修道者は聖女に認定される
「島から出た気分はどうかな」
男性修道者──ノリス司祭からの問いに、後ろを振り返る。
本土からは、波間に浮かぶ島が辛うじて確認できた。
「解放感がある、と言いたいところですが、後ろ髪を引かれる思いもあります」
一度は断っておきながら、結局、ノリス司祭の手を取ることに決めた。
あれから悩みを相談したところ、解決を請け負ってくれたのが大きい。
でもここに傷んだ赤毛のシスターはいない。
島から出たのは、自分一人だ。
「君を慕う人たちを置いてきたんだ。どうしても寂しさが募るだろう。けれど忘れないでほしい、君が特別な存在であることを。これからもっと多くの人の希望になることを」
深く頷く。
そう、自分には、新しい目標がある。
閉じ籠っていた殻から抜け出し、大空へ向かって羽ばたくときだった。
(島のシスターたちも応援してくれているわ)
別れは切ないけれど、赤毛のシスターも島を出ることを後押ししてくれた。
彼女たちの姿を思いだすと、唇が弧を描く。
確固たる思いを胸に、一歩踏み出す。
後悔はない。
自分にできることをすると決めたのだ。
ノリス司祭が価値を見出してくれたのは予想外だったけれど、これも行動した結果だった。
ならば歩み続けようと前を向く。
その姿を讃えるように、ノリス司祭は頷いてくれた。
港を出て、教会の紋章が入った馬車に乗り込む。
庶民が乗るような乗合馬車ではなく、貴族が乗るものと同じ仕様だった。
(司祭ともなると、乗る馬車も違うのね)
身なりの良さから、ノリス司祭の位が高いのは予想していた。
修道者を統括する身分である司祭と聞いたときは驚いたものである。先輩シスターが緊張するわけだ。
「司祭様は修道院からお出にならないと思ってました」
「普通はそうだね。一つの修道院に留まって、修道者の面倒を見るのが主な仕事だから。私の場合、宣教師という側面のほうに重きがあって、方々の修道院を巡り、宣教しながら知見を広げるのが主な仕事なんだ」
ひとえに司祭といっても、活動内容は多岐にわたるという。
特にノリス司祭は、これといった後ろ盾もなく、一修道者からこつこつと苦労を重ねて、今の地位にまで上り詰めていた。
「そのような背景があったなんて想像もしませんでした」
溌剌とした笑みが印象的な司祭は、どちらかというと貴族に似た雰囲気がある。
平民からの叩き上げだと言われなければ、ずっと気付けなかっただろう。
淡い碧眼が楽しそうに細められる。
「懐かしい話だ。君には必要ない苦労だよ。ぜひこの機会をものにし、聖女となって地位を固めてもらいたい」
聖女には枢機卿と同等の権威が与えられた。
とはいえ、活動内容が異なるので、枢機卿と並んで教皇に選ばれる権利はない。
ただ民衆への影響力は大きく、聖女の発言は枢機卿も無視できないという。
「ぽっと出のわたしが、聖女になれるでしょうか?」
最初、話を聞いたときは、司祭について行きさえすれば聖女になれるのかと思った。
そんな都合の良い話はなく、聖女候補者が何人もいる状況だという。
「心配は要らないよ。君には民衆の支持があるんだから」
「支持といっても、島内に限った話ですよね?」
一番のネックは、他の聖女候補者たちは、名のある枢機卿の縁者だということだ。
ここでも生まれの不平等が足を引っ張るのかと嫌になる。
自分には何の後ろ盾もない。
けれどノリス司祭から返ってきたのは、にっこりとした笑みだった。
「すぐにわかるさ」
馬車が人通りのある街道へ入る。
宿泊地である修道院に着くと、白いベールを渡された。
「聖女候補である証しだよ。頭に被って、ゆっくり出ておいで」
先に司祭が降り、エスコートするべく手を差し伸べてくれる。
言われた通りにベールを被り、馬車から姿を現した。
