プロローグ 
湿度の高い空間、カツン、カツンと硬質な足音が幾重にも木霊した。
神聖オズマ王国の隣国、マチュアの王都──イグザ。
その貴族屋敷が集まる地域の地下には、旧グロズニー帝国時代に造られた秘密施設が、三百年もの時を経た今も、ほぼ当時のまま残っている。
元来の用途は反逆者や政治犯を幽閉するための秘密監獄だったらしいのだが、我々マチュア独立派は、それを拠点として利用していた。
とはいえ、それも少し前までの話。王家を完全に支配下に置いた今、主要な機能及び人物は、既に王城内部へと移動し、ここに残っているのは我々の首魁たる人物の自室のみである。
彼自身は、ここから移動する気はさらさら無いらしいが。
(こんなところ、もう何の用もないだろうに……)
かび臭い空気の
「何者だ!」
扉の内側で、武器を手に身構えるメイドたちを手で制し、逆に問いかける。
「主上は?」
途端に、メイドたちは本来の表情である、張り付いたような微笑を浮かべた。
「お部屋においでです、マーティマス卿」
実際は、聞くまでもないことだ。
この数年、彼が部屋から外に出たことなど一度も有りはしないのだから。
「どうぞ、こちらへ」
先導するメイドの一人。その後について、私は歩みを進める。
「主上、マーティマス卿がお見えです」
メイドが扉を押し開けるのに合わせて、女のくぐもった喘ぎ声が聞こえてきた。
部屋の奥に目を向けると、淡い照明に照らされて薄い
ベッドの上には、今抱いている女の他に、横たわる二人の女のシルエットがあった。
「これは失礼……しばらく外でお待ちいたしましょう」
私が眉を
「かまわないよ。そろそろ一息入れようと思ってたところだしね。キミがわざわざここへ足を運ぶっていうことは、例の件でしょ?」
「左様で」
そうしている間にも帳の向こうで女たちが、這うように彼の股間へと顔を寄せる。ぺちゃぺちゃと淫靡な水音、そして女三人の
この浅ましい女たちは、王妃グレーシアと二人の姫。
今や国王は魂の抜けた傀儡に過ぎず、彼女たちは彼の愛玩動物でしかない。
あの高貴な王妃と可憐な姫君たちが、奪い合うように彼の逸物へと舌を這わせているこの光景は、元家臣の身としては少々複雑な気分になる。
その上、彼の正体が自称通りに帝国最後の皇帝イヴァン五世、その人であるのなら、王妃殿下はともかく姫殿下たちについては、自らの子孫を凌辱していることになるのだから、吐き気を催す光景だと言っても良いだろう。
私は、視線を床へと落として告げる。
「予定通り女王暗殺は失敗、マレクは囚われました。確証はございませんが、オズ・スピナーと名乗る少年が、復活したオズマである可能性が高いかと思われます」
「うん。で、そいつは
「報告の通りならば」
「いいねぇ。実にいい」
王国側の協力者の一人、ジョッタ・ヒューレックの死。その際に立ち昇った炎の柱をもって、オズマの復活を知った我々は、永きに亘って張り巡らせてきた計画を、一気に推し進めることとなった。
対抗戦に合わせての女王襲撃。あれはオズマを特定するための餌だ。女王暗殺が成れば良し。成らなくても何一つ問題はない。本命は別にある。
そもそもあのゴーレムは、大英雄オズマの手によって造られたものなのだから、オズマ本人に通用するはずがない。本当にオズマが復活しているのなら必ず食い止めるだろうと、我々はそう考えていた。
反逆者フェリア、そして神聖オズマ王国王家──バルサバル家に対する主上の恨みは、あまりにも深い。
その子孫を、一族郎党をただ殺すだけでは飽き足らないのだと、すでに何度も聞かされている。そして、オズマの存在は、その障害としてはあまりにも大きすぎるのだ。
もちろん、伝説の大英雄を倒すのは容易なことではない。だが、手段がないわけではない。たとえ倒すことは叶わなくとも、彼をこの世界から退場させることはできるはずだ。
「かねての計画通り、協力者を通じて刺客を潜入させる用意は整っております」
