想像していた様相と異なる光景を目にして口をあんぐりと開けてしまっている私、アレクサンドラ・ヴィストリアーノは今、夏季休暇を利用してアルーバ神国へ来ている。アルーバ神国の王太子から是非にと招待を受けてやって来たのだけれど、この国の王城の様相が斜め上過ぎて驚くことしか今の所、出来ていない。そのせいで私の口はあんぐりとなっている訳。

 だって四方を水で囲んでいるお堀に石を積み上げた石垣の壁。そうきたらその中心にあるのは当然大きな日本風の城だと、きっと前世でだったら誰もがそう思うはず。それなのに目に入ったのは日本の城……ではなく、何故かおとぎ話にでも出てきそうな真っ白で可愛らしい洋風の城。

「うん、そうね、そうよね。周りがお堀になっているからって石垣の壁だからって、日本の城のような建物が建っているとは限らないわよね。お姉様の騎士服が見た事のあるような軍服だったとか、すみ巫女みこ服着てたとか、そんな事があったからってここは日本って訳じゃないしね。でもさ、でもさ、あまりにもミスマッチ過ぎない? しかもかかっている橋の欄干が朱色って……」

 そう。王城へ向かう為にお堀にかかっている橋がどういう訳か、神社や寺院にありそうなのついた朱色のゆるいアーチを描いている物だった。なんとも言えない違和感に堪えきれず、ひとりで突っ込みを入れていると後ろから頭を小突かれてしまう。

「おい、なにをボケっとほうけているんだ? そんな阿呆な顔をしていると置いて行くぞ」

 小突いたのはラウリス・バルティス、我がガンドルフィン王国第二王子。呆れたような表情で私を見ている。

 ラウリスがこの違和感を感じることが出来ないのは仕方のないことだろう。この感情はきっと私にしかわからない。それでもムカついてしまうのも、これまた仕方のないことよね。

「ちょっと、人が突っ込んでいる時にチャチャ入れないでよ」

 ムッとして言い返す私を見るラウリスの表情が小馬鹿にしたようなものに変わった。

「一体なにに突っ込んでいるんだ? その間抜けづら以上に突っ込むところなど、どこにもないだろう」

「あ、そうやってバカにして笑っているその顔。それこそが間抜け面っていうのよ」

 人の顔の前に指を突き出してくれちゃって本当にムカつく。

 目の前のその手をペシリと叩き落としてやる。怒るかと思ったけれど意外にもラウリスは、はぁと溜息をくだけだった。が、すぐバカにしたようなみを浮かべながら私を見る。

「そんなに鼻の穴を膨らませながら言われてもな」

「ふ、膨らませてなんてないもん! そういうラウリスこそその顔、ジュリーに見せたら嫌われるんじゃない?」

 ケケケと嫌な笑みを浮かべると、背後が急に寒くなる。ラウリスも同じ寒さを感じたのかゾクリと身を震わせる。恐る恐る振り返った私たちをアイスブルーの瞳がにらんでいた。

「いい加減たわむれていないで、さっさと進んでください。案内の方を待たせているのがわかりませんか? ご迷惑でしょう」

 静かなトーンなのに底冷えのするような声音で私たちを一蹴するのは、ロザーリオ・マルケッティ公爵令息。彼の言葉にハッとして前にいる案内の方を見ると、立ち止まって私たちに背を向けているその背がプルプルと震えていた。どうやら笑うのを堪えてくれているらしい。背後では堪えることなく笑っている声がいくつも聞こえるけれど。

「もう、ラウリスのせいで笑われているじゃない」

 小声で文句を言いながら彼の脇に肘鉄を喰らわせると、間髪入れずに私の眉間にデコピンを入れられた。

「いたっ! ちょっと、今の本気だったでしょ!?

「なんだ? こんなのが痛いって? 一丁前にレディのフリをしているのか?」

「フリじゃなくて、レディなんですけど!?

「ああ、そうだったな。見た目だけだがな」

「なんですって!?