瞬間。
「聖女様だ!」
「聖女様が到着されたぞ!」
「どこ? あたしも見たい!」
わっと喝采が上がり、目を丸くする。
大人に交じって、子どもの声もあった。
視線を巡らせば、修道院を取り囲むように民衆が集まっている。
石壁ではなく大きな柵で遮られているので、外の様子がよくわかった。
隣で、ノリス司祭が含み笑いをする。
「訪問した際に言っただろう? 聖女の噂は、本土にも届いていると。少年を庇って鞭で打たれた修道者の話は、とても広く伝わっているんだよ」
「まさかこれほどとは……どうして到着がわかったんでしょう?」
「私が前もって伝えておいたからね」
いつの間に。
タイミングとしては本土の港に着いたときぐらいしかないが、自分たちの到着より情報が早く届くものなのだろうか。ノリス司祭の底が知れない。
「君は人々の希望になる。その実感が少しは得られたかな?」
「はい……!」
「ならよかった。とはいえ、解せないことも多いだろう。少し休憩したら、君の状況や今後について説明しよう」
修道院の玄関に着き、立ち止まる。
何もせず入るよりは、挨拶をしておきたかった。けれど予想外の熱気に当てられ、上手く言葉が出て来ない。
感極まったまま、民衆へ向かってお辞儀をする。それだけでも人々は喜んでくれた。
客室へ案内される。
木目調の部屋は、温かみに溢れていた。石壁とは雲泥の差だ。床には絨毯も敷かれている。
部屋の手前には、来客用のソファーが置かれ、奥には職人仕立てのテーブルと椅子が、そしてベッドがあった。真っ先に布団の感触を確かめる。
藁とは違う、しっかりとした弾力を手の平に感じ、体が震えた。まともなベッドで寝られるのは、いつ振りだろう?
すぐにでも飛び込みたい衝動を抑える。
少ししたら、ノリス司祭から話がある予定だ。乱れた姿は見せられない。
集まった民衆の反応を思いだすと、自然に背筋が伸びた。
いくら支持されていても、だらしない姿を見れば、一気に手の平を返すかもしれない。
人の心は移ろいやすいものだ。慢心は禁物である。
ほどなくしてノックの音が響き、ノリス司祭を招き入れる。
「部屋はどうかな? 不備があれば対処するよ」
「とても満足しています」
粗い石造りの部屋と比べたら、どこも楽園だった。
ソファーに腰かけると、部屋の外で待機していた修道者が紅茶を用意してくれる。
修道院では自分のことは自分でする決まりだが、自分たちはお客として招かれていた。
「では聖女認定の現状から説明しよう。君以外にも立候補者がいること、彼女たちが枢機卿の縁者であるのは先に話した通りだ」
新たに聖女を認定すること自体は、広くわかりやすい象徴を立てることで、人々に希望を与えるのが目的である。
だが立候補については、教会内での権力者──枢機卿による代理闘争だった。
「言わば政治だね。教会も人が集まって運営する以上、派閥が生まれ、対立がある。こればかりはどうしようもない人間の性だ。どれだけ平和を愛し、信心深くても、管理、統括する者がいる以上、避けては通れない道だ」
同じ教義の下にいても、差異は生まれる。解釈が異なる場合もあった。
一人一人、全く同じ考えを持つということは不可能に近い。
少しでも他人に寄せるための軸が、教義だった。
「そのことは各国の貴族をはじめ、事情を知っている者には周知の事実だ。そして彼らは思う、結局のところ教会も自分たちと変わらないのだと。良い意味ではなくね」
他者を思いやり、中立を保つ教会は、利己的な国とは違う。
だからこそ同じではダメなのだ。俗世の人々より、清廉潔白であることが求められる。それが常識と言われるまでに。
人々にとって、教会が自分たちと等しいレベルであるのは、落胆に繋がった。
わかる話だ。
