『此奴、聖獣ではないか?』
「え?」
聖獣って、アルーバ神国の先代から聞いたあの聖獣?
マジマジと見つめてみる。確かに神秘的だとは感じたけれど……聖獣ってこんなに小さいの? 今のクストーデより明らかに小さい。もしかしたらクストーデのように小さくなれるってことかな?
試しに聖魔法を白い子に流し込んでみた。するとピクリとして瞳がゆっくりと開き、真っ黒でキラキラした瞳が私を見つめた。
「か、可愛い」
え? なに? この可愛い生き物は。これが聖獣? どうしてこんなに可愛いの?
鼻血が出そうになるのをなんとか堪えつつ声をかけた。
「大丈夫?」
私の声に反応した聖獣は、つぶらな瞳でジッと私を見つめ「アン」と鳴いた。
マズイ! 本当に鼻血出ちゃう。今出てしまったらこの子に垂れてしまう。堪えねばと顔面に力を入れた。
途端に私を見ていたルトが笑い出した。後を追って来た皆も笑い出す。クストーデなんて指差しながら笑ってる。そんなにおかしな顔になってるの? 聞きたいけれど怖くて聞けない。
『もしかして、聖女様?』
笑われていることに不満を感じていると、可愛らしい声が頭の中に入って来た。この感覚はよく知っている。念話だ。どうやら白い子が私に話しかけているらしい。
「ええ? そうよ。あなたは聖獣?」
そう問いかけると再び「アン」と鳴く。
それ、ちょっと可愛すぎるんで念話で話してもらっていいですかね?
白い子をそっと地面に下ろしてやり、鼻血が出ないように鼻筋を指で押さえる私の横で、クストーデが聖獣に話しかけた。
『なるほど、確かに聖獣で間違いないようだな。そのような者がずぶ濡れで、一体なにがあったのだ?』
そこで初めてクストーデの存在に気付いたようで、聖獣は慌てたように平伏した。そんな聖獣に対してクストーデの声は存外優しい。
『そのように
『僕はベスティエの聖獣で……』
そっと顔を上げた聖獣がそこまで答えると、クシュンとくしゃみをする。
「まずはその子を城に連れて行きましょう。風邪を引いているかもしれませんし、一度医者に診ていただいた方がいいと思います」
確かにそうだ。全身ずぶ濡れでイルカの背に乗っていた上に、意識も失っていた。なにか大変な目に遭ったのは間違いないだろう。ルトの提案を受け入れ私たちは王城へ戻ることに決めたのだった。
王城に戻り早速医師に診てもらうと、長い時間海水に浸かっていたせいで身体が冷えているのと、栄養失調気味であることがわかった。外傷などはないそうなので、少し療養すれば元気になるだろうということだった。
「聖獣ってなにを食べるの?」
『知らん』
診察が終わって疲れたのか、聖獣は眠ってしまっている。
魔術師団にいるセヴェリンに頼んで常時熱を発する毛布はないかと聞いてみたところ、毛布はないけれどクッションはあるというので持って来てもらった。
オレステはつられたようで、いつの間にかそのまま突っ伏して眠ってしまっている。
聖獣が起きたらご飯をあげたいのだけれど、クストーデが役に立たないせいでなにを用意したらいいのかわからない。可愛らしい寝姿を堪能しつつそんなことを考えている横では、ルトとお兄様が真剣に顔を突き合わせている。
「ベスティエと言っていましたよね。ベスティエ共和国の聖獣ということのようですね」
「ゾルガ王国を越えて海を渡ったということでしょうか? 少々考えにくいことですが」
ガンドルフィンの西側は大きな湾になっている。その湾の反対側にはゾルガ王国という国がある。湾を二分するような感じで二国は隣接しているのだ。そしてベスティエ共和国というのはゾルガ王国の更に奥にあり海には面していない。つまり、ベスティエ共和国を出て更に、ゾルガ王国も越えなくては海には出られないということになる。
しかし今現在、ゾルガ王国はどの国とも友好的な関係は築いていない。自国が海に面していることで漁業をメインに発展した国だったのだが、先代の王に代替わりした頃から取引材料である魚介に法外な関税をかけるようになったらしいのだ。
急に値段を跳ね上げたことで周辺の国との折り合いが悪くなったらしい。ガンドルフィンは海に面した部分がある国なので、元々ゾルガ王国とはあまり繋がりを持っていない。しかもゾルガから手を引いた国とも交易をしている。
つまりガンドルフィン王国も例に漏れず、ゾルガ王国とは不仲である。隣国であるにもかかわらずなんの繋がりもないということは、相当仲が悪いということなのかも。
「ベスティエとゾルガは長年に
お兄様が言うには、なんでもベスティエ共和国は大森林に囲まれた土地で、他国との交流が困難なのだそうだ。大森林に邪魔をされずに隣接しているのがゾルガ王国だけらしい。それって他の国とは交流を絶っているということなのかと疑問を抱いてしまう。ところがルトからの返事はそんな疑問を覆す内容だった。
「確かにこちらからベスティエ共和国へ行くことは非常に困難です。ですがベスティエ共和国に住んでいるのは、ほとんどが獣人という種族です。獣人というのはそもそもの身体能力が人間とは明らかに違っていてですね、大森林をものともしない強者が大勢います。ですから相手国からは無理でも自国から他国へ行商することは出来るのですよ」
「獣人?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、ルトは笑いながら答えてくれた。
「獣人とは言葉の通り、獣と人の両方の面を持った種族です。これが実に多種多様でして、獣の姿のままの獣人もいれば私たちと変わらない姿の獣人もいます。それと……フフ」
何を思い出したのかルトが嬉しそうに笑う。私を見つめたまま、私の頭を撫でそのまま髪を一房指に絡め
「それとですね」
「アリー、聖獣が」
ルトが話し出したと同時にジュリーが私を呼んだ。聖獣という言葉にルトから視線を外してしまう。ルトも優先度を理解しているのか、そのまま素直に私の髪を手放した。
「体調はどう? お腹空いてない?」
傍に駆け寄った私をクリクリの瞳が見つめる。問答無用で可愛い。ここが何処なのだろうとでも思ったのだろう。身体を起こし部屋をキョロキョロと見ていた聖獣の瞳が私とその隣でクッキーを頬張っているクストーデを見つめた。そしていきなり平伏し出した。
『神獣様、聖女様。お願いです。兄と獣人たちを助けてください!』
『僕たちがゾルガ王国に
涙を零しながらも懸命に説明を続ける珊瑚。
