現場監督は背中を押される

難民を受け入れる前から、現場は体制を整えるのに大忙しだった。

大量の物資とはじめて向き合ったときは気を失いかけた。

何せ用途ごとに物資を分け、配分していかなければならないのだから。人手がいくつあっても足らなかった。

春を待たず到着する難民には悪いが、農業の閑散期であったのには助かった。

近場で人手が集まったからだ。

(鉱山へ出稼ぎに出る前で良かった)

冬場、仕事のなくなる農業従事者は、北部にある鉱山へ出稼ぎに行く者も多い。鉱山には危険が付きものだが、出来高制のため一攫千金が狙える夢もあった。

直近の大きな問題は、農業の準備がはじまれば、確保した人手が一気にいなくなることだ。領地全土へ求人は出されているが、農民が多いリンジー公爵領では、あまり期待が持てない。

考えをまとめた走り書きを前に眉根を揉む。

夜が更けていた。

書斎へ入ってから、思いのほか時間が経っていたらしい。

机の周囲だけをランタンの温かい火が照らしている。

日中は、難民の受け入れ先となる農業訓練施設へ赴き、増設する仮設住宅──簡素ながらも長期間居住できる家屋──に必要なものの確認や部下への指示出しに追われた。

警ら隊との連携に、日雇い労働者の管理。落ち着く暇がない。

家へ帰り、妻と子どもたちの顔を見て、ようやく安堵する。仕事を労われ、うるさく騒ぐ子どもたちを見ると、ふいに涙がこぼれそうになった。

自分が手にしている平穏を実感したからだ。

難民を助けることは、彼らの日常を守ることへ繋がる。現場監督への辞令を受けたとき、領主代行から直々に届けられた手紙にそう記されていた。

はじめてのことだった。封を切る手が震えた。直筆であることを、渡されるときに上司から伝えられていた。

上司はリンジー公爵家の親戚である子爵だった。公爵領の重鎮たちが集まる会議にも出席する。子爵は領主代行であるヴァージルの筆跡を知っていた。宛名を見てピンときたという。

中身は代筆かもしれないが、そんなことはどうでも良かった。

貴族、それも上級貴族のトップである公爵家から平民へ手紙が送られたのだ。価値は表彰状に等しく、名誉以外の何ものでもない。

王都を離れられず、帰省が遅れていることへの詫びからはじまり、自分の仕事ぶりが認められていた。額へ入れ、家宝にすることを決めた。

難民の事情についても綴られていた。

生まれ育った国は違えど、自分たちと同じように日常があったこと。

彼らの安寧が、どう作用するのか、丁寧な説明に心を打たれた。

さすが、というべきなのか、為政者たる資質を目の当たりにした。

貧困層への支援に難色を示す者は一定数いる。安易に、切り捨てればいいのだと口にすらする。彼らは自分が同じ立場に立つことを想像もしないし、失うものがない者の怖さを知らなかった。

一括りに貧困といっても、段階がある。今日の食にも困る者、ギリギリ生活はできている者。仮に最下層の貧民を切り捨てるとどうなるか。次の段階の者の希望がなくなる。

一瞬でも落ちてしまえば終わりだ。善良だった者も追い込まれ、犯罪を犯してまで上を目指そうとする。切り捨ては、該当者の余裕を奪い、即、治安の悪化を招いた。これは、どこの段階で切り捨てても同じである。

そして負は連鎖していくものだった。

自分は仕事をしていくうちに支援の必要性を学んだ。アラカネル連合王国人への農業研修は、それを再認識する良い機会だった。

彼らのほとんどは、リンジー公爵領の平均的な領民より貧しい生活を送っていた。

だというのに、遠路はるばる送られてきた彼らの目は、希望で輝いていた。こちらの生活を見て、いつか自分たちも豊かになれるのだと知ると奮起した。

(人々には希望が必要だ。自分たちの未来を思い描ければ、自然と前へ進んでいく)

生まれながらの犯罪者は稀である。ほとんどは環境がつくるのだ。

同じ認識をトップが持ってくれていることほど心強いものはない。

(わかってくださっている)