「協力者? ああ、クリスナとかいう王国貴族だったか……うん、まあ、よろしく頼むよ。ここでオズマを仕留めれば、フェリアもただの小娘に過ぎない。いいね。必ずやりとげてみせてよ」
「畏まりました」
私は頭を下げ、そして淫臭漂う部屋を後にした。
第一章 クロエ・リュミエールの帰還 
我が家──リュミエール家本邸の庭は、王国屈指の名園として五本の指に入ると言われている。
陽ざし麗らかな午後のこと。
真紅の薔薇が咲き誇るその庭園の真ん中に、大英雄オズマと盟友大バルサバル公が、屹立した互いの股間を握り合う友情の像が、青々とした芝の上に影を落としていた。
そんな素晴らしい景色を眺めながら私──クロエ・リュミエールは、
我が家専属パティシエの創る色彩豊かなお菓子と香り高い紅茶。だが、やはりこの時間を格別なものにしているのは、この風景であろう。
真紅の薔薇と殿方同士の友情という素晴らしい組み合わせ。私の腐った脳内では既に、大英雄オズマと大バルサバル公の彫像が、クラスメイトのオズくんとトマスくんに置き換わっていた。
はしたないというなかれ。アカデミーの女子たちの間では、もはや定番のカップリングである。この世界には殿方同士の熱い友情からしか摂取出来ない栄養があるのだ。うん、マジ尊い。
ちなみに私はオズ×トマス派。トマス×オズ派については、『わかっておられませんねぇ』という冷笑的な立ち位置である。ちなみにボルトン×トマス派についてはギリギリ許容しても良いが、ボルトン×オズ派については、そのセンスの無さに呆れるより他にない。
現在、私は対抗戦で精神に負ったダメージを癒やすべく静養中。とはいえ、精霊魔法による記憶の部分消去によって、既に完治していると言って問題のないところにまで来ている。
実際、望めばすぐにでもアカデミーに復学可能だろう。
(……と言っても、大義名分付きで実家でダラダラ出来るのですから、慌てるつもりは全くありませんけれど)
友達は恋しいけれど、アカデミーの慌ただしさは正直、私の好みではないのだ。
「お嬢さま、クロエお嬢さま。お手紙が参っておりました」
「あら、どなたからかしら」
メイドが差し出す手紙を受け取りながら、私は首を傾げる。
差出人は、ザザ・ドール。
アカデミーで出会った、私の親友にして唯一無二のバディである。
正直、意外だった。決して仲が悪いわけではないけれど、彼女なら手紙を出すよりもこちらの迷惑など顧みず、直接押しかけてくるぐらいの方がイメージに合う。
とはいえ、気にかけてくれる友人がいるということに、心が温かくなるような気がした。
ところが──
「しぇぇえええええええっ!?」
文面に目を落とした途端、私は思わず奇声を上げる。
その上、内容のあまりの衝撃に立ち上がった私は、勢い余って大理石の野外テーブルに強かに膝を打ち付け、呻き声すら出ないほどに悶絶した。
「お嬢さまっ!?」
「んぉうぅ……お皿っ! 膝のお皿が割れっ……膝のお皿っ……膝のお皿がっ!」
慌てて駆け寄ってきたメイドに、必死に膝の皿が痛いことを訴える私。膝の皿は令嬢的にはしたないのかどうなのか、実に微妙なラインである。一応下半身ではあるわけだし。
だが──
「え!? お、お、お皿っ!? お皿ぁあああっ! あ、あわわわわわわっ……ど、どういたしましょう。だだだ、旦那さまに、な、何と申し上げれば……」
──私の想像以上にメイドが
考えてみれば、このメイドは先日、お父さまが大切にしていたお皿を割って、次に割ったら解雇すると通告されていたのだ。
いや……流石に膝の皿は数に含まなくていいと思う。お父さまもたぶん困る。
膝の皿を連呼して悶絶する貴族令嬢、オロオロと狼狽えまくるメイド、我関せずと股間を握り合う彫像。優雅な薔薇園に、実に意味不明な光景が爆誕していた。
メイドが落ち着きを取り戻し、私の膝の痛みが落ち着くまで半刻ほど。
コホンと一つ咳払いをして何事もなかったかのように仕切り直し。私はあらためてザザの手紙に目を落とした。
手紙の内容は、オズくんとザザの婚約報告。
(いったい、何がどうなってそんなことに?)