勝手なことだが、教会には一歩先を歩いていてほしいのである。
そして自分を導いてほしい。
手を引いてもらうのに、横並びでは困るのだ。
「他と変わらぬ権力闘争に、一番辟易しているのは教会内部だよ。才ある者は、自分たちのあるべき姿を知っているから当然だね」
喉を潤すべく、司祭が紅茶を口に含む。
ティーカップを置き、前屈みになった司祭は、両手を膝の上で組んだ。
正面から視線で射貫かれる。
「そこで、君だ。枢機卿と縁もゆかりもない、民衆に認められた本物の聖女が現れれば、誰が認定を受けるかは予想するまでもないと思わないかい?」
生まれの不平等に、足を引っ張られると考えていた。
むしろ、逆なのだと諭される。
「もちろん候補を出している枢機卿たちは反発するだろう。他の聖女候補者たちも民衆から支持されているとね。しかし彼女たちの場合、生まれ有りきなんだ。枢機卿の縁者という肩書きがあってこそ。だから結局のところ、それらの反発も、第三者から見れば利己的な行為に映る。教会の立ち位置を考えれば、誰を認定すべきかは、火を見るよりも明らかだ」
百年に一度あるかないかの聖女認定。
歴史ある祭典に、政治が介入するのは無粋でしかない。
「そう上手くいくものでしょうか?」
「先ほども言った通り、反発はある。君に直接嫌みを言う者も現れるだろう。けれど心配しないでほしい。私が君の盾になるし、何よりも君には民衆がついている。君の到着を聞きつけて集まった人々を見ただろう?」
大人、子どもを問わず、自分が為したことを彼らは知っていた。
「島の人だけじゃない、君は、話を聞いた人たちの意識すら変えたんだ。そして垣根を越え、今度は教会の希望になる」
「教会のですか?」
「権力闘争に辟易している修道者にとって、君の存在は新星だ。新たな風となり、光となって教会を照らす。急に言われても戸惑うだろうけどね」
どうやら利己的な身内を憂えている最たる人物が、ノリス司祭のようだった。
「表立って口には出さないが同じ意見の者は多いんだ。これだけは断言できる。私のような人間にとって、君は正に救いであるとね」
「救い……」
石壁に囲まれた狭い部屋の中で、それを求めていたのは自分だった。
あのときの自分に、未来では与える側になると言っても信じないだろう。
今ですら、どこかふわふわとして現実味がないのだから。
「大丈夫、君はいてくれるだけでいい。雑多なことは、全て私が手配するから」
「何から何までお世話になります」
「これぐらいどうってことないさ。聖女様に仕えられるなんて誉れだからね」
この日はこれでお開きとなった。
他の聖女候補者を歯牙にもかけないノリス司祭の姿勢は少し考えものだが、それだけ自分を信じてくれているということだ。
(わたしは、わたしにできることをしよう)
たとえ聖女に選ばれなかったとしても、失うものは何もないのだ。
修道服を脱げば、背中に鞭の痕が見える。
島で少年を救ったのは、誰でもない自分だという証し。
その自信を胸に、眠りにつく。
司祭でさえ、救いを求めているのだと
教会の本部へ行くには、山を越える必要があった。
国という体裁はなく、内陸部の山に囲まれた盆地に生活圏となっている町がある。
町は修道者や、本部がある大聖堂へ礼拝に訪れた旅人で賑わっていた。
整備された道を馬車で通る。
建物はシンプルな箱形のものが多く、全体的に白い。
変化の乏しい風景は、雪原の中にいるかのようだった。
「教会の騎士は治安を守るための存在で、他国でいうところの警ら隊と同じだ」
剣ではなく棍棒を携えているのと、どんぐりに似た兜が特徴的でいればすぐにわかる。
教会は対外向けの軍を持っていなかった。持つ必要がないからだ。