聖獣たちの主な仕事は大森林の巡回と、ゾルガ王国との国境の警備なのだそうだ。その日もゾルガ王国との国境付近を歩いていたところ、突然腹部に痛みが走ったと思ったらそのまま意識を失ってしまったらしい。気付いた時にはゾルガ王国に捕えられていたとのことだった。
説明しながらも可愛らしい瞳からポロポロと涙が零れ落ちている姿に、胸がギュッと苦しくなってしまう。
『僕はなんとか逃げ出そうと閉じ込められた部屋で暴れていました。そしたらゾルガの王だと名乗る人間が来て、僕を地下の通路みたいなところに連れ出したんです。そこには何人もの獣人たちが縛られて捕まっていて……僕が大人しくしないと獣人たちがどうなるかわからないぞって言われて……』
泣き過ぎて言葉に詰まってしまった珊瑚を抱き上げる。
「大丈夫、大丈夫だから」
なんの慰めにもならないだろうけど、優しく背中を撫でると勝手に聖魔法が発動し珊瑚を包んだ。
聖魔法の『癒し』の力が発動したらしく、気持ちが落ち着いたのか泣き止んだ珊瑚は、フウっと息を吐き出すと再び話し出した。
『獣人は普通の人間より明らかに強いんです。しかも捕まっているのは強い男の人ばかり。普通に考えたら獣人が、特に男性の獣人が捕まるなんてことがあるはずないんです。これはきっと僕たちが人質になってしまったせいなんだと思います。だから逃げ出そうと思ったんです。僕たちが逃げられれば、獣人たちはゾルガに従う必要はなくなります』
こんな小さい子が懸命に逃げ出す方法を考えたなんて。健気過ぎてもう胸が痛い。話を続ける珊瑚の瞳からは、またもや涙が零れ落ちる。
『僕と兄の
「双子が揃っていなくては力が出ない、としても聖獣であればそれなりに力があるのではないのですか?」
珊瑚の話が途切れたところで、ルトが珊瑚に問いかけた。途端に珊瑚の表情が更に悲しそうなものになる。
『実は僕たちは、聖獣として生まれ変わったばかりだったんです』
聖獣というのは数百年に一度、生まれ変わるのだそうだ。魂はそのままに形だけが変わるそうで、珊瑚たちも生まれ変わってからまだ数ヶ月らしく、本来の力を取り戻すのには更に数ヶ月かかるということだった。
「なるほど。だからゾルガは動き出したということですね」
珊瑚の話に納得したらしいルトは、大きく頷いていた。
『だからまずは僕が逃げ出して瑠璃を探そうと思いました。でも……なんとか隙をついて逃げ出したのはいいけれど、追いかけられてしまって無我夢中で逃げるしかなかったんです。そしたら海に出て、イルカさんが助けてくれたんです。神獣様たちがきっと助けてくれるって』
珊瑚は前足でグイッと涙を拭いて私とクストーデを見た。
『お願いです。僕たちを、ベスティエを助けてください!』
こんなウルウルの瞳で見つめられ助けを請われて、一体誰が断れるというのだろう。クストーデと私は目を合わせて互いに頷き珊瑚を見た。
「わかったわ。ね、クストーデ」
『勿論だ』
「ぷに」
即答する私たちに、ラウリスたちは賛成してくれた。けれどルトは少し難しい顔をしている。交流すらない、なんなら敵対しているといっても過言ではない国と対決することになるのだ。
次代の王としては立場的にも難しいものがあるのだろう。下手をすれば戦争になってしまうかもしれないのだから。
「ゾルガですか……」
難しい顔を崩さないままルトが呟く。もしかして反対される? 不安な気持ちになりながら次の言葉を待っていると、ルトの口元がニヤリとしたのが見えた。
「あちらの先王には何度か会っているのですがね、あのような人物がよく国を率いる立場でいられるなと感心する程のクズだったんです。現王にはまだ会ったことはありませんが、どうやら先王の血をしっかり受け継いでいるようですね。獣人たちを集めて一体なにをするつもりなんだか……フフフ、どうやら公的に潰すチャンスが来たようです」
ええっと……うん、賛成、ってことでいいんだよね。不気味な笑みを浮かべているルトを横目に、私はこの可愛らしい珊瑚を泣かせた人物をぶっ飛ばそうと心に決めた。
珊瑚を助けてから二日後。
私は今大森林の中にいる。私たちに話をしたことで安心したのか、あれから丸一日眠り続けた珊瑚だったけれど、目を覚ました頃には元気になっていた。念の為にもう一度聖魔法を注いであげると万全にまで回復した。
『聖女様の魔法はとっても気持ちがいいです』
可愛らしい姿でそんな可愛いことを言うなんて。
「いくらでも注いであげるからね」
目をハートにしながら答えた私に、クストーデとぷにちゃんが溜息を吐いていたけれど、そんなことが全く気にならないほど珊瑚は可愛かった。
聖獣が元気になったのであれば、やることはひとつとばかりにベスティエ共和国へ行くことが決まった。クストーデに乗って空から一気に国へ入るという案が一番よかったけれど、万が一、その姿をゾルガ王国に見られたら大変だということで、ベスティエ共和国と大森林を挟んだ隣国にあたるメディオ公国という国から入ることにしたのだ。
メディオ公国は大森林とガンドルフィンの間にある小国だ。
大森林を抜けるのに手間取るだろうからと人数は最小限に。私とルト、お兄様とメリー。あと珊瑚は勿論、クストーデとぷにちゃんも来ている。
「本当にこっちで合ってるの?」
『ああ、合っている』
自信満々に答えるクストーデだが私にはさっぱりだ。
この大森林、木の密集率が半端ではない。昼間なのに陽の光が届かないくらい暗いのだ。そのせいなのか動物の姿も見られない。それに大森林自体に魔力があるようで、どうも方向感覚が掴み辛い。
他の国からベスティエ共和国に入るのは難しいというのも頷ける話だ。
「空を飛ぶことが出来れば別ですが、ここは魔力を持っている者にとっては過酷な森のようでね」
ルトも少し戸惑った様子で周囲を警戒しながら歩いている。
魔法を使って方向を探ろうにも大森林の中の魔力にぶつかって正確な位置が掴めない、という感じだ。自分の力で空を飛ぶことは不可能なので、実質ベスティエ共和国に自力で行くことはやはり無理なのだろう。
『獣人は魔力を持っていないからな。彼奴らにとってはなんの問題もないのだろう』
珊瑚と共に先頭を歩くクストーデは、まるで行き先を知っているかのようにズンズンと進んでいる。
「ねえ、クストーデはどうして平気なの?」
クストーデだってたくさん魔力を持っているはずなのに。納得がいかないと思いながら質問するとケラケラと笑われる。
『神獣だからだろう』
なに、そのぐうの音も出ない返答は。全然納得いかないんですけど?
