朝、母親に呼ばれて彼女の部屋へ行くと、クラウディアが聖女の補佐役アプリオリに任命されたことをルイーゼは聞かされた。

「教会から話があったようです」

まだおおやけにされていない情報だけれど、上級貴族の耳には入っているという。

新しい聖女の誕生。

百年に一度あるかないかという希有けうな祝い事に、クラウディアが聖女と並び立つことを許された。

意外性はなく、むしろ納得が胸を占めた。

王太子の婚約者や公爵令嬢という立場だけでなく、彼女に能力があることを間近で見てきたのだ。

一時は婚約者候補同士ライバルでもあった親友について、ルイーゼは他人より理解している自負があった。

(選ばれて当然だわ)

目の前のことしか考えられない自分とは違い、常に広い視野をクラウディアが持っていることは、学園で起こった事件の際に知れた。

救助に現れたシルヴェスターの身を案じ、苦言を呈する姿には衝撃が走ったものだ。

(わたしは、ただ見惚みとれるだけだった)

不安から解放され、呆けていた自分を思いだすと羞恥しゅうちに駆られる。

何時なんどきも、王の臣下足るべく、平民の見本足るべく、正しくあれと教わってきたというのに。ふたを開ければ、無知な少女と変わらなかった。

それからは心新たに視野を広げようと頑張っているけれど、クラウディアと比べられるたびに未熟さを痛感する。

「あなたにも十分資質はあるけれど、タイミングが良くありませんでした」

聖女祭の開催が、もう数年早かったら。

せめてクラウディアが王太子の婚約者になる前なら、ルイーゼにも補佐役になるチャンスはあったと母親は語る。

(どうかしら?)

お妃教育がはじまり、直接交流するようになった母親は、クラウディアの手腕に舌を巻いていた。学園を卒業したばかりの令嬢とは、とても思えないと。

母親が娘に期待していたことをルイーゼは知っている。

母親に限らず、父親もそうだ。ルイーゼ自身、優等生である自覚があった。

過去、癇癪かんしゃく持ちだったクラウディアを見たことがあれば尚更、ルイーゼのほうが突出して見えただろう。

しかし、クラウディアの改心と共に、それは呆気なくくつがえされた。

今では母親も認めているはずだ。

自分の娘より、彼女が上だと。

時をさかのぼるなら、いっそクラウディアが癇癪持ちだった頃でなければ、自分は選ばれなかったのではないかとルイーゼは考える。

「ルイーゼ、あなたが劣っているわけではありませんよ」

「はい」

なぐさめられても、あまり心には響かなかった。

自分が一番、至らないことをわかっているから。

母親の前から辞し、廊下へ出ると視線が下がりそうになった。使用人の目があるため、気力で顔を上げ、自室を目指す。

主人である者が、弱った姿を見せるわけにはいかない。

それでも内心、背中が丸まっていた。

(情けないわね)

着実に功績を積んでいるクラウディアに対し、何も成し遂げられていない自分。

ライバルにすらなれない現状が、歯がゆくもあり、悲しかった。

(競い合いたいわけじゃないけれど)

聖女とその補佐役のように、隣に立てる存在でありたかった。

補佐役とはいうものの、聖女とは母体が違うだけだ。教会か、国かの差でしかなく、人々の心の支えになるという点では大差がない。

自室へ戻ってからも鬱々うつうつとした感情を抱いていると、ロジャー伯爵家から使者が来た。

侍女からの言づてに、ピンク髪の令嬢が頭に浮かぶ。

予定が空いていたこともあり、昼に来訪したいというシャーロットの申し出を、ルイーゼは快く受けた。


「ルイーゼお姉様! 突然お時間をいただくことになって、申し訳ありませんの」

顔を合わすなり、シャーロットは頭を下げる。その動きで大きな胸がたゆんと揺れた。

貴族の慣習に従えば、遅くとも数日前には予定を聞くべきである。

とはいえ事前に使者を送っていることで問題はないのだが、急であった負い目があるらしい。

「本来なら日を置くものですものね」

「うう、ごめんなさい」

眉尻まゆじりを下げるシャーロットを見て、あっ、と思う。

(どうしてこう、わたしは嫌みったらしいのかしら?)

