悪役令嬢は聖女祭へ向かう

あれから修道者は後遺症もなく、無事に意識を取り戻したとの報告を受けた。

修道者であるスミットを蝕んだのは、その立場だった。

彼の責任感の強さが災いした。頑張り過ぎたのだ。

同僚だった祖国の修道者とは散り散りになり、愚痴をこぼせる相手もいない。

同行者であった難民も、公爵領の人々も、修道者としての彼しか知らず。

背負うものばかりが増えていた。

故郷を離れるというのは、そこで形成した殻を脱ぎ捨て、裸一貫で新天地へ出てくるのと同義だ。

難民が等しく抱える不安を、スミットも抱えていたというのに。

彼自身、思い返せば、精神的に追い込まれている自覚はあったという。異変は不眠症という形で表れていた。けれど自分の頑張りが足らないからだと、無理を続けた。

そして部屋で一人静かに過ごしているときに魔が差し、ふと、全てを終わらせたくなったと証言した。

現在、彼は当初の予定通り、地元の修道院に入って休養を取っている。心のケアに重きを置かれ、修道者としてではなく、スミット個人を修道者仲間に浸透させるよう配慮されながら、他の難民団体に同行している祖国の同僚たちとも連絡を取り合えるよう手配されたという。

難民施設へは、地元の修道院から新たに修道者が派遣されることになった。

同時に単身者へのケアもおこなわれている。スミット同様、予兆が見逃されているケースはないか考慮された。

結局のところ、精神的な部分を支えるのは、修道者が適任だった。

心の拠り所として、信仰ほど頼れる存在はないのだ。

(わたくしは、どこまで彼らを見習えるかしら)

