「ねぇ、まま……ぼくね、きょう、おにごっこにいれてもらえなかったんだ」

とある日の東京でのこと。

保育園からの帰り道で、陸は紗雪と並んで歩きながらそんな事を呟いた。そのしょんぼりした口調に驚き、紗雪は思わず足を止めて陸を見下ろす。心なしか繋いだ手にもいつもの元気が感じられない。

保育園の先生は帰り際もいつも通りで、陸に何かトラブルがあったという話はしていなかった。

紗雪は周囲を見て車などが来ないことを確認すると、しゃがみ込んで陸の顔を覗き込んだ。

「陸、鬼ごっこの仲間に入れてもらえなかったの? お友達は何でか言ってた?」

「あんね、ぼくのあしがはやすぎて、おにだとすぐつかまっちゃうし、にげるのだとぜんぜんおいつけないから、だめって」

陸のその言葉に、紗雪はああ、と納得して深く頷いた。

「そっか……陸、最近すごく足が速くなったもんね」

陸は元々活発で体力のある子供だったが、春に田舎へ行って帰ってきて以来、身体能力がさらに大きく上がっている。

陸と仮契約をしたシロの分体が側にいてその成長を促しているせいであるが、陸自身がせっせと体を鍛えているせいでもある。

「チビと一緒に鍛えてるもんねぇ」

「うん……」

チビというのはシロの分体に陸が付けた名前だ。最初はチビシロと呼んでいたが、すぐに略されただのチビとなった。

陸はこのところ保育園から帰ると近所の公園によく行きたがる。そこで時間の許す限りチビと追いかけっこをしたり、ジャングルジムを上り下りしたり。そんな事を飽きずに繰り返しているのだ。

その甲斐あって陸の足の速さは同じ歳の子供に比べて、頭一つか二つ分は軽く抜けている。

それでは友達同士の鬼ごっこから弾かれても仕方のないことだろうと、紗雪は納得できた。


紗雪は立ち上がり、また陸の手を引いてゆっくりと歩き出す。陸も黙ってまた歩き出した。

歩きながら紗雪は陸の現状と、それを解決する方法はないかと思考を巡らせる。

「鬼でも逃げるのでも、お友達は陸にかなわないんだね……それは仕方ないかなぁ。じゃあ、かくれんぼとか他の遊びに陸が誘ってみるとか、そういうのはどうかな?」

紗雪はとりあえず、パッと思いついた代替案を出してみた。しかし陸は紗雪の顔を見上げ、また首を横に振った。

「ぼくね、かくれんぼすると、みんながどこにいるか、なんとなくわかっちゃうんだ……だからすぐみつけちゃうの。こっそりみてたんだろって、ずるだって、いわれちゃった」

「うっ……そ、そうなのね」

それが勘か無意識の気配察知かはわからないが、陸には何故か友達が隠れた場所やいる方向がなんとなくわかってしまうらしい。

チビの影響か陸本人の才能かも不明だが、どうやら陸は順調に何かが開花しつつあるようだ。それを頼もしく思いつつ、紗雪は陸に何と言ったものか頭を悩ませた。

「陸はどんどん育って、強くなってるもんね……お友達と体を動かす遊びが出来なくなるのは、どうしても仕方ないのかも……ママもそうだったもの」

「ままも? そうなの?」

「うん、ママも、陸と同じだったよ」

紗雪は頷いて、自分の幼い頃を思い出す。

魔砕村の子供たちは基本的に身体能力が高い。どんなに運動が苦手だという子供でも、都会の子供と比べれば遙かに動きが良いし体力がある。しかし同じ魔砕村の子供同士で比べた場合、そこにはやはり様々な違いがあった。

例えば紗雪は体を動かすのが得意で、魔法は余り使わないタイプだ。

好きな遊びももっぱら外遊びで、さらに同じような子供の中でも身体能力が高い方だった。

それゆえ成長するごとに、最初は皆と一緒に遊んでいても、いつのまにかその遊びの和を乱してしまうことが頻繁になっていったのだ。

「やっぱり、ママが入ると鬼ごっこがすぐ終わっちゃったり、逆にいつまでも終わらなかったりして文句言われちゃって……だから小学校くらいになると、あんまり体を動かす遊びには参加しなくなっちゃったのよね」

「そういうあそび、したくなかったの?」

「したかったわよ。だから体を動かしたいときはもっと年上の子たちの遊びに交ぜてもらったり、家で父さん……じぃじや、じぃじのお友達に遊んでもらったの」

善三や和義は自分の仕事や畑仕事が一段落すると、よく幸生のところに遊びに来てお茶や酒を呑んでいた。

紗雪はよくそんな二人に強請ねだって、色々な遊びに付き合ってもらったものだ。

「じぃじは力が強すぎるからって、善三さんや和義さんたちがよく遊んでくれたのよ。腕相撲とか鬼ごっことかかくれんぼとか……もちろん、全然敵わなかったけどね」

二人は大体において大人げない大人だったので、紗雪相手でもそれほど手加減はしなかった。

だが紗雪も負けず嫌いだったので、全く相手が掴まらない鬼ごっこや、隠れた者が気配を消しすぎてさっぱり見つからないかくれんぼ、何気なくテーブルに立てた腕がちっとも倒れない腕相撲でも気にせず何度も挑んだものだ。


