悪役令嬢は祈る

荘厳そうごんで霊験あらたかな大聖堂は、王都の観光スポットにもなっている。

広い敷地内には本堂の他にも修道者用の施設など複数の建物が備わり、石畳の大きな道が各所を繋いでいた。

敷地の中央、正門から入って百人は同時に上れるなだらかな階段の先に、本堂はあった。

刺繍ししゅうごとく細やかに積まれた建材が尖塔せんとうとなって空へ伸び、玄関口では巨大な柱が威風堂々いふうどうどうと存在を誇示こじしている。

一つ一つ職人によって生み出された意匠は、全てきまぐれな神への捧げ物だった。

日中は高さ七メートルもある青銅製の扉が開けられ、人々の祈りを待っている。

礼拝を主目的とする本堂では、入って正面に木製の長い会衆席が並び、最奥に大理石の祭壇が鎮座していた。

しかし、それらが些事さじと思える光景が天井にあった。

雪原を再現したかのような白い内部、高い天井はドーム形になっており、柱頭を境として一面に彫刻が施されていた。

枝を伸ばした曲線を精密な装飾が彩っている。蔦の先にはたわわな実があり、神の遣いが豊穣を祝福していた。要所に配置されているのは擬人化された自然だ。風が吹き、波が立ち、大地が更なる繁栄をもたらす様が彫られている。

そして丸く吹き抜けになっている中央の天井から、尖塔で集められた清浄な光が降り注ぎ、全てを照らした。

クラウディアは息をするのも忘れて、時を超越した表現に見入った。

いつ来ても、目を奪われる。

圧巻だった。

白以外に色はない。だからだろうか。訪れた者へ、空間が委ねられていると感じるのは。

ほう、と息を吐きながら、集合の時間を待つ。

今日は禊のために大聖堂を訪れていた。

先導役とは本堂で会う約束だ。

修道服であるローブを着ると、お妃教育を思いだす。修道院である古城で過ごした日々が懐かしい。

ヴァージルからの勧めでポケットにはもらったブレスレットをしのばせている。お守り代わりだ。

平日の昼間なのもあって、本堂を利用する人は少なかった。

一番の理由は、教会の騎士たちが目を光らせているからだろうけれど。

クラウディアの滞在に際し、いつもより多く配置されていた。

修道服の下にチェーンメイルを着込んだ教会の騎士たちは、鎧を着けない。携えているのも剣ではなく、身の丈ほどの棍棒こんぼうだった。

尖ったどんぐりのようなかぶとで頭部を守っているので、見分けがつきやすい。

修道服に身を包んだからには、ここにいるのはクラウディアという名の個人である。他の修道者と同等の身分だが、理想と現実の線引きを、教会は心得ていた。

視線を本堂の中央へ戻す。

降りてくる光が壁に当たり、淡い水色を映していた。

(どうか新たな知見を得られますように)

先立って、そう願う。

貧民や難民の助けになれますようにと。

教えを吸収し、手立てとする。しかしそれには自身の理解が必要不可欠だった。

人生を繰り返している分、人より多くの機会を得られている。だからといって慢心まんしんはしていられない。

一つのことで十を学べれば、どれだけいいか。

(わたくしは、ただ経験が多いだけ)

経験は、一つ一つの積み重ねだった。

環境が特殊だったおかげで視野は広がった。

本当に頭の良い人なら、経験せずとも同じ境地に至れるだろう。

(できることを、忘れてはいけないわ)

恵まれた立場があった。

学べる環境があった。

普通の人より多くのものを手にしていた。

だからこそ、自分にできる方法を模索する。

そして根元にあるものを勘違いしてはいけない。

自分の心を。

何がしたいのかを。

突き詰めれば、全ては自分へかえる。誰かを助けたいという思いも、自分だけのものだ。他者の反応を求めるようになってしまえば、残るのは自己憐憫れんびんだけ。

客観性と、自己顕示けんじ欲を混ぜてはならない。

本分を見失っている人が多いから、ルキは言うのだ、現場で生活しろと。自分に嘘をつかず、求めるものを知れと。そこで間違った答えを得ても、彼は責めない。

知らない誰かが遠いところで出した答えだから、疑念を、憤りを抱く。

(見落としがありませんように)