浮かれ切った文面にはかなりイラっとさせられたが、それ以上にオズくん、ザザ、姫殿下、あの不器用な三人の微笑ましい三角関係、その最も美味しいところを見逃してしまったのではないかと思うと、居ても立ってもいられなくなった。
「今すぐアカデミーに戻ります。準備を!」
言葉の勢いとは裏腹に、私はそーっと立ち上がった。
膝の皿をぶつけると、超痛いことを学習したのである。

ザザとの婚約を公表して、既に一ヶ月ほどが経過しようとしていた。
俺自身は、婚約したことを意識しないようにしているのだが、ザザは「ご令嬢たちは、まだオズくんを諦めてなさそうだから」と、必要以上にべったりとくっついてくる。
人目を気にせずというよりも、人目が有れば有るほどに、彼女のスキンシップには遠慮がなくなるようにすら思えた。
お陰でアーヴィンは常にイライラ。教室内の空気を著しくギスギスしたものへと変えている。
「オズは私のバディなの! 邪魔よ! 邪魔っ!」
「あーん、オズくぅん、姫殿下がいじわるするよぉー」
今日も今日とて、朝の教室にアーヴィンの甲高い怒声が木霊する。
ザザがわざとらしく俺の腕にしがみつくと、アーヴィンのこめかみには、優雅さとは無縁の太い青筋が浮かび上がった。
「この甲斐性無し! アンタも何とか言いなさいよ!」
ザザを俺の寝室に引き込んだのはアーヴィンだったはずなのだが、遂にはザザだけではなく、俺にまで突っかかってくる始末。ご令嬢たちに言い寄られる煩わしさからは解放されたが、状況はむしろ悪化したと言ってもいい。
「頼むよ、ザザ……あまりアーヴィンを挑発しないでくれ」
俺が諭すようにそう告げると、今度はザザが口を尖らせる。
「だってさ、婚約を発表してから言い寄ってくる男の子が増えちゃって……アタシはオズくんの婚約者なんだって、ちゃんとアピールしとかないと」
そうなのだ。
実におかしな話ではあるのだけれど、俺に言い寄るご令嬢たちが減ったのとは対照的に、俺が知っているだけでも十数人の男子がザザに言い寄っている。それも、比較的高位貴族の跡取り息子たちがだ。
他人のモノは魅力的に見えるというのが一つ。そして、より精霊力の強い血を取り込みたい貴族としては、ザザがボルトン先輩をぶっ倒したという事実は無視できないらしい。
その上、婚約したとはいえ、名目上俺の実家ということになっているスピナー家は、王都に屋敷も持たない小貴族である。家格で言えば、充分奪い取れる。そう考えるのだろう。
「はぁ……」
不穏な空気を垂れ流して睨み合うザザとアーヴィンに挟まれて、毎日、毎日良く飽きないものだと、俺は思わず溜め息を漏らす。そんな俺に、背後から囁きかける人物がいた。
「ふーん……なるほど。で、オズくんの本命はどちらなのでしょう?」
「本命って、そんなの選べるわけ……って、え?」
慌てて振り返ると、そこには実家で療養しているはずのクロエの姿があった。
「クロエっ!?」
真っ先に声を上げたのはザザ。
「ただいま」
クロエがにっこり笑って小さく手を振ると、ザザはガタガタと椅子を押し退けながら駆け寄って、押し倒さんばかりの勢いで彼女に抱き着く。
「もぉおお、心配したんだから! 帰ってくるなら帰ってくるって手紙ぐらい出しなさいよぉ!」
「ごめんなさい。本当なら、もうしばらく療養してるつもりだったから」
「それで……もう大丈夫なの?」
「はい、もうすっかり。一番辛い部分の記憶に消去処置を施して貰ったから、トラウマも残っていませんし」
「うぅ……よかった。よかったよぉ」
なんだかんだ言ってもザザにとって、クロエは唯一無二のバディなのだ。正に感動の再会。ザザの瞳が潤むのを目にして、俺も貰い泣きしそうになった。
だが、感動の余韻はそこまで。
クロエは、抱き着いてきたザザを力ずくで引き剥がし、その肩をがっちりと掴んで顔を突き付ける。
「それはそうと、きっちり説明してくれるかな? くれるよね? 何がどうなってザザとオズくんが婚約なんていう話になったの? ねぇ、ザザ?」
「え……あ、うん、それは、その……あ、あはは」
思わず目を逸らすザザ。だが、クロエの追及は止まらない。
「対抗戦が終わってから、今日までの出来事を書き出して。箇条書きでいいから!」
