翌日は、皆思い思いに過ごすことに。

 昨日の騒動でチアたち女性陣とロザーリオは疲れたらしく、今日はゆっくり過ごすと言っていたし、ラウリスとオレステは騎士団の訓練に参加させてもらえることになったらしく、訓練用の剣を片手にいそいそと訓練場に向かって行った。

 ルトとお兄様も今日はゆっくり出来るというので、せっかくならと王女も誘って四人で遠乗りをすることにした。

「アリー、本当にその馬でよろしいのですか?」

 先程から数回、王女は同じセリフを言っている。乗馬をするにあたってクレート王太子からどの馬に乗っても構わないとお許しをいただいたのだけれど、中には気性の荒い馬もいるので気を付けて欲しいと言われていた。

 そして私が選んだ馬は正に気性の荒い馬なのだそうだ。まだ人を乗せたことがないらしい。人馴れしていない訳ではないけれどくらをつけようとすると大暴れするのでどうにも出来ないとさじを投げられているのだとか。

 けれどどの馬よりも走りたいという気持ちを強く感じて自然と足がその子に向かったのだ。

「人を乗せるのが嫌いなの?」

 問いかける私をジッと見つめた馬は、自分の腰の辺りを見てまた私を見た。その仕草と表情でなんとなく馬の気持ちが伝わる。

「もしかしたら鞍の当たりどころが悪いのかも。よく見るとこの子、他の馬より若干大きいみたいだし、サイズが合っていないから嫌なんじゃないかしら?」

 よく見なければわからない差異だけれど、他の馬より大きい気がする。試しにと大きいサイズの鞍をつけてみると、暴れずに大人しく待っていた。

「どう? 痛いところはない?」

 私の問いかけに瞳をゆっくりとまばたきさせた馬は、満足したのかぼうから出たいとアピールし始めた。

「ふふ、じゃあ思いっきり走ろうか?」

 ――そして今に至る。心配そうな王女とは対照的にルトとお兄様は笑顔だ。

「イレーネ王女、心配には及びませんよ。アリーは我が国の魔馬でさえ簡単に乗りこなしてしまいますから」

 ルトの言葉にお兄様も続いた。

「そうですよ。幼い頃から頭に大きなコブを作っても、馬に乗ることをやめなかった程好きだったのですから」

 自分で言っておきながら肩を震わせて笑っているお兄様。きっと当時のことを思い出したのだろうけどもうホント、いい加減忘れて欲しい。

「コブ?」

 不思議そうに首をかしげている王女から、視線をらせつつ馬に飛び乗る。既に乗っているクストーデは私の前。更にその前にはぷにちゃんが乗っている。肩の上だと風で飛ばされてしまうかもしれないからクストーデの前に置いてあげた。

「はうっ!」

 ん? なんか変な声が聞こえた気が……そのすぐ後にはクククというお兄様の笑い声。

 私たちの姿に王女が悶絶したのだろう。今の彼女と視線を合わせてしまったら、乗馬どころの騒ぎではなくなってしまう気がするので、聞こえなかったフリを通しておく。

「よし、それでは」

 王女が落ち着きを取り戻したところでルトが出発の合図を出した。

 そんな時にタイミングがいいのか悪いのか、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。ここで聞くはずのない声だ。途端にルトの顔が嫌そうな表情になる。

「よお、聖女。俺たちも仲間に入れてくれ」

「ふふ、楽しそうですね。聖女様」

「聖女殿、結婚してくれ」

 突然現れたのはアッバス・ジブラミール王太子、ナシル・ジブラミール王子、そしてフレド・ジブラミール王子。サルド王国の三兄弟だ。

「なんで?」

 驚き過ぎてつくろうことも出来ず、素で呟いた私は悪くないと思う。馬から降り〈面倒〉と顔に書いて三人を見ていると、アッバス王太子が楽しそうに笑った。

「ハハハハ、全く。相変わらず聖女は表情に出るな。せっかく来たというのにそんなに邪険にしてくれるな。俺とてそろそろ本当に心に傷がつくぞ」

 そう言われてしまうとちょっとだけ罪悪感が。でもやっぱり面倒なのは否めないし。だからといって決して嫌いなわけではない。一緒にいると楽しいのは確かだしルトの友達だし。だけど面倒なのは本当なんだよ。

 そんな複雑な気持ちがいちいち表情に出ていたのか、クスクスと笑いながらナシル王子が私の顔を覗き込んできた。

「コロコロと表情が変わって忙しそうですね。そんなところも可愛らしい」

「ナシル兄上、あなたは妃は二人いれば十分だと言っていただろう。聖女殿にちょっかいをかけるな」

 ナシル王子を押しのけるようにフレド王子が割り込んできた。

「学年末のパーティー以来だな。会いたかったぞ」

 そう。フレド王子とジュリーの兄であるジュスト・コッタリーニ王太子は、留学期間を終えそれぞれの国へ戻って行った。二人とも相当ガンドルフィンが気に入ったのか、ずっと帰りたくないと言っていた。

 ちなみに彼らと同学年だったセヴェリン・フレゴリーニ侯爵子息は、魔術師団で毎日楽しそうに魔法漬けになっている。

「お久しぶりですね」

 留学組がいなくなった学校はさぞ平和なんだろうと考えていたからか、自然と笑みが浮かぶ。決してフレド王子に会えたから嬉しくて浮かんだ笑みではない。なのに、なにを勘違いしたのかフレド王子が照れたような顔をしながら私に手を伸ばしてきた。

「聖女殿、改めて言う。結婚し」

 パシン! といい音がしてフレド王子の言葉が途中で消える。いつの間にか馬から降り、私の背後に来ていたルトが、伸ばしてきた王子の手を払いのけたのだ。ルトはそのまま私を隠すように抱きしめ、三人の王子を見た。