山々が自然の防御壁なのもあるが、教会の本部へ攻め入ろうとする者がいるならば、先に周辺諸国が防衛にあたる。
(そもそも大陸にそんな不届き者はいないけど)
一つ可能性を拳げるとしたら、教義の違うアラカネル連合王国だろうか。それだって、世情を考えれば現実的ではない。
「山を登るのに蛇行した道が続くから、気分が悪くなったら教えてくれ」
教会の本拠地とも呼べる大聖堂は、山の中腹にあった。
大聖堂前までは馬車で行けるものの、傾斜をなだらかにするべく道が蛇行していた。
定期的に左右へ振れるので、乗り物酔いしてしまう人もいるのだとか。
幸い、自分は大丈夫だった。
大聖堂を見るのも、訪問するのもこれがはじめてだ。
ずっと馬車に乗って移動していたので、遠くからでも眺める機会がなかった。
お馴染みになった白いベールを被り、ノリス司祭のエスコートを受けながら馬車を降りる。
「緊張しているね」
添える手が硬くなっていた。
「だって……まだ信じられません。わたしが聖女認定を受けるなんて」
司祭は確信していたようだけれど、自分にとっては未知数だった。
決定の報せを受けても、まるで実感が湧かず、今に続いている。
特別なことは何もしていない。
本当に、ただ、自分が信じる「善きおこない」をしただけだった。
認定が決まった大半は、司祭の労力によるものだと思っている。
何せ、教会内部について、自分は全く知る由がないのだから。宣言通り、根回しなど雑多なことは全て司祭が担ってくれた。
(凄い人なのよね、きっと)
如才ない黒髪の持ち主をちらりと見上げる。
島ではじめて顔を合わせたときから、司祭は何も変わっていなかった。
教会の内情については司祭から聞いた限りだが、それでも既存の勢力を黙らせることの大変さぐらいわかるつもりだ。
事もなげに有言実行を成し遂げた手腕は計り知れない。
馬車を降りた先では、騎士によって壁が築かれていた。一般市民へのお披露目は、認定式が終わってからおこなわれるため、まだ誰が聖女になるかは秘匿されている。
厳重に警備されているのを実感し、ふと、天を仰いだときだった。
「────」
自分の認知を超えた大聖堂の巨大さに言葉を失う。
乳白色の柱一つをとっても視界に収まりきらなかった。大人十人分ほどの太さがあるだろうか。
それが廊下の屋根を支えるべく何本も並んでいた。
装飾の華美さはないものの、大きさという暴力の前では何も言えなくなる。
玄関口はさながら巨人の顎のようで、恐怖が歩みを止めさせた。
(怖い、だなんて)
神聖な大聖堂に似つかわしくない感情だ。
しかも自分は、聖女になるべく訪れたというのに。
上から大きな手で押し潰されているような圧力があった。
戸惑いが伝わったのか、司祭が優しく肩を叩いてくれる。
「さすがだ、早くも神の息吹を感じたのかな」
恐怖は、原初の感情。
だから未知のものに人が触れるとき、真っ先に恐怖を抱くのだと教義にも記されている。
「大丈夫、きまぐれな神は何人も拒まないよ」
ほら、深呼吸して、と促されて、大きく息を吐き、吸う。
人里から離れているからか、澄んだ空気で肺が満たされた。
今一度、大聖堂と向き合う。
二度目ともなると、恐怖は大分薄らいでいた。
司祭に導かれ、大聖堂の中へと進む。
全身が建物内に入るなり、空気が変わった。
外で大聖堂を見上げているときに感じた圧力がなくなり、体が軽くなる。
(認められたのかな)
きまぐれな神様に。
視線を落とした先にある床は大理石で、綺麗に磨かれていた。影ではなく、自分の姿が映り込んでいるのが見えて、感慨深い。
(来たんだ、教会の本部、中枢に)
更にこれから向かう先は、関係者以外立ち入り禁止だった。
一般の参拝者が立ち入れない場所に、自分は足を踏み入れる。
