そこにいたのは二本足で立つ猫さん。

 顔は白黒のハチワレ。

 四本の脚は、全てソックスを履いたように白い。

 森を映すような両の緑色の瞳は、ビー玉のように澄んでいる。

 その頭にかぶるのは、ちょっとくたびれた、落ち着いた赤い色の帽子。そして、飾りなのかその帽子に一枚葉っぱを挿している。

 猫の妖精、ケットシー……かな?

 私は、頭の中にある知識から予想した。

「あなたは、ケットシー?」

「そうだにゃん! お前はそれで何を作るんだにゃん! しかも、スライムや小鳥たちと仲良くしていて怪しいにゃん!」

 どうも、私と小鳥のやりとりを見て、気になってやってきたらしい。ケットシーが好奇心の強い妖精だというのは本当みたいね。我慢が出来なくなって、姿を現したのだろう。

 ふふ。お客様、一名追加ね。

 ケットシーは、後ろ足二本で立っている。白黒のハチワレ(額が八の字に色分けされていること、顔は白い)はバランスが良く、美猫さんと言えるだろう。

 可愛い! ぜひ仲良くなりたいわ!

 だから、私はしゃがんで互いの目と目を合わせる。

「あのね。これからパンケーキを焼いて、バターとこのベリーを軽く焼いたものを載せるのよ」

 パンケーキというものの説明を含めて丁寧に説明をすると、ぼんやりと想像するかのように虚空をぼんやり見つめていたケットシーの口が緩み、つーっと一筋よだれが垂れた。

「はっ! 紳士たる僕としたことがっ!」

 前足でゴシゴシと口元を拭った。

「素敵なお客様? よかったら、ブランチをご一緒しませんか?」

「ブランチ?」

 初めて聞いたのだろうか、ケットシーが首を傾げる。彼にもわかるように説明するために、私は空にいるお日様を指さす。

「朝食と言うには遅すぎて、といってもお昼にはまだ早いでしょう?」

「うにゃ!」

 ケットシーは、好奇心で目がまんまるになっている。白い髭も前のめりになっている。これは猫さんの『楽しい、嬉しい』の証だわ!

「そういう時に、朝食と昼食を一度にとる、ちょっと贅沢な食事をブランチって言うのよ」

 そう説明し切ると、どうですか? とばかりに私はケットシーに手を差し出す。

「楽しそうにゃん! 僕はお呼ばれするにゃん!」

 私の手の中に、ちょこんとクリームパン形の前足が載せられた。猫の前足って、クリームパンみたいと思うのは私だけじゃないよね!

 私は、ケットシーをエスコートして我が家へ招き入れる。帽子は玄関で脱いで、帽子掛けにかけてあげた。そのあとは、テーブルに座って待ってもらった。

「湯ざましでごめんなさいね。あとでハーブティーを淹れましょう」

 そう言って、喉が渇いているかもしれないケットシーに、まずはコップに入れたお水を提供する。

「気が利いてるのにゃ」

 ケットシーは言葉どおりにご機嫌なようだ。だって、お髭がずーっと前を向いたまま。そしてきれいに真っ直ぐ伸びた先っぽだけが白いしっぽが、ゆらゆらと揺れている。

 ではでは。

 今日はお客様をお招きしてのブランチといきましょう。

「エプロン、エプロン……」

 厨房の壁につけられたフックから、背伸びしてそこにぶら下がっているエプロンを取る。そして、今着ている洋服の上から身につけた。

 まずは最初に、小鳥たちが集めてきてくれた新鮮なベリーたちを、バターとお砂糖で軽く焼こう。

「サラちゃん、火をお願い! 最初は弱めでね」

「任せて!」

 竈の中に現れたサラちゃんが、お返事をすると、その体からごうっと火が生まれる。

「うん、火加減もちょうどいいわ、ありがとう!」

 私はサラちゃんにお礼を言ってから、小さめのフライパンの上にカットしたバターを載せて、焦がさないように溶かす。そして、洗って水分を切ったベリーの種類を選ばず放り込む。

 上から、パラパラとお砂糖をまぶす。調理しながら、これって、バナナでやるとめちゃくちゃ美味しいんだよなぁ、と思い出した。でも、この世界にバナナってあるのかしら?

