第七章 不思議な気持ち
私たちは、村の人たちに一泊の宿を借りて、翌日の朝森へ帰ることにした。
一旦の別れを告げ、ゴブリンたちの見守りについて念を押してお願いして、村をあとにした。
今は、アルと一緒にみんなで森のアトリエへ向かっている途中。
まだまだお日様は天頂に昇りきってはいない。
先頭はメイプル。
彼女は、村人たちからもらったたくさんのお礼を詰め込んで、パンパンになったショルダーバッグを斜めがけにして運んでくれる。
スラちゃんは、定位置(?)の私の頭上でぷるぷるしてる。
そしてソックスはメイプルの後ろで草笛を吹きながら歩く。
最後に私とアルが、道の幅に合わせて真隣になったり斜めにずれたりしながら進んでいた。
「なあ、アトリエって遠いのか?」
大したことも確認せずについてきたアルが、今更ながらに目的地までの道のりを尋ねてくる。
「うーん、そこまで遠くはないわね。お昼くらいには着くと思うわ」
「じゃあ、アトリエでチセごはんかにゃ!?」
前をゆくソックスが、くるんとこちらに振り向いて、期待に満ちた目で見つめられる。
「そうね。きっとアトリエに着く頃にはみんなお腹が空く頃よね。何か簡単に作れるものでお昼にしましょう!」
私はソックスの期待に沿うように返答をする。
「チセごはんは、美味しいな~♪」
すると先頭を行くメイプルが、嬉しそうに「ごはん~♪」と唄い出した。
「そんなにチセは料理上手なのか?」
周囲の様子を見て、興味を持ったらしいアルがみんなに尋ねる。
「チセのごはんは美味しいぽよ~。フワシュワパンケーキだったり、野菜を詰め込んだ丸鳥だったり! ただのスープでも、味わい深くて美味しいんだぽよぉ~」
頭上から、ジュルッとよだれが垂れそうな音がしたのにヒヤヒヤしたけれど、なんとか自分で止めてくれたようだ。幸い、よだれ被害に遭うことはなかった。
ちょっとスラちゃんの定位置、変えてもらおうかしら?
そうは思うものの、なんだか、ぽよぽよとしたゼリー質の彼が頭に乗っているのが、すでに私にとっても当たり前になってしまっている。
やめてもらうと寂しくなりそうだったので、口にするのはやめることにした。
「なんだか美味しそうだな。な、チセ。昼食、俺も食べてみたいんだけれど、いい、かな……?」
一緒に同居すると決めたのだから当たり前なのに、わざわざ遠慮がちにアルが私に尋ねてくる。
「ん? だって、もうアルもアトリエの住人でしょう? 当然人数に入っているわよ?」
「当たり前でしょう」と言うようにアルにサラッと返すと、アルが嬉しそうに笑う。そして、少しこそばゆいかのように後頭部を搔いた。
「……なんか、嬉しいな」
柔和に微笑むアルの表情は、なんだかとても幸せそう。
とってもささやかなことだと思うのに。
アルって意外に──いや、やめよう。
まだ出会って日の浅い彼の価値観なりを、勝手に決めつけるような真似をするのは失礼よね。
「ふふ。じゃあ初めての人もいるから、腕によりをかけて作っちゃおうかな!」
頭の中の思考を振り払うように、えいっと空に向かって片腕を伸ばして宣言すると、他のみんながわっと沸いた。
「じゃあ、途中で何か食べられる鳥を見つけたら狩ろうか?」
「うん、助かるわ!」
アルが提案してくれたので、お願いすることにした。
結局、途中でトコトコ歩いている鶏がいて、アルが
そうこうしているうちに森のアトリエに到着した。
「到着~!」
私はポケットからアトリエの鍵を取り出して扉を開ける。
初めてアトリエを見るアルは、アトリエの周辺をウロウロしては、その外観を見て回っているらしい。
まあ、ここが自分の住まいになるのだから、気になるのも当たり前なのかもね。
「アル。中に入ってちょうだい。あなたの部屋に案内するわ」
入り口のところから、まだ外観を見ているアルに声をかける。
その声に「悪い」と言って、アルが走ってやってきた。
そういえば、そもそも個室の部屋割りの説明ってしてなかったわね。
アトリエの奥の方に、通路を隔てて左右に部屋が二個ずつ、計四部屋あるの。
そして、向かって左側がメイプルと私の部屋、右側がソックスの部屋と空き部屋となっている。
ちなみに、スラちゃんは特に部屋を持つでもなく、私とともにいるか、リビングで寝るのが常だ。
さらに奥には、湯浴みをするための浴室や、お手洗いなどがある。
おっと、話を元に戻さなきゃね。