現場の大変さを含めて。仕事ぶりを認められているのは、そういうことだった。

辞令に否やはなかった。

額へ目を向けていると、妻が紅茶を淹れてきてくれた。

「お疲れ様です。また見ていたの?」

「あぁ、手紙を見ると励まされるんだ。こうして君の紅茶を飲める幸せを噛みしめられる」

子どもたちが穏やかに眠れる夜の何と尊いことか。

隣に来た妻の腰を抱く。

「家のことで苦労をかける。難民の到着間際から、しばらく帰れないだろう」

「ふふ、心配いらないわ。昼食を持って顔を見に行くのはいいかしら?」

「もちろん。だが時間は取れないかもしれない」

「渡せれば十分ですよ。食事だけが気がかりなの」

忙しさにかまけて食事を抜くのを見透かされていた。

席を立ちながら、感謝を込めてキスを送る。

考えをまとめて書き出したことで、至急対応すべきものはないと確認できた。

今日はここまでにして休むとしよう。

「仕事が一段落したら旅行へいこうか」

「あら、嬉しいわ。子どもたちも喜ぶわね」

まとまった休みと、報奨を貰えることは決まっていた。

(どんな人間も、思い描ける良い未来が必要だ)

具体的であればあるほど、自制心が芽生え、やる気が保てる。

些細なことでいい。自分の手で掴めるのが重要だった。

書斎を出る際、もう一度だけ青と黒で色付けされた額を見る。飾るならこれが良いと、妻が雑貨屋で買ってきてくれたものだ。

自分はほとほと妻の気遣いに助けられている。


予想通り、難民の到着に合わせて現場は慌ただしくなった。

到着後は言うまでもない。

人の往来で、乾いた空気が砂埃を上げ続けた。

難民の護衛をしていたパルテ王国人から引き継ぎを受ける際は驚いた。

隊長が女性だったからだ。老若男女問わず国民全員が戦士という理念は知っていた。けれど実際、目にするのははじめてだった。

パルテ王国は、ハーランド王国の南西に位置する。

国の北部側に位置するリンジー公爵領まで足を運ぶパルテ王国人はいなかった。

隊長は、とても頼もしかった。

自分の部下にも女性はいる。けれど難民相手の難しい案件ということで、選抜しなかった。体力勝負の面もあり、男手のほうが必要だと考えたからだ。

きびきびと部下に指示を出す隊長の姿に、失敗だったかと悟る。せめて要望を聞いてから判断しても良かったのではないか。

(とはいえ、育った環境が違う)

物心ついたときから体を鍛えているパルテ王国の女性と同じには考えられない。ハーランド王国において、力仕事は男がするものだった。

(しかし文官にそれほど体力差があるものか……ううむ、今後の課題だな)

難民の護衛を務めたパルテ王国人は、このまま紛争地帯へ戻り、更なる一般市民の保護を続けるという。敬意を示さずにはいられない。

一番厳しい場所を任せている感謝を述べると、隊長の女性は目を丸くした。

「ハーランド王国では、そういう考え方をするのか。適材適所だ。前線へ出る戦士にとって、後方支援の有無は生死を分ける。潤沢な物資があるとわかれば、士気も上がるものだ」

そう言って、バシバシ背中を叩かれた。

つんのめりながら、なんとか頷く。

「苦労して送り届けた難民が、安全に暮らせるなら何よりだ。ここは良い。見える建物全て──仮設住宅だったか? が自分たちの住む場所だとわかった瞬間、皆、驚き、喜んでいた。我々の努力も報われる」

最後に傭兵が必要なら、いつでも求人してくれと営業をかけられた。

難民の数が多いため、警ら隊ではこと足りないのを見透かされたのだろう。プロの目から見てもそうなのだと、追加補充を決める。前もってミゲル商人の伝手で傭兵による増員はしていたが、まだ足りないようだった。