修道者のように、一人一人に寄り添えるか。

立場的に難しい面もある。

けれど、もう思いだしていた。

自分が愚かだった頃、誰よりも孤独を抱えていたことを。

周囲の人々と共に試練を乗り越え、今があることを胸に刻む。

最初、補佐役としての話が出たときは、自分でいいのかと思った。

案の定、信仰に胡坐をかき、領地では後手に回ってしまった。

だからこそ今は、自分だから補佐役としてできることがあると信じている。

聖女ほど大きな光は当てられなくても、その次の光にはなれるはずだと。

目映い光は時として、色濃く影を落とすことを知った。信仰だけでは解決しない場所へ、手を伸ばす必要性があると学んだからこそ視界が開けた。

気持ちを新たに前を向く。

姿見には、補佐役として修道服を身に纏った自分が映っていた。

左手首には、ヴァージルから贈られたリンジーブルーのブレスレットが光る。

大聖堂の控室。季節が巡り、聖女祭の開催が迫っていた。

どこからともなくハーブの香りが漂う。

窓から見上げる空は晴れ渡り、今日という日を朝日が祝福していた。

ノックがあり、来訪者を迎え入れる。

銀糸をさらりと揺らし、愛する人を黄金の瞳に認めた婚約者は切なく呟いた。

「あともう少しの辛抱か」

何に対しての言葉かは明白だった。

補佐役の禊として、異性との接触禁止は聖女祭が終わるまで続く。

ソファーに座ったシルヴェスターは、クラウディアを眺めながら、春咲きのアイリスを手でゆらゆら持って自分を慰めた。

ハーランド王国での開催期間は一週間。

といっても聖女が王都に滞在するのは二日程度で、その後は王家直轄領である港町ブレナークから、バーリ王国へ船で渡る。

クラウディアもシルヴェスターと同じ面持ちで頷いた。

「終わったら、お肉が食べたいですわ」

それほど量を食べている意識がなかったので、禊の期間中も苦はないと思っていた。

しかし一か月を過ぎたあたりから、お肉が恋しくて恋しくて。

肉汁滴るミディアムレア、こんがりと焼いたウェルダンも捨てがたい。

「私より食欲を優先するのか?」

「シルは辛抱できます?」

「無理を言うな」

体を鍛えている人に肉食は欠かせなかった。

「心なしか胸が痩せたように思いません?」

「シェフに伝えて、牛肉、豚肉、鳥肉、各種揃えさせよう」

対応の早さに笑った。

クラウディアとしても、体形を維持できないのは負けた気がする。

お肉の確約が取れて一安心だ。

「朝からする話ではありませんわね」

「何を言う、早急に対処せねばならぬ問題だろう」

「じっと胸を見ながら言わないでくださります? お尻もダメですよ?」

見たくなる気持ちはわからないでもない。むしろ、わかる。

肉体美の魅力については、夜通し語れた。

しかし今は、聖女の補佐役であるアプリオリの任命式を控えていた。

教会からは既に任命を受けているが、式をもって衆人にも認められるのである。

心も清くあるべきだった。

「話は変わりますが、候補外からの選出で、聖女認定は盛り上がったそうですね」

難民の受け入れ準備に奔走していたため、あまり注視できていなかった。

あるのは伝聞のみで、聖女の容姿については何も知らない。

どうやら聖女祭でベールを脱ぐらしく、式典の注目度が上がっていた。

シルヴェスターの表情は渋い。

「声明を出すにしても、言葉を選んでほしいものだな」

認定式で発せられた文言が気に入らないようだ。

間違ったことは言ってない。発言は正しい。

ただ余裕のない者からすると、綺麗事に聞こえなくもなかった。

難民支援に至っては各国へ丸投げに近く、尚更である。

受け入れ側が奔走させられたのは、どこも同じだった。

「王家直轄領ではどのような政策をなさるのです?」

「低所得者向けの貸し付けをおこなう」

「ローズガーデンと競合しそうですわね」

「取り立てを任せることで合意した」

借入先がない人向けに、暴利でお金を貸すのは犯罪ギルドの手法である。

もちろんシルヴェスターは、低い金利でおこなう。

港町ブレナークを筆頭に、王家直轄領は商売人が多い。起業しやすい風土づくりができれば、将来の税収増にも繋がるだろう。

地域色が活かされた政策だった。

「リンジー公爵領では保険制度を整えるようだな。基金設立のための申請書が上がってきていた」

申請はすんなり通り、引き続き父親とヴァージルは忙しくしている。

「どちらも軌道に乗せるまでが大変ですわね」

手首にあるブレスレットを撫でる。

自分ができることをしよう、とクラウディアは改めて思った。

ふと上げた視線が、金色の瞳とぶつかる。

陽光を宿し、細められた目には、安らぎがあった。

目を離せないでいると、シルヴェスターが手にあるアイリスへ口付ける。君の代わりだと言わんばかりに。

唇に触れ、震える花弁がクラウディアの心情と重なる。

清廉と妖艶が隣り合う場所に、クラウディアはいた。

春の風と共にお呼びがかかる。

いよいよだと、二人で控室を出た。

シルヴェスターは来賓として、一足早く舞台である大聖堂の入口へ向かった。

先立ってクラウディアは、聖女と顔を合わせることになっていた。

一緒に舞台へ上がり、聖女から促された先で枢機卿から補佐役の任命を受ける、という手順である。

(どんな方かしら)

噂では素晴らしい人だと伝わっている。

ドキドキする胸を押さえ、クラウディアは凜と前を向き、未来を見据えた。


控室を出て、本堂の裏手を目指す。

そこに停められた教会の馬車が聖女の待機場所だった。

道中は教会の騎士が付き添ってくれる。

ほどなくして、大聖堂の入口から隠れるように停められた馬車が目に入る。

車体は白を基調に、金と銀で縁取られていた。

側面に大きく教会の紋章が入っているのを見て、確信する。

(あの中に、聖女様がいるのね)

クラウディアの来訪が察せられたのか、おもむろに馬車のドアが開いた。

黒髪の司祭が出てきて、中にいる人を導く。

エスコートされた聖女は、目映い白を纏っていた。

修道服とは違う形だが、白地に白糸で刺繍が施された生地には、新たな光が宿っているように見えた。

近付き、クラウディアは敬意を表す礼法で迎える。

聖女は頷きで応え、そして、ゆっくりとベールを脱いだ。

最初に髪が見え、相貌が露わになる。

クラウディアは一瞬、心臓が止まるのを感じた。

(まさか)

頭の奥にしまっていた記憶が呼び起こされる。

数年のときを経て、雰囲気は変わっているものの間違いようがない。

継母であるリリスの実子。

クラウディアの異母妹。

ここにいるはずのない人物が、たおやかに笑顔を湛えていた。

フェルミナだった。

聖女は──フェルミナだったのだ。