
5歳になった俺は、父の学友でもある辺境伯アラウィン・サウエルの依頼で辺境伯領に来ている。
辺境伯領で、森に入った兵達だけでなく他の領民にまで広がるかぶれの被害を調査しに来ていたんだ。森に入りかぶれの原因を突き止め、その時に出会ったのがユキヒョウのユキだ。
神獣なのに、胸に呪いの弾丸を受けていた。それを解呪して取り出したら、俺に加護を授けてくれたんだ。それからユキはいつも俺のそばにいる。
辺境伯領は帝都と違ってとても過ごし易い。気候も良いし、何と言っても食べ物が美味しい。俺は辺境伯領を案内してもらったり、ユキに乗って遊んだり、とても楽しく過ごしていた。
だが、かぶれとは違った問題が表面に出てきたんだ。
辺境伯サウエル家に、もっと深く根を下ろしたような問題……それが、辺境伯のいとこに当たる薬師のケイア。
ケイアは幼い頃に両親を亡くし、父親の兄である前辺境伯に引き取られサウエル家で育った。
いつからかは分からないが、ケイアの心は荒んでいた。気に入らない薬師を退職に追い込んだり、辺境伯夫人のアリンナ様への長年の嫌がらせが発覚したんだ。自分がアラウィンと婚姻するはずだったなんて事から、挙句にはクーファルは自分を迎えに来てくれた皇子さまだとか言い出したらしいんだ。何をどう考えたらそうなるのか、俺には理解できなかったよ。
俺はケイアの意識を変えようと、森の調査に同行してもらったんだ。それが、いけなかったのかも知れない。
ある日、血迷ったケイアが辺境伯夫人のアリンナ様にナイフを突きつけた。夫人の部屋で、ナイフを振り回しそこにフィオンが割って入りケイアの頰をぶった時のことだ。怒り狂ったケイアがフィオンに切りつけた後、床には血飛沫が点々と付いていた。一体何がどうなったのか?
フィオンを庇う様に立ちはだかり、ケイアのナイフを握っているのはアルコースだった。その手からは真っ赤な血が滴っていた。
咄嗟にフィオンを庇って、ケイアのナイフを手で止めたんだ。
ケイアは現状に驚いて目を見張って動けずにいる。まだ手にナイフを持ったままだ。
アルコースがフィオンの前に、庇う様に立ちケイアを鋭い目つきでじっと見る。
「フィオン様には指一本触れさせない!」
アルコースがそう言うと、ケイアを後ろ手に押さえ込みナイフを奪い取った。
「何すんのよ! 放して! 放しなさいよ!!」
ケイアが髪を振り乱して、抵抗しながら叫んでいる。兵がケイアの両脇を抱え連行していった。
「フィオン様、無茶はしないで下さい」
「アルコース殿、手から血が!」
フィオンが、アルコースの手を震える両手で握り締める。
まるで、アルコースの手から流れる血を止めようとしているかのように。
「たいした怪我ではありませんよ」
「フィオン様! お怪我はありませんか!?」
「夫人もアルコース殿も、手当してもらいましょう!」
「フィオン様……有難う……有難う御座います」
フィオンに礼を言う夫人の目から涙がこぼれ落ちた。
黙って見守っていたクーファルが大きな声で呼ぶ。
「レピオス、いるか!?」
「はい! クーファル殿下」
「夫人を頼む」
「はい!」
レピオスが中に入っていく。夫人は怪我をしていたのか? その時、夫人が崩れる様に倒れた。
「母上!」
アルコースが叫ぶ。近寄っていたレピオスが、咄嗟に夫人を抱きとめた。
「リリアス殿下!」
レピオスが俺を呼ぶ。ビックリした。目の前の光景に驚いて反応できなかった。動けなかったんだ。ああ、アルコースの怪我を治さないと。
「夫人にハイヒールを!」
夫人に!? ハイヒールだと!? 俺は慌てて部屋に入り夫人に近寄って確認する。
見ると夫人の脇腹から、血が流れていた。ドレスに隠れた床には小さな血溜まりができていた。
「そんな!! 酷い!」
『ハイヒール』
ブワンと光が夫人を包み込み、傷を癒やしていく。
「殿下、有難うございます」
「レピオス、大丈夫なの?」
「はい。かなり血を流されてますから、後は時間をかけて薬湯で治す方が良いでしょう。アルコース様、ご夫人をベッドに」
「待って! アルコース殿も!」
