日を追うごとに田んぼの稲が背を伸ばし、少しずつ気温も上がってきた。

(……初夏って、いつからだっけ? もうなってる?)

空は曇り空の下、庭をうろうろと歩きながらそんなことを考えていた。今はもう五月だから、多分初夏だ、と結論を出して畑の端を歩く。

庭ではすっかり春の花が終わり頃を迎え、紫陽花やアヤメがそろそろ咲きそうだ。畑でもキュウリやトマト、ナスなどの夏野菜が段々と大きく育ってきていた。

空はそんな畑をうろうろしながらもごもごと少しだけ口を動かし、耳を澄ませていた。

『あめまだ? あめ、あめ』

『てんき、おてんき、きもちいいおてんき』

庭のあちこちから、こそこそと囁くような小さな声が聞こえてくる。空はこの間ヤナが駄菓子屋で買ってくれた、植物と話せるようになるのしイカ、という不思議なお菓子を少しずつ千切って食べているのだ。

のしイカの効果で、耳を澄ませると小さな声が沢山聞こえてくる。はっきり聞こえるのは近くのものの声だけだし、それも小さすぎて聞こえない声もある。けれど聞こえるものを拾うだけでもとても珍しく、楽しい体験だ。

『そこ、そこどいて、おひさま、かくさないで』

『ららんららん、らららん』

青い花を揺らす勿忘草わすれなぐさが空に覗き込まれて文句を言い、足元の雑草は踏まれても気にせず楽しそうに歌っている。

『わすれて、わすれないで、わすれたらゆるさん』

何か怖いことをブツブツ言っている勿忘草の要望に応えて空は場所を移動し、庭の端に植えられた低木の傍まで歩いた。

丸く刈りそろえられたツツジの花ももう終わりかけだ。空が葉っぱにそっと触ると、幾つも並んだツツジの木たちがクスクス笑う。

『ふふ、ふふ、くすぐったい。ちいさい、ちいさいて』

『そら、そら。わたしにもさわって』

『わたしも、わたしも』

空はその可愛いリクエストに応えて、ツツジの葉や少しだけ残った花を小さな手で順番に撫でて歩いた。

「空、楽しそうね。何か聞こえた?」

傍で花の手入れをしていた雪乃が、耳を澄ませながら時折笑う空に声を掛ける。

「うん。あんね、つつじは、なでられるのすきだって!」

「あら、そうなの? 知らなかったわねぇ」

「みんな、いろんなことつぶやいてるよ! でもみえおばちゃん、うるさくないのかなぁ」

植物たちの声はさわさわと風で揺れる葉ずれの音のようにひっきりなしに響いている。一つ一つは小さな囁き声だが、沢山重なるとまるで雑踏にいるような気がしてくる。

「美枝ちゃんはもうベテランだからね。聞く声と聞かない声と、ちゃんと調整してるから大丈夫なはずよ」

「へ~!」

「でも小さい頃はやっぱりうるさくて、外に出るのが嫌いだった時期もあったそうよ」

「そうなんだ……」

幸生といい美枝といい、能力が高い人にはやはりそれなりの苦労があるものらしい。空は、植物の声を聞くのもやっぱりたまにが良さそうだ、などと考えながら、のしイカが入った袋をポケットから取り出し、また少し千切って口に運んだ。

『つまんない、たいくつ、たいくつ、どっかいきたい』

ふと、どこからかそんな声が聞こえて空は周囲を見回した。近くにあるのは低木が多く、目の前のツツジは撫でられて楽しそうにしている。

退屈なのはどの植物だろうと耳を澄ませて探すと、ツツジの向こうにある紫陽花あじさいがそう言っていることに気がついた。

「あじさい……たいくつ?」

『たいくつ! あきた、あきあきだ!』

空が話しかけると、紫陽花は飽き飽きしているとぶうぶう文句を言う。

「なににあきてるの? んと……はなのいろ?」

『ちがう! ちがうちがう! これはいいいろ! これはすてきないろ!』

まだ薄らと色づき始めたばかりの紫陽花は、空の質問にプンプンと怒りだした。

(ゲーミング紫陽花……その派手な色、気に入ってるんだ)