玄関から入って、アルにリビングなどの共有部分の説明をしながら、奥にある個人の部屋まで案内する。
「ここから、順番に、メイプル、私、ソックスの部屋ね。ここが一つ空いているから、あなたの部屋にしようと思うの」
私はそう言いながら、未使用の部屋の扉を開けてアルに見せる。
「小ぶりだけど、いい部屋だな」
アルは、部屋の中に入ると窓を開けた。
「すごい、鳥たちの声だ」
「うん。朝はもっとすごいわよ」
「じゃあ、自然に起こしてもらえるな」
アルは身を乗り出して、外を見回す。
そして振り返ったその表情は、満面の笑顔。
よかった。気に入ってくれたみたいだわ!
アルには、備え付け(なぜかある)の寝具などを日に干すなど、自分の部屋のメンテナンスをするようにお願いしておいた。
そのお手伝いはソックスに依頼。
そしたら、なんだかソックスがとっても張り切っていて、その姿が可愛らしい。
私は、新たに自分にあてがわれた部屋のメンテナンスをしているアルを置いて、リビングに戻る。
すると、メイプルがショルダーバッグに入れて運んできてくれた食材は、メイプル自身が「お手伝い!」と言って、食料保管庫などにしまってくれていた。
それが終わると、アルが獲ってくれた鶏を捌きに屋外に移動したようだ。
スラちゃんは、久々の我が家のソファというところなのだろうか。
いつの間にやら私の頭から飛び降りて、リビングのソファに移動していった。
お日様の位置も天頂に近く、窓から日が差し込むこともない。
そう。お昼が近いということだ。
さてと。私は、みんなにお昼ごはんを振る舞わなきゃね。
私はエプロンをつけて、袖をまくる。
トマト、玉ねぎ、ニンニク、鶏肉、卵。
そして、昨夜村で振舞われた時に教えてもらった、ご飯のように食べられるという飯麦。
ぱっと見は、前世で言うところの丸麦という感じだ。
これを前世での米代わりに使って、料理をすることにした。
「まずは、トマトを煮詰めて……」
トマトソースを作りたかったので、煮詰める時間を考えて、早速取り掛かる。
トマトのヘタの部分を取り除き、ざく切りにする。
本当はトマトの皮は湯むきをしてもいいのだけれど、皮があってもいいでしょう。
大きめのフライパンにざく切りにしたトマトと、みじん切りの玉ねぎとニンニクを入れる。
そうしたら、サラちゃんの出番だ。
「サラちゃ~ん! 火をお願い!」
「頑張るよ!」
すると、火の精霊のサラマンダーことサラちゃんが現れて、竈に入って火を起こす。
コンロは三つあって、サラちゃんが下で火を起こす。
その三つの出力先は、オンオフを切り替える捻るタイプのスイッチがあるので、フライパンが置いてある口だけ、オンにする。
火元は一つで、出力先が三つ。便利よね。
さて次は……。
大きめの鍋を棚から下ろし、「さてお水」と思ったところで気がついた。
ん。そういえば今日は、お水汲みにも行っていないから、お水がないかぁ。
水汲みは日課にしようと思っていた。
だけど、今から汲みに行っていたら、お昼時だと言うのに、みんなのお腹はペコペコのままよね。
「アクア!」
今私が欲しいものを自在に操れる存在の名を呼ぶ。
「呼んだ?」
にっこりと微笑みながら、水の精霊アクアが姿を現した。
「料理用のお水を出して欲しいのよ。お願い出来るかしら?」
そう言って、私は大きな鍋を指し示す。
「あら。それは私には簡単すぎるくらいのお願いだわ。それっ!」
ふふん、と鼻を鳴らし、得意げな顔をしてアクアが鍋に向かって腕を伸ばす。
すると、ザアッと音を立てて水が渦になって鍋を満たした。
「わ! あっという間! アクア、すごいわ!」
私は、思わず目が丸くなる。
以前お願いしたビーカーを満たす時と、水の量と勢いが違ったからだ。
そして、あっという間に鍋になみなみと水が満たされる。
「ありがとう、アクア!」
私の指先に飛んできて座ったアクアに、そっと頰の近くにキスをする。
アクアはくすぐったそうにしながら、近くでフツフツしだしているトマトを覗き込む。
「お礼はジャムで……って言うところなんだけれど、チセは今、何か食べ物を作っているのよね?」
鼻をひくひくさせながら尋ねてきた。
「うん。今日はオムライスを作ろうと思っているの」
「おむらいす……」
うん。この世界にはないよね。
アクアが首を傾げていた。
うーん。精霊にオムライスを勧めてもよいものだろうか?
