「ごきげんよう、お姉様」

何か言わなければと思うものの、驚きで声が発せられない。

どうやって修道院を抜け出したのか。

いや、聖女になったのか。

頭の中で思考が目まぐるしく駆け回る。

理由を探し、視線を動かした先で、フェルミナの隣に立つ人物へはじめて意識が向いた。

しかし。

「どうされました? もしかして体調が優れないんですか?」

心配げなフェルミナに、視線を引き戻される。

「いえ、大丈夫よ。久しぶりね、すっかり見違えたわ」

「修道院ではたくさんの学びを得ました。経験が我が身に表れているなら嬉しいです」

一目でフェルミナだと看破したものの、それは直感に近かった。

改めて見ると、以前とは佇まいからして違う。

落ち着き、修道服を身に纏ったフェルミナは、聖女たる威厳があった。

少し痩せて見えるのは修道院での生活によるものだろうか。

よくよく観察すれば、ピンクブラウンの毛先も艶やかとは言い難い。

楽な生活をしていたわけではなさそうだ。

クラウディアを陥れようと罪を重ねた結果、フェルミナは公爵家から籍を抜かれ、修道院送りとなった。俗世から離れ、慎ましく生きるようにと。

フェルミナの質の悪さを知ったシルヴェスターは、安易には済まさなかった。

詳細は知らされていないが、厳しい環境に置かれたのは確かだ。

(改心できたのかしら?)

学びを得た、という言葉通りに。

ならば喜ばしいことだ。

真実、聖女と呼ばれるほど、人徳を得たならば。

「少年を庇って鞭で打たれたと聞いているわ。傷は大丈夫なの?」

「はい、おかげ様で完治しています。ミミズ腫れのような痕は残ってしまいましたけど」

晴れやかな笑みでフェルミナは答えた。少年を助けられたのが全てとでも言うように。

傷痕は誤魔化しがきかない。

以前のフェルミナなら自分の手を汚すことを厭い、綺麗なままでいることを望んだ。

傷を負ってまで行動を起こした彼女は、一歩前へ進んだのだ。

(良い方向へ)

そう思いたいのに、胸の奥がざわざわする。

ヤスリを心臓に近付けられているような感覚があった。

硬くなったフェルミナの指先が右手に触れる。

そのまま持ち上げると両手で包まれた。

彼女も緊張しているようで、温もりは感じられなかった。

「お姉様とのことを、ずっと後悔していました。自分はなんて愚かなことをしていたのかと」

教義に従い、素直に生きれば良かっただけなのにと、フェルミナは語る。

「わざわざ悪いほうへ曲解して、行動していた自分を恥じるばかりです」

「フェルミナさん……」

かつての自分と同じように、フェルミナも愚かな自分と向き合った。

悔恨する表情に嘘は見られない。

身に覚えがあったからか、これに関しては事実だと受け入れられた。

「もっと早く、気付けていたら」

修道院へ送られることもなかったと言いたいのだろうか。

ここで、はじめてフェルミナは陰りを見せた。

何かを決心し、顔が近付けられる。

「お姉様の真実にも、辿り着けたのに」

振り払った過去の残滓が蘇る。

けれどかつての断罪時とは違い、フェルミナの表情は歪んでいなかった。

真摯な目で見つめられる。

「真実……?」

「お隠しにならないでください。わたしはもう知っているんです」

続けてフェルミナの口が動く。

最初、何を言われているのか理解できなかった。

「実母の死を境に、お姉様が変わったことを。噂に聞くような善良なものではなく、まるで人が変わったようであったと把握しています」

言葉を咀嚼するほど、体が硬くなるのを自覚する。

(まさか、いや、でも)

わかるはずがないのだ。

逆行したなんて。

仮に事実を聞いたとしても、冗談だと笑い飛ばされる話である。

「今までの癇癪が嘘のように落ち着かれ、完璧な淑女になられた。それから兄と父親を手玉に取るようになったこと。もうわかっているんです。わたしも聞いたときは信じられませんでした。けれど思いだしたんです。お姉様の所業で、わたしにも覚えがあることを」

何のことだと訊ねるまでもなかった。

体が芯から冷え、背中が粟立つ。

「学園で、お姉様の提案によって催された学園祭。あれは、わたしの案でした」

そうだ、元はフェルミナの案だった。

逆行前に催されていたのを知っていた。詳細まではわからなかったから、自分なりにまとめて提案したのだ。

当時も、フェルミナは自分の案を奪ったと訴えていた。

ずっと謎だった手段が、ようやく判明したという。

「魔女であらせられたのですね」

「え……?」

「バレていないとお思いですか? 教会が集められる情報の多さを見くびらないでください」

どこから「魔女」という単語が出て来たのか、「魔女」とは何者なのか。

戸惑っている間にもフェルミナは畳みかけてくる。

「黒魔術によって不当な力を得たことはわかっています。どうか、ご自分の罪から目を逸らさないでください」

フェルミナの目配せで、教会の騎士たちが動く。

咄嗟に距離を取ろうとするも、握られた右手を離してもらえなかった。

誰もフェルミナを──聖女を、疑おうとすらせず、取り囲まれる。

考える暇もなく後ろ手に拘束され、無実を訴えることしかできない。

「わたくしは何もやっていないわ!」

「わたしが過去にそう言ったとき、お姉様は聞いてくださいました?」

あのときは証拠が揃っていた。

では、今も?

フェルミナの茶色い大きな瞳には確信があった。

かつて小動物を連想させた少女はもういない。

聖女として、権威を得た女性修道者が断罪を執行する。

「悪しき魔女、クラウディア・リンジーに裁きを与えます。教会を裏切り、恐ろしき黒魔術に傾倒した罪を、己が身で償いなさい!」