 再び言い合いの口喧嘩になる。

 すると背後から、今度はパキパキと何かが凍るような音がした。

「二人共、そんなに小突かれたいのなら、これで頭を小突いて差し上げましょうか?」

 いい笑みを浮かべながらロザーリオが軽く上げたその手は、氷におおわれている。

 え? それで小突くってこと? 血まみれになった自分たちを想像して私たちの血の気がさあっと引いた。

「「ごめんなさい」」

 慌てて進み出すと、今まで大人しく私に抱えられていたクストーデが可笑しそうに笑い出す。

『ククク、ロザーリオはジャンネスに似てきたな。沸点が低いところがまだまだと言ったところではあるが』

「ぷにぷに」

 肩の上のぷにちゃんも賛同したのか楽しそうに鳴いている。

 騒がしいながらも赤い欄干の橋を渡り終え、今度は分厚そうな木戸門の前に来る。今の所ずっと和風が続いている。一体何処から洋風に切り替わるのかと考えながら内から開かれた木戸門を抜けた瞬間、目の前に広がったのは白と紫と青。夏椿とライラックのような花木、そしてたくさんの紫陽花あじさいだった。思わず皆の口から感嘆の声が漏れる。

「見事ね。この小さな花が集まって大きな花のように見えるのはなにかしら? とっても綺麗」

 チアが言っているのは紫陽花のことだ。確かにガンドルフィン王国では見たことがない。これもまた和風、なのかなと思いつつ涼やかな色合いに感動していると、今度は一気に鮮やかな色の世界に包まれた。

 何処を見てもバラ、バラ、バラ。色とりどりのバラが視界一杯に広がり、その先には大きくて立派な洋風の門扉が私たちを迎え入れるように開け放たれている。突然訪れた和から洋への切り替わりが美し過ぎて呆気にとられていると「アリー」と私を呼ぶ声が聞こえた。見れば門扉のすぐ側に人が立っている。緩く波打つ藤色の髪をハーフアップにし、グレー味を帯びたブルーのスレンダードレスを身にまとっているその人は、アルーバ神国のイレーネ・チェステ王女だった。

「アリー、いらっしゃい。皆様も、よくお越しくださいました。アルーバ神国王女イレーネ・チェステと申します」

 柔らかな微笑ほほえみで挨拶をしたイレーネ王女に、ラウリス以外は呆けた顔でただ見つめているだけだった。

 ふふふ、王女の美しさは皆の時間を止めてしまう程の威力を持っているようだ。自分の事のように満足気にうんうんと一人で納得していると、何故か王女は心配そうな視線を私たちに向けている。

「私ったら気が付かなくて。長旅でしたもの、お疲れになってますよね。すぐにお部屋にご案内しますので、まずはお部屋でお休みになってください」

 どうやら移動で疲れたからぼうっとしているのだと勘違いしているようだ。まさか自分を見て、美しさに呆然としているだけだなんて思ってもみないんだろうな。そんなところも可愛らしい。

 王女の美しさと鈍感さのギャップにニヤニヤしてしまう頬をなんとか引き締めて真実を伝えることにする。

「お姉様、心配しなくても大丈夫です。皆、お姉様の美しさに呆然としているだけだもの。それにしても……騎士服のお姉様も十分お綺麗だったけれど、ドレス姿は格別だわ」

「あ、ありがとう」

 私の褒め言葉に少しばかり照れつつも、応接室へと案内してくれる王女を見て思わずボソリと言葉が漏れる。

「はあぁ、綺麗で可愛いって最強」

 こんな素敵な人がお兄様のお嫁さんに来てくれるなんて、私のお義姉様になってくれるなんて本当に天にも昇る気持ちだ。強くて優しくて綺麗で可愛い。お兄様は本当にいい方と巡り会えたわとニヨニヨしながら王女の後に続いて歩いていると、腕の中のクストーデが私を見上げて盛大に溜息を吐いた。

『アリー……お主……はあぁぁぁ』

 同時にぷにちゃんがどこから取り出したのかハンカチで私の口元を拭いた。そこで初めて気付く。私ったらよだれ、出ちゃっていたみたい。クストーデの呆れたようなさげすむような視線が、下からガンガン私を突き刺す。