アルコースだって、フィオンを庇って手から血を流しているんだ。それを治さないと。
『ヒール』
「殿下、有難うございます」
アルコースは、なんともない様子で夫人を抱き上げ連れて行く。夫人の侍女らしき女性が駆け寄っていった。俺はそれを、ただじっと見ていた。俺は何も分かっていなかったんだ。
「リリ、有難う」
「いえ、姉さまは気付いていたのですか?」
「リリ、夫人の怪我かしら?」
「はい。ボクは全然分かりませんでした」
「ドレスで隠していらしたのよ。こうなっても、まだ助けたかったのでしょうね」
「そうだね。でも、ここ迄くると、もう駄目だね」
「兄さま」
「もう、守る意味がない。守っても増長して、どんどん悪くなるだけだ」
「兄さま……」
「あとは、兄さまの仕事だよ。二人共、部屋に戻りなさい」
「兄さま」
「リリ、戻りなさい」
「さぁ、リリ。行きましょう」
「姉さま……」
俺は、オクソールとリュカに連れられて部屋に戻ってきた。
フィオンが俺の肩を抱いてくれている。
「フィオン様、お怪我はありませんか?」
「ニル、有難う。大丈夫よ。温かい紅茶を頂けるかしら?」
「はい、畏まりました」
ニルがフィオンに紅茶を、俺にはりんごジュースを出してくれた。いつの間にか小さくなっていたユキは、ニルの姉に撫でられながら、りんごジュースをもらっている。
「姉さま、無理矢理部屋に入ったのは……」
「夫人の命が危ないと思ったのよ。少し強引だったけど、他に思いつかなかったの。ごめんなさいね。アルコース殿も傷付けてしまったわ」
「どうして、姉さまが謝るのですか? 姉さまはアリンナ様を助けました」
「でも、リリはケイアも助けたかったのでしょう?」
「姉さま……ボクは分かりません」
「リリ?」
俺はケイアの事情をよく知らないんだ。どうして、あんなに辺境伯や夫人が、ケイアを庇うのか理解できなかった。だから、俺はケイアの問題を、後回しにして避けていたのかも知れないんだ。
「リリ、何もかも全て円満にはいかない事も沢山あるわ」
「でも……姉さま。ケイアはケイアで苦しいのかと思ったのです」
「そうかも知れないわね。でも、ケイア以上に夫人は苦しかったのではないかしら?」
「はい……」
「私達が駆けつけた時には、もうケイアは夫人を傷付けた後だったわ。それはどんな理由があっても、してはいけない事よ。リリもよく分かっているでしょう?」
「はい……」
「リリ、仕方ないのよ。もう問題が拗れすぎていたわ」
「姉さま、ボクが調査にケイアを連れて行かなければ……」
「リリ、それは違うわ。もう遅すぎたのよ。それにね、後は辺境伯一家の問題だわ。リリの
「はい……姉さま」
分かるさ。分かってはいるが……ケイアだって魔物に両親を殺された被害者だ。そう考えると、なんとかならないかと思ってしまうんだ。甘いけどさ。
その後俺は、クーファルとフィオンと一緒に昼食を食べたが、全然味が分からなかった。
そして、俺がお昼寝から起きたらアラウィンとアスラール、そして側近のハイクが戻ってきていた。邸の中が騒然としていた。
「殿下、行かれない方がよろしいかと」
アラウィンに会いに行こうとする俺を、ニルは止めた。
「ニル、どうして?」
「クーファル殿下と辺境伯様のお仕事です」
「ニル」
「フィオン様が仰っていた様に、仕方のない事です」
「ニル……」
俺は仕方なくソファーに座った。
──コンコン
「失礼致します。殿下、起きておられますか?」
辺境伯側近のハイク・ガーンディだった。
「どうしたの?」
「殿下、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
ハイクが深く頭を下げた。
「ハイク、謝らないで。ボクもアリンナ様が傷付いているのに気付けなかった」
「殿下、何を仰います」
「ボク、何も出来なかったよ」
「いいえ。そんな事はありません。奥様を助けて下さいました。奥様がお目覚めになられました。殿下にお目に掛かりたいと申しております。宜しければ、お部屋までお願いできますでしょうか?」
「うん。分かった」