紗雪はそんな事を懐かしく思いながら、いっそ陸にはそちらの方が合っているのかもとふと思う。

いずれ田舎に引っ越すことが出来れば、もっと身体能力の高い子供たちと接することが出来るようになるだろうが、それにはまだ少し時間が掛かる。

それまでは体を動かす遊びは家や公園で家族を相手に楽しみ、保育園では他のことをする方が良いかもしれない。

「ね、陸。陸も今は、保育園では絵本を読むとか、積み木や玩具で遊んだり、工作したりする方が良いかもしれないわ。鬼ごっことかそういう遊びは、ママやパパ、お兄ちゃんたちと一緒にいるときにしたらどうかな?」

「……えんでは、しちゃだめってこと?」

「しちゃ駄目とまでは言わないけど……でも、陸だけが強くてお友達に嫌な思いさせたり、怪我をさせちゃったり、なんてこともあるかもしれないし」

「うん……」

「陸はきっと、これからもどんどん強くなるもの。田舎に行ったら、きっと同じように遊べるお友達も出来るから、それまでの我慢と思って……いや?」

「いやだけど……でもきらわれるのも、けがもやだから、がまんする」

陸は紗雪の言葉について一生懸命考え、そしてそれを呑み込んでこくりと頷いた。

紗雪はそんな陸を見つめ、そして手を伸ばしてその体をひょいと持ち上げた。

「ひゃぁっ!」

「陸は、お友達の事をちゃんと考えられる良い子ね。ほら、高ーい!」

紗雪は陸の体を軽々と高く持ち上げる。最初は驚いた陸も、すぐに楽しそうな笑顔になった。

「たかーい! まますごい!」

「陸が体を動かしたいときは、ママと一緒にいっぱい遊ぼうね! あとはまたダンジョンに行ったりしてもいいわね!」

「だんじょん! いきたい!」

以前家族で行った東京ダンジョンランドを思い出し、陸は大喜びで頷いた。あそこでなら、走り回っても棒を振り回しても怒られないのだ。

「ぼく、まただんじょんで、くんれんしたい! そんで、はやくそらのとこ、いくんだもん!」

そのためにもっと強くなるのだ、という決意と期待が伝わったのか、陸の頭にぴょこんと犬耳が生えた。

紗雪はそれを見て、クスクスと笑う。

「陸、よっぽど楽しみなのね? 耳が出ちゃってる!」

「ほんと? みみ……ぼくにみえないの、ちょっとこまるね」

陸は自分の頭に手をやってぺたぺたと触る。そちらに意識が向いたせいか、陸が触れると犬耳はすぐに引っ込む。しかしその代わりに陸の肩の上に、白い仔狼がひょこりと姿を見せた。

『きゃん!』

「あ、チビ! まだかえりみちだから、でてきちゃだめだよ!」

『きゃう? くーん……』

「チビはお外が好きだから出てきたいのかな?」

「じゃあ、きょうもこうえんいく?」

「公園ね……どうしようかな」

陸のいつもの要望に、紗雪は少し考えた。

この都会ではチビはほとんどの人の目に映らないことが、少しずつ試してわかっている。だからチビが姿を現しても構わないのだが、公園で遊ぶと陸だけが一人で何か喋りながら走り回っているようになってしまう。なので人が多い時間の公園は避けるようにしているのだ。

「あ、そういえばもうすぐ雨が降りそうね。いっそその方が公園も空くかしら?」

「じゃあ、かっぱきてこうえんいく!」

さっきまでは晴れていたのだが、気がつけば青空は徐々に雲に覆われ、もうすぐ雨が降りそうな気配だ。雨が降れば公園で遊ぶ人もいなくなる。陸は嬉しそうに肩の上のチビを見て頷いた。

『きゃん!』

チビはシロの分体ではあるが、その意識はシロと完全に同調はしていない。人の言葉は十分に理解しているがまだ喋ることも出来なかった。見た目相応に幼く生まれてたての仔狼のようなものなのだ。

そのせいかチビは陸と精神年齢も近いようで、一緒に駆け回って遊ぶのが大好きだった。公園と聞いて、チビの小さな尻尾が嬉しそうにパタパタと振られた。

「じゃあ急いで帰ろっか」

「うん! まま、このままはしって!」

陸は紗雪に抱き上げられたまま帰りたいと、その肩に掴まって笑顔で強請る。

「えー? 仕方ないなぁ、じゃあ今日は特別ね! さ、急ぐよー!」

「わーい!」

紗雪は仕方ないという割に楽しそうに笑うと、陸をしっかりと抱えて走り出した。まだ車通りも少ない時間帯なので、紗雪は遠慮せず速度を出し、真っ直ぐに家を目指す。

「ままはやーい! すごいすごい!」

「えー、そう? じゃあもうちょっと急いじゃお!」

紗雪の出すスピードに陸は大喜びで声を上げ、それを受けた紗雪がまた少し速度を上げる。

途中で追い越したバイクの運転手が、あっという間に遠くなる二人をぎょっとした顔で見つめていたが、紗雪も陸もそれに気付くことはなかったのだった。


「あ、やっぱり降ってきたわね」

「あめ!」

一度マンションに帰り、着替えをして荷物を置いて再び外に出ると、ちょうどぽつりぽつりと雨が降り出したところだった。

雨合羽あまがっぱを着た紗雪と陸は気にせず、そのままマンションの近くにある大きな公園に向かう。

最近はこうして陸に付き合う時間が増えたので、紗雪は昼間のうちに夕飯の準備を大体終わらせてあるので安心だ。以前はまた仕事をしようと思っていたのだが、いずれ田舎に引っ越すことを考えて結局それは延期となった。