「アリーと結婚するのは私です。何度言っても理解していただけない面々ですね。可哀想な頭をお持ちの王子しかいないサルド王国の未来を憂うばかりです」

 しんらつな物言いにフレド王子はムッとした表情をしたけれど、上の二人は涼しい顔だ。しかもアッバス王太子に至っては余裕しやくしやくという表情で、ルトに近付いてくる。

「まあまあ。聖女がエンベルトの婚約者なのは百も承知だ。だがなぁ、欲しいと思ってしまう気持ちはどうすることも出来ない、だろ?」

 同意を求めるように後ろの王子二人に振り返ったほんの一瞬、どこに隠していたのかルトがナイフをアッバス王太子の頬にピタリとつけた。すると、条件反射のようにアッバス王太子が両手を上げ降参のポーズをとる。

「冗談、冗談だ。久々に会った友人を揶揄からかいたくなっただけだって」

 ルトも遊びの一環だとわかっていたのだろう、すぐにナイフをしまう。けれどなぜか圧は消えない。

「あなたの冗談は冗談ではありませんから。たんたんと狙っているのを隠せていないのですよ。そろそろ本当に制裁を加えた方がいいようですね。フフ、いつまで五体満足のままでいられるでしょうか……ね」

 怖っ。「ね」の時の笑顔のなんと恐ろしいことか。しっかり見てしまった王女と私は、本気で引いてしまった。フレド王子も口元がひくついてるし。なのに笑みを向けられた当の本人であるアッバス王太子はなんでもないように笑ってる。お兄様とナシル王子も楽しそうだ。やっぱり仲がいいからこその戯れあいなのだと納得する。それならいいかと、一歩引いたところで話し終わるのを待つことにした。

「そんな風に言っていても、エンベルトは俺を本気で傷付けはしないだろう?」

「さあ、アリーに手を出すのであれば容赦はしませんが?」

「手を出そうなどとは思っていないぞ。思ってはいないが、身体が勝手に動いてしまう」

「フフ、それは困りましたね。一度その脳天をかち割って中を見てみましょうか?」

「見るだけではどうにもならんだろう」

「ではやはり、腕を切り落としてしまいましょう。腕がなければアリーに触れることは出来ませんから」

「フッ、腕がなくても愛せるぞ」

「下品ですね」

 どれくらい待っただろう、二人の漫談が一向に終わらない。

「これ、いつ終わるの?」

『さあな』

「ぷうに」

 私たちの表情がチベットスナギツネのようになった頃、とうとうしびれを切らしたのか馬が大きくいななき前足をガツガツと鳴らした。きっと早く走りたいのだろう。

「せっかくですから皆様も遠乗り、いかがです?」

 馬から降りて事の成り行きを見守っていた王女が三人を誘った。確かにここで王太子たちを置いていく訳にはいかない。誘われた王子たちは待ってましたとばかりに了承し、急遽、王女とお兄様を伴って馬を見繕いにきゆうしやへ向かった。

 程なくして馬を連れて戻ってきた王子たち。結果、七人で遠乗りに行くことになったのだった。


 森の中を馬で駆け抜けるのは本当に気持ちがいい。馬もやっと走ることが出来たからか、とっても楽しそうだ。往路は森をぐるっと一周するように走った。反対に復路は森の中を突っ切るように走る。終わりが近付きもう少しで王城の敷地内というところまで来ると、森の景色が一気に変わる。

「これって……竹?」

 急に森から竹林に変わったのだ。多分人工的に作られたもので間違いないだろう。その証拠に馬がすれ違えるくらいの幅でしっかりと道が整えられている。

 もの珍しそうにキョロキョロと見ていた私に気付いた王女が竹を見ながら言った。

「実はこの奥に先代の王、つまり私の祖父が一人で生活しているんです。静かに暮らしたいという本人の希望で」

 奥方に先立たれた先代は、王の地位を退いてからこの暮らしを始めたのだそうだ。せっかくだからご挨拶をしようということになり、皆でお邪魔することにした。

 暫く進んだ先に平屋の大きな屋敷が見えてくる。

「わぁ」

 まるで昔話に出てくるような屋敷に感嘆の声が零れる。

 寝殿造りというのだろうか、中心の大きな部屋から渡り廊下が左右にのびてそれぞれに部屋がある造り。きっと上から見たらカタカナの〈コ〉の字のように見えるに違いない。王女の案内で中に入ると、渡り廊下の一画にロッキングチェアで揺れながら本を読んでいるご老人がいた。

『そこは座布団でお茶をすすっていてほしかった』

 心の中で突っ込みながら王女の呼びかけに反応した先代に挨拶をする。

 一見すると優しい雰囲気のお爺ちゃんだけれど、そこは一国の王をやっていた方である。なかなかに眼光が鋭い。初めて見る若造たちに多少なりとも警戒しているようだ。けれど皆の挨拶が終わった途端、先程までの鋭さはすっかり消えて穏やかなお爺ちゃんの表情になった。

「生きているうちに神獣様と聖女様にお目にかかれるとは」

 拝むように何度も頭を下げられたのには困ってしまったけれど、楽しい時間を過ごすことが出来た。

 風で竹が揺れる音、時折聞こえる鳥の囀り。余計な音がない静かな空間だ。ここだけ時間の流れが違っているのかと錯覚してしまう程穏やかな時間の中、昔の話や王太子と王女の小さい頃の話などを教えてくれていた先代が、急に何かを思い出したのか遠くを見つめながら「そういえば……」と話し出した。

