視界を奪われながら、ラウルもどうした? と首を傾げる。

「我が君、ぼくが一番伝えたかった部分を飛ばしておいでです」

「え?」

「今、我が君はこの世で最も美しい姿であると、言ったんですよ」

そういえば魅力的だというフレーズもあった。ことあるごとにレステーアは自分を賛美するため、スルーするクセが裏目に出たようだ。

次いで細かく説明してくれる。

「入浴後は全身の血行が良くなります。体の冷えを解すため、この時季は長風呂になるので余計ですね。無駄なむくみが消え、肌に潤いが満ちることから、男女共に入浴後の姿が一番美しいと言われています」

説明を受けて、前世の娼婦時代、ミラージュが入浴は天然の化粧だと言っていたのを思いだす。

貴族令嬢にとっては生活の一部に過ぎないため、すっかり忘れていた。

「いつにも増して瑞々みずみずしい肌、自然に火照った頬。何も塗っていないからこそ、血色を伴ったふっくらとした唇は、正に『美』そのもの!」

しまいには高らかと歌い出す。

ラウルは力任せにシルヴェスターの腕を掴み、視界を確保した。

「貴様っ、死にたいのか!?

「オマエに殺されるっていう意味か? それともクラウディアに悩殺されるという意味か? 彼女に殺されるなら本望──」

クラウディアと目が合ったラウルは、全ての動きを止めた。中途半端に開けられたままの口が、その衝撃を物語る。

シルヴェスターはすかさずラウルの手を振り払い、防御すらまともに取れないラウルのみぞおちに拳を沈めた。

「ぐふっ!? オマエ、マジかよ……っ」

「私の婚約者に見蕩みとれる権利が、貴様にあると思うか?」

先ほどまでは気軽にお前呼びだったのが、距離ができて貴様呼びに変わっている。

シルヴェスターは本格的に戦闘態勢へ移行していた。それを受けてラウルも拳を握る。

「お二人共、暴れるなら外でお願いしますわ」

一体、何をしに来たのか。

溜息をつきながら、二人に着席を勧める。

クラウディアの隣は、レステーアが譲らなかった。

シルヴェスターがレステーアを睨むものの、聖女祭が終わるまで異性との接触は禁止だ。クラウディアも念のため離れておくほうを選んだ。

テーブルを挟んで、クラウディアの正面にシルヴェスター、レステーアの正面にラウルという配置になる。

(対面して座るのはいつぶりかしら)

お互いの気持ちが通じあってから、いや、その前のデートからシルヴェスターは、クラウディアの隣に座るのが当たり前になっていた。最近では兄のヴァージルがいても、隣を譲らない。

まだよいの口、それでも照明の限られた大聖堂は、暗闇が場を制圧しつつあった。

天井から吊されたオイルランプが、オレンジ色の暖かな光を広げる。

明かりに照らされたシルヴェスターの銀髪が蜂蜜を垂らしていた。しっとりとつやめき、甘い香りさえ漂ってくるように感じられる。

はじめて一対一でお茶をした日。

外見の綺麗さと隙のなさからビスクドールのようだった少年は、もういない。頬にマシュマロを含んだ丸みは消え、直線的で端整な大人の男性に成長していた。

つい過去を振り返っていると、本人からどうした? と訊ねられる。

「以前、こうして対面でお茶を飲んだときのことを思いだしておりましたの」

「ああ、あのときの。君はどの令嬢よりも大人びていて、臆せず私を見る青い瞳が印象に残ったものだ」

「それほど不躾ぶしつけに眺めておりましたか?」

「いや、むしろ不躾だったのは私のほうではなかったかな」

そういえば観察されていた気がする。

王族は怖いと思ったものだ。

「不快には感じませんでしたが、確かに緊張しましたわ。懐かしいですわね」

これほど親密な関係になるとは、予想すらしていなかった。

共に過ごした月日に、シルヴェスターは目を細める。

隣でラウルが頬杖をついた。

「ふうん、クラウディアの幼い頃か。興味あるな」

「想像するな。汚れる」

「オマエは、オレを何だと思ってるんだ」

また本題から話が逸れそうになったので、軌道修正を図る。

これではいくら時間があっても足りない。

シルヴェスターたちの来訪は許されているものの、なるべく早く解散するよう注意されていた。

「つい感慨にふけってしまって申し訳ありません。ラウル様たちがハーランド王国へ来訪されたのは、聖女祭と難民の件でお間違いありませんか?」

急な方向転換に眉根を寄せることもなくラウルは頷く。

「バーリ王国でも教会から難民受け入れの打診があった。協議の末、受け入れが決まった。当国としてもできる限りの支援はするが、兄王の性格は知っての通りだ。他にオレができることはないか相談しに来たのさ」