ユキをニルに頼み、俺はリュカと一緒にハイクの後を歩く。
俺は本当に何も出来なかったんだ。夫人を助ける事も出来なかった。
「殿下、しっかりして下さい」
考えながら、トボトボと歩いていたらリュカに突っ込まれてしまった。
リュカが俺の背中に手をあて、トントンしてくれる。ヤバイぜ。マジ幼児だぜ。
「殿下は何も悪くないのですよ。殿下は神ではありません。立ち入れない事があって当然なのです」
「リュカ、そんなつもりはないよ」
「では、しっかり背を伸ばして。いつもの殿下でいらして下さい。でないと夫人が心配されますよ」
「そっか。そうだね。リュカ、ありがとう」
「はい、殿下」
そうだ、しっかりしろ。前世の俺の、息子位の歳のリュカに励まされてどうすんだ。
リュカの言う通りだ。夫人に心配を掛けては駄目だ。
「リリアス殿下をお連れしました」
「入って頂きなさい」
アラウィンの声だ。中にはアラウィンだけでなく、アスラール、アルコースも夫人のベッドの側にいた。俺はリュカを連れて部屋に入る。
「殿下、大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
アラウィンがそう言って頭を下げる。アスラールもアルコースも、一緒に頭を下げていた。
「アラ殿、やめて下さい。ボクは何も迷惑なんて……」
「いいえ、お心を掛けて頂き感謝致しております」
「アラ殿。本当にボクは何も。アリンナ様のお身体はどうですか?」
「有難うございます。殿下がハイヒールを掛けて下さったお陰で、大事には至りませんでした」
「良かったです」
「殿下、お話しして頂いても宜しいでしょうか?」
「うん、もちろんです」
アラウィンに促され、夫人が横になっているベッドの側に行く。まだ顔色が悪い。思った以上に血を流していたのだろう。話しても大丈夫なのか?
そう思っていると、ベッドの中の夫人が弱々しく手を差し出してきた。
「アリンナ様、大丈夫ですか? まだ顔色が悪いです」
そう声を掛けながら、俺は夫人の手を握った。
「殿下、申し訳ありません。大人の嫌なところを、お見せしてしまいました」
夫人の手が冷たい。到着した時に手を繫ぎ、邸に案内してもらった時はあんなに温かかったのに。
「そんな事ありません。アリンナ様はご立派です」
「まあ……殿下有難うございます。殿下、どうかご自分を責めたりなさらないで下さいませ」
「アリンナ様……」
「殿下は何も悪くありません。悪いのは、不甲斐ない私達なのですから」
「そんな事ありません」
「……どうか、殿下。まだ子供でいらして下さい。慌てて大人になる必要はありません。笑って元気な子供でいらして下さいね」
「はい……」
「私も頑張って早く元気になります。そしたらまた笑顔を見せて下さい。一緒に街へお出かけしましょう」
「はい」
「後はクーファル殿下と主人が片付けてくれます。殿下はもうお気になさいませんよう」
「分かりました。早く元気になって下さい」
俺は笑顔を貼り付けた。
「はい、殿下。有難うございます」
俺は夫人の部屋を出た。
「殿下、有難うございました」
「アラ殿、ケイアはどうしてますか?」
「それが……人を傷付けてしまったので、牢屋に入っているのですが……」
それは仕方がない。だけど、ケイアにとっては辛いことだろう。
「狂った様に喚き散らしております」
「えっ……!?」
「暫くハイクが宥めていたのですが、何も耳に入らない様で」
「今も変わりないのですか?」
「はい。殺してやると……」
「そうですか」
「殿下?」
「アラ殿は、アリンナ様に付いて差し上げて下さい。一番の被害者はアリンナ様なのですから」
「はい、殿下」
アラウィンが、頭を下げて戻って行った。俺は部屋を出て少し早足に廊下を歩く。
「殿下?」
「リュカ、兄さまは?」
「お部屋ではないでしょうか?」
「そう、行ってみる」
「殿下、どうするおつもりですか!?」
「分かんない」
「じゃあ、部屋に戻りましょう」
「いや、兄さまに会いに行く」
「殿下!」
なんだよ、リュカ。腹が立つんだよ! 分かんないんだ!
