。
この沈黙を切り裂いてニールさんが話すには、ニールさんとアルフレッド兄様は私を迎えに来たのだという。行先はアイリーンの所だ。
私が喜んでべらべらと話してしまっていたから、言い出すタイミングがなかったようだ。
疑問は全く解消されなかったが、行き先が宮殿ということで少し不安になる。
わざわざ宮殿に呼ぶのだからきっと何かあるんだ。良いことだったら良いけど、なんだろう……。
その何かを聞きたくとも、ここでは話せないようで「話は向こうについて」と言われてしまった。
「テルミス?」
アルフレッド兄様が心配そうに私の顔を覗き込む。
だめだ。やめよう、行けばわかることだ。考えてもわからないことで不安になるのはやめだ。
そんなことよりも兄様に会えたこと、アイリーンに会えることを素直に喜ぼう。
急いで、自室へ戻り、ニールさんから着るよう渡された服に袖を通す。紺色の簡素なワンピースだった。メイドの服だと思う。
何故メイドの服なのかと不思議に思いつつ、手土産の花あられを準備し、3人で宮殿へ向かった。
「ニールさん。この服って……?」
行きの馬車で聞いてみる。こちらは教えてくれるようだ。
「あぁごめんね。宮殿に入るのに、学園の制服のままだと何かと噂になるかもしれないし、その結果テルーちゃんに目をつける人がいないとも限らないから」
目をつけられる?
宮殿は、ナリス学園から案外近い。つまり、我が家からもそう離れておらず、すぐについた。
ニールさんが受付で手続きをし、初めて宮殿の中に入る。
宮殿に一歩足を踏み入れた途端、その美しさに自然と声がでた。
アーチ状の廊下の天井は、すべて繊細な彫刻で彩られ、壁にも複雑で繊細な模様が描かれている。
金や銀を使わずともこんなにも豪華で美しい。素敵……こんな場所に来られたなんて夢みたいだ。
先ほどまで感じていた不安もどこかへ去り、一気に心がときめいた。
私が感動している間に部屋についたようで、ニールさんは立ち止まり一つのドアをノックした。
「ニールです」
「入れ」
久しぶりに聞くこの声は、オスニエル殿下だ。ドアが開く。
「テルー、久しぶりだね。今日は急に呼び出してすまない」
「オスニエル殿下、アイリーン様、お久しぶりです。少し早いですが、ご結婚おめでとうございます。ニールさんから花あられが話題に出たと聞いたので、持ってきました」
オスニエル殿下は本当に花あられに興味があったようで、物珍しそうに眺めている。アイリーンは終始笑顔だ。私も身分が違うから旅をしていた頃のように気安く話せはしないが、久しぶりにアイリーンに会えて嬉しい。
「ありがとう。これがシャンギーラの品で作ったという花あられか。話を聞いてから気になっていたんだ。君、これをお茶受けにお茶の準備を。そうそう、今日呼んだのは、君に会いたいという人がいたからなんだ」
私に会いたい人?
室内を見ると、殿下とアイリーンの対面には3人の男性が座っていた。一人は屈強な青年、もう一人は見るからに位の高そうなおじさま、そしてもう一人は……。
「お父様!」
今日はなんて日だろう。アルフレッド兄様にアイリーン、ベルン父様にまで会えた。
「テルミス、こんなに大きくなって。元気そうな姿を見て安心した」
父様の優しい声で自分の気持ちを自覚して泣きそうになる。
クラティエ帝国の暮らしは大変だけど、友人もいて楽しい。けれど、一緒に暮らしていた家族とも、使用人や専属たち、孤児院の子たちとも……急に離れなければならなくなった。
私、寂しかったんだ。
そう自覚するとますます泣きそうになる。でもここで泣いたってみんなを困らせるだけ。
もう子供じゃないんだから。
泣くな、私。泣くな。
でも、泣くな、泣くなって思ったところで、いやそう思えば思うほどに涙は出てくるもの。
だから、ふーっと息を出して、にっこり笑う。