「ク、クロエ? 目が据わってるんだけど。怖い。怖いから……」
「ザザが姫殿下を出し抜ける要素なんて、何もなかったでしょ? 何があったの? 何をどうしたの? どんな手を使ったの? 薬? 魔法? 脅迫?」
「出し抜くって……。いや……だって、その……姫殿下はただのバディだし」
その瞬間、俺の背後でアーヴィンの怒気が著しく膨れ上がって、その瘴気めいたギスギスした空気に、周囲のクラスメイトがガタガタと席を立って逃げ出し始める。
「へぇ……ただのバディねぇえ……」
地の底から響いてくるかのようなアーヴィンのその声に、俺の背筋が凍り付いた。

「オズ……ただのバディとか言われてるけど、何か言うことある?」
あの後、姫殿下が逃げ出そうとしたオズくんの胸倉を掴んで、八つ当たり気味に詰め寄ったところで、実にタイミング良くアルメイダ先生が教室へと入ってきた。
とはいえ、授業が始まって半刻近く経つ今でも姫殿下の怒気は一向に収まっておらず、周囲の生徒たちはビクビクしている。
私──クロエは、ちらりと隣の席のザザを盗み見た。
(やっぱり……何かがおかしい)
王族は精霊王と契り、伴侶は持たない。それがこの国における常識である。
だが、大っぴらに口にする者こそいなかったが、アーヴィン姫殿下は精霊王の存在しない炎属性であるがゆえに、臣籍降嫁するという噂が絶えなかった。
姫殿下がオズくんに見せる異常なまでの執着から、私はその噂が真実に違いないとそう思っていたのである。そして、ザザがオズくんに想いを寄せていることを知りつつも、相手が姫殿下では勝ち目はないと踏んでいたのだ。
それがまさかの大逆転、ザザがオズくんの婚約者となっていたのだから、驚くなという方がおかしい。
そして、半信半疑でアカデミーに舞い戻って実際に状況を目にしてみれば、ザザとの婚約は本当だった。だが、それとは裏腹に、姫殿下のオズくんへの執着には全く変わりがなかったのだ。
バディとしての執着? いやいや、あの反応は嫉妬以外の何者でもない。
ならば、姫殿下の一方的な横恋慕……と考えるのは、やはり無理がある。
この神聖オズマ王国の王権は、よくもいままで暴君が現れなかったものだと思うほどに強い。正面切って逆らえるのは、それこそ正教会ぐらいのもの。
姫殿下がその気になれば、ザザのごとき田舎貴族の令嬢を排除するのは訳もないはずなのだ。
ところが、排除するどころかザザは結婚までの間、行儀見習いとして王宮で暮らすことになったのだという。まさに異例中の異例。世間一般的な見方をするならば、王家はオズくんとザザの婚姻を承認し、後ろ盾になろうとしているとさえ思われた。
(矛盾だらけ……オズくんと姫殿下、そしてザザの本当の関係は、いったいどうなっているのでしょう)
私は、自分の手元へと視線を移す。
ノートにはオズくんたち三人の相関図。姫殿下から二人へと伸びるラインの上にクエスチョンマークを書き入れ、三人が形作る三角形の外に、自分の名前を書き入れた。
私には恋愛をする資格がない。
傍観者として、他人の恋愛模様を楽しむことしかできない。
だからこそ、人並み以上に憧れるのだ。
普通の恋愛が好き。三角関係はもっと好き。ドロドロぐちゃぐちゃな愛憎劇も大好物。男の子同士の恋愛も大好きで、女の子同士の恋愛も捨てがたい。肩が触れただけで頬を染める女の子の姿は愛おしいし、照れ隠しにぶっきら棒な態度をとる男の子の可愛さには頬が緩む。実った恋は美しく、虚しく散った愛もまた美しい。道ならぬ恋に忍ぶ姿も、恋の成就に歓喜する様も、嫉妬に身を焦がして破滅する様も等しく美しいと思う。結末の如何を問わず、恋に身を焦がして男女が一喜一憂する様には胸が躍った。
そして、軽い女を装いながら純情一途な親友と、内心と態度が裏腹な純情姫殿下が一人の男性を巡って、心を揺らす様など純金にも勝るほどの価値がある。
だが、今回ばかりは乗り遅れた。乗り遅れたのだ。
私が実家でのうのうと養生している内に、彼女たちの恋愛模様は複雑怪奇な進展を見せ、現在の意味不明な状況を呈している。
いったい、私の知らないところで何が起こったのだろうか? オズくんが選んだのは、本当にザザなのか? 姫殿下はいったいどんな立場なのか?
