一 差別的なキャベツ

「空、今日は天気が良いのだぞ。庭にでも行くか?」

「うん、おにわでたいな。フクちゃんもいこ!」

「ホピッ!」

朝食後、空はヤナに誘われてフクちゃんを連れて庭に遊びに出た。

雪乃は今朝は用事があるとのことで、山菜採りは後日行く約束になっている。だから今日はひとまず日課の散歩に出ることにしたのだ。

山の空気はまだひんやりと冷たいが、庭の日が当たる場所はぽかぽかと暖かい。

眠っていた草木もその日差しに釣られるように目を覚まし、冬の間は寒々しかった米田家の庭も段々と色鮮やかになりつつあった。

「あ、じぃじ……なにしてるの?」

空は裏庭に入ってすぐに、まだ作物の少ない畑の一角で地面に手をついてしゃがみ込んでいる幸生を見つけた。

いや、よく見れば幸生は手をついているのではなく、何故か片方の手を手首の辺りまで地面に埋めているようだ。

その姿に首を傾げつつ空が近づくと、幸生は顔を上げて空に頷いてみせた。

「これは、畑に魔力を注ぎ、魔素を調整している」

「まりょく……?」

空は手首まで地面に埋めた幸生をまじまじと見つめ、それから周囲をぐるりと見回し、何となく片足を上げて下を見た。しかし地面には特に変化は見当たらない。

「まそのちょうせいって、それすると、どうなるの?」

「畑の作物の育ちが良くなるのだぞ。あとは野菜たちの気性もそこそこ安定するしの」

「きしょう?」

当てる字がわからず空が首を傾げると、ヤナは何と言ったら伝わるか少し考えた。

「ええと、野菜たちが多少大人しくなるとか、幸生によく従うようになるとか、そういう感じかの」

空はヤナの言葉に目を見開き、そして去年触れた個性的な野菜の数々を思い返した。

「おやさい……あれでも、おとなしいの?」

「うむ、ここのはよく躾けられて、大人しい部類だそうだぞ。敷地から脱走したりせぬしな」

「そっかぁ……」

大人しくない野菜の生態は少々気になるが、とりあえずこの家の野菜が空の口に入るならそれで良いかと気にしないことにしておく。

それよりも大事なのは、今年ここで作られる野菜たちの種類だ。

「ね、じぃじ、ことしもとまとつくる?」

「ああ。トマトもキュウリも作る。空が好きなものは皆植えよう」

「やったぁ!」

いつもと変わらず孫に大甘な幸生の言葉に、空は思わず大喜びでぴょんと跳びはねた。そんな空の頭をヤナが優しく撫でる。

「空は何でもよく食べるが、後は何がいいかの? ここでは難しい物もあるが、野菜も果物も、徐々に増やすそうだぞ」

「うーん……くだものなら、あまいの……いちごとか?」

苺は厳密には野菜かもしれないが、とりあえず食べやすくて好きなので何となく挙げてみる。

しかし空の言葉に幸生とヤナは顔を見合わせると、ううむ、と小さく唸った。

「苺か……あれは難しい」

「空の願いは叶えてやりたいが、ヤナの縄張りにアレを入れたくないのだぞ」

二人は口々にそう言って、渋い顔をした。その言葉と表情に、空は慌てて首を横に振った。

「えっと、むりならいいよ! ぼく、ほかのでいい!」

「うむ……苺は専門で作っている家がある。今度見せてもらうか」

「そうさの。見に行って、切り取った実を家に持ち込むだけなら構わぬからな」

ヤナのその嫌がりっぷりに、空はまだ見ぬ苺が少しだけ怖くなった。

「苺は駄目だが、他はないか?」

空はまた問われて、幸生の畑をくるりと見回した。

今畑で目に入るのは、タマネギや菜っ葉、植えたばかりの何かの苗などだ。空はそれらを眺め、自分が食べたことのある野菜について考えた。

「うーん……あ、じゃあきゃべつは? ぼく、きゃべつすき!」

春のキャベツの味がふと脳裏を過り、空は両手を胸の前に持ち上げて丸を描いた。思いついてみれば、幸生の畑でキャベツはまだ見たことがない気がした。春キャベツは今から植えても無理だろうが、もしかしたらこれから植えられるものもあるかもしれない。