俺は自分の気持ちが分からないままクーファルの部屋に向かった。
「兄さま、いらっしゃいますか?」
「ああ、リリ。入りなさい」
「兄さま! ケイアの事を聞きました」
「そうか。それで? リリは何もする必要はないよ」
「兄さま!」
「リリ、落ち着きなさい」
「でも、兄さま!」
「リリは何に腹を立てているんだい?」
「ボクは……ケイアに……」
「どうして?」
「だって兄さま! 間違ってます! アリンナ様は何も悪くないです!」
「そうだね」
「なのに……! ケイアが使ったナイフは、仕事の道具でした。大事な道具をあんな事に使うなんて! みんなに守られているのに、夫人にあんな事を!」
「リリ、だから?」
「兄さま! だから……だからボクは……!!」
「リリ……」
クーファルに抱き締められ、背中をトントンされた。ああ、俺はまた涙を流していたのか……
「ヒック……ゔっ、グシュ……」
「リリ、リリが泣く必要はない。リリが悲しむ事もない。いいかい? これは辺境伯の問題なんだ。そして、どんな理由があろうとケイアは罪を犯した。人を傷付けたんだ。分かるね?」
「……ヒグッ……はい、兄さま」
「リリは気持ちを掛けすぎる。それで自分の心を痛めてはいけない」
「兄さま……グシュ……」
「最初から話そうか。リリ、座りなさい」
「はい、兄さま」
クーファルはソファーに俺を座らせ、隣に座った。クーファルが手を握っていてくれる。
「父上がね、以前から辺境伯に話だけは聞いていたらしい。それに、フレイ兄上とアスラール殿は学友だ。話を聞いて、心配していらした」
「兄さま、そうなのですか?」
「ああ。父上がケイアの事を知った切っ掛けは父上と辺境伯の卒業式らしい」
「そんなに前なのですか!?」
そんなに前からなのに、何も手を打たなかったのか? その間、ずっとアリンナ様は我慢していたのか?
クーファルは父がケイアの事を知った切っ掛けを話してくれた。
父やアラウィンが通っていた学園には卒業パーティーというものがある。勿論、同じ学園に兄達も通っていた。フィオンもだ。フィオンは卒業パーティーの時に、どのドレスが良いか迷って大騒ぎをしていた。兄弟全員にどれが良いか聞いて回っていたんだ。それで俺も覚えている。
そのパーティーでは、パートナーをエスコートするのだそうだ。
貴族は大抵婚約者がいる。皆、婚約者を連れて卒業パーティーに出席するんだ。
父や辺境伯も勿論、婚約者をエスコートする予定だった。その時に領地から持って来られた、夫人が着るはずだったドレスが切り裂かれていたそうだ。
それで急遽、皇后様がドレスをお貸しして、パーティーに出られたという事があったらしい。
「ドレスをですか? まさか、それを?」
「ああ、ケイアがやった事だ」
「どうしてケイアだと分かったのですか?」
「ドレスを入れてあった衣装箱に、メモが入っていたんだ。アラウィンと婚姻するのは自分だ。パーティーで婚約破棄されるがいい。とね」
「そんな……思い込みを……」
「私もそう思うよ。先にリリに話しておけば良かったね。すまない」
マジかよ。俺だけ知らなかったのか。
クーファルが俺に謝る。そんな……違うよ。まあ、話しておいて欲しかったけど。
「いえ、兄さまが謝る事ではないです」
「リリ、有難う」
クーファルが、優しい目で俺を見ながら頭を撫でる。
それから辺境伯は領地に戻って、なかなか会う事が出来なかったから父は心配していたらしい。
父は、自分は動く事は出来ないが今回は良い機会だとでも思ったんだろう。まさか、こんな事になるとは、想像もしなかっただろうけど。夫人を殺そうとするなんてな。俺も思わなかったよ。
「こっちの状況を、ルー様が逐一報告されていたんだ」
「だから、よく行き来していたのですね」
「ああ。まあ、リリが発見した美味しい食べ物も目当てだったろうけど、それはついでだ。ルー様の好意とでも言うか。一番は、こっちの状況を知らせる事だったんだよ。まさか、精霊様を食べ物の配達だけに使う訳がないだろう」
はぁ……父も気にしていたんだな。
「リリ、もうとっくに駄目だったんだ」
「兄さま……?」
「ルー様が以前に指摘されただろう? もっと早い時期に、辺境伯がしっかり突き放さないと駄目だったんだ。可哀想だから、気の毒だから。そう同情して、甘やかして付け上がらせてしまった」
それにつけ込んでいる感じがするな。いや、縋っていたのか。
「兄さま、ケイアがアラ殿のお父上の代わりに、自分の父親が死んだと言ってました」
