悪役令嬢は祝福される
シルヴェスターと考えをまとめ、屋敷へ戻る頃には昼過ぎになっていた。
自室で軽く昼食を取り、人心地ついていると来訪が知らされる。
エントランスへ向かえば、長い髪をゆるくまとめたリリスが先に着いていた。
二人で並び、もふもふの外套に包まれたエリザベスを迎える。
まだ明るい時間だが、日差しだけでは寒さをしのげなくなっていた。
外套を預けたエリザベスがリリスに招待のお礼を告げると、心なしかリリスの表情が引き締まる。それでも笑顔は絶やさない。
「パトリック夫人のご訪問を嬉しく思います」
先日とは違い、今日はリリスの指導がメインになっている。
公爵夫人としての心構えや、面倒な相手への対処法などを学ぶのだ。今後はエリザベスの友人も招いておこなわれる予定である。
(ほとんどはお茶をする名目でしょうけど)
貴族といえども、常に気を張っているわけではない。
それが理想ではある。あるけれど、実現性は低い。理想に近付くためには、息抜きが必要不可欠だった。
課題をクリアしたリリスの次に、エリザベスはクラウディアと目を合わせてにこりと笑う。傍には、リボンでラッピングされた箱を携えた侍女がいた。
そこへ、リリスが加わる。
「おめでとう、クラウディア。教会から聖女の補佐役に任命されたことを祝して、わたくしとリリスからささやかな贈り物です」
「おめでとうございます、クラウディアさん」
教会からクラウディアが呼ばれることについて、いち早く教えてくれたのがエリザベスだった。
今朝のことも知っていておかしくはないけれど、まさか祝ってもらえるとは。
「ありがとうございます……っ」
頬から目尻にかけて驚きと熱が同時に駆け上がる。
母親代わりとなった二人の女性。
リリスの奮闘を、エリザベスの波乱を、クラウディアは知っていた。
それぞれ立場は違うけれど、二人で一つの贈り物をしてくれる姿に、胸がいっぱいになる。
このときばかりは、エリザベスの嫌みも鳴りをひそめていた。
視界の端で、侍女長のマーサが頭を下げる。
気付けば執事たちも集まっていた。事前に祝いの場を打ち合わせてくれていたようだ。
ふと、大きな気配を感じて、顔を向ける。
見上げた先には、自分と同じ青い瞳があった。
優しく細められた目の上を、クセのない黒髪がさらりと通り過ぎていく。
「ディー、おめでとう。これは俺からだ」
「お兄様っ、ありがとうございます!」
てっきり、まだ王城にいると思っていた。
クラウディアが補佐役に任命されたのはよしとして、情勢下では難民という大きな課題が持ち上がっていた。王家直轄領に限った話ではなく、受け入れがはじまれば各領主の元へ振り分けられる。
支援対策など議会の紛糾は避けられず、父親とヴァージルもそのための準備に追われていた。
手の平サイズのプレゼントを受け取りながらも、訊ねずにはいられない。
「お仕事はよろしいのですか?」
「ディーの祝いの席だからな。父上を残して、少しだけ抜けさせてもらった」
屋敷に置いてある資料も必要だったので、ちょうど良かったとのこと。
「今だけはディーのことに集中させてくれ」
これからのことを考えると苦労が
明日からは禊のため、こうして労ることもできなくなる。
(でも今だけは)
ヴァージルの言葉を復唱しながら、温もり溢れる一時に浸っていたかった。
王城へ戻るヴァージルを見送り、折角だからとリリスとエリザベスの三人でお茶をすることになった。早くも指導は横に置かれている。
「そろそろ領地へ帰る頃合いでしょうに、ヴァージルも気苦労が絶えないわね」
すっかりリンジー公爵家に慣れたエリザベスは、ヴァージルも呼び捨てである。
毎年、社交界のオフシーズンに合わせて貴族たちは領地へ帰る。
しかしこの分では、どの家も帰省時期がズレ込みそうだった。
「わたくしどもの領地は、豪雪地帯でないのが幸いですわ」