『多分ですが、獣であることが重要なんだと思います。本能の部分でわかるという感じです』
珊瑚の言葉に素直に納得する。つまり人間だけではベスティエには辿り着けない仕組みになっているということだ。
ちゃんとわかるように説明してくれる珊瑚はクストーデよりも優秀だわと心の中で思いながら浮かんだ疑問を口にした。
「じゃあ、獣人の人たちはあまり人間と交流を持たないで生きているということ?」
もしかして人ではないからと迫害されてしまったりするのだろうか? それは悲しい。
けれどルトの説明でそうではないとわかる。
「そんなことはありませんよ。あくまでもベスティエ国内に入ることが難しいだけで、交易は普通にしています。ガンドルフィンもベスティエと交易をしていますし。転移で降り立ったメディオ公国がガンドルフィンとベスティエの中間にあると言いましたよね。ですからいつもメディオ公国を介して獣人の方々と取引をしているんですよ」
「へえ、そうなんだ。よかった」
こんな森林に囲まれた国では、孤立してしまうのではとイメージが勝手に湧いてしまっていた。まだまだこの世界には知らないことがたくさんあるのだと実感してしまう。
「そろそろ日が暮れる頃合いかな? どうだい? クストーデ」
暫くするとお兄様が懐中時計を見ながら言った。
『ああ、そうだな。半分近くは進んだか。今日はこの辺りで終わろう』
そこからは早かった。
お兄様が空間魔法で収納していた大きなテントを設置する。その間にルトはあっという間に薪を積み上げ焚き火の準備をし、メリーは私の空間魔法で収納していた食材を使って料理をし始める。
いつの間にかテーブルとイスも設置されていた。
「あっという間過ぎて、なにも手伝えなかったわ」
ぷにちゃんを肩に乗せ珊瑚を抱いたまま呆然とする私を見て、ルトが楽しそうに笑った。
「ふふふ、私たちは旅慣れていますから。メリーも暗部の頃の訓練などで慣れているのでしょう」
「そっかぁ」
ん? 旅慣れている? メリーはともかく一国の王太子が? どうして?
疑問だらけで首を傾げている私を見たお兄様が声を出して笑った。
「フ、ハハハ。アリーどころかぷにちゃんまでそんなに首を傾げて」
左肩を見ればぷにちゃんの身体がにょーんと伸びて、カシューナッツみたいな形になってる。あまりにも可愛くて私まで笑ってしまう。
「フフ、ぷにちゃんも不思議って思ったんだよね。どうしてルトとお兄様が旅慣れしているのかって」
「ぷにっ」
その疑問に答えたのはルトだった。
「外交で諸外国を訪れる時、普通であれば宿やその領地の領主の屋敷などでお世話になるのですが、これがなかなか面倒でして――」
話を聞き終えた私は口をあんぐりと開けたまま固まってしまう。
この二人、あまりにも美形過ぎる故か女難がついて回るのだそう。
宿に泊まれば何処で見ていたのか寝込みを襲おうとする女性たちが現れる。領主の屋敷に泊まれば側妃狙いか、そこの娘に言い寄られたり侍女たちに迫られたりしたらしい。領主の奥方に夜這いをされかけた時は流石に問題になったのだそう。
「どうも地方の女性の方が積極的なようでして。いちいち問題にするのも面倒なので、私たちだけの時は野宿することが多いのです」
「な、なかなか大変なんだね」
それしか言えることがない。美形って大変なんだなとつくづく思っていると、メリーから食事が出来たと呼ばれた。
「わぁ」
野宿であることが嘘のように、テーブルにはたくさんの料理が並んでいる。スープにサラダ、パンにステーキ。デザートにフルーツまである。そんじょそこらの宿以上の豪華さなのでは?
「なんだか野宿というものの定義がわからなくなったわ」
野宿の時はスープとパンくらい、なんて思っていたイメージが覆されてしまった。
「フフ。これは確かに素晴らしいですね。私たち二人の時よりも豪華です」
「本当に。流石はメリーだね」
ルトとお兄様も食事の豪華さに驚きつつ、とても美味しそうに食べていた。
食事が終わりクストーデとぷにちゃん、そして珊瑚に持ってきていたクッキーをあげているとメリーが声をかけてきた。
「お嬢様、お風呂の支度が整いました」
「お風呂まで?」
「はい、お嬢様だけですが」
澄ました顔で言い切るメリーに、ルトとお兄様は肩をすくめる。
てっきり魔法で解決するか、近くに見つけた泉で身体を綺麗にするのだと思っていたから、これは素直に嬉しかった。
「じゃあ、皆で入ろう」
私の掛け声でクストーデとぷにちゃんが歩き出す。
「珊瑚もおいで」
私が珊瑚を抱き上げていると、当然のようにテントに向かうクストーデの尻尾をルトが掴んだ。
「クストーデ、あなたは私たちと一緒に泉に行きますよ」
『我は湯に浸かりたい』
「魔法で一部をお湯にすればいいでしょう」
『そんな面倒なことはしない』
「ならば私がお湯にして差し上げます」
『我が入った途端、氷漬けにしそうな顔をしているが?』
「そんなこと、私がするはずないでしょう」
『そんなにアリーと風呂に入る我が羨ましいか?』
この言葉で「なっ」とルトが言葉に詰まり、尻尾を掴んでいた手を放した。その隙にクストーデはさっさと飛んでテントへ入って行ってしまう。
「さ、お嬢様。お湯が冷めてしまいます」
メリーは何事もなかったかのように私を誘導する。
「えっと、じゃあ行ってくるね」
なんと言っていいのかわからず、それだけ言ってその場を去る。ルトの背後でお兄様が苦しそうにお腹を抱えながら、声を殺して笑っている姿がチラッと見えた。
「あの変態ドラゴン、許しません!」
テントに入るのと同時に忌々しげにルトがそう言い、堪えきれなくなったお兄様の大きな笑い声が聞こえた。
夜が明け再び大森林を進む。
ベスティエに近付くにつれ、木の密集率が下がったことがわかる。明らかに昨日歩いていた辺りよりも森の中が明るい。陽の光が差し込む場所もたくさんあり、なによりも動物の姿が見られるようになった。
『あと少しでベスティエに着きます』
小川の側で最後の休憩を取っていると、珊瑚がそう教えてくれた。
珊瑚の表情が心なしか明るい。戻れる喜びが身体から滲み出ている。心配事はまだあるけれど自分の国に戻れることを、今は素直に喜んでいいと思う。
「よかったね」
メリーが作ってくれたクロワッサンサンドを頬張っている珊瑚を撫でると、目を細めながら大人しく受け入れてくれる。くるんと丸まった尻尾が揺れて可愛い。真っ黒でフワフワのクストーデとぷにちゃんと三匹揃うと、ファンシーショップに並んでいるぬいぐるみたちのよう。
ただ、その中の二匹は食べるスピードが格段に違うけれどね。
「そういえば珊瑚っていつもはなにを食べているの?」
唐突すぎて質問の意味がわからなかったのか、両足でクロワッサンサンドを掴んだままキョトンと首を傾げた珊瑚。慌てて鼻を押さえる私。うん、まだ大丈夫。
「この神獣はね、お菓子が大好きなの。本来であれば自然の中にある魔力を取り込むだけでいいらしいのだけどね」
クストーデを指差しつつ当時を思い出した。軽い気持ちでお菓子をあげてしまったばかりに、お菓子大好きドラゴンになってしまったのだったと。
いや、お菓子だけじゃないな。なんでも好きだわね。クストーデの恐ろしいまでの食欲に改めて喫驚していると、珊瑚が元気に答えてくれた。
『僕と瑠璃はこの森の魔力を貰ってます。あとは獣人の人たちから果物を貰ったりパンを貰ったりもします。なんでも好きです』
ああ、ダメ。可愛過ぎて
『しっかりしろ』
はあ、危ないわ。鼻血を通り越して失神するところだった。そんなコントをしているうちに美味しそうな匂いにつられたのか、小さな動物たちも周りに集まり出していた。可愛いが飽和状態になっている。眼福過ぎると頬が勝手に緩んでしまう。
そんな時、幾つもの鈴のような音が聞こえた。
「鈴? どこから?」
何かが近づいて来ている? 警戒しつつ周りを見るけれど、特に誰も来ている気配はない。
ルトとお兄様とメリーがスマホをこちらに向けているだけだ。
ん? どうして三人揃ってスマホを向けているの?