「ここからもっと西方にある国には聖獣と呼ばれる神聖な存在がいるらしいですぞ。神獣様ほどの力はなくとも、国を守る守護獣であるそうな。神獣様たちであれば、もしかするといつか会う日が訪れるかもしれませんな」

「西方……それは何処の国なのですか?」

 西方といってもアルーバ神国から西方にはたくさん国がある。それこそサルド王国もガンドルフィン王国も、アルーバ神国から見れば西方だ。

 けれど先代は国の名前までは覚えていなかったようで、最後まで答えは出ずじまいだった。


 遠乗りから戻るとすぐに、お風呂に入ることにした。まずはクストーデを洗うところからスタートだ。ワシャワシャと全身を泡立てさせながら、先代から聞いた聖獣の話をした。

「クストーデは聖獣がいるって知ってた?」

『ああ、存在は知っている。直接会ったことはないがな』

 クストーデによると聖獣というのは、国もしくは地域限定で信仰されている神のような存在であったり、またはそれに仕える者であったりするそうだ。

 限定的に存在する聖獣と、聖女が出現した時もしくは世界に危機が迫った時以外は人々の前に姿を現すことがない神獣とでは、会う機会もなかったんだろう。

 まあ、クストーデの場合は姿を消していても意外とフラフラしていたらしいけれどね。

「聖獣かぁ、会ってみたいね」

「ぷにぷにぃ」

 初めて知った存在に俄然興味が湧くのは当然のことで、どんな姿をしているのかと想像してみる。

「クストーデみたいなドラゴンかな? それともぷにちゃんみたいなのかも。あ、もしかしたら妖精みたいな感じ?」

「ぷう?」

 ぷにちゃんと盛り上がりながらクストーデの泡を流してあげる。綺麗になったクストーデは湯船に浸かると気持ち良さげに金色の瞳を細めた。

『アリーが願えば会えるかもしれんな。聖獣というくらいだ。聖なる力を感じる力はあるだろう』

「そうなったらいいな。でも、仮に会ったとしてどうやったらそれが聖獣だってわかるんだろう?」

「ぷうに?」

 それからも三人で湯船に浸かりながら聖獣という新たな存在に思いを馳せていた。


 翌日の朝食の場は、それはもう大騒ぎだった。私たち、いつものメンバーに加えサルドの王子たち、そしてイレーネ王女とクレート王太子まで揃ったのだ。静かに食事が出来る訳がない。

「エンベルト殿、私は決めました。次のブラジオーガでの剣術大会で、絶対にあなたに勝ってみせます。そして堂々と聖女殿を奪う!」

 朝イチで素っ頓狂な宣言をするフレド王子に反論したのは、ルトではなくオレステだった。

「残念ですがそれは無理っすね。なんせ次の大会には俺も出るんで」

「ああ、そういえば。次の大会ではオレステも出場出来る年齢に達しているのですね。それは楽しみです」

 フレド王子の宣戦布告に自分ではなくオレステが真っ向から立ち向かったことが、ルトには面白かったようで満面の笑みを浮かべている。

「アリーとの体術で培った身体能力があるからな。スピードではフレド殿に引けを取らないんじゃないか?」

「そうですね。悪くないと思います」

 そこへラウリスとロザーリオも会話に入り一気に騒がしくなる。

 一方、イレーネ王女やジュリーたちは、昨日先代から聞いた聖獣の話に花を咲かせている。私もその会話に入りたい。それなのに私の相手はクレート王太子。

「祖父にお会いになったそうですね。あちらの屋敷はなかなか風情があったでしょう。そういえば竹をご存知だったとか。あまり他国にはないのですが、よくご存知でいらっしゃいましたね」

「えぇっとですね……以前、本で見たことがあった、んです」

「それは素晴らしい。聖女様は博識でもいらっしゃるんですね」

 あの時私が呟いたのをイレーネ王女が聞いていたようだ。

 確かに竹はガンドルフィンにはないし、ブラジオーガでも見かけることはなかったように思う。それどころか周辺国にもないのだろう。そんなものを私が知っていたのだから驚くのも無理はない。油断してしまったことを反省しつつ、言葉を詰まらせながらもなんとか誤魔化してみた。誤魔化しきれていない感はあるけれど、そこはもう一緒に笑ってしまおう。

 二人でフフフと笑っているとアッバス王太子とナシル王子が会話に入ってきた。

「なにを二人で楽しそうに笑ってるんだ? 俺にそんな風に笑いかけたことなんてあったか? 俺にもその半分くらいでいいから、楽しそうに笑いかけてくれればもっと可愛がってやるのに」

「聖女様は、どんなお顔でも可愛らしいのですがね」

「可愛がってくださらなくて結構です。そのようなことは望んでおりません」

「フフ、そのツンツンしているお顔も可愛いですよ」

「ハハハ、まあそうだな。その顔を見ながらワインを飲むのもオツだ」

「私の顔なんてご覧にならなくてもガバガバとお飲みになるくせに」

 揶揄ってくる二人を相手にしている様子を見てなのか、クレート王太子が笑い出した。

「フフフフ、サルド王国の王子云々という話は聞いておりましたが、まさかお三方共だったとは。これではエンベルト殿が怒りをあらわにするのも頷けてしまいますね」

「この方々のお話は、全て冗談なのですから本気にしなくてよろしいと思いますよ。ルトを揶揄うために私をイジっているだけなので」

 何度も同じようなシチュエーションを経験しているからわかる。大概はルトが怒り出すのを面白がっているだけ。だから王子たちの話はに受ける必要がないのだと、教えてあげたというのにクレート王太子は不思議そうな顔で私を見ているだけ。

