第二章 竜の王子様
その世界には、獣人国を治める赤竜王の王城、通称赤竜城があった。
左右背後を高い岩山に囲まれていて、城へ繫がる道は一本のみ。城下町と王城を繫ぐ、遠く長い登り坂を苦労して歩いてようやくたどり着く。まるでそれは『天上の要塞』のような城だ。
正しくは竜族の城なのだが、竜神の神殿と言って敬う国民がいるほど、それは見事な城である。
そんな城を住まいとするのは、国王の赤竜王とその家族たち。そして、たくさんの竜族や獣人を代表とした亜人たちが働いている。竜族たちは基本城の中では
その王城の中の赤い毛足の長い絨毯の敷かれた長い廊下を、赤い髪の人型をとった竜族の少年が歩いていた。その少年は、人間で言えば外見は十五歳ほど。赤い癖のある短い髪から灰色のツノを生やしている。瞳は澄んだ夏空のような蒼。
彼は訓練着のような服装で脇に剣を下げている。顔色にはやや疲れは見えるものの、足早に歩いていた。
そんな彼が、騎士らしき姿をした竜族二人とすれ違う。
そのうちの一人の顔を確認して、赤い髪の少年がこっそり舌打ちをする。
「これはこれは、アルフリート殿下。騎士団の訓練のお帰りで?」
殿下と呼ばれるということは、赤い髪の少年が王族の一員であるということである。そして、声をかけた騎士は、その装備からして一介の騎士に過ぎなかった。ならば、本来は親しい間柄ならばともかく、殿下からの許しもなく、声をかけるなんてありえないのである。
「おい、やめろ」
それを理解しているもう一人の騎士が、声をかけた騎士を窘める。
「……」
少年はその二人のやりとりに答えず、真っ直ぐに廊下の先を見据える顔の向きも変えなかった。
「……チッ。ハンパものの癖に、半分の血を以ってして騎士団に入るなんて……ドレイクの癖に」
「ガルドリード! それ以上言うな! 王族への暴言とみなして捕えるぞ!」
窘めていた方の騎士が、暴言を放った騎士の腕を取って背中側に捻る。そしてそのまま反対側の廊下の壁に顔から叩きつけた。
「……いい。レブナント。そいつは放っておけ」
赤い髪の少年が、窘めていた方の騎士を制した。
「ですが殿下! あなたは正当な赤竜王の第二王子殿下です! それを詰るなど……!」
「いいと言っている。……ただし、俺を擁護する王室そのものを軽視するようだったら、……ガルドリード。その時には首を洗って待っていろ」
そう警告すると、これ以上の口論は嫌だとでも言うように、赤い髪の少年は自室に向かって走っていった。
アルフリートと呼ばれた少年は自室に駆け込むと、ブーツを脱ぎ捨て腰に下げている剣を鞘ごと床に放り投げる。
そして自分の体をベッドに投げ出した。
「ドレイク。……ドレイク、か」
少年はベッドの上に仰向けに寝転がりながら呟いた。
ドレイク。それは竜族にしては体の小さい彼に対する蔑称である。
古竜より小さい竜族の亜種の種族名がその由来だった。
彼は赤竜王の第二子で、れっきとした第二王子である。
王太子である兄とは別腹ではあるが、家族の仲は悪くはない。
兄の母である王妃は純血の竜族である。実母を亡くした彼を、義母である王妃は自分が産んだ息子と同じように愛してくれた。
ただ彼には、一部の竜族、特に竜族の純血性を重んじる者たちからの風当たりが強いのだ。彼の母がエミリアという名の人間であったから。
少し昔に遡る。
赤竜王が人間や魔族と戦い、大陸の一部を領土として独立して、亜人のための国、獣人国を建国した。その時人間の国は、和解の証として聖女であった少女エミリアを、半ば人質同然に赤竜王に献上したのだ。
赤竜王と王妃はそんな彼女を哀れに思った。さらに彼女は人間と竜族など種族で分け隔てしない、賢く優しい人柄だった。やがて彼らは、哀れな人間の少女エミリアを愛するようになったのだ。
赤竜王は王妃と相談した。その結果、夫婦で合意した上でエミリアを第二王妃として迎え入れたのである。王妃と第二王妃の仲は良かった。そして赤竜王も王妃をたてながらも、二人の妃を平等に愛した。
第二王妃となったエミリアも赤竜王に感謝し、そして敬愛した。その結果エミリアから生まれたのが、アルフリートなのである。
だから、アルフリートは竜族と人間の聖女の血を半分ずつ継いでいる。彼の髪は父親譲り、瞳は母親譲りである。ツノは本来王族であれば漆黒なのだが、ハーフであることを表すかのように灰色である。
第二王妃となったエミリアは、慈悲の心と聖女の聖なる力を以ってして獣人国に奇跡を施し、国民に認められ愛された。
だが、竜族は王族ともなれば寿命は二千年を超える。
聖女とはいえ人間のエミリアの五十年ほどの寿命はあっという間に尽き、もはやこの世の人ではない。
そうして残されたエミリアの子であるアルフリートには赤竜王の子ほどの力もなく、聖女の子としての奇跡の力も持たなかった。
唯一行使出来る魔法は、光属性の初級魔法、
国民は聖女エミリアの死を嘆いた。そして、彼女の息子の第二王子に期待した。けれど、彼はエミリアが持っていた奇跡の力を持っていなかったのだ。竜としても半端で、聖なる力を行使することも出来ない。
だからそんな彼をガルドリードほどにあからさまではないにしても、見下す者もいたのである。特に一部の竜族は辛辣だった。