この状況をはっきりさせなくては、この胸のモヤモヤが晴れることはないだろう。
(これはもう……問い詰めるしかありません)
そう決意した私は、一限目の授業が終わってすぐ、ザザにこう告げた。
「ザザ、積もる話がいっぱいだし、今晩泊まりにいくから」
「え? 泊まりに行くって……いやいやいや! ほら、アタシ、王宮暮らしだし……そんな勝手なことできないってば!」
「姫殿下、ダメですか?」
私は姫殿下の方を振り返って問いかける。なんだかんだと言いながら姫殿下は押しに弱い。とにかく弱い。断られてもしつこく食い下がれば、きっと許可してくれるはずだと。
ところが──
「いいわよ」
「……え?」
あまりにもあっさりと許可が出て、私は思わず目を丸くした。
「なに、その顔? 久しぶりに再会したバディの邪魔をするほど、私は狭量じゃないわよ」
涼しげな顔をして肩にかかった髪を手で払う姫殿下。だが、一方でザザが酷く慌てだした。
「ちょ、姫殿下、今夜は……」
「あー心配しなくても大丈夫、そこは私が代わってあげる。遠慮しなくてもいいから」
「ぐっ、姫殿下、あ、あんたねぇ……」
「お礼なんていいわよ、友達でしょ?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
(ザザの、この悔しそうな顔はなんだろう?)
ザザは、救いを求めるようにオズくんの方へと目を向ける。同時に、姫殿下もなぜかオズくんの方へと威嚇するような鋭い視線を送り、彼はビクッと身を跳ねさせたかと思うと、あからさまに目を逸らした。
(……あれ? もしかして私、やらかした?)
姫殿下からは、先程まで撒き散らしていた怒気が消えている。その一方で、ザザが酷く悔しげな顔をしていた。間違いなく私は、何かをやらかしていた。

午前の座学、午後の実技をつつがなく終えて、私はアカデミー復帰初日の放課後を迎えた。
「じゃ、行きましょう!」
気乗りしない様子のザザの手を取って、急かすように一般生徒の送迎専用ロータリーへ向かおうとすると、彼女は慌てて首を振る。
「クロエ、違うの。そっちじゃなくて……」
「え?」
そして、彼女に連れられて辿り着いたのは、王家専用のモト停車場。そこには王家の紋章を描いたモトが待ち受けていた。
「じゃあ、乗って」
「あ、うん……」
私は、ザザの後について王家の紋章入りのモトに乗り込む。
「それにしても……王家のモトを使わせてもらえるなんて、行儀見習いの割りにやけに扱い良いよね?」
「え? そ、そうかな?」
実際、行儀見習いと言えば、扱いは侍女。要は使用人だ。そう思えば、これは破格の待遇だと言ってもいい。
あからさまに目を泳がせるザザ。そんな彼女に助け舟を出すかのように、御者席のメイドが口を挟んできた。
「何もおかしなことはございません。ザザさまは姫殿下のご学友ですし、その婚約者であるオズさまも、女王陛下の側近中の側近であらせられるスピナー卿の弟君です。お二人には、女王陛下も特に目をかけておられますから」
王宮での特訓の際、何度か見かけたことがある。確か、ジゼルさんという名のメイドだ。
顔までははっきりと覚えていなかったが、近衛騎士並みに露出度の高い独特のメイド服には見覚えがあった。
「ふーん……そうなんですね」
(一応、辻褄は合ってるように聞こえますけれど……)
どうにも、このメイドは信用できない。纏っている雰囲気がどこか不穏なのだ。
「ええ、とはいえ、ザザさまはあくまで行儀見習いの身でございますので、普段は侍女として姫殿下のお世話をご担当いただいております。そうですよね?」
「え? あ、うん、そうそう。そうなんだよ。結構大変なんだよねー。姫殿下わがままだしさ」
確かに普通、行儀見習いとはそういうものではあるけれど、人並み以上にがさつなザザに、跳ねっかえり姫殿下の侍女など務まるとは思えない。
そしてメイドは、あらためて私にこう告げた。
「姫殿下がお許しになったことですのでとやかくは申しませんが、行儀見習いがご友人を王宮に滞在させるなどとは異例のことでございます。間違えても、勝手に王宮内を出歩かれるようなことはございませんよう。賊と間違われでもしたならば、命の保障はいたしかねますので」