机上の空論になってしまう可能性は、クラウディアにもあった。

ローズガーデンで報告書だけに留めず、直接ベゼルやルキから聞き取りをおこなうのは、それを少しでも回避するためだ。

次々と湧き出てくる願いに、欲張りすぎね、と自嘲じちょうが漏れる。

ここまでにしようと顔を上げるのに合わせて、待っていた禊の先導役が現れた。

懐かしい顔に頬が緩む。

「お待たせしてしまいましたか」

「いいえ。見学したくて早めに来させていただきましたの」

コアラを彷彿とさせる全体的に丸いフォルム。慈愛に満ちた目。老齢の司祭は、変わらず優しい空気に包まれていた。

お妃教育で修道者の暮らしを体験する際、古城の修道院でお世話になったカルロ司祭が目の前にいた。

「司祭様は新しい修道院に慣れまして?」

「おかげ様で。元から交流のある修道院でしたから、先に在籍していた者たちも皆、顔見知りなのが救われました」

老朽化していた古城は取り壊しが決まり、工事をはじめるために閉鎖された。

司祭をはじめ、クラウディアがお世話になった先輩修道者たちも、現在は別の修道院へ移っている。

受け入れ先の修道院でも元気に過ごしていると聞き、ほっとする。幽霊話など、古城では穏やかとはいえないことがあった。

「時間を見付けて顔を出させていただきますわ」

「おおっ、ありがとうございます。皆、喜びます」

過ごした時間は短いけれど、彼らからはたくさんのことを学ばせてもらった。

立場の違う者と過ごす大切さを、お妃教育を通して教えられた。

僭越せんえつながら、枢機卿に代わり、本日は私が禊の先導役を務めさせていただきます」

「よろしくお願いいたします。ところで枢機卿に代わって、というのは……?」

「本来なら先導役はギーク枢機卿が務める予定だったのです。急用ができてしまい、私めにお声がかかりました」

王太子の婚約者であるクラウディアを置いて行くほどの用事とは何かと首を傾げる。

(教会で予想外の動きがあったのかしら? わたくしとしては、司祭様と話せるなら良かったけれど)

エリザベスも言っていた通り、カルロ司祭は造詣が深い。

「また司祭様から教えを請えるなら、願ったり叶ったりですわ」

「そう言っていただけて光栄です」

挨拶が終わったところで、司祭が背後へ目を向ける。司祭の後ろには、付き人と思しき修道者がいた。

体を小さくして待機していたが、司祭の視線を受け、すっと胸を張って前へ出てくる。

見知った人物の登場に、クラウディアは目を見開いた。

「レステーア様!?

「ご無沙汰しております、クラウディア嬢。国を越えて、共に補佐役を任命され、これに勝る喜びはありません」

令嬢には珍しい、襟足の長さで切られた青い髪。

スラッと長い手足に紳士の気配を宿し、綺麗な笑顔を浮かべる麗人を見間違えるはずがなかった。

なぜ、今の今まで存在に気付けなかったのか。

その理由は、彼女が身に纏う修道服にあった。

(レステーアのワンピース姿なんて、はじめて見たわ)

正しくはローブなのだが、腰に絞りがない男性用とは違い、女性用は裾へ向かって広がる形をしている。シルエットは同じだった。

ハーランド王国でも、母国バーリ王国でも男装の麗人として令嬢たちから慕われるレステーアは、どんなときも男装を欠かさない。

それを反故ほごにした姿が、頭の中で彼女と結びつかなかった。

(先入観とは恐ろしいわね)