修道者になった時点で、教会の関係者ではあった。しかし末端の修道者は、一般人と大差がない。
そんな自分が、国の王様ですら入れない場所へ赴けるなんて。
この感動をどう言い表せばいいのかわからない。
胸が詰まる。目頭が熱を持っていた。
騎士に守られた扉の前へ到着する。
「ここが俗世との境界線だ」
司祭の指示を受け、騎士たちが二人がかりで重厚な扉を開く。
背丈の三倍はある。中央の切れ目が徐々に広がり、向こう側の景色を見せる。
──光があった。
台座の上、目に見える形で存在していることに驚く。
何てことはない、天窓から光が落ちているのだが、厚みがあるように見え、触れられるのではないかと錯覚してしまう。
「触ってごらん」
言われるまま、光の中へ手を入れてみる。
当然、何もない。
「きまぐれな神の存在を表したモニュメントでね。きまぐれ故、我らが神は決まった姿を持たないだろう? 信心する人々に合わせて、姿を変える。光を伴うときもあれば、闇のときだってね。夜になるとまた表現が変わるから、面白いよ」
少しの間、大聖堂でお世話になる予定なのもあってオススメされる。
ここが第二のエントランスのようなもので、別れ道の分岐点になっていた。
真っ直ぐ進んだ先の最奥に教皇の執務室があるという。
「明日の聖女認定式は、礼拝堂でおこなわれる。参列者は枢機卿をはじめとした、本部にいる関係者のみだ。その後、大聖堂前で、一般市民に向けた挨拶をおこなってもらう。今日の予定はもうないから、このまま客室でゆっくりして英気を養うといい」
司祭の言葉に、はい、と頷く。
大聖堂へ来てから、すっかり言葉数が少なくなっていた。
厳かな空気に呑まれて、上手く口が回らないのだ。
「認定式後は、聖女用の部屋を使うから、客室に滞在するのは今夜だけだよ」
「専用の部屋があるんですか?」
「もちろん。大聖堂には教皇をはじめ、枢機卿にも個人部屋が用意されている。他国へ出張している人たちの分も含めてね。聖女も同じさ」
客室に着くと、ノリス司祭とは一旦お別れだ。
また明日の式典前に迎えにきてくれる。
(ゆっくりするのにハードルを感じる日がくるなんて想像もしなかったわ)
基本的にどの部屋も天井が高く、広かった。
調度品たちが実寸より小さく見え、有り余る空間の相乗効果で少し寂しい。
それ以上に、大聖堂にいるという事実が、平常心を失わせた。
明日、教皇と顔を合わせることになるのを考えると、緊張で胃が縮む。
つい最近まで、末端の修道者に過ぎなかった自分が。
平民が王様に会うようなものである。色々すっ飛ばし過ぎじゃないだろうか。
教えられた礼儀作法については素養もあって、難しくなかった。
問題は、本番でとちらないかだ。
(ううう、自信ない……)
夜は長くなりそうだった。
案の定、眠れなくて客室を出る。
気分転換を兼ねて、教えてもらったモニュメントを見に行くことにした。
(昼と夜で表現方法が変わるって、ノリス司祭は言ってたけど)
ランタンの明かりを手に、エントランスを目指す。
廊下にも照明はあった。けれど光源がロウソクなのもあって、全体を照らすには弱い。
上を向けば、闇が天井を覆っていた。
じっと眺めていると、垂れてきそうだ。
ありえない想像に身震いがして、早足になる。
(真っ暗な中で、どう表現するっていうのかしら)
大方、日光から人工の照明に切り替えるぐらいだろうと、期待はしていなかった。
明日おこなわれる式典の緊張を解せればよかった。
エントランスの付近がぼんやり明るくなっているのを認めて、予想通りだと薄く笑う。
しかし台座に近付くにつれ、笑みは消えた。
「闇が落ちてる」
日中とは真逆のことが起きていた。
天窓から台座へ、真っ直ぐ闇が降り注いでいる。
そんなことがありえるのだろうか?