王都が国の中央部にあるのに対し、リンジー公爵領はやや北部にあった。北の沿岸部との間には山脈があり、山が北風を防いでくれるおかげで真冬でも積雪量は少ない。
「最北部の方々は、既に帰っているか、諦めているかのどちらかでしょうね」
とエリザベスが請け負う。
主な街道は雪かきがおこなわれるとはいえ、冬の最北部で長旅はできない。雪が積もる前に帰れなければ、帰省を断念するしかなかった。
自然と話題は補佐役へ移っていく。
「制約があるにしても補佐役に任命されるのは、教義に準ずる者として
「はい、ありがとうございます」
「クラウディアは『アプリオリ』という言葉の
「お恥ずかしながら、聖女の補佐役としか存じ上げておりません」
事前に言葉の意味までは調べていたものの、エリザベスが喋りたそうだったので花を持たせる。また教会に関する知見に信頼があった。
エリザベスが口を開くのに合わせ、視界の端ではヘレンが新しいお茶の準備を進める。
「言葉の意味としては既に認識していて覆らない事柄が当てはまります。空間や時間の概念などがそうですね。『前提』とも言い換えられますが、覆らないことが絶対条件です」
既にある知識と照らし合わせながら頷く。
続く内容は、クラウディアも初耳だった。
「補佐役に与えられる称号としては、
転機は、大国が生まれはじめた頃だという。
「ハーランド王国をはじめ、バーリ王国、アラカネル連合王国と少数民族の集まりに過ぎなかった勢力が母体を大きくしていく中で、聖女の補佐役が生まれます。教会は、独自に『聖女』という称号をつくり、以前の呼称は補佐役へ引き継がれました」
「称号としての歴史は、アプリオリのほうが長いのですね」
「正にその通りです。聖女の称号が台頭して久しく、過去の称号だったことは忘れ去られつつありますが、アプリオリという称号が持つ重みを、与えられた側は自覚するべきでしょう。教会関係者以外が得られる、最上の称号とも言えますからね」
「はい、しかと胸に刻みます。とても勉強になりました」
リリスも一緒になって目を輝かせ、しきりに頷いている。
「さすがお姉様です。自分の知識の浅さを恥じるばかりです。エリザベス様は、どこで学ばれたのですか?」
一般教養では得られない知識だった。
クラウディアも気になっていたところだ。
「わたくしは歴史に
王妃が子どもの頃、兄妹で修道院の古城で遊んでいたことを思いだす。
貴族は教養として教会から教えを請うが、サンセット侯爵家は特に懇意のようだ。
加えて、最近アプリオリについて調べ直したところだったとエリザベスは語る。
「サンセット侯爵家の先祖に、予言の力を持った者がいたと言い伝えられているのは、クラウディアも知るところでしょう」
エリザベスの夫であるパトリックはその力を求め、黒魔術にまで手を出したのは記憶に新しい。そこで生け
「女性であったことから、彼女は聖女の前身であるアプリオリであったのではないかと思い至ったのです」
当時の影響力を考えると、頷ける話だった。
「パトリック様の件で、サンセット侯爵家は痛手を負いました。わたくしの弟にとっては、チャンスを得られたわけですが」
実家が力を得るのはエリザベスにとっても嬉しい話のはずだが、子どもの頃からパトリックを慕ってきた彼女の心境は複雑だった。
ただ息子のことを考えると、本家にも力を持っていてもらいたい。
「そこで改めて予言の力を持った女性を、聖女に認定してもらえないかと考えたのです」
教会が見逃していた人を、没後に聖女認定する事例はあった。
今でこそ大陸全土から情報を集められる教会だが、昔は違った。伝わる情報の精度が悪かったこともあり、聖女の称号ができる以前については、後々から認定された者がほとんどだ。
新たに認定をもらえれば、サンセット侯爵家は
放置しておくには惜しいのも道理だろう。
けれどエリザベスの顔は
「浅はかでしょう?