 人里を見つけたら、聞いてみようかな。ああそうだ。私の頭は図書館並みらしいから、あとで頭の中の百科事典を探してみてもいいわね。

 そんなことを考えながら、軽く熱を加えたベリーを皿に移す。

 フライパンの油分を布巾で拭いて……。

 前の世界の表面がスベスベのフライパンなら、さっと洗っちゃうところ。けれど、このフライパンはどうみても普通の金属製。多分そんな加工はされていなさそう。だから、水で洗うのは最後の最後にして極力避けたいのだ。だって、錆びたりしたら次を買えるかわからない。

 というわけで、拭いたフライパンは、あとで再利用すべく置いておく。

 卵は黄身と白身に分ける。

 私が作ろうとしているパンケーキは、メレンゲのふわふわの力を借りて、ふわしゅわにさせるからね!

 次に、ボウルに小麦粉と砂糖の半分を入れてスプーンでグルクル混ぜる。そして、牛乳と卵黄を加えて粉っぽさがなくなるまで混ぜる。別のボウルに分けておいた卵白に、残りの砂糖を加えて、泡立て器で頑張ってメレンゲにする。

 うーん、ハンドミキサーが欲しいよう。

 メレンゲが出来たら、三回くらいに分けて他の材料を混ぜた物へ加えていく。底から掬い上げるように優しく混ぜてね。

 これで、タネは完成よ!

 そうしたら、フライパンに無塩のバターを溶かして、タネを掬って弱火でじっくり焼いていく。ここで無塩バターを使うのは、有塩だと焦げやすいからよ。そこまで食材が揃っていることも驚きだけど。

「サラちゃん、じわじわ弱火でお願いね」

「任せてよ!」

 竈の中を覗き込んで、サラちゃんにお願いした。

 そうして、まとめ焼きしながら次々にパンケーキを焼き切った。

 うん、ふわふわに仕上がったわ!

 あとは飲み物用のお湯を沸かして。泉で摘んできたハーブのうちミントをポットに入れて、お湯を注ぐ。さ、あとはみんなで食べるだけね!

 テーブルにはスラちゃんがいて、その隣に私、そしてお向かいに今日のゲストのケットシーが座っている。

 そして、それぞれの前にはカットした有塩のバターを載せた拳大のパンケーキ二枚を載せた皿。その皿の両脇にはナイフとフォークが置いてある。それと、空のカップもね。

 テーブルの真ん中には、蜂蜜を入れた小ぶりで陶器製のピッチャーと、バターソテーしたベリーが置いてある。そしてポットには生のミントの葉で淹れたミントティーがカップに注がれるのを待っている。

 そこで、スラちゃんが球体の上部中央(多分眉間?)に皺を寄せて、苦悶の表情をした。

「チセ……この二本の棒は何をするものなんだね」

 わざわざお皿の両脇に一本ずつ置いたのに、そのナイフとフォークをまとめて持って眺めながら、うむーうむーと唸っている。

 わざといかめしい口調をしているのも、スラちゃんの悩みの深さを言外に伝えているのだろうか。

 そんな時、ゲストのケットシーが、右手にナイフ、左手にフォークを持つ。

 そうそう。正しい持ち方だわ。

 私はそれを意識して、ちゃんとお皿の両脇に一本ずつ置いておいたのよね。

 それを、スラちゃんったら、まとめて片手に握っちゃうんだから。

 けれど、ケットシーは「ん?」と首を傾げた。そして、一旦ナイフとフォークの先端をお皿の上に引っ掛けてハの字にして置く。

「チセ、これにはすでにバターが載っている。なのにテーブルに蜂蜜があるのはなぜにゃん?」

 ああ、それが気になったのかと思って、私はお手本にと思って、蜂蜜のピッチャーを手元に取り寄せる。

「このパンケーキは、バターだけでも美味しいんだけれど、蜂蜜をたっぷりかけると、それは絶品なのよ。ほら、こんな感じ」

 私はそう言って、たら~りとぐるぐる円を描くようにパンケーキの上に蜂蜜を垂らす。そして最後の飾りと味のアクセントとばかりにベリーを添える。

「どう? 同じようにして食べてみる? おすすめよ?」

 すると緩んだ口元からよだれが一筋、つつーと垂れそうになっている。

 あれ?

 なんかさっきも見たような?

「ケットシーさん! ここ! ここ!」

 私は慌てて自分の口元を指さして伝えると、ハッ! となって、ゴシゴシと前足でよだれを拭った。

「失敬、僕としたことが……」

 毛がよだれで濡れちゃいそうなんだけど……。いいのかな?