 私の言っていることが理解出来ていないのかな? 王太子の表情の意味がわからず、思わずこちらも首を傾げてしまう。

「クククク、クレート殿。聖女はいつもこんなもんだから、気にするな。自分のことになると壊滅的に鈍くなる」

「フフ、そこがまた可愛らしいのですよ。ギャップというやつです」

 私たちの様子をワイン片手に見ながら笑うアッバス王太子とナシル王子。完全に私をバカにしている。私は決して鈍くない、はず。

 ムッとしながらクストーデのパンにジャムを塗る。受け取ったクストーデはなにが楽しいのか、ずっとニヤニヤしたまま。同じようにジャムを塗ったパンをぷにちゃんに渡すと、こちらは嬉しそうにプルンと震えた。

 あぁ、可愛くて癒される。二匹が嬉しそうにパンにかぶりついている姿をでていると、ナシル王子がなにかに気付いたように「おや?」と首を傾げた。

「今日の神獣様はやけにフワフワしているような気がしますね」

 聖獣の話で盛り上がったせいで、いつも以上に洗ってしまったらしい。朝になってみたら空気を含んでいるようにフワフワになっていた。

「実は昨夜、お風呂に入った時にいつもよりモコモコに洗ってしまったらしくて」

 説明した途端に王子たちが素っ頓狂な声を出した。

「もしかして、聖女様と一緒にお風呂に入ったということですか?」

「神獣と一緒に風呂?」

 ほぼ同時に聞いていたクレート王太子とアッバス王太子。二人とも信じられないものを見ているような視線で私たちを見ている。

 そんなに驚くようなことなのかな? もう何度も入っているし、なんなら家族全員がクストーデと一緒に入浴タイムを経験しているから驚かれたことに逆に驚いてしまう。

「そんなに驚くことでしょうか?」

 思わずそう問いかけた私のすぐ横から、地を這うような低音がクストーデの名を口にした。

 今までオレステたちと会話を楽しんでいたはずのルトが、いつの間にかこちらに真っ黒い笑みを見せている。

ク、ス、ト、ー、デ

 凄みのある声が震えてしまう程怖い。地獄から生還して来たのかと思える程だ。けれど、クストーデは涼しい顔でパンをかじっていた。

『なんだ?』

 そののんな声色にルトのこめかみ辺りがピキッと音を出したように感じた。キレてしまったのかもしれない。

「なんだ? ですって? わかっているのでしょう。少し外で話しましょうか」

『別にお主と話すことなどないぞ』

「私にはあるんです」

『食事中だ、うるさい』

「今日という今日は許しません!」

 立ち上がったルトの身体から魔力が膨らむのを感じた。このままではダイニングが吹き飛んでしまう。

「ルト、落ち着いて」

 なだめるように声をかけるけれど、そんな言葉でルトが大人しくなるはずもなく今にもクストーデに向けて攻撃を繰り出しそうだ。

「アリー! なんとかしろ!」

 ラウリスが叫ぶ。

 この状況で私に丸投げしてくれちゃって、一体どうしろと? こんなルトをどうやって止めろと? 頼みの綱であるお兄様を見てもイレーネ王女と楽しそうに話をしている。二人ともこの状態で動じないって凄いね。

「アッハハハハ、とうとうエンベルトが壊れたぞ。おい聖女、そんな神獣にすら嫉妬する男なんて見限ってしまえ」

 アッバス王太子もナシル王子も楽しそうだし、クレート王太子も「ビリビリしますね」なんて暢気なことを言っている。

 ああ、もう! やっぱり私がなんとかするしかないの? こんな時こそケモ耳の出番では? そうだ! きっとケモ耳を見ればルトの怒りもおさまるはず。クレート王太子に知られてしまうけれど、義理の家族になるんだしいいよね。この状況をなんとかするためにも、ケモ耳出ろ!

「ルト!」

 私は立ち上がるとルトに抱きついた。

「え?」

 驚いた声を漏らしたルトの頬をフワフワの感触が撫でる。そう、私はとうとう自分の意思でケモ耳を出すことが出来たのだ。思った通り、あんなに膨らんでいた魔力がフッと消えた。

「はあぁ、アリーのケモ耳が」

 ルトは恐ろしい笑みを消し、恍惚の溜息と共に私をギュッと抱きしめた。これでもう大丈夫だろうとホッと胸を撫で下ろす……けれど、抱きしめた力は強くなる一方で全く放してくれない。

「く、苦しい」

 ケモ耳にスリスリしていることで興奮しているのか、どんどん力が入っている。このままでは息が出来なくなってしまう。そんな私を助けてくれたのはぷにちゃんで、いつものようにルトの顔に張り付いてくれた。

 解放された私は、肺に空気を溜め込むように大きく深呼吸をして自分のケモ耳に両手で触れた。

「私……とうとう自分の意思でケモ耳出せちゃった」

 ルトを止める為に本気で出ろと思った瞬間、出てきた感覚があったのだ。

「え? 本当ですか?」

 ぷにちゃんを顔から剥がしながら驚いているルトの瞳はキラキラしている。きっと嬉しいのだろう。でも私は複雑な気持ちだ。

 無言でクストーデを見ると私が座っていたイスにちょこんと座り、もう何個目かわからないパンを両手に持ちながらニヤニヤしている。

『やったな。これでケモ耳を完全に我が物にしたということだろう。これからは自由自在だ。よかったな』

 自由自在という言葉に愕然とする。

 私が望んでいたのってそういうことだったっけ? 消えてほしいと思っていたんじゃなかった? なのに自由自在って……望んでいたことの真逆をいく結果に急に膝の力が抜けてしまった。そんな結果を望んでいたわけじゃなかったのに。出ろと思ったのは自分だけれどね、それはあくまでもルトを止めるためで決して意のままに操りたいとか思った訳じゃないんだってば。

