細工師、竹川善三はとても疲れていた。

このところ善三は、先だって自分の大事な竹林を襲った騒動の後始末に追われていたのだ。

駄目になった竹を切り倒し、切り倒した竹を外に運び出し、残った竹を回復させるため肥料を運び込み土にきこんで、と毎日忙しく働いていた。

もちろん一人で作業をしているわけではない。善三の妻や息子、その家族や、幸生や和義も顔を出しては整備を手伝ってくれた。

あらかた整備した後は美枝も来て、竹林が回復するよう力を貸してくれた。

お陰で被害を受けた妄想竹の竹林は、完全に元通りとはいかないがかなり回復させることができた。

竹の本数が大分減って寂しくなった場所も出来たが、来年はきっとタケノコも生え、空いた空間も元通りになるだろうと美枝も言ってくれた。

それで善三はやっと一安心出来たのだが、そこが終わると今度は他の竹林も確認しなければいけなかった。

善三の家には仕事の用途に合わせた種類の違う竹林が幾つもある。

なよ竹の姫というのは非常に稀な存在だということはわかったが、それでも万一ということもあるため善三は竹林を一つ一つ全て確認して回り、結界の綻びがないか、強度は十分かということを毎日のように確かめて回った。

そのお陰で、本当なら春の田植えが一段落して少し暇になる頃だというのに、善三はすっかり疲れ果てているのだ。

それでも竹林の手入れが一先ず終わったので善三の心は軽くなった。先祖が守ってきた竹林を失わずに済んだことにホッと安堵し、善三はまたいつもの日々に戻ろうとしていた。


「……で、また何のようだ幸生。今は疲れてるから、無理難題は聞けねぇぞ」

善三は作業小屋で今日は何もせず、久しぶりにのんびりとお茶を飲んでいた。

本当は二、三日ゆっくりしようと思っていたのだが、ついいつものクセで作業する予定がなくても作業小屋に来てしまったのだ。

お茶道具くらいはあるので仕方なく茶を入れ、新聞でも読むかと思ったところに幸生が訪ねてきたというわけだった。

「届け物だ。これを雪乃から」

幸生はそう言って勝手知ったるとばかりに作業小屋に上がり込むと、小さな風呂敷包みを取り出した。

それを受け取って包みを開けた善三は、中を見た途端にパッと顔を輝かせた。風呂敷の中には雪乃特製のクッキーが沢山詰められた袋が入っていたのだ。

「おお、こりゃあ雪乃さんの菓子か! しかも、クッキーじゃねぇか!」

「ああ、昨日また焼いたのでな。お前が疲れているだろうからと、お裾分けだ」

「ありがてえ! どれ、さっそく……いや、ちょっと待て、これにはうちのも目がねぇんだ。うっかり食べきったら恨まれる。取り分けるからちょっと待ってろ」

雪乃のクッキーの美味しさと危険性を、善三ももちろん知っている。

昔お裾分けされて初めて食べたときは、正気に戻るまで幸生に羽交い締めにされた経験があるのだ。

二度目からはさすがにそこまでの反応は示さなくなったが、それでもこのクッキーは大変後を引く美味しさで、手を止めるのが難しいことをよく知っていた。

善三はお茶道具を入れた棚から菓子用の小皿を取り出し、そこにクッキーを大切そうに取り分けた。

「俺のはいいぞ」

「おう、わかった……じゃあお前はこの羊羹ようかんでも食ってけ」

善三は棚にあった羊羹を代わりに幸生に振る舞い、お茶も入れ直す。

取り分けた残りのクッキーは傍にあった竹籠に大切にしまい、後で妻に渡すために少し自分から離しておいた。

善三はそれが済むとようやく安心して腰を下ろし、嬉しそうにクッキーを口に運んだ。

「……うん、美味い。いつもながら、素朴で優しいのに、深い味わいだ」

善三はサクサクとクッキーを噛みしめ、そう言って満足そうにお茶を飲む。味も美味しいのだが、このクッキーは食べていると心なしか疲れが癒える気がするから不思議だ。

もちろん気のせいだとわかっているのだが……いや、本当に気のせいか? と善三はふと考える。

「……いや、気のせいだ。そういうことにしておこう」

「どうかしたか?」

「いや、何でもねぇ。それよりこのクッキーを初めて食べた時の空はどうだった?」

気のせいじゃなかったら何となく怖いので、善三は頭を一つ振って気づかなかったことにして、話題を変えた。

幸生は善三の問いに一つ頷き、大変だった、とポツリと零した。

「お代わりを三回してなおも、もっともっとと言うので外に連れ出したが……取れたての鮭のように暴れて、疲れて諦めるまで三十分はかかった」

「そりゃ長いな……まぁ、空の食い意地を考えれば短い方か?」

抱き上げた腕の中でビチビチと活き良く暴れた空を宥めながら、幸生は三十分も村の中を散歩して回った。それはそれで楽しい時間だったが、時折落としそうになるのでヒヤヒヤしたらしい。