「ああ、それも事実ではない。最初から、ケイアの父親が指揮をとっていたんだ。いよいよ最前線に出るって時に辺境伯の父上が、危険だから代わると言ったんだ。しかしケイアの父親は、自分の役目だからと討伐に出た。だから、代わりに亡くなったと言う訳じゃない」
自分に都合の良い様に、すり替えていたのか。いや、まだ子供だったのだろう。そう思い込む事で自分の心のバランスを取っていたのかも知れない。
「辺境伯が気を使い過ぎなんだ。同情なんだろうが、勘違いさせるのはいけない。気持ちをかけ過ぎては駄目だ」
「兄さま、アラ殿が負い目があると言ってました」
「兄さまに言わせると、負い目を感じる必要もないね。魔物が相手なんだ。この領地には同じ境遇の者だっているんだ」
まあ、クールなクーファルならそうだろうよ。
「でも兄さま……やっぱり」
「リリ、何かな?」
「帰るまでにケイアに会っておきたいです」
「リリ」
「だって、調査に同行させると言い出したのは、ボクですから」
「リリ、それは切っ掛けにすぎないよ?」
それでも嫌なんだ。
「兄さま、今すぐでなくても良いです。帰るまでに会えればいいんです。おねがいします」
「リリ、分かった。但し、ケイアが今の状態のままだと、会う事は許せないからね」
「兄さま、そんなに酷いのですか?」
「ああ。酷いなんてもんじゃない。もう狂人だ」
ああ、そんなになんだ。心が悲鳴をあげているんだ。
「そんなになるまで、思っていたと言う事でしょうか?」
「思いと言うより、執着かな?」
「執着ですか?」
「ああ、プライドもあるんだろうね。ケイアは兄弟がいなくて、甘やかされて育ったらしいから。両親の死を、受け入れられなかったという事もあるだろうが。私が……私の方が……てね。リリ、分かるだろう? 嫉妬に繫がるプライドは良くない」
2年前、俺が狙われた時も、実の姉の嫉妬があった。
「殿下、そろそろ」
「ああ、ソール。もうそんな時間か。リリ、夕食だ。食堂に行こう」
「はい、兄さま」
クーファル、有難う。クーファルに話したお陰で、少し気持ちが落ち着いたよ。
と、感謝を込めて、クーファルに抱きついた。
「おや、リリ。どうした?」
「兄さま、ありがとうございます。兄さま、大好きです」
「そうか! リリは兄さまが大好きか!?」
「エヘヘ、はい、兄さま」
「リリはいい子だ」
クーファルに抱き上げられた。きっと食堂までこのままだ。リュカよ、生暖かい目で見るのは止めてくれ! やはり予想通り、クーファルに抱っこされたまま食堂へ入る。
「まあ、お兄様。ズルいですわ。私だってリリを抱っこしたいのに」
そう、フィオンの言葉だ。
頼むから止めてくれ。しかし、このフィオンの一言で場が和んだ。フィオン、有難う。
「フィオン様は、本当にリリアス殿下がお好きなんですね。少し、妬けてしまいます」
「アルコース殿、ご冗談はやめてくだい」
おやおや、フィオンが真っ赤になった。さっきは身体を張って、フィオンを助けたアルコースだ。
「さあ、殿下! 夕食をどうぞ。今日は先日の左ロンブスをムニエルにしましたッ!」
「シェフ、ありがとう。おいしそうだ」
この世界では、ヒラメの事を左ロンブスと言うんだ。ヒラメをムニエルとは、贅沢だなー。
「ムニエルですか?」
「おや? 辺境伯様。これもご存知ありませんか?」
「ええ、初めて聞きました」
「道理で……」
「シェフ、どうしたの?」
シェフが変な顔してるぞ?
「私がムニエルを作っておりましたら、料理人達が集まって来たので。何事かと思っておりました」
「そうなの? いただきます」
「シェフは何でもよく知っているのだな。これも、バターの良い風味でとても美味い」
「辺境伯、私ではありません。リリアス殿下です」
「リリ?」
「兄さま、ボクは知りません……」
うん、知らないからね。黙々と食べよう。美味いな。こっちのバターは本当に風味が良い。材料が違うんだろうなぁ。きっとミルクも新鮮なんだ。
「殿下は覚えておられないだけですねッ!」
「そうか。リリ、やっぱりリリみたいだよ?」
俺は知らないと、無言で首を横に振る。だってお口の中に沢山入っているんだ。
「兄上、いつもの事ですわ。だってムニエルも城では定番ですもの」
「フィオン、そうだな」
「ほんの数日、滞在されただけで、リリアス殿下は我が領地に沢山の恵みをもたらして下さいました」
「アラ殿、やめて下さい。大袈裟です」
「いえいえ、決して大袈裟ではありませんよ。今まで魚は、ソテーか干した物位しかありませんでしたから」
「あ! アラ殿。ボク干した物を見てみたいです!」
「ああ、そうでしたな。では見に行きますか?」
「本当ですか? 嬉しいです」
干物だよ。気持ちを切り替えて、干物ゲットしに行こう!
