一瞬にして、驚きと羞恥が体を駆け巡った。

頭が真っ白になる。

(わたくしのお尻の下に、シルの太ももが!?

ソファーに比べると硬い、それ。

時間の経過と共に筋肉質なだけでなく、柔らかさも伝わってくる、それ。

目が回りそうになりながらも、本当に娼婦だったのかと自問自答する。

(シル相手だと、どうしてこうも平静でいられないのかしら)

咄嗟にシルヴェスターの首に腕を回したのは、バランスを取るためだった。胸を押し当てる形になったのは不可抗力だ。

重くはないかとシルヴェスターを窺う。言葉で聞いても、素直に答えられないのはわかっていた。

そろりと見上げる先。

目尻がほのかに染まった金色の瞳と目が合う。

「……このまま押し倒してもいいだろうか」

「ダメに決まっていますわ」

「君は、どうして、いつも、私を八方塞がりにする……っ」

「自業自得、という言葉をお贈りしてもよろしいでしょうか?」

きっと想像の上では、穏やかにクラウディアを膝に乗せていたのだろう。

しかし現実では、お互いの存在──肉感を、熱を、意識せずにはいられなかった。

長い溜息で熱気を逃しながらも、シルヴェスターは体勢を変えない。

クラウディアも開き直って、書類の続きを読んだ。文字を追っていれば、意識を逸らせると思ったのだ。

体を清く保つ「禊」について。

一、親族を含む異性への接触を禁ずる。

一、肉食を禁ずる。

一、定期的に薬草を用いた湯で、身を清めることが求められる。

一、大聖堂での礼拝が求められる。

(これといって厳しいものはないわね)

異性への接触に関しては思うところもあるけれど、我慢できないほどではない。接触が禁止されているだけで、会って話すのは許されている。

(でも禁止されればされるほど、したくなるのが人のさがよね……)

何も言われなければ気にしないのに、指摘された途端、気になって仕方がなくなってしまうものだった。

「聖女など、来なければよいものを」

「シル、不謹慎ですわよ」

欲望に忠実な婚約者の肩を叩く。

単なる愚痴だとわかっているが、シルヴェスターの顔には鬼気迫るものがあった。

初春開催ということで、まだ日時は決まっていない。

教会としては春の芽吹きに合わせて聖女の認定をおこないたいようで、開催が後ろ倒しになれば四か月はお触り禁止となる。

加えて他の理由もあった。

「なぜ、お妃教育まで延期せねばならぬのか」

聖女祭の開催が決まり、クラウディアが聖女の補佐役に任命されたことで、禊の期間中、お妃教育も休止されることとなった。

即ち、休止している分、結婚式も延びる。

「トーマス伯爵あたりは喜んでいるだろうな」

クラウディアは苦笑で答えた。

リンジー公爵家と対立しているトーマス伯爵家は、何かにつけて足を引っ張ろうとしてくるのだ。

延期にあたり、いらぬ頭を働かせる可能性はあった。

「しかし横やりは入れにくくなりましたわ」

「うむ、夜会の件も含めて、トーマス伯爵夫人はより動きづらくなるだろう」

シルヴェスターと一緒に招待された夜会の席で、クラウディアはトーマス伯爵夫人をやり込めることに成功した。サヴィル侯爵夫人を含め、他の夫人方の協力があってこそだったが、今後のパーティーでトーマス伯爵夫人は言動に気を付けねばならない。

その上、クラウディアが教会のお墨付きを得たとなれば、クラウディアの味方をした夫人方は勢いに乗る。

トーマス伯爵夫人の旗色は悪かった。

動くとシルヴェスターの太ももを意識してしまうので、クラウディアは体勢を保つよう努める。

(こうして膝乗りしている状況だけ見れば、娼婦時代を思いだすけど)

客の上に乗って会話することも多かった。なぜか四つん這いになって自分は椅子です! と宣言する客もいた。趣味は人それぞれである。

とりあえず真面目な話を続けることで、邪念じゃねんを追い払う。

「このタイミングでの聖女認定は、紛争地帯の状況が関わっているのでしょうか」

「私はそうだと考えている。パルテ王国とことを構えたときから、戦況は悪化の一途を辿っているからな」

シルヴェスターの新たな婚約者候補としてパルテ王国からニナが送り込まれた件では、あわやハーランド王国とパルテ王国とで戦争が起きかねなかった。

最終的にはナイジェル枢機卿の企てだとわかり、危機は免れたものの、パルテ王国を隔てた西の紛争地帯では、ずっと戦争が続いている。

「教会は平定に向け動いているが、結果は芳しくない。このままでは教会の威信に傷が付くのを危惧して、聖女の認定で、権威を改めて周知したいのだろう」

穿うがった見方をすれば、人心を掴むための奥の手ですものね」

本来の流れでは、聖女たる女性が現れて、教会が認定する。

しかし近年は政治的要素が加わり、順序が逆になっていた。乱発されることなく、一定期間を設けているところに思惑が透けて見える。

奥の手というのも、数が増えれば聖女の有り難みが薄れるからだ。

百年に一度、という歳月の重みがあることで、聖女の希少さは増す。相応しい女性がいるならば、歳月にとらわれる必要はない。

(教会の主張通り、聖女に値する女性がそうそうに現れないのかもしれないけれど)

聖女だけが使える特別な力があればわかりやすいのだが、そういったものはなかった。教会の象徴になりえれば良く、明確な基準がない以上、邪推する余地が生まれてしまう。

「純粋に聖女が心の拠り所となることを願いますわ」

戦況により難民が生じていることは、クラウディアの耳にも入っていた。

思惑がどうであれ、人々の救いになるなら異論はない。

「私も同じ気持ちだ。我が国としても難民の受け入れが現実化しつつある今、聖女祭を成功させることで、皆の気持ちを鎮めたい」

いよいよもって戦争の余波は、ハーランド王国にも押し寄せていた。