魔砕村の紫陽花は不思議な花の色をしている。今はまだほんのり紫やピンクに色づき始めたくらいだが、もう少し経って本格的な雨の季節になるともっとずっと濃く、派手な色合いになる。

しかも雨が大好きで、雨粒を浴びる度にチカチカと紫、青、緑、黄色、オレンジ、赤などなどと虹のようにくるくると色を変えるのだ。お陰で雨の日に庭に出てそれを眺めると、何だか目がチカチカして仕方ない。

空はそのおかしな色合いを、前世の記憶から『ゲーミング紫陽花』と心の中で呼んでいた。ゲーム用のパソコンには、同じように一部が派手な虹色に光るものがよくあったのだ。

空の感覚では少々賑やかすぎると思うのだが、どうやら紫陽花は自分のそのゲーミングカラーを大いに気に入っているらしい。

「じゃあ、なににあきたの?」

空がそう言うと、紫陽花は待ってましたとばかりに葉を揺らした。

『ここ、このばしょ! ひとも! もっとちがうとこ、いきたい! ちがうひと、あってみたい!』

「えええ……?」

予想外の言葉に空はぽかんと口を開けた。

するとその様子を見た雪乃が傍に歩いてくる。

「どうしたの空。紫陽花とおしゃべり?」

「うん……あんね、ばぁば。あじさいね、ここのばしょにあきたんだって。どこかちがうとこにいって、ちがうひとにあってみたいんだって」

紫陽花の言葉をそのまま伝えると、雪乃もまた目を丸くした。

「紫陽花が? この子たち、そんな冒険心がある植物だったの?」

魔砕村には自ら居場所を求めて歩き出し彷徨さまようような、冒険心や自立心に溢れた植物も珍しくない。黙って同じ場所にずっといるものはそこが好きなのだろうと思われている。紫陽花もそうなのだと、雪乃は今まで疑いもしなかった。

『ちょっと、ちょっとでいい! ずっとじゃなくて、でもどっかいってみたい!』

「……りょこうしたいの? なんかね、ずっとじゃなくていいから、ちょっとだけどっかいってみたいんだって」

「そうなの? 難しいことを言うのねぇ」

旅行を求める植物に初めて遭遇したのか、雪乃も困った顔で首を捻った。

空は植物にも色々な個性があることと、意外と面倒くさい植物もいることを同時に知って、聞かなかったことにしたいと少し思う。

しかしまだのしイカはポケットに残っているし、空が話を聞いていると理解した紫陽花はますますうるさく騒ぎ立てた。

『いきたい、いきたい! どこか、どこかしらないとこ! つれてけ、つれてけ!』

紫陽花はどうしてもどこかに行きたい気分になったらしい。まだ雨も降っていないのに、薄らとした紫色がチカチカと他の色を混ぜて明滅している。

「どこかしらないとこにいきたいから、つれてけって……」

「困ったわねぇ。紫陽花の花言葉には移り気なんてあるけど、まさか本当に移り気なのかしら……」

空と雪乃はしばらく紫陽花が騒ぎ立てるのを困った顔で眺めていた。

文句を言うだけなら実害はないのだが、何せこの村の植物だ。本気になったら謎の進化を遂げて勝手に動き出したりするかもしれない。そうなると多分面倒なことになる予感がして、どうしたものかと雪乃は悩んでしまう。

するとそこに後ろから声が掛けられた。

「どうした?」

「あ、じぃじ……あのね、あじさいがね」

空は幸生に、植物の声を聞いていたこと、紫陽花がどこか遠くに行ってみたいと主張していることを説明した。

幸生はしばらく紫陽花を眺めて考え、株分けするかと呟いた。

「かぶわけ?」

「ああ。地魔法を使えば今の時期でも何とか上手く出来るだろう。この大きくなった株をどこかに連れていくのは難しいが、小さくした株なら鉢に移して、移動させることも出来る」