「そんなぁ」

 ケモ耳との関係が消えるどころか深まってしまった事実に、崩れ落ちた私を抱き止めたルトから不気味な笑い声が聞こえてきた。

「フフフ、これからもケモ耳を愛で続けられるということですね。しかも自由自在とはまたなんとも……フフフ、フフフフフ」

 背中がゾクっとした。嫌だぁぁ、怖いって~。


 その日の昼下がり。私は一人で〈桜花〉を見に来ていた。クストーデもぷにちゃんも、部屋でぐっすりとお昼寝タイムを満喫しているので置いてきている。

 今夜は森の中にある小川にほたる狩りに行くことになっている。なので、ラウリスたちも日中は皆ゆっくりと過ごすことにするそうだ。ルトとお兄様はアルーバ国王との会食が入っているとのこと。サルドの三兄弟はいつものようにあっという間に帰って行った。

「はぁ、やっぱり綺麗だな」

 ベンチに腰掛け〈桜花〉を見上げる。明るい時間に見る〈桜花〉は夜に見る〈桜花〉とは全く違った印象で、陽の光を浴びながら風にそよぐ姿はなんだか楽しそうに見える。

 天井がないからたくさんの小鳥たちが集まり、思い思いに囀っていてとても賑やかだ。

「フフ、皆楽しそう」

「ええ、本当に」

 独り言を呟いたはずなのに何故か返事が聞こえた。びっくりして声のした方を見ると、クレート王太子がすぐ側まで来ていた。男性用の浴衣ゆかたを着ていて雰囲気が違う。

「それって……」

 浴衣に反応した私に「ああ、これですか」と王太子は袖を広げてみせた。

「これは浴衣といいましてアルーバでは男女共に普及している着物という物の一種です。この国の民族衣装のようなものですね。中でもこちらは見た目以上に楽なのですよ。どなたもいらっしゃらないと思っていたものですから、このような軽装ですみません」

「いえ、そんな。謝らないでください。よく似合ってらっしゃいます」

 慌てて首を横に振る私に微笑んだクレート王太子は、同じベンチに少し間隔を空けて座った。男性物の浴衣を着ているから間違えはしないけれど、長く美しい髪が風になびく姿は女性といっても通じてしまいそうだ。

「聖女様はお一人で?」

 そう問いかける王太子の視線は〈桜花〉に向けられている。私も引き続き〈桜花〉を眺める。

「はい。クストーデもぷにちゃんもお昼寝してしまったので」

「神獣様とぷに様は仲がいいですよね。もしかして今も一緒に眠っていらっしゃるのですか?」

「はい、ベッドで寄り添って眠っていました」

「それはきっと可愛いのでしょうね」

「フフ、そうですね」

 そんな会話から始まって、浴衣の話や王女の話で軽く盛り上がった後、会話が途切れ少しの間沈黙が流れた。二人で無言のまま淡いピンク色の花を見つめる。

「それにしても」

 最初に沈黙を破ったのは王太子だった。

「聖女様のあの耳には驚きました。あんなに可愛らしい隠し玉を持っていらっしゃったなんて。本当に聖女様は楽しい方ですね。一緒に過ごせば過ごす程、聖女様の魅力に惹かれてしまうというのもわかります。本当にエンベルト殿が羨ましいです」

 そう話す王太子の表情は何故か陰っているように見えた。そういえばどことなく元気がなく見える。

「あの、クレート殿下。もしかして体調がすぐれませんか?」

〈桜花〉から視線を外し王太子の顔をジッと見てみる。顔色は悪くなさそうだけれど、それだけで判断は出来ない。だから熱があるかとか身体はだるくないかとか、喉の痛みはとか鼻は詰まるかとか、もしくは疲れが溜まっているのでは? という感じで矢継ぎ早に聞いてみる。

 そんな私を王太子はポカンとした顔で見つめていた。そして突然笑い出す。

「フフフフ、そんなにご心配いただけるなんて。フフ、ありがとうございます。それにしてもそんなに具合が悪く見えますか?」

「はい、なんとなくですが」

 なんというか、笑みを浮かべてはいるけれどどこか辛そうな表情をしているように見えるのだ。思ったままに告げると王太子は本当に驚いたというような表情をした。

「聖女様はご自分のこと以外には鋭いのですね」

「はい?」

 今のって褒められたと取っていいの? 褒められているようでけなされているような気がするのは何故?

 小難しい顔をしている私を見て王太子が再び笑う。

「聖女様は高位の貴族令嬢であるにもかかわらず、本当に表情豊かでいらっしゃいますね」

「よく言われます。お恥ずかしいかぎりです」

 基本的に感情を殺すのは苦手だ。時と場合によっては淑女然と振る舞うことも出来るけれど、その後どっと疲れてしまう。思わず乾いた笑いを漏らしてしまう私に、王太子は「いいえ」と首を振った。

「淑女としてのマナーなのかもしれませんが、私のようにうとい人間としては感情を素直に出してくださる方が嬉しいです。まあ、感情の良し悪しはありますがね」

 最後の言葉が妙に引っかかる。まるで悪い感情を向けられたみたい。

「誰かになにかを言われたのですか?」

 言ってしまってから慌てて口を押さえる。他国の王太子相手にプライベートな部分に踏み込み過ぎていると思ったからだ。けれど王太子は気にする様子もなく「実は……」と言って再び〈桜花〉を見上げた。

「先程まで私の婚約者が来ていたのですが……どうしたものでしょうね。なにをどうしても彼女を愛しいと思えないのです」

「え?」

 衝撃的な言葉を聞いてしまった。思った以上にプライベートな話だった。

 この会話は続けていていいのかな?

