「キコさま、少しは落ち着かれたらいかがですの?」

「あ、ああ」

 苛立ちのあまり、ウロウロと室内を往復する俺に、キャリー嬢が呆れ顔を向ける。

 俺がこんなに苛立っているのは、あの劣等属性どものせいだ。

 あいつらが今日、迷宮ダンジヨンに降りたのは知っていた。担任の眼鏡女が教室に掲示されている攻略予定表に書き込んでいたからだ。

 眼鏡女が書き込んだ連中の予定は第一階層周回。他の連中と彼女の話に耳をそばだてていると、あくまで様子見のため。そう言っていた。だが、親父の息のかかったアカデミー職員からの報告によると、あの劣等属性どもは、いきなり三階層までの攻略を済ませたというではないか。

 通常、『迷宮攻略ダンジヨンアタツク』はどれだけ早くとも準備に一週間ぐらいを掛けて開始するもの。あの劣等属性どもは、そんな常識もお構いなしだった。

「……のんびりしてていいのかよ」

 使用人たちも寝静まった深夜の居間。俺が向かいのソファーに腰を下ろすと、キャリー嬢は手にした紅茶に口を付けて、微かに笑顔を浮かべる。

「良いではありませんか。私たちのために最短ルートを開拓してくれているのですから。そんな泥臭いことは、キコさまや私のような高貴な人間がすることではありませんわ」

「だが……」

 勝手に入れられたグループはこの女を除けば、どいつもこいつも落ちこぼればかり。そもそも最下級クラスなのだから当然といえば当然なのだがあんな連中、何の戦力にもならない。

「ああ、同じグループになった方々が不安なのですね」

 彼女に胸の内を言い当てられて、俺は思わず目を丸くした。

「私たち二人で攻略を済ませてしまえば良いことですわ。先生に確認いたしましたけれど、攻略時にグループ全員がその場にいなければいけないというルールはないそうですから」

「……そういやあ、そうか」

「ええ、むしろ私たち二人だけの方が動きやすい。シスターたちを泳がせるだけ泳がせて、良いところだけを私たちがいただく。それが頭の良い人間のやり方ですわ。世の中には搾取するものとされるものの二種類しかいませんの」

 俺は、思わず口元を弛める。

「悪い女だな、アンタ」

「賢い女と仰っていただきたいところですわね」

 やはり運は俺に味方している。あの腐れシスターの雷撃をあっさりと消滅させた力量といい、頭の良さといい。この女は正に俺に相応しい相方だと言っても良いだろう。

「それで、キコさま。昨日、お教えした『光学迷彩カモフラージユ』はマスターできまして?」

「ったりまえだ。舐めんな」

 精霊魔法はイメージの世界。目の前で実際にやってみせて貰えば、精霊力が不足していない限り充分に再現できる。風属性だからこそできる魔法。空気の層を操って光の反射角を歪め、姿を消す魔法だ。

「うふふ、流石ですわ」

 彼女は立ち上がったかと思うと、俺の隣へと席を移し、しな垂れかかってくる。

「キコさまにだけ、本当のことをお教えしておきますわね」

「本当のこと?」

 そっと耳打ちする彼女を俺はいぶかしむ。

「ええ、私がここへ留学した本当の理由……実はあの地下迷宮ダンジヨンには、大英雄オズマの遺産がございます。そして、私はその鍵を手に入れましたの」

「な!? オズマの遺産だと!」

「ええ、それも……そのありは最下層ではなく、我々の目指す第十階層ですわ」

「待て待て待て! 聞いたことないぞ、そんな話!」

「それはそうでしょう。高祖フェリアに精霊魔法を手ほどきした長老ズンバ、その子孫にのみ伝わるお話でございまから」

「長老ズンバの子孫? それをどうしてお前が知ってるんだ?」

「口を割らせる方法は、いくらでもございますので」

 うっすらと微笑む彼女。その表情は恐ろしく酷薄に見えて、背筋に冷たいものが走った。

「オズマを大英雄たらしめた遺産。私たちがそれを手に入れれば、キコさまは大英雄オズマ以来の英雄として。私もまた、ビューエルの次期女王の地位を盤石のものに出来ましょう」

「オズマ以来の英雄……」

 思わず口にすると、後から興奮が湧き上がってくる。

「ふふっ……それはいい。いいぞ!」

(そうだ! 英雄という呼称は、この俺様にこそ相応しい!)

 この女は最高だ。そう思った。俺の価値をわかっている。そう思った。

 俺は、キャリー嬢の肩を抱き寄せる。最高の男であるこの俺様に相応しいのは、この女だ。

 胸に手を伸ばすと、彼女はそっとそれを押し退ける。

「私を好きに出来るのは、英雄だけ」

「なら……」

「まだ、ダメですわ。ちゃんとオズマの遺産を手に入れてから……新たな英雄の地位と私を同時に手に入れることを想像してみてくださいまし」

 この世で最も尊い者とされるオズマ。俺がそれに成り代わり、この女を好き放題にできる。そう思うと喉の奥から笑いがこみ上げてくる。

「あのシスターたちに十階層までの最短ルートを探させ、私たちは何の苦もなくそこに降り立ち、そしてここぞというタイミングで……」

「……横から全てを掻っ攫う」

 あの劣等属性どもの顔が悔しげに歪むのを思い浮かべると、笑いがとまらなくなった。


  第七章 シスター追跡  


(あの暴走シスターが、やられっぱなしで黙ってる訳ないよなぁ……)

 自分でやっておいてなんだが、俺は非常に重い気分をぶら下げて、アカデミーへと登校する。

 あの跳ねっ返りが無様に昏倒させられたままで終わる訳がない。突っかかってくるのは、もはや火を見るよりも明らかだ。

 問題は、じゃあどうするかってこと。いっそのこと、あの暴走シスターの望み通りに決闘して、はっきり白黒つけた方がいいんじゃないかとすら思う。

(戦うとすれば、精霊魔法だけでも対処できなくはないけど……キツいのはキツいよなぁ)

 一応、対応策はあるが、ぶっつけ本番。光の速さで突っ込んでくる相手を仕留めるのは、並大抵のことではない。

 やり合うなら非公開にして、古代語魔法を使える状態が望ましかった。

(あのシスターだけなら、魔法のことは適当に誤魔化せるだろ。見るからに大雑把な性格だし)

 ところが、授業が始まる時間になっても、あの暴走シスターが登校してくる様子はない。

(もしかして……麻痺雲スタンクラウドが効きすぎたのか?)