 って。

「スラちゃーん!」

 私の隣で私の皿に釘付けになっているスラちゃんが、すでにテーブルの上に、ダラーッとよだれを垂らしてしまっていた。

 私は慌ててきれいな布巾を取ってくる。

「あっ! チセ、ごめんなさい。蜂蜜の艶々と、バターのとろーりがあんまりに美味しそうで……」

 しゅんとして、よだれで濡れた自分の口周りをされるがままに拭われている。そのあと、テーブルも拭いた。

 もう、仕方がないなぁ。

 そう思いながらも、みんななんだかんだと可愛らしくて癒される。私のもふもふへの願いも叶ってきたのかしら?

 スライムや猫の妖精のケットシーと一緒にご飯だなんて、まるで絵本の中のよう。

「じゃあ、みんなおんなじ、蜂蜜たら~りのパンケーキに仕上げましょうか!」

 スラちゃんとケットシーに順番に笑顔を向けると、二人は、ぱあぁっ! と喜色を満面に浮かべる。

「じゃあ、順番にね」

 まずは、ケットシーの分、次にスラちゃんと、ぐるぐる蜂蜜をたっぷり垂らし、ベリーを添えてあげた。

「スラちゃん。ナイフとフォークを使うのが難しかったら、フォークだけ使えばいいよ。これがフォークね」

 スラちゃんのフォークの柄の部分を指でトントンして教えてあげる。

「うん! よかった! 安心したよ!」

 結局、私とケットシーはナイフとフォークを使ってお行儀良く。

「んー。しゅわしゅわ~。蜂蜜、あまぁい」

 私は一口食べると、その甘さに頰を押さえた。

「この、バターのしょっぱさと蜂蜜の甘さがたまらにゃい。そして、ベリーの甘酸っぱさがあとから来るにゃ~!」

 ケットシーは、なんだか尻尾の付け根がビビビビッてしてる。

 スラちゃんは、握ったフォークでパンケーキを一刺しして、あーんと開けた大きなお口で一枚を一口ずつ。要は二口でぺろりと平げてしまった。

「これ、口の中で溶けちゃうぽよ~!」

 ふふ。パンケーキは好評のようだ。

 そして、食後にポットで淹れておいたミントティーをみんなに配る。

「ふあー、美味しかったにゃん」

「僕もあんな美味しいもの初めて食べたぽよ」

 食後の談笑をしながら感想を聞くと、二人とも大満足だったようだ。

「そうだ。チセは最近ここに住み出したのかにゃん? ここらでは見かけない顔だにゃん」

 ケットシーに尋ねられた。

「そう。昨日からスラちゃんと二人で暮らしているのよ。あとは精霊さんにもお手伝いしてもらっているわね」

「そうにゃのかー」と言いながら、ケットシーはストンと椅子から降りた。トコトコと二本足で歩いていって、ぐるりとアトリエの中を見て回る。そして一番奥に複数ある個室を確認した。

「……余裕がありそうだにゃ」

 なんかボソリと言ったのは、私の耳には届かなかった。

「さて、今日はご馳走になったにゃん。何かお礼をしたいのだが、何か希望はあるかにゃん?」

 ケットシーが立ち上がって、トコトコ歩いて玄関の近くにある帽子掛けから帽子を取りながら、私に尋ねてくる。お客様はお帰りのようだ。

「そうねえ。私、お薬を作って誰かに売って生計を立てたいのよね。売れそうな場所、教えてもらえないかしら?」

 そう。今は、このアトリエにあった貯蔵品で食べていけているけれど、そのうち物入りになってくるだろう。今後の収入を得る手立てと、生活必需品を買う場所を知らないと困るのだ。

「なら、今度ここから一番近い村まで案内しようかにゃん」

「ありがとう!」

 私は、すでに帰り支度をするケットシーを見送るために玄関へ移動した。

 スラちゃんも、当然といったように私の頭にぴょんと乗ってきた。

「じゃあ、準備が出来たらこの葉っぱで草笛を吹いて知らせてにゃ。そうしたら僕はチセたちを迎えに来るにゃん」

 ケットシーは、赤い帽子に飾ってある一枚の葉っぱを私に手渡した。

「ありがとう。また会えるの楽しみにしているわ!」

「うん、こちらこそ、ごちそうさまでしたにゃん」

 ケットシーは再び帽子をかぶると、扉を開け去っていった。

 彼の姿が見えなくなるまで見送ってから、もらった草笛用の葉っぱを飾り棚に大切に飾っておく。

 また会うって、約束したものね。

 そのあと、私はその足でテーブルに向かい、食器を流しに運んでから洗い物を済ませた。

 そして、余ったベリーは、ボウルに入れて砂糖をまぶして置いておく。ジャムの下準備よ。こうして砂糖をまぶしておくと、ベリーの水分が滲み出てくるの。

 ジャム作りはシラユキとの約束だ。同じ精霊だから、サラちゃんも好きかもしれないし!

