修道者は聖女になる

季節は本格的な寒さに突入しようとしていたが、今日はぽかぽかとした陽気に包まれていた。

手をかざして日差しを遮りながら、雲一つない青空を見上げる。

「炊き出し日和ね」

「うん、本当に! まるでシスターを祝福してるみたい」

「さすがに言い過ぎよ」

キラキラと目を輝かせるのは炊き出し好きの赤毛のシスターだ。最近ではほとんどの時間を一緒に過ごしていた。浮浪児の少年を助けてから、より一層、懐かれた気がする。

炊き出しの用意が終わる頃には、体が汗ばんでいた。

大勢の食事を扱うのは、相変わらず重労働だ。

修道院の門が開かれ、シスターたちが姿を見せると歓声が上がる。

「な、何事?」

はじめての経験だった。

あちらこちらで「聖女」という単語が聞こえる。

赤毛のシスターが耳打ちした。

「皆、シスターを見てるよ」

集中する視線にたじろぐものの、町へ出たときの忌避感はなかった。面白半分で向けられたものではなかったからだ。

だがいかんせん、いつにも増して人が多い。

「炊き出しをおこなうので、必要な人は整列してください!」

中には身なりの良い者もいてどうすればいいのか迷う。炊き出しは、できるだけ食に困っている人へ届けたかった。

「とりあえず、あなたは食事を提供することに専念なさい」

「はい」

動揺を見透かされたのか、先輩シスターから指示が飛ぶ。

少年を庇った一件では、修道院へ帰ってから厳しく注意されたものの、彼女の態度も幾分軟化していた。

(少しは認められたってことよね)

嬉しくて、ついニヤけそうになる。

ずっと変わらない陰鬱とした日々が続くと思っていた。修道院は牢獄でしかないと。

けれど自分の行動一つで、これだけの変化が起きるのだ。

集まった人々の笑顔が証拠だった。

(わたし、難しく考え過ぎていたんだわ)

凝り固まった思考を解せば、案外答えは簡単だった。偏った知識から、遠回りをしていた。すぐ目の前に答えはあったのに。

人は万能ではない。

むしろ、とても弱い生きものだ。

だからこそ、手を取り、助け合って生きていかなければならない。

できないことを乗り越えていくのも大事だけれど、まずはできることから。何も考えず動かした体で、一人の少年が救えた。結果、周囲の人も賛同してくれた。

あの体験は、複雑に絡みつく茨から抜け出し、自分の世界を広げるきっかけになった。

自由には代償が伴い、制約は守護にもなる。

そして限られた中でも、できることがある。手の届く範囲で良い。無理に手を伸ばす必要はないのだと知れた。

「聖女様、今日もありがとうございます」

老人に手を握られても、不快さはなかった。

大きく心が変化したことに自分でも驚く。

(考え方を変えるだけで、ここまで違うものなのね)

笑顔を返し、次の人へ食事を提供する。

いつもは時間をかける老人も、人の多さからか長居はしなかった。

「聖女様、あなたが心の励みです」

赤毛のシスターが言っていた通り、皆、自分に会いに来ている事実を受け止める。

聖女という呼び名は慣れないけれど、すっかり浸透してしまっていた。

照れくささに頬が紅潮する。

考え方に間違いはないと、答えを貰っているようだった。

自分こそ、人々の言葉に励まされる。

賞賛は、炊き出しが終わるまで続いた。


今日も疲れる一日だった。

しかし疲労感と共に、充足感が体を満たしていた。

(やり甲斐って、こういうことを言うのね)

憩いの場として使われている広間で、んー、と伸びをしていると、赤毛のシスターが肩を揉んでくれる。

「お疲れ様」

「そんなことしなくていいのに」

「わたしがしたいからいいの。今日は人が多くて大変だったでしょ?」

「あなたも一緒に対応してたじゃない」

「わたしは補佐をしていただけだもの」

聖女に一目会いたいと、炊き出しに関係なく集まっている人も多く、結局途中から挨拶専用の列が設けられた。

バタバタと段取りが悪かったのは大目に見てもらいたい。何せ、修道院としてもはじめてのことだったのだ。

「寄付もたくさん集まって司祭様が喜んでたよ」

「何よりだわ」

先輩シスターが身近過ぎて存在が薄いけれど、この修道院にも司祭はいる。

財務状況が芳しくない当院にとって、今日の混雑は嬉しい悲鳴だったようだ。

「でも、この広間のそわそわ感は、炊き出しと関係ないわよね」

「そりゃあ皆、このときを待ちわびているからね!」

定期便が届く予定があった。

いつもより到着が遅れているのもあって、船便──家族からの手紙──を待っている者は特に落ち着きがなくなっている。

先輩シスターの目があるので、表面上は取り繕っているものの、広間に満ちる雰囲気は肌で感じ取れた。

「何かあったのかな? 事故じゃないといいけど」

「ないのを祈るしかないわ」

そっと手を組み、目を閉じる。

マッサージしてくれていたシスターもそれに倣い、祈りは静かに伝播でんぱしていった。

(ここまで皆がわたしに賛同してくれるなんて)