 三百年前とは魔力の効果は段違い。あまりにも威力がありすぎるので、かなり手加減したつもりだったのだが……。

 だが、いつまで経ってもシスターアンジェが現れる様子はなく、授業開始の時間が少し過ぎたところで、アルメイダ先生が慌ただしく教室へと飛び込んできた。

 どこか悲愴な顔をして、キョロキョロと教室の中を見回す先生。そして彼女は、俺の姿を見つけると、息を切らして駆け寄ってきた。

「オズくん! アンジェリーナさんが独りで地下迷宮に潜ったみたいなんです!」

「は?」

 俺は、思わず首を傾げる。

 本来、シスターが座っているはずの席の向こう側で、ミュシャが慌てふためいて口を開いた。

「な、な、なんで? 先生! 午後までは迷宮の扉、閉じてるんじゃなかったんですか?」

「ええ、そうです。そうなんですけど、どうやら閂のかかった扉の隙間を稲妻化サンダナイズの固有魔法ですり抜けて侵入したらしいんです」

「なんだよ、それ……」

 俺が思わず頭を抱えると、話が聞こえたのだろう。ザザとクロエもこちらへと駆け寄ってきた。

「少なくとも既に、五階層まで到達しているらしいんです。五階層目の係員の連絡で発覚しましたので」

「あの暴走シスターめ……なんでそんなこと……」

 俺が呻くと、アーヴィンが苦虫を噛み潰したような顔をする。

「目的はたぶん、オズマの遺骨ね」

 思わずきょとんとする俺。だが、ザザやクロエ、ミュシャ、そして先生までもが頷いている。どうやら、アーヴィンのこの発言は、さほど意外なものではないらしい。

「教会は以前から、迷宮ダンジヨンの一般開放を訴えていましたよね?」

「そうよ、もちろん王家としては、絶対に了承できる話じゃないけど」

 クロエの問いかけに、アーヴィンが大袈裟に肩を竦めた。

「大英雄オズマの遺骨は、大聖堂にて祭祀すべき……でしたっけ?」

「ええ、教会はずっとそれを主張してきましたからね。奪取のチャンスを窺っていたのでしょう」

 クロエが呆れたような顔をすると、アルメイダ先生が神妙な顔をして頷く。

 俺としては呆れて物も言えない。

(俺の遺骨の奪い合いって……全く、死んでる人間の身にもなってくれっての)

「なんで、そんな奴編入させたんだよ……」

 俺が思わず唇を尖らせると、アーヴィンがこっそり耳打ちしてくる。

「たぶん……お母さまはオズに、あのシスターを五人目の妻として娶らせようとしているんだと思うわ」

「は? いや、それは流石に……」

「だって、教会側の最高戦力だし、オズの妻として王家の側にそれを引き込めればって……それぐらいは考えるでしょうね、お母さまなら」

「いや、俺が娶ったって王家側とはいえないだろ?」

「忘れてるみたいだけど、私を娶った時点でオズも王家の一員なんだけど?」

「う……」

 思わずおかしなものを口に放り込まれたような顔になる俺。

 ヒソヒソ話を続ける俺とアーヴィンに怪訝そうな顔を向けながら、アルメイダ先生が口を開いた。

「一応、捜索隊を出す準備を整えていますけど……捜索隊が入った時点で、アナタたちは一律落第扱いとなります」

「ちょ、ちょっと先生! それは理不尽すぎるでしょ!?

 ザザが身を跳ねさせると、先生は申し訳なさげな顔をする。

「残念ですけれど、フレデリカ姫殿下の……ひいては女王陛下の御意向ですので。っていうか、ぶっちゃけ私も降格や減給はいやなんです」

「そこはぶっちゃけちゃダメなところ!」

「どうしますか? アナタ方がチームメイトを連れ戻しにいくというのなら、今からでも迷宮への立ち入りを許可しますけれど?」

 先生がそう口にすると、ザザとクロエ、ミュシャ。そしてアーヴィンが「どうする?」と言わんばかりに、一斉に俺の方へと目を向ける。

「あーもう! 行きます! 行ってやりますって! あのバカシスターのケツを蹴り上げて、迷宮ダンジヨンから連れ戻してやりますから!」

 この時、俺の視界の隅には、キコと例の編入生が意味ありげな視線を交わす姿が入っていた。

(こいつら……人の不幸を楽しみやがって)

 そんな軽い腹立たしさを覚えはしたが、この時点ではまさか、この二人があんな暴挙に出るとは、欠片ほども思ってはいなかったのだ。



 手早く迷宮攻略の準備を整えると、俺とアーヴィン、クロエとザザ、そしてミュシャの五人は、アルメイダ先生とともに足早に迷宮の入口へと向かう。

「アンジェリーナさんが迷宮に侵入したのは、推測ですが今から三時間前、つまり九時間後には捜索隊が入ることになります。タイムリミットは九時間です。いいですね」

 言いたいことは色々あるが、ここで愚痴っても仕方がない。

 俺たちは頷きあって、迷宮へと足を踏み入れた。

 まずは、昨日見つけた三階層への直通路を開いて滑り降りる。

 前回同様、水の中に落ちてずぶ濡れになったが、今回は水属性の二人が一緒だ。

 ザザとクロエに、衣服から水分だけを取り除いてもらって、俺たちはすぐに行動を開始した。

「四階層へ降りる階段は、まだ見つけてなかったよな?」

「ええ……でもこのフロアの半分までは調べ終えてるから、それほど時間はかからないと思うけど」

 俺の問いかけに、アーヴィンがそう応じる。

(でも、このフロアはなぁ……)

 一部屋ごとに俺のメンタルをゴリゴリ削ってくる彫像の数々。しかも、妻ではないミュシャが一緒なのだ。俺の正体を知られる訳にはいかない以上、平然とした態度を保たなければならない。

「急ぐわよ!」

「うん、行こう!」

「ええ!」

「あ、ま、待ってよぉ!」

 駆け出すアーヴィン。それを追って走り出すザザとクロエ。遅れながら着いていくミュシャ。最後に重い足取りで駆け出す俺。

 そして、最初に飛び込んだ部屋にあった巨大な彫像を目にした途端、平静を保たねばならないという思いも虚しく、思わず俺は崩れ落ちた。

「これは……大英雄オズマさまと大バルサバル卿の友情をモチーフにした像ですね。我が家の庭園にもありますが、これはかなり出来がよろしいようです」

 そんな説明をしてくるクロエに、俺は思わず非難がましい目を向ける。

 だって仕方がないじゃないか。

 どこの世界に互いのち○ぽを握り合う友情があるというのか。

「地獄かよ……」

「え、どうしてです? かっこいいと思いますけど?」

「熱い友情って感じだよね」

 俺の呟きにクロエが応じ、ザザが頷く。

(やっぱりこの時代の人間って頭おかしいよな……)

 だが、これは序の口でしかなかった。

 一部屋移動するごとに、俺のメンタルをゴリゴリ削ってくる彫像の数々。

 第三階層で探索を開始してから十七部屋目。今、俺たちの目の前にあるのは、もはやオズマ像と呼ぶのもおこがましい、天井につかえるほど巨大な勃起チ○ポ像である。

 もはや、ただの男根崇拝でしかない。

 伝聞と想像、時間経過による事実の歪曲。芸術としての昇華、写実主義の限界を超えて抽象化、ディフォルメ。その経過は学術的に興味がないわけではないが、ディフォルメしきった結果が、このオズマ=チ○ポという帰結の仕方は、本当にどうかと思う。

 思わず肩を落とす俺と、何を思い出したのか揃って頬を赤らめる三人の奥さん。そしてそんな俺たちを眺めて、ミュシャが不思議そうに首を傾げた。

 だが、この地獄ももう終わり。その巨大チ○ポ像のすぐ脇に、下層へと続く階段を見つけたからだ。

(まさか、次の階層もこんな感じじゃないだろうな……)

 そんな不安を抱えながら第四階層に降りると、階段のすぐ脇で係員らしき男が気絶していた。恐らく、あの暴走シスターにやられたのだろう。

(ほんと、無茶苦茶だな……)

