ルシルちゃん、どうしてるかな。三日に一度は思う。ふとした瞬間に思う。先日、久し振りに会えたうれしさがトルテの中でまだ駆け巡っている。

 ずっと一緒に居ると言って帰っていった二人。雇用関係からおもい合う仲になっていた彼ら。そう、自分に何の断りもなく。

 一体どうしているのやら。けんはしていないか、ちゃんと仲良く暮らしているのか。自分が幸せな瞬間は特に向こうのことが頭をよぎる。トルテは一人で家の前の原っぱに腰を下ろしていた。

「んあ

「どうしたのトルテ」

 空を見上げて口を開けていたトルテの頭上から、肝の据わった長女のジーナが洗濯物を抱えて声をかけた。

「そんなことしてると口に虫が入るわよ」

「……入らないもん」

 トルテは口をとがらせて姉を見た。ジーナから「干すの手伝って頂戴」と言われ、「はあい」と立ち上がる。大家族の洗濯は日に五回行われる。暖かい季節に加え、農作業ができるようになったから、汚れ物は毎日山積みだ。

 畑の方ではトルテの三つ子の兄たちや兄弟の配偶者たちがくわを振るっている。茂る作物の緑が濃い。ぎゃあぎゃあとうるさい声があんなに離れているのに聞こえてくる。彼らはいつも何かにつけて騒がしくしていないと生きていけない生き物なのだ。

「お兄ちゃんたちも、コランを見習ってほしいよ」

 トルテは木綿のシャツをはたいて、しわを伸ばしながら肩をすくめた。トルテと結婚したての、初々しいパートナー。それがコラン。ひともんちゃくあり、大富豪の実家を出てオニバス家の一員となった。力仕事よりも専ら頭脳派で、種まきと収穫時以外は畑に出ることを免除され、普段は家族の資産運用という大事な仕事を任されている。

 コランはトルテのことが大好きで、いつもにこやかで大人しい。トルテはコランがよく自分たちの家でくやっていけるなと感心していた。

 先のトルテの言葉を聞き、ジーナは「そりゃ無理よ」と簡単に否定する。

「人間は、特にもうあんなに大きくなっちゃうとね、本人が相当頑張らないと変わらないのよ。諦めなさい」

「……そこまで本気で言ったんじゃないよ。冗談なのに」

「あんたはどっちか分かりにくいの。それも早く直しなさい。ルシルが心配するわよ」

 ジーナの言葉はいつもトルテの痛いところを的確に突く。トルテは小さく「分かってるもん」とつぶやいた。トルテからすれば、自分だってルシルの心配をしているのに、と主張したい。

「ルシルちゃん、どうしてるかな」

「元気にしてるでしょ。先生と一緒なんだから大丈夫よ」

「そういうことじゃなくて!」

 さっぱりした姉は話にならない。トルテは残ったタオルやシャツを干し終わると「終わり!」と言ってキッチンへ逃げ込んだ。ふう、と息を吐くと「どうした」と声をかけられる。ドアの先に居たのは長兄と次兄だった。兄たちは丁度作業を終えて小腹を満たしに来たらしい。長男のノエルはトルテに「お前も何か食うか」と尋ねた。

「んーん。仕事しに来たの」

「そうか。今日はお前の当番か。トルテ、いいか。色んなものにパセリをうんと入れてくれ。俺は世にもっとパセリの魅力を広めたい。そのためには自分がまず色んな食し方を」

 猛烈に次男がしゃべりかけてくるのを適当にあしらいながら、トルテは鍋に水を入れた。全ての料理にパセリを入れられる訳がないだろうと内心あきれた。これだから次男は下からちょっとめられがちなのだ。頭が良いのは分かっているが、極端なのである。

「お、ニコラ。ほら朝食の残りのパンがある。やったぞ」

「こっちにはパテがあった。完璧だ」

 二人が勝手場を物色し、目ぼしいものを見つけては持っていく。少し前までだったらそんなことは許されなかっただろう。窓の外を見れば見慣れた風景が広がっている。作物は順調に育ち、先の暮らしの安泰を予感させる。

 この光景を取り戻してくれたのが、突然現れたルシルの大事な人。初めは怖かったけれど、彼がルシルを大切にすると言ったのを、固く信じている。そうでなければ、とてもルシルを任せられない。