「もしかして、今のってスマホ?」
言っている間もリンリンと鳴っている。私のスマホにはそんな音はないはず。一体なんの音なんだろう? 不思議に思っているとルトが嬉しそうに答え出した。
「可愛らしいアリーたちを撮っていたんです。これで映像を止めた状態で残すことが出来るんですよ。実はですね、以前からセヴェリンにスマホに映像を記録出来るようにして欲しいと頼んでいまして。中々難しかったようですが、水晶の小型版を内蔵してもらうことが出来たのです。ふふ、今回の旅に間に合って本当によかったです」
映像を止めた状態ということは写真ということだろう。どうやら鈴の音はシャッター音らしい。一体何枚撮ったのだろう。
「どうして三人だけ?」
私のスマホには付けてもらっていないけど? ずるいと訴えてもルトは涼しい顔。
「アリーの可愛い姿を残したいと思って依頼しましたから。しかもまだ試験段階ですし。まずは私たちのスマホからということで付けていただいたのですよ」
私たちの中にちゃっかりメリーが入っているのが凄い。
「いやあ、お陰でいいものが記録出来ました。ふふ」
スマホを見ながら嬉しそうにしている三人に若干引いていると、いつの間にか肩の上にリスが乗っていた。小さな前足で私の頬に触れる。お腹が空いているのかと思いリンゴを小さく割ってあげると、リスだけでなく他の小動物たちも欲しいと集まってきた。
すると、
『酔狂にも程があるな』
呆れたのは私だけではないようで、四個目のクロワッサンサンドを飲み込みながらクストーデがぼやいた。神獣をも呆れさせる三人に少しだけ笑ってしまった。
腹ごしらえも終わり再び森を歩き出す。暫くすると珊瑚がクンクンとなにかを確認するように匂いを嗅いだ。
『もうすぐです! もうすぐベスティエに入ります!』
どのくらいぶりなのか、嬉しそうに駆け出す珊瑚。そんな珊瑚を追っていると急に森を抜けた。すると向かいから「珊瑚様~!」と呼ぶ声が。その時だった。上から気配を感じた私たちは咄嗟に避ける。私たちがいた場所には四人の人間? 獣人? がいた。四人のうち二人は耳と尻尾が生えている。
「ちょ、いきなりなに!?」
私たちが襲撃に来たとでも思っているのか、文句を言う暇も与えてくれないようで、すぐに次の攻撃がくる。流石というか身のこなしが軽い上に攻撃のスピードも明らかに人間のそれよりも速い。話をする隙もなく二手三手と容赦のない攻撃を仕掛けてくる相手に、危うく反撃してしまいそうになる。手を出すわけにもいかず、ただただ攻撃を交わし続けるしかない。
そんな状況の中、向こうからは次々と獣人たちがやって来ているのが見える。防戦一方になっていることに苛つき出した頃、ルトが鋭い声を上げた。
「取り敢えずやってしまいましょう!」
「「はい!」」
お兄様と私とメリーの声が揃った。このままでは終わりそうもないと思ったのだろう。倒してしまっていいのなら話は早い。
腹部めがけて繰り出された鋭い蹴りをしゃがんで避け、そのまま軸足の
ほぼ同時にメリーは相手の首筋にクナイを当て、お兄様は倒した相手の心臓に剣を向け、ルトは相手の背後から剣を突きつけていた。
これでまともに話し合いが出来るかと思っていたのに、すぐに他の獣人たちが私たちの前に立ちはだかった。
『やめてください!』
新たに現れた獣人たちの前に珊瑚が駆け寄る。けれど怒りの感情を顕にしている獣人たちに珊瑚の声は届いていないのか、血走った目で今にも飛びかからんばかり。
しかも奥からは応戦するつもりなのか何人もやって来る。
「珊瑚、危ないから下がっていて」
聖獣の声も届いていないような輩には一度、大きな魔法をお見舞いしてやろう。
そう思った時だった。
『止まれ』
静かに、けれど足元からビリビリと電気が走ったかのような衝撃がそのまま身体を貫いたと錯覚する程の声が空から降ってきた。
『我の聖女にこれ以上攻撃をするというのであれば、我が相手になってやろう』
いつの間にか大きくなっていたクストーデが私たちの前に降りる。すると、飛びかかろうとしていた獣人たちが慌てて距離を取るように飛び退いた。彼等の口からは「神獣」だとか「聖女」だとかいう言葉が漏れ聞こえている。
『ここにいる人たちは僕を助けてくれたんです。恩人である人たちに攻撃しないでください』
クストーデの足元で珊瑚は声を張った。そこで初めて珊瑚の声が聞こえたらしい獣人たちが、珊瑚と神獣の前で膝を折った。
「珊瑚様、よくぞご無事で」
最初に膝を折った背中に翼のある男性が言うと、他の獣人たちも口々に珊瑚の帰還を喜ぶ言葉を発した。
「取り敢えずは大丈夫なようですね」
剣を収めたルトが私の横に来て言うと、お兄様もメリーもそれぞれ剣とクナイを収めた。珊瑚は私たちに向き直ると深く頭を下げる。
『本当にごめんなさい』
そんな珊瑚を抱き上げる。白い綿毛のような珊瑚はフワフワで可愛いことこの上ない。
「大丈夫よ。皆、珊瑚を心配してのことだろうから気にしてないわ」
不安そうな顔で私を見上げている珊瑚の頭を優しく撫でる。すると珊瑚は目を瞑って受け入れてくれる。珊瑚のフワフワを堪能していると、小柄な男性が私たちの前に来た。見た目は人間と変わらない。獣人の国であっても普通の人間もいるのだろうか?