 命に別状がないことだけは確認して、その係員をテントに放り込み、俺たちは先を急ぐ。正直、時間にそれほどの余裕はないのだ。

 階段のある部屋から通路に出ると、ミュシャが「わ! な、何これっ!」と驚きの声を上げた。

 床や壁自体が、淡い緑色に発光していたからだ。

「精霊力は感じませんね。自然現象なのでしょうか……」

 クロエが壁を眺めながらそう呟く。確かに精霊力は感じない。だが淡く魔法素子の揺らめきを感じる。あまり一般的ではなかったが俺の生きていた時代に、確かにこういう照明を設置している施設はあった。いわゆる火気や陽光を嫌う貯蔵庫の類である。

「天井高いし、通路広いし、なんだか……三階層までと雰囲気全然違うよね」

 ザザが周囲を見回しながら、そう呟いた。

 確かに通路はこれまでよりも広く、幅は手を広げた大人が三人は並べるほどもある。天井もやけに高い。これが意味するところは明らかだろう。

「……それなりに大型の守護者ガーデイアンがいると思った方がいいだろうな」

「でしょうね」

 俺の呟きに、アーヴィンがそう応じる。

 案の定、わずか数ブロック進んだだけで、前方に俺たちを待ち受ける獣の影があった。緑の淡い光にわだかまる影、薄暗い通路の向こうで異形のシルエットが身を震わせる。

 があぁああっ! と、肉食獣らしい咆哮が響き渡って、ミュシャが「きゃっ」と短い声を洩らした。

「なに……あれ?」

「なんて不格好なのかしら」

 暗闇の中からゆらりと姿を現した獣を目にして、ザザが声を震わせ、アーヴィンが眉を顰める。

 巨大な獅子、その肩からとってつけたように山羊の頭が突き出し、背中には蝙蝠の羽、蛇の尻尾が背後でゆらゆらと揺れていた。

 田舎の子供が考えた『最強の生き物』みたいな造形の化け物である。

(キマイラとは、また……懐かしいものが出てきたなぁ)

 俺の生きていた時代、一部の好事家連中の屋敷で、番犬代わりに飼われていたものだ。

 魔法生物ゆえに魔法への耐性は高く、契約で縛れば主人には従順。その上、人語を解し、簡単な魔法を使用できて、戦闘力もそれなりに高いのだ。

 デメリットは、見た目が気持ち悪いことと、頭ごとに好む食べ物が違うので、エサ代が結構かかることぐらいである。

 身構えようとすると、アーヴィンが俺の肩を掴んだ。

「私たちで相手するから」

「シスターアンジェと対等にやりあえそうなのはオズくんだけだしね」

「そうです。温存ということで」

「……がんばってね」

 そう言って、ザザとクロエが前へと歩み出て、ミュシャは怯えるように俺の背に隠れる。

 良くも悪くも自分が足手まといであることを理解しているミュシャはともかく、彼女たちにも思うところがあるのだろう。

 実際、ここで戦闘経験を積むのは、彼女たちにとっても悪いことではない。いざとなれば手を貸すことはできるのだから、素直に好意に甘えることにした。

「キマイラの主な攻撃は口から吐く炎だ。それと山羊の頭が唱える古代語魔法!」

「了解っ!」

 ザザがそう口にして駆け出すのとほぼ同時に、獅子の頭が大きく咆哮を上げ、顎の奥で炎が揺らめいた。

「させないよ! 水流刃ウオーターカツター!」

 駆けながら、ザザが手刀を払うと、半月形の水の刃がキマイラへと襲い掛かる。吐き出される炎のブレスと水の刃がぶつかりあって、盛大に水蒸気が湧き上がった。

 白く煙る通路。怯むキマイラ。山羊の頭が低い声で詠唱を開始して、魔法素子が収束していくのが見える。叫ぶようにザザが大声を上げた。

「クロエッ!」

「まかせて!」

 ザザを追い越すように飛び出したクロエの背中から幾本もの水の触手が飛び出して、今まさに魔法を発動しようとしていた山羊の頭を殴打した。

 キマイラがよろめくのと同時に、アーヴィンが甲高い声で叫ぶ。

「二人とも退きなさい!」

 ザザとクロエが慌ただしく左右に飛びのくやいなや、アーヴィンの手の中で収束していた、粘度の高い炎の球体が撃ちだされた。

溶岩弾マグマシヨツト!」

 キマイラの身体に着弾した途端、球状の炎は弾け、灼熱の粘液となって纏わりつく。必死に振り払おうともがくキマイラ。だが、いかに魔法耐性が強くとも、溶岩をぶっかけられては逃れようもない。

 溶岩弾マグマシヨツトはアーヴィンのオリジナル魔法だが、継続的にダメージを与えるという意味では、実に性質タチの悪い代物であった。

 そして、キマイラはさんざんもがき苦しむように暴れた後、その場に崩れ落ちる。

「やった! やったよ!」

「うん、やった!」

「ふん、これぐらい、できて当然よ」

 ザザとクロエが互いの手を叩きあって歓喜の声を上げると、アーヴィンが誇らしげに胸を反らした。

 俺の眼から見ても、実に見事な連係プレイである。これなら少々厄介な守護者ガーデイアンが現れたところで後れをとることはないだろう。対抗戦の特訓は見事に実を結んでいる。あれだけ人を寄せ付けなかったアーヴィンが連係プレイとは、本当に成長したものだとしみじみと感じた。

 なんだかんだ言っても、俺の中身は四十代のおっさんなのだ。保護者目線になってしまうのは仕方のないことである。

(これなら……俺の出る幕はなさそうだな)

 その後もキマイラに三度、マンティコアに二度遭遇するも、アーヴィンたちはそれを危なげなく打ち倒し、俺たちは第四階層を攻略。第五階層へと順調に攻略を進めていく。

 第五階層に降りた途端、ガーディアンの数は一気に増え、強度も徐々に上がってはいったが、それでも彼女たちにはまだ余裕があった。

 そして、第六階層──

 階段を下りると、すぐに係員らしい男が駆け寄ってきた。

「キミたちが、あのシスターの所属グループだな!」

「あ? それが何?」

 どこか咎めるような男の口調に、アーヴィンが片眉を跳ね上げて睨みつける。

 こういう時の彼女の表情は、実にガラが悪かった。流石はあの女王陛下の娘である。そして、残念なことに俺の奥さんでもあった。

 相手が姫殿下だと気付いたのか、それとも単に彼女の眼光に威圧されたのかはわからないが、係員は急に媚びるような態度をとり始める。

 話を聞いてみると、あの暴走シスターは彼を締め上げて、下層への近道を教えろと迫ったのだという。

 ダンジョン攻略の課題としては有り得ない反則行為だが、そもそも彼女の目的は『オズマの遺骨』であって、アカデミーの成績などどうでもよいのだろう。

「それで、あるの? 近道」

 アーヴィンが更に威圧するような態度で係員を睨みつけると、彼はコクコクと頷いた。

「は、はい。十階層に直通で繋がる縦穴がありまして……下までは大聖堂の尖塔ほどの高さがありますので、普通は降りられないのですが、あのシスターは稲妻になって飛び込んでいきました」