クラウディアなら相手が必要以上に気負わないよう、違った対応をしただろう。

変えたいのに、変えられない。

自分の性分が嫌になって、扇を握る手に力がこもった。

眉根が寄りそうになるものの、反省は後回しだ。客の前ですることではない。

「会いたいと思ったのは、わたしも同じです。迷惑だったら、そもそも断っていますから」

「はい……!」

自室へ招き、テーブルを挟んで椅子に座る。

紅茶が用意される頃には、にこにことシャーロットから笑顔を向けられていた。

(愛嬌の良さは、シャーロットを見習いたいわね)

以前は、その笑顔にあざとさを感じて苦手だった。

けれど彼女にもコンプレックスがあり、克服しようと頑張っている姿を見て、認識が変わった。

(外見だけで判断してしまうのは、わたしの悪いクセよ)

今となっては、昔のクラウディアの癇癪にも、背景があったとわかる。

でも当時は理由を知ろうともせず、辟易へきえきしていた。自分も幼かったけれど、後悔は残る。

考えを切り替えようとしたばかりなのに、また思考が沈みそうになっていた。

軽く扇をあおぎ、シャーロットに意識を集中させる。

「大方、お話はディーのことでしょう?」

「その通りですの! ルイーゼお姉様も、補佐役のお話をお聞きになられましたか?」

ルイーゼ同様、シャーロットも朝から母親に呼ばれたようだ。

社交界、ひいては上級貴族間の情報は、母親からもたらされることが多い。

令息は父親から、令嬢は母親から、といった具合に。

(ディーには、新しくパトリック夫人が付いたと聞いたけど)

以前はどうしていたのか。

情報を得るのにリンジー公爵夫人では力不足だと、ルイーゼにもわかっていた。

(お兄様のヴァージル様が協力されていたのかしら?)

兄妹仲が良いのは周知の事実である。

だが同じ社交界のことでも、男性と女性では持っている情報が違う。

にもかかわらず、クラウディアに悩んでいる素振りはなく、上手く立ち回っていた。

(計り知れないわね)

単にルイーゼの知らない情報源があったのかもしれない。

ただそれだけではないと思ってしまうのは、クラウディアの器量の良さを、身に沁みて知っているからだろうか。

母親から聞かされた新情報を、シャーロットは共有したくなったのだろうというルイーゼの見立ては当たった。何せ話題の中心人物は、シャーロットの憧れの人である。

けれど話は、情報の共有だけで終わらなかった。

「一般に公表されるのは聖女祭でと聞いていますの。その前にお祝いできないか相談したくて……」

「そうね、内々でする分には許されると思うわ」

平静を保って答えたものの、ズキズキと胸が痛んでいた。

お祝い。

シャーロットが口に出すまで、自分にその発想がなかったことに愕然がくぜんとする。

聖女の補佐役にクラウディアが選ばれたのは納得だった。めでたいことだとも、わかっていた。

親友なら真っ先に、祝おうとするのが自然ではないのか。

(どうして思い至らなかったの?)

物思いにふけっていた午前中。

シャーロットと会ってからも、反省が頭に浮かぶばかりで。

(わたしったら、自分のことしか考えていないわ)

