
六月に入ってすぐ。今日のヴィストリアーノ家は朝からバタバタして騒がしい。主に私が。
「クストーデ、せっかく着けた蝶ネクタイ何処にやったの?」
「ぷにちゃん、それは着けておくの。食べちゃダメだってば」
「ああ、髪飾りが取れちゃった」
今日は待ちに待った、お兄様とイレーネ王女の結婚式。
お兄様とお父様は挨拶があるからと、一足早く式を挙げる会場である大教会へ向かっている。私もメリーの手腕が光り、いつもよりもお淑やかに見えるようになっている、はず。パステルグリーン一色のドレスは、幾重にも重ねられたシフォン素材で動く度にフワリと軽やかに動く。
髪にはドレスと同色の大きなリボンを飾っている。
ぷにちゃんとクストーデも同じ素材で蝶ネクタイを作ってもらった。
なのに、着け慣れていないせいかすぐに外そうとするのだ。しかもクストーデが投げたリボンが見つからない。探しているうちに、綺麗に結い上げた髪が崩れてしまってリボンが取れてしまった。
『どうして我まで。ぷにだけでいいだろう』
ソファの下に潜り込んでいた蝶ネクタイを見つけ、文句を言っているクストーデの首に再度着ける。
「もう、可愛いんだから着けてよ。じゃないと美味しいもの食べられないよ」
挙式の後は我が家の庭園を使ってガーデンパーティーをする予定になっている。今はたくさんの料理を、料理人たちが頑張って用意している最中だ。
そのことを説明してあげると、途端に大人しく着けてくれたことに笑ってしまいながら、なんとか皆の準備を整えた。
実はこの世界での結婚式というのは教会で夫婦になると誓いを立てるだけで披露宴というものは特にないのだそうだ。せっかくのお式なのにそれだけで終わってしまうのは勿体ないと思った私は披露宴とまではいかなくても、ガーデンパーティーくらいしてもいいんじゃないだろうかと家族に提案したところ、是非やってみようということになった。屋敷の皆も快く準備を頑張ってくれると言ってくれた。
参加するのはいつものメンバーとそのご両親、セヴェリン親子も来てくれるらしい。そしてなんと国王陛下と王妃殿下も参加したいとおっしゃってくださったのだとか。
軽い気持ちで提案したら予想以上の豪華なメンバーが集まる事態に焦った私は、朝一番で屋敷全体に結界を張った。我が家でなにかがあっては洒落にならないもの。
「さあ、そろそろ大教会に向かうわよ」
私たちを呼びに来たお母様は深いグリーンのドレス姿で、相変わらずの年齢不詳っぷりだ。私たちを見ると、お母様はスマホをリンリン鳴らし出した。
「まあ、フフ。皆でお揃いなのね。可愛いわ」
お母様に褒められたぷにちゃんは、とっても嬉しそうにポンポン飛び跳ねている。クストーデもお母様の前で胸を張って見せていた。
不思議なことにクストーデってお母様には凄く素直なのよね。若干納得いかない気持ちを抱きつつ、二匹を連れて馬車に乗り込む。
護衛として一緒に行くメリーはなんと、光沢のあるブラックスーツ。そんじょそこらの男性なんて目じゃないくらいカッコいい。宝塚を好きな人ってこういう感覚だったのね、と思いながらお母様のスマホで恥ずかしがるメリーを撮ってもらった。勿論ツーショットもね。
大教会に到着すると入り口付近がなにやら騒がしい。私くらいの年齢の令嬢からお母様よりも上であろう淑女の方々が群がっている。
「なにかしら?」
お母様と窓からその様子を覗いてみる。うん、全然見えない。
『別に美味そうな匂いはしないぞ』
私の膝の上で興味なさそうに答えるクストーデ。ぷにちゃんも大人しい。なにか事件、という訳ではなさそうだと安堵する。それでも好奇心は消えない。
「先に降りて見て来ようか?」
そうお母様に問いかけると、意外にも落ち着き払った様子のお母様は首を横に振った。
「どうせあそこまで行くのだから、その時にわかるわよ」
いつもなら私に負けないくらい好奇心旺盛なのに。
少し不思議に思いつつも確かにそうだとうんうん頷きながら見続けていると、女性たちから落胆するような声が漏れた。それと同時に女性たちの群れが左右に分かれて道が出来る。
なにが起こったのかと目を凝らしてみると、男性が二人、その中から出て来たのが見えた。しかも気のせいでなければ、こちらに向かって歩いて来ている。