「……ここは窮屈だな」
アルフリートはぼんやりと呟くのだった。アルフリートは、ベッドに横になったまま目を瞑る。そうすれば、今は亡き愛しい母親の面影を瞼の裏に
美しく儚げな少女時代。壮年になり目元に小皺が増えると、笑うとより優しげに見えた。なくなる間際、美しかった金髪も真っ白になった。肌が皺だらけになってもなお、慈愛に満ちた彼女は美しかった。
「母さん」
瞼を閉じてアルフリートは母を偲んだ。
◆
幼い我が子が、父よりも自分の血をより強く引いているであろうことを、最初に気づいたのはエミリアだった。
ある日、同年代の少年たちと遊んでいたアルフリートが、母親の元に泣きながら帰ってきた。
「アル! どうしたの」
泣きじゃくり、母の部屋に駆け込む我が子に駆け寄って、抱きしめるエミリア。
「お前だけ小さいって。ブレスも吐けないって、馬鹿にするんだ!」
そう言って、母親の腕の中でぼろぼろと涙をこぼして泣くのだ。息子の背を撫でて慰めながら、エミリアは思った。アルフリートは、卵の殻を破ってこの世に姿を現した時、眩いばかりに輝いた。普通の竜の生まれる時には、そんな現象は起こらない。
その時から薄々思ってはいた。「我が子は人間の聖女である自分に似てしまったのだろう」と。
ハーフドラゴンだとしても、竜族の親に似ればその生き方はそう苦にはならない。けれど我が子は自分に似てしまったのだと。
確かに、彼は同年代の竜族の子に比べると体軀は一回り小さい。さらに、竜の最大の攻撃手段である『ドラゴンブレス』を息子は行使出来なかった。
「アル」
名を呼ばれてようやく泣き止み、その濡れた顔をエミリアに向ける。
「こんなに濡らしてしまって」
そう言ってハンカチを取り出し、優しく濡れた頰を拭った。
「母さまは、出来損ないの僕にがっかりしないの?」
アルは恐らく『出来損ない』と言われたのだろう。その言葉を使って母親であるエミリアに尋ねてきた。エミリアは、その言葉を発した息子の唇を人差し指でそっと押さえる。
「そんな言葉は使っちゃダメ」
「なんで?」
エミリアの言葉がわからず幼いアルフリートが首を傾げた。そんな彼を見つめながらエミリアはにっこり微笑む。
「だって、あなたは、出来損ないじゃないから」
「でも、ガルドが僕のことをそう言うんだ」
ガルドというのは、アルフリートの遊び相手を兼ねたガルドリードという名の
「あなたは、出来損ないなんかじゃありませんよ。あなたはまだ、卵の殻を本当の意味で破れていないだけ」
「卵の、殻?」
アルフリートがキョトンとした顔をする。
竜たちは卵生で生まれた時は卵として生まれてくる。ハーフであるアルフリートも同様だった。
「座ってお話ししましょう」
エミリアは息子を抱き上げソファへ腰を下ろした。アルフリートは母の手で彼女の膝の上に乗せられる。彼女は膝に乗せた息子の髪を指で梳いた。
「母さまもね、最初から聖女の力を使えたわけじゃないのよ」
その言葉に、アルフリートがパッと顔を上げて母の瞳を凝視する。
「教会にね、私が聖女だってお告げが降りたの。でもなかなかその力を使えなくてね」
小さな拳をぎゅっと握りしめてアルフリートが呟く。
「……まるで僕みたいだね。竜の力を使えない僕みたいだ」
「そうね」
そう言うとエミリアは彼の握った手を優しく上から包み込む。
「……大切なことはね」
「うん」
「自分の守るべき人たち……、守りたい人に気づけば、もう一枚の卵の殻を割って聖なる守りの力が開花するんだと思うわ」
「僕にもそんな人たちがいるのかな?」
「大丈夫。きっといるわよ」
「……」
「あら、寝ちゃったのね」
会話をしているうちに安心して、アルフリートはエミリアの胸の中で眠ってしまっていた。
◆
うとうとして夢
「守るべき人たちか。いまだに見つからないな」
一部の者たちに、謗られ、落胆される。自分を肯定してくれる人は家族を中心として数少ないわけではない。けれど、この状況を打開するのに必要だと母が言っていた『守るべき人たち』を、まだ彼は見つけられていなかった。
家族は愛している。けれど、彼らはアルフリートに守られずとも、自らが皆竜族として類稀なる力を持っている。多分、母が言っていた『守るべき人たち』とは違うような気がしていた。
アルフリートは、ベッドから腰を上げて窓辺に近づく。
そして窓を開けた。
窓の向こうに広がるのは青い空と白い雲。心地よい風が頰を撫でていく。
「この広い空の下のどこかに、俺の守るべき人たちがいるんだろうか?」そう思ってアルフリートは目を細める。そうすれば見つかるというものでもないけれど、つい、その誰かを探す仕草をする。
アルフリートは、思い立ったように文机に向かった。そして一枚の紙とペンを取り、家族に宛てて一筆書き置きをする。
『守るべき者を探す旅に出ます。』
そうしたためた紙が飛んでしまわないように、ペンを重石代わりに載せた。
そして彼は再び窓に戻ると窓の枠に片足をかける。窓枠に両足で立った彼の背中から一対の赤い竜の翼が生える。彼は足をかけている枠を蹴って窓の外に飛び出した。
両翼がはためき、彼は青空に向かって飛び立っていくのだった。