「そうね、それなら出来そうだわ」

雪乃もその意見には賛成のようだ。空は紫陽花にもそう言って説明してみた。

『それならいい! いいよ! かぶ、ちいさいかぶも、おなじ、おなじ!』

「ちいさいかぶになっても、おなじかぶだからそれでいいって」

分けられても同じ個体のようなものだから、共感するのかもしれない。空はそう予想して、幸生に紫陽花の希望を伝えた。

「うむ、じゃあ分けるか。だが行き先はどうする?」

「そうねぇ……この村の中じゃ、代わり映えしないかしら?」

どこかに行きたいといっても紫陽花に具体的な希望があるわけでもなさそうだ。連れて行けそうで、紫陽花がまだ行ったことのない場所を、となるとなかなか悩ましい。

たまたま紫陽花の声を聞いてしまっただけなので別にどうしてもその願いを叶えてやる必要はないのかもしれないが、一生懸命考えているうちに段々空は楽しくなってきた。

「あ! ね、いいとこがあるよ!」

空はハッと閃き、チカチカ瞬く紫陽花をにこりと見つめた。



「陸、田舎からお届け物が来たわよー」

東京の杉山家。

紗雪は家に届いたばかりの大きな荷物を持って、玄関をよいしょと通り抜けた。今日の荷物は何だかとても大きくて、結構重い。箱には取扱注意とか割れ物とか天地無用とか、色々と書いてあるのでいつもと違うものが入っていそうだ、と紗雪は用心してゆっくりと運ぶ。

居間に持ち込むと、子供たちがその大きな荷物に目を丸くし、さっそく寄ってきた。

「わ、そらから? おおきいの、なに?」

陸は紗雪の足元に纏わり付いて荷物に手を伸ばす。

「あ、だめよ! 何だか重たいから、ちょっと離れてね。今下ろすから!」

「陸、危ないから、ちょっとこっち!」

樹が慌てて陸を引っ張り、少し距離を取らせる。その隙に紗雪は荷物をそっと床に下ろし、それから箱を丁寧に開けた。

「何が重かったの……? 何これ、ええと……紫陽花の鉢植え?」

覗き込んだ箱の中には、花の付いた紫陽花の鉢植えが丁寧に梱包されて入っていた。

「おはながきたの? なんで?」

「これ、あじさい?」

「うわ、でっかい! 植木鉢ごと送ってきたの?」

何故急にこんな物を送ってきたのか、という皆の疑問は一緒に入っていた手紙によって解消された。

「ええと、この紫陽花は……えっ!?

「まま、どしたの?」

「うん……このお花がね、旅行をしたがってうるさいから、株分けして小さくして東京に送ることにしたんですって。ええ……これ本当に大丈夫なの?」

「りょこー? おはなが?」

「えー、ほんとに?」

「あはは、変なの! やっぱじいちゃんちの村って面白いなー!」

手紙には、株分けした後で美枝に様子を見てもらったので元気だし、大人しくしているよう一応言い聞かせてある。鉢には魔素の豊富な素材を肥料として入れておいたので、しばらくの間はそれで勝手に元気でいるはずだと書かれていた。

キレイなので多分子供たちは喜ぶんじゃないかということ、ベランダにでも置いて紗雪が魔力を足した水を多めにあげてほしいこと、花が終わって面倒を見るのが大変なら鉢ごと送り返してほしいことなども記されている。

紗雪はそれらを読み終え、花を眺めた。

「しばらくの間ならいいか……紫陽花、懐かしいわね。今でもキレイに色が変わるのかしら?」

「まま、これ、いろかわるの?」

「どんな感じになるの? キレイ?」

「見てみたいかも!」

子供たちの要望に紗雪は微笑み、鉢を持ち上げてベランダに出た。

「この辺でいいかしら。ご要望の知らない場所は、どんな感じかしらね?」

紗雪はそう言いながら、鉢植えをベランダの手すりの傍になるべく近づけて置いてやった。大きい鉢植えといっても手すりより花の背丈があるわけではないが、格子状になっている場所からなら周りが見えるはずだ。