だからダメなのだ。

視野を広げようと心がけていたはずなのに、結局はこれである。

何も成長していない。

目の前が真っ暗になりかけたところで、ピンク色の髪が揺れた。

ハッとして瞬くと、シャーロットが前のめりになって自分をのぞき込んでいる。

大きな飴色の瞳と目が合った。

「もしかして、お加減が優れませんか?」

「違うわ、そうじゃないの」

ただ自分の狭量さに嫌気が差しているだけだ。

なんとか笑みを浮かべる。

「ごめんなさい、話の腰を折ってしまったわね」

「謝らないでくださいませ。押しかけたのは、あたしのほうですの」

言いながら、シャーロットは居住まいを正す。

そして音もなくもごもごと口を動かしたあとに、強い視線を投げかけてきた。

「あのっ、あたしではお役に立てないでしゅ、しょうか!」

んだわね」

「ふええ、面目ありませんの」

彼女なりにルイーゼが何か抱えていると察したのだろう。

愛らしい姿に、肩から力が抜けた。

「ふふ、自戒していたの」

「自戒ですの?」

こてん、とシャーロットは首をかしげる。

「口にしたら呆れられると思うわ」

自分のことばかりで、親友を祝うことすら考えていなかったなんて。

平時ですら、クラウディアから何歩も遅れを取っているのに。

「聞かないほうがいいですか?」

問われて、口を結んだ。

打ち明ける勇気が、すぐには湧かなかった。

情けない姿をさらして、シャーロットに引かれたら。

そう思うと、口が重くなる。

視線が下がり、あまり減っていない紅茶が映る。

楽しい時間になるはずだったのに、これでは台無しだ。

(どうしたら)

挽回できるだろうと考えた矢先だった。

シャーロットが立ち上がり、ルイーゼの隣に来る。

そして優しく背中を撫でられた。

「無理に話す必要はありませんの」

「あなたが頼りないわけではないわ」

「はい。他人に言いたくないことの一つや二つ、誰でも持っていますの。聞けなかったからといっていきどおるほど、子どもでもありませんの」

「そうね、見かけ以上に、あなたはしっかりしているわ」

もしかしたらコンプレックスに向き合っているシャーロットのほうが、自分よりしっかりしているかもしれない。

優等生である自覚があった。

しかしテストの点が良いからといって、全てが上手くいくわけでないと、歳を重ねるごとに思う。

「ルイーゼお姉様に認められて嬉しいですの」

楽な姿勢ではないだろうに、シャーロットは撫でる手を休めない。

彼女の温もりが背中から伝わり、目頭が熱くなる。

(年下の子に、ねぎらわれるなんて)