 アーヴィンは、俺の方へと顔を向ける。

「どうする? 私なら噴射アフターバーナーで飛んでおりられるけど、運べるとしても一人が精一杯ね」

 あと一人ならば、自動的に俺ということになるが、ミュシャがおずおずと口を開いた。

「わ、私も行けると思う……その、飛べる訳じゃないけど、着地は出来るから。その……風属性の魔法で」

 するとアーヴィンが、ミュシャを諭すように口を開く。

「その勇気は、あのバカシスターをとっ捕まえた後、説教ブチかます時に使いなさい。いい? ミュシャ、アンタが言って聞かせるの、あのバカに。バディなんだから」

 はっきり言ってしまえば、ミュシャは足手まといなのだ。

 炎属性は防御には向いていない。あのシスターと対峙した時に、俺たちにミュシャを守ってやれる余裕があるかどうかがわからない上に、ミュシャがいることで俺が古代語魔法を使う訳にはいかなくなるのだから。

 それでも彼女を傷つけないように言葉を選ぶことが出来るようになったアーヴィンの成長に、少々誇らしい気持ちを覚えた。



 係員の後について進んでいくと、通路を分断するように床に大きな穴が開いていた。

「この穴が、十階層に繋がっております」

「これは、確かに言われなきゃわからないな……」

 誰がどう見てもただの障害である。いわゆる、落ちたら底に針の山があって串刺しになったりするたぐいの罠。その穴は、そんな雰囲気を醸し出していた。

「盲点といえば、盲点だけど……」

「うん、わざわざ自分から落ちようという人もいないでしょうし……」

 ザザが呆れたような声を漏らすと、クロエが苦笑いを浮かべる。

「……かなり深いな」

 さっき係員は尖塔の高さほどもあると言っていたが、嘘では無さそうだ。覗き込んでみても真暗で底の方は全く見えない。

「試しに溶岩落としてみようか? 照明代わりにはなるんじゃない?」

「気軽に落としていいもんじゃないだろ、溶岩は。シスターが下にいたらどうすんだよ」

「それはそれで手間が省けると思うんだけど」

 最近炎属性というよりは溶岩属性になりつつあるアーヴィンではあるが、下層がどうなっているかわからない状態で溶岩落とそうという発想はちょっとヤバい。この先、夫婦喧嘩でもしようものなら、気軽に溶岩が飛んでくる未来すら見える。

「それで……オズくん、姫殿下、やっぱりお二人だけで降りるのですか?」

「ああ、噴射アフターバーナーで降りられるのは、アーヴィン本人とあと一人だけだしね」

 この話については、さっき一旦決着している。一緒に降りるというミュシャを押しとどめ、正規のルートを使って全員で十階層まで降りようと主張するザザとクロエを説得して、俺はアーヴィンと二人だけで、一気に十階層まで降りることにしたのだ。

 理由は、時間がないということが全て。

 残された彼女たちだけを地上に戻すのは流石に危険なので、俺たちがシスターを連れて戻るまで、彼女たちには守護者が出現しない階段のある部屋で待機して貰うことになる。

「じゃあ、アーヴィン、頼むよ」

「うん、オズは灯りをお願い」

 俺が掌の上に炎を引っ張り出して照明を用意すると、アーヴィンが背後から俺の身体に腕を回す。彼女が抱き着くような体勢になった途端、ザザがムッとしたような顔をした。やっぱり、置いていかれるのは不本意なのだろう。

「お気をつけください」

 心配そうな顔をするクロエとミュシャに一つ頷いて、俺とアーヴィンは二人一緒に暗い穴の中へと飛び降りた。

 夜の海を漂うかのような浮遊感。前髪が吹き上げる風にそよぐ。アーヴィンは飛び降りてすぐに噴射アフターバーナーを発動し、俺たちはゆっくりと縦穴を降りていった。

 縦穴は想像以上に深い。それでも、アーヴィンのブーツの底から噴出する炎に照らされて、次第に石畳の床が近づいてきた。

 ふわりと降り立った先はあまりにも暗く、手にした炎では周囲の壁面にまで光が届かない。どうやら、第十階層のこの場所は相当な広さがあるらしかった。

「おーい! 二人とも大丈夫っ!」

 俺たちが石畳の上へ降り立ってすぐに、頭上からザザの声が降ってくる。声の遠さを思えば、この場所の深さがよくわかった。

「ああ、大丈夫だ!」

 真上を向いて声を張り上げ、俺は背中にしがみついたままのアーヴィンに声をかけた。

「お疲れさま、もう手を放しても大丈夫だ」

「あ、うん……そ、そうね」

 アーヴィンは、俺から離れて周囲をぐるりと見回す

「でも、真っ暗……これじゃ、どこに何があるか全然わからないわね」

「そうだな。ちょっと火力を上げてみるか」

 更に精霊力を注ぎ込むと、俺の掌の上で照明代わりの火球が倍ほども大きくなった。だが、それでも光の届く範囲に壁は見あたらず、石畳の床以外には見える範囲に何も無い。

「おいおい、なんだよ、ここ。どんだけ広いんだよ……」

 部屋の広さは想像もつかないが、気付いたこともある。石畳の床に刻み込まれた幾本もの線。巨大な円を描くような形状、見えるのはその一部。そして俺は、その紋様に見覚えがあった。

(魔法陣……か? これだと相当巨大な物だけど……召喚用ではなさそうだな)

 だが、魔法素子の動きに乱れはなく、発動する気配も兆候も見られない。この魔法陣自体は既に機能を失っているのだろう。

(まあ……無視しても問題はなさそうだな)

 更に精霊力を注ぎ込み、炎をどんどん大きくしていくものの、一向に壁が見えてこない。

 未だに部屋の広さすら掴めず、このままではどちらを向いて歩き出せば良いかすら判断がつかなかった。

「これじゃあ、埒が明かないわね」

 アーヴィンが、微かに苛立ちの混じった声を漏らす。

「仕方がない。アーヴィン、一旦火を消すぞ。古代語魔法を使う」

「え? 古代語魔法って……どうにかできるものなの?」

「ああ、もちろん」

 俺は掌の上から炎を消し、自分とアーヴィンを対象に『暗視ノクトヴイジヨン』を発動させた。

 途端に、霧が晴れるかのように視界がクリアになって、一気に闇が消え去る。

「すごい! 昼間のように見えるわ! ねぇ、オズ……出し惜しみしないで、最初からこの魔法を使ってれば良かったんじゃないの?」

「そういう訳にはいかないんだってば。実はこの魔法、とんでもない欠陥魔法で……」

「欠陥魔法?」

「そう、この魔法は暗闇を見通せる訳じゃなくて、光を知覚する能力を何千倍にも引き上げているだけなんだよ。つまり──」

「……他に灯りがあったら、めちゃくちゃ眩しいってことね」

「そういうこと」

 実際、炎が視界にある状態で発動しようものなら自爆もいいところ。網膜が焼きついて視力を失いかねないのだ。

「だから、周囲の状況を確認し終わったら、すぐに解除するぞ」

 そして、俺とアーヴィンはあらためて周囲を見回し、思わず顔を見合わせる。

「広すぎだろ……」

「……本当、無茶苦茶だわ」

 天井はさきほどの六階層の三倍以上も高い。茫漠とした正方形の空間。一フロアほぼ全部がこの一部屋という規模である。周囲に遮蔽物はなく、見える範囲に動くものは何もなかった。