ちょっと悩んだものの、アクアは興味深そうにしている。
「……アクアもちょっと食べてみる?」
「いいの!?」
ぱあぁっとアクアの表情が明るくなった。
「ちょっとー。アクアだけってズルくない? 僕を忘れないでよー」
竈で火を起こしてくれているサラちゃんから、クレームが入る。
「じゃあ、試しに少しずつ食べてみる? お腹が痛くなったら大変だからね!」
そう尋ねると、「「やった!」」という合唱が聞こえた。
彼らはとても小さい。
二人とも手のひらサイズなのだ。
彼らの分を作るのは、手間にもならないだろう。
とすると、冷蔵庫の氷の精霊のシラユキの分も、用意だけはしておいた方がよさそうね。
そう決まったところで、私は調理に戻る。
トマトソースになる予定のトマトは、中火で小さくフツフツしているので、まだ放っておいて大丈夫。
飯麦をアクアが出してくれた水で洗って、水切りをしてから、鍋に入れて水を入れて炊く。
教わった調理方法はこれだけ。
むしろ、前の世界でご飯を炊くタイミングを見分ける方が、難しかったんじゃないかしら?
煮詰まってきたトマトソースに、砂糖代わりの蜂蜜や塩、胡椒を入れて味を調整する。
じゃーん!
なんちゃってケチャップの完成!
そうして飯麦が炊ける前に、小さく切って塩をまぶした鶏肉に軽く火を通して。
そこに、炊き上がった飯麦とケチャップを足して炒める。
ケチャップライスが完成!
ちょうどいい形の器で形を整えたケチャップライスを、お皿の上に載せる。
「そろそろお昼が出来るよ~!」
あとは時間との勝負なので、大きめの声でみんなに声をかける。
わらわらとリビングに集まってきたみんなが、漂う食欲をそそる匂いに鼻をひくひくさせる。
「いい匂いにゃん!」
目を輝かせているソックスには、シルバーの準備を。
「手伝う!」と張り切っているメイプルには、出来たお皿から順に並べて欲しいとお願いする。
アルは……今日はお客様かな?(笑)
椅子に座って待っていてもらった。
スラちゃんも、ポヨンとテーブルの上に鎮座して場所を確保してる。
あとは塩胡椒を振った卵を溶いて、人数分のオムレツを順番に作って。
もちろん、オムレツの中身はトロトロでいきましょう!
それをお皿に盛ったケチャップライスの上に載せていく。
メイプルが、それを運ぶ。
精霊さんの分は、味見用の小さなお皿に、小指の先くらいのケチャップライスをのせて、スクランブルエッグを少しずつ載せた。
手のひら大の器に、ケチャップを入れて、スプーンを添える。
よし! これで、オムライスの完成ね!
