三 魔性のクッキー
「こんにちはー、米田さん、いるかい?」
ある日の午後のこと。
「はーい!」
急いで立ち上がってパタパタと玄関に走ると、戸口にいたのは田亀だった。
「あ、たがめさん! こんにちはー!」
「こんにちは空くん。雪乃さんはいるかな?」
「うん、よんでくるね!」
空は頷くと、台所に走っていく。台所では雪乃とヤナが常備菜を作っているところだった。
「ばぁば、たがめさんがきたよ!」
「田亀さん? 何かしら。ありがとう、空」
雪乃はサッと手を洗うと、割烹着の裾で手を拭きながら玄関へと急ぐ。
「やあ、こんにちは雪乃さん」
「いらっしゃい田亀さん。どうしたの?」
笑顔で挨拶を交わすと、田亀は腰の後ろに着けていた竹製の魔法鞄を前に回し、その蓋を開いた。
「うちの牛たちが今年はいつもよりよく乳を出してくれてね。それでバターを作ったんだ。沢山出来たから、そのお裾分けをと思ってね」
「バターを? それは嬉しいわ!」
田亀はそう言うと、鞄から陶器の壺をにゅるりと取り出した。大人が両腕で抱えるような大きな壺だ。田亀はそれを雪乃に渡し、そして少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あとその、これでいつものを少しお願いできないかと思って」
「ああ、アレね。ええ、喜んで……あら、でもバターの量が随分多いけど、こんなに良いの?」
壺の口に掛けられた布をまくって中を確かめ、雪乃はその量に驚いた。壺の中には薄ピンク色のクリームがたっぷりと入っていたのだ。空も横から壺を覗き込み、その綺麗な色に目を見開いた。
「ぴんくいろ……」
「空くんはこのバターは初めてかな? うちに何頭かいた牛、憶えてるかい?」
「うん! しろにぴんくのもようのうしさん!」
以前に田亀の家の獣舎を見学に行った際、空はそこにいた牛のことも紹介してもらった。食の好みにとてもうるさいが、すごく美味しい乳を出すという
確かにその牛は白地にピンクの斑模様だった。あの牛のバターが薄ピンクというのも……納得は出来ないが、魔砕村では不思議ではないのだろう。
「そうそう。あの牛の乳で作ったこのバターはすごく美味しいんだよ。あまり頻繁には作らないんだが……たまにどうしても、雪乃さんがこれで作るお菓子が食べたくなってね」
「田亀さんはあれが大好きだものね」
「いや、食べたことがある人で、あれが嫌いな人はいないんじゃないかな」
美味しいお菓子と聞いて空の目が輝く。
「ばぁば、ぼくは? ぼく、たべたことある?」
「そういえばまだ空には作ってあげたことないわね。でも、普通の焼き菓子よ? ええと、クッキーっていうやつね」
「くっきー! たべたい!」
雪乃が普段作るお菓子は和菓子が中心で、洋菓子は珍しい。空は絶対食べたいと雪乃に抱きついて
「じゃあこのバターで、美味しいクッキーを沢山焼きましょうね。出来上がったら、田亀さんちにも持っていくわね。半分くらいで良いかしら?」
「いやいや、半分なんてそんなにはいいよ! 他の材料は雪乃さんの持ち出しだし、ほんの少しで……」
「あら、少しで良いの?」
雪乃がクスクスと笑うと、田亀はしばし言葉に詰まった。
「いや、良くはないから、もう少し……五……んん、よ、四分の一くらいで!」
田亀はしばらくぼそぼそと呟き悩んだ結果、四分の一でと顔を赤くして告げた。
甘いものが好きなのが恥ずかしいのかな、と空はそれを微笑ましく眺める。
「ふふ、美食牛のバターは高級品なんだから、そんな遠慮しなくても良いのに。こんなにあると一度に全部はクッキーに出来ないから、作ったときに持っていくわね」
「あはは、いやお恥ずかしい……あのクッキーを思うとつい我慢が効かないんだよね。もちろん、他の料理にも好きに使ってくれて良いから。クッキーを焼いたときはよろしくお願いします」
(いい歳の大人が我慢できなくなるようなクッキーとは……?)