自分の影響力に内心驚くと同時に、心が満たされていくのを感じる。

ふふっと笑いが漏れそうだった。

ほどなくして船便の到着が報せられると、広間は歓喜に沸いた。

「静かに!」

いつも視界にいる先輩シスターが、キッと目尻を吊り上げる。

しかし、それも船場で待機していたシスターが戻って来るまでだった。

珍しく狼狽えた表情を見せたことで、誰もが首を傾げる。

シスターは、すぐに先輩シスターと相談する。

様子を窺っていると、こほん、と居住まいを正した先輩シスターと目が合った。

「あなた、それとあなた……他にも何人か必要ね。二人でペアになって付いてきなさい」

何事だろうかと、隣にいた赤毛のシスターと顔を見合わす。

遅れると叱責が飛んで来るため、疑問は一旦横に置いて、先輩シスターのあとに続いた。


広間を出て、向かった先は応接室だった。

他の子たちは荷物を運ぶため、先輩シスターへ付いていく。どうやらいつも以上に、支援物資が多いらしい。赤毛のシスターもそちらへ加わる。

なぜ一人残されたのだろうといぶかしみながら、先輩シスターと二人で応接室へ入った。

中には、身なりの良い男性がいた。短い黒髪には清潔感がある。三十代後半ぐらいだろうか。見たことのない顔だった。

いつも定期便で手紙や物資を持って来てくれるのは、船乗りの肌が焼けたおじさんだ。

修道者であることは、服装から察せられる。

地位が高いらしく、先輩シスターが深くお辞儀するのに倣う。

着席を促され、テーブルを挟んで対面した。

「急に悪いね、船の到着を遅らせてしまった」

「無事に到着されて、何よりです」

船が遅れたのは、男性と追加の物資があったからのようだ。

先輩シスターの表情は硬い。彼女にとって男性の来訪は喜ばしくないらしい。

支援物資が増えるのは良いことよね? と内心、首を傾げる。

理由はすぐに知れた。

「うむ、彼女が噂のシスターかな?」

「さようです」

男性がにこりとこちらを見る。

「君の噂が本土まで届いていてね。ぜひ会ってみたいと思ったんだ」

いつの間に、という気持ちでいっぱいだった。

でも考えてみれば、少年を助けてから既に何回か船便は届いている。どこかで話が伝わっていてもおかしくはない。

「少年を助けたこと、またそのときの訴えにも心響くものがあった。島民たちが絶賛するわけだ」

「恐縮です……」

「ああ、いきなり知らない人間が来て驚かせてしまったかな。これでも君にとって良い報せを持って来たんだよ」

男性はちらりと先輩シスターへ視線を送ったあと、聖女祭なるものが開催されることを話した。教会では候補者が拳げられ、誰を聖女に認定するか選考中だと。

「私は君を推薦したいと思っているんだ」

「わたしですか?」

「そうだ、君は既に島民から聖女と呼ばれている。この機会に、教会が認める正真正銘の聖女になってみないかい?」

突然の申し出に、上手く頭が回らない。

聖女祭という祭りも初耳だった。

「わたしなんかが、恐れ多いです」

「もっと多くの人に君の考えを伝えたいとは思わないかな?」

「それは……」

少年を助けたときのことを思いだす。

最初は面白がっていた野次馬が、意識を改めてくれたことを。

人々の言葉に、自分も励まされたことを。

「私も罪は貧しい環境にこそあると考えている。君さえよければ活動を共にしたい」

島内でできることは限られる。

もし、本土の人たちにも貧しい人たちの現状を知ってもらえたら。

もっと多くの人が自分の言葉に耳を傾けてくれたら、とその光景を想像する。

心動かされないといえば、嘘だった。

一度深呼吸をし、答えを決める。

「わたしは、まだこの島で学ぶべきことがあります」

背筋を伸ばして断ると、隣で座っていた先輩シスターの肩から力が抜けた。

急な引き抜きに、柄にもなく緊張していたらしい。

彼女にしてみれば、自分が手元から離れると困るのだろう。

いつも視界に先輩シスターがいるのには理由がある。そのくらい、長年生活を共にしていればわかることだった。

(まるで問題児扱いよね)

最近では先輩シスターの手を煩わせることもなくなっているというのに。町で少年を庇った件では指示に抗ったものの、長らくなかったことだ。

男性は頷きながらも、しぶとさを見せる。それでいて溌剌はつらつとした笑顔が印象的だった。

「今晩はこちらでお世話になる予定だ。気が変わったら、いつでも言ってくれ」

「はい、ご配慮ありがとうございます」

話が終わり、先輩シスターを残して辞す。

その足で、荷物運びを手伝うべく船着き場へ向かった。