「これ、なんだにゃ~!」
そうソックスが叫ぶ中、みんながテーブルについて、目を輝かせていた。
そんなソックスに並べてもらったシルバーは、ナイフとフォークとスプーン。
ナイフとフォークで十分だと思うけれど、「スプーン!」と一部から言われそうな気もしたのよね。
「これはね~。オムライス。そして、こうするのよ!」
私が、左手にフォーク、右手にナイフを持つ。
フォークを添えて、自分の前のお皿に載った楕円形のオムレツを、動かないよう固定する。
そして、ナイフの刃を当てて、ゆっくりと左から右へと切れ目を入れていく。
つるりとなめらかな卵の表面に、ぷつり、と切れ目が入る。
そして、中から、とろりとした半熟卵が溢れ出る。
溢れ出た柔らかな卵が、ケチャップライスの上に流れて覆う。
「うわぁ!」
「おおー!」
「なんにゃ! これ!」
それぞれから、歓声が上がる。
みんな見たことがないのだろう。驚きで目がまんまる。
「さ。みんなもどうぞ。ああ、スプーンだけでも食べられるからね。これじゃなくても大丈夫よ」
私は手に持ったフォークとナイフをかざしてみせる。
「それと、この赤いソースは、味が物足りなかったら、各自上からかけてね」
ナイフとフォークを皿の上に置いてから、ケチャップの入った器を指し示す。
「いただきます」
私が言うと、それに促されたように、皆が、「いただきます!」と食事前の感謝の言葉を口にする。
そのあと、真っ先にスプーンを右手に持つのはスラちゃんだ。
「美味しそうぽよ~!」
ゼリー状の体から、みょんと伸びた手にスプーンを持って、器用にオムレツを破りだす。
「うんまぁぁぁ!」
そして、一口食べて絶叫した。あ、ごっくんしたあとね。
みんながそれぞれ好きなカトラリーを手にして、オムレツを破り、食べ始める。
「とろとろだよ~!」
「ボクは、この少し甘ずっぱい味付き飯麦が好きにゃん!」
それぞれに感想を漏らす。
おおむね、好評みたいで、私も自然に口の両端が持ち上がってくるのを感じる。
そして最後に残ったのはアルだ。
「……これは、初めて見るな……」
アルが驚いた様子で呟きながら、両手でナイフとフォークを持つ。そして、私がしてみせたようにナイフでオムレツを割っていく。
私は、アルの所作を横目で見ながら、カトラリーの扱いが綺麗だな、と思った。
十五歳前後の男の子、ということを考えれば、もう少し音を立ててしまうとかが、ありそうなものではないかと思うんだけど。
けれど、彼は違うのだ。
やっぱり、良いところの出とか、身分が高いのかなぁ?
勘ぐりをするというわけではないけれど、そんな印象だ。
こういうのって意識すれば身につくとはいえ、
あ。また考えてる。
そんな私の感想は置いておいて、アルだ。
彼が左手に持ったフォークを、器用にくるりとひと回転させる。
そして、ナイフで補助しながら、フォークの腹に飯麦と卵を載せる。
それを口の前まで運んで、口を開けて、フォークの上に載せた物を口に運ぶ。
やっぱり綺麗。
やはり彼は、良いところの子なんだろう。
前世確か二十九歳(うろ覚えになりつつある)だった私が、自分より年下の、少年を見る目で判断する。
時々何か迷いでもありそうな、微妙な表情をアルは見せるから、機会があったら……いや、彼が漏らしたい時に聞き役になろうかな。
私はそんなことを思いながら、オムライスを食べるのだった。
そうして、オムライスは「また食べたい!」とのリクエストをいただきながら、食事の時間も終わって後片付け。
スラちゃん以外には、自分のお皿は自分で洗い場に持っていって欲しいとお願いした。
そして、メイプルがお皿洗いを申し出てくれたので、彼女と私が呼んだアクアにお皿洗いをお願いする。
ちなみに、スラちゃんも、「僕がパクリとしてモニョモニョすれば、お皿綺麗になるぽよ!」と申し出てくれたけれど、それは丁重にお断りした。
スラちゃんは、不服そう。
いや、確かに綺麗になるのかもしれないけれど、私の気持ち的にNGなのよ。ごめんなさい。
え? やだよね?