目の前の現実が信じられず困惑していると、近付いてくる気配があった。
「やぁ、早速見に来たんだね」
「ノリス司祭、これ、どうなってるんですか?」
求めていた反応を得られて、司祭は楽しそうに笑う。
「あはは、初見だとやっぱり混乱するか。何も不思議なことはないよ。手品より簡単さ」
ちょうど台座の上に影が落ちるよう、照明が工夫されているのだと説明を受ける。
「廊下から台座へ向かって、徐々に明るくなるよう調整もされている。ランタンを持って歩いていると気付きにくいけどね」
試しに離れたところにランタンを置き、台座の元へ戻る。
すると司祭の表情を確認できる程度の明るさがあった。
確かに遠目でもエントランス付近が明るく見えていた。
照明があるとわかっていたのに、何故あんなにも驚いてしまったのだろう。
「いざ近付いてみると、眼前の事象に気を取られてしまうものだ。どれだけ知識を身に付けていても、当事者になると何もできないようにね」
「色々と考えさせられるモニュメントですね」
見えていたはずのものが、見えなくなる。
体感すると身に染みるものがあった。
「まだ胃は痛いかな?」
式典に向け、神経質になっているのが伝わっていたようだ。
「今は少しマシです。良い気分転換になりました」
「なら良かった。もしかしたら私が緊張を強いてしまったのではと思ってね。君にかける期待が重荷になってやしないかい?」
まだ聖女認定の報せが出る前にもかかわらず、司祭からは一般市民だけでなく、教会の希望になるのだと言われた。
そのあとにも世界情勢を習う中で、難民についても聞かされた。
紛争地帯での戦争が長引き、疎開を迫られている人が多数いると。
自分が本当に不安を抱えている人の救いになれるのかと問われれば、正直自信はない。
だからといって、辞退したいとも思わなかった。
素直に胸の内を伝える。
「わたしは、わたしにできることをしたいです。少しでも困っている人たちの力になれるように。この思いは、島にいたときから変わりません」
断言すると司祭は朗らかな笑みを浮かべた。
最初からこちらの返答を予測していたようだ。
(わたしの考えなんて、全てお見通しってことかしら)
こちらを気にかけながらも、ノリス司祭には余裕があった。
暗がりの中でも彼の碧眼は揺るがない。
司祭からすれば自分は小娘に過ぎない上、一修道者から司祭にまで上り詰めた人だ。経験値がまるで違う。当然といえば、当然だった。
「君は、やっぱり聖女になるべき人だ。君のその姿勢が多くの人を救うと、私が保証するよ」
「ありがとうございます。これで式典も乗り切れたらいいんですけど」
司祭と話したことで気分は軽くなっていた。今なら余計なことを考えず眠れそうだ。
君なら大丈夫だよ、とお墨付きを貰って客室へ戻る。
(光と闇、ね)
日中と夜間で変わるモニュメント。
手の込んだつくりなのに、関係者しか見られないのが残念だった。赤毛のシスターならどんな反応をしただろう。
思い返せば、自分がどう行動すべきなのか、彼女が一つの指針になっていた。
離れてしまったけれど、一緒に行動する時間が増えていたおかげで、なんとなく反応の予想はつく。きっと自分以上に驚きを露わにして、最後には笑うんだ。
ベッドに横たわって声を思いだしていると、いつの間にか眠りについていた。
きまぐれな神様は決まった姿を持たない。
物語では光で表現されることが多かった。
聖女の認定式。
光を背負って立つ教皇は、紛うことなき神の使いだった。
あまりの眩しさに、参列者の視線も気にならなかったのを覚えている。
名前を呼ばれた先で、教皇から肩にかける帯状のストールを授けられたあと、二言三言、言葉を交わしただろうか。この辺りから記憶があやふやだ。
ノリス司祭から終始失礼はなかったと聞き、安堵する。
「さぁ、いよいよお披露目だ! 挨拶は頭に入っているかい? 忘れそうだったら、メモを見るんだよ」