不思議に思いながら小柄な男性を見つめていると、彼は私たちに向け深く頭を下げた。
「神獣様、それに聖女様。そしてガンドルフィンの王太子殿下方、突然の非礼誠に申し訳ございません。皆ゾルガにいるはずの珊瑚様の気配を感じ、ゾルガが急襲しに来たのかと勘違いしてしまいました。本当に申し訳ございませんでした」
「いいえ。こちらこそなんの先ぶれも出さずに来てしまい申し訳ありません。ゾルガに勘付かれることを防ぐ為、余計な行動は全て省いたもので」
穏やかに微笑みながら答えたルトだったが、目が笑っていない。いきなり攻撃を受けたことを根に持っているのかも。なんて思いながらルトと男性のやり取りをぼうっと見ていると、ルトの声色が少し変わった気がした。
「ところで、あなたは?」
鮮やかなエメラルドの瞳が鋭く光る。ルトの視線の変化は男性も感じたようで、表情が少し固くなったのがわかった。
「私はベスティエ共和国の代表補佐をしておりますホウツと申します」
ホウツ氏の話によるとベスティエの代表はハグワールという獣人で、今は数人でゾルガに潜伏して聖獣たちの行方や他の獣人たちの収容場所を探っているのだとか。因みにホウツ氏も獣人なのだそうだけれど、強い獣人ではない為、基本的にここに留まって代表がいない間の内政を任されているそう。
「これで三度目になるのですがどうなるか……ゾルガ城の警備が厳重でなかなか入り込めないのだそうです」
それからベスティエに招き入れられ、今はメインハウスと呼ばれる大きな屋敷に案内されている。王国でいうところの城のようなものだそうだ。そこで詳しい話を聞くことになったのだ。ホウツ氏が話を続ける。
「多分、明日辺りに戻ってくると思います。それまではどうぞこちらでお過ごしください。それにしましても、本当によくお戻りに」
珊瑚を見て嬉しそうに微笑むホウツ氏。他の獣人たちも珊瑚の帰還を知りたくさん会いに来ている。号泣しながら喜んでいる獣人もいた。
そしてクストーデを
ホウツ氏曰く、神獣は獣人の中では一番の神であると考えられており、聖女の出現と共に神獣も姿を見せたという話は当然ながら知っていたが、実際に姿を目の当たりにすることが出来るとは思っていなかったから喜びもひとしお、とのことだった。崇められている本人であるクストーデは、全く興味がなさそうなんだけれどね。
なんやかんやと一日が終わり翌日。私とメリーは今、珊瑚にメインハウスを案内してもらっている。クストーデは朝食の時から機嫌が悪い。獣人の食事というのは素材の味を大切にしているようで、正直言ってあまり美味しいといえるものではなかった。夕食から続いている素材本来の味を引き立たせるうすい味付けに、クストーデは我慢の限界なのだろう。
仕方がないので万が一にと空間魔法で持ってきていたお菓子を食べさせて、ようやく普通の機嫌に戻ったくらいだった。ぷにちゃんも普通に食べていたけれど、プルプルしていなかったからイマイチだったんだと思う。
あと、獣人には四つの形態があることを知った。まずは動物の姿のまま。次に動物の姿で二足歩行をしている状態。ここまでは獣人であれば誰でも出来る姿なのだそうだ。そして耳と尻尾、もしくは翼がある状態の人型。最後は完全な人の姿。
完全な人の姿になれる獣人はほんの一握りしかいないそうだ。
「変化って魔法とは違うの?」
魔力が備わっていないと聞いていたから、姿を変えられることが純粋に不思議に思えた私は珊瑚に質問した。
『変化は獣人だけに与えられた能力としか言えません。それに獣人は変化以外、魔法と呼べるものは全く使えません。これは例え人間とのハーフであってもです』
「人間とのハーフもいるんだ」
『はい、ハーフの人は基本的に人の姿にしかなれません。たまに耳と尻尾を出せることもあります。でもそれはほんのわずかです。ホウツさんもハーフです』
急にホウツ氏の名前が出てびっくりしてしまう。そういえばホウツ氏は完全な人型だった。
「ホウツさんってハーフだったの?」
『はい。猿の獣人と人間のハーフです』
「なるほど」
妙に納得してしまった。小柄で少し背が丸くなっている感じは、確かにちょっとお猿さんっぽいかも。代表補佐をやっているのもお猿さんであれば納得出来る。きっと賢いのだろう。
そんな話をしているうちにメインハウスの端まで来た。大きな扉があってその向こうの外がなにやら騒がしい。
「向こうにはなにがあるの?」
『防衛隊の訓練場です』
聞き慣れない言葉に説明を求めると珊瑚は懸命に教えてくれた。どうやら防衛隊とは騎士団のようなものらしい。
「行ってみたいわ」
今、私の目はきっとキラキラしているに違いない。後ろにいるメリーも同じような気がする。昨日、実際に獣人と戦ってわかった。明らかに人間よりも強いのだ。中に入れば他の獣人の強さも目の当たりに出来るチャンスに違いない。
『いいな。我が鍛えてやろう』
「ぷに」
クストーデとぷにちゃんも珍しく乗り気だ。多分この二匹は食事の鬱憤を晴らそうとしている。まあ、獣人であればいい対戦相手になってくれるだろうからいっか。
私たちの熱意を感じた珊瑚が喜んで了承してくれたことで、私たちは防衛隊の訓練場へ向かい、意気揚々と扉を開けた。
「頼もう!」
大きな声で訓練場へ入る。と、目の前に黒くて大きな壁があった。
「なんだか光沢のある壁ね」
不思議な壁に手を触れようとすると、壁が動いた。
「ああ?」
壁のように見えたそれは壁ではなく大きなゴリラだった。ドスの効いた声と共に振り返り私を睨むような視線で見てくる。
「キャー! でっかいゴリラ!」
あまりに驚き過ぎて悲鳴をあげてしまう。やってしまったと思う間もなく、訓練場のど真ん中に光る魔法陣。颯爽と姿を現したのは勿論ルトだ。
「アリー!」
ルトは一足飛びで私の傍に来たと思ったら、そのまま抱き上げゴリラと距離を取った。
「大丈夫ですか!? なにをされたのです?」
私を下ろした途端に、剣を抜こうとするルトを慌てて止める。
「なにもされてない。なにもされてないから。びっくりして叫んじゃっただけだから」
「誰ですか!? アリーを怖がらせたのは?」
「怖がってないって。大きなゴリラがいて驚いただけなんだってば」
「ゴリラ? あの者ですか?」
尚も剣を抜こうとするルトを止める私。
そんな様子を呆気に取られながら見ている獣人たち。珊瑚もあんぐりと口を開けてこちらを見ている。無表情のメリーの横ではお腹を抱えてクストーデが笑っていた。
「ごめんなさい」
「失礼しました」
やっと落ち着いたルトと一緒にゴリラに謝ると「ウホッ」と一声鳴いた後「気にしなくていい」と言ってくれた。優しいゴリラさんだ。
本当に申し訳ないと思いつつルトを見送る。ルトも仕事中だったらしく「無茶はしないでくださいね」と言って戻って行った。転移ではなく普通に歩いて戻って行く後ろ姿にちょっと笑ってしまった。
それから改めて挨拶をした後、防衛隊の人たちに訓練に混ぜて欲しいと頼むと二つ返事で了承してくれた。一度部屋に戻りシャツとパンツスタイルに着替え再び訓練場へ行く。
せっかくだからと体術での対戦を申し込むと、これもまた快く受け入れてくれた。
最初の相手は三角の耳と長い尻尾の獣人だ。猫の獣人っぽい。男性なのだが小柄で華奢な体格で、動きが機敏過ぎて懐に入るのが難しい。けれど、スピード勝負はこちらも得意とするところ。最終的には彼の動きを読み背後を取った。
メリーの相手は剣を持ったオオカミの姿で二足歩行の獣人だったけれど、これまた勝利で終わった。
「どうやらみくびっていたようだ」
ゴリラさんが感心したように言う。
一方、クストーデとぷにちゃんはとっくに数人をコテンパンにして飽きたのか、私たちの見学に回っている。