 思ってもみなかった話の内容に変な汗が出てきてしまう。しかも王太子は更に汗が吹き出してしまいそうな質問を投げかけてきた。

「聖女様はエンベルト殿のどのような部分に惹かれたのですか?」

「ぬぁ!?

 ビクッとした拍子に汗が背中にスウッと流れ落ちる。

 どんな部分? どんな部分だった?

「え? あの、ちょっと、えと、それは」

 しどろもどろな私を見ても王太子は私をジッと見つめているだけで、答えるまでは帰しませんと表情が言っている。

「ど、ど、どの部分と聞かれても……ですね。えーっと……気が付いたらもうといいますか……いつの間にか、といいますか……どこがどうとか……はないといいますか」

 汗は吹き出すわ、顔は熱いわで。しかも王太子の視線が痛い。

 なに? この状況? どんな拷問なのと堪らない気持ちになった私は両手で顔を隠した。とてもではないけれど、普通の表情なんてしていられない。

 それでも王太子が言葉を発することはなく、沈黙の時間が流れる。あまりに静かなのでいたたまれなくなって手を少しずらして隙間から王太子を見ると、彼は無言で〈桜花〉を見上げていた。少し苦しそうなその姿に恥ずかしかったことも忘れ、顔から手を外してその横顔を見つめると王太子は静かな口調で語り出した。

「彼女は二年前に婚約者になりました。年齢と貴族としての地位をかんがみて彼女に決まったわけですがその当時、王族には社会的地位があってないようなものでしたから最初から見下されていることは感じていたのです」

 王太子の婚約が決まった頃は、まだ教会が力を持っていたからなのだろう。それでも見下していいわけではないと思うけど。

「彼女の家は昔から教会派です。この婚約も教会側から持ち込まれた話でした。大方、王家の血筋に教会派の人間をという魂胆だったのでしょう。その策略にまんまと使われた訳です。私も彼女も」

〈桜花〉を見つめたまま乾いた笑みを浮かべる王太子の姿を見ているとなんだか辛い。だからといってなにか言葉をかけてあげることも出来ず、私はただただ無言で彼を見つめる。

「彼女としては王家に嫁ぐことを屈辱と感じていたのでしょう。最初から打ち解けようとする姿勢すらありませんでした。完全に王族に政権が移った今でもその気持ちは消せないらしく、昔と態度が変わることはありません。今日も昼食を一緒にという話だったのですが、私を見るなり気分が乗らないと帰ってしまいました」

 そう言って自嘲気味に笑う王太子の顔を見た私は思わず浴衣の袖をクイっと引っ張った。

「お互いに辛いのであれば、話し合って婚約を解消することは出来ないのですか?」

 もう教会に力はない。だから教会側が決めた話であるなら解消することが出来るのではないだろうか。けれど、王太子は首を振る。

「無理でしょう。いくら権力の均衡が変わったとはいえ、簡単に覆せることでないかと」

「どうしてですか? だって婚約者の方も結婚を望んでいないのですよね?」

 私を見つめる王太子の夜空の瞳は、驚きと戸惑いで揺れている。きっと結婚を辞めるという選択肢はないと諦めていたのだろう。でも不幸になることが目に見えている結婚をしても、誰も幸せになんてなれないと思う。

「不義理を続けるような人とは、婚約破棄でもいいのでは?」

「え?」

「殿下はそんな人と結婚したいですか?」

 立て続けに問いかける私に、驚いた表情になっている王太子だったけれど、戸惑いつつも首を横に振った。

 そこからは令嬢の話を色々と聞き出すことに――。

「決まりです。フフ、いいこと思いつきました」

 私の義兄となる人をバカにするようなご令嬢には痛い目を見せてやろうじゃないの。不敵に笑う私を不思議そうに見つめる王太子にニッと笑ってみせる。

「婚約破棄、してしまいましょう」


 夕方になり森の中の小川へ馬車で向かう。

 夕方といってももう陽は落ちる寸前で、森の中ということもあり十分に暗い。小川の少し手前で馬車を降り、ランタンの灯りを頼りに小川まで歩く。すると、小川のせせらぎの音が聞こえ、その先が仄かに光っているように見えた。

「ここからはランタンを消しましょう。足元に気を付けてください」

 クレート王太子がランタンを消したのを皮切りに、皆次々と消していく。自分たちの周りが暗くなったことで、ますます小川の方が明るく見える。

 足元に注意しながら木々の間を縫うように歩き辿たどり着いたそこは、なんとも言えない幻想的な世界が広がっていた。たくさんの淡い緑の小さな光が、点滅しながら飛び交っている。絵本の世界に入り込んでしまったのかと錯覚する程美しい。〈桜花〉の時と同様に、あまりの美しさに誰もが言葉を紡げずに、ただ目の前の光景を見つめることしか出来ずにいた。

