ここはアーサヘイム帝国の辺境の地。代々サウエル家が辺境伯として治めている領地だ。

 緑が溢れ実り豊かな大地、南端には帝国唯一の港があり、交易船が何隻も停泊し賑わっている。

 この地を治めている辺境伯は、リリアスが知り合ったアラウィン・サウエルの父親だ。その頃のお話だ。

 アラウィンがまだ13歳。将来夫人となる婚約者のアリンナも同い年で、その頃から仲睦まじく微笑ましい二人だった。

 豊かな辺境の地だが、危険な側面も持ち合わせている。辺境伯領の外れにある森には、魔物が生息している。

 その魔物のスタンピードが起こり、両親を亡くしたケイアが辺境伯家に引き取られたのもこの頃だ。

 ケイアの父親は、辺境伯の実弟だった。実弟の子ケイアを不憫に思い、引き取ったのだ。

 その時、ケイアはまだ8歳だった。スタンピードで父親を亡くし、ショックと心労からか母親まで後を追うように亡くなった。

 まだ現実を受け止める事も出来ず、自分の気持ちを持て余していた。何が起こったのか、理解しきれていないのだ。

 ただ分かっている事は、もう二度と両親に会う事はできない。それだけだった。仕方がない。まだ8歳だ。

 今日もケイアは一人、邸の裏庭の外れにある木の場所までやってきた。この木は、5本並んでいて別名『光の樹』と呼ばれている。

 1人その樹の間をトボトボと歩いているケイア。何をするでもない。ただ、邸の中に自分の居場所はないと感じていた。その日は特にそうだった。

 次期辺境伯でもある嫡男アラウィンの婚約者であるアリンナ嬢や、領内の貴族達がやって来ているからだ。

 辺境伯家の人々にはよくしてもらっている。アリンナもそうだ。何かにつけて、気を掛けてくれる。それは、まだ8歳のケイアにもよく分かっていた。

 それでも、居場所がないのだ。自分の家ではない。自分の両親はどこを探してもいない。

 その現実が受け止めきれず、寂しい。この先ずっと続くのだと疑いもしなかった幸せな日常が、突然足元から崩れ落ちた。その喪失感だ。

 まだ幼いケイアには、その気持ちをどうすれば良いのか分からなかった。

「ケイア、こんなところにいたのね」

 アラウィンの婚約者、アリンナがケイアを探しに来てくれたらしい。

「……」

「この場所が好きなの? 私も大好きなの。この樹を知っているかしら?」

「え……?」

 この樹が特別だとは、ケイアは知らなかった。アリンナが『光の樹』の話をする。

「だから『光の樹』と呼ばれているのよ」

 ケイアと二人、しみじみと樹を眺める。そこに、場違いな声がした。

「ありぇ? ここどこぉ?」

 5本の樹の間から、小さな子供が歩いてきた。いつの間に来たのだろう?

 仕立ての良い服を着ている。どこかの貴族の子供だろうか? 今日邸に招かれている客人の子供かも知れない。

 太陽の陽に照らされて、キラキラ光るグリーンブロンドのふんわりした髪に、ぱっちりとした翡翠色の瞳。気の所為だろうか、体まで微かに光っている様にも見える。まるで、この世のものとは思えない位だ。

 そんなとっても可愛らしいちびっ子が、トテトテと歩いてきた。

「あー、こんちは~!」

「ふふふ、こんにちは。元気ね」

 底抜けに明るい声で、挨拶をしながら手を振っている。それまで、沈んでいたケイアまで、口元に微笑みを浮かべている。

「どうしたの? 迷子になっちゃったかしら?」

「うん、にーしゃまときたんらけろ。いちゅのまにか、いなくなっちゃった」

 そう言って、ニヘラ~と笑っている。

「あら、大変だわ。心配されているわね」

「らいじょぶ。にーしゃまはしゅごいかりゃ、しゅぐにみちゅけてくりぇりゅ」

「まあ!」

「ふふふ」

「じゃあ、お兄様が迎えに来られるまで、お喋りしましょうか」

「うん」

 ちびっ子は、5本の樹を見上げる。

「ひょぉー! おっきいねー」

「そうでしょう? 私達が生まれるずっと前からここにあるのよ」

「じゅっとまえ?」

「そうよ」

 樹の周りをトコトコと歩くちびっ子。

「ねえ、おねえしゃんたちもきょうらい?」

「そうね、大きくなったら姉妹になるのよ」

「おおきくなったりゃ?」

「そうなの。でも、今でも大切な妹なのよ」

 そう言って、微笑みながらケイアの手を握るアリンナ。

「ボクも!」

 二人の手に、小さなぷくぷくとした手が重なる。まだ、幼児特有のエクボが手の甲にある。温かい小さな手。その手が、二人の手を繫ぐ。

「あ……」

「ケイア、あなたは大切な妹なのよ」

「は、はい……」

「なかよしね~」

 ニコニコと二人を見ながら手を繫ぐ。

 ケイアは頰をほんのりと赤くしながら俯いてしまった。こんな人の温かさを忘れてしまっていた。辛すぎる事が、ケイアの心を占めていてそんな事も思い出せないでいたんだ。

「あのねー、ボクのねえしゃまは、しゅぐにギュッてしてくりゅんら」

「まあ、仲良しなのね」

「んー。れも、しゅぐにギュッてしゅるのはいや」

「ふふふ、嫌なの? お姉さまは、きっとあなたが好きなのよ」

「ボクもねえしゃましゅき。れも、ギュッはいや」

「あらあら」

「ふふふ」

「ああ、こんなところにいたのか。探したよ」

「あー、にーしゃま!」

 小さな手が離れていく。どこからかやって来た、兄らしき人物。手入れの行き届いたサラサラとしたブロンドの髪を片方に持ってきて結んでいる。物腰からして、上流階級の子息だと一目で分かる。

「おねーしゃーん! じゃーねー!」

 兄に、抱っこされて手を振っている。まるで、春の嵐の様だ。

 どこからやって来て、どこへ帰るのか? 一体、誰だったのか?

 何も分からない。ただ、アリンナとケイアの二人には温かい出来事だった。

 ちびっ子の少し体温の高い手が、もうとっくに離れているというのに、二人はまだ手を繫いでいた。お互いの存在を確かめるかの様に。

「ケイア、私達も中に入りましょう」

「はい……」

「ケイア、私の事はお姉さまと呼んでくれると嬉しいわ」

「ア、アリンナさま……」

「ふふふ、その内にね。ゆっくりとでいいわ」

「は、はい(お姉さま)」

 心の中で、そう呼ぶケイア。今はそれで充分だ。

 その後、二人はこの出来事を忘れてしまったのかも知れない。

 暖かい春の日、5本の『光の樹』だけが見ていた出来事だった。