いつになく司祭のテンションが高い。
自分が推薦する人物が聖女に認定されたのが、嬉しくて仕方ない様子だった。
聖女の後援者となることで、取れる一手が増えるからだろう。
彼の反応は期待の表れでもあった。
(聖女に、なったのよね)
肩に加わった重みが何よりの証拠だ。
修道者は地位によって装飾品が替わる。枢機卿の場合は、幅の広い布を肩にかけ、その上に帯状のストールを載せる。聖女も同様で、ストールの模様が、枢機卿のものとは違った。
白地に青い糸が使われたストールは上品で、二つとないものだ。歴代の聖女に受け継がれてきたため、汚れこそないものの、生地は年代物だった。
(夢の中にいるみたい)
先ほどの緊張は、紛れもない現実だったけれど。
一般市民に挨拶すべく大聖堂前へ向かう道のりは、雲の上を歩いているようだった。
最初に意識が向いたのは、大勢の人の気配だ。
騎士たちが壁をつくっているため、壇上に上がるまで人々の姿は見えない。それでも耳に届くざわめきが人の多さを教えてくれた。
壇上へ上がり、互いの姿を認める。
瞬間、正面から風を受けた。
ふわりと白いベールの端がはためく。
歓声があった。
祈り、泣く人がいた。
風の正体は、集まった人々の思いだった。
(これだけの人が、皆、わたしを見てくれているの?)
ぞくぞくと背筋が震える。
人の列は大聖堂と町を結ぶ道にまで延びていた。
正確な人数はわからない。けれど間違いなく、人生ではじめて見る人の多さだった。
(声を、届けなきゃ)
集まってくれた彼らに報いるために。
人々の、希望になるために。
そのうち島にも聖女認定の話が届くだろう。
馴染みのシスターの顔が浮かんで、頷く。
願うだけで終わっていてはダメなのだ。一人でも多くの人が不安から解放されるよう、難民となった子どもたちが飢えで苦しむことがないよう訴えなければ。
行動を起こすべく口を開こうとした矢先だった。
ノリス司祭が姿を見せる。予定にはなかった行動だ。
観衆に不安を与えないよう歩調は緩やかであるものの、鬼気迫ったものが感じられた。
(何かあったの?)
視線で問うと、耳打ちされる。
内容を瞬時には理解できなかった。
よりによって、どうしてこの大切な場面で動揺させるようなことを伝えるのか。
ベールに隠されつつも顔に出ていたらしく、司祭に励まされる。
「このような場だが、君にはいち早く知らせておいたほうがいいと判断した。詳細はあとで話そう。大丈夫、私は君の力を信じているよ」
更に司祭は言葉を重ねる。
「大丈夫、君ならこの情報を乗り越えて、むしろ力にできると思ったんだ」
碧眼を和ませ、司祭は静かに辞す。
(考えがあってのことなのね)
一緒に過ごすうちに、無駄なことはしない人だと理解していた。
自分のことをお見通しなのも。
そんな彼が言うのだ、今聞くべきだったと。
ならば素直に受け止め、考えよう。
(わたしにできることを)
傍目にわからないよう小さく深呼吸する。
澄んだ空気を肺の隅々にまで行き渡らせると、頭が冴える気がした。
(難民だけで終わる話じゃないってことだわ)
今の今まで、貧民や難民の具体例にばかり気を取られていた。司祭の情報で、カテゴリーは違うけれど、問題が新たに一つ加わったともとれる。
けれど司祭が伝えたいのは、そういうことじゃないだろう。
(もっと広い視野で考えなくちゃ)
そして人々の意識を、着目すべきところへ誘導する。
聖女には、その力があった。
これから自分が問題と立ち向かうためにも必要なことだ。
(魔女が実在するだなんて)
司祭が持って来た情報は、信じられないものだった。
未だ消化しきれていないが、本能的に邪悪さは感じていた。
意を決し、民衆へ向かう。
導かなければ。集まった彼らもまた、それを期待しているのだから。
(ここから、わたしの新しい人生がはじまる)