「思う存分、蛍狩りを楽しんでください」

 そんな私たちに向けて、クレート王太子がそう言った。その言葉通り、暫くの間、誰もなにも言わずにただただ美しい光景を見つめていた。

「蛍狩りと聞いた時は蛍というものを狩るのかと思っていたが……」

 この光景にも少し慣れた頃、ラウリスがボソリと呟くとロザーリオが後に続いた。

「まさか蛍という虫の放つ光を愛でることだとは思いませんでした」

 確かに狩りなんてついていると、そう考えるのは当然だと思う。私は前世で聞いていた表現だったから気にならなかったけれど。

「本当に綺麗ね。いつまでも見続けていられるわ」

「うん、こんなに優しい光を放つなんて、蛍って素敵」

「ブラジオーガでも見れたらいいのに」

 チア、チタ、ジュリーの三人も淡い輝きを放つ小さな虫たちに感動しているようだ。

「本当に美しいですね」

 私の横に立っているルトが溜息と共にそう呟く。

「うん、本当にね」

 返事をした私の目の前を優しい光が通っていく。光の行方を目で追うと、なんと肩の上にいるぷにちゃんにとまった。

「ぷに?」

 不思議そうに鳴いたぷにちゃんの頭には、飾りのように小さな光が点滅している。

「ぷにちゃん、可愛い」

 褒められたのが嬉しかったのか、ぷにちゃんがプルンと身体を震わせる。それでも蛍はぷにちゃんから離れずにいる。

『此奴、ぷにが気に入ったのか?』

 お兄様の肩にぶら下がっていたクストーデが笑うと、つられるように皆が笑った。

 結局、蛍は私たちが帰る直前までぷにちゃんの上にとまっていた。最後はぷにちゃんを乗せた私の周りをグルグルと周り、他の光に溶け込むように飛んでいったのだった。


 蛍狩りから二日後。えつけん室ではアルーバ神国の重鎮とクレート王太子、イレーネ王女に王太子の婚約者である侯爵令嬢と父親。そして私とルトとお兄様がいた。

 皆言葉を交わすことなく、後に登場するであろう国王を待っているという重苦しい沈黙の中、婚約者である令嬢は空気が読めないようでずっと不機嫌そうな表情をしている。

「一体なんですの? 急にこんなところに呼び出して」

 彼女の不平に言葉を返す者はいない。父親は不穏なものを感じているのか、それとも雰囲気に呑まれたのか汗をかきながらじっとしている。誰も反応をみせないことに苛立ちを感じた彼女は、コツコツとヒールの音を響かせながら王太子の元に歩み寄った。

「クレート様、これからなにが始まりますの? もしかして結婚の日取りが正式に決まったのですか? 私、まだ結婚したくありませんわよ。王妃教育も終わっておりませんし、去年学園を卒業したばかりですのよ」

 物怖じすることなくこんなことを言ってのけるなんて、多分彼女の心臓ははがねで出来ているに違いない。

 ここには王太子は勿論のこと、侯爵位よりも高い地位の方々もいるのだけれど? しかも他国の王太子まで、なんなら聖女までいるというのになにを勘違いしているのだろう? 教会から選ばれた自分は凄いのだと、ついえた栄光に未だ気付かずふんぞり返っている姿は、逆に凄いと思ってしまう。

「はあぁ、これからドレスを新調しようと思っておりましたのに。いつまでこちらにいればいいのです?」

 こんな人、王太子どころか誰も愛してなんてくれないんじゃ? そんな風に思いながら、傲慢に振る舞う令嬢を見ていると国王が謁見室に入ってきた。

「急に呼び出してすまないな。王太子から大事な話があるということで、集まってもらったのだ。余計な挨拶は時間の無駄のようだから早速、本題に入ることにしようか」

 国王はチラリと令嬢を見ながら言うと玉座の前に立った。令嬢は気付いていないようだけれど、父親の方は顔面蒼白になっている。

 そんな中、クレート王太子が国王へ向けて一度頭を下げると、謁見室に響くような音量で宣言した。

「私、クレート・チェステは婚約破棄を願い出る所存でございます」

 一瞬の沈黙の後、一気に謁見室がざわめき出す。侯爵令嬢は王太子の言葉にポカンと口を開けたまま王太子の背中を見つめており、父親の方は更に顔色を悪くして額に流れる汗を拭くことも忘れ呆然としていた。

 一方の国王はというと、自分の息子の唐突な申し出にも顔色ひとつ変えることなく「理由は?」と静かに聞いた。

「理由はいくつかございます」

 王太子も淡々と言葉を紡ぐ。

「まずは彼女の長年にわたる横柄な態度。そして私や王族をおとしめるような発言の数々。更に複数の男性との不貞行為です」

 王太子の発言で謁見室は騒然となった。令嬢の父親は倒れてしまうのでは? と思う程顔色を悪くしている。令嬢は羞恥からなのか怒りからなのか、顔を真っ赤にして小さく身を震わせていた。

「それらの理由を踏まえ、婚約破棄を願い出た次第でございます」

「証拠もないのに! いい加減な理由を並べ立てて、一体どちらにそのような証拠がございますの? 確かに少々不遜な態度を取ったことがあるのは認めます。ですがそれは体調がすぐれなくて少しいらついてしまったからで、決して貶めていたわけではありません」

 王太子の言葉にかぶせるように言い訳を並べ立てた令嬢。咄嗟にこれだけのことが言える辺り、バカではないようだ。

 そんな彼女を横目に、王太子は表情を変えることもなく書類の束を国王に渡した。

「こちらは全て王城を出入りしている貴族たち、使用人たちから得た調書です。こちらには私と彼女のやり取りだけでなく、他の貴族たちや使用人たちに対しての彼女の行動が書かれております。読んでいただければ彼女の横柄さがよくわかるでしょう」

 国王は一番上の書類にざっと目を通し、纏められた書類の束の厚さを見て溜息を吐いた。

「これら全てにこのような内容が?」

 王太子が無言で頷くと、再び令嬢が反論する。

「一体いつからそのようなものを集めていたのです? なにが書かれているかは存じませんが、気に入らないことがあるのならそんなものを集めず直接私に苦言を呈してくださればいいものを。やり方が卑怯ですわ!」