「予算が合えば、ぜひ」

「我々戦士は一騎当千だ。他の傭兵たちもよく知っている。上官に配置するだけでも、運用がしやすくなるぞ」

ひとえに傭兵と言っても、質はピンキリだった。悪ければ、単なる荒くれ者という始末だ。

パルテ王国の戦士が上に立つと、その荒くれ者相手にも規律ができるという。

「力の正しい使い方を我々は熟知しているからな!」

ふんっ、と腕を曲げて力こぶを見せ付けられる。自分など一発でやられそうだった。

「頼もしい限りだ。検討させてもらうよ」

「噂ではダートン長官がこの国に来ていたらしいが……もし上のほうで話がつけられるなら名前を使わせてもらうといい。わたしでも長官の名前が出ると肝が冷える」

「ふむ、覚えておこう」

屈強な隊長をも怖がらせる人物とはいかに。

どこまで意見を上げられるかわからないが、メモをしておく。領主代行から手紙をいただいたとはいえ、自分は子爵に仕える一文官に過ぎなかった。

カラリと良い笑顔を残して隊長は辞した。

続いて、スミットと名乗る男性の修道者と会う。紛争地帯から難民と一緒に来た修道者であり、リンジー公爵領へ割り振られた難民のとりまとめ役でもあった。

こちらへ到着した修道者は彼一人で、現地で一緒に生活していた修道者は、別の難民団体へ寄り添っている。

歳は四十代、自分と同世代だが茶褐色の頭には白髪が目立つ。

それでいて体格は良く、日に焼けた肌は肉体労働が似合いそうだった。

(文官の私とは正反対の見た目だ)

持ち前の快活さで移動中は病人やケガ人を診るために、馬車に乗っていたという。

当人は元気そうだが、目の下のクマなど、ところどころに疲れが出ていて、ただただ頭が下がる思いだった。

「スミット様も、大変な苦労をされましたね」

「自分の苦労など些事に過ぎませんよ。こうして無事に避難できた聖女様の思し召しに、感謝するばかりです」

「不足がありましたら、何なりとお申し付けください。できる限り対応します」

如才なく笑みを浮かべながら、スミットの言葉にどこか引っかかりを覚える。

しかし正体を掴めないまま、話は進んだ。

「皆、試練を乗り越えられた強い方たちですが、郷愁から言葉が硬くなってもお許しください」

「もちろんです。心労は大きいでしょう」

帰れる保証がないまま、故郷を離れる辛さはいかほどのものか。

自分は修道者ですが、とスミットは薄く笑む。

「お恥ずかしながら、自分とて祖国との断絶を感じずにはいられません。仕方のないことだと、頭ではわかっているのですが」

不安定な情勢下であっても、生まれ育った場所だった。

不満はあれど、生活できていた。

戦火さえ近付かなければ、こうして逃げる必要もなかったのだ。

自嘲に返す言葉が見付からない。

「すみません、困らせる意図はありませんでした。自分としても聖女様に倣い、これまで以上に皆さんへ対し、サポートを惜しまない所存です」

結局、上手く励ませないままスミットとの面会は終わった。

不甲斐ないが、時間を取らせるのも気が引けた。

(彼も疲れている。早く休ませるべきだ)

何せ難民をたった一人で率いてきたのだから。その負担は計り知れない。

難民の列を確認すると途方に暮れそうになるも、スミットを見習い、気合いを入れ直す。

世帯ごとに住まいを分けるため、聞き取りは欠かせなかった。仮設住宅も足りず、しばらくは違う世帯でも同居を余儀なくされる。間に合わない人々は、今日も馬車で過ごすことになるだろう。

混沌があった。

せめて今夜は全員が足を伸ばせて眠れるようにと走り回り、管理事務所へ戻ったときには、とっぷり日が暮れていた。

部下に労われながら、仮眠を取る。

(昼食を食べ損ねた)