「誰?」
近付いてくる二人のシルエットに既視感を感じた。すぐに正体がわかる。お父様とルトだったのだ。
二人は涼しい顔で、風を浴びながら颯爽と私たちの馬車の方へ歩いて来る。向こうでは女性たちが名残惜しそうな視線を送っているにもかかわらず、全く気にする素振りもない。しかもいがみ合ってもいないしピリピリした空気を作り出してもいない。仲良く歩いている姿に、珍しいこともあるものだと思っていると馬車の扉が開いた。
「遅かったな」
扉を開けたお父様は、エスコートの為にお母様へと手を伸ばす。お母様は笑顔でお父様の手に自分の手を置くと、思い出し笑いをしながら段差を降り出した。
「フフ、それがね。おチビちゃんたちがタイを嫌がっていたようなの。でもほら、二人ともとっても可愛いでしょ」
話に気を取られたからか段差の途中であることを忘れ、私たちの方に振り返ったお母様は案の定、バランスを崩して足を踏み外してしまう。けれどすぐにお父様がお母様を抱き上げことなきを得た。
途端に女性たち含め、周囲で見物していた街の人々からも黄色い声が上がる。
「危ないぞ」
「フフフ、ごめんなさいね。ありがとう」
そんな私に、今度は一緒に来たルトが手を差し出した。
「ではアリー、春の精霊のように美しく可愛らしいあなたをエスコートさせてくださいますか?」
大袈裟な褒め言葉に笑いながらも素直に手を伸ばすと、その手を掴んだのは先に馬車から降りていたメリーだった。掴むものがなく宙を浮いたままの手を引っ込めながら、ルトがメリーを軽く睨む。
「メリー、こんな時くらい私に譲ろうという気持ちはないのですか?」
メリーの方は無表情のまま。お父様と同じくらい権力を気にしないメリーは冷めた声色でキッパリと言い切った。
「一切ございません」
相変わらずな二人に笑いながらも、段差を降りた私はメリーにお礼を言ってからルトへ手を伸ばした。
「ルト、ここからのエスコートをお願いしてもよろしいですか?」
途端に満面な笑顔になったルトは、恭しく私の手を取り甲にキスを落とすと自分の腕に誘導した。
大教会に入った途端、白色と銀色が目に飛び込む。その正体は、天井や壁に幾重にも重ねられ飾り付けられている白い布と銀色の布だった。そして隙間を埋めるようにたくさんの白い花。普段はダークブラウン一色の内装に、バイオレットを基調としたステンドグラスがいくつも
「うわぁ、綺麗」
「貴族の結婚式ではいつもこのような飾り付けになります。ただ、銀色の布を使用するのは公爵家が式を挙げる時だけです。因みに王族の時は金色です。ですから私たちの時はあれが金色の布になるんですよ」
「金色に?」
「はい。来年にはここが、白色と金色で飾られるんです」
「そっか……フフ、楽しみ」
「フフ、ですよね」
ルトの説明を聞きながら席に座る。お父様とお母様はもう前の席に座っていた。周りの雰囲気に呑み込まれたのか、なんだか心臓がドキドキし始める。
「なんだか緊張でドキドキしちゃう。自分が式を挙げる訳じゃないのに」
「奇遇ですね。実は私も緊張しているんです。今からこれでは、私たちの時はどれ程ドキドキしてしまうのでしょうね」
「うう、自分の時は心臓がパンクしちゃいそう」
なんてちょっとバカップルのような会話をしていると、背後から声がした。
「本当に結婚出来るか怪しくなってドキドキするって?」
「私に取られるのではないかってことですね」
「聖女様が誰を選ぶのか、ドキドキするということでしょう」
声の主たちに気付いたルトの顔が一瞬のうちに強張る。私は驚き過ぎて逆に冷静になり、後ろを向いて普通に突っ込んだ。
「招待されておりませんよね」
この式では当然のことながら、ガンドルフィンだけでなくアルーバ神国からも来賓を招待している。国内だけでも人数が多い上にアルーバからも参列者が多数いる状態で、関係のない国の、しかも王子たちを招待するとは思えない。私の言葉にルトも続く。
「招待などしていません。国を
この神出鬼没な王子たちは、本当にどうやって情報を得たのか。恐ろしい程笑みを深めたルトは、ニヤニヤしている王子たちに告げた。
「つまり、無断で侵入したということですから騎士たちに捕らえてもらいましょう」