善三はその光景を想像してくつくつと笑う。

「この前もタケノコ料理をたらふく食ってたもんな。あんなに食うのが好きなら、そう簡単に諦めなさそうだ。将来はどんくらい食うようになるんだか」

「今年はまた畑を増やす予定だ」

そのじじ馬鹿な発言にも、善三は可笑しそうに笑いを零した。


「こんにちはー!」

「お?」

噂をすれば、と言うべきか、作業小屋の入り口から突然聞き慣れた声がした。

善三と幸生がそちらを向くと、入り口で空と雪乃が手を振っている。

「おじゃましまーす!」

「お邪魔するわね」

「どうしたんだ……お? 何だ、泰造もか?」

空と雪乃が作業小屋の入り口を潜り中に入ると、その後ろからもう一人背の高い男が姿を見せる。ぺこりと頭を下げて入ってきたのは、先日大活躍をしてくれた泰造だった。

「ども……ええと、空を訪ねたら、連れてこられたんですけど」

泰造はそう言うと、少しばかりバツが悪そうな表情で空を見下ろした。空は雪乃から何かを受け取ると、それを手に取って善三に見せた。

「ぜんぞーさん、あんね、これなんだけどね」

空が見せたのは善三が空に作ってくれた竹の盾だった。だがそれは善三が知っている形とすっかり違ってしまっている。

「ああ、こりゃあ、あん時泰造が使ってた奴か?」

「そう! テルちゃんが、かいぞうしちゃったの!」

空が泰造に貸した盾は、テルちゃんの魔改造によって何だか不思議な姿になっていた。

ただの長方形だったはずの形は上下に延びて、少し歪だが細長い楕円形に変わっている。さらに竹の節のあちこちから伸びた枝葉が絡み合って三角の鋭いトゲ状になり、盾の表に何本も伸びているのだ。当たったら痛そうな形状だ。

善三はそれを受け取り、表から裏から、じっくりと観察した。

「付与した防御はそのままだが……いや、範囲が広くなって、強度も上がってるのか? 素材の竹自体がかなり変質している……さらにこのトゲが攻撃を反射するとか、わけがわからねぇな」

ううん、と善三は唸り、何度も首を捻った。

「それでね、たいぞうにいちゃんが、このたてほしいっていうの。これぼくのだから、だめっていったんだけど」

「泰造、お前こんなもん使うのか?」

泰造は少しばかり困ったように、けれどはっきりと頷いた。

「使うかどうかはわからねぇけど、何かこう、俺もちゃんとやれたって記念に、どうしてもこれが欲しくて……それで空に頼んだら、渋られてですね」

譲ってくれ、ええやだ、お願いします、だめ、そこをなんとか、というような応酬を空と泰造は繰り返し、結局二人は雪乃に勧められて善三に相談してみることにしたらしい。

「もともとそれは空のタラの芽採りのための物だったでしょう? 空にはまた新しいのを一つ作ってもらえないかと思ったのよ。もちろん急ぎじゃないから、いつでもいいわ。もうタラの芽の季節も終わったし、善三さんも疲れてるでしょうから」

「ああ、そういうことか……まぁ、そのくらいなら構わねぇよ。どうせ駄目になって刈り取った竹もいっぱいあるしな」

そちらは乾燥が必要だが、取り置いてある材料は沢山ある。急がないなら構わないと善三は頷いた。どうやら幸生が持ってきたさっきのクッキーは、労いと同時に賄賂でもあったようだ。

「ほんと!? ありがとう、ぜんぞうさん!」

「ああ……前と同じでいいか?」

目の前のおかしな盾を見ながら、善三は一応そう質問した。

さすがにこんな妙な性能は付けられないし、何より空では取り回しが悪そうだ。保管の時にも邪魔になりそうで、善三の趣味ではない。

すると、空がそれに答えるより早く、その肩の後ろからピョコリと元凶が姿を現した。

「ゼンゾー、ゼンゾーガ、タテヲツクッタラ、マタテルガツヨク、カッコヨクスルヨ!」

「ああん!?