「さ、今日は何をするの?」

「チビと鬼ごっこ!」

『きゅん!』

公園に到着して紗雪が問いかけると、陸とチビは元気よく返事をした。どうやら今日もいつもの遊びをするらしい。

予想通り、雨が降り出した公園は人気もなく静かだ。これなら陸を好きなだけ走らせても安心だ、と紗雪は頷き手を振った。

「じゃあママはここで見てるから、行ってらっしゃい」

「はーい! チビ、きょうはぼくがおにね!」

『きゃん!』

チビは陸に返事をするとタッと走り出す。小さい体だがその走りは軽快で、あっという間に陸から離れてゆく。

「よーし、行くぞー!」

パラパラと音を立てる雨も気にせず、陸はチビの後を追って走り出した。

薄青の地ともう少し濃い青のストライプ模様の雨合羽が揺れて遠くなる。魔砕村で作ってもらって持ち帰ってきた雨合羽を、紗雪は満足そうに見送った。

「うん、やっぱりあの雨合羽、可愛い柄だったわ。陸に良く似合ってる!」

皮を吟味ぎんみして大王アマガエルを狩った甲斐があったというものだ。

そんな事を考えながら紗雪が陸たちを眺めていると、不意に陸が駆け戻ってきた。

「ね、まま、まえにしてくれたアレやって!」

「アレ? ああ、アレね。んっと……人がいないから、いいかな」

陸は公園の広場を指さして紗雪に何事かを強請る。

紗雪は周囲を見回し気配を探り、近くに人がいないことを確かめると頷いてその場にしゃがみ込んだ。地面にぴたりと手を着け、そして静かに魔力を練って浸透させてゆく。

「よい、しょっと!」

軽い掛け声と共に紗雪が地面を拳でコツンと打つと、ゴゴゴゴ、と突然足元が揺れた。そしてその揺れに合わせて土がむき出しだった広場の地面が波打ち、やがてもこもこと盛り上がる。

「あ、やった! だんだんできた!」

「ちょっとだけね」

紗雪は笑顔を浮かべて立ち上がると、自分が使った魔法の出来を確かめた。

何もなかった平らな地面だった場所は、紗雪の使った地魔法によって僅かな間に劇的な変化を遂げていた。

大小様々なこぶが障害物のようにボコボコと並び、その先には土が段を作って小さな山を作っている。さらにその横には並んだ杭や細い平均台のようなものが現れている。まるでちょっとしたアスレチック場のようだ。

「さ、いいわよ」

「うん! チビ、いくよ!」

『きゃん!』

チビは返事をすると地面に出来たこぶをピョンピョン避けるように走り出す。陸も同じように跳びはねながらそれを追いかけた。

小山を登るチビと陸を眺めながら、紗雪は首を捻って考える。

「うーん、まぁまぁ制御出来てるかしら? もうちょっと色々種類を増やせるといいんだけど……私も練習が必要ね!」

これは最近始めた、紗雪の魔法の練習と陸の訓練を兼ねた一石二鳥の遊びだ。

何もないところを走るだけでは物足りなくなった陸に強請られて作った障害物だが、これが意外と紗雪にも陸にも良い訓練になっている。

「人がいないときにしか作れないのが難点ね」

地面の形を勝手に変えているので、多分誰かに見つかったら怒られるような気がする。もちろん後でちゃんと綺麗に直しているのだが。

「もっと良い場所探したいわねぇ」

家族で遊びに行けるような、人が少なくて、ついでにちょっと改造しても怒られない遊び場所はないものか。

家から行きやすいキャンプ場はどこだったかと紗雪が頭を巡らせていると、陸が振り返って手を振った。

「まま、こんどは、ままがにげて! ぼくとチビがおに!」

「あら、ママが逃げるの? ママは捕まらないわよー?」

「つかまえるもん! チビ、いくよー!」

『きゅん!』

ダッと二方向から迫る陸とチビに笑いかけ、紗雪はその手が触れる寸前で高く跳び上がり、くるりと回って自分が作った土の小山にトン、と降り立つ。目の前で姿を消した母に驚いた陸が慌てて立ち止まり、目を丸くして振り向いた。

実は紗雪も割と、大人げない大人なのだ。

「あら陸、もうお終い?」

「まだ! まま、まてー!」

日々の努力と、無自覚に自重のない紗雪の協力で、陸は今日もすくすくと育っているようだ。