「……ルシルちゃんたち、どうしてるかなあ」

 鍋をかき混ぜながらほとんど無意識に、トルテが呟いた言葉を兄たちが拾った。

「何だ。手紙でも書けばいいじゃないか」

「何もないのに?」

 これまでは家でイベントがあったときや、兄弟の実家への出入りがあったときに手紙を書いていたのだ。残念ながら今は特別ネタがない。トルテは残念そうに視線を落とした。

「──トルテ!」

 長兄のノエルが大きな声で呼ぶ。トルテはびくりとして顔を上げた。

「な……何……?」

「お前なあ、そういうとこだぞ!」

 ノエルに続き、次男のニコラが「そうだそうだ」と眼鏡めがねを押し上げた。

「用がなくてもいいんだ。お前の近況が書いてあれば十分なんだよ」

「ルシルもお前がどうしてるか知りたいだろう」

 パンにパテを塗ったものを口に放り込みながらそう言う兄たちの顔は真面目だった。さも当然、という彼らの表情を見て、トルテは小さく反省する。先程、ジーナにも言われたところだった。

「……分かった」

 トルテが素直にうなずいた。二人の上の兄たちは最後のパンの欠片かけらを食べ終わるとさっさと食堂を出ていく。トルテはずっと見てきた彼らの背中が、いつも優しく頼もしかったことを思い出した。


「コランー」

 勝手場での仕事を終えたトルテが自分とコランの部屋に戻ると、コランは「やあ」と机から顔を上げて頬を緩ませた。机の上には書類やノートが広がっている。それらには数字がたくさん書き込まれているが、トルテにはちんぷんかんぷんである。

「どうしたのトルテ。僕に用?」

「ごめんね、違うの」

「違うのかー」

 コランはおどけたようにガッカリして笑った。トルテも釣られて笑顔になる。

「ルシルちゃんにお手紙を書こうと思って」

「お姉さんに?」

 トルテは紙とペンを机に置くと、コランの向かいに座った。コランは仕事の手を止めてトルテの方へ身を乗り出す。

「何を書こうかなー……」

「書くことは決まっていないの?」

「あー」

 コランはトルテに「口が開いているよ」と笑いながら注意した。トルテは恥ずかしくなってパッと口を閉じた。

「ルシルちゃんがどうしてるか気になるから、いてみようと思うんだけど。『どうしてる?』だけじゃおかしいでしょ。だから近況を書くの」

「うん、成程」

「じゃあ書くからね」

「うん」

 トルテはペンを手に、うんうんとうなりながら何とか一時間かけて自分の身の回りのことを一枚の紙にまとめた。家族のことの報告であればいつもスラスラ書けるのに、今回はとても難しかった。ただ近況を書くだけが、どうして心の内を打ち明ける程の精神力を使わなくてはならないのか、トルテは自分で自分の性質を責めた。

「書けた?」

 トルテが唸っている時間、ずっと静かにしていたコランが声をかける。トルテは「うん」と言ってコランを眺めた。あまりにまじまじと見つめたので、コランが「どうしたの」とキョトンとする。トルテは今自分が書き終えた手紙とコランを見比べ、「ああ」と漏らした。

「……近況って、全部コランとのことになっちゃった」

「え?」

 コランの目が大きく見開かれる。

「コランとの部屋を作ったとか。一緒に種まきしたとか。ピクニックに行ったとか。思い付いたのって、そういうやつ」

「……! ……!」

 赤くなって口を押さえ、わなわなと打ち震えているコランに、トルテは不審そうに「なあに」と尋ねた。

「私、今変なこと言った?」

「言ってないよ……!」

「ふうん?」

 トルテは釈然としなかったが、手は止めずに手紙を封筒に差し込んだ。あとはこれに封をして、街のポストに入れるだけ。大仕事を終えた気分で机にべたりと倒れた。横向きにコランが見える。コランは眉を下げて「今日はすごく見られるなあ」と頬をいた。

「……」

 コランとのことを書いたばかりだからか、こうして今一緒に居ることも無性に手紙に書きたくなった。トルテは身を起こすと、もう一度ペンを取り、新しい用紙を取り出した。コランは「書き終えたばかりなのに」と目を瞬かせる。

「もっと書くの?」

「うん。あ、あのね……コランと居ると、書きたいことがたくさんできるね」

「……え……!」

 トルテが頬を染めてひそひそとささやく。コランはたまらずに「君って子は!」とワッと突っ伏して泣き出した。トルテは笑いながら手紙に向かう。

「えへへ」

 この楽しさが遠くのルシルに届きますように。手紙を読んだルシルの反応を思い浮かべ、トルテはにんまりとして筆を滑らせた。