作った物を作る前から改造すると言われ、善三が眉を寄せる。しかしテルちゃんは悪びれもせず、改造された盾をピッと指さして体を揺らした。

「ゼンゾーハ、タケノコト、マダマダワカッテナイヨ! モットガンバレルヨ!」

「んだとぉ!? くっ、生意気な……!」

「善三さん、落ち着いてちょうだいな。テルちゃん、空が使うんだから、そんなに強くなくていいのよ」

「コーゲキハ、サイダイノボーギョダヨ!」

「テルちゃんはどこからそういう言葉を仕入れてくるのかしら……」

テルちゃんは言いたいことを言い終えると、空の肩からピョンと飛び下り、突然小屋の入り口に向かって走り出した。

「ソザイノタケ、テルガオウエンシテクルヨ!」

「は!? あ、こら待て! お前、何する気だ!」

善三はテルちゃんを追って、慌てて外に出た。小屋の傍には竹を乾燥させるための専用の棚が置いてある。

テルちゃんはその棚まで真っ直ぐ走ると、棚に並んだ竹の上にさっと跳び乗った。

「タケタチ、モットヤルキダスヨ! モットモットヤレルヨ! ツカワレルダケジャ、ツマンナイヨ!」

その謎の励まし(?)と共にテルちゃんはくるりくるりとその場で回る。するとその足下の竹たちがキラキラと光り出した。

「あああ!? こらてめぇ、何しやがった!」

「ゲンキニシタダケダヨ!」

善三が慌ててテルちゃんを持ち上げ竹から引き離すが、どうやら少し遅かったらしい。光り輝く竹は既に何本もある。

「くっ、どうすりゃいいんだこれは……」

「タテニスルヨ!」

全く悪びれないテルちゃんを、善三は思わず無言で上下にブンブンと振った。テルちゃんはワキャー! と声を上げて大喜びをした。

「あー、えーと、『猛装竹』になってますね、これ」

後を追って出てきた泰造が、妄想竹だったはずの素材を見てそう呟く。その名前の表記が変わったことを伝えると、善三は大きくため息を吐いた。

「それに変わると、どうなるんだ?」

「武器防具を作る素材として相当優秀、みたいな感じです。ただ、付与をすると予定外の効果が発動する場合があるので注意が必要みたいですよ。あと、元の竹より固さとか付与難易度が増しているので技術が必要、って書いてありますね」

「……要するに、面倒くせぇことになったってわけだな?」

善三の言葉に泰造は少し考え、こくりと頷く。善三はその元凶を今度は左右にゆさゆさと揺らした。ワキャキャキャキャ、とまた喜ばせるだけだったが。

「ごめんなさいね、善三さん……テルちゃん、勝手に人様の物に手を加えちゃ駄目でしょう?」

「テルちゃん、メッだよ!」

空や雪乃も外に出て話を聞いていた。二人はテルちゃんを叱ったが、テルちゃんは可愛い顔をしてきょるんと首を傾げた。

「テルハ、ソラヲタスケルナラ、シュダンハエラバナイヨ!」

「そこは選べよ!」

「なぁ、空、大丈夫かこれ? やっぱり悪い精霊じゃねぇの?」

善三は思わず怒鳴りつけ、泰造は心配そうに空に問いかけた。しかし孫に対して過保護な祖父母は、その言葉に大いに感銘を受け頷いた。

「その心意気は天晴れだ。応援しよう」

「ええ、そうね」

「応援すんな!」

善三はテルちゃんをぐいぐいと幸生の顔に押しつけて抗議したが、残念ながら二人共全く気にする様子もなかった。

「……とりあえず、変化させちまったもんは仕方ねぇ……これで盾を作るが、出来に文句は言うなよ」

しばらく後、ようやく諦めを付けた善三は、深いため息と共にそう言って空に確認した。

空は頷き、それからハッと顔を上げて、結局泰造に譲ることになった盾を指さした。

「ひとつだけおねがい! あんね、ああいうかっこいいかざり、ちょっとだけつけてください!」

「……かっこいいか?」

「ぜったいかっこいいよ! ぜんぞーさん、おねがい!」

善三は、己の美学に大いに反する盾と空の真剣な顔を見比べ、そしてもう一度深いため息を吐いた。

「……任せとけ」

善三も結局のところ、この幼馴染みの孫に無自覚にとても甘いのだ。


その後。

善三は、魔改造された竹素材で渾身の盾を作り上げた。

善三からすれば無駄と思える、沢山のびょうやトゲ、派手な縁飾りが付いた盾だ。空は大いに喜び、しばらくは枕元に飾って眠るほど気に入ったらしい。

幸いタラの芽の季節は終わっていたので、それが空以外の子供の目に留まることはなく。

かっこいい盾の注文に悩まされる日々が来年まで持ち越しということになったことを、善三はまだ知らずに済んだのだった。