これでは墓を暴いたパトリックと変わらないと気付いたのだという。
「カルロ司祭を交えて当主様とも相談し、教会への申請は取りやめました」
「ご
「息子には前を向いていてほしいですからね」
今でも跡継ぎの正統性は十分ある。
後ろめたさが、ふとしたときに息子の足を引っ張るのをエリザベスは避けたかった。
「エリザベス様がいる以上に心強いことはありませんわ」
「カルロ司祭にも同じことを言われたわ。司祭様とは二人とも面識がありますね。
コアラに似た優しい面持ちが頭に浮かんだ。
クラウディアはお妃教育で修道院に滞在する際、お世話になっていた。
司祭がリンジー公爵家の屋敷を訪ねた折、リリスとも対談している。
(勉強も兼ねて、ご挨拶に伺うのもいいわね)
ちょうどお妃教育も延期になり、予定が空いたところだ。
会話が一段落したのを見て、ヘレンが用意していたお茶を差し出す。
カップを手にし、飲みやすい温度なのを確認したエリザベスは、そのまま喉を潤した。
「有能な侍女だわ」
「ありがとうございます」
ヘレンに代わって、クラウディアが礼を伝える。嫌みなく認められたのが嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
目を細めてクラウディアを眺めながら、エリザベスはカップを置く。
「あなたたちのようなら、文句の付け所はないのでしょうけれど」
「どうかされたのですか?」
「バーリ王国では、レステーア嬢が補佐役に任命されたそうよ」
予想していなかった人選に、クラウディアは目を見張る。
(ここでレステーアの名前が出てくるなんて)
クラウディアを至高と仰ぎ、ハーランド王国に首輪を着けられているレステーアが、男装の
保守的な教会が選ぶのは意外だった。
「これも時代かしら? わたくしたちの代なら、考えられなかったことです。聖女の滞在後は、補佐役が国民の拠り所となる存在だというのに」
令嬢たちの間では、どちらかというと
演者でもない者が男装することが信じられないのだ。
教会の歴史を学んだエリザベスは、先祖のこともあってアプリオリに思い入れがあった。
「お人柄は申し分ない方ですから」
と一応フォローしておくものの、真っ赤な嘘である。
あれだけ人格に問題のある──狂信的な──人間をクラウディアは知らない。
三人のお茶会は、空が
自室へ戻り、クラウディアは貰ったプレゼントを開ける。
エリザベスとリリスからは冬用の手袋が贈られた。
手触りから最高品質のものが用意されたのだと知る。
青と黒を基調にしながら、アクセントには金色が用いられていた。
クラウディアに似合うよう、見た目は正反対なエリザベスとリリスが、顔を突き合わせながらデザインを考えたのかと思うと胸がほっこりする。
「すぐに活用できますね」
「ええ、次に出かけるときは、この手袋に合わせた装いにしてくれる?」
「かしこまりました」
次いでヴァージルからの包みを開封する。
「まぁ、ブレスレットだわ」
「綺麗ですね。使われている宝石はサファイアでしょうか」
蜜を垂らしたかのような細いシルバーチェーンの先には、クロッシングスターの土台があつらえられ、青い輝きが一等星となって存在感を示していた。
サファイアは小指の先にのるぐらいの大きさだったが、繊細にカットされ、夜空を宿している。
その青の濃さにハッとして、クラウディアはブレスレットを持ち上げた。
「しかもリンジーブルーよ」
「あのリンジーブルーですか!?」
家の名前を冠した色名に覚えがあったヘレンも驚きに声を上げた。
リンジー公爵家領地の最北端にそびえ、北風を防いでくれている山脈。そこにサファイアの採れる鉱山があった。
多くは、青色の中に緑色が閉じ込められているような、冬の海を連想させる色合いなのだが、稀に、混じりけのない青一色のものが採掘された。
見る角度によって色が濃くなる部分は、時に黒くも映る。
鮮やかな青と黒を宿す様が、リンジー公爵家に受け継がれている黒髪と青い瞳を想起させることから、その名が付いた。命名は一瞬で決まったという。
主人の色を宿したサファイアを前に、ヘレンは溜息を漏らしながら感嘆する。
「ヴァージル様だから用意できたものですね。さすが気合いの入れようが違います」
「補佐役の重みを感じるわね」
エリザベスから聞いた話が蘇る。
元は聖女に与えられていた称号だったことを。
聖女祭では、聖女の滞在後、補佐役が人々の心の拠り所になるのだ。
厳しいものではないとはいえ、期間中は生活に制限が設けられる。
制約について異論はなかった。むしろあって当然だとすら思う。
心に引っかかりを覚えるのは、本当に自分でいいのか、というところだ。
前世、それこそ逆行する前までは、神の存在について疑念を抱いていた。
今でこそ疑いようがないけれど、不信心だった過去がある。
母親が望んだ通り、完璧な淑女であるよう心がけてはいる。とはいえ、それはあくまでハーランド王国内においてのことであり、一面に過ぎないとクラウディアはわかっていた。
どんな正義も裏を返せば悪なのだ。そして、その悪を自分は認めている。
聖人であるとは到底思えなかった。
視線が下がったことに気付いたのか、ヘレンがそっと手を重ねてくる。
「わたしにはクラウディア様以外でお役目を全うできる方が思い浮かびません。わたしにとっては既にアプリオリであらせられますから」
教会からの任命に関係なく、心の拠り所であると語られる。
ヘレンの温かい笑みにつられ、クラウディアも頬が緩んだ。
改めて贈り物を一つずつ眺める。
ヴァージルからのブレスレットに限らず、エリザベスとリリスからの手袋も、傍で応援しているというメッセージが込められていた。
二つを手にし、そっと胸に抱く。
たとえこの先、困難が待ち受けていても、これがあれば必ず乗り越えられると。