そしてお昼ご飯のお片付けも済ませた。
とすると、次は村長さんに頼まれている、追加のポーションを作らないとね。
それには、まず素材になる薬草を採りに行かないといけないわね。
「私はこれから泉に薬草を採りに行くけれど、みんなはどうする?」
私が尋ねると、スラちゃんがポヨンと私の頭の上に乗る。
「僕はいつもチセと一緒ぽよ~!」
そう言ってポヨンポヨンと揺れる。
「ボクはチセの護衛係だからね!」
ふんっ! と鼻息も荒く胸を張るのは、メイプル。
いつの間にライバルになったのやら。
メイプルがチラリとソックスを見て唇の片端を上げて、自分の優越性を誇っている。
喧嘩はやめようねー。
内心ハラハラして見ていたら、ソックスの髭がしゅんと下がる。
あららら。尻尾も下がった。絶対これ、落ち込んでるやつだわ。
「僕は強くないから、一緒に行くのは違うのかにゃん?」
そうじゃない、と否定の言葉を求めるように、私のすぐ前に来て上目遣いに尋ねてくる。
もー。しょうがないなー。
ちなみに、そんなことを心の中で呟いているけれど、私はソックスのそんな姿も愛おしい。
自分も猫獣人だけど、ソックスの場合はもっと猫のパーツが多い……というか、猫が二本足で立って歩いているようなものである。
いわゆる猫が感情を表す仕草を、自然に出すから、前世猫好き人間だった私には愛おしくて仕方ない。
よしよし、とソックスの頭を撫でてから、指を立てて彼の片側の顎をカリカリと搔いてあげる。
猫はここが好きなのだ。
「んにゃ~」
案の定、ソックスが目を系のように細める。
なんだか、搔いている喉から、くるくるという響きまでする。
うん、気持ちよくて、ご機嫌も良くなったらしい。
「ねえ。ソックスは、私にとって大事な森の道案内役よ? 一緒に泉にまで行ってくれると嬉しいわ」
顎の反対側に指を移動させながら、彼に説明する。
「じゃぁ……僕も行くにゃん!」
細めていた目をパチン、と開くと、その目には喜色が浮かんでキラキラしている。
じゃあ、決まり……っと?
「俺、どうしたら……。出来たら同行したいんだが」
アルが、ソックスの横から遠慮がちに尋ねてくる。
なら来ればいいと思うんだけど。
いや、それは冷たいかしら?
この私の情緒のなさが、前世で彼氏いない歴イコール年齢の原因だったのかしら?
まあ、そこは置いておいても、ちょっと優しくないよね。
「だったら、アルも一緒に行こ!」
私は、思い直して笑顔を作り、彼の片手を掬い取る。そして、その手をぎゅっと握った。
あれ。あったかい。
男の子の手って、なんか、骨もしっかりしてるし、厚みもある。ざらつくのは剣ダコと言うやつかしら?
前世の記憶ゆえか、少年としか認識していなかった相手に、不意に異性なのだということを意識する。
思わずじっと繫いだ手と手を見つめてしまう。
あれ?
耳が熱い。
頰も、なんだか火照ったように熱い。
や。ちょっと待って。私は一応前世で二十九歳まで生きてたんだから!
心の中で叫ぶものの、顔の火照りは収まらない。
こそっと目線を上げて盗み見るように彼の顔を見ると、私の視線に気づいた彼が、お日様のように笑う。
ど、どどどどうしようーー!
私は再び視線を彼から外す。
心臓が早鐘のように打ってうるさい。止まれ! 心臓!
