第八章 村に襲いかかる災い
外に飛び出すと、バサッと空気を振動させて動く大きな影に、視界が暗くなる。
「何、あれ……」
それを確認しようと見上げた私は、その空を覆うものの正体に絶句して立ち尽くす。
「チセ……!」
咄嗟に、私とスラちゃん、ソックスと村長さんといった、あまり戦闘に秀でていないとわかる人たちを守るように、アルとメイプルが自分たちの背後に隠した。
「や……!」
私は竜というものは知っている。けれど、それは知識としてのものだった。アル以外の本物を見たことなどなかった。
アルは、村の上を飛び回っただけで、村になんの被害も与えていない。最初は怖かったけれど、私たちに協力的で、すぐにその恐怖心は消え去った。それに、その姿が必要でなくなったらすぐ人の姿をとってくれたのも、「怖い」と思わなかった理由の一つなのかもしれない。
けれど、この竜は怖かった。
心の奥底から湧き上がるような、生存本能から来る恐怖心で、体が震え上がる。
「あっははは! 脆い脆い! 所詮脆弱で矮小な民草。俺の相手になりもしない!」
そこには巨大な黒竜が、宙を舞っていた。
岩のようにゴツゴツとした体表を持ち、その大きな体軀はまるで山のようだ。
口からは黒い炎を吐き、粗末とはいっても村人たちにとっては大切な家を焼いていた。
バサリ、バサリと羽ばたきする大きな翼とその体は、村に巨大な影を落とす。そして、羽ばたきによって生まれる風が、家屋に着火した火を煽っていく。
家を焼き出された獣人や、畑にいたのであろうと思われるゴブリンたちが、ある者は逃げ惑い、ある者は震え上がっていた。村から逃げ出す人々もたくさんいた。
そんな中、何人かの体格の良い若い獣人たちが、血を流したり火傷をしたりと、手負いの状態で黒竜と対峙していた。
「……ひどい!」
私は、その光景に涙が溢れそうになる。
「チセ! 泣いている場合じゃないぽよ! 自分に出来ることをするんだ!」
私はスラちゃんにそう叱咤されたのだった。
「自分に、出来ること……」
目の前に展開されるあまりの光景に、私の思考はぐるぐると無駄な方向へ回転する。
そういえば、私は仲間になった子たちから、いろんな力を継承していた。
目の前で、メイプルが駆け出していた。
「でやあぁぁーー!」
メイプルの体が、フォレストベアのそれに戻っていく。クマの姿になって二本足で走る彼女は、その両手に太くて鋭い爪を伸ばしていた。
「爪……」
私は、彼女からそれを継承していたことを思い出して、鋭利な爪を出して一緒に戦えないものかと願ってみた。でも、一度も使ってみたことも練習したこともないそれは、私の願いを叶えてはくれなかった。
「チセ!」
スラちゃんが私を叱咤する声が聞こえる。
「チセ! 君に出来ることをするんだ! 君には召喚術があるだろう!」
スラちゃんの言葉尻が普通……。
いや、そうじゃない。
「そうだ。私には味方がいる! アクア! シラユキ!」
その、もっともこの場に有効そうな力を持っているアクアとシラユキの名を呼ぶ。
「「お呼び?」」
召喚されたアクアとシラユキが、にこやかな顔で現れたかと思うと、あたりの惨状を見てみるみるうちに険しい顔つきに変わった。
「チセ、これは一体……」
アクアが呆然としたように空を駆ける黒竜と、火のついた家屋を交互に見比べる。
「あれがどうしてこの村に来たのか、理由はよくわからないの。でも、私はこの村を救いたい」
私の言葉に、アクアとシラユキが頷いた。
「私は火のついた家を消火しに行くわ」
アクアがその場を離れて燃える家に移動すると、彼女の力で水を生み出して消火し始めた。
「私は……力が及ぶかわからないけれど、アレに対抗してみるわ」
シラユキは、黒竜がいる方へと飛んでいく。
「ソックス」
そこで、アルがソックスの名前を呼ぶ。
「はっ、はい!」
尻尾を恐怖でブワッとさせたソックスが、アルの呼びかけに答えた。
「お前は男だな」
「う、うん」
「チセや村人を守れ。安全な場所への誘導でもいい。いいな?」
「……わかった」
ソックスの目が、すうっと細くなった。
怯えて膨らんだ尻尾が、元に戻っていく。
「任せた」
そう言うと、アルはメイプルのあとを追うように、黒竜がいる方へと駆け出していった。
