バタッとなにかが倒れるような大きな音がした。驚いた皆の視線が音の方へ移る。そこには片手で口元を覆った状態のまま倒れているルトの姿があった。

「な、な、なんて……なんて可愛らしい。危うく気を失ってしまうところでした」

 倒れたままスマホをこちらに向け鈴の音を何度も鳴らしている。鈴の音はひとつではない。お兄様もニコニコしながらちゃっかりと撮っている。

「殿下、うちのアリーは可愛いでしょう」

「ええ、ええ。それはもう本当に」

 そんな会話をしながらも鳴り止まない鈴の音に、ルトとお兄様にアプローチをかけていた獣人の女性たちは揃って驚いた表情で二人を見つめていた。

 ハグワール氏とアエトス氏はそんな様子を見て愉快そうに笑っている。

 そしてこちらにも、私のケモ耳を見て興奮している子がいた。瑠璃だ。瑠璃は私の姿を見て嬉しそうに『聖女様も獣人なのですね?』と小さな尻尾をブンブン振っていた。そんな瑠璃を宥めつつ、宴会の夜は更けて行ったのだった。


◆◆◆◆◆


 ガンドルフィンへ帰る日の朝。せっかくなら飛んで帰りたいと私が言ったことで、クストーデに乗せてもらって帰ることになった。獣人の皆が見送りに集まってくれている中、私は珊瑚と瑠璃と抱き合って号泣していた。

「絶対、絶対また会おうね」

『はいです。絶対です』

『もっと聖女様といたいです』

 そんな私たちにルトが呆れたように言う。

「正式に友好条約も結びましたし、転移の魔法陣もすぐに魔術師団に設置してもらいますから、そんなに泣かなくていいのですよ」

 そうは言っても悲しいものは悲しいのだ。全く泣き止む気配のない私たちを見てハグワール氏は笑っていた。

「こちらとしてはいくらでも聖女にいてもらって構わないのだが」

「ハグワール殿、変なことを吹き込まないでいただけますか? アリーが本気にするではないですか」

 ルトが文句を言うと、アエトス氏までがハグワール氏の発言に乗っかった。

「聖女様が滞在してくだされば、皆も喜びます。訓練の向上にも繋がりますし」

 アエトス氏の横では、ハグワール氏がうんうんと頷いている。ルトは二人の獣人を軽く睨んでから大きな溜息を吐いた。

「もしかして、また余計な邪魔者が増えたのでしょうか? 毎度毎度、本当にもう……アリーにはやはり鳥籠に入ってもらった方がいいようです……ああ、鳥籠、鳥籠と言えば。やはりあの愚王には私自ら制裁を加えなくては気がおさまりません」

 途中からはぐちぐちと呟いているだけになっている。ルトの様子がおかしくなったことにハグワール氏たちが戸惑っていると、お兄様が代わりに話を進めた。

「殿下のことはどうかお気になさらず。ライバルが増え過ぎて少々おかしくなっているだけですから。ところでハグワール殿、アリーは殿下の婚約者であるとわかっていらっしゃいますよね?」

「はい、勿論です。大恩のあるガンドルフィン王国に喧嘩を売るような真似はしません。聖女殿がどんなに素晴らしい女性であっても、私と互角に戦える力を持っていることに惹かれても」

 ハグワール氏の言葉にお兄様が笑った。アエトス氏も笑ってしまっている。

「私の妹を気に入ってくださりありがとうございます。私としましては殿下を応援する所存ですが、殿下より優れている者が現れた時には妹の判断に任せようと思っているんです。フフ、兄バカで申し訳ありません」

 キョトンとしたハグワール氏たちににこやかな笑みを見せたお兄様は、ルトを覚醒させ、まだ泣き続けている私を抱え上げクストーデの背へ乗せた。

 私たちが背中に乗ったことを確認したクストーデが音もなくふわりと浮かぶ。

「珊瑚~、瑠璃~、獣人の皆~。絶対また会いましょうね~」

 泣きながらも獣人たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた私を、後ろからルトがギュッと抱きしめてきた。

「もしかしてルトも寂しいの?」

 私が問いかけると、よくわからない返事が返って来た。

「ライバルが増え続ける事態に私の胸は張り裂けんばかりです。私は決めましたよ。誰だろうが一撃で倒せるように強くなります。例え身体能力が段違いでも負けませんから」

「う、うん。わかった」

 本当はわかってないけれど、興奮しているルトを宥めるためにわかったフリをしておく。ルトは今でも十分強い。お兄様とお父様以外で敵になり得る人物なんていないと思う。それでも尚も向上心を忘れないルトに、私も負けじと頑張ろうと思った。

 そんな中、お兄様はなんだか楽しそうに笑っていた。


☆☆ジャンネス視点☆☆


 王城の地下牢でゾルガの連中が生きた状態でいることを確認した私は、殿下を自室まで送り届けてから屋敷に戻った。アリーは勿論、家族は皆もう眠っている時間。居間のソファに疲れた身体を沈ませると、クストーデが現れた。

『おい、ジャンネス。どうしてあのようなことを言ったのだ?』

 クストーデが言うあのようなこととは、ハグワール氏に言ったことに違いない。確かに私はアリーには殿下が相応しいと思っている。なによりどちらも相手を思いやって相思相愛の間柄だ。ふと、あの時のハグワール氏の驚いた顔を思い出し思わず笑ってしまう。

「ハハ、彼はとても驚いた表情をしていたね」

『それはそうだろう。それで? どんな気持ちの変化があったのだ?』

「変化があった訳ではないよ。ただね、殿下にもう一回り成長して欲しいと思ったんだ」

『成長?』

 殿下は周辺の国の中でも群を抜いて統治者としての才覚を持っている。その証拠に気付けば次々と友好国を増やし、国としての発展をも促す効果を出しているのだ。

 勿論、アリーがいるからというのもある。けれど国としての力を溜めることに繋げているのは殿下の手腕によるものだろう。

 ただいかんせん、殿下はまだ若い。初手から舐めてかかる人間が多少なりとも存在するのは当然のこと。その部分を少しでも払拭出来る人間に成長するにはどうすべきかということなのだ。

 ハグワール氏に言ったのは、彼が今までにアリーに想いを寄せた人物の中で王族という約束された立場ではなく、国民に認められて代表になったという実力者だったから。

「これからもアリーを欲しいと思う人間がいるとして、全てがいい人間である訳ではないからね」

『なるほど』

「それにね。来年には父上という最大の壁と戦わなくてはいけない。その為にももう少し成長して欲しいかなと」

『ハハハ、いくら彼奴でもヴィストリアーノの男たちに勝つことは無理だろう』

「なにも剣でとは言ってないよ。人間としての器とかね」

『それは彼奴にとっては難しそうだな』

「フフ、正直来年までには無理かなとは思っているけれどね。少しでいいんだ、父上が二の句を継げなくなる瞬間を作り出せるように」

『父上殿を黙らせるなにか実績を、か?』

「うん、そうだね」

 それが出来ない殿下では、私もアリーを渡したくない。殿下はそれが出来るはず。

「クストーデも手伝ってくれるかい?」

『そうだな。我の聖女を泣かせるような男はいらんからな』

 そう言ったクストーデと私は暫く笑っていたのだった。


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