翌日、ケイアが今まで辺境伯一家に、特にアラウィンに隠れてしていた事実が
今回の事で、聞き取り調査をしたらしい。皆、我慢していたのだろう。次から次へと、ケイアの問題行動が挙がってきた。邸内の使用人や、薬師達、さらには領主隊からも報告が挙がったらしい。
やはり、薬師達が一番多かった。自分の道具を壊された。薬草を独り占めする。研究室を私物化している。研究なんてしていない、いつも訳の分からない本を読んで寝ている等から、仕事なんかしていない。全部自分達がやっていたと。全否定だ。
使用人からは、夫人への嫌がらせだ。本当は自分が婚姻する筈だった。アラウィンが愛しているのは、自分だ。早く出て行け。
そんな嫌がらせから始まって、最近では妄想も入っていたらしい。
クーファルは自分を迎えに来てくれた。アラウィンとクーファルが自分を取り合っている。自分は皇子妃になるんだ。等、呆れてしまう内容だった。
薬師達も使用人達も、辺境伯の血縁者だからと我慢していた様だ。それでも使用人達は、夫人とケイアを会わせない様にして守ろうとしていたそうだ。夫人とアスラール、アルコースは気付いていた。夫人は嫌がらせをされていたのだから、当然だろう。それを頑なにアラウィンに隠した。
俺には理解できない。アラウィンも少しは気付いていただろうに。
もっと早く対処していれば、こんな最悪の状態になるまでになんとか出来たかも知れない。
そして、その日の夕食後。
「クーファル殿下、フィオン様、リリアス殿下。少し応接室の方へ、お願い出来ますでしょうか?」
きたよ。とうとうきたな。当然、ケイアの事だろう。皆で、応接室へ向かう。
「此度は、大変なご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。また、お心遣いいただき有難うございました」
アラウィン、アスラール、アルコース、そして側近のハイク、領主隊隊長のウル。皆で頭を下げられた。
「心は決まったと、思って良いのか?」
「はい、クーファル殿下」
「そうか。では、話を聞こうか」
クーファル、こんな時は本当に立派な皇子だ。カッコいいぜ。
アラウィンが静かに話し出した。
「私は……ケイアに、どんなに振り回されても、守らなければと思って参りました。可哀想な子だからと。叔父の忘れ形見だからと。それが間違っておりました」
アラウィンは話を続けた。あれから、まだベッドにいる夫人を交えて話し合ったそうだ。
アラウィンの知らなかった事を、全て聞いたらしい。てか、アラウィン。それは駄目だろうと俺は思う。アラウィンの家族だけでなく、この邸で仕えてくれている皆にも、どれ程迷惑をかけていたか。夫人が傷付くまで、気付けなかった。
アラウィンは、家族に背負わせて、一人何もしようとしなかったと後悔の気持ちを語った。
領地経営が、魔物討伐がと、逃げていたのだと言った。そして……ルーが言っていた様に、全てアラウィンの責任だと。
ケイアは罪を犯した。罰を受けて当然だ。しかし、アラウィン自身も罰を受けなければならないと話す。ケイアに対して、もっと毅然とした態度で接しなければならなかったと。
「どうか、私も処分して頂けますよう。クーファル殿下、お願い致します」
そう言って、アラウィンは跪いた。
ケイアを、かわいそうだと思う事自体は悪くない。しかしだ……
「そうか。分かった。ルー様、お願いします」
ポンッ! と言ういつもの現れ方ではなく、大きな光がブワンと現れた。
そして、その光が消えた後には……
「父さま!」
俺は思わず、駆け寄って抱きついていた。帝都の城にいる筈の父が、ルーを肩に乗せて立っていた。久しぶりの父だ。相変わらずキラッキラしている。
「リリ、元気にしている様で良かった」
俺は父に抱き上げられた。
「父さま、なんで!?」
「ルー様に連れて来てもらったんだよ。リリ、よく頑張ったね。クーファル、フィオン、お前達もだ。有難う」
「父上、夫人が傷付けられてしまいました。申し訳ありません」
「父上、私も力が及ばず申し訳ありません」
クーファルとフィオンが父に頭を下げる。
「いや、充分だ。クーファル、よくリリを守ってくれた。フィオン、夫人を助けてくれて有難う。お前達に怪我がなくて良かったよ」
あ……俺、ヤバイ……堪えようとしても涙が勝手に流れてくる。
父の顔を見て、抑え込んでいた感情が溢れ出した。
「ゔッ……ヒグッ……父さま。ボクは……ヒック……何もできませんでした。申し訳ありません……ヒック」
頑張れよ、泣くなよ、5歳の俺!