 はるか遠く、北なのか南なのか、方角はわからないが、俺たちから見て左右の壁にそれぞれ大きな扉が見える。

「どちらかがこのフロアへ正規ルートで降りてくるための階段のある部屋への扉、もう片方が今回の迷宮攻略ダンジヨンアタツクの目的地、『鏡の間』の扉だと思うんだけど……」

 アーヴィンが眉根を寄せながら、そう告げる。

 俺たちに課せられた迷宮攻略の本来の課題は、この十階層の鏡の間にある石碑、その碑文を一言一句間違うことなく書き写してくることだった。

 それも、あの暴走シスターのせいで有耶無耶になってしまいそうなのだけれど。

 俺は『暗視ノクトヴイジヨン』を解除し、あらためて掌の上に照明代わりの炎を引っ張り出した。

「それにしても……なんなのかしら、この部屋は。もしかして、これぐらいの大きさが必要な守護者ガーデイアンがいるってこと?」

「それはなさそうだけど……」

 俺は、思わず考え込む。

(床に描かれた魔法陣は召喚系のものではなかった。大きすぎて把握できなかったが、それは間違いない。むしろ、この大きさの魔法陣を描くために、こんな大きな部屋を造ったと考えるべきか……目的はさっぱりわからないけれど)

 そもそも、この迷宮の存在自体がいろいろと矛盾しているのだ。

 フェリアが造った俺の墓だというのならば、成立したのは当然、俺の死後であるはずだ。

 だが、魔法素子が失われた時点で死に絶えたはずの魔法生物が、守護者ガーデイアンとしてわんさか現れるのはどう考えてもおかしいし、フェリアには古代語魔法を学ぶタイミングなどなかったはずなのだ。俺の生前には既にこの迷宮が存在していて、あの魔法素子が失われる現象、その影響を受けていなかった。そう考えれば無理やり辻褄を合わせることはできるのだが、少なくとも王都の地下にこんな迷宮があるなんて話は聞いたことがないし、あの時代にこんなものを造る技術がある者を考えれば、強いていうなら俺ぐらいのものだ。

 だが、いくら考えても現時点では類推できるだけの素材が不足している。それに、今はそれどころではない。

「じゃあ、行くとするか」

 俺がそう口にすると、アーヴィンが首を傾げた。

「行くって……どっちの扉?」

「あのシスターの精霊魔法の残光だと思うんだが、右手の扉の方がわずかに明るく見えた」

「そうなんだ? 私にはわからなかったけど……」

 俺たちは、向かって右手の扉の方へと歩き始める。

「そういえば、俺の墓があるのは五十階層なんだよな? シスターアンジェはそこを目指してるってことでいいのか?」

「うん、私たちの想像通りオズマの遺骨が目的ならね。……でもたぶん、鏡の間から先には進めてないと思う」

「そうなのか?」

「うん、鏡の間にあるのは礼拝所だけなんだけど、お母さまは年に一度そこで礼拝するために降りるの。そして、そこから先への進み方を知ってるのは、お母さまと次期女王の姉さんだけだって聞いてるし」

 そんな話をしながら、俺たちはどうにか扉へと辿り着いた。見れば見るほど重厚な鉄の門扉。高さは俺の背丈の倍ほどもある。

「……いくぞ」

「ええ」

 俺は、アーヴィンと視線を交わして頷きあうと、重い鉄の門扉を肩で押し開け、どうにか通れる程度に開いた隙間から室内へと身を滑り込ませた。



(……何の匂いだっけ?)

 オズくんたちが、十階層へと続く暗い穴の中へと飛び込んだ直後のことである。

 私──ミュシャの鼻先を、どこかで嗅いだ覚えのある匂いが漂った。

 ほんの一瞬のことだったけれど、間違いなく嗅いだことのある匂い。香水のようだが、不快感を覚えるような、押しつけがましいイヤな匂いだった。

 やはり、どこかで嗅いだことがある。それも、割と頻繁に。

「それではどうぞ。階段室の方へ」

 係員さんがそう促すと、ザザとクロエが複雑そうに顔を見合わせた。

「じゃあ、アタシらは大人しく帰りを待つとしますか」

「まあ、それしかできないしね」

 階段のある部屋の方へと歩き始める彼女たちの背を追って、私もまた歩き始める。

(ザザは一緒に行きたかっただろうな……婚約者だし)

 明るく振る舞ってはいたが、ザザの声音にはオズくんに着いていけなかった無念さが滲みでていたように思える。ザザほどはっきりとはわからなかったが、クロエもそう。

 ならば、私はどうなのかというと、情けなさでいっぱいだった。

 みんながここまで来たのは、シスターアンジェを追って。

 そして本来、連れ戻すために先頭を切るべき彼女のバディは……私なのだ。

 形だけのバディ。それはわかっている。

 キコくんに放りだされた私を、シスターが拾ってくれた。憐み──たぶんそうだろう。それまでに彼女と私の間に接点なんて全くなかったのだから、それ以外には有り得ない。

 お荷物なのは最初からわかっていた。それでも、オズくんと姫殿下が十階層に降りる時には、勇気を振り絞って自分も一緒に降りようとしたのだ。……バディだから。

 だが、姫殿下に止められた。

 やんわりと私が傷つかないように気を使って、とてもとても遠まわしに言葉を選び抜いて、『役立たずは来るな』と、彼女はそう言ったのだ。

 悔しかったのは彼女の言葉ではない。それにホッと安堵してしまった自分自身に……だ。

(ほんと、何しに来たんだろう……私)

 悔しかった。キコくんにあれだけ落ちこぼれと言われ続けても、大して悔しいとは思わなかったのに。今はとても悔しかった。

(あ……!?

 だが、その時である。キコくんの顔を思い浮かべた途端、私はハタと匂いの正体に思い至った。

(整髪油……!)

 私は、思わず足を止める。

「あれ? どうしたの、ミュシャ?」

 クロエが振り向いてそう問いかけてきた。だが、もはや返事をするどころではない。

 あの匂いはかなり特徴的だ。キコくんがオールバックの髪型を保持するために使っている整髪油の匂いに間違いなかった。それが、オズくんたちが地下へと降りた直後に、私の鼻先を過ったのだ。

 つまり、それはあの場に彼がいたということ。

 風属性の魔法は上手く応用すれば姿を消すことも可能だと、授業で先生がそう言っていたことを覚えている。私には出来なくとも、彼と彼の現在のバディであるキャリーさんなら、姿を消すこともできるのかもしれない。

 そして、元バディの私だからこそ知っていることもある。キコくんは独善的で、本当に手段を選ばない。眉を顰めるようなことも平気でするのだ。

 彼があそこにいたということは、明らかにオズくんと姫殿下を相手によからぬことを企んでいるということ。それはもう、疑いようもなかった。

「ダメだよ、そんなの!」

 居ても立ってもいられなくなって、私は慌ただしく元来た道へと駆け出す。

「ミュシャ! どうしたの!」

「待って! ミュシャ!」

 背後でザザとクロエの慌てる声が聞こえた。だが、もう止まる訳にはいかない。



 部屋の中は薄暗い。

(鏡の間って割には、普通だな……)