『神には悪いが、アリーを聖女にしたのは大きな間違いだと苦言を呈したくなるな』

「あ、酷い」

 真面目なトーンで言われたことにショックを受ける。

 そこまで言わなくてもいいじゃない? だって可愛いんだもん、綺麗なんだもん、大好きなんだもん。と、ブツブツ言い訳する私に、ぷにちゃんまで呆れたように鳴いた。

 王女の案内で応接室に到着すると、すぐにお茶が用意された。

「皆様には馴染みがないとは思いますが、是非試していただきたくてご用意しました」

 目の前に出されたそれは、持ち手のない透明なグラスで爽やかな黄緑色の液体が入っている。手に取ると中に入っていた氷がカランといい音をさせる。魔法なのかこんなに冷えているのに結露もなく持っても手が濡れることはない。

「これは?」

 グラスを軽く持ち上げたラウリスが問う。

 皆も不思議そうにグラスを持ち上げて揺らしてみたり、底を覗き込んだり香りを確認したりしている。皆のそんな姿を微笑ましそうに見ながらイレーネ王女は説明をしてくれた。

「これはグリーンティーといいまして、我がアルーバの特産品です。実は紅茶と同じ茶葉を使っているんですよ。色味は独特ですがスッキリした味わいです」

 ああ、やっぱりそうだ。私の記憶の片隅にある日本茶と同じ物だと理解する。なんだか懐かしい気持ちになりながら一口飲むと、王女の言う通りスッキリする味わいで、更にまろやかでほんのりと甘味もあり、まさに日本茶だと実感し自然と口がほころぶ。

「美味しい」

 素直な感想を口にすると、他の皆もうんうんと賛同した。

「本当だ。紅茶のような強い香りはないが、喉がスッキリするな。氷で冷やされているから冷たくて余計に美味うまい」

「ええ、これは本当に美味しいです」

 ラウリスとロザーリオも感嘆の声をこぼす。双子であるチタことフェリチタ・カンプラーニ侯爵令嬢と、チアことフェリチア・カンプラーニ侯爵令嬢も驚いたような表情を浮かべて何度も口にしているし、ブラジオーガ王国の王女であるジュリーことジュリエッタ・コッタリーニ殿下は、コクコクと、可愛らしく喉を鳴らして半分程を一気に飲んでいた。

「はぁ、美味しい」

 ブラウンの瞳をキラキラさせて微笑んでいるジュリーの安定の可愛さに、鼻と口を手で隠す。勿論、鼻血と涎が出ないようにね。

 ジュリーの横にいるラウリスを見ると、私同様に鼻と口を手で覆って天を見上げていた。こちらも婚約者の可愛さに悶絶しているようだ。

「美味いな、おかわり」

 早々に飲み終わったオレステ・ロダート侯爵令息は、グラスが空になったことを主張するように高く掲げながらおかわりを要求している。相当気に入ったようだ。

 皆でお茶を堪能していると、応接室の扉をノックする音がして、ゆっくりと扉が開けられた。扉の向こうには王女によく似た緩く波打つ藤色の髪を腰まで長く伸ばした男性が立っていた。

 夜空のような黒い瞳が、私たちを見渡してから優し気に細められる。

「我がアルーバのお茶を喜んでいただけたようで、なによりです」

 王女によく似た風貌でも声は男性のそれであることに、わかってはいたのに少しだけ驚いてしまう。私の隣にいた王女は男性を見ると、ニコッと微笑んだ。

「兄上、いらしてくださったのですね。皆様お揃いですよ」

 王女の兄上という言葉で男性がアルーバ神国の王太子だと理解し、慌てて一斉に立ち上がり挨拶をしようとすると王太子本人に止められてしまった。

「ご挨拶は後程。どうぞ皆様お座りになってください。まずは私の方から拝謝させていただけますでしょうか?」

 王太子の言葉に戸惑いつつもソファに腰を下ろすと、ゆっくりとこちらへ歩いて来た王太子が私の目の前まで来て頭を下げた。

「この度は我が国の不祥事を収めてくださり、誠にありがとうございました。神獣様と聖女様のご尽力のお陰で我が国ばかりかこの世界の平和を維持出来たこと、どれだけ感謝しても足りない程です。しかもガンドルフィン王国との友好条約まで結んでいただき、誠に幸甚に存じます。我がアルーバ神国は未来永劫、感謝をし続けるでしょう」