 うん、怖い。怒りで力んでいるせいで、握っている扇がミシミシと可哀想な音を立てている。折れてしまうのも時間の問題だろうな。

 そんな恐ろしい令嬢の方に向き直ったクレート王太子の表情はやっぱり変わらない。

「いつからかと申しましたか? たった二日前ですよ。それなのにこれだけの量の調書が集まるとは……正直驚きました」

 少しおどけた言い方をしたからか、周りがクスクスと笑ったのがわかった。

 ルトなんて普通に笑ってるし。

「あ、それと。不貞行為の証拠もしっかりございますよ。こちらもわずか二日で三人もの殿方のお相手をなさっておいででしたね。呆れを通り越して感服いたしました」

 どっと謁見室が湧いた。国王ですら吹き出している。

 いや、本当に凄いよね。私は全部は見せてもらえなかったけれど、相手の男性は見せてもらった。同年代が一人と明らかに既婚者であろう中年男性が二人。一人は絶対お父様より年齢が上の人だった。いや、もうホントに凄いとしか言えないよね。

 チラリと令嬢を見ると頭から噴火するのでは? と思う程顔を真っ赤にさせていて、わなわなと震えている。

「証拠? 証拠ですって? そんなもの、一体どうやって出すおつもりですの? そんな紙切れに書かれたものが証拠だなんておっしゃりませんわよね? そんなもの、いくらでも偽造出来ますわ」

 身体は震えているのにどもることもなくきっぱり言い切る。人並み外れたこの度胸、性格さえよかったら王妃にうってつけだっただろうに。他人事だと余裕をかまして、そんなことを考えながらうんうんと一人で納得していると、ルトがニッコリと微笑みながら私が持っていた水晶を手ごと掲げてみせた。

 あれ? 話、進んじゃってる?

「こちらがその水晶です。今回手土産として持ってきたものが、思わぬところで役に立ちました。アリー、水晶を国王陛下の元へ持って行って差し上げてください」

「あ、はい」

 話についていけず若干呆けながらも国王の元へ向かう。あと数歩で渡せるという時、バキッという音と共にカッカッとヒールを鳴らしながら令嬢が私の元に走ってきた。

「およこしなさい!!

 鬼のような形相をした令嬢がこちらに真っ直ぐやって来る。

『ギャーッ! 鬼が来た――』

 突然の襲来に焦った私は、水晶を持っている手を上にあげつつ咄嗟に横に避け片足を突き出した。私の足に見事に引っかかった令嬢はそのまま勢いよく前のめりに倒れてしまう。うう、わざとじゃないんだよ。いきなりだったからつい。

「まぁ。ごめんなさい。驚いてしまってつい」

 なんの言い訳にもならない言葉に、とうとう謁見室が笑いに包まれてしまった。

 令嬢に手を差し出した方がいいのか、でも転ばせた本人に助けられるってどうよ? などと悩んでいると国王の方から「聖女様、水晶をこちらへ」と呼びかけられたので、令嬢を助けることなくそのまま国王の元へ向かう。水晶を国王に渡していると、不意に背後に人の気配が。振り返ると私と背中合わせのような状態で王太子が立っていて、彼の前には令嬢の姿があった。令嬢は片腕を上げた状態でその手首を王太子がしっかり掴んでいる。掴まれている令嬢の手には折れて先端が尖った扇の持ち手があった。


 帰国する当日。お世話になった方々とのお別れを済ませて、今は門扉のところまで来ている。見送ってくれているのはイレーネ王女とクレート王太子。

「無事に婚約破棄出来てよかったですね」

「はい、聖女様のお陰です」

 あれから令嬢は騎士たちに捕えられ、万年大雪が降るという場所にある修道院へ送られることになった。

 教会派の令嬢が修道院へ入れられてもご褒美になるのでは? と思ったけれど、そこの修道院は場所柄、常に満足にお腹を満たせるわけではないし、逃げたくても深い雪に阻まれて一人でどうこう出来るような場所ではない。勿論暖房器具などないというとても過酷な修道院なので神に祈るよりも生き残るのに必死にならなければいけないのだと王太子は言っていた。

 侯爵の方は令嬢の態度が悪いことは知っていたものの、不貞行為をしていたことまでは知らなかったそうで、監督不行届きとして降格処分になる予定らしい。

「聖女様にお怪我がなくてよかったです」

「あの時は本当にありがとうございました。殿下のお陰です」

「咄嗟のことで気がはやってしまいましたが、聖女様を守ることが出来てよかったです」

 優しい笑みを向けられて不覚にも一瞬ドキッとしてしまった。こんなに美しくて優しい人にはきっとすぐに素敵な婚約者が現れるに違いない。

「殿下のような方ならすぐに素敵な方に出会えそうですね」

「……そう、ですね」

 思ったままを口にすると王太子は一瞬だけ目を見張り、そして目を伏せ顔をうつむかせた。

 酷い令嬢ではあったけれど一度は婚約者として接していたのだ。あんなことになってやはり心を痛めているのだろう。すぐに新しい婚約者を探すなどという気持ちにはなれないのかもしれない。それなのに次の出会いだなどと軽口を叩いてしまって申し訳なく思っていると、顔を上げた王太子が急に顔を近づけてウィンクし、笑みを浮かべ小声で言った。

「ええ、本当に」

 言葉の意味がわからず不思議に思いながらも更に二言三言会話をして、今度は王女と向き合う。

「最後にアリーの可愛らしい姿を堪能出来てよかったです」

「もう、お姉様ったら。今度会うときは本当のお義姉様ですね」

「はい。とても楽しみです」

「フフ、私もです」

 そんな話をしていると「そろそろ行きますよ」とルトに声をかけられる。

 転移の魔法陣は既に光を放っていた。

「じゃあ、また」

 二人にそう言ってきびすを返し魔法陣に入ろうとした時、王太子に腕を引かれた。

「?」

「これは〈桜花〉です。聖女様の元で育ててみてください。次に会う時は義兄という立場になりますが、どうかクレートと。そう呼んでくださいね」

 私の手に小さな苗木を握らせた王太子の表情は何故か切なげに見え、なんだか妙に印象的だった。