「リリ、何を言うんだい。良いんだ。充分なんだ。泣かないでくれないか?」
「父さま……うぇ……ヒック」
俺は父の首に両手を回してしがみ付いた。父は、優しく俺の背中を撫でてくれている。
「リリ、言っただろう? 彼女はもう駄目だったんだ。手遅れだったんだよ」
ルーが、父の肩から俺の肩にピョンと移ってきた。
「ルー、全部分かってたんだね?」
「ああ、すまないな。でも、言ってもリリは納得できないだろう? なんとかしたいと思うだろう?」
「ルー……」
父は俺を座らせて、俺の横に座った。俺が父に身をすり寄せると、肩を抱いてくれる。
5歳の俺、めちゃ甘えん坊だ。
「アラ、助けが遅くなってすまなかった。夫人の怪我はどうだい?」
「陛下……申し訳ありません! 有難うございます!」
アラウィンは膝を突いたまま、ガバッと頭を下げた。
「アラ、よしてくれ。今は公式の場ではない。オージンでいい」
「いえ、私は自分が恥ずかしい」
「ハハハ、そうだな。私も息子達に助けられているから、偉そうな事は言えないが。アラ、無責任だったね。しかし、良く出来た奥方に、立派な息子達だ」
「ルー様の仰った通りだった。私は、私だけ何もしなかった。妻が、息子達が、皆が、必死で我慢してくれているのに気付けなかった。領主失格だ。いや、夫として父として失格だ。陛下、私を罰して下さい。お願い致します」
アラウィンはまた頭を下げる。
「アラ、君は何も罪を犯していない。強いて言うなら、何もしなかった事が罪か」
「陛下……」
「私も、吞気だと息子達に言われるよ。まあ、そう言う事だ。ケイアは帝都で罰する事になる。クーファル、騎士団と一緒に帝都まで護送しておくれ」
「はい、父上」
「陛下……」
「そうだな……じゃあ、私の可愛い子供達を、帰りも城まで護衛してくれるかい?」
「それは! 勿論です! 領地のために来て頂いたのですから!」
領主隊隊長のウルも、頷いている。
「アラ、卒業パーティーの時の事を覚えているかい?」
「はい、忘れられません」
「そうだね。私もだ。あのドレスの切り裂き方は、尋常じゃなかった。遠く離れてしまって、何も出来ずにいたが、これでも心配はしていたんだよ。まさか、こんな事になっているとは。私の自慢の子供達はどうだい? 良く出来た子達だろう? だが、アラ。水臭いじゃないか。もっと早くに頼って欲しかったよ。無理矢理にでも、あの時に引き離しておけば良かったと後悔したよ」
「勿体ないお言葉です」
「本当に……アスラール、アルコース。長い間、我慢させてしまったね。もう、君達家族を悩ませる者はいない。よく、頑張った」
「陛下!」
「陛下、有難うございます」
「アラ、今回君は確かに罪を犯した訳ではない。しかし、もっと早くに対処していれば、ケイアも此処まで歪む事がなかったかも知れない。何より、君の家族が苦しまなくて良かっただろう。その事を忘れてはいけない。二度と同じ過ちを犯してはいけない。約束してくれないか?」
「陛下、お約束致します。もう二度とこの様な事は!」
「アラ、もう、暫く子供達を頼むよ。観光にでも連れ出してやっておくれ。さて、リリは……ああ、寝てしまったか。小さいのに、よくやってくれた。クーファル、案内してくれないか? 神獣を見ておきたい」
「はい、父上」
俺はベッドの中で目が覚めた。やっちまった。また寝てしまったんだな。折角、父が来ていたのに。
「昨夜は、陛下が抱いて来られましたよ。突然、陛下がいらしたので驚きました。ユキを見に来られました」
「そう……」
「さ、殿下。食堂に参りましょう」
「うん」
部屋を出たらクーファルがいた。きっと心配をして待っていてくれたのだろう。
「兄さま、おはようございます」
「リリ、おはよう。さあ、食堂に行こう」
俺はクーファルに抱き上げられた。
「リリ、元気がないじゃないか」
「兄さま、せっかく父さまがいらしていたのに、寝てしまいました」
「そうだね。リリはまだ小さいから仕方ないよ」