そう考えて空が幸生たちを見上げると、しかし二人はまた難しい表情で顔を見合わせる。

「キャベツか……あれも難しい」

「うむ……別な意味で難しいのだぞ」

「きゃべつもだめなの? でもばぁば、きゃべつとかぶのおつけものとか、ろーるきゃべつとか、おにくといためたのとか、つくってくれたよね?」

米田家の食卓に時々並ぶキャベツ料理を思い返し、空は首を傾げた。

「キャベツはウメの家で作っておるのだぞ。美枝が育てるのが得意だから、雪乃はそれを分けてもらっているのだ」

「みえおばちゃんがとくい……じゃあじぃじは、にがて?」

「うむ。キャベツは何というか少々差別的で……人を選ぶ」

差別的なキャベツ。

空はその妙に語呂のいい、そして未知の言葉にぽかんと口を開けた。



「こんにちはー! アキちゃーん!」

空は矢田家の玄関の扉をカラカラと開けると、元気良く呼びかけた。

今日は土曜日で保育所はお休みだと聞いている。明良は家にいるはずなのだ。

「はーい!」

少し待つと奥から返事があり、パタパタと走る音が聞こえてくる。

「あ、そら! いらっしゃい!」

「うむ、お邪魔するのだぞ」

「ホピピッ!」

明良は玄関まで走ってやってくると、空たちを見てパッと笑顔を浮かべた。

「そら、あそびきてくれたの?」

「うん。あとえっとね、ちょっとぼく、おねがいがあって」

「おねがい?」

空が何と言ったらいいか悩んでいると、ヤナがそんな空の頭を撫でた。

「あのな、矢田家の畑でキャベツを育ててるであろう? それを空に見せてやってほしいのだぞ」

「キャベツ? あるけど、なんで?」

「ぼくんち、きゃべつないから、みてみたくて」

空はどうしてもキャベツがどのように差別的なのかが気になって、見たいとヤナにお願いしたのだ。

それならばとヤナは幸生を留守番に残し、空を連れて矢田家を訪れたのだった。

「いらっしゃい、空くん。キャベツが見たいの?」

「キャベツなら畑に沢山あるんだよぅ。美枝とウメが世話をして、よく育っているよ!」

玄関で話をしていると、居間からひょいと明良の祖母の美枝と、家守のウメが顔を出した。

「こんにちは! みえおばちゃん、はたけみてもいい?」

「ええ、もちろん。じゃあ皆で一緒にうちの畑に行きましょうか」

空の願いに美枝は快く頷き、明良を促して玄関から外に出た。ウメも一緒に付いてくる。

「さ、どうぞ、こっちよ」

矢田家の庭は米田家よりも植物が多い。庭のうちの一番日当たりの良い場所にはウメの本体である梅の木が植わっているので、その周りはぽっかりと場所を空けてある。しかしそれ以外の場所には色々な木や果樹、様々な草花が所狭しと植えられているのだ。

それらを物珍しく眺めながら家の裏手に回ると、広い畑が広がっていた。

「わぁ……すごい! はたけがにぎやか!」

空は矢田家の家庭菜園を見て思わず目を丸くした。

広さは米田家とさほど差はないのだが、幸生の畑よりもずっと緑が多いのだ。野菜の端境はざかいのような季節だというのに、丁寧に区切られた幾つもの畑に、所狭しと作物が植わっている。

「すごいだろー? うちのばーちゃん、やさいそだてるの、すっごいうまいんだ!」

空の驚きに、明良が得意そうに胸を張る。それを見て美枝は少し照れたように、けれど嬉しそうに頷いた。

「私は植物とお話しできるからねぇ。仲良くなりやすいのよ」

「みえおばちゃんすごーい!」

美枝は緑の手の持ち主として、村の様々な植物たちとの労使交渉や立ち退き交渉に呼ばれる実力者だ。家で育てられる種類の野菜など、美枝にとっては可愛いものなのだ。

「ほら空くん、キャベツはあっちよ。ほら、あの濃い緑色のもりっとした葉っぱがそうよ」

「どこどこ? あ、あれ?」

美枝が指し示した区画に目を留め、空は植えてある植物を見つけて駆け出した。

「あ、空! そんなに不用意に近づくとキャベツが……」

後ろでヤナが何か言ったが、空にはもはや聞こえていない。

「わぁ、はっぱおっきーい! あ、きゃべついた!」

地面に植わっているキャベツの姿は、空が知っているものよりもずっと大きかった。四方八方に濃い緑色の葉がのびのびと広がり、その真ん中には少し色の薄い玉状のキャベツがまるで守られるように生えているのが見える。

収穫前のキャベツを前世含めて初めて直に見た空は興奮し、もっとよく見ようと近づき……そして足を緩めて首を傾げた。

「あれ? きゃべつ……みえなくなっちゃった?」

何故か近づけば近づくほど、今まで見えていた球状のキャベツが少しずつ見えなくなっていくことに空は気がついた。

「え、なんで? きゃべつどこいったの!?

空は慌てて周りを見回した。キャベツの植えられた区画はもう目の前だが、そこは先ほどまでとすっかり様子が変わっている。のびのびと伸ばしていたはずの葉は、気付けば固く閉じ、まるで空を拒絶するように丸まってしまったのだ。

「あーあ、やっぱり。そらみたいにちっちゃいこでもだめかぁ」

「うむ、やはりなぁ。キャベツはほんに気難しいのだぞ」

「明良でも駄目なんだよぅ」

空を追いかけてきた皆がキャベツの様子を見て、口々にそう言ってため息を吐いた。空はそんな皆を振り返り、それからまたキャベツを見て、そしてそっと手を伸ばした。

外側の大きな葉っぱで真ん中の玉を隠すように丸まったキャベツを、ツンツンと指でつつく。固くしまった葉っぱの包みは大きく、大人の膝丈ほどもありそうだ。

キャベツの根元に歩み寄ったフクちゃんがとても小さく見える。フクちゃんは不思議そうにキャベツをツンツンとクチバシで突いたが、やはり葉は固く閉じたままだった。

「きゃべつ、かくれちゃった……」

「ホピ……」