「でやあぁぁ!」
ちょうど黒竜が低空飛行になったタイミングで、メイプルが地を蹴ってその爪で肉薄する。
天から注ぐ光を受けて光る彼女の鋭利な武器は、ガキンと金属音を立てて弾かれた。黒竜の体表を覆う鱗の硬さには、彼女の爪の鋭さも敵わなかったのだ。
「なら俺が!」
アルが黒竜の前に姿を見せ、その体を赤竜のものに変えようとした、その瞬間。
「ほう、ドレイクの君が現れなさった。俺の勘はアタリってことですか」
「なっ!? その呼び方に、その声……!」
一瞬、怯んだアルだったけれど、気を取り直してその体を生来のものへと変える。徐々に皮膚の上から硬質な鱗が覆い、人の形は竜の形へと変わっていく。アルの足元から生える影、その面積が増していった。
けれど、彼の体は黒竜の体の一回りか二回りも小さく、体格的には劣勢に見えた。
「……ガルドリード!」
竜型になったアルがその蒼い瞳で、ガルドリードと呼ばれた黒竜を睨め付ける。
私は、はっと思い出す。ガルドリード、それは泉のほとりでアルから聞かされた名前だ。
「これはこれは。お久しぶりです。アルフリート殿下!」
赤と黒、二匹の竜が、空で羽ばたきながら対峙していた。
黒竜に攻撃をしようとその近くに居合わせた、メイプルとシラユキがその情勢を見守りながらも、「アルフリート殿下?」と首を傾げていた。
私たちも、ソックスの背中に守られながら、少し遠くでアルを見守る。
「アルフリート……殿下」
そうして、ソックスに守られている一人である村長さんが、ガルドリードの言葉を聞いて、その名前と敬称を復唱した。
「殿下って……」
私も首を傾げた。殿下って、あの殿下よね?
王族の方々につける、敬称……。
そして、アルフリート、という初めて聞く名前。
「そうです。アルフリート殿下。それが本当だとすれば、あの方は、この国の第二王子であらせられる」
村長さんが説明をしてくれた。
そんな私たちをよそに、竜たちは会話を続ける。
「何を、しに来た……っ!」
「そりゃあ、我が敬愛する殿下のご尊顔を拝しに」
「そんなわけあるか! お前は俺を見下し、さらに恨んでいるはず。そんな理由で来るわけないだろう!」
「おやおや、酷い言いようだ。……まあいい。理由は、お前の大切なものをお前の目の前で粉々にして壊すためさ……俺をこんな立場に貶めておいて、お前が笑って過ごしているなど許せないからな」
「は。化けの皮が剝がれたか。だったら俺自身を相手にすればいいだろう! この村は、こんな仕打ちをされる謂れはない!」
「は、は、は」低い声で黒竜が笑う。
「そりゃあ……お前を絶望させたいからさ。言っただろう、目の前で壊してやりたいと。そして、その心を木っ端微塵に打ち砕いて、生きる希望も何もかも壊してやりたいんだよ! こんな辺境ならば、村ごと滅ぼしてしまえば、第二王子を消したとしても犯人などわかりはしない」
黒竜が、いやらしく笑って、舐め回すように村を見下ろした。
「ああ、話が逸れた。問題はこの村だ。ここは、お前を繫ぎ止めている。なら、それに値する、なんらかの理由があるんだろう? ……そう考えるのが自然だ」
笑ったのかどうかは黒竜の表情から判断するのは難しかった。けれど、アルを傷つけたいと言った黒竜の口の端が、くいっと持ち上がったように見えた。
「アル……いえ、アルフリート様。これに攻撃をしてもいいですか」
フォレストベアの姿のメイプルが、真剣な口調で、怒りに震える声でアルに問う。
牙は剝き出し、鋭利な爪を黒竜に向かって構え、いつでも飛び出したいといった様子だ。
「私も許せませんわ。……これは、排除すべきです」
シラユキが、軽蔑の目で黒竜を眇め見る。
「アルフリート様!」
獣人たちも、これを排除したいと乞うようにアルを見つめる。
「ああ、……やるぞ!」
アルの声を契機にして、一斉に攻撃が始まった。
「
シラユキが片手を掲げると、その手の周りに凍てつく氷柱や雪、氷の塊が顕現する。彼女が黒竜に向けてその手を振り下ろすと、それらが黒竜に向かって勢いよく襲いかかる。
「は! 無駄だ!」
シラユキの作り上げた吹雪を打ち消すように、黒竜が黒炎を吐く。
「きゃっ!」
「危ない!」