 うん、ベリーは冷蔵庫に入れてしばらく置いておけばいいわ!


 そうして次の日。

 屋外で乾かしておいた薬草を手に持って、アトリエの中へ帰ってきた私に向かってスラちゃんが尋ねてきた。

「今日、チセは何をするんだい?」

 私の頭の上に乗っているスラちゃんが尋ねてきた。私はザルに載った薬草をスラちゃんに見せてあげた。

「この間、水を汲みに行った時に、この薬草を摘んできたのよ」

「ああ、僕が寝ていた時ぽよ?」

 そうそうと私は、スラちゃんが頭から落ちない程度に頷く。

「その時の薬草たちと、もう一つの材料でお薬が出来るらしいの。それを作って村なんかの人里で売りたいのよ」

「売る? このアトリエには必要なものも食べ物もあるぽよ?」

 スラちゃんが、わかんないとでも言うようにプルンプルン揺れる。

「昨日のパンケーキ、一人当たり卵二個使うのよ? みんなで合計六個も使っちゃったの」

「えっ! そんなに!?

 よっぽどびっくりしたのか、スラちゃんが私の頭の上で、ぴょんと飛び跳ねる。

 落ちないでね(汗)。

「だから、お薬を売ったお金で卵とかを買い足したいのよ」

「なるほど」

「うんうん」とスラちゃんが頷いている気配がする。

 そこでだ。もう一つの材料というのが、『スライム酸』なのである。

 要は、スラちゃんにお口からピュッてしてもらう必要があるらしい。それって唾液みたいなものかな?

 唾液で薬? と思うのだけれど私の頭の中にある製薬知識が、それで正しいと言っていた。

 脳内情報曰く、正確にはスライム酸は唾液とは別の器官で作られているらしい。唾液とは別物ということである。

 うん、ちょっと安心。

 さて、唾液云々で悩んでいないで必要なことをお願いしましょうか。私は、薬の調合道具が並ぶ区画にスラちゃんを乗せたまま移動する。

「あのね。スラちゃんって、お口からピュッてスライム酸を出せる?」

 歩きながら尋ねてみる。

 この説明でスラちゃん、わかるかしら?

 すると意外にスラちゃんの理解は早かった。

「もちろん! それはスライムたちの最大の攻撃方法、特技ぽよ! 僕だって出来るぽよ! スライムが『しよけん殺し』と言われる所以ゆえんぽよ!」

 うわあ、スラちゃんと出会った時に、お友達になっておいてよかった!

『初見殺し』なんて二つ名、めちゃくちゃ怖くない!?