いや、止まっちゃ困るのか。
私は、彼にかける言葉も見つからなかった。
すると。
「行こう」
アルが、あっさりと、軽やかに、私にそう告げて。
次にすべき行動を切り出してくれた。
「あ、そ、そうだね! みんなも、行こう! あ、メイプルカゴ持ってくれる?」
わざとらしくならないように、そっと繫いだ手を離す。
そして、私はアルの視線から逃れるように、体ごと他のみんなの方へ向き直した。
ぎゅっとスカートを手で摑むのは、なんだか繫いだ手のひらが汗ばんでいるような気がしたから。
幸いみんな割と鈍感なようで、私のそんな心の中の葛藤には気づかないらしい。
「オッケー! 荷物持ちはボクに任せて!」
「薬草摘みのカゴくらい、僕でも持てるにゃん!」
メイプルとソックスが、「役に立つんだー!」と争っている。
「じゃ、行こう。ほらそこ、喧嘩してないでチセの言うこと聞けよ?」
アルが、そんな二人を注意して、私の指示に従えという言葉で喧嘩を収めてくれた。
そして、彼が私の肩を軽く、ぽん、とする。
「行こう」
もう一度、お日様のような笑顔が私に向けられて。
「うん」
私は、恥ずかしさにはにかみながらも、アトリエを出る準備を始めるのだった。
そうして私たちは、みんなで以前水汲みと薬草摘みをした泉に向かった。
「着いたぽよ~!」
「へえ。ここがチセの言っていた泉か。確かに綺麗だな」
私の頭の上に乗っていただけのスラちゃん、そして、アルが、目の前に姿を現した泉に、歓声を上げる。
今日も良いお天気なので、お日様を水面が反射して、キラキラと輝いている。
優しい風が頰を撫でていく。
ここは相変わらず心地がよい。
まあ、そこは置いておいて。
「薬草を集めるの手伝ってくれるかな?」
また、「何をしたらいいか」とか、「僕が」「ボクが」と争わないで済むように、先手を打ってお願い事をしてしまうことにした。
まずは、初級ポーションの素材の、癒し草、苦味取りの実、中和の葉が必要ね。
「スラちゃん。これが、癒し草よ。こうやって、原っぱのどこかに生えているから、探してくれるかな?」
「任せるぽよ!」
まずスラちゃんに、地に生える薬草採取をお願いする。
「ソックス。これが苦味取りの実よ。こうして低木に実っているはずだから、見つけたら集めて欲しいわ」
「了解! 僕に任せて!」
メイプルよりも背の低いソックスには、実の採取をお願いする。
「メイプル。木登り出来るかな?」
「もっちろん!」
メイプルから、頼もしい返事が返ってくる。
「なら、中和の葉を集めて欲しいの。あそこに、立っている木があるでしょう? あれが、中和の葉が茂る木だから」
そしてアルと私は、と。
実は頼まれたのは、初級ポーションだけなんだけれど、開墾作業をするゴブリンたちが疲れた時のために、もっと手軽な疲労回復ポーションが作れたらいいな、と思っていたのだ。
うーん。
「材料は……」
私は頭の中から、その情報を探し出す。
「リッカの葉と、中和の葉、あとはカルカルの実か……」
材料名を呟く私を見て、アルが驚いたように目を瞬かせる。
そ、そうか。普通に考えれば、薬の材料をポッと思い浮かべられるっていうのは、すごそうに見えるよね。
「あ、うん。前に頭で覚えて、それを思い出したのよ」
噓は言ってないよね。
多分、神さまに頭に知識を入れられて、今、それを引き出したんだもの。
うん。噓じゃぁない。
「そっか。すごいな。俺に手伝えることは?」
アルが私の答えを聞いて、目を細める。
そして、よしよしといった感じで、頭を撫でられた。すると急に、頰が熱くなるのを感じる。
「あ、アルには、リッカの葉を集めて欲しいんだけど……」
私は、火照った頰を隠すように手を添えながら、あたりを見回す。
「あ、あった!」
私が低木に茂るリッカの葉の元に歩いていくと、アルがそのあとをついてくる。
「これか。どれくらい要り用だ?」
「うん。これを、このザルいっぱいに集めて欲しいの。摘むのは、出来るだけ元気で柔らかい若い葉にして欲しいわ」
そうお願いしながらザルを手渡すと、アルが爽やかに笑う。
その口から覗く白い歯は彼の健やかさを表すかのように眩しく映る。
木々の合間から差し込む日差しに照らされた彼の髪は、一段明るく
爽やかな美少年って、こういう人のことを言うのかしら。なんだか前の世界のゲームや小説の登場人物や、俳優さんに出くわしたら、こんな気持ちになるのかな。
一度意識したら、ことあるごとにぶり返してしまう。
それはまるで治療しえない病のよう。
私は手渡していたザルを、半ば押し付けるようにして、アルから視線を外すために、体ごと向きを変える。
「さてと! 私はカルカルの実を探さないとね!」
そうしてアルの元を離れた。いや、逃れたといった方が正しいのかもしれない。
──もう! 私は前世で立派に成人女性してきたじゃないの!