 その名称から壁一面鏡張りの部屋を想像していたのだが、そこは他と変わらぬ石造りの部屋であった。

 違いと言えば祭壇ぐらいのもの。最奥に設置された祭壇、その両脇にはめ込まれた精霊球が淡い緑の光を放ち、周囲を薄ぼんやりと照らし出していた。

 祭壇の前には、祈りを捧げるシスターアンジェの姿がある。

 彼女はアカデミーの制服姿でもなく、僧衣姿でもない。対抗戦で目にした黄金の甲冑ビキニアーマー姿であった。

 俺たちの気配に気付くと彼女はゆらりと立ち上がり、こちらを振り返って「ふん」と鼻を鳴らす。

「よぉ、遅かったじゃねぇか……なあ、姫さまよぉ、ここから先の階への降り方がわからねぇんだ。知ってんだろ? 王族なんだしよぉ」

 小馬鹿にするように口元を歪ませるシスターに、アーヴィンは不愉快げに眉根を寄せる。

「知らないわよ、そんなの。さっさと地上に戻るわよ。アンタのせいで落第にされたら堪ったものじゃないんだから」

「バーカ、こんなチャンスは二度と来ねぇんだ。誰が帰るかよ。これまでオズマさまに恋い焦がれながら生涯を終えていった妻たるシスターたち皆、オズマさまと同じ墓に眠りたいにちげぇねぇんだ! てめぇら王族にオズマさまを独占されて堪るかってんだ!」

 そんなことを言われてもオズマ本人としては、どんな顔をして良いのかわからない。

 まるで、病床で遺産相続の骨肉の争いを見せられているかのような気分である。

「オズマの妻、オズマの妻って、アンタたちシスターを妻だなんてオズマ本人が認めた訳じゃないでしょ! せいぜい押しかけ女房かストーカーがいいとこじゃない。ねぇ! そうでしょ、オズ!」

「俺に振らないで!?

 俺が思わず声を上げるのと同時に、シスターの周囲に殺気が膨れ上がり、空中で紫電がバチバチと音を立てた。

「流石に今の物言いは許せねぇぞ、メス豚……」

「くっ!」

 俺は慌ててアーヴィンの前に駆け出しながら、物理障壁の魔法を発動させる。

 精霊魔法は魔法防御系の魔法では防げない。あくまで物理現象として対応する必要があるのだ。

(防げるかどうかは賭けだが……)

「死にさらせ! オズマさまの名を利用する凡俗ども!」

 シスターが雷撃を纏った腕を振り上げ、俺たちが雷撃に備えて歯を食いしばったその瞬間──

「きゃぁあああ!」

「な、なんだ?」

 ──激しい振動が俺たちを襲った。

「地震!? いや、違う……これは!」

 扉の外、さっきまで俺たちがいたあの広い空間で、異常なほどに魔法素子が集まって膨れ上がっているのを感じる。

 俺は、シスターにちらりと目を向けた。この状況の異常さがわかったのだろう。彼女は目があった途端、不愉快げに口元を歪めつつも扉の方へと駆け出していく。

 呆然とするアーヴィンをその場に残して、俺も彼女の後を追った。

 扉の外に駆け出すと、真暗だった広い空間が妖しい光で満ちている。

「んだよ、これ!」

「くっ……」

(魔法陣が稼働している!)

 広大な部屋いっぱいに描かれた巨大な魔法陣。それが妖しい光を放っている。ビリビリと空気を震わせながら、濃厚な魔法素子が魔法陣の内側に止めどもなく溢れ出していた。


  第八章 罠  


「ひゃははははは! 見ろよ、あのツラ!」

 けたたましい笑い声の聞こえた方へと目を向ければ、光を放つ魔法陣の中心で笑い転げるキコと、そのバディ──キャリー・アモットの姿がある。

「……なんなのこれ、ねぇ、オズ」

 遅れて部屋から出てきたアーヴィンが俺の背中に身を寄せながら、不安げな声を漏らした。

「……わからない」

 わからないのは嘘じゃない。だが、これがとてつもなくヤバいものであることぐらいはわかる。

「てめぇ! いったい何のつもりだ!」

 シスターアンジェが声を荒げると、キコは小馬鹿にするように口を開いた。

「ははっ! 吠えんなメス犬! オズマの遺産は、この俺様のモンだ!」

「なにぃ! オズマさまの遺産だとっ!」

 驚愕の声を上げるシスターアンジェ。

 あー……うん。盛り上がってるところ本当に申し訳ないのだけれど、当の本人からしてみれば、遺産? 何それ? って感じである。『いさん』と言われても、転生前に胃酸過多に悩んでいたことぐらいしか覚えがない。四十代にもなると色々と身体にガタがくるのだ。

 思わず変な顔をしてしまった俺に気付いたのか、キャリー・アモットがキコとシスターの話に割り込むように口を開いた。

「遺産と言われても困る。そう仰りたそうですわね、オズ・スピナーくん。いいえ、大英雄オズマ

 俺の背後で、アーヴィンが息を呑む。一方、キコとシスターはキョトンとした顔になった。

「あ? 何をバカなこと言ってやがる! オズマさまが、こんなヒョロガキなわけねぇだろうが、人違いにしてもひでぇもんだ」

「いや、キャリー嬢、そりゃいくらなんでも……」

 どうやら、この一点に関してはシスターとキコ、二人の意見は一致しているらしい。

 だが、キャリー・アモットは肩にかかった黒髪を手で払うと、お構いなしに話を進めた。

「一応、先に言っておきますが、魔法陣に足を踏み入れようなどとは考えないことです。消えてなくなりたければ話は別ですけれど」

「だろうね」

 俺は、見せつけるように大袈裟に肩を竦める。

 正直、この魔法素子の量はヤバい。供給源はいったいどこなのか? どう考えても尋常な量ではない。どうにか話を繋いでいる内に対応策を見つけなければと、内心ムチャクチャ焦っていた。

「大英雄オズマ、我が主の覇業成就にとって、アナタは最大の障害なのです」

「主?」

「ええ、我がグロズニー帝国の正統なる皇帝、イヴァン五世陛下のね」

 イヴァン五世という名には、もちろん聞き覚えがある。三百年前、エドヴァルド王国に侵攻を企てたグロズニー帝国の皇帝、その人の名だからだ。

(俺と同じように転生した? いや、名を騙っている可能性の方が高いな……)

 俺が考え込むと、シスターアンジェが呆れ顔で肩を竦める。

「おいおい、てめぇ。そりゃ妄想癖もひでぇってもんだ。コイツがオズマさま? グロズニー帝国だぁ? バカじゃねぇか?」

「それで、大英雄オズマ、アナタに──」

「無視すんじゃねぇ!」

 完全に無視して話を進めようとするキャリーにブチ切れたシスターアンジェが雷撃を一閃。だが、彼女が放った稲妻は魔法陣に入った途端、バチっと音を立てて雲散霧消した。

「な……」

 シスターの表情が悔しげに歪む。彼女には悪いが、そうなって当然だ。魔法陣に満ちる膨大なエネルギーの前には、彼女の雷撃など静電気程度でしかない。俺にしてみれば、何の驚きもなかった。

「──選択肢を差し上げましょう。自ら命を絶つのであれば、死ぬのはアナタだけ。あくまで抗うというのであれば……」

「あれば?」

「この魔法素子を一気に暴走させます」

「な!?