難民への炊き出しも兼ねて、現場の職員たちへも昼食と夕食が提供されているのだが、立ち寄っている暇がなかった。

現場が慌ただしくなるとわかっているので、ここ数日は妻へも来訪を控えるように言ってある。

家が恋しい。

難民たちはもっとだ。けれど、あえて感傷は切り離す。

自分はただ目の前の問題を解決するだけの人形になる。今はそれが求められていた。

数日後、ようやく妻を呼べるようになり、久しぶりの再会に抱擁を交わす。

「片手でも食べられるようサンドイッチにしたわ」

「助かるよ」

子どもたちの様子を聞き、人心地ついていると、聖女の話になった。

スミットと会ったときの言葉が脳内で再生される。

「仕事が忙しくて、こういった話は耳に届いてないでしょう? 先日、聖女様の認定式がおこなわれたのよ」

「さすがにそれは知っている。一大ニュースだからね」

「じゃあ聖女様のお言葉も?」

「何かあったのか?」

「余裕ある者が難民を助けるべきだとおっしゃったの」

「ふむ、もっともだな?」

「ええ、困っている人は見過ごせませんからね」

妻の声音には含みがあった。

「一部で、では難民以外はどうなるのかと声が上がってるのよ。わたしに訊ねてくる人がいるくらいにはね」

そのように悪くとる者がいるのかと顎を撫でる。

しかし考える傍から、あっ、と声が漏れた。自分も人のことを言えないのではないか。

修道者の言葉に引っかかったのは、聖女に自分の努力を全て横取りされたように感じたからだ。現場の人間が頑張ったから今があるのだと言いたかった。

(不信心な……)

連日の忙しさで心の余裕がなくなっているのだろうか。

訝しむ妻に、何でもないと首を振る。

「我らが領主様は平民にも親身になってくださる。何事もなく暮らせているのが、その証拠だ。聖女様のお言葉を受けて、急に領民を蔑ろにしたりはしないよ」

「ええ、でも選別されて来る農業研修の方々とは違うでしょう? 紛争地帯の人だから野蛮だという人もいて」

「ああ、なるほど。疑心の種は既にあったのだな」

領主代行の手紙に書かれていたことは、職員をはじめ現場の者には共有していた。

けれど自分の声は、外にまで届かない。逆に、外の声が自分に届いていなかったように。

妻から聞かされて、はじめて、予想以上に不安が広がっているのだと知った。

「大丈夫だ。今は難民でも、普通に生活を送っていた方々だよ。現地から修道者様もついている。気になることがあるなら、折を見てお話を伺えばいい」

「そうよね、修道者様もいらっしゃるのよね」

それだけで妻の気分は晴れたようだった。わざわざ話を聞くまでもないと頷く。

教義の大切さを痛感した瞬間だった。

相手も自分と同じように善悪を判断できるだけで、心が安らぐのだ。

「ご近所さんも安心させてやってくれ」

「任せて頂戴。こんな簡単なことなのに、いやね、わたしったら。もっとあなたを見習わなくっちゃ」

「十分してくれているよ。僕の声は、ご近所には届かないからね」

届くのは職場に限った話である。

伝達力で言えば妻のほうが上かもしれない。

自分の言葉に同意して妻は笑った。

(けれど、それにも限りがある)

所詮は個人だった。

現場で働く身としては、自分のあずかり知らぬところで騒動が起きないことを祈るほかない。

その後、クラウディアとヴァージルによる領民への慰問が、難民を管理する現場監督の耳にも入ってきた。近々難民へ向けてもおこなわれると。

(やはり、わかってくださっている)

難民を不安視する声が届いたのだろう。対応の早さには感謝しかなかった。

また現場の準備が整うのを待って、足を伸ばしてくださるのにも助かった。おかげで余計な混乱を招かずに済む。

難民へは聖女の言葉が良い方向へ働いていた。細々とした衝突はあるものの、大事には至っていない。自分たちを保護してくれる相手だと、難民側もわかっているからだ。

(予想はしていたが、農業研修とは勝手が違うな)

アラカネル連合王国の人々とは違い、紛争地帯の難民は目が澱んでいた。

将来を見通せないと、人はああなるのかと身につまされる。

寄り添い合う人々が、黒い塊に見えた。時々聞こえる子どもの声が、彼らも人間だとわからせてくれる。


難民の慰問当日。

先におこなわれた領民への慰問が成功に終わったことは妻から聞いていた。外の声を届けてくれる妻の有り難みが身に沁みる。

パルテ王国の隊長から聞いた、適材適所という言葉が蘇った。

今からでも女性の文官を呼べるか、本部と掛け合おうとメモに残した。いかんせん、難民からの聞き取りが万全とは言い難かった。

まとめ役である修道者も男性なので、手落ちがあるように思えてならないのだ。忘れがちになるが、彼自身も難民である。あまり負担はかけられなかった。

領内の修道者に協力してもらっているものの、現地から来た修道者と比べると信頼度がどうしても劣る。核心に触れられている自信がなかった。

領主代行とその妹を乗せた馬車を前に、気を引き締める。

領民と同様に、難民の目にも輝きが戻ることを願ってやまない。

ただ失礼だけはあってはいけないと、否が応でも緊張が走る。

二人が通られる動線にも気を遣い、極力汚いものが目に入らないよう心掛けた。

──黒檀を冠した兄妹を目にした瞬間、意識が飛んだように感じられた。

肌が光り輝いているようで、同じ人間なのが信じられない。

(住む世界が違うとは、こういうことか)