「でも、兄さま。もっと父さまと、一緒にいたかったです」
「リリ、兄さまじゃあ駄目かな?」
「いえ、そんな事はないです。兄さまも好きです」
「そうか。じゃあいつもの様に元気になってくれないか? 今日は朝食が終わったら、一緒にニルズに会いに行こう」
「兄さま、おっちゃんにですか!?」
「ああ。兄さまにも紹介してくれるかな?」
「はい、兄さま!」
「よし、じゃあ元気出して、しっかり朝食を食べよう」
「はい!」
食堂に入ると、シェフが待ち構えていた。
「殿下ッ! おはようございますッ!」
「シェフおはよう」
いつでも平常運転のシェフには救われるよ。
「殿下、今朝はエッグベネディクトに、さつまいものガレットです。沢山食べて下さいッ!」
「シェフ、ありがとう」
「殿下、おはようございます」
「アラ殿、おはようございます。昨夜は途中で寝ちゃってごめんなさい」
「いえ、とんでもございません。殿下、食事が終わったらニルズに会いに行きましょう」
「はい! 楽しみです」
さあ、シェフの朝食を食べよう。そして、おっちゃんに会いに行こう。
俺が元気がないと、心配かけてしまうだろう。しっかり、食べよう!
「シェフ、これも初めて見る料理です」
「アスラール様、エッグベネディクトと言います。いつものパンよりも水分の多い丸いパンに、トロトロのポーチドエッグとベーコン等をのせて、オランデーズソースをかけたものです。美味しいですよ」
「ほう……」
「アスラール殿、これも城では定番だ」
「お兄様、定番ですわね」
「クーファル殿下、フィオン様、私は初めてです。シェフ、これもやはり殿下が?」
「アスラール様、勿論そうですッ!」
シェフ、勿論て何だよ。
「シェフ、さつまいものガレットもとても美味しいわ」
「フィオン様、有難うございますッ!」
「本当、シェフ美味しい!」
「殿下ぁッ、有難うございますッ!」
「ガレットと言うのですか?」
「はい、アラウィン様。バターで炒めたさつまいもに、チーズを加えて焼いてあります」
「さつまいもの甘みと、溶けたチーズがいいですね」
「アルコース様、有難うございますッ」
「いつもはじゃがいもだけど、さつまいももいいな」
「クーファル殿下、そうでしょう?」
「ええ、私はさつまいもの甘みが好きだわ」
「フィオン様、有難うございますッ!」
うんうん、美味いな。とろーりチーズがいい感じだ。チーズが超美味い。
「シェフ、これも?」
「はい、アスラール様。勿論殿下ですッ!」
また勿論とか言ってるよ。俺は全然知らないよ。記憶にないなぁ。
「フハハ、本当にリリアス殿下は素晴らしい!」
「……?」
「リリ、褒められてるよ?」
「兄さま、ボク何もしてないです」
「リリったら。でも、城では当たり前に食べていたのに、違うのね。珍しい物だったのね」
「フィオン、そうだね。定番すぎて、分からなかったね」
「兄さま、何ですか?」
「いや、リリはいいよ。沢山食べなさい」
「はい、兄さま」
エッグベネディクトのトロットロの卵が美味しい。俺はやっぱトロトロの卵が好きだね。ソースともよく合っている。
「殿下とシェフのお陰で、食卓がとても豊かになりました」
「父上、本当に。以前とは全然違います」
「それに兄上。こうして、平和な朝食は良いですね」
「アスラール、アルコース。これからだ。今迄以上に、領地を守り、住み良くしないと。陛下への恩返しだ」
「はい、父上」
「夫人のお加減はどうですか?」
「フィオン様、有難うございます。大分顔色も良くなってまいりました。レピオス殿が、血を増やすためにもゆっくり養生する様にと言ってくれています」
「そうですか、無理なさらない様に」
「はい、有難うございます」
「……ゴクン。ごちそうさま! シェフおいしかった!」
「はい、殿下。今日は私もご一緒しますよぉッ!」
「シェフ、そうなの?」
「はいッ! また新しい食材に出会えるかも知れませんので!」
シェフ、張り切ってるなぁ。いつものワゴンを押して戻っていった。