浮かぶ言葉は相変わらず嫌みったらしい。

けれど心は軽くなっていた。

自然と口が開く。

「不甲斐ないのだけど、自分のことだけで頭がいっぱいだったの」

クラウディアを祝うことすら思いつかなかったと打ち明ける。

こんな自分がクラウディアの親友を名乗れるのか。

思いを吐露すると、シャーロットは撫でるのを止め、今度はルイーゼの手に自分の手を添えた。

「ルイーゼお姉様は真面目ですの。あたしなんか自分の反省に目もくれず、クラウディアお姉様のことばかり考えていますの!」

だから補佐役の話を聞いて、すぐに祝いたくなったのだという。

「あたしはルイーゼお姉様の姿勢が間違っているとは思えませんの。そんなお姉様だからこそ、クラウディアお姉様とも対等でいられるんですの」

「対等かしら?」

「疑いようのない事実ですの。クラウディアお姉様に訊いても即答されますの」

「でもわたしは何も成していないわ」

「ルイーゼお姉様は、相手の功績で友人をお作りになられるんですか?」

「そんなこと……」

しない。

ルイーゼの反応を見て、シャーロットはほおを緩める。

「でしょう? 仮にクラウディアお姉様が男爵令嬢であっても、機会があれば、お二人は親友になっていたと思いますの」

「……わたし、見当違いをしていたのね」

視界が一気に開けた気がした。

成長が見られない自分に対する焦燥感と、クラウディアの親友という立場は別物だ。なのに勝手に混ぜて、気落ちしていた。

「それに何も成していないのは、あたしも同じですの! むしろお母様の意図を無視しているくらいですの」

シャーロットの母親は、娘がシルヴェスターと婚約するのは難しいと見るなり、ターゲットを隣国の王弟ラウルに替えたと聞かされる。

シャーロットに応じる気はなく、のらりくらりとかわしているとのことだった。

「親不孝者だと自分でも思いますの」

令嬢の婚姻は、親の意見に左右される。

ルイーゼだってそうだ。現状、表立って進行している話がないだけである。

トリスタンのことを考えると、更に話が横道に逸れる気がしたので、一旦置いておく。

「クラウディアお姉様と比べものにならないくらい、お粗末な人間ですの」

「さすがに言い過ぎではなくて?」

シャーロットにも見所はある。

そもそも同じく王太子の婚約者候補であった時点で、周囲から認められているのだ。

「ルイーゼお姉様も、考え過ぎではありませんか?」

言い返されて、答えに詰まった。

問うシャーロットの眼差しは、どこまでも優しい。

「あたしも、クラウディアお姉様との距離が、どんどん離れていくように感じるときがあります」

王太子の婚約者になり、お妃教育を通して夫人方にも臆することがないクラウディア。

いつだって自分が見るのは彼女の背中ばかりだ。

でも、それだけじゃない。

「こうしてルイーゼお姉様に接せられるように、クラウディアお姉様の近くにいくこともできます」

友人として、前からでも横からでもクラウディアの顔をうかがえる。

その権利を得たのは、他ならぬ自分だとシャーロットは言う。

「案外、自分も捨てたもんじゃないなって思えますの。だって誰でも、お姉様たちの友人になれるわけじゃありませんから」

同意してうなずき返す。

彼女だから、ルイーゼも急な訪問を受け入れられたのだ。

「とにもかくにも、ルイーゼお姉様は何も悪くないですの!」

「雑にまとめたわね」

言いながら、ルイーゼの顔には笑みがあった。

一生懸命に自分の考えを伝えようとするシャーロットが可愛らしい。

(わたしは良い友人を持ったわ)

「ありがとうございます。励まされましたわ」

「良かったですの! 実をいうと、背中を撫でたりしたのは、クラウディアお姉様のマネですの」

「ディーの?」

シャーロットが気落ちしていたときに、慰められた方法だという。

「あのときのクラウディアお姉様は、とても頼りがいがあって……あたしも、そうなれたらいいなって。ルイーゼお姉様の笑顔が見られてほっとしました」

「心配をおかけしましたわ。わたし自身、もっと前向きな性格だったら良いと思います」

ふさぎ込んでしまうのは、今にはじまった話じゃない。

後悔と反省で、寝付けない夜もあるくらいだ。

「ルイーゼお姉様は、やっぱり考え過ぎですの。眠れないときは、運動して疲れるのが一番ですの!」

体が疲れていたら、嫌でも眠たくなるものだと。

提案された方法が力業で笑った。

「想像している以上に有効ですの!」

「ふふ、わかりました。今度試してみましょう」

根本的な解決には至らない。

けれど、それが正解かもしれなかった。

(変えたいと、どれだけ思っても、変えられなかったことだもの)

別の角度から対症療法的にアプローチする、というのはルイーゼにとって新たな発見だった。

またコンプレックスを抱えたシャーロットの言葉だからこそ、実行しようという気持ちにもなれた。

「話を戻して、ディーを祝う方法を考えましょうか」

「はいですの!」

「ちょうどいい場所があるのです」

老朽化を理由に、屋敷の温室が改修されていた。

母親が大々的にお披露目をおこなうのに先立ち、クラウディアとシャーロットを招くのもいいだろう。

「お披露目の前によろしいのですか?」

「ええ、未来の王太子妃と親交を深めるのに、両親は賛成だから」

「あはは、うちもです」

サヴィル侯爵家にも立場がある。

あまりリンジー公爵家に近付き過ぎるのはよくないが、クラウディアは将来的に公爵家から出る。

余程のことがない限り、侯爵家としても、親としても、反対されるいわれはなかった。

新しくなった温室に、三人で集まっている光景を想像する。

気の置けない友人たちとのお茶会は、楽しいに決まっていた。

「では準備について話し合いましょう」

「はい! 今からワクワクしますの!」

満面の笑みを浮かべるシャーロットは、ピンク色の髪も相まって彼女自身が花のようだ。

うちに秘めた葛藤かっとうを忘れさせられる天真爛漫さに、ルイーゼはやされるのを感じた。