相殺してまだ残る黒炎が、シラユキに襲いかかる。
そんな彼女を庇うように、アルが彼女の前に出て、背後に隠す。
「ぐ……!」
竜の鱗が丈夫とはいっても、同種が吐いたブレス。それをシラユキに代わって真正面から受けることになったアルが、呻き声を漏らす。
「アルフリート様!」
「……大丈夫」
その炎が消えると、今度はメイプルと獣人たちが黒竜に向かって駆け出す。
「行けーー!」
大きな掛け声とともに黒竜に群がって、ある者はその翼を切り裂こうとする。そしてある者は、竜の足元に攻撃しようとして反撃を受けそうになり、襲いかかる鋭利な竜の爪から逃れるために、サイドステップで身を躱す。
無謀にもゴブリンのうちの一人が、農作業用のクワを手に持って走り出そうとして、他の仲間に取り押さえられていた。
「次のはどうかな!?」
メイプルは、一人の獣人の肩を借りてさらにもう一段跳躍する。
そして、振り下ろされた彼女の鋭い爪が、黒竜の上瞼から下瞼に向かって赤い線を描く。
「あああああああああ!」
黒竜が、その傷つけられた片目を両手で覆う。
「一匹のクマごときが、俺に傷をつけるなど……!」
そうして、残った片目が、メイプルを睨みつける。その目は怒りに燃えたぎっている。
地面に着地して、まだ体勢を整えきれないメイプルの背に、黒竜の爪が振り下ろされようとしていた。
「メイプル、危な……!」
思わず体が動いて、私はソックスの制止を振り払って前に出る。スラちゃんは、その勢いで私の頭の上から落ちていく。
「チセ……だめだ!」
スラちゃんが私を止めようとする悲痛な声が、背後から聞こえる。
私は無力だ。
意味がないのかもしれない。
みんなの足枷にしかならないのかもしれない。
でも、それでも、私は走った。
──メイプルを、大事な仲間を失うなんて、いや!
ただ、その思いでメイプルに駆け寄る。
まるで、そこからはスローモーションのようで。
「だ……!」
「ダメだ」と言いたいのだろうか。メイプルが駆け寄る私と襲い来る爪を見比べて、目を大きく見開いた。
私はメイプルに向かって手を伸ばし、助けたいと、それだけを願う。
「チセ、馬鹿! こっちへ来るな!」
私を見たアルが、私の方へと体ごと向きを変える。
それはちょうど、黒竜へ背を向ける体勢で。
それを見た黒竜が、無防備なアルの背中に向かって呟いた。
目前の敵に背を向けるという、ありえない行為を見て黒竜が笑う。
「ふうん。ソレか」
黒竜がバサリと大きく羽ばたくと、アルの上を飛び越え、私へその手を伸ばしてきた。
「……え?」
私は、黒竜に鷲摑みにされた。
私を囚えた黒竜が、また一段高く空へ舞い上がる。
「「「チセ!!」」」
スラちゃん、ソックス、メイプルが叫ぶ。
「「チセ!」」
シラユキとアクアも、目を見開いて私を見ていた。
「「薬師様!」」
「「「聖女様ーー!」」」
村長さんや、獣人、ゴブリンたちも黒竜に囚われた私を見て、口々に叫んでいる。
「はーん。やっぱり、コレか」
私を囚えた黒竜が長い首を曲げ、口の端を上げて私を片方の目で見下ろす。
そして、ギリ、とその手に力が入る。
「……くる、し……」
私はその力に体がへし折られるような圧迫感を感じた。私を囚える手は大きくて、胸は苦しくて息を吸うのも困難だ。もっと力を込められたら、内臓はどうなってしまうのだろう?
幾らかでも抵抗しようとして、自由になる両手で、その縛めを解こうと抵抗するけれど、メイプルから継承したはずの爪も効果を発揮しない。私自身の猫の爪が硬化しても、その手に食い込みもせず、ほとんど無力だった。
──怖い。
生存本能が、私の頭の中でアラームを鳴らし続ける。
目を開くと、景色が霞んで、私の目に涙が滲んでいるのがわかる。
「助け……」
情けない。
そう思いながらも、私は仲間に手を伸ばした。
「チセ! くそっ!
アルの周りに、たくさんの矢が浮かぶのが見えた。そして、それらが飛来する。
「はっ。そんな矮小なもの、効くか!」
ガルドリードは軽く嘲笑うと、黒竜はさらに高度を上げる。大きな体とは思えないほど軽やかに、言葉どおりにそれら全てを避けていく。
「チセを、返せえぇぇーー!」
アルが叫ぶ。
そして彼は、私を囚える手に向かって急上昇してくるのだった。