空はさすがに少し不思議に思ったが、田亀があまりに恥ずかしそうなので、聞かないでおくことにした。空にはそれよりも聞きたい、大事な事がある。
「ね、たがめさん。りくのとこの、ちっちゃいしろ、げんきかな?」
話が一段落したところを見計らい、空は田亀に声を掛けた。田亀はその問いに笑顔で深く頷いた。
「ああ、元気だよ。陸くんのところの小さいシロも、陸くんもすごく元気だ。シロが時々教えてくれるよ」
「ほんと!? シロ、りくのこともわかるの?」
「シロは小さいシロと繋がってるから、小さいシロが見聞きしたことはシロにも伝わるんだよ。陸くんは毎日一生懸命、保育園の園庭を走ったり、遊具を登ったりして体を鍛えてるんだってさ」
田亀はそう言って自分の肩の後ろに視線を向けた。そこに浮かんだシロがコクコクと頷く。
その姿は見えなかったが、それでも空はその視線の先に顔を向け笑顔を見せた。
「シロ、おしえてくれて、どうもありがとう!」
「どういたしまして、だってさ」
しばらくシロがわかる範囲での杉山家の話をしてから、田亀は帰って行った。
思いがけず家族の話が聞けて、空はにこにこと上機嫌だ。
「良かったわね、空」
「うん!」
「お、客は帰ったのかの?」
そんな話をしていると、ヤナがひょこりと居間から顔を出した。空は跳びはねるようにヤナの傍に走り寄り、その体に抱きついた。
「ヤナちゃん、りくとちっちゃいシロ、げんきだって!」
「おお、そうか。それは良かったのだぞ!」
「そんでね、ばたーで、ばぁばがくっきーつくってくれるって!」
陸のことで大喜びしていても、空は食べ物のこともちゃんと忘れていない。雪乃は玄関に置いていた壺をよいしょと持ち上げ、空とヤナに微笑んだ。
「せっかくだから、これから皆でクッキーを作りましょうか?」
「うん!」
「それは良いのだぞ。ではヤナも手伝おう」
現在の時刻は二時少し前。空は先ほど昼寝を終えたばかりだし、何かするにはちょうど良い時間だ。
皆でぞろぞろと台所へと移動すると、縁側で日向ぼっこをしていたフクちゃんとテルちゃんも興味津々で傍までやって来た。
「ソラ、ソラ、ナニスル?」
「ばぁばとヤナちゃんと、くっきーつくるんだよ!」
「クッキー、ナニ?」
「おいしいおかしだよ! でもおりょうりだから、フクちゃんとテルちゃんは、ちょっとはなれててね」
空が説明している間に、雪乃とヤナはテキパキとボウルなどの道具や材料を用意した。
「材料は……粉と砂糖と、卵も要るのだったか?」
「ええ。出しておいてちょうだいな」
雪乃は大きなボウルを
「田亀さんのバターはとっても美味しいのよ」
「……ほんとだ! おいしーい!」
田亀の作ったバターは滑らかでこくがあり、ミルクの風味と塩味がはっきりと感じられた。しょっぱいというわけではないが、ちょうど良い塩加減だ。このままトーストにたっぷり塗って食べたら、絶対美味しい、という味だった。
「この塩加減が上手なのよね、田亀さんは」
そう言って雪乃はボウルに取り分けたバターを軽くかき回し、そこにヤナが量ったきび砂糖を加えた。
「ばぁば、くっきーって、どうやっておぼえたの? どんなのつくるの?」
「作るのは素朴な型抜きクッキーよ。材料も少ないし、憶えてしまえばとっても簡単なクッキーなんだけど……昔ね、紗雪がお友達のうちでクッキーをおやつに貰ったことがあって、すごく美味しかったからうちでも作ってってお願いされたの」
「ままが!」
バターが白っぽくふわりとなるまで混ぜると、雪乃はそこに溶いた卵を流し、また丁寧に混ぜてゆく。
「ちょうどその頃、外から色んな道具や本なんかが少しずつ村にも入ってくるようになってね。その中に料理の本もあったから、村で色んな料理やお菓子が流行り始めていたのよ」
「そっか……ままは、くっきーすきになったんだね」
「ええ。それでばぁばもそのお友達のお母さんに作り方を教えてもらって……でも最初はバターとか、粒子の細かい小麦粉やお砂糖とか、そういう材料を手に入れるのも一苦労で、結構大変だったのよ。伊山さんちに注文したり、自分で遠くまで買い出しに行ったりしてね。材料が手に入ってからも何度も練習して、美味しく作れるようになったのよ」