次に名乗りを上げたのはカンガルーの姿の獣人。メリーの方は大きなヤマアラシの獣人だ。カンガルーの跳躍とキックに多少苦戦するも、無事に勝利をおさめる。メリーも飛んで来る針を交わしながら勝った。
「ほお、噂には聞いていたが予想以上のようだ」
背後からそんな声が聞こえた瞬間、なにかが大きく跳躍して私の目の前に現れた。黒髪に黒いシャツと黒いパンツ姿の男性。全身が黒ずくめの中、ライトブルーの瞳は
そしてメリーの前にも一人の男性が現れた。こちらは既視感のある男性だ。記憶を辿っていると彼の背中から大きな翼が現れたことで、大森林を抜けた時にいた翼の生えた獣人だとわかった。
「少しお相手願おうか」
黒ずくめの男性はそう言い一礼すると、そのまま向かってきた。動き自体はカンガルーと同じかそれより遅い。けれどこの人、足音が殆どしない上に気配を消すのが得意らしい。しかも振りかざす一撃が強力で空を斬る音が鋭い。一撃必殺のようだ。
身体も強靭なようで蹴りが当たってもびくともしない。どうすればいいかと考えていると拳が飛んできた。ギリギリのところで避けることが出来たが、チリっとした痛みと共に頬が薄く切れたのがわかった。
家族とメリー以外で初めて体験する強力な相手にグラグラと血が
「行きます」
ふうっと息を吐き真正面から突っ込む。私のスピードが上がったのがわかったのか、驚いた表情をした男性はギリギリで避けた。けれど、ここから私の猛攻撃が始まる。それでもはじめのうちは攻撃を
『ここだ!』
攻撃を避けた男性が一瞬、私を見失ったのがわかった。決着をつけるなら今だ。高くジャンプしそのまま
『そこまでだ』
傾いた身体はそのまま背中から地面に落下し、大きくなっていたクストーデの手の上に落ちた。
「今のはなんだったの?」
自分に起こった不可解な出来事に首を傾げてしまう。身体強化をかけたのに足が上がらないなんておかしい。
『楽し過ぎて体力が限界に達していたことにも気付かなかったようだな』
呆れた声色のクストーデがそっと私を地面に下ろしてくれる。
「ありがとう」
お礼を言いながら地面に立ったのはいいが、足に力が入らずそのままペタリと座り込んでしまう。
「あれ?」
『獣人どもと三連戦した上に身体強化まで使ったのだ。そうなるのは当然だ』
どうやら体力の限界を超えていたらしい。その証拠に腰が抜けたように下半身に力が入らない。
そんな私に驚いた表情をした黒い男性が近寄って来た。
ところが立ちはだかるように私の前に影が現れる。
「触れないように願います」
冷たい声色でクナイを向けるメリーに男性の足が止まる。けれど、男性の視線は変わらず私を見ている。
ふと気付けば私を見ているのはこの男性だけではない。ここにいる獣人皆が私を見ているのだ。
そんなに腰を抜かした女が珍しいのかしら? そう思っていると珊瑚とぷにちゃんが駆け寄って来た。珊瑚は力が入っていない私の膝に前足をかけ、可愛らしい尻尾をフリフリさせながら私を見つめている。
そして唐突に聞いてきた。
『聖女様も獣人ですか?』
「へ? 違うよ」
珊瑚の質問の意図がわからず、間抜けな返答をしてしまう。
『違うのですか?』
コテンと首を傾げる珊瑚が死ぬ程可愛いのですが? 慌てて口と鼻を押さえる。今ちょっと涎垂れたかも。こんな大勢が見ている中で涎なんて恥ずかしい。
それにしても、なんだか皆さんだいぶ寄って来てませんか? 気が付けば囲まれるように獣人たちが私の周りに集まっていた。
「ぷにぷに」
やれやれという感じで鳴いたぷにちゃんが、大きく飛んだかと思ったら私の頭にみょんと広がって乗っかる。そこで初めて視線が集中していた原因に気付いた。ケモ耳が出てしまっているのだ。戦いが楽し過ぎて出ちゃってたみたい。
ぷにちゃんが懸命に隠してくれているけれど、これはもう時すでに遅しというやつだ。
「あ、これは違うんです。違くてですね」
テンパり過ぎて、まるで浮気がバレた人の言い訳みたいに違うとしか言えていない私に、見かねたのかクストーデが大きく溜息を吐きながら獣人たちに説明をしてくれた。
『アリーの、聖女のこの耳と尾は呪いだ。獣人ではない』
簡単にダンジョンでの出来事を聞き終えた獣人たちは、何故かとても残念そうに
「そういうことでしたか? てっきり仲間かと思いました」
クストーデにそう答えたのは黒ずくめの男性。
そういえばいきなり現れたこの人は一体何者なのだろう? キョトンとして男性を見つめていると、視線に気付いたのか男性がこちらに向き直った。
「いきなり対戦を申し込んですまなかった。私はベスティエ共和国の代表を務めているハグワールだ。二人の強さについ興奮してしまった。それにしても」
ハグワール氏は未だ消えていない私のケモ耳を見つめながらククっと笑う。ぷにちゃんはもういいと判断したのか、とっくに肩の上に移動していた。
「毛並みのよさそうなその耳はキツネか? それにしては毛色が少々違っているようだが」
「あ、これはですね、フェネックというキツネの仲間です」
「ああ、フェネックか。そうか。それは珍しい。キツネの獣人はいるがフェネックはベスティエにはいないな」
フェネックって珍しいんだ。そっかぁ、私って珍しいんだ。などと考えながらふとハグワール氏の頭に目を止める。
彼の頭には先程まではなかったはずの黒くて小さめの三角耳が生えていた。背後には黒くて長い尻尾が動いている。猫かと思ったが明らかに猫の尻尾より太い。
「
思わず勝手に口が動いていた。するとハグワール氏は首を横に振った。
「いや、ブラックジャガーだ」
「ジャガーでしたか。きっとカッコいいんでしょうね」
私の言葉に訓練場が沈黙した。
なにか言っちゃいけないこと言った? メリーまでもが真顔で私を見つめてくる。
「ハハハハ」
突然ハグワール氏が大笑いしたことで沈黙が破れたのはいいけれど、そんなに笑っているのは何故なのかがわからない。
すると彼の横に並んだ翼の男性が、声を殺して笑いながら話し出した。
「聖女様は人の姿の私たちよりも、動物の姿である私たちに興味があるようでございますね」
その言葉ではたと気付く。先程の言い方だと、人である姿はどうでもいいと言っているようなものだ。
「ごめんなさい。私ったらついほん――」
本音がと続けてしまいそうになり、慌てて口を閉ざした私に二人がまた笑う。
「うう、重ね重ね……」
考えずに口を開くことはやめようと心の中で誓う私に、ハグワール氏が「いや」と言って笑う。
「獣人としては本来の姿を誉めてもらうことは嬉しいことだ。だから気にしないでくれ」
代表を務めているだけあって懐が大きい。しかもハグワール氏は更に懐の大きさを見せてくれた。
「せっかく期待してくれているのならば、それに応えよう」
その言葉の意味を理解するよりも早く、ハグワール氏は大きく跳躍し空中で回転した。
そしてあっという間に彼の姿が消え、降り立ったのは大きな艶のある黒いジャガーだった。
「うわぁ、カッコいい」
前世では幼い頃、よく動物園に連れて行ってもらっていた。住んでいる地域だけではなく、他の県にある動物園にもいくつか行った覚えがある。それでも黒いジャガーは見たことがなかった。
他の動物型の獣人もそうだが、獣の姿になると本物の動物より二回りくらい大きくなるようだ。
「触っても?」
私の問いかけに黒いジャガー姿のハグワール氏は、コクリと頷いてくれた。
「凄い、黒いのにちゃんと模様があるんですね」
私の目の前に座ったブラックジャガーをマジマジと見る。遠目ではわからないがちゃんと豹柄に似た模様があるのが見える。
それに艶々で滑らかな毛並みだ。クストーデといい勝負なのではないだろうか?