そういう趣味はないのだ、と制御不能にでもなりそうな自分自身の心を叱咤するのだった。
そうして私たちは、必要な素材を集めてまわる。
「そういえば、今日はちょっと薬草さんたち、元気がないのよね」
私はカルカルの実を摘みながら、ふと目線をその葉に移す。
今日は良いお天気だというのに、葉っぱたちは幾分へなっとして元気がなかったのだ。
「どうしたぽよ?」
私が思い悩んでいると、近くを通りかかったスラちゃんが私に問いかけた。
「なんかね、ちょっと葉っぱに元気がないかなぁって思って……」
私は、気にかかったことをスラちゃんに相談してみることにした。
スラちゃんって、いつもは能天気そうにしているけれど、ここって時には意外といい提案をくれるのよね。
スラちゃんが地面を蹴って私の頭の上に乗る。そして、ぐるりとあたりを見回した。
「確かに、チセの気にしているとおり、元気がないぽよ」
うん、と頷く代わりに、ぷるんと震えた。
「どうしてなのかしらね?」
私は今まで実を摘んでいた低木に茂る葉っぱに触れてみた。
【カルカルの木】
詳細:なんか元気がないね。萎れているのかもしれないよ?
心配して見ていたら、鑑定が発動してしまったらしい。そして、鑑定さんは「萎れている」と言っている。
「……と、いうことは」
萎れているなら、お水やりよね?
「ねえ、スラちゃん。この葉っぱたち、萎れちゃっているみたいなのよね。お水をやったらどうかなって思うんだけど」
「うん、それはいいんじゃないかぽよ? 最近雨が降っていないから、水が欲しいのかもしれないぽよ?」
スラちゃんがプルプルと震えた。
「でも、私はジョウロも何も持ってきていないのよ。こんなに広い場所にお水を撒くなんてどうしたらいいのかしら?」
「そこは、水のエキスパートに聞くぽよ!」
エキスパート……。
水……。
「あっ! アクアね! アクア、来て!」
彼女に相談すればなんとかなりそうな、明るい気持ちになって、私は両手を広げてアクアの名を呼んだ。
「はぁい! チセ、何かご用?」
水色の髪を靡かせて、アクアが私の目の前に現れた。彼女はふわりと宙に浮かんでいる。
「あのね、相談に乗って欲しいのよ」
「あら、珍しいわね。どうしたのかしら?」
そんな言葉とは裏腹に、アクアは機嫌が良さそうににこやかに笑って身を乗り出してくる。
「あたりの植物の葉っぱたちの元気がないの。最近雨が降らなくて萎れているかもしれない。お水のエキスパートのアクアなら、何かいい解決方法が思い浮かばないかしら?」
私が尋ねると、「なぁんだ」とでも言いたそうな顔をした。
アクアがトンと自分の胸を叩く。
「それなら、水の精霊の私の出番よ! すごいところを見せてあげるわ!」
くるりと一回転してから、アクアが空高く舞い上がった。
「水の妖精たち、出番よ。みんな出てらっしゃい! 私のご主人様のチセが、優しい雨をお望みよ!」
すると、空に舞ったアクアの周りにたくさんの水色の球体がぽうっと浮かんで、彼女を囲む。
アクアが両手を広げて天に掲げる。
「
空には雲一つない。
それなのに、さぁっと音がして、優しい霧のような雨が空から降ってきた。
その雨粒たちは、天の光を受けて銀色に光ってあたりの植物たちを濡らしていく。雨に濡れた葉っぱも、陽の光を受けてキラキラと輝きだした。
「わぁ……っ!」
急な雨に、私はスラちゃんと一緒に木陰に避難した。
違う場所で採取作業をしてくれているみんなも、それぞれ雨宿りが出来そうな場所へ移動していた。
アクアと水色の水球のような妖精たちは、雨が嬉しいのか、すごいことをした誇りからなのか、楽しそうに空中をくるくると舞っている。