「ばぁばもれんしゅうするの?」
「あはは、雪乃だって、知らぬことは一生懸命勉強するし、練習もするのだぞ!」
隣で小麦粉を量って、目の細かいザルでふるっていたヤナがそう言って笑う。
「そっか、ばぁばも……じゃあじぃじも?」
「もちろんだぞ。幸生も色々なことを熱心に練習して、上手くなっていったのだ。ちなみにヤナもくっきぃという菓子を作るのに、上手く型を抜けるようになるまで雪乃と一緒に練習したのだぞ」
ヤナはそう言ってテーブルの上を指さした。いつの間にかそこには色々な形をしたブリキの抜き型が置いてあり、空はそれを手に取って覗き込んだ。
「あ、ことり? それと、おはな……ほしもある!」
「その型は、紗雪がいた頃からずっと使ってるのよ。伊山さんにお願いして外から仕入れてもらったの。最初は伸ばした生地が薄かったり厚かったりして、上手く型から抜けなかったり、焦げたり生っぽかったり……綺麗に作れるようになるまでヤナと練習したわね」
「ぼくもぬいてみたい!」
「ええ、後で手伝ってね。あ、アレを忘れてたわ」
卵がきれいにバターに混ざると、雪乃は一度ボウルを置いた。台所の戸棚に近づき、引き出しを開けて何か取り出す。
戻ってきた雪乃がテーブルにコトリと置いたのは、手の平に隠れるほどの小さな茶色い瓶だった。
雪乃はその口を開け、ボウルの上で瓶を緩く傾ける。すると中から金色の雫が一滴、二滴と垂れ、キラキラと煌めきながらボウルの中に落ちていった。
「ばぁば、それなぁに?」
「これ? これはええと、確か、ばにら……えっせんす? って言ったかしら」
「うむ。確かそのようなけったいな名だったの」
「ばにら……」
その名は空も知っている。バニラ味は空の前世では非常にポピュラーなものだった。アイスクリームやカスタードプリンなど、色々なお菓子に使われていたので、空も存在はよく知っていた。
「ばにらえっせんすって、きんいろなんだ……キラキラしてきれいだね!」
「そうね。これは頂き物なんだけど、洋菓子に入れると良いって教えてもらったの。これを入れると香りが良くて美味しくなるんですって」
「そうなんだ……たのしみ!」
残念ながら、前世を含め空には自分でお菓子を作った経験は特になかった。
「さ、粉をふるったぞ」
「ありがとう、じゃあここに入れてちょうだい」
ヤナが丁寧にふるった小麦粉がバサッとボウルに入れられる。雪乃はそれを木べらでサクサクと切り分けるようにしてバターに混ぜ込んでいった。
「ここで丁寧に、捏ねないように混ぜるとサクッと仕上がるのよ」
「へ~!」
最初は粉まみれだったボウルの中身は、混ぜるごとに段々とまとまってゆく。粉っぽさがなくなって一塊になったところで雪乃は混ぜるのを止め、それを少しずつビニール袋に移した。
「こういう袋とか色んなものが外から入ってきて、料理は随分楽になったわよね」
「うむ。便利なものが増えて、ベタベタしたものも扱いやすくなって助かるのだぞ」
生地を幾つかに分けてビニール袋に入れ、それをそのまま適当な厚さに伸ばす。最後に袋をバットに乗せて冷蔵庫に入れると雪乃はくるりと振り向いた。
「さ、これでお終い。焼くのはまた後でね」
「まだやかないの?」
「ええ、一時間くらいは休ませないとね」
「空、その間にまた散歩でも行くか?」
「うん! フクちゃんとテルちゃんもいく?」
「ホピピピッ!」
「テルモ、サンポイクヨ!」
料理の邪魔にならないように、台所と居間の境目で作業を見守っていたフクちゃんとテルちゃんが嬉しそうにぴょんと跳びはねる。
最近空の散歩は午前と午後の二回の日が多い。段々と体が丈夫になって体力がついてきたので、一回だけでは退屈することが増えたためだ。
空はクッキーの続きを楽しみにしながら、ヤナに連れられ外に向かう。
しかしその日の散歩はクッキーが楽しみで、少々そわそわしたものとなった。
それでも春を楽しみながら道を往復し、裏庭にも行ってみた。幸生が畑にいたので声を掛け、これからクッキーを作るのだと空は報告した。
「クッキーか。あれは美味いが……食べすぎには気をつけるようにな」
「うん! おやつだもんね。でもぼくいっぱいたべられるから、だいじょぶ!」