 そんな驚いている私をよそにして、スラちゃんは「どこにする~!」とそれは嬉しそうに、今にでもスライム酸を吐き出しそうな仕草をする。

「待って、待って! そこでスライム酸を出されて私にかかったら大怪我しちゃうわ!」

 私は慌てて、両手で持ってスラちゃんを頭の上から作業台の上に移す。

 そして、近くにあったビーカーを手に取ってスラちゃんの目の前に置く。

「この中に、ピュッて半分くらいまで入れてくれるかな?」

 そうお願いすると、えっへんとばかりに胸を張っている様子のスラちゃん。

「任せるぽよ!」

 すう、と息を吸ったスラちゃんのお口から、ピュ、ピュ、ピュ、とビーカーの中目掛けて、無色透明のスライム酸が吐き出される。

 そこで一旦スラちゃんが一休みした。

 私が渡したのは、前の世界だったら五百ml程度の容量のビーカー。

 その半分を満たすというのは、スラちゃんにはちょっと重労働みたい。

「スラちゃん、私は他の作業をしているわ。だからスラちゃんは、ゆっくりスライム酸を溜めてくれてて大丈夫よ? 一生懸命やってくれて、ありがとうね」

 私が声をかけながら彼をぷにぷにと撫でると、スラちゃんが、ほわわわ、と緩んだ顔になる。

「チセ優しいぽよ~♡ 僕、チセが僕のスライム酸が必要な量になるまで頑張って準備する! 期待してるといいぽよ!」

 そしてスラちゃんはまた、ピュ、ピュ、ピュとスライム酸を溜め出した。

「じゃあ、私は材料が溶けやすいように粉末にしないとね」

 摘んできたのは、癒し草と、苦味取りの実と、中和の葉。これはみんな一晩かけて乾燥させてある。

 まず、材料に熱を加えないように注意しながら乳鉢で粉末にする。次にそれを別の小鉢に入れておく。これを順番に繰り返す。

 全部粉にしたら下準備は完了。これからが本番よ。

 次に、粉にした癒し草を綺麗なビーカーに入れる。

 ここにスライム酸を入れるんだけど、スラちゃんの準備は……、と思って彼のいる方を見る。

 すると、えっへんと自慢げに笑っているスラちゃんがいた。

 彼の前には、スライム酸が半分まで満たされたビーカーがあった。

「スラちゃん、ありがとう♡」

 ちゅ、と彼のほっぺたのあたりに感謝のキスをしたら、元々ピンク色のスラちゃんのほっぺたに当たりそうな位置の色が、ちょっと濃くなった。

「も、もう用事は済んだよね。僕は寝るんだぽよ!」

 ぷるぷるぷる、と震えてから、ぴょんぴょんと飛び跳ねてソファの方に行ってしまった。


 ──照れちゃって、可愛いんだから!


 照れながら移動するその後ろ姿を見送ってから、私は作業を再開することにする。スライム酸を扱うから……と探すと、手の防護に手袋と防護用のメガネまであった!

 元々、この世界にあったのかしら?

 まあ謎は尽きないけれど、用意してくれたならとありがたく両方装着する。

 ガラス棒を持って、そのガラス棒にスライム酸を伝わせながら癒し草を入れたビーカーに少しずつ移す。

 全て移し終えると、スライム酸に癒し草が全部溶けて、濃い緑色の透明な液体になった。

 そこに苦味取りの実の粉を入れると、液体は透明な黄色に変わる。

 最後に粉末にした中和の葉を入れる。すると、液体は透明な黄色からオレンジ色、まるで風邪シロップを思い出させるような色に変わった。

 あとは、その時の出来によって、お水で調整する(薄める)んだけど……。


【初級ポーション】

 詳細:濃いんじゃない? お腹痛くなりそうだよ。


 やっぱり、鑑定の主はスラちゃんのような気がしてきた。


 鑑定さんの言葉では、まだ薬が強すぎるみたい。となると、水で薄めないといけないんだけど……。空のコップを一つ手に取ったあと、私は思案に耽る。

 泉の水をそのままは問題外。湯ざましは安全なお水なんだけど、かといって不純物が入っていないわけではない。やっぱり純水が必要よね……。

 水の精霊さんなら可能かしら?

 ここでスラちゃんに相談すると、「水の精霊に聞けばいいじゃない」って多分言われるのよね。

 その当人はソファで疲れて眠っている。よほど疲れたのか、鼻らしき位置からシャボン玉のような透明なちょうちんがぷうぷうしている。

 頑張ってくれたスラちゃんを、そんな質問のために起こすのはかわいそうに思ったので頭の中の知識を探ってみる。そうしたら『いる』と解答が出てきた。なら大丈夫よね。

「水の精霊さん、いるかしら?」

 思い切って、宙に向かって尋ねてみる。

「はぁい♪ お呼び?」

 ふわりと水色ドレスの少女が私の顔の前に現れて、くるりと宙を舞う。

「あなたは純水……不純物の混ざっていないお水を出すことは出来るかしら?」

 私は目の前の彼女に尋ねる。

「まぁ! それは水の一番初級の魔法よ! 当然出来るわ」

 ちょっとご機嫌を損ねてしまったらしい。彼女はぷい、とそっぽを向いてしまった。

「ごめんなさい。私が欲しいのはただのお水じゃなくて純水だったから、そこをきちんと確認したかったのよ。悪気はないの。ね、許して」

 顔を背けている精霊さんの前で、謝罪とお願いの気持ちを込めて私は両手を合わせた。

 うーん。怒らせちゃったかしら。困ったわ。

 すると、そっぽを向いていた彼女の顔の向きが私の方へ戻ってきた。

「一つお願いがあるのよね。叶えてくれたら、あなたのお願いを聞いてあげてもいいわ」

 そう言うと彼女は人差し指を小さく愛らしい唇の前に添えて、にっこりと悪戯っぽく笑ったのだ。

「……お願い?」

 大変なものじゃないといいのだけれど……。私は、そのお願いとやらに身構える。

「やぁだぁ! そんなに難しいことじゃないのよ。私に素敵な名前をつけて欲しいの!」

 つい、と顔を近づけてきて、にっこり笑いかける水の精霊さんは美少女だ。

「え? 名前? それだけ?」

 そんな花のかんばせを前に、私は意表をつかれて呆けた顔になってしまう。

シラユキから聞いたのよ。名前をつけてもらったって!」

 ああ。冷蔵庫の中の氷の精霊さん!