教会の両端には騎士たちがずらりと並んでいる。だからいつでも呼ぶことは可能だ。
「そして式が終わった途端に、私が三人まとめて切り刻んで差し上げることに今決めました」
立ち上がり片手を上げかけたルトの手をアッバス王太子が慌てて止めた。
「待て、待て。ちゃんと説明するから。招待は受けている、内々でだが」
「誰からです?」
「ジャンネス殿本人から」
「絶対に嘘です。ジャンがあなた方を自ら招待するなんてあり得ません」
流石に大教会の中、しかもこれからめでたいことが控えている場で刃物を出すことは出来ずにいるルトに、アッバス王太子が続けた。
「ナシルがジャンネス殿に頼んだんだ。ナシルは彼を尊敬しているからな。是非参加させて欲しいと頼んだら、快諾してくれたそうだ」
思わず天を仰いだルト。きっと心の中で『どうしてそのようなことを』と思っているに違いない。その証拠に再び王子たちに向けた表情は全く笑っていない。
「待ってください。それってナシルだけ、では? アッバスたちは招待されていないのでは?」
アッバス王太子とフレド王子の視線が泳いだのをルトは見逃さなかった。
「やはり。では二人をとっ捕まえてしまいましょう」
「待て待て、待ってくれって。俺とてジャンネス殿を祝福したいと思っているんだ。絶対に大人しくしているから見逃せ、な?」
「今だけは聖女殿をエンベルト殿にお預けします」
「コラッ、今は余計な波風を立てるな!」
態度を変えないフレド王子の頭をアッバス王太子が叩く。
「なにをする? クズ兄上が」
このままでは兄弟喧嘩勃発か? そう思った時だった。サイドにある扉が大きく開かれそこには両国の国王陛下、王妃殿下がいた。一斉に立ち上がった参加者たちが頭を下げる中、ゆっくりと両国の国王夫妻は一番前に特別に設置されている席に向かう。ベンチではなく装飾が施されたイスで、そこに国王たちはそれぞれ座った。
頭を上げるといつの間にか私の反対隣にクレート王太子がいて飛び上がりそうな程驚いてしまう。警戒していなかったというのはあるけれど、全然気配を感じなかった。忍者なの? お陰でサルドの王子たちのことが頭から消え失せた。
「義妹殿、お久しぶりですね」
「びっくりしたぁ、お久しぶりです。えっと、クレート様」
アルーバで〈桜花〉の苗木をもらった時に名前で呼んで欲しいと言われた私は、ちゃんと頑張って実行している。ルトとラウリス以外で「殿下」という敬称をつけずに呼ぶのは、なかなか抵抗感があったけれど、呼ぶ度に嬉しそうに微笑む顔を見ると早く普通に呼べるように慣れようと思う。なんと言っても義兄になる人だし。
「クレート様はあちらで陛下方と一緒にお座りになるはずでしたよね?」
てっきり国王陛下方と一緒に入場してくると思っていたので驚いていると、クレート王太子が照れたような顔をした。
「いえ、私は元々目立つのが好きではなくてですね。それに義妹殿と一緒にイレーネを祝福したいと思いましたので、こちらに来てしまいました」
「そうなのですね。では是非、一緒にお祝いしましょう。それと、もう家族なのですからアリーと呼んでください。義妹殿は言いづらそうです」
そう提案すると、ぱあっと花が咲いたように笑う。
「聖女様を愛称で呼ぶことを許していただけるとは。嬉しいです、アリー」
アルーバ神国では聖女は王族よりも地位が高いという思想らしいので、そう思うのも無理はない。嬉しそうに私を呼ぶ義兄に私も微笑んだ。
ところが忘れていた背後の王子たちが文句を言い出す。
「おい、ズルくないか? 俺だって聖女と呼んでいるんだぞ。クレート殿がいいなら俺だってアレクサンドラと呼んでもいいよな?」
「私はアリーとお呼びしたいですね」
「私はまだ今のままでいい。正式に略奪出来たら考える」
サルドの王子たちはそれぞれ好き勝手なことを言っている。別にどう呼ばれようがあまり気にしないので、好きに呼んでくれて構わないのだけれど。そう答えようと口を開きかけた私よりもルトが先に答えた。
「冗談じゃありません。クレート殿は百歩譲って許可しましょう。新たな家族となった方にまで制限するつもりはありません。ですがあなた方にアリーを名前で呼ぶ許可は出せません。そもそもそんな権利はありません。いつまでもずっと聖女様と崇めていてください」