おやつを山盛り食べても、夕ご飯が食べられなかったなどということは空にはない。ポンとお腹を叩いて胸を張ると、幸生はしばらく沈黙した後、空の頭をそっと撫でた。
「食べすぎは良くない。クッキーには、くれぐれも気をつけるように」
「うん……? じゃあ、きをつけるね!」
幸生が何を心配しているのかはよくわからないが、とりあえずそう言って頷いておく。
それよりもそろそろクッキーを焼く時間なのでは、と空が振り向くと、ヤナはうむと頷いた。
「そろそろ焼けるだろう。台所に行って雪乃に聞いてみるのだぞ」
「うん!」
空は幸生に手を振って裏庭を後にする。
それに手を振り返し、小さくなる空の後ろ姿を見ながら幸生は一つため息を吐いた。
「さ、じゃあ型を抜きましょうか」
「はーい!」
綺麗に洗って拭いた手を、空はピッと元気良く挙げる。
雪乃は冷蔵庫から休ませた生地を取り出すと、用意していた木の板に粉を振ってそこに置いた。そして麺棒で丁寧に伸ばしてゆく。
「厚さは薄すぎず厚すぎず……このくらいかしら?」
生地はあっという間に四ミリくらいの厚さに均等に伸ばされた。洋菓子はあまり作らないという割に雪乃の手際はとても良い。それだけこのクッキーを紗雪のために作ってきたのだ。
「さ、空。その型で好きな形に抜いてね。柔らかくなると抜きにくくなるから、なるべく早めに抜くといいわ。抜きにくくなったらばぁばが冷やすから教えてちょうだい」
「うん、がんばるね!」
空は椅子の上に膝立ちで上がると、手にした型をクッキー生地の端に当て、上からぎゅっと押し込む。それからそっと持ち上げると、クッキーの生地にぽこりと穴が空いた。
「ぬけた!」
後ろからそっと生地を押すと、花の形の生地がポロリとこぼれ落ちる。
「上手上手! お花の形ね」
「うん! ほしもやる!」
「ほう。空はなかなか上手いのだぞ。紗雪はど真ん中からいきなり全力で抜いて、おまけに周りの生地を潰してひどいことになっておったのに……なかなかやるな!」
「ふふ、紗雪は何でも全力すぎる子だったから……」
そんな思い出話を楽しく聞きながら、空は次に星を、それから小鳥を、と幾つも型を抜いた。
一つ、二つと抜いているうちに力加減にも慣れ、段々と楽しくなってくる。空は、こういうのは意外と自分に向いているのでは、とクッキーを抜きながらふと思った。
うっすらしたものでも前世の記憶があるため、同じ歳の子供より判断力や認識力が高いのだ。そのため、クッキーの生地の端からなるべく無駄がないように抜く、などの工夫ができる。
「ぼく、くっきーむいてるかもね!」
「うむうむ。沢山出来たら明良たちにもお裾分けすると良いのだぞ」
「みんなよろこぶかなぁ」
「楽しみね」
「うん!」
小鳥のクッキーを綺麗に抜いて、空はそれを台所の入り口に座るフクちゃんに見せた。
「ほら、フクちゃん、ことり!」
「ホピッ!」
小鳥の形をしたクッキーをみて、フクちゃんが嬉しそうに羽をパタパタと開く。
それを見たテルちゃんも両手をピコピコと動かした。
「テルハ? テルノハ?」
「え、テルちゃんは……あ、テルちゃんはこれ、はっぱ!」
葉っぱの形をしたクッキーを慌てて見せると、テルちゃんが嬉しそうにくるりと回る。
「ヤッター! テルノハ、ハッパ!」
空は喜ぶその姿を見て、葉っぱと小鳥を多く作ろうとまた型を手に取った。
そうして空が一生懸命抜いたクッキー生地は、雪乃によって回収され手早く天板に並べられてゆく。
米田家の台所には、一応オーブンのような形をしたものがあるのだ。雪乃がクッキーを焼くために注文して作ってもらった、金属製の箱のような物だ。クッキーという物はそういう形のかまどで焼く、と教わったので特注したのだ。
雪乃はその中を魔法で予熱し、そこにクッキーを並べた天板を三枚入れると、さらに魔法を使って慎重に熱した。温度計も何もないので、焼け具合を確かめながら丁寧に焼いてゆく。
しばらくすると段々と台所に香ばしく甘い香りが漂ってきて、空は生地を抜く手を止めて鼻を動かした。
「ほわぁ……いいにおい……」
嗅いでいるだけでお腹が空くような、そんな魅惑的な香りだ。
「もうすぐ焼けるから、どんどん次を抜いてね」
「うん!」