「確かに彼女に名前をつけたのは私ね」

 私は自分の顔を指さす。

「私は彼女と近い存在でお友達なの。彼女だけ可愛い名前があるなんてずるいわ! ねえ、ねえ、素敵な名前、つけてちょうだい」

 甘えてねだっているのか、彼女は私の頭上を踊るようにクルクルと回り始めた。水の精霊かぁ。

「アクア、エレイン、ニニュー……」

 私がなんとなく呟いて、候補を挙げていく。安直なものは、最初の一つしか思い浮かばず、あとは、湖の乙女だかなんだかの物語の精霊の名前の羅列になってしまった。私に命名センスがないのは経験を積んでもどうにもなるものではないらしい。

「アクア! アクアがいいわ!」

 水の精霊さんが嬉しそうに叫ぶと、私と水の精霊さんの体がキラキラと光る。

 そして。

『テイムしたことにより、【水魔法】を継承しました』

 また、バグったままらしい私の頭の中に、謎の声が響くのだった。

「ふふ。名前をもらったおかげで、私あなたの眷属になったみたい。なら、主人あるじ様のご要望にお応えしないとね!」

 そう言いながらも、私のそばを離れていく。

「私はアクアよー!」

 アクアは、そう宣言してアトリエじゆうを飛び回ってから、満足したのか私の元に帰ってきた。

「そういえば、純水を出してってお願いだったのよね?」

「そうよ。アクア、ここにこのあたりまで注いでくれるかしら?」

 私は、空のビーカーの外側から、だいたい八割程度のところを指で指し示す。

「了解! 水作成ウオーター!」

 アクアがビーカーの中に手をかざす。すると、緩めの水道水くらいの勢いでチョロチョロとビーカーの中に水を注いでくれた。

 うん、念のため、スラちゃん鑑定(命名)で見てみよう。


【純水】

 詳細:水魔法で作成されたまごうかたなき純水。


 あれ。スラちゃん鑑定が珍しくまともね?

 うん、大丈夫!

「アクアありがとう! ジャムが出来たら、お礼にご馳走するわね!」

 すると、水を出すのが終わったアクアが私の方を見て瞳をキラキラさせる。ほっぺたも少し紅潮していて愛らしい。

「嬉しいわ! 待っているわね、チセ!」

 私のほっぺたに、ちゅっとキスをすると、彼女は消えてしまった。

 ビーカーの中にたっぷりと注がれた純水。「ありがとう、アクア」と心の中で彼女に感謝をしてから、ありがたくポーションの濃度調整のために使わせてもらうことにする。

 出来れば水を加える間中、ずっとスラちゃん鑑定を起動しておきたいんだけれど、大丈夫かしら? 私は瞳の水分を潤わせたら可能かなぁと思って、何度かパチパチと瞬きをする。

 ゴーグルと手袋は嵌めたままだし、準備よし! そしてガラス棒に伝わせながら、今度は水を慎重に加えていく。鑑定状態の目を維持しながら。

 ちょっとずつ、ちょっとずつよ……。


【初級ポーション】

 詳細:濃いんじゃない? お腹痛くなりそうだよ。


 君のお腹の具合は聞いてないんだけどね、スラちゃん。


【初級ポーション】

 詳細:まだ濃いね。お腹がちくちくしそうだよ。


 そうか、君のお腹もちくちくするのか。木のお皿すら食べられるのに、謎だわ。


【初級ポーション】

 詳細:ほどほど? でも、具合の悪い人が飲むなら、もうちょっと優しい方がいいね。


 あら。ちゃんと優しい気遣いが。


【初級ポーション】

 詳細:あっ! いい! そこそこ! ストップ!


 わっ!

 急に、止めろと指示されて、私は慌てて水の入ったビーカーを水平に戻す。

「よし、これで完成! 出来たわ!」

 水のビーカーとガラス棒を作業台に置いて、ほうっと肩の力を抜いてため息をつく。水を加えてちょうど五百ml分になった。

 うーんでも、もう一工夫。気持ちだけなんだけどね。

 初級ポーションが入ったビーカーに手をかざして、これを飲むであろう人のことを思う。そして、それを言葉にした。

「痛いの痛いの飛んでゆけ~!」