徐々に萎れて元気がなかった葉っぱたちが、天の恵みを受けてその色味を少し増していった。
「みんな、元気になあれ!」
私は、雨宿りをしながら、その雨たちに祈りを込めた。
すると、雨が銀色から淡い金色に変化する。
しゅんとして萎れていた葉っぱが元気を取り戻し、くいっと葉先が持ち上がる。
「うわぁ!」
私は、見上げた先の光景に思わず歓声を上げた。
青空には、大きな虹が出来ていたのだ。
魔法の雨が太陽の光を受けて七色の半円を描く。
「スラちゃん……!」
「きれいだぽよ……!」
木々の合間から見えるその虹を、スラちゃんと一緒に見上げてため息をつくのだった。
やがて、徐々に雨がやんでいった。
「これで大丈夫かしら? それにしても、チセの願いの力はすごいわね。びっくりだわ」
ふわりと飛んで、アクアが私の目の前まで降りてきた。
「私の力なの?」
「そうよ。私たちは、あなたの望みどおりに雨を降らせただけだわ。でもそこに、あなたの願いが込められたから、植物たちもあんなにすぐに元気になったんだと思うわ」
「ふふっ」と笑ってアクアが私の周りを一回りした。
「チセはすごいわ。ますます好きになっちゃう」
アクアは私に近寄ってきて、私のおでこにちゅっとキスをする。
「じゃあ、またね」
「ありがとう、アクア!」
私は大きく手を振って、アクアと妖精たちが消えていくのを見守ったのだった。
◆
「なあ、チセ」
カルカルの実を摘んでいると、アルに背後から声をかけられた。
「どうしたの?」
用向きを尋ねると、摘んだ葉が私の希望どおりなのか、確認をしに来てくれたそうだ。
「これで大丈夫よ。ありがとう」
アルの選んでくれた葉は若くて瑞々しく、きっと良い薬品になってくれるだろうと思えた。
「少し、休憩しましょうか」
感謝の気持ちから、私は彼に息抜きを提案した。
木漏れ日を受けて、泉は小さな宝石をちりばめたようにキラキラ輝いている。
私自身も少し、それを眺めながら休憩をしたかった。
「んーー!」
泉の周りに生い茂る青々とした草は、すでにすっかり乾いている。だから、私たちは彼らを絨毯代わりにして二人で腰を下ろすことにした。
私は両手を上で組んで大きく伸びをした。
すると、伸びをしたタイミングで広がった胸に新鮮な空気が一気に入ってきて、清々しい気持ちになった。
そんな私の仕草を見て、アルがパチパチと目を瞬かせる。
「これ気持ちいいわよ。アルもやってみて!」
「そう? やったことがないけど……」
「息を吐いてから、こうやって両腕をうーんと伸ばして……大きく息を吸うの! そうして、だらーんと手を下ろして大きく息を吐き出すのよ!」
アルが見よう見まねで伸びをする。
「はーーっ」
そして、私と同じように大きく息を吐き出した。
「ここの空気は美味しいな」
「でしょう?」
「それに、今チセが教えてくれた方法は、無駄に入った力が緩む」
そう言って、アルは下草の上にゴロンと寝転んだ。
「俺はチセの言うとおりにしたんだから、今度はチセも横になれよ」
「それもいいかもね」と思って、アルの誘うとおりに私も草の上に横になった。
下草たちは私の体を柔らかく受け止める。そして、その瑞々しく力強い青い香りが私の鼻腔を刺激する。
アルは、ゴロンと大の字になっていたけれど、私はスカートだったと思い至って、足を閉じて腕だけを軽く伸ばした。
「んー。気持ちいい!」
真っ直ぐ見上げた先は木立の葉が折り重なっていて、その合間から青空が覗く。
その上を白い雲がゆっくりと流れていく。
その光景は青い画用紙に白いクレヨンで描いたよう。
──おとぎ話の世界のようだわ!