「わ、わかりました」
王宮に到着して、私たちはそのままザザに与えられた部屋へと案内される。
王宮最奥の扉をくぐり、その向こうに続く別棟。中庭を取り囲むように建てられた四つの豪奢な建物、その東側の二階である。
「うわぁ……素敵なお部屋」
壁面を金細工で飾られた豪奢な部屋。ここまで贅沢にゴールドを使っておきながら全体的には極めて上品で、落ち着いたアンティークの調度品が絶妙なバランスを保っていた。
「当然でございます。ここは……大英雄オズマさまが復活された際には、
「
正直、驚いた。この場が
確かに、大英雄オズマの復活は正教経典にも予言されているが、国民の多くはそれを神話に類するものだと思っている。正教会の神官やシスターたちでもない限り、本気でそんなことを信じている人間などいないだろう。いや、神官やシスターですら怪しいものだ。
「ご夕食はお部屋までお持ちしますので、それまでごゆっくりお寛ぎください。それとザザさまはあくまで行儀見習いでございますので、王宮にいる間はこちらにお召し替えください」
「えっ!?」
手渡された物を目にして、ザザが頬を引き攣らせる。それはメイド服。それも通常のメイド服とは異なる、ジゼルさん仕様の極端に布地の少ない代物だ。
「あれあれぇ? どうなさいましたか? いつも、それを纏っておられるじゃありませんか。行儀見習いなのですから、当然でございますよね?」
「いや、あ、あのぉ……ジ、ジゼルさん? アタシ、普通のメイド服がいいなぁ……なんて」
「いやいや、何を仰っておられるのです。オズさまを誘惑したいから、この特別仕様メイド服を着たいと仰ったのはザザさまではありませんか!」
「そんなこと言……あ、あはは……あ、うん、そ、そうだったかなぁ。あ、あはは……」
ザザが顔を強張らせるのも、当然と言えば当然。なにせ、あの露出度だ。
ちなみに以前、特訓の際にジゼルさんの姿を見かけた私が、姫殿下に「あのメイドさんはどうしてあんなに露出の多いメイド服なの?」と尋ねたら、ただ一言──
「変態だから」
──と返ってきた。実際、王城で見かける他のメイドさんたちは普通のお仕着せである。
そして、ザザは一見遊んでいそうに見えるが、実はかなりの恥ずかしがり屋。自分からこのメイド服を着たがることなど有り得ない。
だとすれば、これはジゼルさんの新人メイドいびりみたいなものなのだろう。
(それなら……全力で乗っかるしかない!)
親友ならば助け舟を出すべきなのだろうが、実に残念なことに、私としてはザザがそれを着ているところを是非見たい。そして、願わくばそれを着ているところを目にしたオズくんの反応を見てみたいのだ。
「着替えたら? 私も普段通りのザザを見てみたいし」
「う……うぅ……」
私が微笑みかけると、ザザはガクリと肩を落とした。

眼福というのは、まさにこういうことを言うのだろう。オズくんに披露する機会こそなかったが、メイド服のザザが恥じらう姿を思いっきり視姦出来たのは、思わぬ幸運だった。
もちろん、ただ彼女をエロい目で眺めていただけではない。
積もりに積もった話は止めどもなかった。夕食を取りながら、食後のお茶を楽しみながら、二人でお風呂に入りながら、そしてベッドに入った後も。それこそザザが寝落ちしてしまうまで、私たちはずっと喋り続けた。
私は、隣で安らかな寝息を立てている親友の顔を覗き込む。
(うーん、ますます訳がわからなくなっちゃったなぁ……)
ザザの話に拠れば、オズくんと彼女の仲を取り持ったのは、姫殿下だというではないか。
ボルトン先輩と対戦することになった経緯は、何度聞いても今一つよくわからなかったけれど、対戦直後にザザからオズくんに告白。一度はフラれてしまったところを、姫殿下が彼女を叱咤激励して、再びアタックしたのだという。
一言で言えば「なんじゃそりゃ」である。だって、ザザがイチャつけば姫殿下が怒気を撒き散らす現状を鑑みれば、どう考えてもありえない話だ。
(姫殿下は王族で結婚は出来ないから……好きだけどザザに譲ったってこと?)
いやいやいや、あの姫殿下がそんなにいじらしいわけがない。