悪役令嬢は意気込む

すっかり寂しくなった枝に、庭師が吐息で白い葉を盛る。

重苦しい雲が、昼の陽光を遮っていた。

寒さから誰もが動きたくないと考える季節。マットを広げたクラウディアの自室には熱気があった。

ふっ、ふっと呼吸を浅くしながらも、サンセット侯爵家のパトリック夫人こと、エリザベスは口を動かす。

「あなたの美しさは、若さゆえと、思っていたけれど、秘訣があったのね」

鈍色の髪をまとめ、後れ毛が頬に張り付いている様は、運動で上気しているのと併せて大人の色香があった。首筋を伝う汗に視線を奪われる。

疲れでキツい目尻も下がり、普段の気難しい雰囲気も軟化なんかしていた。

とはいえ、母親と同年代の人にものを教えるのは、気を遣う。社交界の後ろ盾ともなれば、もっとだ。

「急な運動は体に響きますから、くれぐれも無理はしないでくださいませ」

「そこまで年老いてはいなくってよ」

過信は禁物だけれど、言葉通りエリザベスに辛そうな様子はない。

聞けば四十代になった今でも、体を意識的に動かしているとのことだった。

「若い頃から、人に見られる立場ですからね。摂生せっせいおこたったことはないわ」

トーマス伯爵夫人と一緒にしないで頂戴、と続く。

言われて、夜会で顔を合わせた、ふくよかな女性がクラウディアの頭に浮かんだ。

同じ王族派でありながら、サンセット侯爵家とトーマス伯爵家の確執かくしつは根深い。

エリザベスは普段から敵対心を持ち続けているようだ。

「一昔前は、太っていることが富の象徴でもありましたけどね。もう古い考えですよ。今はドレスを美しく着こなしてこそだわ」

「さすがです、お姉様」

即座に頷いたのは、一緒に汗を流す継母のリリスだった。

クラウディアが考案し、娼館の娼婦たちと協議を重ねた、体を美しく保つためのストレッチ方法は、身内に限り伝授されていた。

エリザベスを誘ったのはリリスの提案だ。エリザベスの立場を鑑みて、興味があるなら誘ってもいいのでは、という話になった。

サンセット侯爵家とリンジー公爵家は、未だ親密とは言い難い関係だが、サンセット侯爵家の嫡男であり夫であるパトリックが起こした一件により、エリザベスの立ち位置は変わった。弟が次期当主として本家入りしたことで、次期女主人の座を弟の嫁に譲り、彼女自身は本家にある離れで幼い息子と二人で暮らしている。

(それでいて社交界では依然として、影響力を持っているのだから流石だわ)

最終的には直系であるエリザベスの息子に跡目を継がせたい本家の意向もあるが、弟の嫁に付け入る隙を与えていないのは、エリザベスの手腕によるものだ。

本家はリンジー公爵家と距離を置く方針でも、エリザベスは比較的自由に動き回れる立場を確保していた。

そんなエリザベスにとって、クラウディアと親密な関係を周囲にアピールするのは悪いことではない。何せ未来の王太子妃である。現王妃とも気の置けない仲である彼女が、二代続けて王家と懇意こんいな関係を保てる意味は大きかった。

リリスが頑張ってくれているとはいえ、親世代から上の人の機微について、リンジー公爵家は遅れを取っている。議会では上手く立ち回れても、女の園であるパーティーやお茶会で父親は無力だった。

そこを補完してくれるのがエリザベスだ。

(お互いに利益がある関係を築けて良かったわ)