「あ、あの。お願いですから頭をお上げください」

 一国の王太子に頭を下げさせていることに焦ってしまう私とは逆に、クストーデの方はいつも通り尊大な態度で王太子に話しかけた。

『頭なぞ下げんでもよい。そんなことをされても面白くもない。それよりも、我が聖女を危ない目に遭わせた報いとして、あの阿呆な神官ごと国をぶっ潰すところを思い留めたのだ。頭を下げるよりも珍しい菓子のひとつでも持ってきてくれた方が我は嬉しいぞ』

「ちょっと、クストーデ」

「ぷにに」

 他国に来てまでお菓子を要求するなんて、図々しいにも程があるでしょ。

 膝の上のクストーデを持ち上げてガクガクと揺さぶっていると、その光景に王太子がクスクスと笑い出した。

「イレーネから話は聞いていましたが神獣様と聖女様は本当に仲がよろしいんですね。フフ、それにイレーネの言う通り、確かに可愛らしい組み合わせです」

 そう言って楽しそうに笑った顔も王女によく似ていて美しい。男女の双子でも似るものなんだなと思いながら見惚れていると、自分の目線が下がったことに気付いた。

 見れば立っていたはずの王太子が小さくなっている。縮まってしまった、どうして? とバカな疑問を抱いたのはほんの一瞬、王太子が私の前で片膝を折ったのだと理解した私は本気で焦ってしまい、立ちあがろうとした。けれど王太子の視線は私ではなくクストーデに向いているとわかって少しだけホッとする。が、それも束の間。王太子の視線は私に向いた。

「神獣様がお菓子を欲されるだろうということは伺っていましたので、しっかり用意しております。我が国特有の甘味です。神獣様や聖女様に気に入っていただけると嬉しいのですが……あ、そういえば申し遅れました。私はクレート・チェステと申します。聖女様とは近い未来親戚となる身ですから、どうか気軽にクレートとお呼びください」

 頭を下げさせただけでも焦ってしまうのに、自分に対してはついでだとしても膝まで折らせてしまったことに頭がグルグルし始める。しかも更なる難題を私に押し付けてくるし。

「あ、あ、あの。い、いくらなんでも一国の王太子殿下を敬称もなしに呼ぶというのは……」

「おや? 義理の兄になる訳ですから、どうぞ遠慮なさらず。あ、敬称なしが難しいというのであれば、お義兄様というのはどうでしょう? 聖女様にお義兄様と呼ばれるのはとても嬉しいですね」

 やんわりと断る私を全く気にすることなく、それどころかますますハードルを上げてくる。虫も殺せぬような顔をしてグイグイくる。ルトにも負けないくらいグイグイくる。

 キッパリ断るわけにもいかなくて、どう答えたらいいのかわからずに目を白黒させていると、なにかを載せたトレーがいくつか応接室に運び込まれてきた。お陰で王太子の関心がそっちへ向いて私を見つめていた星空のような黒い瞳から逃れることが出来た。

「こちらが我がアルーバ神国の甘味です。神獣様に気に入っていただけるといいのですが。どうぞご賞味ください」

 トレーから三つの小さな白い物を取った王太子は、私たちにひとつずつ渡してきた。

「大福と言います。普段はもっと大きいのですが多分、皆様にとっては初めての食感になると思い小さく作らせました。喉に詰まらせてはいけないので、ゆっくりよく噛んでお召し上がりください」

 王太子はクストーデとぷにちゃんに大福を手渡した後、私の分の大福を手にニッコリと微笑む。

「どうぞ」

 ニコニコした表情と目の前の大福……。意図がわからず大福と王太子を交互に見つめてしまう。あ、なるほど。クストーデを抱えている私を気遣ってくれたんだ。でも大丈夫。抱えているとはいえ、膝の上に乗せているだけだから手が外せない訳ではない。

「ありがとうございます」

 大福を受け取ろうとてのひらを広げた。それなのに王太子の手から大福は落ちて来ない。相変わらず私の目の前からいなくならないのだ。困ってしまった私は助けを求めるように王女を見た。こちらを見ていた王女は〈微笑ましい〉と顔にくっきり書いて微笑んでいるだけ。ラウリスたちを見れば揃ってニヤニヤ顔だ。クストーデとぷにちゃんは既に三個目を口の中でモゴモゴさせている。