 これには、俺も言葉を失った。

 この量の魔法素子がオーバーロードしてしまえば、この国丸ごと吹っ飛んでしまう。

 俺の様子を窺っていたアーヴィンが、不安げに服の裾を握りしめた。

「なあ、最後に教えてほしいことがあるんだが……」

「なんでしょう?」

「この迷宮ダンジヨンは、いったい何なんだ?」

 俺のその問いかけにキャリーは意外そうな顔をする。だが、俺にしてみれば、これはとても重要なことだ。対応策を考える糸口を掴むためには、まず、その正体を知らねば始まらない。

「一言で言えば爆弾。エドヴァルド王国を破壊するための装置です」

「神聖オズマ王国ではなく、エドヴァルド王国?」

「ええ、私も伝聞でしか存じ上げませんが、三百年前のある日、独りの帝国兵が魔道具を手にエドヴァルド王国へと潜入しました。アナタがマルゴ城砦で帝国軍と交戦していた日のことです」

「……なるほど、そういうことか」

 シスターはげんそうに片眉を跳ね上げ、アーヴィンもキョトンとした顔をしている。恐らく話が見えていないのだろう。

「その魔道具はダンジョンコア。一昼夜にしてダンジョンを生成する制作者不明の魔道具だ。俺も噂にしか聞いたことは無かったが……。そして帝国は王都の地下に仕掛けたこの魔法陣で魔法素子を掻き集め、暴走させることで一気に王都を破壊しようとしたって……そういうことだな」

 結果としてその時点では、オーバーロードは起こらなかった。その必要がなくなったからだ。この魔法陣で周辺の魔法素子が根こそぎ奪い取られて、魔法が使えなくなったことで戦力を魔法に依存し切っていたエドヴァルド王国は、抗う手段を失ってしまったのだから。

「ええ、流石は大英雄、話が早い。アナタが王都にいれば、迷宮生成ダンジヨンクリエイトの異常な魔力を感知しないわけはありませんから……」

「俺が王都から出撃したところを狙ったってことだな。敵ながら大したもんだよ」

 思わず俺が首を竦めると、すぐ隣でシスターアンジェが声を震わせた。

「お、おい、てめぇ……あ、いや、まさか、あ、あなたは本当に……」

(しまった……思いっきりオズマとして会話してしまっていた……)

 これはもう、流石に誤魔化しようがない。アーヴィンの方へ救いを求めるような目を向けると、彼女も大きく溜め息を吐いた。

「はぁ……オズマよ。伝説の大英雄本人で間違いないから」

「ひっ!? ひぃいいいいいいい!」

 途端に、シスターアンジェは彼女らしくもない半泣き顔で、ガタガタと後退る。

(うん、なんか……ホントごめん)

 思わず俺が苦笑すると、キコが怒鳴り声を張り上げながら、キャリーへと突っかかった。

「ちょ、ちょーっとまてぇええ! なんだよ、それ! オズマの遺産は? 俺の輝かしい将来は? なに適当なこと抜かしてやがる。オズマの墓なんだろ、ここは!」

 すると、キャリーは煩わしげにキコを見据える。

「王家はオズマの墓だとうそぶいているようですが、この階層の下にあるのは、今溢れ出しているコレ。オズマの遺骨ではなく、三百年前に溜めこまれた膨大な魔法素子ですわ」

「な!? それを暴走させるって……お、俺たちは安全なんだよな?」

「いいえ、死にますわよ。跡形もなく。ほら、ご覧ください」

 そう言って彼女は制服のブラウスをはだける。彼女の胸の谷間には魔法陣が描かれ、それが淡い光を放っていた。

「私は、この時の為に育成された、ただの発動鍵イグニツシヨンキーですから。使い捨ての」

「な、な、な……ビューエルの貴族って話は嘘か!」

「ええ、マチュア生まれの帝国遺民。ビューエルには縁もゆかりもございません」

「お、親父は! 親父はこんなこと許さねぇだろ! 親父も騙したってことか!」

「いいえ、あなたのお父上は、我が主の忠実な下僕。主の悲願成就のためなら、喜んで息子の命を捧げる。アカデミー潜入の便利なコマとして使ってくれと、そう仰っておられましたわ」

「嘘だろ、親父……」

 愕然とするキコ、だがそれは一瞬のこと。彼は、いきなりキャリーに掴みかかった。

「じょ、冗談じゃねぇぞ!」

 キコがキャリーの胸倉を掴むと、彼女はそれを顔色一つ変えずに軽く手で振り払う。途端にキコの身体が、粉を撒き散らしながら足下から崩れ始めた。

「ひっ! な、なんだ! なんだこれ! や、やだっ! し、死にたく……」

 実に呆気ない最後だった。キャリーの足下に粉末状になった「キコだったモノ」が山を形作り、それを呆然と眺めるアーヴィンがゴクリと喉を鳴らす。

「私の固有魔法は風化。痛みを感じる間もなく塵にして差し上げたのは、せめてもの温情ですわ。バディとしての」

(マズいな……教室でシスターの雷撃を掻き消したのも、あの固有魔法か……)

 実は、俺の頭の中には解決策が一つ思い浮かんでいる。だが、それには、あの風化という固有魔法が致命的に邪魔だった。要は一撃必殺。だがその一撃をあの魔法で掻き消されてしまったら、今度こそ打つ手がない。

「さあ、そろそろ魔法素子も臨界を迎えますわね。あなた一人の命で済むよう選択肢を用意してさしあげたというのに……本当に残念です」

 万事急す。思わず唇に歯を立てた、正にその瞬間──

「うわぁあああああああああああっ!」

 いきなり魔法陣の中央、キャリーの直上に落下してくる人影があった。

 それは、ツインテールの落ちこぼれ少女──ミュシャ

「なっ!」

 この不意打ちには、流石にキャリーも冷静さを失った。

 慌てて彼女は、落下してくるミュシャに向かって手を振り上げる。あの手に触れたが最後、ミュシャの命はない。だが、この瞬間、キャリーの意識から俺の姿は完全に失われた。

(いまだ!)

「第三階梯改、魔法障壁隧道マジツクシールドトンネル!」

 持てる限りの魔力をつぎ込んで、魔法陣の中央へとマジックシールドをトンネル状に展開、魔法素子に侵されてどんどん砕け散る魔法障壁を必死で修復し続けながら声を上げた。

「シスター!」

「お、おう!」

 流石に戦闘センスは天才的、言葉を交わさずとも彼女は俺の意図を理解してくれたらしい。

雷化サンダナイズ! 砕け散れ! ライトニングチャージ!」

 絶叫とともに光の槍へと姿を変えたシスターが、マジックシールドのトンネルを抜け、一気にキャリーの胸の魔法陣を刺し貫いた。

「ぎゃぁあああああああああああああっ!」

 途端に、人のものとは思えないような絶叫と共に、キャリーが膝から崩れ落ちると、魔法陣が光を失って溢れ出ていた魔法素子が霧消し始める。

「よし!」

 俺が思わず拳を握ると、アーヴィンが「やった!」と興奮気味に声を上げ、宙空で人へと姿を戻したシスターは、落下してくるミュシャを受け止めると、着地するなりいきなり彼女を怒鳴りつけた。

「てめぇ! 弱っちいくせになにしやがった! あぶねぇだろうが!」

「バディを助けに来たにきまってるでしょ! この唐変木!」

 予想外にもミュシャに怒鳴り返されて、シスターは目を丸くする。

「バカ、アホ、オタンコナス、アンジェのかーちゃんでべそ……」

「いや、でべそって……あのなぁ」

 床の上に下ろされても尚、ボロボロ泣きながら罵倒の言葉を並べ立てるミュシャに、シスターが弱り切った顔をする。その様子に俺とアーヴィンは、思わず顔を見合わせて笑った。