すると三人は本人の前で悪口を言い出した。
「名を呼ぶことすらアイツの許可がいるってなんだ? あの男の束縛の激しさは天井知らず過ぎるだろ」
「そうですね。聖女様もよく平気でいられますよね」
「そういう男のことを器が小さいと言うんだ」
「ハハハ、フレド。よく言った」
アッバス王太子が笑った時だった。もの凄い圧が三人の王子の身体を固まらせた。圧はルトからではない。ルトより前から発せられている。そして深い紫色の眼光が三人を鋭く睨んでいる。
「
静かな声色のはずなのに、身震いしてしまう。あの目からはきっとビームが出るに違いない。アヒルのようにガアガア言っていた王子たちは、小さな小鳥のようにささやかに「はい」と揃って返事をした。
「ダメだ……自分の親父が可愛く見えてしまう程恐ろしい」
「神獣様が大きくなった時と同じくらいの圧を感じました」
「あれが聖女奪取の大きな壁……」
小声で話す三人に、ルトと私とクレート王太子は声を殺して笑ったのだった。
盛大に鐘が鳴り、いよいよ二人が入場となる。私たちの背後にある大きな扉が開かれ、白と銀の衣装に包まれた二人が姿を現した。
お兄様は白のタキシードで中のベストが銀色。イレーネ王女は真っ白なドレスに見事な銀糸の刺繍。ベールにも銀糸が織り込まれていて、王女が動く度に窓から入る陽の光に照らされて、キラキラと輝いてとても美しい。
中身も外見も美しい二人に、周囲からは溜息が零れている。参列者からの惜しみない拍手の中、二人は優雅に神父の前まで進む。その姿を見送りながら、私も拍手をしていた。
そして私たちの横を通った時、二人が微笑みながらこちらを見た。その途端、堪えていた涙が一気に溢れ出してしまう。
「これはハンカチでは足りないかもしれませんね」
ルトが私の肩を抱きながら涙を拭いてくれるけれど、なかなか涙は止まってくれない。結局クストーデに魔力を流してもらってやっと落ち着いた。
神父の前で互いの愛を誓い合った二人は、次に証明書にサインをする。本来であればそこで式は終了。けれどやっぱりそれだけでは勿体無い。だからここでも
退場する気配のない二人に参列者が不思議そうにしている中、神父が急に祈り始めた。
「二人に幸せの証を~」
最後にそう締めた神父の言葉を合図に、クストーデがふわりと二人の元へ飛んで行く。その手には真っ白な小さなクッション。突如現れた神獣に皆から歓声が上がる。
この為にクストーデにはずっと大人しくしてもらっていたんだよね。
思惑通りに湧いた会場の中、二人の前でホバリングしながらクッションを差し出す。勿論、背後にいる参列者たちにも見える位置でだ。お兄様と王女は楽しそうに笑いながら、クッションの上に鎮座している結婚指輪を取ってからクストーデを撫でた。
それを合図にクストーデはその場で消え、私の膝の上に戻って来た。やるまではぶーたれてたくせに、戻って来た今は、満足気な顔をしている。
「フフ、お疲れ様」
『アリーの時にもやってやってもいいぞ』
小声でそんな会話をしている間にも、指輪を受け取った二人は互いの指に嵌めた。初めて見る光景に驚いていた参列者たちから少しずつ拍手が鳴り始める。次第に拍手の音は大きくなり歓声まで上がった。
大教会が大いに湧いている中、今度はお兄様が王女のベールを上げて優しくキスをした。その瞬間、歓声は止み拍手の音が消え、水を打ったようにシンとなる。
そして次の瞬間、黄色い声と歓声で大教会が揺れた。楽しそうに笑うお兄様と、恥ずかしそうにお兄様の胸に顔を埋める王女。歓声が止まない大教会。そんな状況に興奮したのかぷにちゃんが、私の肩の上でポンポン弾み出す。そして大きく跳ね上がり数メートル跳んだ。
「ぷにぃ!」
大きく鳴いたぷにちゃんが空中で膨らむ。なにをするのかとヒヤヒヤしている私の膝の上ではクストーデが『やれ、ぷに!』と楽しそうに叫んでいる。どんどん膨らんだぷにちゃんは大きなバランスボールくらいになっていた。そして大きく息を吸い込み、ふうっと口からたくさんの花びらを吹き出したのだ。会場中に色とりどりの花びらが降る。