片方が不満を抱けば、腹の探り合いになる。余計な労力を使わずに済むのは僥倖ぎょうこうだった。

体形の維持いじ、ないしは改善に役立てれば、エリザベスからの信頼も増すだろう。

こうした日常の中での積み重ねも、人の心にうったえる上でバカにならない。

クラウディアもマットに並び、お手本になりながら体を動かす。

血が全身を巡りぽかぽかしてくると、縮こまっていたいときほど動くべきなのだと悟る。

エリザベスとリリスの雰囲気も和やかだ。

共に体を動かすことで一体感が生まれていた。

「ハーブ水でございます」

一息ついたタイミングを見計らって、ヘレンが給水を促してくれる。

水温は体を冷やさないよう調節されていた。

喉を潤したエリザベスは、ヘレンを頭の天辺から足の爪先まで眺めて、唇をへの字に曲げる。

「主人が主人だと、侍女も可愛げがなくなるのね」

お決まりの嫌みだった。

言葉の意味を裏返してクラウディアは微笑む。

「自慢の侍女ですの」

「だったら尚更、早く嫁ぎ先を見付けてやりなさい。もう適齢期でしょう?」

ここで結婚が話題に上がるのは予想外だった。

クラウディアの反応に、エリザベスは小さく首を振る。

「お気に入りの侍女を手放したくない気持ちはわかるわ。けれど良い嫁ぎ先を用意してあげるのも主人の務めよ。これだけ尽くしてくれているのだから」

もちろんクラウディアとて、ヘレンには幸せを掴んでほしい。ただヘレンの気持ちを一番に考えたくて、自分からは水を向けられずにいた。

ちらりと視線を向ける。ヘレンの表情は変わらない。

「クラウディアが婚約した今なら時期的にも良いでしょう。同じタイミングで結婚式を挙げるのがいいわ。一から乳母を探すのは大変だもの」

乳母、と聞いて、未来が急接近するのを感じた。

胸がそわそわして、クラウディアは人知れず落ち着かなくなる。

エリザベスは、将来生まれる子どもの乳母をヘレンに任せろというのだ。そしてヘレンの子が、我が子の親友にでもなれば、これほど嬉しいことはない。

「わたくしも結婚当初はあれこれと夢見たものよ。実現はしませんでしたけどね」

エリザベスと王妃はいとこなのもあって、昔から仲が良かった。自分が彼女の立場でも、王妃の子供の乳母になりたいと望んだだろう。

現実は、二人が同時期に懐妊かいにんすることは叶わなかったが。

「これもきまぐれな神様のお導きでしょう。可能性が低いからといって諦めることもないわ。リンジー公爵家が後ろ盾になれば、ヘレンをめとりたいという貴族は後を絶たないでしょうし」

たとえ平民であっても、貴族の養子に入れば戸籍上の体裁は整い、貴族とも結婚できる。

社交界へ出れば、元の生まれがどうしても足を引っ張ってしまうが、ヘレンは元伯爵令嬢だ。当時の友人たちとも未だ交流があり、孤立する心配もない。

それがなくとも、リンジー公爵家の後ろ盾さえあれば文句を言える者など限られる。公爵家の権威は伊達だてではないのだ。

エリザベスが推すのも納得だった。

ヘレンのパートナーが貴族に限った話ではあるけれど。

「はい、前向きに検討いたします」

余計なことを言って、エリザベスの機嫌を損ねることもない。

にこりとクラウディアは肯定する。

結局のところ、クラウディアにとっては、ヘレンの幸せが何よりも大切だった。

クラウディアの笑みに何か記憶が引っ張られたようで、ああ、とエリザベスが声を漏らす。

「話は変わるけれど、遂に教会が聖女を認定するらしいわ」

「百年に一度あるかないかという?」

以前、リリスとエリザベスの三人でお茶会をしたときのことがよみがえる。

聖女に認定されるなら、リリスのような人だろうと漠然と思ったものだ。

「もしかしたらクラウディアにお呼びがかかるかもしれないわね」

エリザベスの言葉に食い付いたのはリリスだった。

「クラウディアさんが聖女に!?

「落ち着きなさい、早合点は淑女にあるまじき行為ですよ。教会が修道者以外から聖女を選ぶわけがないでしょう」

「あ……そうですね、すみません」

考えればわかることを指摘され、リリスは肩を落とす。

「だからといって無意味に呼び出すこともないでしょうから、クラウディアは心の準備をしておきなさい」

「はい、前もって情報をいただき、ありがとうございます」

さすがエリザベスというべきか。

王妃とパイプがある分、情報を入手する速さが違った。もしかしたら教会にも個人的な伝手つてがあるのかもしれない。

これまでの情報提供者はシルヴェスターを含め、男性だけだった。それぞれの立場から入手しやすい情報は異なる。ここへ新たにエリザベスが加わったことは、素直に有り難かった。

着実に前へ進んでいる手応えがある。

学生時代は令嬢たちとしか交流がなかった。

今では夫人を筆頭に、身分ある大人たちと会話する機会が増えている。

細々とした葛藤や試練はあっても、クラウディアの日々は順調に過ぎていた。

リリスとエリザベスがすと、侍女たちによってマットが片付けられる。

改めてクラウディアは、ヘレンと向き合うことにした。

エリザベスの提言ていげんについては、話し合っておくほうがいいだろうと、ヘレンへ着席を促す。

「ヘレンの結婚の話が出たけれど、わたくしが求めるのはヘレンの幸せだけよ」

焦らなくていい、と言外げんがいに告げる。

ヘレンが結婚したいときにするべきだと。

クラウディアの気持ちは伝わっているようで、ヘレンは微笑みを浮かべた。

「はい、クラウディア様のお考えは理解しております。ただ……パトリック夫人のお話を聞いて、わたしにも欲が出てきました」

「あら、ヘレンの欲なら大歓迎よ?」

クラウディアに関することしか言わないヘレンが望むもの、となれば、むしろ気になって仕方がない。

ヘレンは居住まいを正すと、真剣な目でクラウディアを見つめた。

深いアメジストの瞳に吸い込まれそうになる。彼女の思いの強さを表すが如く、何重にも色が重なっていた。

「将来、クラウディア様がお子を授かった際には、わたしが乳母になりたいです」

「ヘレン……」

同じ気持ちを抱いてくれていることに胸が熱くなる。

逆行前から今に至るまで、ずっとヘレンは、クラウディアを慈しみ、愛してくれていた。クラウディア自身、血より強い繋がりを感じている。それを改めて実感して思いがこみ上げてくる。

クラウディアの答えは決まっていた。

「もちろん、わたくしのほうからお願いしたいわ。といってもタイミングが合うとは限らないけれど」

子どもは授かりものだ。予定通りというわけにはいかない。

王妃とエリザベスの例もある。

こればかりは、きまぐれな神様に祈るばかりだ。

「はい、わたしも、まずは相手を見付けないとはじまりません」

ヘレンと笑い合う。

幸せがあった。温かい空気が優しく二人を包む。

「どうしましょう、クラウディア様しか見てこなかったので、どこからはじめたらいいのか」

「ふふ、これからが楽しみだわ」

両頬に手を当てて悩む姿が、既に可愛らしかった。