そんなことを考えつつ一心不乱に撫で続けていると、背後から声がした。
「そろそろ撫で回すのは終わりですよ」
ルトだ。発している空気が若干冷たい。いくら動物の姿でも獣人であることには変わりはないのだから当然といえば当然か。
「ごめんなさい。ありがとうございました」
私が撫でるのをやめるとハグワール氏は「気持ちよかったぞ」と戯けて言った後、再び大きく跳躍する。着地した時には既に人の姿になっていた。
人の姿に戻ったハグワール氏は、真っ直ぐルトの前に進むとニッと笑った。ルトも同じようにニッと笑う。そして二人はガッチリと握手をした。
「お久しぶりです、エンベルト殿下」
「一年ぶりくらいでしょうか? お久しぶりです」
どうやら二人は知り合いのようだ。交易の時にでも会っているのかもしれない。
「それで? 瑠璃でしたか、もう一匹の聖獣と獣人たちの居場所は突き止められましたか?」
急に本題を突っ込む。歯に
それから少し落ち込んだような声色で「ご存知でしたか」と力なく呟いた。
「ご存知もなにも。珊瑚をここまで連れて来たのですから。当然のことでしょう」
「そうですよね。この度は珊瑚様を救っていただき、本当にありがとうございました」
深く頭を下げるハグワール氏の肩に、ルトが手を置いた。
「あなたのことですから、自分たちだけでなんとかしようと考えていたのでしょう。ですがそうはいきませんよ。なんせ聖女と神獣が絡んでしまったのですから」
ルトの悪戯めいた言い方に再び目を見張るハグワール氏だったけれど「面目ない」と小声で言うと、はにかんだように笑った。最初に抱いた印象をガラッと変える表情だった。
ハグワール氏の表情の変化を見ながらギャップ萌えだわと考えていると、いきなりルトに抱き上げられてしまう。
「場所を変えますからね」
落ち着いた場所で詳細と今後の打ち合わせをすることになり、ルトはそのまま歩き出す。
「うう」
廊下ですれ違う獣人の方々がもれなく、珍しそうにルトと私を見るわけですよ。視線が刺さりまくっているわけですよ。どうしてこんなに見られるのかわからないけれど、本当に恥ずかし過ぎる。
あまりの羞恥っぷりに両手で顔を覆っているとルトが不思議そうに私を見た。
「どうしたんです? こんなことくらいで。もっと凄いことだってしているでしょう」
イヤ―――。皆の前でなに言ってくれちゃってるの?
「してない、してない、してないでしょ。ルトのバカ」
そんな私たちを見てハグワール氏が笑う。
「聖女、すまない。多分皆、聖女が珍しいから見てしまうのだと思う」
そもそもベスティエに人間が来ること自体が珍しいことなのだそう。人間自体はベスティエにもいる。獣人と夫婦になってベスティエに移住して来た人たちだ。けれど貴族の人間の女性は初めて見るという獣人が多くいるからなのだとハグワール氏は言う。
「防衛隊の連中はメディオ公国に行くこともあるからそこまで好奇心を顕にはしなかったが、それ以外は仕方がない。ましてやこのように美しく、しかも聖女だなんて当分は注目されてしまうだろう」
なんか諦めてくれモードで言われた。嫌なのですがと表情で表してみたら楽しそうに笑われてしまった。
そんな話をしているうちに目的の場所に到着したらしく、ルトたちが足を止めた。通されたのは昨日の部屋。それぞれ思い思い席に座る。
この場にいるのはルトとお兄様、ハグワール氏と翼の獣人であるアエトス氏とホウツ氏。クストーデとぷにちゃんと珊瑚。そしてメリーにもいてもらっている。
ルトは私を膝の上に乗せたまま座ると大きな溜息を吐いた。
「はあぁ。それにしても……なんとなくこうなるのではないかと危惧していたんですよ。アリーにとって獣人たちの人並外れた強さはたまらない魅力でしょうからね。しかしまさか、今日の今日でラスボスと戦っているとは夢にも思いませんでしたよ」
「うう、ごめんなさい」
弁解の余地もないです。楽しかったんです。それはもう本当に。
ルトの腕の中で小さくなる私をフォローするようにハグワール氏も謝罪した。
「私からも謝ろう。思いの外楽しくて止められなかった。すまない」
ハグワール氏は三度目のゾルガ潜伏にもかかわらず、城の中に一切入れないことに不甲斐なさと同時に、無駄に時間が過ぎてしまうことへの焦燥感や憤りを感じていたという。
その鬱憤を身体を動かすことで振り払おうとして、ベスティエに戻って真っ先に訓練場に来たのだとか。
そこへ獣人相手に全く引けをとらないどころか、勝ってしまう私たちを見てカアッと血が滾ってしまったらしい。
「アエトスからあなたが聖女だと聞いた時は心底驚いてしまった。聖女というくらいだから、てっきり魔法を使うのだと思っていたからな。ところが身体強化の魔法以外は使わず、拳と蹴りで見事な戦いっぷり。そんなものを見せられてしまったら、獣人としての本能に抗えなくて興奮してしまった」
ハハハと笑いながら言うハグワール氏に、ルトは呆れたような視線を向けている。
因みにアエトス氏とは先程メリーの前に現れた
紹介を兼ねた話をしている間にメリーが皆にお茶を淹れてくれた。ルトの前にお茶を置いたメリーはそのままくるりとルトの方を向く。そして無言で私を抱き上げ隣のソファへ移動させた。
凄い、メリーってば力持ち。感心している私の膝に、当然のようにクストーデが乗ってきた。一連の流れに、ルトは諦めたように小さく溜息を吐くと急に真面目な顔つきになる。
「早速ですがゾルガは何故あなた方を?」
「わからないのです」
目的がわからないハグワール氏は首を横に振り肩をすくめる。
「珊瑚の話では連れて行かれたのは屈強な獣人ばかりだったそうですが?」
お兄様の発言に今度はアエトス氏が答える。
「いえ、女性も何人か……多分、王の側に置かれているのだと思われます。皆ドヴァーで見目の美しいタイプでしたので」
アエトス氏が言うと私以外が「ああ」と納得するような声を漏らした。