「……終わったってことでいいのよね?」

「ああ、たぶん」

 倒れ込んでいるキャリーに目を向けると、シスターの一撃がいかに容赦の無いものだったのかがはっきりとわかる。胸から背中へと貫通しきった傷からは、ドクドクと血が溢れ出し、床の上に大きな血だまりを形作っていた。

(まさか……三百年前の魔法が失われた原因を、こんなところで知ることになるなんてな……何とも複雑な気分だ)

 感慨に耽る俺。その手をアーヴィンがぎゅっと握りしめた。

「何浮かない顔してんのよ。行くわよ」

「ああ、そうだな」

 魔法陣の中央、ミュシャとシスターアンジェの方に歩み寄ると、俺はミュシャにニコリと微笑みかける。

「今回は、ミュシャのお手柄だな」

「ふふん、どんなものよ。ミュシャはやればできる子なのよ。私のお友達なんだから!」

 なぜかアーヴィンが、ドヤ顔で胸を張った。

「えへへ」と涙ながらにはにかむミュシャとは裏腹に、シスターが俺の顔を見るなり、思い出したかのように顔を強張らせる。

「あ、あの……ね、念のために、お、お、お伺いしたいのですが、その……本当にオズマさま?」

「違うって言ったら信じてくれる?」

 俺がそんな風にはぐらかそうとすると、アーヴィンが呆れ顔で肩を竦めた。

「古代語魔法使ってるとこ見られてるんだから無理でしょ、それは」

「ですよねー」

 一難去ってまた一難。幸いにもミュシャは、何の話かよくわかっていないようなので良いとして、問題はシスターアンジェだ。このままでは女王陛下の思う壺。彼女も妻として迎え入れることになりかねない。

 さて、どうしたものかと思案し始めた途端──

「なっ!?

 いきなり膨大な魔法素子が膨れ上がる感覚に、俺の背筋が凍り付いた。

 慌てて振り返ると、そこには倒れ込んだままのキャリーの姿。それがメリメリと音を立てて歪んでいく。貫通した傷が広がって、そこに現れた暗い穴がキャリーの死体そのものを呑み込もうとしていた。

「くっ! ヤバい! みんな走れ!」

 俺が声を上げた時には既に、キャリーの身体はほぼ呑み込まれ終わっており、残された穴だけが宙に浮かび上がって、物凄い勢いで周囲の魔法素子を吸い上げ始めていた。

 階段のある方へと一目散に駆け出す俺たち。シスターは稲妻へと姿を変え、一瞬で離脱。続いて噴射アフターバーナーで一気に飛び去るアーヴィン。ミュシャだけが遅れている。

「ミュシャ!」

 彼女の手を取るべく俺が手を伸ばしたその瞬間──

 魔法素子を吸い込み続けていた黒い穴が、いきなり大きく膨らんだ。

「な!」

「きゃああああ!」

 抵抗する暇もなく、一瞬にして俺とミュシャを呑み込む暗い穴。

「オズゥゥゥゥゥウウ!」

 アーヴィンの悲鳴じみた絶叫が遠ざかっていく。

 視界が黒く塗りつぶされ、何処までも落ちていく感覚。シャーリー、アーヴィン、ザザ、クロエ、愛する妻たちの顔が次々と脳裏に浮かんでは消え、最後に俺の意識が闇の中へと呑み込まれた。


  エピローグ 合縁奇縁ストレンジベツドフエローズ  


「う……ううぅん」

 重い瞼を閉じたまま、俺はぼんやりした頭で考えた。

(朝……か?)

 大きく息を吸い込むと、鼻腔の奥に血の臭いがわだかまる。

(……そうか、俺は処刑場で)

 たぶん今、俺は処刑される寸前。きっと、情けなくも気を失って白昼夢を見ていたのだ。

 それにしても、長い、長い夢だった。

 失ったはずの両手があって、綺麗な女の子たちと結婚もして……とてもいい夢だった。望むべくもない、満ち足りた生活を送っている夢だった。

 願望──きっとそうなのだろう。

 俺は、静かに目を開ける。そして、ゆっくりと周囲を見回し──首を傾げた。

「どこだ? ここは……」

 ぼやけた視界に飛び込んできたそれは、処刑場の風景では無かった。

 どこか遠くで小鳥の囀りが聞こえる。

 緑に苔むした細い木の枝を無造作に組み合わせただけの壁、その隙間から洩れ入る陽光。

(……小屋?)

 俺は狭い掘立小屋の中にいた。小屋と呼ぶのも躊躇われるような、みすぼらしい代物だ。

 隙間だらけの壁際には血抜きを済ませたと思われる兎が二羽吊されている。どうやら血の匂いの原因はこいつらしい。

 俺が寝ている辺りには、束ねられた枯れ草がベッドを形作るように敷かれていて、それ以外はむき出しの地面。そこに不器用にも木を組み合わせて作られたテーブルのような物と、体重を掛ければすぐに潰れてしまいそうな椅子のような物が、ぽつんと置いてあった。

(どこだ、ここ? 少なくとも、処刑場ではないみたいだけど……)

 状況が上手く飲み込めず、俺は回らない頭で記憶を辿る。

 シャーリーやアーヴィン、ザザ、クロエ……彼女達と過ごした日々は、どうやら夢だったわけではないらしかった。

 キャリー・アモットの死体に残った魔法陣が暴走。異常な魔力に歪んだ磁場。それが形作った暗い穴に呑み込まれたその瞬間を最後に記憶が途切れている。

(……ミュシャは!?

 最後に目にしたのは、俺同様に暗い穴へと飲み込まれるミュシャの姿。だが、周囲に彼女の姿は見当たらない。

 どうして良いかわからないまま、俺が途方に暮れかけたその時、入り口にぶら下がっているみすぼらしい布をたくし上げて、女の子が一人、小屋の中へと入ってきた。

 それは、銀色の髪を持つ幼げな少女。

 顔立ちは可愛らしいが、髪もボサボサで酷く薄汚れている。

 実際、彼女はみすぼらしかった。胸元と腰周りに、白と黒のボロボロの布地を巻き付けただけ。スラムで膝を抱えている浮浪児でも、もう少しマシなものを纏っている。

 だが──

 俺は、思わず首を傾げる。どことなく、その少女に見覚えがあるような気がしたのだ。

「あの……」

 俺がそう声を掛けると、彼女はちらりとこちらへ目を向けて、忌ま忌ましげに唇を歪める。

 そして「ちっ」と、聞こえよがしに舌打ちした。

「あーあ……死んでくれてれば面倒もないのに。うっとうしい、このビチクソ野郎!」

 あまりにも口汚い物言いには面食らったが、彼女のその声音には、どこか安堵したかのような響きがある。

 そして、この口汚さと銀色の髪、幼い容姿には覚えがあった。

「死んだって聞いてたんだけど?」

「うるさい、おまえが死ね」

 それは、対抗戦のテロで、『人喰いマンイーター』と呼ばれる剣に呑み込まれて死んだはずの双子シスターの片割れ。妹の方だったと思う。

 確か、名前は──シスターファラン。

《了》