ハーランド王国とバーリ王国では、バーリ王国のほうが紛争地帯に近い。

難民の受け入れもバーリ王国のほうが早かった。

続きをシルヴェスターが引き継ぐ。

「我が国へはパルテ王国を介し、陸路で入国させる。割り振りが決まったので、ディアにはリンジー公爵から改めて話があるだろう」

ハーランド王国でも受け入れが決まっていた。

「いよいよですわね。混乱がなければいいのですが」

「国民と難民の衝突だけは、何としても避けねばならぬ。先立って広報はおこなうが、最初は距離が必要だろう」

国として余裕はあっても、ハーランド王国にも貧民はいる。

自国民より他国民を優先するのかと不満が膨らめば、最悪内乱に繋がりかねない。

物理的に分断し、大局を見極める必要があった。

しかし割り振った先での裁量は、領主である貴族に任される。統制側の苦労がしのばれた。

「ある程度、手綱を握られるよう、臨時的な政策を公布したところだ」

そういってシルヴェスターは眉間を揉む。

議会は連日紛糾しているようだった。

バーリ王国のほうは比較的落ち着いているという。実行できるかはさておき、いざというときは、国王が難民を切り捨てるとわかっているからだ。かつては実の弟を国外へ放逐した人である。非情な面が、今回は役立っていた。

「動けるうちにってことで、オレが直接来たわけだ。しかし一筋縄ではいかないな」

貧困層への施策が状況によるように、難民についても「これ」といった解決策はない。

根本の原因を取り除けない以上、受け入れ後は、手探りでの対応になった。

「とはいえ、情報共有は大事だろ? 難民については国際問題だしな。一国だけで抱えられるもんじゃない。ある程度、教義や言葉が通じる点は、教会様々だ」

価値観の違いは衝突を生む。

ある程度、という通り、全てが同じわけではないが、考え方や言葉の支柱を共有できるのは精神的負担を和らげた。

お互い、話せばわかる相手というのは大きい。

「だが難民支援に至っては、各国へほぼ丸投げだ」

シルヴェスターの顔は依然として渋かった。

教会が先頭に立ってはいるが、物資などは全て支援で賄われている。

移動中の難民の護衛にはパルテ王国から傭兵が派遣され、引き渡し後は各国に任される。

困っている人を助けるのは当然だ。見返りを求めるものでもない。

とはいえ、受け入れる側にかかるストレスは大きかった。

人々の心の支えになるのが教会の役割のはずだが、万全とは言い難い状況にあった。

「聖女祭が助けになってほしいですわね」

聖女という象徴を通し、人々が皆、平等に救われる存在であることを共有する。

教会には教会の思惑があるだろうが、結果的に心の安寧に繋がれば良かった。

「何にせよ、今回ばかりは教会を支持するしかあるまい」

あまり力を持たれるのも困るが、とシルヴェスターは続ける。

善行によって集まった力を悪用する人間を知っているからだ。

悪人は修道者にもなりすます。

それでも戦争の平定を教会に頼るしかない以上、ハーランド王国も、バーリ王国も、聖女祭の成功を願わずにはいられない。平和への願いを、戦争当事者たちへ届けるために。

バーリ国王に限らず、どの国も我が身が一番大事だ。

それ故、完全には中立性を保てない。

唯一、国にとらわれることなく、中立でいられるのが教会だった。

(難民に限らず、色々と考えさせられるわね)

現在、ハーランド王国は、政治の面では教会に頼らなくて済む方法を模索している。

政策への介入を制限し、ある程度方向性が見えたと思ったところで、この難民問題だ。歴史を重ね、土地を有して、大国と呼ばれるようになっても、まだまだ自立には遠く及ばない。

(できることから、やっていきましょう)

カルロ司祭の言葉を借りるなら、人は無力ではないのだから。

「補佐役として、気が引き締まりますわ」

「あまり根を詰めぬようにな」

「ふふ、むしろ礼拝では、わたくしたちのほうが救われております」

そのまま一日の出来事を伝えると、なるほど、とシルヴェスターは頷く。

「余裕は大事だ。婚約者との接触も許してもらえぬものか」

「禊のためですから」

シルヴェスターが口を開こうとしたところで、レステーアが止める。

「そろそろお時間です。我が君については、ぼくにお任せください」

「いっそ同性との接触も禁じるべきではないか?」

狭量な婚約者へ、クラウディアはにっこりと笑顔を返した。

「いい気味だと笑ってやりたいところだが、手を取って挨拶できないのはオレも辛いな。もしレステーアが触れようとしたら、遠慮なく蹴り飛ばせ」

「ラウルと一緒にしないでください。ぼくが我が君の意向を無視するわけないでしょう」

「何もしてなくても蹴り飛ばしていいぞ。オレが許す」

クラウディアへ免罪符を送ると、ラウルはシルヴェスターの首根っこを掴んだ。

「離れがたいのはわかるが、退室の時間だ」

「わからないでもらえるか?」

「共感を真っ先に否定してくるのはオマエぐらいだよ!」

確かに、と二人のやり取りが笑いを誘う。

名残惜しいけれど、会えないわけではない。接触が禁じられているだけだ。

それは自分への鼓舞でもあった。

騒々しく退室する二人を見送る。おかげで触れ合えない寂しさは紛れていた。

最初はどうかと思ったものの、レステーアと同室で良かったかもしれない。

「これで朝まで、二人きりで過ごせますね」

「早々に心境を撤回させないで頂戴」

キラキラと綺麗な笑みを見せるレステーアに、クラウディアは天を仰いだ。