直属の上司が子爵ということもあり、貴族は見慣れている。

けれど、まるで違った。

固定観念が覆される。雲の上に住んでいると言われても納得しそうだ。

自然と頭が下がった。恐れ多くて、目も合わせられない。

(この方から手紙をいただいたのか)

帰ったら額縁を磨こうと決める。

仕事を労われると夢を見ている心地になった。

状況をくみ取るための質問が出て、ハッと我に返る。お二人とも、貴重な時間を割いてまで現場を知ろうとしてくださっているのだ。浮かれるなど言語道断。

難民の衛生面については、浴場を用意できないのが痛手だった。

しかし水の使用量や排水には気を使わなければならない。

なぜならリンジー公爵領の大部分は農地であり、施設周辺も例に漏れないからだ。

たとえ周辺地域に限った話でも、難民が原因で水不足や水質汚染を招くのだけは避ける必要があった。そのため大量の水や燃料を使用する浴場の設置は見送られている。

これらの事情は承知のようで問い質されない。

滑らかな質疑応答が続き、思わず至らなさを吐露してしまう。

「今日は、わたくしが耳になりましょう」

「うむ、女性同士だから言えることもあるだろう。男だけでは限界がある」

即決だった。

予定外のことで現場は慌ただしくなったが、嬉しい悲鳴だった。

クラウディアから出た標語を胸に、改めて自分の考え違いを反省する。最初から女性の部下を配置しておけば良かった話だ。

慰問の成果は目に見えてわかった。

クラウディアの対応後、難民女性たちの表情が明るくなったからだ。つられて全体の雰囲気も良くなった。

(ここまで変わるのか!)

一時的ではなく、長期的に受け入れられるのだと実感できたからだろうか。

自分がどれだけ言葉を重ねても、所詮は現場監督に過ぎず、できる保証は限られる。

上の人間が約束することで、やっと安堵を得られたのだ。

「あとは警備の強化か」

日中の施設の雰囲気を指摘されたときはハッとした。

油断があったからだ。施設に赴く人間は、職員をはじめ、善人だろうという先入観があった。

どこかで聞いた、人は誰しも二匹のオオカミを飼っているという話が思いだされる。

人の中では良いオオカミと悪いオオカミが常に争っていて、餌を与えられたほうが勝つと。

今の状況は、悪いオオカミに餌を与えかねないと悟らされた。

難民の男女比では、女性のほうが多い。男性は現地で徴兵されるからだ。

だから男手が必要だろうと考えたのだが、悪い面をもっと洗い出すべきだった。

幸い、ダートンなる人物のことをクラウディアが知っていた。パルテ王国人を雇う了承も得て、名前を使う許可も下りた。

クラウディアの機転には舌を巻くばかりで、ネリとの面談では難なく心を開かせていた。

「少しずつ信用を積み重ねていこう」

標語を胸に前を向く。

「あとは売春の禁止か」

これはアラカネル連合王国の島民を受け入れる際にも徹底していた。

農業研修から逃走し、不法移民になろうとする者もいないわけではない。そういった者は、身分が証明できず、自分の体を売るしかなくなる。

幸い、周囲が農地に囲まれ、領民は全員顔見知りという土地柄のおかげで、今のところ逃亡者は全員捕まっている。素行不良と判断された者は、強制送還する決まりだった。

遠くから子どもの声に交じって、女性の笑い声が届いていた。

この何気ない光景を守りたいと思う。

農業研修にやって来る連合王国の島民と難民では前提条件が違う。

だから安易な思考に走ることはないと信じたいが、これもやはり、まずは自分たちが信用されなければ要件を周知したところで意味はないのだ。

少しずつ信用を得られるよう努めること、クラウディアが何気なしに放った言葉は、やはり標語として相応しい。

自分がその見本になれるよう、現場監督は胸に誓った。