「ドヴァーって?」
「ああ、それはね」
私の問いかけにお兄様が教えてくれる。
「獣人には四つの姿があることは聞いたよね。それぞれの姿にはちゃんとした呼び方があるんだ。完全な獣の姿が〈ノーリ〉獣の姿で二足歩行の姿が〈アジーン〉人の姿に耳や尾や翼があるのが〈ドヴァー〉完全な人の姿が〈トリー〉だよ」
つまりドヴァーとはケモ耳と尻尾がある状態の獣人ということ。王の側に置いているということは王の身の回りの世話をさせているということなのだろう。
なんとなく隣に座るルトを見てしまう。意味はない。ないはずなのだけど、チベットスナギツネの顔になってしまう自分がいる。
『美しい女のケモ耳姿というのは、世間の男たちにとっては堪らないなにかがあるのだろうな』
膝の上のクストーデがルトを見ながら嫌味ったらしい言い方をする。
「ぷうに」
ぷにちゃんも賛同するように鳴いた。そんな私たちのジト目に気付いたルトが、慌てたように首を横に振る。
「私はゾルガの愚王とは違いますよ。確かにケモ耳は好きですが、あくまでもアリー限定です。他の女性獣人の方のケモ耳に触れたとしてもなんの感情も生まれませんから」
「ふーん」
慌てて言い訳をする辺り、ちょっと怪しいわ。そんな思いが返事に反映してしまう。
ルトは私の
落ち着こうと思ったのか、目の前のお茶を飲んだ。
『それ、メリーが淹れ直したばかりのお茶なんだけど』
そう思っていると案の定、「熱っ」と言って身震いしていた。ルトの後ろに立っていたお兄様は、声は出さずに肩を震わせている。メリーはというと、それはそれは冷たい視線でルトを見ていたのは言うまでもない。
それからも詳しい話を聞き、わかっていることを整理する。
「まず、囚われている獣人は既に数十人。その方たちは珊瑚が見たという地下に閉じ込められているのでしょう。それから数人の女性の獣人。こちらの方は王の側にいると。聖獣である瑠璃の居場所はわからず。そして獣人たちを集めてなにをするつもりなのかも不明のままである。こんなところですね」
ルトがひとつひとつを確認するようにゆっくり話し、ハグワール氏が頷く。静かに聞いていたお兄様が手を挙げた。
「今現在、聖獣は王の側にいると思います。珊瑚がベスティエにいることはまだ知られていないとしても、逃げ出したことは既に認識しているはずです。ということは、瑠璃はなんとしてでも逃すわけにはいかない状況なわけです。となると多分ですが、王の目の届くところにいるはずです」
流石お兄様。なるほどと皆が納得していると、ルトが再び話し出した。
「ところで、何故簡単に聖獣たちは誘拐されてしまったのですか?」
確かに不思議だ。大森林からゾルガの国境沿いを見回っている珊瑚たちを的確に見つけるのは至難の技のはず。
その件についてはハグワール氏たちも疑問に思っていたようで、何度も現場となった場所周辺を探ってみたが、麻酔弾が落ちていた以外には特になにもなかったらしい。
「麻酔弾ですか? 見回るルートはいつも同じですか?」
「いえ、一週間毎にルートを決めて動いています。毎日異なるルートです」
そう答えるハグワール氏の声は重い。
「見回りをするのは珊瑚と瑠璃だけで?」
次にルトは珊瑚に質問した。すると珊瑚は首を横にフルフルと振る。
『数人の獣人と一緒に行動します。僕たちがまだ小さいので』
「付き添っていた獣人たちは?」
『皆、捕まってしまいました』
その場にいた皆の顔が曇った。多分、同じ考えに行き着いたのだろう。
「残念ですが、こちら側に内通者がいるようですね」
数人の男性の獣人と聖獣たちを全員麻酔で眠らせ、ゾルガの城まで運ぶ。これは元から計画が立てられ準備をしていないと出来ない所業だ。
ルトの言葉に部屋の空気が重くなる。ハグワール氏は自分の手元を見つめたまま黙っている。仲間の中に裏切り者がいるなんて考えたくないのだろう。ホウツ氏も下唇を噛んでジッとしている。悔しそうだ。アエトス氏は窓から外を眺め、無言のまま行き交う獣人たちを見ていた。
重苦しい沈黙が続く中「あのぉ」と口を開く。当然のことながら一斉に視線が私に刺さる。
「数十人の獣人たちが囚われているんですよね。それに見目の美しいドヴァーの方々も。珊瑚たちが捕まった時は数人の獣人しか付き添っていないと言っていたのに、どうしてそんなにたくさん囚われているんですか?」
すると、今度はホウツ氏が説明をしてくれた。
「ゾルガの人間がベスティエにやって来たんです。瑠璃様を小さなケージに入れて。こいつを殺されたくなければ自分たちが必要とするだけ獣人を寄越せと。勿論、そんな要求を呑むつもりなどありませんでしたから、瑠璃様を救おうとしたのです。ですがケージには魔法で作られた爆弾が取り付けられていて……魔力を持っていない者がケージを持ったり壊したりすれば、すぐに爆発する仕組みになっていると言われどうすることも出来なかったのです」
拳を握り締め悔しそうに言うホウツ氏に、こちらまで感情が揺さぶられる。
きっと目の前にいるのに助けられない悔しさや、仲間たちを連れて行かれるのを黙って見ていることしか出来ない悔しさで自分たちを責めているのだろう。
それからもゾルガの人間は二度程やって来たらしい。
「そういえば、間隔的にそろそろ来てもいい頃かもしれません」
アエトス氏がボソリと呟いたその言葉に、私が一番に反応した。
「それって潜入するチャンスなのでは?」
その場にいる全員が目玉が飛び出そうなくらい目を見開いている。ルトとお兄様がシンクロしているのかと思うくらい、同時に頭を抱えた。獣人の三人は「凍ってるの?」というくらい私を見つめたまま微動だにしない。
そんな中、クストーデとぷにちゃんは自分たちも行くと楽しそうにしていて、メリーは「私も一緒に参ります」と頭を抱えていた二人に宣言し、更に頭を抱えさせていた。
珊瑚は状況を理解しきれていないのか、固まってる三人の顔を不思議そうに覗き込んでいた。