『美味いぞ』

「ぷうに」

 これは誰も助けてくれないパターンだ。しかも大福が距離を詰めてきた。大福の向こうには微笑みを絶やさず私を見つめている王太子。

 これはもうそういうことだ。断るという選択肢もないみたい。あきらめた私は恥ずかしいと思いつつも素直に口を開けた。

「……美味しい」

 ひと噛みした途端、甘さが口一杯に広がる。この大福は間違いなく私の知っている大福と同じだ。程よい甘みに思わず笑顔になってしまう。

「それはよかった。さ、もうひとつどうぞ」

 私の反応が嬉しかったのか、笑みを深めた王太子は再び私の口元に大福を持って来る。一度やったことはもう何度やろうが恥ずかしくない。またもや素直に口を開けようとする。

「そろそろ来る気がするな」

「そうね」

「ですね」

 そんな私たちの様子をニヤニヤしながら見ていたラウリスとチア、そしてロザーリオがつぶやいた時だった。

「そこまでですよ」

 ノックもなくいきなり扉が開き、冷気を発しながら目が笑っていない笑みを浮かべた私の婚約者であるガンドルフィン王国の王太子、エンベルト・バルティス殿下が立っている。その背後には私のお兄様であるジャンネス・ヴィストリアーノ公爵令息が楽しそうに微笑んでいた。

 大股で真っ直ぐこちらに来たルトは、クレート王太子の手にあった大福を奪い取るとそのままクストーデに投げた。クストーデはそうなることがわかっていたかのように、見事に口でキャッチして食べている。

 奪われた王太子は怒るでもなくニコニコしたままルトを見ているし、ラウリスたちは予想通りになったと大笑い。

 そんな中、笑みを消したルトは大きく溜息を吐くと、突然の登場にポカンとしている私を見下ろした。

「全く……アリーは各国の王子を魅了する能力でもあるのですか? ブラジオーガ、サルドときてここ、アルーバでも……やはり私は世界征服を真剣に考えなくてはいけないようです。この世から私とラウリス以外の王子というポジションをなくさなくては」

 真剣な顔でえげつないことを言っているルトに、クストーデが賛同する。

『いいな、その時は我も手助けしよう』

「ぷにぃ」

 だからね、神獣が世界征服目指してどうするのよ? ぷにちゃんも今、さらっと賛同したよね? 君たちが揃うと本当に征服出来そうで恐ろしいよ。

 私は大きく息を吐くとルトを見た。

「クレート殿下とは今初めてお会いしたのよ。ほんの数分前にね。だから好きだとかなんだとか、そんな感情を持つわけがないじゃない」

 とがめる私にクレート王太子も続いた。

「そうですよ。確かに心惹かれる女性であることは間違いありませんが、聖女様でありエンベルト殿の大切な婚約者様に恋慕など……おそれ多いことです。それにエンベルト殿は私に婚約者がいること、ご存知ですよね」

 クレート王太子には既に婚約者がいるらしい。だったら尚更、ルトの心配は杞憂というやつだ。それなのにルトの顔はますますげんなものになる。

「婚約者がいようとアリーの魅力の前には関係ないのですよ。実際、きさきを何人もめとっていながらちょっかいをかけてくるようなバカな王子もいるのですから」

 ルトの言葉に皆の頭にはきっと同じ人物が浮かんだのだろう。その証拠に皆が一様に「ああ」と納得したような表情をした。勿論私も同じ人が浮かんできて笑ってしまう。

「もうルトったら。あれはふざけているだけじゃない。ルトがいちいち反応するから面白がっているだけなのに、そんなこともわからないの?」

 それこそ本当に要らぬ心配だ。そう一蹴する私を見るルトの顔が呆れたものに変わった。

「アリー……あなたはどれだけ鈍いのです?」

「え?」

 予想に反した返事に思わず聞き返してしまった私に、今度はラウリスが大きな溜息と共に口を開いた。

「おまえの鈍さは病的だな」

流石さすがに殿下方が気の毒になってしまったわ」

 ラウリスに続いてチタまで困った子を見るような視線を寄越してくる。それどころかクレート王太子とイレーネ王女、オレステ以外の皆が、私を可哀想な子のように見ている。

「ちょっと、皆までなに?」

 なにがそんなに可笑しいのか、膝の上の黒い塊はお腹を抱えて笑っている。肩の上のぷにちゃんは平常運転だ。

 誰もちゃんと説明してくれないくせに、どうしてそんな目で見られるのか意味がわからずムッとしていると、いつの間にかルトの隣で立っていたクレート王太子がクスクスと笑いながら私を見た。