「うーん……本当に大丈夫かな?」

紗雪が心配そうにそう呟くと、陸が部屋の中からまま、と声を上げた。

「ね、まま! なんかちいさいはこ、もいっこはいってる! これ!」

陸はそう言って、紫陽花の入っていた箱から二十センチほどの小さな箱を取り出して高く掲げた。

「あら、まだあったのね。開けるから貸してちょうだい」

「はい!」

受け取った箱は空気でも入っているのかと思うほど軽かった。その軽さに逆に驚きながら蓋を開けると、中からはパンパンに膨れた小さな袋が三つと、薄いものが入った袋が一つ、そして手紙がもう一通入っていた。

紗雪はその膨らんだ袋を取り出して、思わず声を上げた。

「あ、これ、浮き綿菓子? えー、懐かしい! こっちは? ペラペライカ?」

中に入っていた手紙には、空が始めて狐狸族の駄菓子屋に行ったこと、兄弟たちにどうしても楽しいお菓子を送りたいと言って、自分の魔力で綿菓子を買ったことが書いてあった。

紗雪はそんな空の優しい気持ちに思わず笑みを浮かべた。

「あ、ペラペライカは植物用ね。ヤナちゃんが取り寄せてくれたんだ。紫陽花が何か問題を起こしたら使え……なるほど?」

「まま、まま、それなに?」

袋を手に取ったまま動かない紗雪に陸が焦れ、その服の裾をぐいぐい引っ張る。

紗雪はその頭を優しく撫でて、雲の絵が描かれた袋を陸に一つ手渡した。

「これはねぇ、村にたまに来る駄菓子屋さんで売ってる綿菓子で……綿菓子? ねぇ、樹、小雪。食べるとちょっとだけ体が浮いちゃう綿菓子ってどう思う?」

「え、何それホント!? すっげー変だけど、ホントならやってみたい!」

「えっ、うくの? うくって、どうなるの? 私もできる?」

「あ、やっぱり変なのね……そっかぁ」

「まま、これおかし? たべたーい!」

どうやら魔砕村で当たり前だった色々なものは、都会ではひどく珍しかったりあり得ないと思われたりするらしいと、最近紗雪も何となく学びつつある。

紗雪は食べたいと強請る陸から綿菓子を優しく取り上げ、今は駄目よと言い含めた。

「この綿菓子は周りの人を多分驚かせるから、食べる時は家の中だけでね! あと、パパも見たいかもしれないから夜のおやつにしましょうね」

「はーい!」

「えー、はやくみたい!」

「パパ、今日早かったっけ?」

綿菓子をまた箱にしまいながら紗雪はふと窓の外を見る。

一緒に入っていた植物用のペラペライカは、しばらく使わないで取っておくことにした。紫陽花の花が終わったら、魔砕村に帰るかどうか要望を聞くために使おうと思ったのだ。


──しかしながら、紗雪は結局その後すぐにペラペライカを使うことになる。

「もう、どうして夜になった途端すっごい光るの!? ご近所迷惑なんだけど! え? 夜でも明るい街並みが珍しいの? 負けたくない? 待って、何と張り合ってるの!?

ベランダから見た都会の明るい街並みに奮起した紫陽花が暗い中でビッカビカに光り、大変な近所迷惑を引き起こしたのは、その夜すぐのことだった。

虹色に次々色を変えて光り輝く紫陽花に子供たちは大喜びで、浮き綿雲を食べた興奮と相まって大騒ぎしてなかなか眠らなかった。

「もう、いい加減やめてちょうだい! 光るのは昼間だけって約束出来ないなら、引っこ抜いて送り返すわよ!」

紗雪のその言葉に紫陽花もさすがに諦めて大人しくなったが、気付けば時間は既に深夜を回り。

さらに次の日、謎の光る植物を見たという通報を受けた役所の人が訪問してきて、何故かこのマンションの周囲だけ局地的に魔素濃度が高い、と言われて説明に四苦八苦する羽目になることを、紗雪はまだ知らないのだった。