逸る気持ちを抑え、ヤナの手も借りて空はせっせと生地を抜いてゆく。沢山出来たら、少し東京にも送ってもらおうかなと、そんなことを考えながら。
「おわったー!」
「はい、お疲れ様。じゃあ最後に残ったのは、丸めて伸ばしてしまうわね」
型抜きしては、生地をまとめ直して雪乃が少し冷やして伸ばす。そしてまた型を抜く。
そんなことを繰り返していくと生地は段々と少なくなり、やがて全て綺麗に型を抜き終えた。
最後の一かけはもう型抜きするほどの量がないので、それは雪乃がサッと手早く丸めて、軽く押しつぶして天板に載せる。
「最後のもすぐ焼き終わるから、そろそろクッキーでおやつにしましょうね」
「うん!」
(焼きたてのクッキー、すっごく良い匂い……)
空は両手をゆっくりと振り上げ、すうっと深呼吸をした。胸の奥までクッキーの焼ける匂いが広がり、ものすごく幸せだ。いつまでもこの匂いを嗅いでいたいと思う。
「どれ、ヤナが用意してやろう。空の飲み物は、温めた牛乳で良いかの?」
「うん! ほっとみるく、すき!」
「ならここに座って、少し待つのだぞ」
ヤナは小鍋に牛乳を注ぎ、火に掛けて温め始めた。それから小皿を出しそこに最初に焼いてほどよく冷めたクッキーを数枚取り分けてくれた。
「とりあえず、味見すると良いのだぞ」
「ありがとう! いただきまーす!」
空は大喜びで花形のクッキーを一枚手に取り、さっそく口に運んだ。一口齧ると、サクッとクッキーが崩れる。雪乃のクッキーは少し固めの焼き上がりで、食感がとてもサクサクしている。
最初に感じるのは香ばしく焼けた小麦の香りと、優しい甘さだった。
砂糖の量はさほど多くないようで、確かに素朴なクッキーだ。しかしサクサクと噛みしめていると、奥からバターの風味と塩気が広がり、単なる甘さだけではない複雑な旨味を感じる。
「おいひい……」
そう呟いて手元を見ると、もうクッキーがない。
空はもう一枚、今度は小鳥の形の物を手に取ってまた口に運んだ。サクサク、サクサクサク、と食感が実に楽しい。香ばしくて、甘くて、ちょっとしょっぱくて、バターと小麦の味がして……ハッと気付くといつの間にか皿の上からクッキーが全て消えていた。
「ヤナちゃん、もうちょっとたべたい!」
「お? もう食べたのかの。どれ」
ヤナはまた同じくらいクッキーを皿に載せてくれた。今度は大事に食べよう、と空は決意して手を伸ばす。
しかし、サクサクと三口ほど食べたところで気がつくとクッキーはまた皿から消えていた。ホットミルクは完全に忘れ去られ、口も付けられていない。
「もうない! なんで!?」
「何でもなにも、空が自分で食べていたぞ?」
空は愕然として空っぽになったお皿を見つめた。三口ほどしか食べていなかった……と思ったのは空の体感で、実際はものすごく高速でサクサクサクサクと口を動かし、クッキーをあっという間に食べ尽くしたのだ。
「や、ヤナちゃん! もうちょっと、もうちょっとちょうだい!」
「ふむ……良いか、雪乃?」
「そうね……空、今は次でお終いよ? また明日ね」
「うん!」
空は強く頷いてもう一度クッキーを貰った。サク……サク……と今度こそゆっくり味わって食べよう、と思うのだが、気付くと高速で口が動いている。
「ああ、おいひい……とまんない……」
空はうっとりと宙を見つめ、もぐもぐと口を動かし続けた。両手にクッキーを握りしめ、交互に口に運んでいる。
「雪乃、やはりこれはまずいのではないか?」
「そうね……このクッキー、何故か最初に食べる人は皆こんな感じになるのよねぇ」
やがて空は最後の一枚も食べ尽くし、空っぽになった皿を絶望したような表情で見下ろした。
「あああ、なくなっちゃったぁ……ばぁば、もうちょっとだけちょうだい!」
「駄目よ空、もうお終い!」
「そんなぁ! もういちまい! いちまいだけ!」
雪乃は駄目、と言って焼き終わったクッキーに風を当てて手早く冷ますと、全部まとめて袋に入れて棚の高い場所にしまいこんだ。
「あああ、くっきー! ぼくのくっきー!」
「空、諦めよ! また明日にするのだぞ!」
「やだやだぁ~!」
空はクッキーをしまった棚の前でピョンピョンとジャンプしながらワガママを言った。