「イレーネにも話は聞いておりましたが聖女様は本当に可愛らしいお方ですね。これは他の王子方が心を揺り動かされても仕方のないことかと。恋慕する気持ちもわかります。ですが私はお二人の邪魔をするようなことはいたしません」

 言い切った王太子の黒い瞳がキラッと輝いたように見える。星が輝いているようなその瞳は、ルトを見てから再び私を見つめた。

「アルーバ神国の男たるもの、横から掻っさらうような真似はしません。口には出さず胸の内で炎を燃やし続けるだけです。ただ、胸の内に収まりきれず熱い視線となってあふれ出てしまうことはあるでしょうが」

 応接室がシーンとなる。ルトの顔が真剣なものに変わり、他の皆は緊張しているのか顔がこわっている。私も驚いてしまって王太子を見つめ返したまま身を固めた。

 誰もなにも言わず張りつめた空気が漂う中、王太子を見つめ続けていた私は、急になにを言わんとしているのかを理解した。

「アルーバ神国の男性というのは内に秘めた情熱を燃やし続ける熱い国民性なんですね。素晴らしいです」

 きっと婚約者を一筋に愛しているのだろう。想いが溢れてしまう程愛するなんて、婚約者の方はきっと幸せなんだろうなと微笑ましくなる。

 発言している私に、皆が不思議な物でも見るような視線を向けている気がするけれど、それはきっとまだ言葉の意味を理解していないからだろう。

『アルーバの男性が情熱的なのはわかったけれど、ルトも負けてないと思う。ただ溢れるのは冷気だけど』

 心の中で一人で突っ込んでいると段々面白くなってきた。

『さっきの口上も考えてみたら凄いわよね。あんなセリフ、他の女性の前で言ったらコロッと落ちちゃうって。遠回しの告白だと思っても仕方ないもの。しかもなんだかキザだったし……』

 考えれば考える程面白くなってしまい、とうとう堪えきれずに笑ってしまった。

「フ、フフフ、フフ。アハハ、すっごくキザなセリフですねぇ、フフフ」

 突然笑い出した私にクストーデが真っ先に反応した。

『ククク。流石アリー、なにもわかっていない』

 お腹を抱えて引き笑いしているクストーデを見た皆の反応は様々だったけれど、張りつめていた空気はすっかり消えている。キョトンとした表情で私を見ていた王太子は、私たちにつられたように笑い出した。

「フフ、フフフ。聖女様には通じませんでしたか。フフ、確かにこれは一筋縄ではいかないようです」

「当たり前です。アリーが好きなのは私だけなのですから、他の男には見向きもしませんよ」

 そう言っている割には苦々しい顔で腕組みをしているルトは、わざと見せつけるように私の右手を取ると自分の手にからませ、その指先にキスを落とすと王太子を見る。

「アリーが心を動かすのは私だけですから。どんなにアプローチしても無駄です」

 頭上での二人のやり取りよりも、急に訪れた甘い刺激に気持ちが持って行かれてしまって顔が熱くなってしまう。

 所構わずスキンシップをするルトに完全に慣れる日はいつかやって来るのか? とか他の皆の視線が温いんですが? とか言いたいことは多々あるけれど、恥ずかしいが上回っている今は無理。

「はあ、毎度毎度見せつけられている身にもなってほしいものだ」

「え? ラウリスも負けてないと思うけれど? ねえジュリー」

「え? えと、えと……」

 ラウリスとチタのジュリーを巻き込んだ会話がきっかけで、応接室がなんとも温い空気に包まれる中、王女だけは驚いたような表情で誰に言うともなくボソリと呟いた。

「兄上のあの告白を目の前でされて落ちるどころか笑うって……流石はアリーです」

 そんな王女の隣にいたお兄様が、呆けている王女の耳元にささやく。

「残念ながらあれは究極に鈍いだけですよ。まあ、それが可愛くて仕方ないんですがね」